「カフェ、頑張れ」
「はい。それこそ、血に飢えた猟犬のように勝利を掴んで見せます」
「君はそういうキャラじゃないだろう?」
セントライト記念からおよそ一か月。その間は世間では何事もなく過ぎ、横七の深海棲艦との戦争がまるで無いように平和だった。
そして今日、カフェの菊花賞が始まる。プランAが予想外の形で頓挫した今、カフェに賭けたプランBが肝要だ。そのために私も色々と尽力している。
「今日はちゃんと見れそうだ」
「頼みますよトレーナーさん。タキオンさんに喋らせるのは心配ですから」
「酷いな~。トレーナー君の代役を務めただけなのに」
この前は勝利者インタビューにトレーナー君が遅れて来た。理由は想像できるが、それを記者たちに言えないので、急遽ピンチヒッターとして数分ばかし私が話していた。最初は全く取り合っていなかった彼女たちだったが、乙名史君のようなスポーツ科学に理解ある記者がかなり食いついたから困りはしなかったが、カフェは私が変なことを言わないか心配していた。まあ、杞憂だったのだが。
「それでは、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
カフェを見送ったら、私たちは学園生徒やトレーナーの優先席に行く。そこには私たち『スパルタン』の面々が全員いた。
「提督、お帰りなさい」
「面倒を見させてすまない。カフェの調子は絶好調だよ」
「当然です。BBの出す精密な身体データと提督の考案するトレーニング、そうならないはずがありません」
「ありがとう。素直に受け取っておくよ」
書類仕事担当の義明トレーナーも引率兼トレーナー君がインタビューに来れなかった際の保険として一緒に来ていたが、妙に馴れ馴れしい。呼び方もロイトレーナーから横七の提督に変わっている。おそらくスパルタンがいないからいつもはスパルタンが担っている私たちの護衛を代わりにやっているのだろう。
「ねえねえまだなの!?」
「落ち着きなさいテイオー。トレーナーさんたちが戻ってきたのだからカフェ先輩もすぐに出てきますわ」
「でもでもでも!!」
「ほら、もう出てきましたわ」
マックイーン君の指差すターフには、黒い影。このレースの勝者、カフェが現れてストレッチをし、ゲートに入る。
「ロイ」
後ろからトレーナー君に掛けられた声に対してトレーナー君は瞬時に反応し猫のように翻った。声の主は女性。他には誰もいない。しかしその肌の白さと瞳の色から、深海棲艦だとわかる。そして、トレーナー君の目の前に一人で堂々と現れたということは、この女が彼から左腕を奪ったテール…。ここに、クラシックレースの終点に、横七と深海棲艦のトップが揃ってしまった。
二人は距離を保ったまま座席の後ろに下がっていき、レース場の屋根の上に飛び移る。
「おい!!たわけ!!」
「トレーナーさん!?」
「私が追う!!」
二人を追おうとした私を義明トレーナーが手を掴んで止めようとしたが、僅かに届かずに空を切る。
「私なら大丈夫だ!!君はスパルタンを呼べ!!」
「は、速すぎデス」
「なーんで引退しちゃったのかなー」
二人が上っていった屋上に階段を使ってすぐに上がって扉から覗くと、二人は向かい合ったまま立っていた。しかしただそうしているのではない。互いに気迫をぶつけ合っている。気迫を幻影として投影するエアグルーヴ君なら何か見えるのだろうか。
「ここでやる気か?」
「何だか馬耳付けた連中が群がっていたが、そんなのが通じる私たちじゃないだろ?」
「そうだ。だから、今。ここで」
「クフフ…お前、私よりも闘争心が剝き出しだな」
ファイティングポーズを取ったトレーナー君に対し、女は揶揄うように対応する。この場面だけを切り取ってみればトレーナー君の方が圧倒的に悪だが、そうなるのも必然だ。なぜならテールは白露君を唆し、トレーナー君を追い詰めた。トレーナー君が血気盛んになるのも無理はない。
「理解できないが、私の子供たちはレースが好きでね。この前もお前が逃げ道を塞がなかったら静かに逃げてたのに。まああの子たちは馬耳を近くで見れて嬉しかったと言っていたが」
「お前に子供?あのツインズか!?」
「そうだ。私の自慢の子供たちさ」
「母親とは思えない」
「誉め言葉として受け取っておくよ」
「貶してるのさ。その汚れた手で子供を抱くなんて」
「それはお前も同じだろ?子供ではなく女で、しかもその女も死んだが」
トレーナー君の眉がピクリと動く。
「おおっと、落ち着け。ここで戦争してレースをパーにしたらあの子たちが泣いてしまう。だからここは穏便に、な?」
「不服だが、俺もレースを中止にしたくない。理由は違うが目的は同じだ」
「ニヒヒ…なら、仲良くしようぜ」
女は握手をしようと手を伸ばす。トレーナー君も手を伸ばし、その手を掴む。
「成立だな」
「レースを中止させないということに関して、俺たちは完全に一致した」
「そうだ…おい、手を離せ」
「絶対にレースを中止にはさせない。何が何でもカフェに菊花賞を勝たせる!!」
「お前、まさか…!?」
握手をしていない手も女の腕を掴む。
「そうだ。楽しい空の旅をしよう」
「馬鹿めーッ!?」
トレーナー君の背中から日が噴出し二人が空に昇る。あまりにも急上昇したため相手は手を離せば下に落ちてしまうため、片手を離せない。一方でトレーナー君も、絶対に逃がしたくないのか手を離そうとしない。
「本当に死にたいんだな!!いいのか!!あの馬耳どもが泣くぞ!!」
「いいや、死ぬのはお前だけだ。お前だけが死ぬんだ」
焦りを全く感じていないトレーナー君は、掴んでいた手を粒子にしていく。よく見えないがあの粒子がナノマシン…。
空中を飛ぶほどの推進力をどうやら持っていない様子の女は、トレーナー君を掴もうと必死の様子だが、トレーナー君は触れられた部分を粒子にして空振りにさせている。
「小癪な!!」
「スカイダイビングの費用は高いんだ。けどお前は別。無料にしといてやるよ」
「お前が卑怯な手を使わなければこんなに一方的にやられはしない。だが、ここまで一方的だとは…。仕方がない、あの子たちを呼ぶしかない…」
重力に捕らわれて落ちていく女に向けて、レース場の外から二つの光が近付く。あれがセントライトのUFO。
ツインズとトレーナー君が呼んでいる子供の一人があの女を抱きかかえる。するとその女は、自分の子供たちと優しい声で話す。
「お母さん!!」
「ありがとうグラハム」
「お母さま!!私が戦うわ!!」
「ダメよリリィ。今日はもう引き上げるわ」
「そんな、接触してからまだ五分も経っていませんのよ!?」
「もう五分近くも経っている、よ。そろそろスクランブルの先頭が来るわ。撒くためにも、ここは退きましょ?」
「…分かりましたわ」
「良い子ねリリィ。大好きよ」
何もしていないのに逃げる悔しさに少し遅れた方が俯くと、その頭を愛情をもって優しく撫でる。それで落ち着いたのか子供たちは一直線にどこかに飛んで行った。
「水平方向やや下。巻き込んでしまう」
トレーナー君はさらに攻撃をしようと狙いを定めていたが、流れ弾が市街地に落ちることを考えたのだろうか、撃てるであろうその背中を見送る。その背中が見えなくなるころに屋上に着地した彼を出迎えた。当たり前だがどこにも傷はない。
「大丈夫のようだね、トレーナー君」
「勿論。さ、レースを見に行こう。まだ間に合うはずだ」
「なら、ここから見よう」
屋上からターフを見下ろす。ここからならカフェのレースを見れる。
「落ちるなよ」
「落ちても君が拾ってくれる。そうだろ?」
「まあそうだが」
安全策を越えてギリギリの場所に座るとトレーナー君は心配した顔で隣に座ってくれる。手にはいつぞやにテイオー君から聞いた透けて見える双眼鏡。
「見にくいだろ?使うか?」
「この程度なら、どれがカフェか分かるさ」
君のおかげで色々なものを見れるようになった。倍率機能の高い双眼鏡なんて、ここからターフを見るのには不要というもの。
「さあ、見たまえ。あの走り、正に可能性の向こう側そのものじゃないか!!」
カフェの出した最高速度は60km/hほど。差し戦法で走っているため速度は抑えられているいるが、それでも最終直線で全てを抜き去ることはできるはずだ。
「…そういえば、だ。一つ聞きたいことがある」
何かを思い出したように私と共にレースを見ていたトレーナー君がこちらを向いてくる。
「なんだい?」
「タキオンの意志だし色々と忙しい時期だったから聞きそびれていたが、どうしてダービーの後に休止宣言なんてしたんだ?」
「ああ、それか」
うーむ、どんな言葉を使って説明すれば納得してくれるか。そもそも、素直に話せば面倒ごとになってしまうしなー。ここは少し濁して答えようか。
「トレーナー君は、自分の夢が井の中の蛙だったという経験はあるかい?」
「というと?」
「未勝利ウマ娘には、未勝利戦を勝つことが夢になることが多い。なぜなら自分の能力の限界を理解してしまっているからね。重賞なんて最初から取れないと思っているのさ。だが、もしその未勝利戦で勝ってしまったら。限界を理解していたはずなのに、その理解が間違っていたら。自分の人生を掛けた計画の全てが音を立てて崩れ去っていったら…君はどうする?」
私のその問いかけに、トレーナー君はあっけらかんとした声色で答える。
「別に、なんとも思わないな」
「なっ!?それまでの人生、その全てを掛けていたいたんだぞ!!」
「二回だ。二回も俺はそれを経験した」
「え…」
「一つは君も知っているように、あの日、加古とか白露とか、皆が死んだあの時。俺は絶望して死を選んだ」
「君がこの世界に来るきっかけの…」
「そうだ。そしてその前にもう一つ。俺が提督として戦い始めたころ、敵はテールじゃなかったんだ」
「あの女じゃない?」
「そう。最初はアベルという奴だった。それを俺が倒す…は違うな、和解したんだ。それまではアベルをどうにかすることだけが目標だったから、それで終わったはずだったんだ」
「でも、テールが出てきた…」
「あいつのせいで俺が立てた戦後の計画はぜーんぶダメになった。でもまあ、そのときはそこまで悪くはなかった。自分の為すべきことを理解していたから」
「為すべきこと?」
「そう。為すべきことを為す。それが全て。絶望して死を選んだときも、あれが為すべきことと思ったからやったんだ」
今の私の、為すべきこと…。
「それで、結局何だったんだ?」
「えあ?ああっと…そ、そろそろインタビューが始まるよ。行こうか」
「はぐらかされた」
あのとき、私は何をすればよかったんだ?あの状態で、何が出来たんだ?プランAにはもう戻れない。だというのに…
そもそも、私は一体、何がしたいんだ?
テール
深海棲艦。ツインズの母。神になるという願望があるらしいが、その方法は分からない。
戦闘能力が高く、誰も手が付けらない。提督も、逃げたり撒いたり撤退させたりすることは状況によっては可能だが、最終的に勝つことは出来ないという評価をしている。
かつての提督と同じく粒子を使えるはずだが、この世界では一度も使ったところを確認していない。しかし、初遭遇時に一瞬でアヴァターの体内に内蔵された弾薬を暴発させたことを鑑みるに、単純に衰えているとは言えない。