「流石に定刻通りか」
年末の中山。ここ最近はほぼ何もしてやれていないカフェが出走する有マ記念を観戦できる特別観戦室に、まさか平和的に話すことは無いと思っていた人物がやってきた。
「当たり前でしょ。私が誘ったのだから」
日傘を畳んで入り口近くに掛けると、性格の傲慢さと実力が釣り合う化け物はゲート前にいる出走者を見ている俺の隣に立つ。
「よく生きていたな」
横須賀で大敗こそしたが仕留めることは出来たと思っていたテールだったが、帰還してから数時間後には海上で生存艦の指揮を執っている姿が撮影された。目立つ外傷も欠損した部位もないのに対し、こちらはその後も含めてナノマシンの八割を損失。割に合っていない。
「生き残ったのは偶然。アグネスタキオンがあなたを捨てていれば、私も脱出できなかった」
「つまり俺たちのミスか」
僅かな時間だったとはいえ、サバイバーに繋がって横須賀から離れていたのはテールも同じだ。あのときもっと早く判断できていれば、きっと分解できていたのだろう。
「それで、今日は何を話に来た?」
「アイには伝えてあるはずだ。『休戦交渉』だと」
「知らないのか? 平和は次の戦争の準備期間だぞ?」
「それは内容がよくない時だけだ。私は完全な和平を望んでいる」
「それが嘘でないとどうして言える」
「貴様にも分かるはずだ。大切なものを失う苦しみは」
眉間に皺が寄って怒りの感情は見受けられるがそれを表に出し過ぎないよう抑えて話しているのが伝わる。そうか、俺は直接戦っていないから印象が薄かったが、こいつはグラハムを失っているのか。
「私にとって、あの苦しみは…」
「甘いこと言うなよ。こっちはお前のせいで内ゲバになって死んだんだぞ」
こいつが白露を唆したせいで、時雨と共謀してあいつは仲間殺しを始めた。散々人の大切な者を奪っておいて自分所のが一人死んで許してくださいは調子よすぎる。
「策が、策が一つだけあるんだ」
「ああ?」
「悲しみのない世界を創ろう。私にはそれが出来る」
「前々から言ってた、神に成る目的がそれか」
「神は時間を巻き戻せる。お前が引っ込んでいれば、誰も死なない素晴らしい世界が創れる。今からでも遅くない。私の手を取り、そして…」
「黙っていろ。始まった」
レース展開はカフェに有利な形だ。要注意のシンボリルドルフもいるにはいるがデータ上ではカフェの方が能力値は高い。戦術や臨機応変さではシンボリルドルフの方が強いが、BBを用いたトレーニングが上手くいくことを祈ろう。
「時間を巻き戻せるなら、そうしたい。俺だって加古に会いたい」
「ならば…」
「だが、この世界で俺は生きてもみたい」
気持ちを紛らわせるために続けたトレーナー業だが、今ではそれが生きがいにもなっている。この実りある楽しい生活を手放したくない。
「知っているんだ。この世界は俺たちがかつていた世界のはるか遠い未来だって」
「…」
「もし仮にお前の望むように過去に遡り、俺もあいつらも死なない世界があったとしよう。確かにそれは素晴らしい世界だ。俺とお前が協力すれば戦争もきっと早く終わる。再び人類と深海棲艦は最盛期を迎える」
「それなら…」
「だが、この世界は誕生しない。いや、仮に存在するとしてもそこに俺はいない」
あのとき、空中艦隊の旗艦として建造されたVの次元炉を臨界させ自爆させたとき、時間軸が歪み世界はとんでもない加速をした。地上文明は長い年月を一瞬で経た結果バクテリアなどに分解され、深海文明も食糧の確保が出来ず崩壊した。おおよそ見当はついているが誰が残したのかは分からないシエラレオネ神話を解読するとそういうことになる。
つまるところ平和な世界になると次元炉の臨界という集団タイムスリップが発生しないため、俺はこの世界に辿り着けない。それならばもう、あるがままを受け入れよう。
「過去に戻って再生するのではなく、今を戦って未来を創る」
「貴様も女王と同じことを言うのか…」
望む結果が得られないことを悟ったのだろうテールは肩を落としながらソファに座る。話がそれで終わりなら、こっちはカフェの有マに専念できるのでそれならそれでいい。
「いけ、カフェ、差せ!! 差せ!! 差せ!! …やったーッ!!」
喜びのあまり前に突き出したガッツポーズで窓にひびを入れてしまう。カフェの勝利の興奮が少し冷めたが、それでもまだ右手の震えは収まらない。
「あの子たちと同じか」
「そういえばリリィは近くにいるのか? 一人で来ると聞いているが、有マを見には来てるだろ?」
「そうしたかっただろうが、手術の影響で活動時間は制限されている。レース鑑賞に残された僅かな時間を費やせれはしないよ」
「そうか…」
市街地で戦っていたなら退避は遅れるだろうから、生き残ったとしても体のほとんどは分解されただろう。機械に繋がれて辛うじて生きている兵士に、娯楽で楽しませる余裕はないか。しかも生き残れる時間が後わずかだというなら余計に。
「…テール。本当に休戦交渉をしないか?」
「貴様が蹴っただろう」
「時間を巻き戻すことを認めることは出来ないが、他に妥協点はあるはずだ。今、互いに残されている守りたいもののために」
「残されたもの? 明日生きているかも分からない娘のために軍門に下れと?」
「横七の医療技術なら救える」
深海棲艦を殲滅するプランはまだある。こいつらはきっと人質に最適な人材が多いトレセン学園に次は仕掛けるだろう。そこを迎え撃つ。学園は既に要塞化されていて生徒らの避難も容易になっている。だが万一が無いとは言えない。何の罪もない非戦闘員の彼女たちが俺のせいで傷つくのは見たくない。そしてテールも、生きている子供たちが死ぬのは俺と同じで避けたいはずだ。
「俺たちがそうであるように、リリィもきっと…」
「それはどういう…」
「アヴァター。機械の体を高速修復材やその他溶液で満たされたカプセルの中から操作する技術。これがあれば朽ちていく体に執着することは無い」
「…」
ある程度は用意してきたのだろうか、懐から休戦協定と書かれた紙を取り出すと、テールの神化に関する記述に斜線を引いて訂正し、新たにリリィの治療に関する項目を付け加えた。
「私はこれでいい。リリィが無事ならそれで」
「休戦協定だけなら俺もこの内容で十分だと思う。細かい戦後のことは落ち着いた後で」
カフェが有マの優勝レイやトロフィーを義明と一緒に掲げながら写真を撮っている様子を見た後、テールが既にサインしていた用紙に俺も名を連ねようとペンを持ったところ、外から部屋が爆撃された。
「何事…」
爆風で体の上に乗ってきたソファを蹴り飛ばして立ち上がる。部屋は酷い有様で今回のために改造した窓が木端微塵、ドリンク用のケースも割れて床が汚れたし、協定書に火の粉が降りかかって燃えてしまっている。
襲撃を受けたのかもしれないが、テールにはどうせ露見するだろうからと武器を一つも隠し持っていない。扉は瓦礫が邪魔をして開けれないことは無いが少し苦労するほどのものになっている。
「お母さま、何をされているのですか」
窓の外には4mはある巨大な影が。あれはリリィか。前々からデカいと思っていた艤装に無理矢理くっつけただろう機械部品が加わって一つの巨大な鉄塊のようになっている。飛行のための部品が展開されているためこんなにも巨大なのか。
「リリィ!? どうしてここに…」
「お母さまが人目を忍んで出ていったと医者が申し上げていたので、何事かと思って見に来たのです。そうしたらお母さまはロイなんかと交渉を…。お兄様の受けた苦しみを忘れたのですか!?」
「グラハムのことは決して忘れたりはしない!! でも、そのことに固執していたら…」
「いいですか、お母さま。再度確認しますわね。私かお母さま、そのどちらかがあれを手に入れた瞬間、もう片方を神にさせる。そして神になった方が時計の針を巻き戻す。そうすれば私たちの理想の世界が実現するのですよ。こんなつまらないことをしないで下さいまし」
「リリィ…」
母と子、司令と部下。そういった関係のため一応のコントロールは出来ていたはずだが、戦意を失っているテールに対し、リリィのグラハムを失ったことによる怒りは大きすぎる。休戦交渉の場に乱入して御破算にするほど感情的になるのは知性生物のすることじゃない。
「帰りますわよ。ここは戦うには少々狭すぎます。ただし…」
背中に積んでいた一本の筒を肩に乗せ、その先をこちらに向ける。
「お前にはここでくたばっていただきますわ」
あのロケット筒の大きさ、絶対に普通の砲弾じゃないよな。核もありえるんじゃないか…。
「ああ…詰みか…」
部屋の奥から外に届くほどナノマシンを伸ばすとするとコンマ数秒いる。近くにはテール。弾かれる可能性がある。そして仮に直撃したとしても同時に発射されてたら意味が無い。アヴァターを一機でも多く残しておきたいのに…。
「おくたばりあそばせ!!」
「ただじゃ死ねない!!」
トリガーに指が掛かる前にやる。右腕の内部にナノマシンでピストンを作り、それを使って固めたナノマシン弾を高速で押し出し、ナノマシン銃にする。弾に使ったナノマシンが返ってこないから好きじゃないが、この際四の五の言ってられない。
「リリィまでも殺させはしない!!」
ナノマシン弾は二発撃ったが、そのどちらもテールに阻まれてしまう。そう、ナノマシン弾は。
「残念でした!!」
「壁からも!?」
足を伝って建物に入ったナノマシンでテールを越えて直接リリィを攻撃する。核攻撃を阻止するためには、その腕を切り落とす!!
「ハグアァァ!!」
腕を切り落としたナノマシンはすぐに建物内に避難させる。じゃないと今度はテールがその役を担ってしまう。現にこの判断は正しく、タッチの差でテールの攻撃を回避することができた。
「どうしてあなたはそうも肉親を殺そうと思えるのかしら…」
「肉親!?」
「まあそういうことを言い出したら、私も同じようなものね。リリィ、急いで帰るわよ」
「ァァァ!!」
「離さないから、安心して」
片腕を失った我が子に寄り添いながら、テールも空を飛んで逃げていく。逃がしてなるものか。
「アイ、スクランブルだ。出せるだけの戦力で二人を追え!!」
「提督、航空隊は宇宙か府中にいて追えません。残念ながら、逃がすしかないです」
「クソッ!!」
何か物でも投げてやろうか。…いや、無駄か。それよりも、下は大騒ぎだな。俺も早くずらかった方がいいか。