決戦の日は、訪れました。
「実物のロンシャンは二回目だな」
「私は三回目だ」
「とうとう、来たんだな」
凱旋門賞。多くの夢を与え、そして喰らってきた怪物。私はそれに…。
「あ、いたいた。こっちだよー」
「ヴェニュスパークさん、ありがとうございます」
「いやいやそうでもないって。師匠も楽しみにしているんだし」
関係者入り口の前で私たちを待っていたのは、前年度の凱旋門賞バ、ヴェニュスパークさん。顔に幼さがありテイオーさんのような印象を受ける彼女も、今日の出走バの一人です。
そんな人が、私の顔を覗き込みます。
「へー、これが日本の…」
「カフェは私の最高のライバルであり親友だよ。日本最強バは彼女と言ってもいいね」
まあ、私の次にだが。
決して口には出しませんが、その言葉が脳裏に過ります。
「タキオンは準備が終わったら加古と一緒に関係者席へ移動。地下バ道は俺が付いていく」
「…」
「どうしたんだヴェニュスパーク?」
「その仮面…」
自然とヴェニュスパークさんがトレーナーさんの仮面に手を伸ばし、そして。
「えいッ!!…て、ええーッ!?」
外しましたが、その下にはまた別の仮面。さらにその仮面を外しても、また別の仮面が現れ、傍から見れば二人で変面の上演をしているように見えます。
「どうして素顔が見えないのーッ!?」
ぜぇぜぇと肩で息をしながら最後の一回と再び仮面を外そうとしたヴェニュスパークさんの後ろに、別のウマ娘が。
「いい加減にしなさい」
「あっ、師匠!?」
「全然戻ってこないから何事かと思ったら、他人のトレーナーに迷惑をかけているなんて…」
「でもでも、この人の素顔気になるじゃん!!」
もう一回と仮面に手を伸ばしたヴェニュスパークさんでしたが、その手は止められました。
「あたし加古。この人の奥さんやってるの」
伸ばした手を両手で包んで乱暴に上下に振る加古さんは、目を除いて満面の笑みで握手をする。
「えっあっ…はい…ヴェニュスパーク、です…」
「…モンジューよ。迷惑をかけてごめんなさい」
――
静かな地下バ道を歩く。隣にはカフェがいる。先には欧州の精鋭たち。
「トレーナーさん、私は…」
「緊張なんて必要ないさ」
不安という水による心というダムの決壊を、先んじて防ぐ。
「君がこれから先挑むのは、日本ウマ娘が未だ一着を獲ったことのないレースだ。勝てば歴史にその名が残る。日本中が君に注目している」
「はい…」
「でも、それっていつものことだよね?」
「ッ!!」
カフェとタキオンは、エアグルーヴがデビューした一年後にデビューした。そのときには既にエアグルーヴは阪神JFと桜花賞とオークスを獲っており、トリプルティアラに王手を掛けていた。そんな泣く子も黙る成績を引き下げて進むエアグルーヴの後輩としてデビューした二人にも、相応の期待が掛けられた。二人がデビュー戦を制すれば、エアグルーヴは秋華賞でトリプルティアラを達成する。そしてその後、タキオンがホープフルステークスを獲った。そして年が明けて弥生賞でタキオンを下すと前年の代表バとなったエアグルーヴが大阪杯、一度負かしたが直ぐに復活したタキオンが皐月と東京優駿、義明英子が合流したことで新しく入って来たサイレンススズカが宝塚記念。カフェにとって一番辛かった時期だ。足の爪によって出たくてもレースに出れず、自分が動けない間に先輩はおろか同期もスターの道を駆け上がっていく。世間からのプレッシャーや誹りを耐えに耐えて、ようやくGⅠを獲ったのは10月の菊花賞だ。それから有マ記念や天皇賞春を勝利し、遅れを取り戻した。
「昔から変わらないよ。いつも君に注目している。いつも君を応援している。そういう人たちは、常にいる。すぐそばにね」
「トレーナーさん…」
「もう出口だ。少しは緊張は解けたかな?」
「はい、ありがとうございます。…それから一つ、お願いしてもいいですか?」
「加古が怒らないのなら」
「フフ、それなら後にしますね」
欧州の秋風に当てられて微笑んだカフェが、日の当たる大舞台に上がっていった。
――
「すごいね本物のロンシャンは!!」
辺りを見渡す。どこも人人人、空いているスペースなんてカフェを送っているトレーナー君の席ぐらいしかない。
「うーん、ここってだいたい50000人が限界だよね。けどざっと見ただけで30はいそう」
「横七のガードもこれには流石にお手上げかい?」
「まあスパルタンは無理だろうね。代わりにもっとヤバい狂犬入り込んでいるけど」
「カフェはターフの上だよ」
一歩一歩踏みしめながら、何度も仮想空間上で走ったロンシャンの芝を踏みしめるカフェ。日本最強ウマ娘の参戦が横七の助けを借りて参戦という話はフランスでも広まっており、あれがかのウマ娘かと注目している。
「何だか冷たい視線が混ざっているみたいだが…」
「あの子たちは…。ちょっと席を外すから、よろしくね」
席を立った加古君と戻って来たトレーナー君がすれ違う。その瞬間に会話。
「時雨と白露を叱ってくる、ね」
「何か言ったか、タキオン?」
「結構早かったね。まだゲート入りしてないよ」
「壁抜けしてきた甲斐があった」
席に座ったトレーナー君は脚を組んでカフェをじっと見つめる。トレーナー君の視線を独占しているカフェはシリウス君やタップ君に何か伝えていた。ここからでは遠すぎて見えないが、それを聞いたウマ娘は国籍問わず驚いていた。
「カフェよりも君の方が緊張しているかもしれないね」
「当然だろ」
「…言っておいて何なんだが、とてもそうには見えないよ」
仮面のせいで表情が伺えないのは元より、所作も全くいつも通りだった。震えも何もない。カフェがレースで勝つ未来しか視えていない、或いは知らないのだろうか。
カフェの調整を手伝った私でさえ緊張しているというのに、心臓に毛の生えたトレーナー君が羨ましい。
「始まった」
ゲートの開く音と共に総勢20人の凱旋門賞が始まった。全員が全員、好位置についている。
「ちょっと遅れちゃった」
「まだ始まったばかりだ」
「そりゃ安心」
離席していた加古君が帰って来てトレーナー君の隣に座る。手には擦り傷、何かを殴った後だろう。
「二人は?」
「話し合ったからしっかり分かってくれたよ。根はいい子だからね」
「…」
「なんだよー、その沈黙は」
確かに少し前まであった冷たい視線は消えていたが、代わりに失意を感じるようになった。第三コーナーで仕掛け始めたカフェに影響が無いことだけが救いだろう。
「日本勢が思ったよりも上位にいる」
「けどフランスの娘たちも気迫が凄いよ」
「カフェがあんなこと言うから…」
第四コーナーを過ぎたときには坂で消耗しているウマ娘だけが垂れていき、逆に健在なウマ娘はもはや鬼娘と化していた。そしてその先陣を切るのは…。
「先頭マンハッタンカフェ、先頭はマンハッタンカフェ!! 日本人の長年に渡る夢を叶えるのはこのウマ娘かッ!? それとも後方一バ身差に迫ったレジェンド、モンジュー、リガントーナ、ヴェニュスパークがその夢を喰らうのかッ!? はたまた追走するシリウスシンボリが全てを抜き去るのかッ!?」
「カフェちゃんいっけーッ!!」
「やるんだカフェ―ッ!!」
立て一直線に並んだウマ娘たちが、斜めに、やがて横一線になる。
「越えるんだ、カフェ―ッ!!」
「私が夢見たその先に!!」
「頂点に!!」
複数のウマ娘がゴールを越えていく。掲示板に灯ったのは…。
「カフェだ!! カフェが勝ったんだ!!」
一瞬の沈黙の後に大地を揺るがす割れんばかりの歓声。誰もが願った憧れに、カフェは今、なったんだ。
――
「トレーナーさん、私…」
「やったんだよ。勝ったんだよ!!」
興奮が冷めないターフの上にいるカフェの元に、私とトレーナー君も集まる。
「聞こえて来たんです。皆の声が、あの子たちの声が、だから私は」
「そうさ、言ったろ? 皆が応援しているって」
「はい…トレーナーさん。地下バ道での話、覚えていますか?」
「え? ああ、確か願い事だったよな?」
「はい。その…ッ!!」
「なッ!? か、カフェ!?」
目を閉じたカフェが、トレーナー君に抱き着く。身長差を乗り越えるため、飛び付いた姿はまるで赤ん坊が抱かれるようで。トレーナー君も予想していなかったのか面食らった顔をし、そして、背中に手を回して受け入れた。
「お疲れ様、カフェ」
額に優しいキスをしたトレーナー君が、カフェをターフに下ろす。
観客席は大盛り上がりだ。特に日本勢は、トレーナー君が妻帯者であるということを知っており、色々な意味で顔色を赤くしたり青くしたりしている。
祝福モードの観客席の中から飛び出した謎の二人組も、同じく飛び出してきた加古さんに殴り飛ばされて星となった。
「全く、これでは私の立場が無いじゃないか」
二つの夢を同時に叶えた彼女が、今はとても羨ましい。
お友達「抱け―、抱k…本当に抱きやがった!?」
時雨&白露「マンハッタンカフェ、覚悟ォォォ!!」
加古「このバカチンがーッ!!」
時雨&白露「アーレー」キランッ
ロイ(なんか見えたけど見えなかったことにしよう)