あの後直ぐにメジロ家によって手配されたチケットで向かわされたのはドイツだった。空港に着き、これまた手配された車で港へ行き、さらにそこからはボートに乗せられていた。船に乗るのは久しぶりだ。もしかしたら夏合宿以来かもしれない。
ドイツと言えばフラッシュ君の出身で、今は帰国して家業のパティシエを継いでいるのだったか。どこにあるか、いつ営業しているのか分からないことに加えそもそも行ける時間があるか怪しいものだが、余裕があれば訪れたいものだ。
「到着しました」
私を連れて動いていたメジロ家の黒服は何もない海の上でそう言った。四方には何もない。目を凝らせば辛うじて雲と霧に隠された山が見えるが、半径数㎞には私たちの乗っているボート以外何もなかった。
「予定時刻です」
「この波…下か!?」
突如波が変わりボートが激しく揺れだす。加えてウマ娘の優れた耳が甲高い周波数の音波も捉えていた。
「潜水艦か」
暗い海面が大きく膨らみ、波しぶきを上げながら姿を現したのは、旧式のUボートだった。後ろから急ぐよう圧を感じながら艦の中に入ると、そこにはかなり新しい設備が整っていた。おそらく型落ちした潜水艦の払い下げを購入したのだろうが、近代化改修の規模からして、軍がスポンサーとして提供したのだろう。
案内されるままに進んでいると、日本語で統領室と書かれた部屋に案内された。
「待っていたぞ、アグネスタキオン博士」
机の上に足を投げ出した好い第一印象を与えるつもりのない女は、私を見るなり眠そうな目を擦りながら言った。
「お初にお目にかかります、ルイ・フォンス・ヒドルフ統領」
横七の残党が彼の後継者と認めた女が今、目の前にいる。確かに彼と同じような雰囲気を感じるが、どことなく彼とは違い、人を引き付けるようなものはあっても人を居つかせるようなものではなかった。
「君のことはスポンサーから聞いている。早速で悪いが、任務だ」
『Dr A・任務』と書かれた封筒を渡されたので、開封して中を見る。内容は、ワシントンにあるアメリカ国立研究所に盗みに入ることだった。目標は、シエラレオネ神話の碑文。かつてトレーナー君が研究のため、発見されて収蔵されたものは偽物とすり替えたものだ。そして何らかの形で彼と関係があるもの。
「スポンサーからロイの復活に関する指示は受け取っているが、神の復活について書かれていると判明したシエラレオネ神話、碑文31号が欲しい」
「しかし、私だけでこれほど警備が厳重なところには忍び込むことは…」
――
「日本から見学に来た。アグネスタキオンだ」
「お待ちしておりました。所長室まで案内します」
横七に一度でも近付いた者からしてみれば稚拙な細工に過ぎない近未来感のあるロビーにある全面ガラス張りのエレベーターに乗って米国立研究所の所長室まで行く。どの部屋も壁は全面ガラス張りで、幼少期の私が見たら進んだものと思えるだろう。
「横七に比べればこんなものか」
「何かおっしゃいましたかな?」
「いや別に」
科学技術の進歩の速度も、そもそもとして始まりが私たちとは全然違う横七と比べられてしまう彼女たちも不幸と言うものだね。どんなに国の威信を掛けて科学の進歩に予算を投じ、成果を生み出し続けても、横七という絶対越えられない壁が存在し続ける。不幸と言わずして何と言おうか。
所長室にいたのは妙齢の女性だった。来ている白衣はかなりの年季が入っており、その年齢がただ無駄に積み重ねられたものではないことや所長と言う職が追加されてもなお変わらず研究活動に熱心に取り組んでいることを示していた。
「私がここの研究所の所長よ。よろしくね、アグネスタキオン博士」
「今日はよろしく頼むよ。私の研究も少し行き詰っていてね。ここいらで新たなインスピレーションを得たいんだ」
「若い子はいいわよねー、閃きを得られればなんでも出来ちゃうんだから。付いてきなさい」
所長に連れられるまま研究所内を散策し、新生の目的とは関係のない多くの知見を得ることが出来た。特に横七と深海棲艦の戦争の際に日本にいた諜報員が戦火の中、他国のエージェントや日本の公安、そして横七の監視の目を搔い潜って回収したという深海棲艦の骸の研究は、人間と深海棲艦がそもそもとしてルーツも何もかもが異なる生物であることを明らかにしており、発表される日は色々な意味で無いだろうが、実に興味深く興奮した。
「ジェニー、そっちのキーを」
「分かりました、所長」
二つのカードキーを同時に通すことで入ることが出来る、ダークミラーの一室では石碑が部屋の中央に巨大なガラスに封じられて鎮座していた。
「この部屋はシエラレオネ神話の研究室。下の部屋には今まで解析した碑文と手つかずの碑文の合わせて43531個の碑石があるの」
「ただの昔話にどうしてそこまで…」
「あら、あなた知らないのね。シエラレオネ神話は預言書よ。…予言碑と言った方が正しかったわね」
「予言…」
「ええ。ここ十年の研究で、シエラレオネ神話は大きく分けて二つに分類されることが分かったの。一つはあなたもご存じの通り、過去の歴史を書き記したもの。そしてもう一つが、未来…というよりも、ここ二十年を予言したものだったの」
研究の漏洩防止の観点か、はたまた国益や国防の観点からか、絶対に公表できないであろう研究を話すことができたからか、喜々とした表情で一枚の紙を見せて来た。
『彼と彼女が出会いし年、驕り高ぶりし女神の国、彼の怒りに触れ、大地から生まれる火によって自らの罪を知る』
「この一文から始まる章は間違いなく十数年前のアメリカ省庁連続爆破事件を示唆しているわ。彼をロイ・ヴィッフェ・ヒドルフと仮定するのなら、『彼と彼女が出会いし年』はロイがトレーナーとして日本トレセンで活動を始めた年。『女神の国』と言うのは今までは神話の一環とされていたけど、あれは『神の国』という表記だから自由の女神のあるアメリカかそれを寄贈したフランスで間違いないの。だけどあの年に『彼の怒りに触れ』たのは彼を誘拐しようとしたアメリカだし、保全省とか国防省とかが地中から爆破されたんだから、アメリカに違いないのよ」
「そ、そうなんですか」
「そうなのよ!! しかも解読された部分にはまだ起きていない事象もあって、私の『シエラレオネ神話、予言碑説』が本当にそうなら、私はとうとう神になれるのかもしれないわ!!」
熱くなりすぎてしまった所長に気付かれないよう、目標の碑文31号を検索する。翻訳はまだされていないようだったが、新生からの情報通り、ここに収蔵されていた。
「質問だが、碑文についている号数にはどういう意味が?」
「意味なんてないわ。シエラレオネ神話の碑はページだけがある本。どの碑の順に読んでいけば正しいのか、ページが抜け落ちてないか、そもそも繋がっているのかだって完全には分かっていないもの。だから号数は通し番号。下手に順序づければ先入観を生み出してしまうから、熟考に熟考を重ねてつけられた意味のない番号」
そこまで言い切った時、部屋中に警報が鳴り響いた。
『緊急警報、緊急警報。現在、近隣施設が攻撃を受けています。既定の避難方法に従って、避難してください。繰り返します。現在、近隣施設が攻撃を受けています。既定の避難方法に従って避難してください』
「何事!?」
所長の持つこの研究所の監視カメラにアクセスできるデバイスから外の状況を窺ってみると、謎の黒服が向かいにある大型の銀行を銃撃していた。国立ということもあり、銀行の向かいにあるこの研究所を警備していた軍が応戦していたが、所詮は施設警備に回される程度の人材のようで、かなり苦戦していた。
「ここはワシントンなのよ!? あの強盗共はバカなの!? 五分もないうちに特殊部隊が来るわ!!」
「だが、ここに君がいていいのか!? 対岸の火事と言うにはあまりにも近いぞ!!」
「ごめんなさい、あなたはここで待っていて。私は陣頭指揮をするわ。とにかくここで待っていて!!」
ボディーガードと思われる黒服二名の迎えと共に部屋を後にした所長は、私のためだけに黒服を呼んでいた。つまるところ、時間がない。
碌な軍事訓練どころか幼少期に家で受けた護身術の訓練が最後の戦闘訓練である私には、正規の訓練を仮にも受けた軍人を倒すのは難しい。加えて碑の奪取、或いは碑文のコピーをする必要がある任務の性質上、戦闘をすることは不可能だ。
そこで新生が考えた作戦は単純明快。囮作戦だ。新生の有力なスポンサーによって取り付けられたアポイントを利用して私は研究所の中に入り、碑文のある場所まで行く。そうしたら合図を送り、新生の部隊が向かいにあるメガバンクを襲撃。警備が動揺している間に、コピーを取って他の一般職員と共に避難。非戦闘員である私に一切の負担が無い素晴らしい作戦だった。
碑文のコピーを採るのは手慣れたもので、わずか10秒の間に目的の物は手に入れた。私を避難させてくれる黒服も到着し、心配することは何一つない状態で、私は研究所を出て警備が厳重な避難場所へ移った。