『死が目の前にいる』
酒呑童子を前にして得た、最初の感想はそれだった。
『死』
嘘でも冗談でもない、万人に平等で如何なるものも逆らえないその運命だけが、彼女には何よりも相応しい。
が、死は人にとって写し鏡
生とは真逆だからこそ恐怖し…
逆らえぬからこそ恐ろしく…
唯一の平等だからこそ嫌悪する。
「あぁ~あ~、もうそんなに怯えんと、喰らってしまいとうなるわぁ~」
それを前にして、体を震わせることしか叶わなかった
「しっかしあんたはん、魂があの小僧に似とるねぇ?」
下から覗き込むのは妖艶な瞳
「色や形は妙に不安定やのに、奥にはちゃんと骨やある」
思い出したかのように嬉しそうに笑うその姿
「あ~、歪ませようと毎日お酌させたのを思い出すわぁ~」
殺気なんてない、俺を殺すなんて言っときながら嘘みたいに殺気がない
「最後には牛女に邪魔されて喰えんかったけどぉ、酒の肴にはちょうど良かったなぁ」
だからこそ、なのだろうか
「そうや!なんなら、骨を抜いてまおうか!」
その存在が狂っていると感じた
「弱々しぃけどぉ、呪いを扱える言うんなら、余興としては充分楽しめそうやし」
その狂気を本能が怖いと感じ取った
「うちの魂も混ざってるんやし、それはもう甘美な味がするんやろうねぇ~」
その恐怖で、彼女こそ人にとっての死なのだと理解した
「死ぬほど痛いけど、かまへんね?」
だから俺は逃げ出した。
それはもう一心に、明日のこととか、明後日のこととかなにも考えず、ただ今を生きるために走り出した。
生涯で一番綺麗なクラウチングスタート
彼女が油断している今こそが!距離を取るチャンス!
グチャっ
「ふふ、あかんえ~?まだスタート言ってへんのに走り出すんはぁ~。」
地面を蹴って数回、このまま最高速で逃げ続けたらなんとか生き残れるのでは?と思った瞬間、気づけば体は地面へと倒れていた、
(…何が起こった?)
あまりに自然に起きた足の縺れ
倒れて分かったが、地面に落ちた小枝に引っ掛かったわけでも、石にに足を取られたわけでもない。
それはまるで、寝起きの時に無意識で出す足を間違えた時のようで…
(…なにがっ、)
しかし、寝不足ではない以上、原因が分からない。
こんな緊急事態のなか体調に左右されるほど甘い人生を送っていないからこそ、理由が後ろにいる死の象徴の酒呑童子にあるとしか思い付かなかった
ジャババっ
だからと、原因を探そうと…視線を後ろに向けた
異常がないか確認するために、視界の端に自分の身体を映しながら酒呑童子へと目を向ける
「罰として、これは貰っていくなぁ?」
答えはとても単純に、視界に映った。
ーーー右手がない、肩から先にあるはずのものがない、
ーーー肩から大量の血が流れ落ちている
ーーー酒呑童子の手に俺の右腕がある。
ーーー彼女が腕から流れ落ちる血を飲んでいる
ーーー彼女はその肉を貪っている
俺が転けたのは右手を千切られ、バランスを失ったからだった
痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいたいいたいいたいいたいいたいイタいイタいイタいイタいイタいイタいイタいイダいイダいイダいイダいイダいイダいイダいイダいっ!!!!!!!!!
「ん…んくっ…んくっ…ぷはぁ!」
死ぬ、死ぬシヌシヌしぬ死ぬ!シヌしぬ死んでしまう死んでしまう死んでしまうっ!死にたくない、死にたくない死にたくない!死にたくないっ!死ぬのはやだ!死ぬのはやだ!死ぬのはいやだっ!
「ん~♪美味しいわぁ~♪何人も人を喰ろうて来たけどぉ、こ~んなに甘味が舌踊るんは初めてやぁ~!」
治れ、治れ治れ治れ治れ治れっ!治れよ!治れよっ!治ってくれよっ!じゃないとっ!じゃないとっ!じゃないとっ!
「こりゃあおかわりが欲しくなるなぁ~、ってありゃ?腕治せへんの?」
…あ、これは駄目だ、死ぬ、死ぬヤツだ
「呪い使える言うんなら簡単よ?ほら、呪いの性質を反転させれば、この通り」
ハハ…
「と、呪霊と人の身体やったら勝手がちゃうかったね、かんにんなぁ?ややこしこといってぇ」
アハハハハ…
「あんたはんにうちの我儘は酷ってもんやね…ん?」
「アハハハハハハハっ!」
「…?どうしたん?」
月光が刺す木々の隙間
「すげぇ!すげぇよ!腕が!腕がなくなってる!」
映るのは生々しい血肉の痕
「痛いな!これは凄く痛いなっ!アハハハハ♪」
「…はて、壊してしまったんやろか?」
月光に導きを求めるべく、残った腕を広げあらゆる全ての事実を受け入れる。
俺は笑いながら後ろにいる鬼の少女へ感謝を告げた
「あんたか!あんたがこれをしてくれたのかっ!」
その様相はおそらく子供の外見と全く似合わないほどに狂喜的
「ありがとう!お陰でようやく!俺が出てこれた!」
「…あんたはんは誰なのかなぁ?うちがさっきまで話して子とは違うみたいやけど?」
問われれば答えなければなるまい
「なぁなぁなぁなぁ!あんたは大人と子供の境界線はなんだと思う?」
「うちが質問しとるんやけど…そうやね、賢さ?」
「答えは単純!成熟に連れて出来るのは、理性なんだ!」
興奮した意識が気分を最高にする
「これはな!フィルターと同じなんだ!
無垢な心が作る!あらゆる経験と知恵と感情で出来た網目のフィルター!
流れ込む現実から必要なものだけ濾し取り!魂が最も嫌がる汚れだけを遮る!
内側こそ同じこと!悪意を嫌うなら悪意を出すことを許さず!懺悔を望むなら幸福を求めず幸福になることを許さず!これこそまさに都合の権化!」
痛みはある、でも意識はそこに向かない。
「でも!だからこそ!人には個性があり、心に性格が宿り、魂は色に染まる!」
心にあるのはただの呪い
「俺はね、俺達はね!イレギュラーなんだよ!
生まれながらに持っていた知恵!
生まれながらに染められた感情!
生まれながらに決まった悲劇の運命!
それが作り出したものこそ!偽善にまみれた!呪いだけを遮る理性と言う名のフィルター!
あぁ、あぁ!いいね!聖人君子だ!誰も呪わないなんて素晴らしいことだっ!」
我の強い子供が癇癪を起こすような、害されれば害し返すような、濁ることを忘れた呪い
「でも、それが、そんな精神性が…純粋無垢な子供の心に合うはずもない」
雑音は聞こえない、風に撫でられる草木の揺れる音があまりに心地良い
「俺は呪うことを許されぬまま、数々の悪意を内側にまで刻み付けられた
さらには呪いを吸い取って、感情は揺さぶられて、呪いを作り上げてしまった」
夜風が肌を撫でる。全身に走るのはピリピリとした痛みだが、今ではそれこそ心地良い。
「そうなれば、内側に別の人格が出来ても仕様がないことだ」
酒呑童子は驚いたかのように声をあげた
「と言うことは…」
俺は再度、狂喜的に笑い、名を名乗る
「内に閉じ籠った子供の俺に代わり紹介する。
俺こそ!呪いによって作り上げられたもう1つの人格『悪属性:嗣永蛍』だ」
突如、酒呑童子は無様に地面へと膝をついた
「…っ!?」
「よかった、ちゃんと効いてる」
「…なにをっ!」
彼女の爛れていく皮膚と酩酊したかのような瞳に、震えている手足
「ある人曰く、俺の呪力はそれはもう酷い猛毒らしくてな?
いろんな呪霊に試したけど、結果はひどい有り様で、最悪は存在すら溶けていたんだ。
俺の心を蝕むものの、俺の体には何一つ影響を及ばさないくせにな!」
酒呑童子は俺の呪いに犯された。
これはこれは、煽るべくする高笑いするのは何より気分が良い
「だから俺は!俺に黙ってとあることを試してみた!
それは肉体隅々にまで渡る呪力の浸透!細胞の1つ1つに俺の呪力を纏わせるんだ!
俺は呪霊に狙われる体質だからな!いつか喰われると思ってやってみたが案の定だ!あんたは俺の腕を丸々1本貪った!
そりゃあまぁ!どれだけ強かろうと毒はまわるさ!当たり前だろ!」
俺を殺しに来ていた奴が地面にキスをしている。
強いと信じきっていた者にとって、弱者に脅かされるのは最大の屈辱だろう
「…っ、あ、あんたはんはっ、理性が、働いとるんや、ない、ん?」
「阿保か!理性云々はどれだけ影響力を持とうとも結局は精神論!本人次第でどうにでもなる!
そもそも俺はそれを取っ払うために産み出された悪性だ!
であるならば主導権を持った俺に罪悪感はないのは道理!」
「なんやのっ、それ…っ、」
月光にさらされる痴態があまりにも滑稽で面白い
「傲ったな!見誤ったな!愚かだなっ!お前は俺に負けるんだよ!」
溜まりに溜まっていた悪意は快楽となって発散される。
高まる気分が枷を外したかのように心を踊らせる。
だがしかし…
「あれ…?」
酒呑童子と同じように、俺の体も膝から崩れ落ちた
まるで力が抜けたかのような感覚
一瞬にして原因が分かった
(貧血かっ!?)
数十秒前から千切れた右肩に呪力を纏めて筋肉を膠着させて止血しているが、最初に失った血の量が多かったようだ。
加えて、精神的肉体的体力の低下
「あんたはんも…っ、限界みたいやね…っ!」
「がっ!?」
油断を見せた瞬間に腹に食らうのは鬼の強力な蹴り
瞬時に腹に呪力を集中させたことで大ダメージは避けたが、その威力は俺を吹っ飛ばすほどのものだった。
(もう…止めだ…)
腕同様腹に、そして全身に感じる鈍い激痛
(無駄話を続ける理由はなくなった)
俺がするべきことはただ1つ。
怨み辛み憎しみ呪う、つまり…
(こいつは…ここで殺す…っ!)
明確になった目的
(跡形もなくっ、殺し尽くすっ!)
視界に映るのは木にもたれ掛からないと立ち上がれない酒呑童子
その姿も相まって、それは善意も偽善もない今の俺だからこそ思い描ける未来
「覚悟は…良いな?」
ゆらりと立ち上がり、おれは敵を殺すべく全身に殺気を込めた
人間性なんて知ったことか、善性なんぞ糞食らえ、悪である俺だからこそ、呪うことが一番相応しい
「可笑しやね、いくら毒に犯されとるうちかて、人間とタイマンで負けるわけは、ないよ?」
酒呑童子の体は崩れ落ちるごとに反転術式で体は直している。
それは実質、毒の効果を打ち消しているのと同義
意識の何割かは割かれているだろうが、ただの人間の子供である俺が勝てる道理はなかった。
「誰がタイマンって言った?」
「ん?」
だが、それは殴り合いを前提としたらの話
「俺は今な…誰よりも欲が深いんだ。
相討ちとかそんな生半可なものを…望んじゃいないんだよ。
俺はちゃんと生きてっ、あんたから勝利をもぎとりたいんだ!」
俺は一言も呪術を使わないとは言っていない
酒呑童子からしたら俺が行う呪術なぞ、未熟すぎて話にならないだろうが、使わないとは言っていない
「そして!同時に本来の目的を達成することで俺はぁ…人生からも勝利するんだよ!」
「…っ!ええねぇ~!これこそ酒の席の余興にはぴったしやわぁ~!」
手のひらを前へと差し出し、俺の呪力は地面へと流れ落ち始める
「何をするんかぁ、早うみせてぇ~!」
草木を溶かし、ここら一帯へと広がっていく
その様相はまさに聖杯から溢れる泥そのもの
「言われずとも!…教えてやるよ!お前の敗けってやつを!」
《俺の呪力》は『毒』
《俺自身》は『入れ物』
もう一人の俺は気づいてないが、今まで『入れ物』には散々溶かしてきた《呪霊》と言う名の『新たな毒』が混ざりこんである
それは意思を持ちながら、自由を奪われ、俺の中へと住んでいる
「起きろ!呪いどもぉ!」
流れ出て海ように広がる呪力は蠢き始めた
呪い達は顕現するべく形取ろうとし始めた
呻き声を出し、その禍々しい存在感を放ちながら、外へと出ようとし始めた
だが、まだ足りない
俺の中にいる最強の呪霊がまだ起きていない
「…出てこい!『酒呑童子』!」
その呼び掛けは、俺の見せる技を今か今かと待つ酒呑童子に向けたものではない
その呼び掛けは、俺が取り込んだ、俺の内側にいる『酒呑童子』に向けたもの
『…知らんよ~?どうなっても、』
その問いかけは主導権を持つのが俺であると言う、何よりも変えがたい確かな証拠
「良いんだよ別に!俺がどうなろうとも!『俺』が生き残るのであれば全てっ!」
俺はそれに、歓喜で表情を歪めながらこう言った。
「縛りを課す!」
森に響くは俺の声
「俺と言う人格を代償に命じる!」
清々しいほど澄みきった俺の声
「お前らはっ!俺の役に立てっ!」
いくら意思があろうとも、俺は元は俺の呪力。
であるならば、俺の課す縛りを承諾するのも俺の自由。
『…っ?!面白いこと考えるなぁ~、」
呪力の海から顕現したのは『酒呑童子』を筆頭に、『特級呪霊2体』『一級呪霊30体』『二級呪霊165体』『三級呪霊350体』
呪術師が見たら卒倒するであろうこの景色
「『酒呑童子』、呪霊達の主導権はお前に貸してやる。」
だが敵の酒呑童子からしたら、これは生きようと死のうとも面白そうで楽しそうな余興の1つ
実力から来る余裕の現れか、長年の眠りから飢えていた娯楽への欲求か
俺は彼女を指差して、薄れる意識のなかこう言った
「手始めに…そいつを殺すんだ」
「ご褒美期待しとくなぁ~?旦那はん♪」
感情が消えていく
記憶が消えていく
意志が消えていく
理性が消えていく
想いが消えていく
化け物を写す視覚も消えていく
爆音が響く聴覚も消えていく
錆びた鉄を彷彿とさせる嗅覚も消えていく
ようやく『俺』は、息絶えた
前世の記憶死亡!
主人公は強い呪術を待つ一般人となりました!