ありふれた職業は零でも世界最強 作:うぇいうぇい
戦争とは物量である。
それは、大抵の場合覆されるものではない。相手の戦略が上手かったとか、こちらの指揮官が使えなかったとか、覆される原因はあるにしろ、大抵はこの法則が通用する。
というのが、ハジメにとっての戦争の持論である。
つまり、ハジメにとっての戦争とは……己の独壇場である。
「逃げろッ、〝共和国の白いヤツ〟だっ!」
「〝白い悪魔〟だと……チッ、おい、他の連邦軍はどうした!?」
「知りませんよっ、皆霧の中に消え────」
「なっ、どうしたマーシュ!」
「隊長ッ、助け────」
「オルトガァッ!!」
パンッ、パンッと何かが破裂する音と共に自分達の仲間が次々と消えていき、やがて一人になった百人隊長ガイアンも、一瞬にして霧の中に消えていた。
「……ハルツィナ連邦になんねぇかな」
「こんな時に何を言っておるのじゃ、ご主人様は……」
ハジメがポンポン投げた魂魄魔法の手榴弾によって、魂魄を直接揺さぶられて昏倒していく連邦軍の兵士。それを〝グリムリーパー〟でせっせと運び込ませ、戦場の外にポイポイしていく。
「ほら、連邦はアッチだろ? 俺達が共和国側っておかしくないか?」
「それもそうじゃがなぁ……」
ハジメが共和国に来てから、実に一ヶ月が経過しようとしていた。
それだけの間、ハジメは共和国の軍人と寝食を共にし、共に戦った。最初こそ心象も悪かったが、数が多い連邦軍をほぼ一人で抑えているという鬼神の如き活躍が、徐々に共和国側の評価を改めさせたのだ。
……いや、ハジメの評価が改まった最たる原因は、実は戦場での活躍ではない。それによって、共和国軍は半ば強制的に畏敬の念を抱かざるを得ないと言うべきか……
何にせよ、一般軍人の相手をしている為に余裕のあるハジメは、連邦軍をポイポイする作業のついでに、敵方からなんか良い二つ名貰えないかなと画策していた。そして、案の定ついた渾名が……
「ご主人様は〝共和国の白い悪魔〟じゃしな」
「やっぱ逆だろ、そこは。っていうか、お前も黒竜の時は〝黒い彗星〟って言われて畏れられてるからな、ティオ」
「……な、なんじゃと!?」
「なぁ、ちょっとでいいからボディを赤く染めてみないか? 速度が通常の三倍になるかもしれない」
「いや三倍になる訳なかろう!? 誰がシ◯アのザ◯じゃ! それに、この漆黒の竜鱗は我がクラルス族の誇りじゃからな。妾は染めんぞ! 染めんからな!」
ぷいっと顔を逸らしてしまった。
すっかり南雲家に染まり切った(ハジメによる教育の賜物)ティオの頭を胸元に抱き寄せて、「悪い悪い、冗談だ」と囁く。死と隣り合わせの戦場には、あまりに場違いな雰囲気が流れ出した。
と、そこへ人影が一人。
「教官、連邦軍の残党の処理を完了しました」
「そうか。本隊は?」
「教会が前線より後退し、既に撤収作業に入りました。こちらも準備に入ります」
思わずティオが「え゛っ」と喉を詰まらせた。現れた人物の頭に生える、一対のウサミミ……そして、幾度となく聞いた、そんな風なやりとり。
「解った。被害状況の確認を急げ」
「Aye, aye, Sir」
敬礼の直後、音もなく霧に消えるウサミミ美女戦士に、ハジメがニヒルな笑みを浮かべる。訓練のしがいがあったなと言わんばかりのニヤァとした〝ボス〟の笑みで……
「お、おぉいご主人様!? 今の、どういう事じゃ! 完全にハウリア化しとったぞ!」
「…………」
ティオがハジメからバッと離れて兎人族が消えていった方向を指さすとハジメの嗜虐に溢れる笑みが、まるで何事も無かったかのように元に戻った。
そして、至極真面目な表情でティオに向き直り、
「ついカッとなってやった。スゲェ後悔はしている」
「そうじゃろうな! ……いや、本当に後悔しとったか今の」
フッ、とカッコよく笑っていたのがその証拠か。ティオがますます呆れ果てる。
「全く、ご主人様は衝動に突き動かされ過ぎじゃ。自制、自律、自重……一応、竜人族の伴侶としては、ある程度守っくれんと示しがつかんと思うのじゃよ、妾」
「ティオのドM精神だってどこでも自重しねぇじゃん、このド変態」
「んふっ……!?」
蔑むような目で見られ、ハァハァし始めようとするティオさん。だが、今回ばかりは鋼の意志で乗り越え、しゅんと肩を落とした。
「で、でも……のう。あんまり、色々とこそこそされるのは、それはそれで、妾らが邪魔で頼りないのかと思わんでもなくて……たまにでいいから、相談とか、してくれはせんのか……?」
体をもじもじと、指をいじいじして、拗ねるように言う。
この反応は予想外だったか、ハジメが気まずそうに自分の首を撫でて、あー、と呻いた。
「……悪い。不安にさせちまってたか」
「う、そのじゃな……逐一報告とか、そういう事ではないのじゃよ? それではまるで、夫の行動を抑圧する面倒な妻みたいじゃからな……ただ、秘密にしておきたい事以外は、団欒の場でポロッと喋っておいてくれれば良い、という事なのじゃ。今日は学校で何々があったんだ、的なものかのう」
なるほどな、とハジメは頷いた。つまり、さりげなく、それとなく、世間話感覚で喋ればいいのだと。
「そう言えば俺達、打倒エヒトを目指してる訳だが」
「? う、うむ。あやつが居るのは、何とも危機感が拭えんしのう……」
「ぶっちゃけ、あいつ、どうにかひっ捕らえて何かに使えないかとか考えてるんだが……なんか使えると思うか?」
なんて事の無いように、平坦な声音でそう言うハジメに、ティオは暫し目をパチパチさせると、はて、ご主人様は何と言ったのか……と記憶を精査して……ガバッとハジメに掴みかかった。
「いやご主人様よ! わざわざエヒトを何かに有効活用せんでいいじゃろうて! 相談内容がぶっちゃけ過ぎじゃよ!」
「これ、マジで今日の晩飯何にしようかってレベルで悩んでるんだけど。マジマジ」
「レベルが低い! そんな考えなぞ捨て置くが良しじゃ!」
まったく、どうして妾がツッコミを……だの、その役は日常の方で飽きたのじゃだの、ぶつぶつ言い募る。
そこへ、サクサクと草葉を踏みしだいて歩く足音が一つ。
「……そっちも終わった?」
「ユエか。こっちの方も敵は引いたぞ」
最近、専ら少女モードで活動しているユエが、背伸びしながらハジメの首に抱き着いて、徐ろにカプチューを始める。
「今日も大変だったのか?」
「…………んっ。想定してたより、ラウス・バーンが強い。でも、今日もミレディと一緒にメッコメコにしてやりました」
「その気になれば、ユエだけで全軍相手に出来るもんなぁ」
いつぞやの妖精界での全力戦闘を見た後だからこそ言える。ユエ一人だけでいいんじゃない? と。
だが、ミレディと一緒にと言っているあたり、自重しているのだろう。
「つうか、ユエって何気にミレディと相性いいよな。最近、なんかめっちゃ楽しそうに話してるし、ユエの魔法談義にミレディが対等に渡り合ってたの、俺知ってるぞ?」
スッと目を逸らした。ユエからすれば、ミレディは魔法における最強最善のパートナーに違いなく、ユエ自身も前々から
教会の認識も、〝ライセンの落胤〟とか〝ミレディ・ライセンの姉〟なのではとえらく勘違いと誇張が進み、畏怖されていたりするほど。
「シアの枠が取られかけてるなぁ〜」
「!? シアは親友枠だから! ミレディはあくまで友達枠だから!」
「いやでも、考えてもみろよ? 散々おちょくられた相手が、親友と友達になってたら……なぁ?」
「し、シアはそんな狭量な女の子じゃないし……優しくてちょっと武神な、ふつ〜の森のウサギだし……きっと許してくれるはず……多分」
シアを話題に引っ張り出したが、同じく被害者であるハジメとしては、ユエとミレディが仲良くしているのに些かの複雑な感情を抱かざるを得ない、といったところである。狭量であろうとなかろうと、微妙な心境になるのは間違いない。
「しかし、シアがミレディに会えば、間違いなく狂気に呑まれるじゃろうなぁ。『コノ恨ミ、晴ラサデオクベキカッ』的な具合でのう」
「まあ、有り得るだろうな……俺とユエがそんなもんだったし」
「妾も、トータス旅行でのライセン大迷宮を思い出すと、無性に腹が立ってしまうのじゃ。一発殴ってもいいかのう?」
「いや、過去に殴ってもなぁ。普段のウザさへの憂さ晴らしくらいにしかならないぞ」
「そう言われればそうじゃなぁ」
ゆる〜い雰囲気を出しながら、サラッと酷い冗談を叩き合うと、ゆったりとした歩調で、ウーア・アルトの玉座の間に戻っていった。
「おっ、ハーちゃん! どうだった〜?」
「おう。適当にボコってポイってしてきたぞ」
「うむ、よろしい!」
それで今回の連邦軍の戦況報告は終わりらしい。悲し過ぎるとは言ってはいけない、ハジメだから……
そんな中、此度の戦いの詳細な報告がなされた。
共和国軍の損害、負傷者はいるものの人的被害はゼロ。樹海に関しては、〝聖炎〟の固有魔法を持つアライム・オークマンによって、焼き尽くされた部分が多少なりともあるが、女王の権能で再生中であり、既に対処済みとなっている。
つまり、
「今回も何事もなく退けられた……ということですわね」
「うん。相手が本気じゃないってのはあるけど、やっぱりハーちゃん達が連邦軍を抑えてくれてるから、こっちの戦力を一極化できてるんだよ。……それにユエちゃんがチート過ぎて、獣光騎士団の出番が壊滅状態だからね」
現時点で、敵無し。
圧倒的なまでの差を見せつけて、教会側戦力を撃退していた。
「……それを言うならミレディも。〝天翔閃・千翼〟はやり過ぎ」
「だってぇー! ユエちゃんが出番持ってくから魔力が余ってるんだよこんちくしょう! 少しはミレディちゃんに寄越せぇ!」
「……フッ。やれるものなら、自分の手で勝ち取るがいい」
「うわぁーん! それはズルいよぉー!」
突っかかろうとしてくるミレディへ重力魔法。それをミレディが解除して、ユエに突進する。そのままもつれ込んで、キャットファイトが勃発していた。
「……ふむ。このままでは香織の枠も危ういと見える」
「……ミレディって、本当になんなんだろうな」
「──ぬっ!? ミレディめ、よくも!」「ふははっ、ミレディちゃんの重力魔法が冴えおるわ!」という愉しげな笑い声に、リューティリスがニコリと微笑む。
「二人のご活躍は素晴らしいものですわ。こちらの被害が軽微で済んでいるのも、最前線で戦って下さっているユエ様とミレディたんのお蔭ですもの。それに、怪我を負った兵士には、お姉様*1がいらっしゃいますわ」
「ああ。貴殿のお蔭で、我々は怖いもの無しだ。流石は、生きてさえいれば全てを治癒する〝癒やしの聖女〟様だ。本当に感謝しかない」
「まさか大陸の反対側に来ても、その呼び名を頂戴するなんて思わなかったわ」
西の海で海賊をやっていたメイルが、妹の存在を教会から隠す為に広めた名前だが、まさかこちらでも同じ名前で広まることになろうとは思ってもみなかった、と苦笑を浮かべる。
「しかし、こうも上手く行き過ぎてると、あれだなぁ……なぁんか、敵方の策略を感じちまうのは何でだろうな?」
「それは、大体ハジメのせいだろう……どうやら、敵の戦力を下げるために、工作を行っていると聞いた」
「……おいおい、こっちをどんだけ有利にすれば気が済むんだよ」
ナイズの口から飛び出した〝
「いや、敵を狙うなら先ずは兵站から。戦争の常識だろ?」
「そうだけどな……つーか、工作なら、一応
「そこは、丁度いい塩梅にだな……こう、適度に空腹にすると、やる気がなくなる。そうすりゃあ、俺達がやりやすくなる。な? 簡単な寸法だろ?」
「……俺、絶対ハジメとは対立しないようにするぜ」
その方が、バッドにとっても良いだろう。
間違ってもハジメと対立すれば……従順な村人にされる恐れもあるのだ。この世界でハジメ以上に相手をしたくない人間は居ないと言える。
「それに、まだ私達には、オーくんもヴァンちゃんも、実行部隊の仲間もいる」
「援軍ですわね?」
いつの間にかキャットファイトから復帰したミレディが、口角を上げて、青い瞳を強く輝かせた。
「うん。だから、ハーちゃんにも温存してもらってるし、このまま膠着状態のまま頑張るよ。相手が疲弊して、援軍が来れば、こちらの戦力は爆発的に上がる。後は、ラウス・バーンと、〝奴〟さえ抑えられれば……」
──勝てるよ、この戦争
ミレディ達に、敗北の二文字は無かった。慢心無く、この布陣で負けはしない。確実に勝ちへと持って行ってみせるという、強い想い。
全員がミレディの言葉に頷き返し、瞳を強く輝かせる。
(解放者としての初仕事……失敗する訳にはいかねぇよなぁ?)
(エヒト……この時代でも、この私がお前の好きにはさせない。必ず、もう一度、滅ぼしてやる)
(この時代……竜人は一つの大きな過ちを犯したとされておる。それが、伝承では語り尽くせぬ程凄惨であったとお爺様は言っておった……神との戦いの中で、見極めねばな……)
未来からの来訪者である三人も、それぞれの想いを胸に、ミレディに頷いた。
それから、幾つかの情報共有が行われた後、リューティリスは解散を命じた。ミレディ、ナイズ、メイル、ハジメ、ユエ、ティオは残るように伝えて。
最近、定番となった〝神代魔法使いのお茶会〟だ。今ではミレディ達への信頼もあり、また女王が〝同格の友との交流〟を何より楽しみにしているというのは周知の事実なので、シム達も苦笑しつつ女王の癒しの時間を邪魔せぬよう一礼して去って行く。パーシャ宰相は仕事が溜まっているのでとどまるわけにはいかず、「くれぐれも! 頼むぞ!」とミレディ達に必死の眼光を届けてから去って行く。
「なぁ、リュー。俺も──」
「どうされましたの、バッド。お疲れでしょう? さぁ、ゆっくりお休みくださいまし」
「あ〜、いや、別に、そこまで疲れては……」
そわそわ、チラチラ。おっさんがお茶会に誘ってほしそうにこちらを見ている!
「あ、マジで? じゃあ俺も休ませてもらうわ」
「ごしゅ──お兄様はダメですわ! わたくしと一緒に楽しい時間を過ごしたいのです」
「あら? それなら私は帰っていいわよね──」
「お姉様も帰らないで下さいまし!」
何だか仲良く帰ろうとするハジメとメイルの下へ、シタタッと気味の悪い速度と動きでリューティリスが迫り、二人の手をぎゅうっと掴んだ。
断固として帰らせる気はないらしい。
「……バッド。わたくし、お兄様やお姉様と楽しい時間を過ごしたいのです」
「それって、別に俺がいても──」
「バッドがいると、楽しめないのですわ!」
「……はい」
ガチ恋相手の女王様からのクリティカルヒットを食らい、おっさんは撃沈した。
「大丈夫ですわ、バッド。シムやヴァルフ達に言っておきます。バッドはお茶会がしたいみたいですわ、と。きっと、お友達同士の楽しいお茶会を開いてくれますわ」
「……はい」
おっさん、哀愁漂う背中で去る。ハジメもこれには同情の視線を送った。
「……時として、優しさは凶器となる。それを実感したぞ」
「……ナイズ。それはよくあること。余計な慰めは、却って惨めにさせる」
「妾は専らそういう目で見られたのじゃ……変態になるというのも、中々どうして辛いものじゃのう」
「う、うーん……取り敢えずティオ姉は黙ろっか」
「んぐふっ……!? と、唐突の蔑み……!」
実は、身近な竜人族ということで、ちゃっかりミレディはティオと仲良くしている。しかし、尊敬すべき竜人が、まさかドMのド変態とは思いもしなかったようで……たまに辛辣な言葉が帰ってくる。
「さぁ、皆さま! お茶会の時間ですわ!」
ハジメとメイルは、少々やつれた表情を浮かべながら、リューティリスの後ろに付いていき、一行がやってきたのは、お茶会定番の場所となっている泉の畔。煌びやかに輝く、色とりどりの幻想的な植物が様々に花を咲かせている。
リューティリスが守護杖を振ると、白い霧が泉を取り囲み、一切先が見えなくなった。リューティリスの本性を慮って、獣人でも通ることが許されないようにする為の措置だったりする。
因みに、辺りには彩やかな蝶の群れ*2が飛んでいて、より一層のファンタジックな光景を生み出している。最初にハジメがここに来た時は、思わず一眼レフを取り出してパシャパシャと撮り始めていた。後でゲームの背景画の参考にするらしい。
「因みに聞きたいのじゃが……メイルは一体どんな
「なっ……は、ハジメく〜ん? ちょっとこの変態、そっちにお願いしていいかしら〜」
「知らん。今はこっちの対処で忙しい」
「──アハンっ! 顔ぐりぐりしちゃらめぇぇ〜!!」
メイルの顔が盛大に引き攣る。いや、ハジメのドS経験値はこれまで十分見てきたのでさておくとしても、目の前に対処しなければならない変態が居るからだった。
「ふふ……さあ、お主も来るのじゃ。果てしない快楽への道へ」
「貴女竜人族でしょう!? もっと自分の欲くらい節制しなさい、このド変態ドラゴン」
「ンフッ……!? ち、力強い叱責! ご主人様も良いのじゃが、こっちもこっちで……」
「おいド変態、何俺以外に靡こうとしてんだ。大人しくメイルの椅子になってろ」
「靡くなと言っておきながら、他人の椅子を強制させるその鬼畜な所業っ!! 他人に任せて自分だけ他人にご褒美……くぅ〜、堪らんのじゃ! さあメイルよ! 妾の椅子に座るが良い! バッチコイじゃ!」
「鼻息を荒くしながら近寄らないでくれるかしら? 私、ミレディちゃんから竜人族のことを聞いて、貴女のことちょっとは尊敬していたのだけれど、それももう見納めね」
「んぐふぅっ!? ご、ご褒美と共に精神的ダメージが……ふぐっ!」
〝椅子ティオ〟に座ったメイルが、たまに〝水刃鞭〟でティオのお尻をべしべしっと叩いている。その度ビクンっとして、「大人しく椅子になることも出来ないのかしら」と蔑まれ、ハァハァ……
一方、〝椅子リュー〟に座ったハジメは、〝これは武器じゃありません、専用です〟をシュパァンっと振るい、リューティリスへ過剰な〝ご褒美〟でハァハァ……
「ユエちゃん……いつからここはSMクラブになったのかな」
「……知らない。けど、我が家ではありがちだから、そんなに気にしたことない……あ、しまった。ティオのパンツ、もう予備が無い……洗濯しないと」
「へ、変態さんがお嫁さんのご家庭ってそんな風になるんだ……な、ナっちゃん〜!」
「自分に言われたところで、何も出来ん。諦めろ」
「潔い!?」
または、自分には関係ないので放置とも言う。
この一ヶ月、嫌だ嫌だと言いながら、メイルはなんだかんだでリューティリスにドSしつつ時折アメを与えている。隣で平然とドSをしているハジメの姿を見たからだろうか……こうして、リューティリスやティオに鞭を打つ姿がよく見られる。ティオも、メイルのご褒美には喜びを感じてしまうらしい……これが噂のN◯Rかと、めちゃくちゃハァハァしているが。
そんな会話の中で、ミレディはやれやれと肩を竦めながらお茶会セットを取り出していく。
戦争の束の間の、穏やか……? な時間がそこにはあった。
ゆっくりとお茶を楽しむ中、ふと、ミレディは南の方へ目を向けた。本当に何気ない、本人も意識してないような動きだ。
「ふふ、ミレディちゃんったら」
メイルが不意に言葉を零すと、ミレディはきょとんとした。
「え? なに? どうしたの?」
言葉の意味を測りかねているミレディが、メイルの言葉の真意を尋ねると、メイルは微笑ましそうに言う。
「きっと、もうすぐ来るわよ。オスカー君」
その直後、ミレディの蒼穹が揺れ、あちこちへ彷徨わせ始めた。手に持ったカップとソーサーが体全体の震えを敏感に伝えて、カチャカチャと揺れる。
「は? 何言ってるのメル姉。ミレディさん、別にそんなこと考えてませんけど? ちょっと意味分かんないなぁ!」
「動揺しすぎだろ、ミレディ」
「ナっちゃんうるさい!」
そのやり取りに、ほほう、と興味深そうに声を上げた者が一人。
「ミレディが色恋か……そう言えば、お前十四だったもんな」
「なっ……み、ミレディちゃんは別にそういうの興味ないですしぃ! 年齢とか関係ないですからぁ!」
「いやでも、ミレディとオスカーはお似合いだとは思うがな。身長差もあるが、信頼感が俺とユエのそれに似てる気がする」
「……私も同感。相性良いと思う」
「あ、えっ……そ、そう……かなぁ……?」
もじもじ、うじうじ……指を弄りながら、何かを想像して、顔をポンっと真っ赤に染め上げる。非常に分かりやすい。メイル達の顔が甘ったるいものを口に入れられた顔をしている。
「ほら、想像してみろよ。オスカーって、料理得意そうな見た目してるだろ? で、ミレディはオスカーの朝飯を食べて仕事に向かう。オスカーもミレディと一緒に働きに出かける訳だ」
ミレディちゃん、つい想像してみちゃう。
「それで、家に帰ったら、存分に甘えまくる……これは外せないだろうな」
「甘え……る……!?」
挙動不審になり始めた。口はへな〜と垂れていて、妄想の世界に入り浸っているのがよく分かる。
「お、おいハジメ。ミレディには、少し刺激が強過ぎるんじゃないか……」
「ナイズ。これは作戦だ」
これまで見た事もない姿をしたままのミレディを心配して止めにかかったナイズだが、ハジメに低い声で制される。
「作戦……とは?」
「そうだ。単に、ミレディの弱みを握りたいという意味合いもあるが……ミレディの制御役をオスカーに任せられるんだ。ウザさ軽減にも役立つだろうと思ってな」
「お前……天才か?」
ナイズ、ちゃっかり
がっしりと繋がれた右手の隣で、メイルが何とも言えない表情でゆるんゆるんのミレディを見ている。
すると、その話を聞いていたらしいハジメの椅子……リューティリスが、大変喜ばしそうに尋ねる。
「まあ、ミレディたんはオスカーさんと恋仲なのですね?」
「恋仲……って違うわぁっ!! 全っ然そんなことないからぁ!!」
「……そのまま妄想の海に浸っていれば良いものを」
優雅にお茶を飲むユエが、騒ぎ出したミレディを半目で睨む。ゆっくりとお茶を楽しんでたのに……という心の声が聞こえそうだ。
「っていうか、そろそろ二人とも普通に座ってよ」
「む? そうするとメイルの椅子が無くなるのじゃ」
「そうですわよ。わたくし、ご主人様の椅子ですから……」
「あるよ椅子くらい! だから普通に座って!」
「……そうだな。そろそろ、この椅子もガタが来てるしな。リュー、チェンジ」
「っ!? ち、チェンジ……わたくし、女王ですのに……チェンジ……んふっ」
「駄竜も飼い主さんの所に帰りなさい」
「あひぃいっ!? む、鞭の命令は強制力高いのじゃ……致し方ない」
変態プレイから気を取り直して、ティオはハジメの左隣に、リューティリスはティオとメイルの間に椅子を構えた。
「ミレディたんは、好きな殿方はおりませんの?」
「結局そこ!? いないよ! オーくんだって普通に仲間だし!」
「私は……おりますわ。運命のお人が」
「えっ」
ミレディが固まり、リューティリスの視線はがっちりとハジメに固定された。
「やはり、女王としての責務もありますから……そろそろ、お世継ぎが欲しいと、パーシャが苦悩してましたけれど、もうその心配はございませんね? そうでしょう、ご主人様?」
いやん、恥ずかしいっ、と顔を赤く染めながらチラチラッとハジメを見遣る。ハジメがピクピクっとする。
「あのな。俺の話、聞いただろ? もう身を固めてるんだ。とっとと諦めてくれ」
「でも、ティオさんの例もありますもの……わたくしが参戦しても問題ないと思いますわ!」
「あるわ! 『私、勝手についてくだけだから!』的な話を言われて、旅の仲間にしたら自分でもどうしようもないくらい大事になっちまった結果がこの嫁の数なんだよ! 最愛はユエで、ずっとそれが変わらなくともな? 俺も最初は正気を疑ったが……いや、あいつらが予想以上に本気でな……」
勢いのまま口走られた発言は、段々しどろもどろとなりながら、嫁が増えてしまった事への言い訳と化してる気がしなくもない。
だが、そんなハジメにもケジメというものがあるもので。
「それに……あいつらに、これ以上の迷惑を掛けられない。こればかりは、俺を信じてくれるあいつらのために、譲れないんだ。すまない、リュー」
その意志は実に堅かった。
誰もが口を閉ざして、ハジメへと視線を集める。特に、ユエとティオの視線が熱っぽい。
「だから、悪いな。お前のことは、受け入れられない」
「……とても、奥さん想いでいらっしゃりますのね」
「……まあ、そうなるな」
他人から直接言われるのは気恥ずかしいのか、頭を掻いて、視線を彷徨わせる。
「八人のお嫁さん、写真だとみんな幸せそうだったもんね……」
「む? ミレディ、ハジメらの写真があるのか?」
「……あ、でも嫉妬の化身になったバッドに握り潰されたから、今は持ってないや」
あの時のバッドは恐ろしかったなぁ〜、と漏らしながら、サラッとユエに視線をやり、じじじ〜っと見詰め始めた。どうやら言外の要求らしい。まだかな〜と脚をぷらんぷらんさせていたりもする。
仕方あるまい、と肩を竦めたユエが、宝物庫から写真をテーブルへ呼び出して、全員の前に公開した。
それは、以前ミレディに渡した写真とはまた別のものだった。
「あ〜、これはあれだな。南雲一家旅行*3に行った時のか」
「おお、これは懐かしい……あれは久々に皆で集まったものじゃから、妾もはしゃいでしまったのじゃ」
「あら、兎人族に、同族のお嫁さんもいるのねぇ……それと、こっちは娘さんかしら? パパに似ず可愛いわね〜」
「おいコラ、どういう意味だ」
ハジメの足元に掴まりながら、楽しそうにピースをするミュウ。妹に目がないメイルがそれを真っ先に見つけたらしい。写真上の可愛らしい六歳児にでへでへしている。
すると、その横から驚きの声が上がった。
「……ええっ!? ハーちゃん、まさかの子持ち!? 嘘でしょ!?」
「……その歳で、まさか一児の父だとはな。ユエやティオにも、子は居たりするのか?」
「……まだ。でも、そろそろ本当に……ね?」
「そ、そうじゃのう。ご主人様が落ち着いたら、妾も考えたいのじゃが……」
舌なめずりするユエと、チラッチラ見てくるティオの二人にそう言われては、ハジメとて吝かではないようで、あ〜……と唸っていた。
やはり子供は欲しいが、地球やら異世界やらの問題があるし、腰を落ち着けられたらにしたくとも、それもいつになるか分からない……そんな状態にあるので、唸らざるを得ない。
そんなハジメの様子を見て、リューティリスはふふっと微笑みを湛えた。
「……わたくしも、ご主人様のご迷惑になる事はしたくありませんもの。ですが、これが俗に言う、初恋の苦さというものなのですわね」
胸に手を当てて、去来する感情に浸る。
リューティリスにとっても、自分が際限なく甘えられる存在というのは初めてで、この一ヶ月、今までの鬱屈感を晴らすかのように、散々甘えてきたのだ。色恋に疎くとも、好意が恋に昇華するのは時間の問題だった。
「恋というのは、世相の移ろいと同じくなんとままならないことか……それを身に染みて感じられましたわ」
そう締めくくり、リューティリスは、ハジメを諦める事を宣言した。
同時に、ハジメは告白を振る時の罪悪感を味わっていた。これまで八人の告白を受けて、全員と付き合って来た訳であるから、未知の感覚である。しかも、それがいつもお世話になった昇華魔法の使い手で、〝導越の羅針盤〟という強大なアーティファクトを譲り受けたなど、リューティリスが果たした功績は非常に大きい。やはり、とても心苦しいものがあった。
「……本当に、ハジメを諦めていいの?」
「元々、叶わぬ願いだとは思っておりました。わたくしの為にご主人様が身を砕かれるのは、本意ではありませんわ」
そう、浮かべた儚い微笑みの中には、女王としてではない、一人の女性としての芯の篭められていた。
元より、リューティリスは、〝我慢〟が出来る人物だった。幼い頃から、次代の王として期待を受け、神代魔法を授かり、その力で民を導き、守る事を誇りとしてきた。
だが、それは結果的に、性癖を歪ませることへ繋がった。
「ですが……わたくしが果てるその時まで、ご主人様を想い続けることをお許し下さいまし」
リューティリスが出した結論は、つまり──〝この想いは墓まで持っていく〟。
そう直接言われてしまったハジメに、脂汗が滲み出る。心做しか、ミレディやメイルの目が冷たい。ユエとティオは何とも複雑そうな表情だ。
「リュー……女王としての責務として、それはどうなのかとは考えはしなかったのか? 一人の男を愛するという事は……独り身でいるという事だろう」
「──ちょっ、ナっちゃんKY発言だよそれ! なんて事聞くの!?」
ナイズが、話の始めに立ち返って、そう問い質した。
この話の始まりはそもそも、女王に、次の世代の子供が求められているのではないかというもの。そんな厳しい所を突く発言に、ミレディがいきり立たんとナイズを叱責する。
それを受けて、リューティリスは……深く頷いて、悲痛に顔を歪めた。
「ええ。きっと、民に心配を掛けてしまうでしょう……ですが、これは、わたくしの我が儘なのです。この我が国は、守護杖に選ばれた者が王となります。世襲制ではありませんから、わたくしに子供が生まれまいと、次代の王は王の資質のある者から選び出されますわ」
「でも、それじゃあ貴女が……」
「いいのですわ、お姉様。ご主人様は、わたくしに沢山のものを下さったんですもの。これ以上の望みは、もうありませんわ」
誰から見ても、無理していると言わざるを得ないのに、そう言わせないのは、偏にリューティリスが纏う威厳からか。
「リューちゃん、やっぱり────」
「そうでしたわ! わたくしの恋バナを話したので、今度はミレディたんとオスカーさんの関係を教えて下さいまし! 本当は、男女のあれこれを交わした仲ではありませんの!?」
「えっ、あ、そこに戻ってくる!?」
ミレディが何かを言おうとして、目をキラキラさせたリューティリスに遮られた。顔をぐいぐいと近づけてきて、ミレディの姿勢が仰け反った。
「いや、本当、何にもないからね!? ただの仲間って言ったじゃん!」
「と、言いつつも?」
「なんもねぇよ!」
先程までのシリアスはなんだったのか……ギャーギャーと騒ぎ合う、いつもの茶会が広がった。
ハジメだけ、自分の気持ちを紛らわすようにお茶を啜りながら……
それは、ハジメ達が隠れ里予定地を去ってから、十数日経った頃。
「あ、オスカーさーん! ここの農地、完成しましたよー!」
「愛子さん、本当にすみませんね。こんな大きな土地を耕して頂いて……」
「い、いえいえ! 私に出来ることなんて、これくらいしかありませんし!」
戦闘要員としてよりも、その天職の優秀さを買われた愛子は、拠点作成にあたり、何より優先される衣食住の中でも食糧確保の担当として、〝作農師〟の力を振るっていた。
その力は凄まじく、あと数日もすれば最初に植えた植物を収穫できてしまう。食糧事情は解決済みと言ってもいいくらいだった。
「それに、ディランとケティの治療までやってくれているんですから……何から何まで、本当に助かっているんですよ」
「あはは……そう言ってもらえると嬉しいです」
と言いつつも、しかし、愛子はどこか上の空の様子で、北の方角へ目を向けている。まるで、遠くにいる誰かの姿を思い浮かべるように……
そこに突っ込むほど、オスカーは野暮ではない。自分の想い人と出会ったのに、早々〝解放者〟として働くことになり、またしても離れ離れになってしまったのだ。
自分達の弟の治療もあるとはいえ、内心では申し訳ない気持ちが膨らんでいた。
だが、愛子が上の空になっている理由はもう一つある。自分に出来た、新たな教え子達の心配だ。
ハジメらが卒業してからも、高校の社会科教諭として勤務し続けているから当たり前ではあるが、やはり担任が不在のままというのは何とも心苦しい。
できる限り早くの帰還が望まれる……のだが。
(ハジメ君でも原因の分からない、過去へのタイムスリップ……う、うう……仕方ないとは言え、ハジメ君に頼らざるを得ないというのは、本当に情けない次第です…………え? そんなの今更? だ、ダメですよ自分! そんなでは、教師として誇りある人間にはなれませんよぉ!)
「ふぁいとー!」
一人で腕をぐっと上に伸ばして、自分を激励する愛子の姿に、日夜拠点確保に追われて疲れた様子の解放者のメンバー達もほんわかと和む。
帰還者の騒動から二年経とうと、〝愛ちゃん〟がもたらす力は健在のようである。
一方で、同じく和んでいたオスカーの下に、タンクトップにマフラーを着けた魔人族の青年……ヴァンドゥル・シュネーがやって来て、呼び掛ける。
「おい、オスカー」
「……なんだ、ヴァンか」
「なんだとは何だ、貴様。そのクソ眼鏡をカチ割られたいのか」
自分を見て、まるでGでも見てしまったかのように嫌そうに眉間に皺を寄せたオスカーの反応に、ヴァンドゥルの青筋がぴきぴきと浮かび上がった。
そして、サラリと眼鏡を馬鹿にされたオスカーの眉がピクピクと動く。
「いきなり暴力手段に出るのかい? これだからエセ芸術家は」
「あ?」
「お?」
「あ、あわわ……喧嘩は駄目ですよ、お二人とも!」
いきなり目の前で火花を散らし始め、衝突の一秒前といった様相の二人の間に、愛子が果敢に割って入った。
大人の女性であることは解放者の中でも周知のことではあるが、子供と間違われるくらいに小柄な身体で、いつも辺りを消し飛ばすくらいにドンパチを繰り返すチンピラ二人組の仲裁をするものだから、当初はメンバー達から、巻き込まれて怪我をしないのだろうかと心配されていたが……結果はこの通り。
「……チッ。命拾いしたな」
「僕は元より、不毛な争いは好きじゃないけどね。今日のところは、彼女の面子を立ててこれで終わりにしてやろうじゃないか」
後の世で、ハジメ達にさえその仲の悪さが周知されている二人……しかし、愛子が割って入り仲裁するようになってから、寧ろ殴り合いに発展することが珍しいまであった。
「明日〝も〟喧嘩はやめてくださいね? お二人はいつもお仕事中の皆さんの邪魔になってますから。節度ある大人として、売り言葉に買い言葉を容易に受け入れてはどうなるのか、少し想像すれば分かるのではないでしょうか。つまり、何事も先ずは自分を律してこそなのです。これは、オスカーさんとヴァンさんの、少し〝先を生きる〟人からの助言です!」
「「…………」」
生まれてこの方、自分が誰かを先導していかなければならなかったオスカーとヴァンドゥルには、先生という存在はいなかった。
だからか、二人はどうも愛子には顔が上がらなかった。いちいち的をついていて、それであって、自分にとって大事になるだろう道を提示してくれるような、そんな人には。
オスカーもヴァンドゥルも、中身が粗野であると同時に、理知的であろうとする人間だ。納得せざるを得ない事柄を否定すれば、それはあまりに見苦しいと分かっていた。
更に、愛子は続ける。
「……人に迷惑をかけない。私やハジメ君の国では、このことを憲法の中で『公共の福祉』と呼び、尊重しているんです。これは、正しい正しくないなどの以前に、考え続け、他人と社会を形成する生き物である人として、第一に守らなければならないのです。お二人も、これを機に、一度自分を見つめ直して下さいね」
まさに、社会科教諭の本領発揮だった。こくりと頷いた二人に、うんうんと頷き返した愛子は、コテンと首を傾げ、ハッとした表情で慌て始めた。「まだあっちの土地の播種が途中でした! それでは〜!」と、小さな足取りで走り去っていく。
取り残されて、呆然と立ち尽くすオスカーとヴァンドゥルが互いに顔を見合わせた。そして、同時に肩を竦める。
「……ここは一つ、休戦協定といこうじゃないか」
「……フッ、お前にしてはいい案だな。いいだろう、乗った」
一人の教師の手によって、一つ、未来が変わったのだった。
大樹ウーア・アルトに設けられた、とある一室。光の灯す虫が壁に張り付いて、光源となっているそこは、全てが木一色で、机も椅子も、ベッドも、大樹の枝と一体化している。自然と調和した、見事な部屋だ。
外を覗けば、白霧が立ち込める樹海すっかり夜闇に包まれ、薄い霧の向こうから月明かりがぼんやりと照らして、その光が僅かに、木枠の窓から、その部屋に入ってくる。
その窓際では、一人の女性が両腕の肘を突いて、森を舞う幻想的な虫達を眺めていた。純白のドレスと、草花の冠を戴く彼女は、リューティリス・ハルツィナその人だった。
「…………はぁ」
ただ、虫達を眺めている……というよりかは、何かの気がかりを感じて、心憂いているという様子であった。口から溜息が出ていくと、夜の空をひらひらと舞っていた蛍や蝶が、心配でもするかのようにリューティリスの周囲へと集まってきていた。
リューティリスが手を伸ばすと、指の先に一匹の蝶が止まった。
「ディーちゃん……」
煌びやかで、深みのある青の羽を持つその蝶は、一定のリズムで羽を小刻みに揺らしている。傍から見れば意味不明な行動だが、リューティリスには、何かを訴えかけているように聞こえたらしい。首を振って、諦念に満ちた目で蝶の複眼と目を合わせた。
「わたくしには……誰かを愛する事は、まだ早かったのでしょう。もう振られてしまいましたわ」
リューティリスの言葉に、蝶が喋ることは無い。パタパタと揺らしていた羽を、今はゆっくりと上下させていた。その数秒後、蝶はリューティリスの指を離れ、どこかへと飛び去っていった。
思わず立ち上がって、名残惜しそうに、蝶の軌跡に指を沿わせる。
しかし、〝ディーちゃん〟という蝶は戻って来ず、無表情にも近い、沈んだ顔を俯けさせた。冠を机の上に無造作に放ると、ベッドに倒れ込んで、枕を胸にうち入れ、抱えた。
「……ハジメ様」
無意識的に呟かれた、最愛の男性の名前。
自分の本当の姿を見ても受け入れてくれて、自分が甘えられる、唯一の異性。
だが、そんな彼には、もう沢山の大事な人がいて……
自分が入る余裕など、どこにもありはしなかった。
目を閉じて、瞼の裏に浮かぶのは、ハジメの姿と、彼と手を繋ぐ竜人族の女性、ティオ。ハジメが、横のティオに微笑みかけていて、とても幸せそうだった。
彼女も、リューティリスと同じ門を開いていた同志として、今日までとても仲良くしている。だから、彼女が如何にしてハジメを好きなったのかも、リューティリスは知っていた。
だから、自分の居場所なんて、ある訳が無くて。
「ご主人様……それでも、わたくしは……お慕いしておりますわ……」
叶わぬ恋。それは誰もが通る道ではある。
「ずっと……ずっと……!」
こんなにも、あっさりと振られたことに、リューティリスは、平生から考えてきた幻想を真っ向から潰されてしまった。
それでも芽生えた恋心は、どんなに押し潰されようと、消えることはなかった。
「ぁ……あぐ……っ!!」
だからこその、あの宣言だった。この想いを、死ぬまで持ち続けると。
あの場では、リューティリスは我慢できた。決して、皆の前で涙は流さないようにと。今はもう、それを抑えるものは無い。
最愛の人を愛することが叶わないと知ってなお平静でいられるなど、彼女には出来るはずも無かった。
「……いやですわ……! わたくしだって、ご主人様を想う気持ちなら、誰にだって……ひくっ……! あ゛あ゛あぁぁ────ッ!!」
涙と声を枕に押し付けて、一緒に悲しみも押し出す。
それは、涙が枯れて、早朝まで続いて……
……この夜は。
声を上げて泣いた事さえ無かったリューティリスが、最初で最後に号哭した時となった。
リューちゃんはメイルとくっつけば良いと思います()
p.s.
受験戦争の為、一年くらい更新が無いかと思われ……
エタる気はさらさら無いので、忘れた頃にでも見に来て下さいな
おや、ハジメのようすが……?
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へんかがとまった
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おめでとう!(リューの嫁〜ズ入り)