不思議にしずかに雪の降る夜だった。銀色に暗いちいさな山路を、もぞもぞ動く影があった。リス、よりも小さい。コガネムシ、よりは大きい。一寸ほどの人間の子が、えっちらおっちら雪駄で進んでゆく。腰には針の剣をさし、雪除けの蓑を着た体はまるでワラ人形みたいだった。
彼の名は一寸法師。ちょっと特別な見た目だけれど、ひめさまに仕える立派な若者なのである。みやこのお屋敷から歩くこと幾日幾晩。色々と事情があって、この霜花山を登っているのだった。
チロリ。ふと闇のなかに、オレンジ色の点が見えた。ワラの先っぽに灯した火みたいな、ちいさなあかりだった。一寸法師はきゅうに元気が出てきたような心地で、パッと駆け出した。けれども、火はすぐに見えなくなった。これには、さすがに彼もがっかりした。進もうとする道の先で、風が粉吹雪と塵を一緒くたに巻き上げてくるくる踊った。
「…おい、おまえ」
突然声をかけられて、ふいに一寸法師は飛び上がった。天空を見上げれば、闇夜でオレンジ色に妖しくひかる瞳。一寸法師は何よりもまず針の剣を抜いた。
「なにやつじゃ!名乗りをあげよ!」
「……雪婆」
オレンジ色のあかりの正体は、雪婆の片目だったのだ。青い氷と凍てついた大地に生きる、一本足の妖怪。伝説では、雪山に迷い込んだ子供をさらっていくとされる。
雪婆は当惑しているようだった。チラチラひかる針の剣に戸惑って、それきり押し黙ってしまった。対して一寸法師は必死。なんと言ったって、お化けみたいな銀髪が、頭上たかだかと風に乱れて妖しく煌く。彼女の前髪は顔の半分をおおい隠しているし、唯一見える右目はオレンジ色にひかっている。おまけに着物からのぞく青白い素脚は、一本しかないときたのだ。
「われこそは天下一の剣客一寸法師! 邪魔だてする奴に容赦はせぬ、目玉を潰して脳天に穴を開けてやるぞ!」
つめたい夜を切り裂いて、朗々と一寸法師の声が響いた。しばしの沈黙が流れた。ゆるゆると時が過ぎてゆき、面倒くさそうに唇を噛んだ雪婆が、言った。
「…いや、よければ一晩泊まっていかぬかと…思ったんだが」
一寸法師の口が見事にぽかんとあいた。まるで、蚊を潰そうとしてぼた餅をつかまえた人みたいだった。
「…ついてきたけりゃ、こい」
そう言って雪婆はゆっくりと背を向けた。一本足でぴょんぴょん跳ねるかと思いきや、杖を上手に使って歩き出した。一寸法師もついていった。しばらく二人歩くうちに、雪婆が振り返った。そして、ためらうように、杖を持っている左手を下に差しのべた。
「…乗らないか。おまえと喋りたい」
一寸法師は黙って乗った。雪婆は彼を器用に肩へ乗せた。…驚いたことに、雪婆は右腕もないのだった。足や目と違い、着物に隠れて見えなかっただけで、雪婆は何もかも一つずつしかないのだ。
「いったい、われらに何を話すことがあるというのだ?」
「……あー、…おまえが霜花山にいる理由とか」
雪婆の吐く息は、青い氷の温度だった。一寸法師はぶるぶるっと震えが止まらない。にも関わらずおかしなことに、不思議に彼女のそばはあたたかかった。それで、彼はお喋りをすることにしたのだった。霜花山の雪婆と。
「われは、ひめさまに蝋梅の花を持ち帰ってやるのだ。一寸の背だとて、できぬことはない。証明し、われを馬鹿にした側近をアッと言わせてみせる」
「…ふうん。確かにこの山では蝋梅が咲くよな」
自ら尋ねておきながら、雪婆はあまり興味なさげだった。一寸法師は別にそれでいいと思っていたから、この話はこれで切り上げるつもりで言った。
「そうだ。もしも花が咲いている場所を知っていたら、教えてくれ」
色良い返事は期待していなかった。けれど雪婆の考えはすこし違ったようだった。
「ああ、知っている」と雪婆はあっさり言った。
そしてニコリともせずに、その冷たい表情からは想像もつかないような、孫をいたわるおばあちゃんみたいなことを口にした。
「今晩散歩のついでに採ってきてやるから、おまえは少々寝て休みな」
「っ!……それじゃ駄目に決まっている!己の力のみでやらねば意味がないだろう!」
一寸法師はほとんどカッと昂奮して叫んだ。凍るような山の中に、唇もほおも紅潮していた。
雪婆が不意に足を止めた。射抜くような鋭い眼光に一寸法師はウッと息を呑んだ。ヒュルルッと風が唸りすぎてゆく。雪婆のこわいほど美しい純白の着物が、儚げに風に舞った。
「…おまえ、なんのために?」
「は?」
「いや、「法師」などと坊さんの呼称を持っていながら、案外煩悩に苦しんでいるんじゃないか。おまえ。安心したよ」
雪婆はまったく笑みを見せずに言い切った。わけのわからない化け物に見下されて、しかもそれがどこか達観しているかのような態度なのが、一寸法師にはひどく癪に触った。この妖怪の低い声を聞くと、何故だか不気味で息が詰まった。
「われのどこが、煩悩だ。ひめさまのためなら火の中、水の中。立派な男になって周囲に認められたいと思うのも、もとはといえばふるさとの爺さまと婆さまに親孝行するため。それのどこが!」
一寸法師が叫ぶと、雪婆はオレンジ色の目をギョロリと回し向けた。
「周囲に認められたいと言っただろ。自分にも他人と同じことができると証明したいんだろ。…おまえ、馬鹿じゃないか」
一寸法師の瞳が怒りに燃えた。悔しさにこぶしを握って顔を歪め、衝動的に立ちあがろうとする。…しかし結局、彼が立つことはなかった。薄紅の唇が震え、瞳が揺れた。黒いまつ毛が低く伏せられる。睨めるような眼差しが、唸り声とともに漏れ出した。
「…認めてもらわねば、みやこでは生きて行けぬ。地方の暮らしは苦しい。いったい他にどうしろと?」
雪婆は淡々と答えた。
「それは違う、言い訳だ。生きていけるだろ。おまえなら。背丈一寸の男など、日本中探してもただ一人。さぞかし珍しがられて丁重に扱われているのであろうと思うがな」
「……われは、見せ物は嫌だ。武勇と知恵で認められたいのだ」
「ふん」
一寸法師の唇はうっすらと紅に染まり、まっすぐに結ばれていた。トビやカラスにも狙われる小さな体が、純真な誇りと鬱屈した悔しさを抱きかかえて苦しんでいた。
それを見下ろす、枯れた白樺のごとき神妙な美しさをもつ雪婆。仏さまが救いの言葉を口にするかのように、一寸法師に語りかけた。
「おのれにしかできぬことをしろ。だが人の前でではない。隠された部分に徳を積め。…良いことをすれば、必ずおのれのもとへかえってくるのだから」
瞬間、一寸法師の眼差しがきっと反抗した。
「人に見えぬところでやっては、何にもならないではないか。結局、見てくれるものがいなければ評価されぬ。」
「その浅い考えがおまえを苦しめるんだ」
「しかし!」
雪婆が唐突に人差し指を一本立てた。一寸法師はふいにひゅうっと目を大きく開けて黙った。雪婆の爪の先が、まるで蝋燭のあかりのようにオレンジに光っていた。ポカンと口を開ける一寸法師を尻目に、雪婆はそれを無造作に天に向けた。
「あっちの空から、妙見が見てる」
「は?」
「北の天において年中動かぬ星だ。知らないか?仏教界においては神様とされてるモノで……まあそれはどうでもいい。この際、月でもお天道さまでもなんだって良かったんだ」
雲のただよう夜空を見上げ、とうとうと喋り続ける。
一寸法師は呆気に取られて雪婆を見ていた。
「空や大地はいつでもおまえを見てる。べつに人間にこだわる事はないだろ」
ふう、と雪婆が息を吹きかけると、爪のランプは消えた。彼女の銀の髪は霜に凍りつき、キラキラ青白く光り始めていた。はたで見ている一寸法師は、思わずジャリジャリと解き崩したくなった。雪婆は煩わしそうに頭を振ってから、言った。
「…とまあ、そういうわけで蝋梅はわたしが採ってくる。この雪でおまえに死なれたりしたら、寝覚め悪いこと極まりないからな」
ふいに静かになった。しんと木々の影が濃くなり、闇に薄ぼんやりと浮かぶ着物の白が妙にはっきりした。くいっと空を仰ぐと、月が出ていた。灰色の雲の間から、斜めにかしいだ白銀の舟が顔を出していた。
二人は黙々と歩んだ。
「なあ、雪婆」
ふっと一寸法師が声を漏らした。
「凍てついた夜の山で、雪婆が子供をさらっていくって伝説、あれは……嘘か?」
「は?」
雪婆は素っ頓狂な声を上げた。
「誰がそんなことするもんか。……あぁ、そういやぁ髪の結い紐落としてった女子、追いかけて逃げられたことはあるな」
嫌な思い出だ、と言って雪婆は少し眉をしかめた。一寸法師は物思いに沈んだ調子で、ゆっくりと尋ねた。
「なぜ逃げられたんだ?」
「そりゃあ、お前。出会い頭に物騒な針の剣向けてきた奴が、聞くことじゃないだろうが」
「なるほど」
確かに雪婆は不気味だった、と一寸法師は納得した。雪婆の肩で揺られながら、のんびりと前を眺める。ふと思いついて、幽霊より白い雪婆の顔を、黙って見上げてみた。
…初めて目にしたとき心底ギョッとしたオレンジ色の片目。銀色の眉毛。そして片方ずつしかない手足。
それらはすでに、一寸法師へ何の驚きも湧かせないものになっていた。自然の一部として、大地に存在する生き物のただひとつだった。
またしばらく、二人は黙々と歩んだ。
「なあ、雪婆」
「なんだ?もうじき山小屋だぞ」
月の光の下で。雪婆の声がしぃんと響く。さくり、さくりと地を踏む音が、眠る山へ吸い込まれ消える。這い出ずる白蛇のような神聖な静けさが続いた。沈黙を守る一寸法師を不思議に思って、雪婆が顔を振り向けた。そのとき、二人の目が火花のようにバチリと合った。
「…みやこへ帰った暁には」
一寸法師のケシの粒のような小さな目。そこには、不思議にエネルギーがこもっていた。ただならぬ意志を向けられたのを感じて、思わず雪婆はゾクッと鳥肌が立つような気がした。一寸法師はまっすぐに口を開いた。
「あなたのぶんも、われが人に尽くしてみせる」
手も、足も、目も、何もかも一個ずつしかない雪山のお化けが、ふいに目を見開いた。唇が震えて、みるみる涙が溢れた。
「あぁ…そうかい」
細い老木たちが白々と山道を照らす。獣も眠る霜花山に、二人だけの影が溶け合った。
次の朝。一寸法師が山小屋の床で目を覚ますと、一枝の蝋梅が置いてあった。花は雪婆の眼によく似たオレンジ色で、昼夜問わず淡い光を放ち続けたという。みやこへ帰る長旅の間も枯れることなく、常に花の香がただよい続けた。
みやこへ持ち帰ったのちにひめさまが触れてみたところ、「ひんやり冷たいわ」と不思議がってしきりに首を傾げた。その様子を見守る一寸法師はただニコニコと、微笑していたそうな。