神々の戯れ   作:彼岸花ノ丘

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窮地

 第二ラウンドを始めようとした時、クトーラは自分の身に降り掛かる『異変』に気付いた。

 身体が、乾いていく。

 しっとりとした粘液に覆われていた身体が、徐々にその湿り気を失ってきたのだ。さらさらとしていた粘液は粘つき、やがてパキパキと音を鳴らす乾物に変わってしまう。

 軟体動物であり、そもそも海洋生物であるクトーラ族にとって、身体の湿り気は生存に関わる重要な問題だ。水分自体は鰓から大量に取り込んでいるが、粘液はその水分の蒸発を防ぐ。粘液がない状態というのは、穴の空いたバケツのようなものだ。これではいくら水を補給しても、やがて身体が干からびる。

 しかしMOABの直撃を受けても平然としていたのに、どうしてなんの攻撃も受けていない今になって乾き始めたのか? クトーラはその答えを知っている。

 原因は、目の前にいるハースだ。

 

【フオオオオオオオオォォォォ……】

 

 大きく息を吸い込むような音が、ハースの『全身』から鳴っている。

 いや、ような、ではない。ハースは実際に全身から、体表面に開いた穴を通じて空気を吸い込んでいた。吸い込んだ空気は口から吐き出されており、一見ただそれだけの行為に見えるだろう。

 しかしハースの行動は、ただの呼吸ではない。

 吸い込んだ際、空気から水分を除去しているのだ。そのため周辺の空気がどんどん乾燥していく。

 砂漠の湿度は二十〜二十五パーセントほど。日本の真冬でも十パーセント程度はあるものだが……ハースの行動により、半径数キロ圏内の湿度は一桁代を突破。〇・〇〇二パーセントまで急速に失われた。ここまで低い湿度は、自然界ではまずあり得ない。

 とはいえこれだけでは、クトーラの粘液を乾かす『補助』にはなっても、決定打にはならない。ハースは更なる『攻撃』を行っていた。

 それは呼気に含まれる、高吸水性高分子である。

 大気中の窒素や二酸化炭素、水と酸素も材料にして、高吸水性高分子を体内で生成。ハースはこれを吐き出していた。高吸水性高分子はその名の通り、大量の水分を吸収・保持する機能を持つ分子。人間では紙オムツなどの用途に使用されている。これが空気中に漂っており、クトーラの周りにも大量に浮かんでいた。

 クトーラは今も電磁防壁を展開しているが……高吸水性高分子は呼吸により体内へと侵入。消化管や呼吸器系などが乾燥していき、臓器の水分維持を身体が優先した結果、粘液など直接生命活動に関わらない水分が減少した。結果、粘液の乾燥という事象が引き起こされたのである。

 更に、新たな危機がクトーラに降り掛かる。

 

【シュ、シュォ、オ、オギ……!】

 

 クトーラは唸り、触腕をじたばたと暴れさせる。

 息が出来ない。鰓は十分湿っているのに、どれだけ体液を巡らせても酸素が取り込まれないのだ。

 この現象もまた、ハースが引き起こしたもの。ハースは水分のみならず、酸素も高吸水性高分子の材料にしている。言い換えれば、それは周辺から酸素が失われる事と同義だ。それだけなら更に遠くの大気から、空気が流れ込んでくるのだが……ハースは代わりに高吸水性高分子を排出している。大気中を形成する分子の総数は常に一定(アボガドロの法則、と人間は名付けた)だ。高吸水性高分子が増えれば、その分酸素などの比率はどんどん下がっていく。

 今やハースの周囲数キロ県内は、酸素濃度が一桁にまで減っていた。クトーラとハースの戦いが始まったばかりの頃、都市には地下鉄などに逃げ込んでハースの破壊行為から生き延びていた人間が大勢いて、クトーラ達の激戦に巻き込まれなかった者も少なからずいたが――――もう、誰も生きていない。全員が窒息により死亡した。

 クトーラにとっても酸欠は危険な状況だ。巨大な身体を動かすエネルギーは、酸素を大量に消費して生成している。本質的には人間よりも酸欠に弱いと言えよう。

 それでも彼が未だに生きているのは、電気分解により酸素を作り出しているからなのだが……今までは空気中の水分を使用していた。しかしハースが高吸水性高分子を生成する過程で、大気中の水分も奪っている。これでは原料がなく、酸素を作り出せない。

 緊急措置として体内の水分を利用しているが、これは長く持たない。身体が必要としている酸素を全て作り出そうとすれば、瞬く間に脱水症状に陥ってしまう。故にある程度制限しなければならないが、そうなると酸欠の症状は残り、消費自体はしているのだから脱水が回避出来る訳でもない。

 体表面の乾燥、酸欠、脱水……様々な体調の不良がクトーラを襲う。これでは戦闘能力を維持出来ない。

 対するハースは、身体に力を漲らせている。彼の分厚い表皮は高吸水性高分子や大気の乾燥など全く気にせず、吸い込む過程で血中に溜め込んだ酸素があるので酸欠もしばらくは問題にならない。自ら作り出した環境だけに、クトーラとは備えが違う。

 クトーラが圧倒的に弱り始めた時を、力を保っているハースが見逃す筈もなかった。

 

【フィィイイオアアアアッ!】

 

 猛然とハースは駆け出す! 狙いは動きの鈍ったクトーラだ!

 クトーラは触腕を構え、これを受け止めようとする。だが酸欠と乾燥により弱った身体は、思ったほど素早くは動かせない。ハースの突進には間に合わず、クトーラはその直撃を受けてしまう。

 踏ん張って耐えるのにも、身体の力が必要だ。堪えきれなかったクトーラは、一キロ以上の距離をふっ飛ばされてしまう。すぐに体勢を立て直そうとするが、乾いた粘液が動きを阻む。触腕が素早く動かず、元の体勢に中々戻れない。

 その間にハースは肉薄し、クトーラの触腕を掴む。

 迫りくるハースの爪先を電磁防壁が(短時間ではあっても)防ぐ。そう、今までは防いでいた。だが今の防壁は、ハースが少し力を込めると呆気なく食い込み、触腕の肉にまで達してしまう。

 酸欠でエネルギーが作り出せない以上、電気を作り出す細胞の活性も低くならざるを得ない。無敵の守りである電磁防壁が弱まるのは、必然の事態だった。

 

【シュ、シュオオオオオオッ!】

 

 それでもクトーラは力を振り絞り、触腕をハースの腕に巻き付ける。絞り上げる事で空気防壁を無効化し、自分の触腕の一本を掴むハースの腕を握り潰そうとした。

 だが、それを果たすには力があまりに弱い。数分と続ければ叶いそうだが、好戦的で獰猛なハースはそれほど悠長な生物ではないのだ。

 

【ィイアアアッ!】

 

 ハースは掴んだクトーラの触腕を引っ張る! 千切るためではなく、クトーラの身体を引き寄せるために。

 クトーラの身体はハースの剛腕に逆らえず引き寄せられ、その勢いで地面に叩き付けられた。巨大な地震が起き、数キロと離れていてクトーラ達の戦いから逃れたビルが次々と崩れ落ちる。クトーラの身体にも、弱まった電磁防壁では緩和出来ない衝撃が走った。

 ハースはまだまだ容赦などしない。未だ掴んでいる触腕ごとクトーラを持ち上げ、人間が背負投と呼ぶ技のように、大地に叩き付ける。それも一回だけではなく、二回、三回、四回……その度に大地震が起こり、フィリピンの大都市マニラは完全な更地に変わっていく。

 クトーラはまだ死んでいない。だが貫通してきたダメージにより、身体に擦り傷が刻まれていく。電磁防壁を作り出そうとフル稼働させた細胞が、エネルギー不足と過労により『ショート』して弾ける。その様はクトーラの体表面でバチバチと迸るスパーク、それと混ざる体液が物語っていた。

 

【シュ……シュゥウギィオオオオオッ!】

 

 しかしクトーラの闘志は未だ折れない。

 蓄積するダメージを堪えながら、クトーラは触腕にエネルギーを溜め込む。原子崩壊により核爆発を引き起こす、神の(いかずち)こと高出力金属原子砲。これを直撃させれば、ハースといえども後退は避けられない。

 ハースの展開した酸欠には、範囲が存在する。高々数キロの、クトーラ達からすれば然程広くない面積だ。クトーラはそれを知っており、一旦距離を取れば十分な酸素を得られると理解していた。逃げるつもりは更々ないが、聡明な彼はこのまま突撃を繰り返すほど猪武者でもない。

 しかしハースの方も、自分の弱点は把握している。クトーラの思惑を理解しており、此処から逃がすつもりはない。

 

【フィギャアッ!】

 

 だからか、ハースは五度目の叩き付けの後、クトーラを踏み付けた。

 踏まれたクトーラは、不味い、と感じた。踏み付けという体勢により、ハースは攻撃と踏ん張りを同時に行えている。これではちょっとやそっとの攻撃では動かせない。

 普段の高出力金属原子砲であれば、踏ん張るハースを押し退ける事など造作もないだろう。だが酸欠と水分不足により弱った今のクトーラに、普段通りの威力の一撃を放つ事など出来ない。仮に放ったところで、核爆発の衝撃はクトーラにも及ぶ。後ろに空間があれば吹き飛ぶ形で衝撃を流せる(加えて離脱の助けとなる)が、踏み付けられた状態では背後に地面がある。衝撃の殆どが身体に伝わる事となり、弱体化した電磁防壁でこれを耐えるのは困難だ。

 どうすべきか? 耐えられる限界まで高出力金属原子砲の力を溜め込むべきか、或いは別の技を用いるべきか。酸欠で鈍る頭が決断を下す前に、ハースは次の行動を行う。

 クオーラを踏み付けたまま、触腕を掴み、引っ張り始めたのだ。

 

【シュ、シュギ、ギ、ギ……!】

 

【フィアアッ!】

 

 引っ張られた触腕に力を込めて抗おうとするも、弱りきったクトーラの身体がハースの力を上回る事はない。ハースも手加減なくその触腕を引っ張り……そして引き千切る。

 二本の触腕は真ん中辺りで千切れ、ハースはそれを放り捨てた。触腕はびちびちと跳ねたが、間もなく活動エネルギーを失い、動かなくなる。反撃のため触腕に溜め込んでいた高出力金属原子砲の力も、生命と一緒に霧散してしまった。

 正常に機能する腕は今や半分の三本だけ。

 

【シュキギィアアアアアアアアッ!】

 

 その三本を引き千切られる前に、クトーラは高出力金属元素砲を放つ。

 閃光がハースの胸部を打ち、防壁として展開された空気と反応して核爆発を起こす。だが、爆発の規模はあまりにも小さい。健全な時には半径数百メートルにも及ぶ爆炎が生じたのに、今ではたった数十メートル程度。ハースの胸をちょっと煙で隠すだけ。

 ハースは衝撃で僅かに仰け反ったが、それたけだ。まるで堪えていない。

 なんだこの程度か? そう言いたげに覗き込むハースの顔面を、クトーラは触腕で殴り付ける。強力な物理攻撃だが、ハースの身体はびくともしない。もっと来いよと言わんばかりに近付く間抜け面を幾度も殴るが、ハースは垂れ下がる舌をへらへらと揺れ動かすばかり。

 元々身体能力ではハース族の方が、クトーラ族よりも上だ。どれだけ死力を振り絞ろうと、肉弾戦でクトーラ族がハース族を圧倒する事はない。

 

【フィィィィィィィ……】

 

 もう反撃は怖くないとばかりに、ハースはクトーラの頭を両手で掴み、持ち上げる。とはいえ顔面を見て嘲笑うような、()()()な趣味をハース族は持っていない。

 これは止めを刺すため、クトーラの頭を両手で押し潰そうとしているのだ。神の如く力を持つクトーラも、頭を失えば死ぬしかない。

 クトーラは全身に力を込めてこれに抗おうとするも、身体能力の差は歴然としている。電磁防壁があれば少しはマシだったが、酸欠と水分不足により細胞が弱り、ついに消失していた。身体の力だけでは一分と持たない。

 絶望的状況。しかしクトーラ族は戦いをこよなく愛する誇り高き一族だ。今更命乞いなどしない。仮にしたところで、獰猛で凶悪なハース族は聞く耳を持たないだろう。

 戦いの決着は、相手の死以外にあり得ない。

 この戦いを終わらせるには、相手を殺すしかない。

 だからクトーラは切り札を使う。

 自分の命すら危険に晒す、『奥の手』を使う事にしたのだ……


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