神々の戯れ   作:彼岸花ノ丘

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好奇心

 彼等の種族が地球に誕生したのは、彼が目覚めたこの時代からかれこれ四億年前の事である。

 軟体動物の一種から派生した彼等……彼等は自身をクトーラ族と呼ぶ。個人名は持たないが、目覚めた彼は『クトーラ』と呼ぼう……は、外敵との生存競争を勝ち抜くため巨大になる進化を遂げた。更に脳の肥大化で知能も高くなり、仲間同士で協力する術も得た。奇跡的な突然変異を短期間で幾つも得たクトーラ族は、強大な力と知恵で深海を支配。生物の本能として勢力を広げようと、やがて浅瀬や陸地への進出を試みた。

 しかし事はそう簡単にいかなかった。

 当時、強大な生物が誕生したのは深海だけではなかったのである。浅瀬や陸地でも様々な生物が力を得ており、自らの勢力を広げようとしていたのだ。中にはクトーラ族を遥かに上回る力を有した種族もいて、思うがままに暴れ回っていた。

 脅威となる存在とクトーラ族は戦った。時には勝利し、時には敗北し……一進一退を繰り返し、遅々として勢力は広がらず。戦いは一億年以上続き、クトーラ族は徐々に数を減らしていった。種族としての敗北は明確であり、直ちにではないが、絶滅の時が迫っていた。

 その時、『幸運』が訪れた。

 大規模な気候変動が起きたのである。気温が急上昇し、酸素濃度が急激に低下していった。火山活動の活性化により酸性雨が多発し、太陽光は遮断されて日照不足に。そして環境変化により起きた大量絶滅で、餌となる生物が激減した。

 様々な環境変化も辛かったが、一番の問題は餌の減少だった。クトーラ族やその敵達も、食べ物がなければ生きていけない。このままでは戦いどころではないと判断したクトーラ族は、危機を乗り切るため一つの決断をした。

 その決断は、休眠によりこの気候変動をやり過ごそう、というもの。

 海底深くの地中に潜り、深い眠りに就くのだ。気候変動が終わり、再び生命に溢れた世界が戻る時まで。

 作戦は成功した。生物種の九割以上が死に絶えた絶滅も、一千万年も経てばそれなりに回復していた。また休眠を行ったのはクトーラ族ぐらいなもので、他の種族は気候変化を乗り切れずに絶滅していた。全くのいない訳ではなかったが、クトーラ族ほど勢力を保てていたものはいないし、休眠から目覚める気配もない。

 更に二億年も経った頃には、地上にも海底にも空中にも、クトーラ族の脅威となる存在はすっかり姿を消していた。邪魔者はもう誰もいない。今度こそクトーラ達は世界を自分のものに出来る。

 だが、一族の勢力拡大をしようと考える者は殆どいなかった。

 理由は()()()()()。脅威が存在した時は、自分達の生存圏確保の意味もあって全力を尽くした。何より死力を尽くさねば勝てない、尽くしても勝てない時がある戦いは、スリリングで胸が躍るもの。そうした『刺激的』な日々を過ごしていたため、ライバルがいないとどうにも気持ちが燃えない個体ばかりになっていた。やる気をすっかり失ってしまったのである。

 これが昆虫のように単純な生物ならば、種族繁栄のため身体が勝手に動いただろう。しかしクトーラ族は少々賢くなり過ぎた。やる気が本能を凌駕してしまったのである。眠ったままではいずれエネルギー不足で死んでしまうが、起きる気力がないのだからどうしようもない。

 そうしてこの時代まで大した行動を起こさず、だらだらと生き延びてきた一族の一体が、此度隕石の激突により覚醒したクトーラという訳だ。彼は昔からちょいちょい目覚めては活動している『変わり者』で、直近の目覚めは四百万年である。

 

【シュオオオオオオオ……】

 

 久しぶりに泳ぐ海原の感触を楽しみながら、クトーラは一気に深海から海上まで昇っていく。

 通常、海洋生物にとってこのような動きは自殺行為だ。理由は水圧の違い。海底深くは水深が高く、そこに適応した生物は水圧に対抗するため身体の圧力を高めている。これでもし急に水圧の低いところに行ってしまうと、自らの高い圧力によって、内臓などが飛び出してしまうのだ。網で引き上げられた魚が、口から浮袋がはみ出しているのが良い例である。

 だが、クトーラにとっては問題ない。

 彼等の体表面は特殊なタンパク質で出来ており、この表皮により水圧に耐えている。つまり純粋な硬さで、内部の気圧変化を遮断しているのだ。呼吸器系も表皮と同じく頑丈な組織で出来ているため、一千メートルの深海から海上程度の水圧変化であればビクともしない。

 

【シュオー】

 

 悠々と泳いだクトーラは海上から顔を出す。それから大きく発達した目で、空を見上げた。

 空に浮かぶのは、燦々と輝く太陽。

 そういや四億年前()と比べるとちょっと眩しくなったなぁ、とクトーラは思った。事実太陽の輝きは年々強さを増している。核融合により水素が使われた結果、外側に向かう圧力が低下し、勢いを増した重力によって中心部が今まで以上に収縮。更に激しい核融合が起きるようになり、その分多くエネルギー……光を放つという理屈によるものだ。その変化は四十五億年で三割強くなった程度で、百年二百年で分かるものではないが、四億年前を知るクトーラであれば少しは認識可能なものだった。

 太陽の明るさを染み染みと感じたところで、クトーラは次に海面付近の景色を眺める。

 通常、水中と大気中では屈折度の違いから、それぞれに合った目で見なければちゃんとした映像は見えない。陸上生物が水中で目を開けても、ぼやけて見えるのはそうした理由からだ。

 しかしクトーラ族の目は違う。彼等の眼球内を満たすのは特殊な油分を数種類含んだもの。この油分の比率を調整する事で屈折率を変化させ、水中でも大気中でも透き通った景色を見る事が出来る。

 尤も、どんなに優れた視力でもないものは見えない。大海原のど真ん中にいたクトーラの目に見えるのは、変わり映えしない海原だけだ。

 

【シュゥゥ……シュオオオオオッ】

 

 ならばとクトーラは、大空へと飛び上がった。

 クトーラ族の体組織には大量の鉄分が含有されている。本来これは身体の頑丈さを増すための仕組みなのだが、その鉄分に生体電気を流して磁石化。強力な磁力を発生させる事も出来た。

 この磁力で地磁気を捉え、身体を引っ張り上げる事で浮遊する。

 地磁気を利用しているため、消費するエネルギーは体内の鉄分を磁石化させるために使う生体電気の分だけ。極めて効率的な飛行能力だが、欠点が一つだけあった。

 どうしようもなく遅いのだ。頭を含めれば二百三十メートル、頭から伸びている腕も含めたら四百十メートルもあるクトーラの巨体が、たったの時速百キロほどしか出せていない。水中であれば、電気を使うまでもなくこの十倍以上の速さで泳ぎ回れるというのに。

 ()()を出せばもっと速く飛べるが……疲れるのでクトーラは理由もなく全力を出す気もない。何より飽きっぽいのと同時に、クトーラ族は割と暢気な性格でもあった。何しろ大量絶滅を目の当たりにして「寝れば良いんじゃない?」と考える種族である。遅いなら遅いで、四百万年ぶりに見る景色を楽しむぐらい心は余裕に満ちていた。

 ちなみに呼吸も生体電気で水を分解して得ている。しかも鰓にはカリウムなどのイオンが多量に含まれており、これにより浸透圧の働きで空気中の水分が体内に取り込まれる仕組みだ。砂漠など空気が乾燥した環境に長時間留まらない限り、大気中でも呼吸に支障はない。

 

【シュオ、オオ〜。シュォォー】

 

 暢気に『歌』を口ずさみながら、クトーラは適当に前進を続けるのだった。

 ……………

 ………

 …

 かくして数時間と海上を進んでいたクトーラは、ついに地平線に陸地が見えるところまで辿り着いた。さてさてどんな環境が広がっているのかと、その大きな目を突き出すようにして観察する。

 そして驚きから、更に大きく目を剥いた。

 陸地にあったのは森だった。しかし樹木によるものではない。白い岩のようなものが乱立して、森染みた景色を作っているのだ。岩は高さ数十〜百メートル以上、クトーラの身体よりも巨大なものも少なくない。更に岩は歪みない四角形、或いは円形など、種類はあるがいずれも自然に形成されたとは思えない形状をしている。

 多くの動物は、それがなんであるのか理解も出来ないだろう。そもそも違和感すら抱かないと言うべきか。しかしクトーラは違う。彼の優れた知能は目の前の景色の異様さを感じ取った。そしてそれがなんであるのかにも気付く。

 これは『都市』だと。『文明』なのだと。

 何故なら彼には、文明と接した経験があったからだ。

 

【シュォォー】

 

 クトーラは過去、前回の活動期である四百万年ほど前について思いを馳せる。

 当時、彼は『文明』を築いた。

 強大な肉体を持つクトーラ族は文明など必要としなかったが、文明を作り上げるだけの知能は持ち合わせていた。四百万前に(海底火山の噴火が直撃して)目覚めたクトーラは、当時一番知能が高いように見えた猿の一種の前に君臨。戯れに、その猿達に文明を授けたのである。

 与えた知識は食物の効率的な生産方法、それと外敵の撃退方法。

 食料と安全を手にした猿共の文明は存分に発展し、その個体数は十数万程度には増えた。分業化や政治も始まり、余暇を楽しむため様々なエンターテインメントが発達した事も覚えている。尤も、五百年ぐらい観察したところで飽きてきたので、『文明破壊ごっこ』として跡形もなく破壊したが。あの時の猿共の逃げ回り方は見ていて面白かった。とはいえこれも所詮遊びであって、猿達を根絶やしにしようとした訳ではない。

 もしかするとあの猿達が進化して、今度は自力で文明を得たのだろうか。いや、それとも自分が与えた文明の知識を下地にして発展させたのか。だとするとどうして中々、感慨深いものがある。

 あの文明がどんなものか、見てみたい。

 どうせ暇なのだ。思うがままに行動すれば良い。それがクトーラ族の有り様だ。

 

【シュオオオオオオオー】

 

 クトーラはゆったりと、海岸線に並ぶ都市に接近していく。

 ある程度近付いたところで、彼の目は都市に暮らす生物の姿を視認した。体長一〜二メートル程度。二足歩行をしていて、尻尾は生えていない。大抵の個体で頭部以外の体毛が非常に薄く、地肌が露出している。

 その肌を守るように薄いひらひらとしたもの……確かアレは『服』と呼ばれるものだっただろうか。四百万前の猿共も似たようなもの作っていた、とクトーラは思い出す……を纏っている。見た目は結構変わったが、全体的なフォルムや骨格は四百万年前に接触した猿とあまり変わりない。

 あの時の猿から進化した生物で間違いなさそうだ――――クトーラは初めて見た文明の主達、人間をそのように認識した。四億年の時を直に観測してきた彼等は、生物進化の概念も持ち合わせているのだ。

 

「キャアアアアアアアアッ!?」

 

「アヒィィィアアア!?」

 

 都市のすぐ傍までやってきたクトーラを目にした人類は、大きな悲鳴を上げて逃げていた。同種を押し退け、我先にと逃げていく。

 なんとも身勝手な一族だ……等とクトーラは思わない。いざとなれば自分だけは助かろうと、仲間を突き飛ばしてでも逃げていく。生き物として極めて正しい振る舞いだ。クトーラ族も同じ境遇に立てば、同じように振る舞う。

 それはそれとして、早速文明について調べようとクトーラは考える。

 六本ある触腕の一本を伸ばし、手近なところにあった四角い建物(ビル)に巻き付けた。高さ五十メートルほどあるそれを、引き抜くためだ。ところが力を込めると外壁はあっさりと崩れてしまい、思ったように抜けなかった。建物内には大勢の人間がいて、崩れた際の瓦礫に何人か押し潰されたようだが、クトーラは気にしない。

 

【シュー……シュオォー……】

 

 むしろ建物の中の構造が気になってきた。触腕を二本挿し込んで、中身を開くように動かす。しかし建物が脆過ぎて、上手く裂くように出来ず。轟音と粉塵を撒き散らし、中の人間を巻き込んで建物は瓦礫の山に変わった。

 あちゃー。

 言語化すると大凡このような感情を抱くクトーラであるが、特段後悔もしていない。周りには建物がいくらでもあるのだ。中身が気になるなら、他の建物を壊してみれば良い。

 勿論、この建物を作り上げたであろう生物――――人間にも興味はある。

 

【シュォー】

 

「ワ、ワ、ワアアアアアッ!?」

 

 近くにいた(走って逃げていた)一人の人間を、触腕の先にある爪で引っ掛けて持ち上げる。人間が服を纏っていなければ突き刺して持ち上げるところだったが、幸い大昔の猿共と同じく服を着ていた。この服に爪先を引っ掛ければ、生きたまま持ち上げる事が出来る。

 人間は最初バタバタと暴れていたが、ある程度高くなったところで大人しくなった。恐らく落ちるのが怖いのだろう。どうやら空は飛べないらしい。

 じゃあ、落としたらどうなるか?

 

「ァ?」

 

 触腕を軽く振り、爪先に引っ掛けていた服を外す。人間は呆けた表情を浮かべた後、悲鳴を上げながら手足をバタつかせて……大体百メートルほど下にある地面に激突。

 衝撃によって身体が変な風に曲がったが、手足が千切れた様子はない。見た目相応には頑丈な生物のようだ。ただし痙攣なども見られず、即死したらしい。

 ついでに味も見てみようかとクトーラは思ったが、こんなに小さいと味見は難しい。それに以前猿共が百人ぐらい出してきた生贄は、正直大して美味しくなかった。猿から進化した人類も、あまり違わないと思うので興味が湧かない。

 しかしこのちっぽけな頭で、これだけの文明を築けた事には素直に驚いた。どれだけ複雑な脳が詰まっているのだろうか。中身がどうなっているか気になったクトーラは、今し方自分が落とした人間をバラそうと触腕を伸ばす。

 だが、その動きはすぐに止めた。

 何かが接近している。それも鳥なんかよりもずっと大きく、何より速いものが。

 正体は不明だが、確かに気配を感じ取った。まさか四億年前に戦った『敵』の一部が、この時代で活動していたのか? 疑問と警戒心からクトーラは好奇心を後回しにし、その気配の方に目を向ける。

 結果を言えば、現れたのは敵ではなかった。だが、それでも彼はまたしても驚いた。

 金属の塊が空を飛ぶ光景なんて、彼は見た事がなかったのだから……


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