自分、改変いいっすか?
私は嘘吐きのどうしようもない魔女だった。
生きる為、自身を良く見せる為、嘘を吐いてきた。
あそこへ初めて書き込んだ時も本当の事を言わなかった。
謹慎中なのは本当。でも、誤接続の心配がないというのは嘘。
≪大丈夫、大丈夫、訓練通りやれば≫
私は無意識のうちに紐を手繰り寄せ、全て繋いでしまう。流れてくる言葉を拒めない。
だから、耳を塞ぐために
≪オーレリア、仇は必ず討ちますわ。見ていなさい≫
ただ、あの日、ドナウ連邦の捕虜を射殺した日から、閲覧者ではいられなくなった。
≪生き残る、絶対に≫
敵であるドナウ連邦で魔女とは消耗品だった。使い潰す道具だった。
だから、ドナウの魔女は平然と薬物を投与され、奇跡的に捕虜となっても離脱症状で発狂する。
滅茶苦茶、支離滅裂、自他との境界が曖昧な声を繋がれて、たまらず拳銃を抜いた。
≪死にたくない、こわい≫
戦場以外で魔女の断末魔を聞きたくなかった。
でも、脳漿をぶちまけた魔女の叫びは、なお聞こえ続けた。営倉の中に入っても。
薄暗い殺風景な営倉の中で、その幻聴から逃れるため私は書き込んだ。
≪こわいこわいこわい≫
≪落ち着いて、ポワレ≫
≪こわ、い……ポ、ポーラ姉様!?≫
だめだ。
聞こえないフリを続けることができなかった。
5番機に乗るリュシー・ポワレは小動物みたいに臆病で、とてもじゃないけど空戦専属魔女には向いていない子だ。
魔女の適性がなければ、空戦機動に耐えられる身体能力がなければ、普通の女の子でいられたのに。
≪ごめんね。盗み聞きするつもりはなかったんだけど……≫
≪こちらこそ申し訳ありませんでした!≫
≪謝ることないよ。初実戦だもんね≫
≪こ、これは敢闘精神に反し、ますか?≫
私たちが属するヴェルアーブル騎士団のモットーは『勇敢に、より勇敢に』だ。
ポワレから伝わってくる恐怖と絶望は、そのモットーと対極にあるものだろう。
それが正常なんだよ、と言えれば良かった。
≪今、ここにいるだけでポワレは敢闘しているよ≫
≪それは……≫
ありきたりな言葉しか私は言えない。
それでも感情の揺らぎが紐越しに伝わってきて、いかにポワレの心が不安定になっているか分かる。
無理もない。
急遽編成に組み込まれたポワレたちは実戦経験がなかった。
それで、ドナウ連邦きってのエース、隊の半数を殺した紅い彗星と戦わなければならない。
それだけでも絶望的だが、こちらが5機編隊に対して敵編隊は7機だった。本島から増援が来るより敵の増援の方が早かったのだ。
≪わ、私は逃げる勇気もない……ただの臆病者なんです≫
≪臆病でいいと思うよ≫
≪え?≫
≪私たちは戦闘機の目と耳なんだ。危険に敏感じゃないと務まらないよ≫
いつか聞いたハボクック氏の言葉を一部お借りして、ポワレを励ます。
本当は、励ます資格なんてない。
ないけど、ポワレは僚機の魔女だ。この調子だと困る、主に私たちが。
≪今ここに在り、敵を探す。それだけでポワレは敢闘しているんだ≫
≪ポーラ姉様……≫
≪だから胸を張って、ね?≫
≪は、はい≫
幾分か揺らぎが治まったポワレと繋がった紐を解く。
湧き出てくる自己嫌悪から目を逸らすように、出撃してから11回目となる索敵に意識を向ける。
イメージだ。
平面な板の上に水を溢す。その水が避けた突起、流れに逆らう
暗黒の世界に軌跡を描いて飛ぶ蒼い焔。
その生命の気配を、しかと捕まえる。
──数は変わらず、距離20000。
魔女の備える異能で見えた現実。それが覆る奇跡は起こりそうにない。
重い瞼を持ち上げて、透明な風防の向こう側へ視線を走らせる。
真っ先に思ったのが、編隊の拙さ。昨日まで私が見ていた編隊は綺麗な三角形を描いていた。
溜息を飲み込んで、前席の相方に声をかける。
「クレール、敵編隊まで20000」
「まだ、遠いね」
伝声管から返ってきた声には覇気がない。萎びたヒマワリみたいだ。
昨日よりは良いけど、本調子からは程遠い。
怒るか悲しむかなら後者、そういう子が多かった。
「今日はリヒートを使用していないからね」
「うん」
「昨日は燃料計を睨みながらで空戦に身が入らなかったけど、今日は大丈夫そうだ」
「……ポーラは、その…怖くないの?」
島にいる時、言い淀んでいたことは
ヴェルアーブル騎士団3番隊のエース、クレール・ラヴィスは敗北を知らなかった騎士だ。
騎士団のモットーを体現するような相方から、こんな質問を投げかけられるとは思わなかった。
「……ずいぶん前だけど、言ったよね。死ぬのは怖いし、戦争はうんざりだって」
「知ってる……知ってるけど! でも、ポーラは、いつも通りで──」
「とても怖いように見えない?」
伝声管は沈黙した。これは肯定ということだろう。
怖いように見えないのは当然だ。私は嘘で外を取り繕っている。
ちっぽけな自尊心を満たすために、頼られて、姉様と呼ばれるポーラ・ヴァローを演じている。
内は死ななかったことに安堵し、これから訪れる死の気配に怯える自己中心的な薄汚い魔女だ。
「恐怖で縮こまれば、待ってるのは死だよ」
「それは……」
これは本音だったが、すべてが嘘より信じさせやすいという打算がなかったと言い切れるか。
自己嫌悪を押し殺して、伝声管越しにクレールへ語りかける。
私の生命は操縦桿を握る彼女のもの。ここで奮い立ってくれないと二人仲良く死ぬのだ。
つくづく自己中心的な理由だった。
「クレール、私は復讐とか柄じゃない。だからって、今は悲しむ時でもないと思ってる」
「今は……ポーラは、勝てると思ってるの?」
「負ける気はないよ。負け越しは大嫌いなんだ」
負け越しが嫌いなのは本当。負ける気がないというのは嘘。
敵のエースに加えて、数的不利、実戦経験のない僚機。はっきり言って勝機は薄かった。
でも、生還を諦める気はない。
戦災孤児の頃と同じだ。空腹も、暴力も、ただ甘んじて受け入れたくはない。
「本当の敵は、諦めだ……なんてね」
「どうやって勝つ? 数的不利なんだよ?」
「初陣の日、4対2で勝ったんだ。なんてことないさ」
なんてことないわけがない。あの時ほど死を身近に感じたことはなかった。
正直、二度とごめんだ。
でも、今は嘘でポーラ・ヴァローの外を取り繕う。次にクレールが使う強い言葉を否定するために。
「なら、ドナウの、紅い彗星は!? あんな怪物に勝てるわけ──」
「紅い彗星の強さ……というか手品、見当はついてるんだ」
初敗北が劇的だったクレールは、私以上に紅い彗星を強く意識していたみたいだ。
伝声管越しに息を飲む気配。
私にしてみれば、ドナウ連邦の戦闘機はもれなく恐怖の対象なんだけどね。
「本当に……?」
「確証はない。でも、確信してる。ぶっつけ本番で立証なのが悔やまれるね」
確証がないどころか、私自身も信じ切れてはいない。
妄言の類と一蹴される突拍子もない馬鹿げた話。だから、出撃前に言わなかった。
それを、さも自信ありげに言う。
「空戦で負けなしの騎士と賭け事で負けなしの魔女が組んでる」
私は嘘吐きのどうしようもない魔女だ。
勝機の薄さを嘆く内心と乖離する言葉で、相方を扇動する。
「勝負してみない?」
沈黙。
それは当然の反応だった。
紅い彗星を墜とせた者はいない。数多の騎士や魔女が頭を捻って、だ。
──元戦災孤児の魔女の
陽の光が嘘吐きの私を責めるように天上から強く射す。
一度、吐いた嘘は戻せない。だから、待つ。
長い沈黙があった。
「……分かった。やるよ」
沈黙を破った相方は驚くほど落ち着いていて、理由も聞かずに私の案に乗った。
この感じ、よく知っている。
いつも嘘吐き魔女に背を預ける騎士だ。
良家のお嬢様で、干芋が好物で、私より背が1cmだけ高くて、優しくて、負けなしの騎士。
「手品の種、聞かなくてもいいの?」
「うん、ポーラの導きは外れたことがないから」
よく知る相方の溌剌とした声だった。
完全復活とはいかないけど、それで良い。これ以上は無理。
後席に備えられた高度計を確かめてから、異能で敵編隊を見る。
本日12回目。連続使用の記録更新中だ。
頭痛が酷い。
異能の連続使用は寿命を縮めるらしいけど、使わない選択肢はない。未来より今だ。
──数は変わらず、距離10000。
何度確認しても7機。当然、増えたり減ったりしない。
魔女の異能とは絶対的で、個人で強弱の差はあれど欺くことはできない。
それが魔女と共に発展してきたヤマト共和国の常識だ。
『ジャミング装置を搭載した電子戦機……とは違うけど、捕捉できない特殊な機体とか』
魔女の異能を欺く戦闘機なんて聞いたことがない。だから、存在しないなんて早計だ。
彼らの助言を見て、思い当たる節があった。
『交戦中に横槍を入れるだけで効果的な奇襲になりそう』
『目視されないよう接近するなら下方からかな』
『単独に見せかけるなら、いちいち離脱しねぇとペテンがバレる』
下方からの一撃離脱による奇襲──紅い彗星は、その戦術を多用していた。
ドナウ連邦のT19イロンデルは加速力と上昇力で、こちらのジャヴェロットC3を凌駕する。だから、常に高度優位を生かした一撃離脱が基本だった。
私たちは急降下で対抗し、僚機と連携した格闘戦で仕留める。
どちらも得意な戦術で戦いたい。我慢比べになる。
それを崩したのが、紅い彗星だ。
イロンデルの改良機なのか、凄まじい上昇力で下方から襲い掛かってくる。
しかし、最も恐ろしいのは攻撃頻度の多さと奇襲の正確さだった。
まるで複数機いるような──いや、いるのだ。
戦場に残影を描く紅い彗星なんて異名は、今日でドナウのペテン師に改名させてやる。
そう、自分に言い聞かせた。
敵編隊か、その下方にいるはず。
完全に魔女の異能を欺けるのか、それは分からない。微かでも残滓を探す。
13回目の索敵。
頭痛を誤魔化すため──意識を研ぎ澄ますために目を閉じて暗闇に沈み込む。
復讐なんて柄じゃないのは本当。でも、戦争だから仕方ないなんて嘘。
自分が死ぬのも、知り合いが死ぬのも、まっぴらごめんだ。
必ず見つける。
『ただ、後ろだけは向くな』
違いない。
暗闇の世界で生命の焔を数える。
3番隊の編隊、ドナウ連邦の編隊、背後のヴェルアーブル諸島群、鳥の群れ、そして眼下のエテールシュマン。
エテールシュマンは生命ではないが見える。現実では不可視、ここでは煌々と輝くエネルギー流だ。
島や船の浮力であり、島と島を繋ぐ道。だから、領有権を巡って戦争が起こる。
忌々しい光の帯だった──9時方向、エテールシュマンの表層、不自然な
一瞬だった。
でも、それは確かにいた。
潜水艦のようにエテールシュマンへ潜った後退翼を有する戦闘機の影。
見間違えようがない。
T19イロンデルだ。
「クレール、手品が割れた! 9時方向、距離4000、エテールシュマンの中に新手!」
「了解!」
目を開けて、しっかりと手足で体を固定する。
すぐさま世界が直角に傾き、水平線が頭上を流れ出す。いつもの綺麗な旋回だ。
私が僚機に警告を伝えるより先に相方は動いた。
空戦で距離4000は、目と鼻の先。こちらに高度優位がある今、先制攻撃は譲れない。
≪ポーラ、何事ですの!?≫
すっ飛んでくるグレース・ラプノーの声。
旋回を終えて水平飛行に移る。その時には編隊が随分と小さく見えた。
ひっくり返した紙飛行機みたいなシルエットしか分からない。
≪紅い彗星の手品が割れたよ。エテールシュマンに僚機を潜ませていたんだ≫
≪ちょ、ちょっとお待ちなさい! まさか今まで索敵を、いえそれよりも──≫
≪奇襲を受ける前に叩くよ≫
≪ただでさえ、こちらは寡兵なんですわよ!?≫
機体が加速したのを全身で感じ取る。
まだ、紅い彗星と決まったわけではない。でも、今は強い言葉を使う。
もはや数的不利は揺るがない。それでも別働機との挟撃を阻止する意義はある。
≪グレースの指揮なら大丈夫。オーレリア直伝なんだから≫
グレースには酷なことを言っている。無理難題もいいところだ。
高度計と速度計の針がクルクルと回る。
≪ええい、もう! みなさん聞きましたわね! ポワレはセリエールと、ルヴォアは私と組みなさい!≫
昨日の空戦を生き残った副隊長は、即座に意識を切り替えた。
さすがだ。私には真似できないだろう。
≪は、はい!≫
≪数的不利≫
≪新たな敵を我々で迎え撃つべきではないでしょうか!?≫
興奮、恐怖、困惑の入り混じった感情が紐越しに伝わってくる。予想外なことばかりの初実戦でごめんね。
クレールが機を右へ傾かせ、下方の視界を確保する。
エテールシュマンは不可視だ。そこには群青の海しか見えない。
≪それだと背中を相手に見せることになるよ、ルヴォア≫
≪しかし、単機では!≫
単機での空戦など自殺行為。そんな初歩を守れないなんて、とんだ教官もいたものだ。
やっぱり嘘吐きなんだ、私は。
再認識。
≪グレースに従って、生き残ることに集中するんだ。大丈夫、訓練と変わらないさ≫
気休めにもならない鼓舞で精一杯。それに対する返事は待てそうにない。
もう捕捉できる頃合だ。
おそらく、これが最期の言葉になる。
≪……エンゲージ≫
「見えたっ」
相方の声と同時に紐を解き、遅れて12時下方に機影を捉える。
まったく紅くない。むしろ群青に溶け込むような青い機影だった。
見たことがない塗装、不自然な巡航高度、その存在は限りなく黒。
そんなイロンデルが2機。
「仕掛けるよ、ポーラ!」
「後方良し、行け」
ほぼ無意識のうちに後方確認を終えて、相方の背中を押す。
次の瞬間、天地が真逆になって、頭上には群青の海。
血液が頭に押し寄せる感覚に耐えながら、通り過ぎる2つの青い機影を睨む。
散開する気配はない。
機首が群青へ向き、それから青い影の背後を差す。
──急降下。
体が座席に押し付けられ、視界が狭まる。
高度計を確認。
刹那、エテールシュマンに飛び込む。
魔女の異能の全てが途絶えると同時に、主翼の30mm機関砲4門が咆哮を上げた。
射撃は一瞬で、敵の機体は絶望的なほど破壊された。
「1機!」
閃光、爆発音。
機体が浅い上昇角を取った。
無理やり首を曲げ、通り過ぎる敵機を見る。
1機は黒煙だけ残して四散、もう1機は距離を取るように斜め上方へ旋回していた。
息苦しさを無視して、風防に張り付いて機動を目で追う。
「敵は上昇しながら8時方向へ逃げるっ」
「了解!」
こちらは速度で優位に立っている。今のところは。
加速は向こうの方が優れていた。立て直される前に墜とす。
機体がクルリと回転し、斜め下方へ降下しながら旋回。
血液が足先へ押し寄せる。
高度は失うが、速度を得て敵機へ一直線に突っ込む。
背後の、それも下方は死角だ。
エテールシュマンを脱した青──紅いイロンデルは機体を傾けて、ようやく私たちを見つけた。
そして──後先を考えない急旋回。
それは、ジャヴェロットC3相手に禁じ手だ。
紙飛行機みたいに幅の広い主翼は風を多く捕まえて、鋭く曲がる。
機首の切っ先が紅い影を追い、すかさず30mm機関砲が唸った。曳光弾が空を切り裂き、星の描かれた後退翼を貫く。
根元から主翼が吹き飛んで、紅い破片が飛び散る。
おしまいだ。
≪いやあぁぁあぁ──≫
頭の中に鳴り響く魔女の断末魔は、エテールシュマンに突入したことで途絶える。
耳を塞いでも聞こえてくる絶望と恐怖の断末魔。
それを少しだけ長く聞かなくて済むことに安堵する。
「2機……これが紅い彗星?」
機体を水平飛行に戻して、クレールは拍子抜けという声色で言った。
たしかに手応えがない。
しかし、青から紅へ変色したイロンデルを見たのだ。あれが正体でなければ、なんだという話だ。
常に奇襲する側は奇襲されたことがない。ひとまずは、そう解釈する。
今は究明よりも救援のため、すぐ戻るべきだ。
「拍子抜けで結構、早く合りゅ──」
殺意だ。
背後から来る。
後写鏡に映った紅い影。
「回避!」
視界が半回転し、すぐさま体を座席に押し付けられる。
急旋回に移った。
頭の上、その少し後ろ、紅いイロンデル、追従してきている。
開かれた空気取入口は死神が笑っているようだった。
砲口が光る。
当たらない。角度が悪い。
「新手!?」
「分からないっ」
声を絞り出しながら、風防に張り付いて背後を見る。
既に紅い影は主翼の下に潜り込んだ。間違いなく突き上げてくる。
「腹の下!」
返事もなくクレールは旋回中の機体を半回転させて、エテールシュマンへ突っ込む。
世界が回る。
それでも風防から離れず、背後を見続ける。
紅いイロンデルは少し大回りな機動だったが、剥がされず追ってくる。
「切り結ぶよ!」
「分かったっ」
視界が一回転し、降下から一転して急上昇。
T19イロンデルの加速は脅威。しかし、必ずしも長所とは限らない。
背後には少し大回りしながら追従してくる青い影。
まだ、砲口は明後日を向いている。
「今!」
視界が回り、群青に向かって落ちる。
追従しようとした青のイロンデルは、目の前を横切る私たちに機関砲を発射した。
だが、当たらない。
クレールは機を水平に戻しながら、円を描くような機動を取った。
最短ではなく、あえて迂遠な、余計な距離を必要とする機動。それは速度と位置取りの調整だ。
──こちらと真逆な姿勢の青いイロンデルと交差する。
交差した瞬間、反転して青い影を追うように旋回。
再び頭上に捉えた影は、こちらの意図に勘付いたらしい。
反転はせず、上昇機動を取った。
このまま付き合えば、私たちの前に飛び出す羽目になるからだ。
「クレール!」
「仕切り直す!」
イロンデルの背後に切り込むよう旋回してから、直進で遠ざかる。
風防に張り付き、青い影を目で追う。
縦方向に大きく円を描く旋回を終え、こちらの背後に再び機首を向ける。
高度優位は向こうが握った。
「でたらめな上昇力だな…!」
異能の連続使用に加えて、空戦機動の連続で私のコンディションは最悪だ。
頭痛は無視して、ただただ呼吸を整える。
速度計を睨む。旋回の連続で速度を失って、これでは振り切れない。
紅い影が距離を縮めてくる。
まずい。
「……ポーラ、あれはどう?」
あれ、と言われましても。
空戦に入るとクレールは語彙力が下がる。頭痛が痛い。
言いたいことは分かるけど、私じゃなかったら分からないよ。
燃料計を見る。1回が限度ってところだった。
「燃料は、あるね……いいよ、見せてやろう」
「よし!」
紅い彗星かは分からない。でも、背後の紅いイロンデルは間違いなくエースが乗っている。
だから、ここで墜とす。
「タイミング、任せる!」
「任されたよ」
失敗の可能性は考えない。このまま逃げ回っても勝機はない。
イロンデルが浅い角度で降下を始め、みるみる距離を縮めてくる。
「来る」
こちらも合わせて降下、それでも距離は縮まる。
青い機首が瞬き、すぐ頭の上を曳光弾が駆け抜けていく。牽制にしても良い腕、死ぬかと思った。
速度計と背後、忙しなく視線を往復させる。
「用意……」
T19イロンデルの弱点は弾数が少ないこと。相手は確実に機関砲を命中させたい。
さっきの牽制は投資だ。
笑う死神が近づいてくる。馬鹿みたいに大口を開けた死神だ。
精々笑っていればいいさ。
度肝を抜いてやる。
私の心臓が破裂する前にね。
「今!」
合図と同時に急激な機首上げ。
風を受ける凧のように機体を垂直に立てて急減速を行う、高度によっては事故待ったなしの曲芸。
そして、クレール・ラヴィスの十八番。
足に全身の血液が集中する感覚に耐え、視線は死神を追いかける。
青いイロンデルが尾翼の下を潜っていく。
「行け、クレール!」
機首を下げ、水平へ戻した機体の速度は絶望的な値。
意表は突かれたが、幸いとばかりに直進で逃げる敵。
追撃は無理か──いや、ジャベロットC3にはT19イロンデルにはない武器がある。
ジェットエンジンの排気に燃料を吹きつけて燃焼させ、推進力を得るリヒートだ。
緊急時に推進力を得るための常用厳禁な代物が、文字通り火を噴く。
座席に沈み込むような加速。
追撃者の接近に気が付いた青いイロンデルは、不用意な上昇角を取った。
それは、こちらに対して最も面積が大きく見える角度だ。
「もらったぁ!!」
30mm機関砲4門が唸る。
針路を塗りつぶすように放たれた曳光弾の輝き。
その渦中へ突っ込んだイロンデルは、主翼が弾け飛び、エンジンを貫かれ──炎を纏って四散する。
後に残された黒煙を突き破って、私たちはエテールシュマンを飛び出した。
「やった……」
リヒートを停止させ、水平飛行に戻って、それから一拍置いてクレールは呟いた。
「みたいだね」
後方と下方を何度も確認して、ようやく私は答えた。
もう限界だ。
頭痛は酷いし、私の蚤の心臓は今にも破裂しそうだった。それから燃料もない。
「やったよ、ポーラ! 勝ったよ!」
「うん、うん」
クレールは初撃墜の時みたいな喜びようだった。島に降りたら鯖折り待ったなしかな、これ。
ごめんよ、余裕がなくて。生き残った安心感で昏倒しそうなのを取り繕うので精一杯だ。
でも、まだ終わってない。
今から救援は間に合うだろうか。正直、戦力外な有様だけど。
グレースたちは──
≪ポーラ、無事なら応答してくださいまし!≫
≪ポーラ姉様、どこですか!≫
≪姉御≫
≪ヴァロー教官!≫
ルヴォア、今の私は教官じゃないよ。
脱力感に襲われて、危うく意識が落ちるところだった。いけない、島に帰れなくなる。
帰るまでが遠足です、だっけ。
≪紅い彗星墜つ……なんてね。こちらポーラ、我健在なりや≫
ちょっと冗談めかしに言ってみたら、繋がった紐から洪水みたいに感情が流れてきた。
言葉で形容するのは野暮な、善意の集大成みたいな温かい感情だ。
もったいないよ、嘘吐きの魔女には。
美少女×戦闘機アニメに影響されて執筆した第2世代ジェット戦闘機主役ハートフルボッコファンタジー。文字通り正気に戻った作者により無事、没作品となった。