ID:yosiSS2023 LOG:2023/1/16
『ころせる』
心許なかったバッテリーを使い果たし、iPhone12は沈黙する。
暗転した画面に映る私の顔は別人みたいだった。
あれだけ取り乱していたはずなのに、今の私は能面みたいに無表情だった。名残は目尻の涙だけ。
誰なんだろう、この人。
──乾いた銃声。
初めて聞いた時は体が硬直した。でも、離れているからか今は平気だ。
立て続けに、しかし理性的な頻度で銃声が聞こえてくる。
サトウさんの得物、HK417は対人用のバトルライフルだ。
Ⅳ級パンタシアを相手取るには威力不足な代物。
射程と手数はあるけど決定打に欠ける。特に今回のような相手には。
「HK417?」
知らないはずの単語、それに付随した知らないはずの知識。
思わず口に出し、確認して、ふと思い至る。
薄い扉を挟んだ先に、アレがいる。
私を執拗に追ってきたアレ。ずりずりと臍の緒を引き摺るアレ。
すぐ背後にいる。
恐怖が全身を支配──
することはなく、私は抱え込んでいたM870の状態を確かめていた。走り回っている最中、銃身を壁に当ててしまったからだ。
恐怖で身を縮めるより反撃の手段を確認する私は、きっと、どうかしている。
アレは私を見つけている。今更、騒いだところで変わらない。
いますぐ襲ってこないのは──
「楽しんでいるから……よし、いける」
問題はなさそうだった。
LEDライトとフォアグリップを装着してあるし、ストックは取り外してある。シェルホルダーが無いのは不満だったけど、それだけとも言える。
まるで私の要望を聞いて用意されたような1丁だった。
ただ、パンタシアに致命傷を与えられるレース弾頭が8発しかない。
「まただ」
知らない事を知っている。
どこか懐かしさを覚える匿名掲示板に書き込んでから、私はどうかしてしまった。
恐怖のあまり感情が飽和してしまったわけではない。
自分でも驚くくらい頭が冴えている。
なのに、この異常事態を平然と許容してしまっている。
いや、パンタシアは許容していない。
「どうして?」
どうしても。
臍の緒を辿り、第97号を殺す。
「どうやって?」
背後にいるモノは、おそらく第97号ではない。
しかし、
この手探りの状態でどうやって──大丈夫、殺せる。
確信。
燻っていた疑問が薄まり、ただ殺せると思う。
どうかしている。
だからといって対処法なんて思いつかないし、今は逆らわず流された方が良い気がする。
殺さなかったら、殺される。
なら、殺す。
殺せるなら、殺す。
「やるしかない…か」
ゆっくりと立ち上がり、M870のフォアグリップを握ると驚くぐらい手に馴染んだ。
中学生の頃、ほぼ毎日握っていた竹刀でもこうはならない。妙な安心感を覚えながら、身なりを改めて見る。
すっかり汚れたリクルートスーツは明らかに場違い。
ヘルメットは紛失して、癖毛だらけの黒髪がちくちくと鬱陶しい。
主張が強い胸のせいで防刃ベストは窮屈に感じる。
「はぁ…」
これから荒事だというのに、私の背格好は不向きにも程がある。
とは言え、どうしようもない。特に身体的特徴。
気を取り直して、しっかりM870を保持。狭い空間での取り回しを脳内でイメージする。
大丈夫、
これからすべきこと、障害は回避し、無理なら排除して、臍の緒を辿る。
そして、第97号を殺す。物理的干渉力しか持たない今、殺す。
「よし」
片手で扉のロックを解除。
耳障りな金切り声をさせて内側へと扉が開く。
そして──臭いが入り込んできた。
体にまとわりつくような饐えた、汚物としか言い表せない臭い。
息を止めたくなる臭気。
銃口を向けた先に、筋肉質な脚が見える。
体毛の類は一切なく、体表には血管が薄く浮き出ていた。
大きな1対の角で天井を擦り、ぬうっと細長い頭を傾けた。
落ち窪んだ眼窩で、ぎょろぎょろと動く目は、人間そのもの。
男性の目だ。
目が合う。
ソレは笑う。
この世にあってはならないモノ。
人智を超えた超常的存在。
「1発目」
すっとトリガーを引いた瞬間、蒼白い炎が世界に溢れた。
腐った柿を地面に叩きつけたみたいに、ソレの頭は弾ける。
狙いの外しようがない。
「うぇっ汚っ」
飛び散った諸々を避けられない距離だから。
でも、肩に引っかかった目玉を払ってはいられない。
すぐ脇を潜り抜けて、フォアグリップをスライド。
空薬莢を吐き出して、次弾を装填する。
頭を吹き飛したソレは直立不動、まるで首だけ切り取った写真みたいだ。
ただ、首の断面は別種の生物みたいに蠢く。
ミミズが群れているような、背筋がぞわぞわしてくる光景。
本体じゃないから死んでいない。そのうち頭が生えてくるだろう。
とにかく出口へ走る。
ここは逃げ場がない。あるとしたら、出口と反対方向にある窓。
廊下へ飛び出す直前、ぶちぶちと何かを破るような音と──
≪コノアト豸医f繧九%縺ィナカレ≫
人ならざるモノの声が聞こえた。
もう頭が生えたらしい。
廊下へ飛び出して、左右へ視線を飛ばす。
内装の剥がされた殺風景な廊下は照明が一切無い。扉のない客室から射し込む光は闇を際立たせるだけ。
元はホテルではなかったのかもしれない。今にして思えば、間取りが滅茶苦茶だった。
足元で脈動する臍の緒、その根源がある方角へ銃口を向ける。
闇の中に一際暗い闇。
そして、鼻の曲がるような汚物の臭い。
≪莠コ鬘槭Υ蝟ー鬟スル≫
ひゅうひゅうと空気の抜ける音をさせながら発した言葉は聞き取れたものじゃない。
すかさずLEDライトを点灯させる。
真っ白な光が浮かび上がらせたのは、歯茎を剥き出しにして笑う怪物だった。
ひどく人間染みた笑みが嫌悪感を煽る。
でも、それだけだ。
数分前の私なら腰を抜かしていただろうけど。
「2発目」
棒立ちしている大きな的に12ゲージをぶつける。
蒼白い閃光が廊下を一瞬照らした後、首の皮一枚で繋がった頭を振り子みたいに揺らす影があった。
排莢、装弾、そして駆ける。
空薬莢がコンクリートの床に落ちると同時にトイレから足音が聞こえた。
首を定位置に戻そうとする怪物の脇を走り抜け、臍の緒を辿る。
ローヒールとはいえパンプスだから走り辛い。タイトスカートじゃなくて良かった。
場違いな感想を抱く図太さに内心驚く。
≪縺薙?縺ゅ→豸医f繧九%縺ィナカレ≫
もっと集中しよう。
背後の闇から重い足音が追ってくる。
それも恐ろしく速い。
みるみる距離を縮めてくる音の圧迫感。
迎え撃つには振り向く時間がいるけど──LEDライトに照らされていた臍の緒が横へ曲がる。
それに倣って私も半円を描くように曲がる。
≪人鬘槭Υ蝟ー鬟溘せ繝ォ≫
暴風が吹き抜ける。
後ろ髪を掠めたのは角か、歯だったのか。
確かなのは癖毛数本を持っていかれたこと。
頭よりはいいけど。
曲がる瞬間、足を滑らせかけたけど辛うじて踏みとどまった。
思うように体が動かなくて苛立つ。
踊り場の壁に一旦背中を預けて、深呼吸。
「ふぅ…よし」
止まってはいられない。
LEDライトが照らす臍の緒は7本。1階に2体、2階に3体、3階に2体いたから計7本。
1本でも相当だけど、束になると一層グロテスクだ。
踏んで転ばないよう階段の隅に足をかける。
階段を上る足音、階下より響く銃声──
サトウさんが2階で5体を相手取ってくれているうちに決着をつけたい。
第97号を殺すには最低でも4発はいるだろう。
レース弾頭は残り6発、上階にいる牡鹿を模倣し損ねたアレは6体いるはず。
13体という根拠はサトウさんから渡された資料だ。
一般社団法人『大和真理教団』の活動──おぞましい儀式──が第97号の発生原因とされていた。
この儀式に直接参加した男性は
全員が行方不明となっており、
パンタシアの活動によって遺体も残らなかった可能性が高いとされている。
本当にそうだろうか?
私は全く別の仮説を立てていた。
ただの大学4回生で、おそらく素人の私が。
でも、不思議と確信があった。
薄闇を駆け上がる一定のリズムを伴った足音と息遣いが思考をまとめる。
知らない知識、いや記憶を補強材料にして。
パンタシアは無差別に人間を殺害するが、それは必ずしも害意あっての行動ではない。
宗教的スタンピードで発生したパンタシアは、信仰という不可視の熱量が発生原因とされ、それを基礎とし、周囲に蓄積された情報から形を作り、存在を固定する。
信仰、つまり人の願望を基礎とするパンタシアは、その願望の成就を目的として行動する事例が多い。
『大和真理教団』の場合はどうか。
彼らが行った儀式の題目は、自然の克服あるいは自然への回帰と定まってはいなかった。
彼らの目的は
しかし、第97号が額面通りに受け取ったとしたら。
それを歪ながらも叶えてやったとしたら。
貧弱な人間ではなく、自然的象徴である鹿へと産み直し、頭が吹き飛んでも死なない生命力を与える──
そこまで考えて、ふと足を止める。
ちょうど4階だった。臍の緒が2本増えている。
ぴくぴくと脈動していて、こっちに向かってきている気配がした。
──これは2人で対処する案件じゃない。
正確には、現状の装備で対処する案件じゃない。
常に人手不足で新人関係なく即実戦が当たり前。
でも、だからこそ準備は抜かりなく行う。
それが生存率に直結するのは当然として、失敗すれば被害が拡大するからだ。
今回は絶対的にレース弾頭の数が足りない。いくら高価と言っても限度がある。
そもそも、私の格好が話にならない。せめて運動靴は用意してほしかった。
準備万端だったサトウさんは囮を引き受けて、ここにはいない。
状況は最悪だった。
私に不利な要素しかない。
この状況、まさか試されている──あの重い足音が、廊下と階下の両方から近づいてくる。
時間がない。
今なら手持ちのレース弾頭を使い切れば脱出は難しくない。
ここは一旦退いて、態勢を整える。
つまり、パンタシアを殺すのは諦めるということ。
いや、それはだめだ。
殺さなくてはならない。
どうしても。
大丈夫、殺せる。
だから──
≪人鬘槭Υ蝟ー鬟溘せ繝ォ≫
不快な鳴き声を振り切って、階段を上る。
段は飛ばさず、焦らず、しかし駆け足で。
どうかしている。
とても正気じゃない。
でも、殺さないと殺される。そんな強迫観念に突き動かされる。
≪莠コ鬘槭Υ蝟ー鬟スル≫
最上階の5階に着いて真っ先に廊下の床を照らす。
臍の緒9本が右手へと向かい、左手へ向かう臍の緒は見当たらなかった。
つまり、4体は行手を阻んでくるということだ。
律儀に1体1発とはいかない。
廊下へ出て、深淵を照らすようにLEDライトを奥底へ向ける。
≪人鬘槭Υ蝟ー鬟溘せ繝ォ≫
≪莠コ鬘槭Υ蝟ー鬟繧ケ繝ォ≫
まるで待ち構えていたように客室から生えてくる首、首、首。
離れていても吐き気を催す臭いが漂う。蛋白質の腐敗臭に混じるのは、磯臭さ。
客室の奥に何があるかは想像したくない。
そして、臍の緒は一番奥の客室へ続く。
絶対に殺さなくてはならない。
コンクリート剥き出しの廊下を、ひた走る。
≪莠コ鬘槭Υ蝟ー鬟スル≫
客室の入口に巨体が打ちつけられ、醜悪な鳴き声が廊下を満たす。
無謀は百も承知の正面突破、客室という檻から怪物たちが脱出する前に。
唾を飛ばす勢いで歯を打ち鳴らす1体目。
汚い。
目も合わさず通り過ぎ、器用に角を振る2体目を避けるため端へ寄って、なお走る。
息苦しい。
口の中に鉄の味が広がる。
今日は走ってばかりだ。
≪人鬘槭Υ蝟ー鬟溘せ繝ォ≫
3体目の脇を駆け抜けた瞬間、4体目が解き放たれた。
勢い余って対面にあった客室の扉を粉砕してから、私を見る。
そして、にやりと笑う。
気色悪い。
でも、足は止めない。
背後から続々と檻を脱した怪物たちの息遣いが聞こえてくる。
「来い、木偶の棒…!」
私らしくない啖呵を切ると同時に、駆け出すソレ。
まるで大型トラックが迫ってくるみたいだ。
数秒後には轢き殺されるか、噛み砕かれるか、悲惨な末路が待っている。
逃げ場は──ある。
集中。
筋肉質な四肢が力を蓄え、大きく開かれる口、愉悦の滲む目。
来る。
来い。
踊りかかってくる影の下へ、私は潜る。
全力疾走の勢いを殺さず、野球選手みたいに床目掛けて滑り込んだ。
野球選手と違うのは、M870を天井へ向けていること。
世界が滑る。
頭上を通り過ぎていく影へトリガーを引く。
蒼白い閃光が影の一際太い部分を両断し、諸々をぶちまけた。
頭に少し被った。
臭い。
でも、命あっての物種。贅沢は言わない。
「はぁ……痛っ」
滑り込んだせいでリクルートスーツが破れたらしい。この暗さでは確かめようがないけど。
すぐ立ち上がって、背後から迫る足音へ向き直る。
怪しく光る3対の目。
臍の緒が繋がる半身だけで足掻く同類を飛び越えようとする影。
走り出したら、すぐには止まれないもの。
排莢、装弾。
すかさず先頭の影、その真ん中へ12ゲージを叩きつける。
問答無用で弾け飛ぶ頭、硬直する四肢、そして背後から迫る同類──
怪物たちの玉突き事故は派手なものになった。
衝突の音は自動車事故さながら。
角と蹄、巨体の質量が凶器となって、それぞれを無茶苦茶に破壊した。
灰色の乾き切った廊下は前衛芸術の展示場に早変わりした、といえば惨状が伝わるだろうか。
「残り、4発…いける」
まさか2発以内で切り抜けられるとは思わなかった。
アクション映画のワンシーンみたいな鉄火場を潜り抜けたけど、上手くいった以外に感想はない。
まだ、終わっていないから。
呼吸を整えながら、フォアグリップをスライド。
≪コノアト豸医f繧九%縺ィナカレ≫
≪縺薙?縺ゅ→豸医f繧九%縺ィナカレ≫
不快な鳴き声を背に受けながら臍の緒を追う。
再生される前に第97号を殺す。
──それにしても、この殺意は誰のものなんだろう?
脈動する臍の緒を跨ぎ、客室に踏み込む。
足元には役目を終えたキャンドルが並び、解読できない文字が壁でのたうつ。
キャンドルは儀式のために並べたのだろう。
しかし、血で書かれた文字は人であった彼らが書いたものではない。
のたうつ文字の横に残された手形は、人の大きさではなかった。
なにより指の数が足りていない。
あの不快な臭いがベッドルームへ向かうにつれ強く、より強くなってきた。
何が飛び出してきても対処できるようM870を構え、ゆっくりと歩みを進める。
開けた場所。
ベッドルームの中央に気配。
「…誰デすカ?」
ようやく聞き取れる第三者の声への返答は、銃口を向けること。
闇を切り裂いて、LEDライトが照らし出したモノは、人。
おそらくは、人。
鳥居、十字架、魔法円が配された節操のない祭壇の中央に座る巫女装束の。
加害行動に出る様子はない。
でも、警戒を緩める理由にはならない。
「通りすがりの学生です」
こんな大学4回生がいるか、というツッコミは飲み込み、相手を観察する。
人間か、疑似餌か、パンタシアか。
「
「……あ、アぁあ」
鹿に扮するための装飾は白一色でありながら、どこか禍々しい。資料に添付された参考写真とは似ても似つかない異形の被り物。
それを被らされた巫女は弱々しくも声帯を震わせた。
「お願いシます。私ハ……ワタシを、桜を、どうか」
解読可能な日本語、敵意のない声色。
疑似餌特有の反射ではなく、言語を理解して言語を発している。
まだ、自意識が存在している。
彼女は、人間に思われた。
「コろしテ」
今に消えてしまいそうな声だった。
けれど、聞き取れなくとも彼女の意思を汲むことはできる。
両親が傾倒した『大和真理教団』の儀式に強制的に参加させられ、複数の男性と性行為を強要された16歳の少女。
そして、パンタシアの一部として組み込まれ、自意識を保ちながら器官として生かされる被害者。
「殺しテ、殺しテ、殺シテ殺しテ!」
頭を抱え、床いっぱいに広がる黒髪を振り乱して、ただ死を願う姿は痛々しい。
怪物たち──赤子と繋がる臍の緒は彼女の胎から伸びていた。
形容しがたい体液で汚れた
疑似餌ではなく、器官として機能させられている。
「分かった」
確認できた。
もう十分だ。
すべて分かった。
なら、彼女を苦しませる要因は壊しても構わない。
「ァァァァァァア──イや! 死にタクない!!」
声にならない絶叫のあと、齋藤さんは泣き叫んだ。
死を願っても、いざとなれば誰だって死にたくはない。
当然だ。
どす黒い血が撒き散らされるのを見ながら、私は次弾を装填する。
「許シテ!」
齋藤さんは何一つ悪くない。
だから、許しを請う必要はない。
「痛イのは嫌殺す殺ス殺す、いヤ!」
齋藤さんの声に混じって他者の声が無機質な殺意を放つ。
独りでに祭壇が振動を始め、撒き散らされた血液から黒々とした苔が生え出す。
危機を察知して空間に干渉し始めたらしい。
「殺す殺しテ殺ス死にタクない!」
「大丈夫」
殺すのは第97号だけだ。
この惨状を生み出した元凶を殺す。
私の中で意志が一致する。ずれていたパズルが正位置に戻った感触。
強い殺意を認識しながら、場違いなくらい穏やかな声が出せた。
黒に覆われた祭壇の中心で縮こまる彼女に照準を合わせる。
「私は」
こちらを恐る恐る見上げる齋藤さん、そして鹿の頭蓋骨。
人工の光によってベッドルームに浮かぶ少女の影だけが膨張し、歪み、蠢く。
お前は
「鹿の王、お前を殺す」
眼窩の奥で蠢く闇を睨みつけ、トリガーを引く。
蒼白い閃光が部屋を満たし──
「え…」
被り物の左角は粉々に砕け散った。
ぴたりと静止した齋藤さんとは対照的に、影は殺虫剤を浴びた虫みたいに痙攣している。
排莢、装填、発射。
続く2発目で右角を根本から吹き飛ばす。
勢いよく飛んだ角は壁へ叩きつけられて爆ぜた。
フォアグリップをスライド、小気味よい音と共に次弾が装填される。
LEDライトが照らし出す齋藤さんの影が元の大きさに戻った。
左角と右角は粉砕し、残るのは──頭蓋骨の眉間近くを照準。
宗教的スタンピードで発生するパンタシアは
本体は赤子でも、巫女でもなく、象徴あるいは偶像。
儀式のために用意された装飾品が信仰を得て、悪鹿伝説の主役に成り済ました。
しかし、空虚で汚れた信仰と鹿以外に共通点のない伝説は、半端な怪物を形作っただけ。
──砕け散れ。
最後の1発を放った瞬間、空間が歪んだ。
蒼白い光が屈折して、螺旋を描いていく。
直撃の寸前で弾道を逸らす気か。
でも、そんな小細工ではレース弾頭は止まらない。
発射された時点で
天井まで届くかに見えた螺旋が逆回転し、中心へ収束し、不可視の壁を貫通する。
「ァァああ縺ゅ≠縺ゅ≠縺ゅ≠縺!!」
人外の断末魔が齋藤さんの口から吐き出され、前触れもなく第97号は爆ぜた。
ガラス細工が割れるみたいに、無数の破片になって。
床へ飛び散った破片は、瞬きの後には消え去っていた。
まるで初めから存在していなかったように。
祭壇に残されたのは饐えた臭いと生存者。
──鹿の王は呆気なく死んだ。
静寂の戻ったベッドルームに無骨な排莢の音を響かせる。
「え、え、私……生きてる?」
空薬莢の落ちる音に反応した齋藤さんの第一声。
茫然としているけど、生きている。
良かった。
本当に良かった。
銃口を下げて、LEDライトの光を齋藤さんから逸らす。
現実離れした紅色の大きな瞳に、際立って白い肌。
強い光量を浴びせるのは、よろしくない。
「もう大丈夫ですよ」
声に出した瞬間、どっと押し寄せてくる疲労感。
思い出したみたいに全身が痛みを訴えてくる。筋肉痛待ったなしだ。
でも、齋藤さんの状態を確認するまでは我慢。
「痛いところはありませんか?」
ゆっくりと怖がらせないよう歩み寄って、しゃがみ込む。
事態発生から1年近く飲食の機会はなかったはずだけど、健康状態に問題はなさそうに見える。
そう、健康状態は。
「はい…痛いところは、ないです」
そう答えた齋藤さんの頬を一筋の涙が伝った。
「痛かった、です…痛かった……」
一度流すと止まらなくなって、次々と涙が溢れ出す。
どれだけの苦しみだったか、私は知らない。
パンタシアの一部にされ、救助は望めず、それでも生かされる絶望が、どれほどか。
私は知らない。
今は臭いも汚れも無視して、そっと細い肩を抱く。
パンタシアの残滓が残っているかも──齋藤さんは人間なんでしょ?
彼女もパンタシアを生み出し、願った側だと私は考えている。
一斉摘発された『大和真理教団』の元団員の証言から一連の性行為に同意はなかった。
つまり、儀式を騙って齋藤さんへ振るわれたのは性暴力だった。
男たちか、関係者か、巻き込んだ両親へ憎悪に近しい感情を抱いたはず。
死すら願ったかもしれない。
パンタシアの最も近くで、最も強く願ったのは齋藤さんだ。
ただ男たちの願いを叶えてやるなら、産み直すなんて手間は取らない。
超常的存在として再誕する結果と人間として死を与える機会は同時に存在し得る。
だから、第97号は同時に叶えることにしたのではないか?
あくまで私の想像であって、真実は異なるかもしれない。
でも、無から有を生み出せるパンタシアが、あえて彼女の身体を利用した理由は、願望を歪に解した結果なのは間違いない。
だから、離れるべき──できると思う?
見覚えのない記憶が脳裏を過っても聞く気はなかった。
「大丈夫、大丈夫だから」
パンタシアの一部にされていた齋藤さんが人間であるかは分からない。
でも、だからといって突き放すことはできない。
しっかりと私に抱き着いて、声にならない嗚咽を漏らす齋藤さんを。
危険──だとしても。
せっかくの助言を断って、私は左手で齋藤さんの背中を優しくさする。
それでも右手はM870を握ったままなのは、せめての抵抗なのだろうか。
膝をついたコンクリート剥き出しの床は冷たいけど、齋藤さんは温かい。
押し付けられた胸から感じる鼓動は私より早い。
背中に回された手は華奢な見た目通りの力しかない。
──これで人間じゃないなら何だと言うのだ。
次第に嗚咽が収まり、呼吸が穏やかなものになってきた。
1分か、10分か、時間感覚の鈍くなる薄暗いベッドルーム。
いつのまにか齋藤さんは抱き着いたまま寝入っていた。
「大丈夫だったでしょ?」
すっと右手が軽くなり、M870を握っていた力が弱まる。
つける薬がないと呆れられただろうか。
いや、誰に呆れられるというのだろう?
──穏やかな寝息に耳をすます。
これから、どうしよう。
体の節々が痛い。
床に滑り込んだところが特に痛くなってきた。
あんな博打をどうしてやろうと思ったのか。
成功したからいいものの一歩間違えれば踏み殺されていた。
何度も頭を噛み砕かれかかったし、生死の境を反復横跳びしていたぞ、私。
よく生きていたと思う。
今更になって手が小刻みに震えてくる。
安心したら、忘れ去っていた恐怖心が蘇ってきた。
「新入り」
突然、背後から声がしたものだから心臓が止まるかと思った。
振り向くと入口に人影。
恐る恐るLEDライトで足元を照らすと無骨なブーツが目に入り、サトウさんだと気が付く。
体中に色んな装備を取り付けているのに、まったく物音がしなかった。
いや、それよりも──どうして
「さ、サトウさん?」
私じゃない。
齋藤さんを狙っているんだ。
パンタシアの一部であったモノは危険だと忠告されたばかり。サトウさんが知らないはずない。
彼女を射線から庇うと銃口が追従して動く。
恐怖で全身が強張りそうになるのを耐える。
「お前は
「は、はい!」
「ふむ」
反射的に答えた。
答えざるを得なかった。
口元はマスクで隠されていて、サトウさんの表情は読めない。
蜘蛛みたいなゴーグルのせいで視線も分からない。
銃口と会話している気分だった。
「
「はぃ!」
「呼吸は?」
「してます!」
「体温は?」
「へ、平熱だと思います!」
銃口と睨み合って、震える喉から声を絞り出す。
嘘を言えば、撃たれる。
揺れない銃口からは感情を感じない。無機質で、無慈悲だ。
それでも退けない。
次は何が来るのかと身構える。
「身長は?」
「160cmくらい、です!」
「体重」
「え、え? わ、分かりません!」
「そうか」
何を確認しているのか分からない。
だからこそ、真面目に答えた。ただ必死だった。
微かな足音を立てて、近寄ってきたサトウさんは──
「生存者1名保護……さすが社長、全て
ゆっくりと銃口を下げて、顔を合わせた時と同じ声色で独りごちた。
ゴーグルを上げたようだけど、やっぱり薄暗いベッドルームでは表情まで読み取れない。
「悪かったな、新入り。まさか生存者を保護してると思わなくてな」
「い、いえ、大丈夫です…」
リラックスした様子のサトウさんを見て、ようやく終わったのだと思った。
それで緊張の糸が切れ、堪えていたモノが溢れ出してくる。
恐怖の連続だった。
面接会場からの拉致に始まり、怪物に追われ、やむを得ず戦う。一生分の恐怖を味わったに違いない。
齋藤さんの次は、私が泣く番だった。思ったより涙は出なかったけど。
でも、これで生きて帰れる。
「合格だな、文句なしの」
「ご、合格?」
予想外の言葉をもらって鸚鵡返しに聞き返してしまった。
何を合格したのだろう?
何を受験していたのだろう?
抵抗という抵抗もせず状況に流されてきた私は。
「面接試験だよ。受けに来てただろ?」
「え?」
意味を理解するのに、1分ほど時間を要した。
エントリーシートの内容一つも聞かれてません。
そもそも面接官に会っていません。
それにサトウさん、今日が初仕事だって言いませんでしたか?
「初仕事だったのでは…?」
「新入り、細かいことは気にするな」
細かくないと思う。
仮に試験だとしても、一切の説明もなく廃ホテルまで連れて来られて、正体不明の怪物と戦わせる試験なんて聞いたことがない。
そんな面接試験あってたまるか。
もしかして、私は就活からの現実逃避に夢を見ている?
パンタシアなんて聞いたこと──ないはずだけど、なぜか知っているし、銃を普通に扱って戦えたし、私は一体全体どうしてしまったのか。
疲れ切った頭でも分かる異常性だ。
混乱が混乱を呼び、私の脳はショート寸前だった。
「生存者は回収係に任せるとして……まずは──」
目線を合わせるため膝をついたサトウさんは、それはもう満面の笑みだった。
「吉田セキュリティサービスへようこそ、八神理子」
笑顔で告げられる
引っ込む涙。
引き攣る口元。
私は、とんでもない会社に来てしまった。
超常的存在と戦う組織の下請けに就職してしまった一般人の日常になる予定だったが、一般人(笑)のバトル怪異譚になったため速攻で没にした作品。
作者は偉大なる先人たちを見習って、どうぞ。