マックイーンとオリトレの話です。

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砕けそうなほど手を握り

 彼女との出会いは夜のターフだった。いや、正確に言えばそれよりも前に一方的ではあれど、知っていたといえばそうなのだが。

 

 とにかく、彼女との初対面はそこだったのだ。

 

 トレセン学園に来る前、名家の秘蔵っ子、メジロマックイーンが同じタイミングでデビュー予定だというのを耳にした。僕にはそれがひどく気になって、彼女のレースは必ず見に行こうと、門を叩くとともに心に決めていたのだ。

 

 当日。そんな彼女のレースは”素晴らしい”とは言えないものであった。実際、周囲のトレーナーは前評判ほどではないとばかり宣っていたりしていたし、正直走りだけを見ればその評価を覆すこともないだろう。

 しかし、僕にはそんな彼女の様子がとても印象的だったのだ。もっとも、それも入学前より知っている存在であった、というのが大きかったのかもしれないが。

 

 その後のこと。日は落ち、暗くなり始めているというのに、僕は彼女の姿をターフに認めたのだ。その走りは精彩を欠き、焦りが伝わってくるものだった。僕は思わず彼女に声をかけたのだ。

 

「君、練習かい?」

 

「ええ。ところであなたは……すみません、どちら様ですか?」

 

「今年からここでトレーナーをすることになった板倉和樹だよ、メジロマックイーンさん」

 

「あら、板倉さんのご子息であられますのね。トレーナー……ということは、私のトレーニングをご覧になられるために足を運んでくださったのでしょうか?」

 

「まあ、そんなところ」

 

「であれば、一つだけお聞かせ願いますわ。どうして、私なんかにこうして声をかけてくださったのですか?今日のレース、私はひどい走りを見せてしまいました。それこそメジロの名に泥を塗るかのような。ですから、どうして私に興味を持ったのか教えていただきたいのです」

 

「しいて言うなら心の在り方、ってところかな。レース直後の君の様子もだけど、疲れてるだろうに今もこうして君は走っている。君、気づいてないかもしれないけど、はっきり言って異質だよ」

 

すると彼女は少しムッとしたように、

「あら、随分と失礼な物言いをなさいますのね」

 

怒らせてしまったかと思い、僕はすぐに言葉を足す。

「何も悪い意味で言ったんじゃないさ。こんな中でも走ろうと思えるのは、それだけ目標に向けての熱意があるってことじゃないかってだけさ」

 

「申し訳ありません、早とちりで責めるような真似をしてしまって。それではもう一本、走ってきますので」

 

「気にしないでくれ。僕はここで見てるよ」

 

それを聞いて彼女は走り出す。幼少期から教え込まれているのだろう、そのフォームは理想的なものであった。ただ、その足には確実にもっと力が籠められるべきなのに、踏み込みも、蹴りだしも、どこかか弱い印象がぬぐえなかった。

 コースを一周した彼女が駆け寄ってくる。

 

「はぁ……はぁ……いかがでしたか、今の走りは……」

 

そう言って彼女は倒れてしまった。

 

 倒れた彼女を保健室に連れて行った。彼女は目を覚ますと、びっくりした様子でこちらを見てきた。

 

 

「お目覚めの気分はどうかな」

 

「私、どうしてこんなところに?」

 

「倒れたんだよ。オーバーワークで疲労が溜まっていたんだろう。もう少し横になっていたほうがいい。」

 

すると彼女は少し俯き、僕から目を背けて。

 

「そうでしたか……ご迷惑をおかけして申し訳ありませんわ」

 

「いいんだよこれくらい。まあ、君が倒れるのはよくないけどさ。ところで、そんなに夢中になるほど君を駆り立てるのは何なのか、教えてほしいな」

 

「……私にはメジロの名を関するウマ娘として、絶対に果たさねばならない使命があります。天皇賞制覇……それこそが立派な家族、周囲の方々に支えられ、今こうして走っている私の目標であり義務なのです」

 

その瞳には決意の硬さが浮かぶようだった。

 

「そうか。決めたよ、僕は君をスカウトしたいと思う」

 

「その申し出はありがたいのですが……いいんですの?私の担当になるということは、この使命をともに背負うということ。その覚悟はおありでして?」

 

「そんなの当然だろう?君の話を聞いてその覚悟なしにスカウトするような真似なんかしないさ」

 

「ふふっ。頼もしい返事ですわね。でしたら、こちらこそこれからよろしくお願いいたしますわ」

 

 

○○○

 

 

 それからというものの、天皇賞に向けての僕たちの戦いが始まった。ただ、それはスタミナを重点的に基礎を積んでいくものがメインであり、地道で苦しいものであり、校内模擬レースの結果は芳しいものではなかった。

 

 ある日のこと。

 

「トレーナーさん、もしよろしければ今少しばかり相談に乗っていただけませんか?」

 

「勿論良いよ。で、どうしたのかな、マックイーン」

 

少し言いにくそうな様子で彼女は言葉を続ける。

 

「もう少しばかり実地的なメニューを取り入れてみてはどうかと思いまして……ほら、この前の模擬レースも勝ち切ることができなかったので」

 

「目下のレース結果なら気にする必要はないさ。それとも、目標を忘れたのかい?」

 

「いえ!そんなことはありませんが……」

 

「ああ、わかったよ。僕の評判が落ちつつあることかい?」

 

思慮深い彼女のことだ。心無い噂と知っていても気になってしまうのだろう。それに実際そう評価されてもおかしくないのだ。

 

すると彼女は少し申し訳なさそうな様子で、

「ええ。トレーナーさんが悪く言われているのを耳にしてしまい……私のためを思ってくれているのはわかるのですが……とはいえ、トレーナーさんが悪く言われているのは気になってしまって」

 

「僕のことなら気にしなくていい。あの日からすでに覚悟していたことさ。それに、真に目指すことのために何をすべきかを見失っちゃいけない。いいね?」

 

「わかりました。ありがとうございます、トレーナーさん。おかげで目が覚めたような気分ですわ。私、絶対春の盾、持って帰って見せますから」

 

 

○○○

 

 

 そうして迎えた春の天皇賞。昨年の菊花賞、前走の阪神大章典と勝ち星を挙げていたマックイーンは圧倒的一番人気となっていた。

 

「緊張してるだろ」

 

「当然ですわ。ずっとこの日を目指して走り続けてきましたもの」

 

「そう、それだけ真剣ってことだ。それにその緊張も丸ごと、君の力になってくれるさ。マックイーンならやれる」

 

「ええ。行ってきますわね」

 

レースは素晴らしいものだった。前目につけ、直線で抜け出しての一着。それはまさしく、彼女の望んできた”華麗で、優雅で、完璧”な勝利だった。彼女はそうして、ずっと焦がれてきたものを手にしたのだった。

 

「おめでとう、マックイーン」

 

「やりましたわっ!!これでメジロ家に私の盾を飾れますわ!!!」

 

そう言って喜ぶ彼女の様子は今までに見たことないほどに溌剌としていた。そんな彼女に少しだけ面食らってしまったのだが、それだけの憧れが詰まっていたのだと思うと僕の胸も一層熱くなった。

 一週間ほどたったある日のこと。夕方、書類作業をしていた僕のもとへ母から電話がかかってきたのだ。

 

「おめでとう。見たわよ、和也。あなたの担当、すごくいい走りするのね」

 

「ありがとう母さん、うれしいよ。ところでどうかした?母さんから電話かけてくるなんて珍しいね」

 

「そうね。単刀直入に言うわ、あなたの結婚相手が決まったのよ。財界の重鎮のお嬢様よ、ウィナーズサークルにいる姿を見てあなたしかいないって思ったそうよ。これであなたも立派に板倉家の次期当主になると思うと誇らしいわ。いつ帰ってくるの?」

 

「悪いけど母さん、少し待ってくれ。話が急すぎるよ」

 

「言っておくけど、断れないわよ?彼女のお父様にはうちも出資を受けてるんですもの」

 

「……わかってるよ。でも今は少し待ってほしい。マックイーンもまだまだこれからなわけだし、僕も今の仕事にもう少し集中してたいんだよ。せめて一区切りついてからにしてくれないかな」

 

「まあ、それくらいなら許してくださるでしょう。いいこと?くれぐれも浮ついた噂なんか出ないようにね?」

 

そう言い残すと電話は切られたのだった。

 

 

○○○

 

 

 春の活躍、前走の京都大章典の勝利とまた結果を積んで迎えた秋の天皇賞は一番人気に押されていた。マックイーンも春秋連覇を目指して息巻いているようだった。どうやら深く集中しているようで、僕はレース前に声をかけることができなかった。

 

 ゲートが開く。宝塚記念にて外を回る羽目になったことを気にしているのか、第一コーナーより内側へと切り込むと、三番手に付けてレースを運んでいた。結果としては二位に6バ身差を付けての一位入線だった。

 

 しかし、内側に切り込んだ際後ろのウマ娘の進路を妨害したとして18着への降着措置が取られることとなった。これは世間にも大きく取り上げられることとなってしまった。

 

 翌日の練習後、待ち構えていた記者たちに囲まれた。

 

「マックイーンさん、あのような危険な走りはどうして起きてしまったのですか!?」

 

「この度は、皆様にご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。私が未熟で会ったばっかりに、周囲へ気を配ることができず、あのような事態を招いてしまったこと、重ねてお詫び申し上げます」

 

「強引にでも内側に入れ、という指示があったともされていますが?」

 

「そのようなことはありません!あれは私の判断で行ったことです!」

 

「いいんだマックイーン。責任はすべてトレーナーである私にあります」

 

そう言い残し、僕たちはその場を後にした。

 

「……あれではまるであなたがすべて悪いみたいではありませんか」

 

「気にすることはないさ、それにさっき言ったのも僕の本心だよ。責任は僕が、期待は君が背負えばいい。一生懸命走った君が責められる筋合いはないよ」

 

「次のレースジャパンカップにしてくださいまし。レースの失態は、必ずやレースで取り返して見せます」

 

 とはいえ、彼女の走りはそれ以来焦りが見えるようで、ジャパンカップ、有馬記念と共に好走、入着はすれどいつもの走りができずに勝ちきれなかった。

 

 

○○○

 

 

 春を迎え、彼女の調子は少しは良くなった。秋の彼女は気張りすぎていたし、連戦ということもたたって疲れがたまっていたのだろう。

 

 天皇賞の前戦に据えた阪神大賞典では、彼女の復活は疑うようなものではないと示して見せた。そして本番。全戦全勝でクラシック二冠を達成したトウカイテイオーに一番人気こそ譲ったものの、一着は譲らなかった。こうして彼女は史上初の春の天皇賞二連覇を成し遂げたのであった。

 

「おめでとう。本当にすごいよ」

 

「ありがとうございます。ここまで来られたのも、トレーナーさんのおかげですわね」

 

「いや、ひとえに君の努力の結果さ」

 

「いえ……ふふっ。」

 

「どうしたんだい?」

 

「これだとお互いを永遠にたたえあうことになりますわね。そうだ、以前お渡しした温泉旅行券、いかがなさいました?」

 

少し意地悪な笑みを浮かべる彼女。

 

「ああ、URA最優秀賞のあれね。勿論まだ持ってるけど」

 

「私、考えたんですの。どのタイミングで、誰と一緒に行くか。ここまで来られたのは、二人で歩んでこられたからだと思いまして。もしよろしければトレーナーさんと……」

 

「うれしいな。勿論、喜んで同行させてもらうよ」

 

 

 

 数日後。僕たちは温泉宿へと足を運んだ。ゆっくりとつかったのちに部屋に戻ると、マックイーンが先にそこにいた。

 

「すみません、少しのぼせてしまったみたいで」

 

「いいんだ、ゆっくりしよう」

 

「そうですわね……ここの温泉、筋肉痛、関節痛などの改善効果がとても素晴らしくって……いえ。私が言いたいことはこんな事じゃありませんわ。本当に駄目ですわね、私。メジロの家を飛び出し、必死に走りを学んでまいりました。だけど、そこから一歩外れるだけで、何もわからなくなってしまうんですもの」

 

「いや、みんなそんなもんだと思うよ。もしかしたら僕たちだけなのかもしれないけど。でもそれでいいと思う」

 

「でもそれじゃ子供ですわ」

 

「子供だっていいのさ」

 

鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべる彼女に、思わずクスリとしてしまう。しかしそれは彼女も同じようで。

 

「面白いこと言いますのね。なんだか初めて貴方とこうして話せた気がします。いつもならウマ娘とトレーナーですけど、なんだか一個人として向き合ってる気がしますわ」

 

「うれしいこと言ってくれるね。そうだ、まだ時間も早いわけだし、ちょっと出てみようよ。一時間くらいで海も見えるしさ」

 

そうして僕たちは電車を乗り継いでビーチへと向かった。

 

「裸足になってよ、マックイーン。そっちのほうがきっと気持ちがいい」

 

 

砂の感触を一歩一歩、確かめながら歩いていく。

 

 

「こうして水辺を歩いていると昔のことを思い出します。お庭にも大きな池がありましたの。その周りを皆さんと歩いていくのが大好きでした。あの頃は、お婆様、お爺様がよく私たちを散歩に連れて行ってくださいました」

 

「大切な思い出だね」

 

柔らかな笑みを浮かべるマックイーン。

 

「ええ。家族の皆様全員、その一人一人が大切で。そうして作り上げられてきた、名家としての誇り高きメジロ。尊敬する皆様の期待に、私は応えて見せたいと思うのです」

 

そう。この子はいたいけな少女でありながら、その身に余る期待を背負って。そして彼女もそれに応えて。しかし、そんな彼女にも今は少し寂し気な様子がうかがえた。

 

「ですが……私は少しばかりわがままです」

 

「どうしてだ?今までの話だと僕と違って家族思いだなとしか思わなかったけど」

 

「許婚がいるのです。これからもより高貴に家系を紡いでいくための。ですが……」

 

言葉が途切れる。静けさの中、太陽はその橙を海にそそぎ、反射した光はマックイーンを照らしていた。

 

「私は貴方を、一人の男性としてお慕い申し上げております。きっとこの思いは許されないのでしょう。でも……」

 

「僕もだよ、マックイーン。僕も君のことが好きだと思う。」

 

「……!」

 

「でも答えられないのも同じなんだ……もうお見合い相手が決まってしまってるから……ごめん」

 

 

「そうでしたか……こんなときどう返していいか……」

 

「それでも……僕たちの関係は変わらないよ。君が走り続ける限り、僕と君は一緒に歩み続けられる。だから、この時間を大事にしていきたいんだ」

 

「わかっています。これからもよろしくお願いいたしますね、トレーナーさん」

 

そう微笑む彼女の手を取り、僕たちはまた歩き始めた。

 

 

○○○

 

 

 その年のこと。その後の宝塚記念に向けた調整のさなか、マックイーンは怪我をしていたことが判明し、長期休養を余儀なくされた。彼女は去年の雪辱を晴らせないことを悔しがっていた。

 

 しかし、僕にとってはそんな彼女といつもより長く、ゆっくりとした時間を過ごせたことがうれしかったし、何よりリハビリの時間が、初めて彼女と出会ってから少しずつ手探りながら基礎を確立していった時間に重なり、ひどく懐かしく思えたのだった。

 

 

 そうして迎えた春。僕たちは三連覇を目指して練習を積んでいた。

 

「すごいなマックイーン。いいタイムだ。それに、雑誌は君の話題で持ちきりだよ」

 

「うれしいですが、ここまでくると少し恥ずかしいですわね」

 

「お、宣戦布告までされてるぞ。”ライスシャワー陣営、マックイーンに勝つ!良馬場なら負けない”だってさ」

 

「あら、そんなことまで。いいでしょう、いくらでも相手になって差し上げますわ」

 

そんなライスシャワーの話題は学園を賑わせていた。彼女は春の天皇賞に出たくないと言っている、というものだった。ライバルとして意識していただけに、僕らの心にわだかまらない訳がなかった。

 

「やっぱ気になるか?」

 

「ええ……少し残念ですわ」

 

「出走取り消しもされてないわけだし、きっと本人の問題だろうな。もしどうしても気になるならちょっと話聞いてこようか?」

 

「ありがとうございます。お願いいたしますわ、トレーナーさん。」

 

翌日、僕はライスシャワーに話を聞きに行った。彼女は昼の中庭で一人、ベンチに腰掛けて食事をしているところだった。

 

「初めましてかな。ライスシャワーさん。もしよかったら少しだけ話をしたいんだけど」

 

「えっ……いいですけど……」

 

「ありがとう。さて、単刀直入に言わせてもらうけど、どうして天皇賞に出たくないのかな?」

 

「……意味ないからです。ライスが勝っても、誰も喜ばない。誰かに認めてほしくて、私、頑張りました。皐月賞のブルボンさん、すごくキラキラしてた。ライスもブルボンさんみたいになりたくて、菊花賞でやっと追いついた。でも、私を待っていたのはブーイングでした。だから、もう意味ないんです。きっと春の天皇賞で勝っても同じだから」

 

話している彼女はひどく苦しそうで、僕はかける言葉が見つからなかった。

 

 

「すみません。午後の授業があるので行きますね」

 

 その日の夕方。ライスシャワーの語ってくれたことをマックイーンに話した。

 

「そんなことが。確かに彼女の菊花賞は称賛されるべきものでした。ですが、こうしてトレセンの門をたたいている以上、走ることから逃げるのは違うと思いますの。でしょう?トレーナーさん?」

 

「君の言う通りだよマックイーン。僕もそう思う」

 

「勿論ですわ。それで一つ、わがままを聞いてほしいのですが」

 

「君のためならできることは何でもするさ、言ってごらん」

 

「ライスさんが天皇賞に出るようにしていただきたいのです。私が望むのは完璧な勝利。有力候補の欠けたレースではなしえません」

 

「君は優しいんだな、マックイーン。わかった、やれるだけのことはやってみよう」

 

僕は思わず言葉を漏らす。

 

「ライスさんのこと、お願いしますわね、トレーナーさん」

 

 

翌日。僕はライスシャワーの担当である、大学時代の先輩のもとを訪ねた。

 

「お疲れ様です。先輩」

 

「和樹じゃないか。どうしたんだい?」

 

「実は、ライスシャワーを天皇賞に出してほしくてですね……」

 

「その話ね。俺だって出てほしいよ。だけどあの子が出たくないってんだから強制することはできないからなあ」

 

「無理言ってるのはわかってるつもりです。でも、このまま走らないのが彼女にとっていいこととは思えない」

 

「それはわかってはいるけどさ、どうしろっていうんだ?無理にでも出すか?」

 

「いえ、僕に策があります。ミホノブルボンとの合同トレーニングなんてどうでしょうか」

 

「どうしてそれが策になる?」

 

「彼女、ブルボンに憧れていたといっていました。だからこそ、その気持ちをもう一度思い出せば、また大舞台でも走りたいと、そう思えるんじゃないかって思いまして。いかがです?」

 

「なるほどね。で、それは実現できそうなわけ?」

 

「勿論です。ブルボンにとってもいつもと違う刺激が得られていいだろうと許諾してくれました」

 

「さすが政治家の息子、根回しが早いねぇ。そこまで言うならやってみるか。まぁ、何もしなければ変わらんだろうしな」

 

「よろしくお願いします」

 

僕の思惑通りに事が運んだらしく、翌週には先輩からライスシャワーの説得に成功したとの連絡があった。

 

「本当にこれでよかったのかい?」

 

「当然ですわ。天皇賞の舞台に、気がかりを残したまま本番に臨みたくはありませんもの。それに、勝ちを譲る気もまったくありませんわ」

 

「頼もしいな、君は」

 

「それではもう一本行ってまいりますので、タイムのほうお願いしますわね」

 

そう言って駆け出していくマックイーンは、とても美しかった。あの日彼女に声をかけて本当に良かったと、そう思えるほどに。

 

 

○○○

 

 

 レース当日。三度目とはいえ、やはり僕はひどく緊張していた。共に追いかけていた舞台。そこでの三連覇という、前人未到の栄光へ僕たちは手を伸ばしている。

 そう思うと、期待というか、不安というか、とにかくそういったものがせり上がってくるようで。僕の心臓は忙しなく脈打っているのだった。そんな中でも彼女は落ち着いた様子で、僕はなんて情けないのだろうと、そう思ってしまうのだった。

 

「ひどい顔をしてらっしゃるのね、トレーナーさん。今にも死んでしまいそうですわ」

 

「あはは。ごめんね、なんだか緊張しちゃって」

 

「もう、しっかりしてくださいまし。もう三度目ですのよ?それに、貴方がそんな様子ではとても”優雅”だなんていえませんわね」

 

「わかってるけどさ。どうしてもね」

 

「いいですわ。見ていてください、必ず先頭でゴールを駆け抜け、貴方に春の盾を持って帰ってまいりますわ」

 

「期待してるよ、マックイーン。頑張っておいで」

 

ゲートが開く。同じメジロ家であるメジロパーマーが集団を引っ張り、マックイーンは四番手につけ、ライスシャワーに直後に着けられる形でマークされている。手元の時計を見れば、信じられないほどのハイペースでレースが進んでいた。第三コーナー、マックイーンがスパートを掛けていき、同じくしてライスシャワーもペースを上げていく。第四コーナーに入るころには大きいリードを築いていたパーマーに並んでいた。直線に入り、三人が横一直線に並んで先頭争いを繰り広げていた。マックイーンが先頭を奪ったその刹那、ライスシャワーが末脚を爆発させ順位を入れ替える。残り200m。

 

 嫌だ。やめてくれ。

 

 残り100mになるころには黒い影が完全に抜け出しており、そのままゴール板を駆け抜けていた。

 

 

 

 その日の夜のこと。僕たちはホテルの近くの公園に来ていた。

 

「今日はお疲れさま、マックイーン」

 

「……トレーナーさん。まったく、恰好つかないですわね。自分からレースに出すようお願いしておいて、挙句、貴方に春の盾を持って帰るだなんて言って、それで負けてしまうなんて。」

 

「いいや。あれは君の優しさだった。ライスシャワーのことを思っての行動だろう?それに君が頑張ってるところを、僕はちゃんと見てきた。君を誇りに思うよ」

 

「……あと一歩でしたのにぃ……勝ちたかったですのにぃ……うう……」

 

 

○○○

 

 

 

 天皇賞以来、マックイーンはさらに磨きをかけていた。いままで勝てていなかった中距離の大舞台、宝塚記念をとるために。

 

 努力は報われ、阪神には上半期のグランプリに名を連ねる彼女の姿があった。これはメジロ家としても素晴らしい実績で、二年前のライアン、去年のパーマーに次いで一族で三連覇を成し遂げたのであった。

 

 

 そうして迎えた夏、僕たちはメジロ家所有の孤島の別荘に来ていた。声をかけられたとき当然のようにそんなものを持っていることに驚きもしたのだが、秋の天皇賞に向けて集中できる環境でもあると思ったし、彼女のリフレッシュになることを期待して許諾したのだった。

 

 

 ーーしかし、ついてみれば完全にリゾート施設である。プールや小さめのグラウンドなど、設備があるにはあるのだがトレーニングというよりは娯楽用のそれであるように感じられた。

 

「……すごい場所だな」

 

「懐かしいですわ。トレセンに入学する前は、長期休みに入るとここに連れてきてもらっていましたの」

 

「ここもまた、君の思い出の場所なんだな。素敵な場所だよ」

 

「そう言っていただけると嬉しいですわ。では早速始めましょうか」

 

「ああ、着替えておいで。僕も準備してくるから」

 

施設を独占できるということもあり、いつもよりも効率的なトレーニングになったように思う。

 

 その日の夜のこと。マックイーンの部屋で僕たちは映画を見ていた。

 

「トレーナーさん。少しだけハンドクリームをもらっていただけませんか。出しすぎちゃったみたいで」

 

「ありがとう。ありがたくもらうよ」

 

手が触れる。彼女の細く、柔らかく、小さいそれは普段の圧倒的な走りや、気高さとは無縁の、少女のそれだった。少しひんやりとした、美しい手だった。

 

「ちょっと冷たいな」

 

「貴方の手はあったかいですのね。やっぱりゴツゴツしてて、大きいですわね」

 

「手が冷たい人って、心があったかいんだって。そしたら僕は冷たくなっちゃうけどね」

 

「いえ、そんなことはありませんわ...…」

 

刹那、スクリーンの恋人たちは接吻を交わしていた。つい彼女の唇に視線が行ってしまう。それは彼女も同じだったようで。

 

 

 彼女の白い顔が近づいてきたかと思えば、ごくあっさりと唇が触れた。気が付けば、さっきまで平気だった様子の彼女は、その顔を真っ赤に染めていた。

 

「……随分と積極的だね」

 

「そういう貴方はずいぶんと余裕ですのね。私はこんなにも勇気を出したのに」

 

「いや、僕の心臓もうるさくなってるさ」

 

「……今夜は月がきれいですわね」

 

「ああ、とってもきれいだよ」

 

 

○○○

 

 

 帰ってきてからも、天皇賞に向けて彼女の練習は続いた。その仕上がりは今まででも一番であると、僕はそう言えたのだ。実際、秋初戦の京都大章典でも、余裕を持ったレース展開での一着。

 

 このままいけば秋の盾も間違いないはずだった。

 

 本番を四日後に控えた日。その日も調整を重ねていた彼女の足に異変が起きたのである。医者からの診断は繋靭帯炎。ウマ娘にとって不治の病といわれる物だった。”お婆様”のもとに僕たちは向かった。

 

「貴方はよく頑張りました。お爺様と私の夢であった春の盾も、貴方がこうして二個も持ってきてくれました。これからはメジロ家の者として、レースから身を引いてもいいんじゃないですか」

 

「いえ、私はまだ走れます!こんな怪我なんて関係ありませんわ!」

 

「いいえ。繋靭帯炎とはそういう病気なのです。ウマ娘にとっての不治の病。もういいでしょう」

 

マックイーンは部屋を飛び出してしまった。

 

「僕、追いかけてきます」

 

「トレーナーさん。貴方もここまでマックイーンをよく導いてくださいました。心から感謝申し上げます。でもあの子にもう走ってほしくない気持ちもわかってください。あの子にも将来がある」

 

「……はい」

 

彼女はターフにいた。初めて会ったあの日のように力なく走っていた。

 

「マックイーン!!」

 

「ごめんなさい、トレーナーさん。あんな風に熱くなってしまって。でも私はこうして走れています。天皇賞も四日後なんですから、ここで立ち止まるわけには……あっ」

 

そういうと彼女は倒れてしまう。

 

「でも、ほんとは、分かっていますの……もう走れないんだって……でも、そしたら、貴方と離れなきゃいけなくなってしまう……嫌ですのにぃ……ずっと一緒に居たかったですのにいぃ……」

 

「僕もそうだ。でもいつかこういう日がくるって、それもわかってた……残念だけど僕たちの関係はここまでなんだ。これ以上、僕たちは一緒には進めない」

 

その翌日。僕とマックイーンは正式に契約関係を解除し、それを報道関係にも発表した。その日の夜、一本の電話がかかってきた。

 

「聞いたわよ。これで心置きなく結婚に進めるわね?」

 

「やめてくれ……僕は……いや、ごめん。わかってる。今月中にそっちに顔出すから。ここも今年いっぱいで辞めるよ」

 

「わかってくれればいいのよ。残念かもしれないけど、家のためにも大人になってちょうだい」

 

○○○

 

 僕はその年のうちに親同士の合意の元、いや、親の思惑通りに結婚した。彼女は悪い人ではないし、両方の親に祝福されながらの式も、素晴らしいものだった。

 

 ーーそう、これがあるべき姿で、進むべき道なのだと、僕もわかっていた。

 

 

 三月。卒業式。レースから身を引いた生徒が、中等部、或いは高等部の課程を修了したタイミングで卒業していく。マックイーンもちょうど6年間在籍しており、それは彼女の卒業式でもあった。そして、僕にとっても実質的には卒業式であった。

 

 式も終わり、生徒たちはそれぞれの思いを吐露するかのように、別れを惜しむように友人や恩師と話に華を咲かせる。この様は何度見ても胸の締め付けられる思いをせずにはいられなかった。

 そんな中にマックイーンの姿を認めた。彼女も僕に気付いたようで手を振ってきたかと思うと、すぐに近づいて来た。

 

「マックイーン……送っていくよ」

 

「あら、トレーナーさん。来てましたのね。ありがとうございます」

 

「まあ僕も職員だからさ。それに今日は僕の卒業式でもある」

 

「といいますと?」

 

「今年でここをやめて、母さんの下で働く。時期が来れば、父さんの地盤を継いで知事になる。それが僕の道ってことだ」

 

「お互い背負ってるものがありますものね。わかっておりますわ」

 

「いろいろごめんね。ふがいなくて」

 

 

 

「いえ。こちらこそ度々わがままを言ってしまい……」

 

 

 

「いままでありがとう。この六年間はかけがえのない日々だった。全部君のおかげだ」

 

「そんな……私も貴方といられて楽しかったですわ。こんなにたくさんの栄誉を持って帰れるのも全て貴方のおかげですのに……」

 

「前にもこんなことがあったね……着いちゃったな。じゃあな。また会えるといいな」

 

「……ここにいてくださいまし」

 

「ごめんマックイーン。帰らないと」

 

「置いていかないでください!!今からでもおばあさまに話せばきっと認めてもらえます!!」

 

 

 

「……もう遅いんだ。僕はもう結婚しちゃったわけだから。分かってほしい」

 

「分かりませんわっ!!どうして私たちはっ……こんななんでしょう……」

 

 

 

「聞いてくれマックイーン。君はこれまでも頑張ってきた……だからきっとこれからも、僕なしでも頑張れると思う。こんな僕のことを好きでいてくれてありがとう。僕は……この六年を、宝物にして、生きていくから、君は……どうか幸せになってほしい」

 

「私こそ、貴方のことを、好きになって

よかったと思えます。ずっと、私は、あなたを、想ってますから。また会える日を、ずっと、ずっと待ってますから……」

 

 

○○○

 

 

 春の京都へと僕はまた足を運んでいた。現役最強を決める春の舞台。もう僕は何でもないというのに。それでも。

 

 

 ーーここは僕の、僕たちの大事な場所だから。


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