6個入りパックの卵を買えば、5つ割れてしまうし、欲しいものを買いに出かけに行ったときは色んな災難に巻き込まれてしまい、ようやく目的地に辿り着くと目の前で売り切れる。
小学校の遠足では必ず雨が降ってしまうものだから、いつもタイミングが悪いと言われるし、同級生からは「雨降り小僧」と揶揄されることが多かった。
黒髪に周りとは違うエメラルドグリーンの瞳とくれば、周囲からいらない注目を集めてしまうことが多く、生まれつきだと知らない中学の生活指導の教師に呼び出されて叱責されることもあったし、ガラの悪い不良の上級生に「調子に乗ってる」と言われて絡まれることもしばしばでいつも理不尽に襲われていた。
そんな不幸体質に対し、登は強靭な肉体を備えていたのは幸か不幸か。
不幸体質で強靭な肉体を備えていたのであれば、己の境遇を恨んだ登がグレてしまうのも時間の問題だった。
しかし、登は決してグレることなく、前向きにかつよく笑う少年に育っていた。
それは、登の保護者の存在が大きかった。
「よ、おかえり。………おう、まーた手酷く
手ェ洗って来い、腹減ったろう」
長髪を束ね、髭を蓄えて煙草の似合う眼光の鋭い男、
幼い頃から泥だらけであったり、怪我だらけになって帰ってくる登を見るなり、毎回よくため息をつきながらも、暖かく迎える。
喫茶店「ラビットフット」のマスターである藤本には独特の人生哲学があった。
それは、“幸運な奴は幸運の女神が振り向いてくれているからだ。幸運になるには、女神を口説き落とすしかない。気まぐれな女神はどんな時も諦めず、不敵に笑う男が好きなのさ”と言い、いつも懐かしそうに語る。
そして、“不幸に見舞われるのは、まだ女神を口説き落とせていないからだ。お前が諦めなければ、きっと女神はお前を好きになるし、幸せにもなれる”と続けた。
それがおきまりのやり取りで泣きじゃくっていた登もいつに間にか、笑えるようになっていた。
物心ついた頃から既に親はおらず、登は藤本の手によって育てられた。
藤本は登の母親の知人であり、その縁で登を引き取ったのだと語る。
他に家族がいたかどうかは登は聞いたことがなかったし、その話を藤本があまりしたがらないこともあってか、登も自然と聞こうとしなかった。
自分がここにいるのはきっと親戚もロクでもないから藤本が引き取ってくれたのだろうし、気にしたってしょうがないことだろうからとすることとした。
それに登にはかけがえのない幼馴染がいた。
「まーた、おつかいで大介おじさんに買ってくるようにって言われた卵を割っちゃったの?ツイてないね」
「ひったくりにあった、おねえさんのカバン取り返しに走ったんだよ。んで、俺のスピードには卵はついてこれなかったみたいだ、そりゃあ割るってーの」
「………は?浮気?」
成長するとともに身についた、ずば抜けた身体能力でひったくりにあった女性のカバンを取り返しに走ったのだと言いながら、朝陽が割れた卵の入った袋を見せると、口の下に黒子のある見目麗しい少女、
「まさか。幸運の女神さま一人も振り向かせられてねえのに、俺一人のアンラッキーに巻き込むわけにはいかねえだろ?」
なんてなんでもないことのように言う、玲花の幼馴染の少年の顔には傷跡がある。
他の同年代の男子とは違う、エメラルドグリーンの瞳はいつも優しい光を湛えていて、玲花は幼馴染の少年の笑顔が好きだが、ひったくりからカバンを取り返したりして人助けするというように誰かのためにと尽くそうとする登は怪我が絶えない。
自分の知らぬ女のカバンを取り返したことに反応したものの、もしも、登を幸せにできる異性に出会うことがあったなら、その異性に任せてもいいとさえ本気で思うほど玲花は登のことを気にかけていた。
密かに同級生の間であった、“厄病神の登に告白する”といった不名誉な罰ゲームがあり、好きだったクラスメイトの女子に告白を受けてオーケーを出したものの、真実を知ったことでなんでもないように振る舞っているものの、本当はとても傷ついていた様子を間近で見ていた玲花は知っていた。
「女神さまは振り向いてくれなかったとしても、少なくとも、私はあーちゃんのこと見てるよ」
「それなら、悪くねぇかもなぁ」
登の右腕の裾を摘みながら、自分を見上げる玲花の表情に恥ずかしくなってしまい、視線を逸らしてしまった。
『誰よりも、誰かの幸せを考えている朝陽が好き。
エメラルドグリーンの優しい目が好き。
貴方にはいいところがたくさんあるよ』
登はそれに驚いたものの、その言葉を受け入れた。
厄病神と言われる自分を肯定してくれる。
その言葉がどれだけ嬉しかったことか。
「玲花には敵わないなぁ」
だから、自分を思ってくれる相手を守ろうと思った。
なのに。
なのに、なのに。
自分は襲ってきた化け物から玲花を守れず、玲花は捕らえられて傷つけてしまった。
「ごめんね、朝陽。私、捕まっちゃった……」
「玲花は悪くない!なんで、謝る必要があるんだよ………」
「おうおう、泣かせるねぇ。だけど、兄ちゃん。恨むんなら、
下卑た声で笑う、複眼を持った蜘蛛のような怪物は鋏のような器官を玲花の綺麗な頬に這わせ、顔を舐め回した。
憎たらしい怪物は、玲花の様子にいやらしさを覚えたのか満足そうだ。
味見のつもりだったのだろうが、蜘蛛の怪物が襲ってきた際に吹き飛ばされ、足が捻挫していたのにもかかわらず、無理を押して朝陽はよろよろと立ち上がる。
蜘蛛の糸のようなもので拘束された玲花の身体は官能的で室内に差し込む光から時間帯は夜ということと、目覚めた今の二人と怪人がいるのがどこかの建物の一室であることしかわからない。
でも、どれだけ気絶していたのかなんて、考える必要がない。
「玲花を離せ!この虫野郎!」
必死になって怪人に掴みかかる。
花火が泣いている。
それだけで、自分が立ち向かうには十分すぎる理由だった。
蜘蛛の糸は非常に丈夫と聞くし、軍事的にも利用されていると
それに未知の化け物の糸ともあれば、彼女にどんな影響があるのかわからない。
だから、引き剥がそうと思った。
それで怪人を思い切り殴りつける、もちろん、効くというような保証はどこにもない。
「なんだ、この馬鹿力は!?め、目玉がっ!」
「早く離せ!目玉を潰されたいのか!?」
複眼の中でものとりわけ大きな二つの目玉のうちの一つを潰す勢いで拳で殴ると、それは潰れてしまった。
ぶしゅ、と炭酸が弾けるような音ともに気持ち悪い液体を吹き出すと花火にかかる前に朝陽は庇うようにして前に出て、目玉が潰れたことで噴き出た液体を受けてしまった。
自分の力が強かったのか、それとも怪人の目玉が脆弱だったのか。
意外と潰しやすかったことに拍子抜けしつつも、身体の震えは止まらない。
それでも、自分を奮い立たせようと拳を握り締める。
ーーーいま一番怖いのは花火のはずだ。俺まで震えてどうする。
なんて、次の行動まで猶予を怪人が与えてくれるはずもなく、怪人は登の腹を蹴る。
潰れた目からは緑色の液体を噴き出しながら、イライラした様子なのは自分が 奴の目玉を潰したからだと言うのはわかる。
しかし、問題なのはその威力だ。
「無様だなぁ?とりあえず、その生意気なお前の目玉を抉り出して潰してやるよ。その女を貪り犯す前にな」
怪人がしゃがみこんで朝陽の髪を乱暴に掴み、ニタリとその異形の顔を歪める。
八つの眼が縦に四つずつ並び、ハサミのようなものが口端にあり、笑う度に牙を覗かせる。
見れば見るほど、醜い顔だ。
「んなツラ、もう見飽きたぜ」
「なんだと、このガキがぁ!」
不敵に笑って見せた登に優位に立っている自分を前にしてもなお、命乞いをしない様子に腹を立てた怪人に髪を掴まれたまま、顔を思い切り殴り飛ばされた。
頑丈で並大抵の喧嘩の強い程度の不良では傷つけることもままならない、その肉体をいとも容易く吹っ飛ばして見せた怪人は人間の域を超えた存在であることを登に分からせる。
壁に背中を勢い良く衝突させてしまい、ぐったりと座り込んでしまう。
視界も揺れているし、身体もまともに動かない。
目玉を潰せたのもただのラッキーパンチだったのだろうか。
ーー惨めだな。このまま、蜘蛛の巣に引っかかって死ぬつもりか?
それは、威圧的な声。
もちろん、声の主は姿が見えない。
花火の声でも、煩わしい蜘蛛の声でもない。
ーーお前が
「起きて!朝陽!起きて!」
玲花が登に叫んでいる。
少しずつ具合が悪いのか、顔が青くなっていきながらも、登を心配して声をかけてくれている。
自分にはもったいないくらい、優しい幼馴染だ。
ーーこの
脳裏にイメージが浮かぶ。
髑髏の肘掛がある、玉座に足を組んで座る圧倒的な王者。
それは、幼少期に藤本に連れて行ってもらった恐竜の博物館で見た最大の肉食恐竜・ティラノサウルスを人型にした外見。
いわゆる、トカゲ人間・レプタリアンとでも言うべき外見なのだが、吊り上がった瞳のない赤い目を持ち、口元を歪に歪めており、その表情や頬杖をつく仕草もあって非常に傲慢な態度である。
「呼んでも無駄だ。そいつはもう、俺の毒が
よろよろとつかまり立ちをする様に壁に手を這わせながら、登はゆっくり立ち上がる。
怪人が上機嫌に花火の状況を説明するが、朝陽は幼馴染に言いより、身体の線に手を這わせているところで我慢ができなかった。
脳裏にイメージが浮かぶ。
ティラノサウルスの姿で、獲物を掴んで肉を喰らう手が鎌になっている怪物のイメージ。
ーークククク、クハハハハ!そうだ、それでいい!さぁ、代償を払って宣言しろ。力を掴むことを!
「虫野郎に大事な幼馴染を好きにされるって冗談じゃねえ。あと一つ訂正しろ。俺が不幸だと?冗談じゃねえ、誰が不幸だ。
ーー雪村玲花の隣に居られる俺は、世界一の幸せ者だ」
登の意識の底ーー漆黒に包まれた深層意識の中、
そして、登が啖呵を切る。
幼馴染への感謝と、気持ちを吐露して。
「知ってる。ずっとむかし…か…ら」
意識を失いながらも、玲花の表情は柔らかかった。
「神でも悪魔でもなんでもいい!俺に力を寄越せ!
ーー全て!ほう、己の全てを捧げ、
高らかに“悪魔”が嗤うとき、登の身体にも変化が起き始めていた。
黒紫の禍々しいオーラが包み込み、ピリリと痺れを指先に感じる。
ふと口の中に入り込んだ、そのエネルギーの粒子は少しザラついてもいて、コーヒーカップの底に溜まった入れすぎた砂糖のような感触だと思った。
「何者だ、お前は!?」
ビリビリ、と紫電を放ちながらも、蜘蛛の怪人の震えた声に対し、首をゴキゴキと鳴らして
「名前なんかねェよ」