歴史の中のウマ娘   作:友爪

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インドの転輪教とカンタカの走禅について

 

 

『走即是止。止即是走。』

 

 

 

 

 尊者カンタカ、また走自在菩薩。

 言わずと知れたインドの《転輪教》の開祖《覚者》の一番弟子。

 主人が出家する際、付いて行くの行かないので散々押し問答した末に、美しい白毛を断髪(ウマ娘にとっては一大決心)してまで無理矢理弟子になった元祖押しかけウマ娘。

 

 絶世の美ウマである彼女が四六時中ぴったりそばに居たせいで、修行中の主人が生臭(・・)扱いされる苦労もあったが、苦行で死にかけた主人を介抱して息を吹き返させるなどの活躍も多い。

 そんなカンタカであるが、主人が悟りを開き"覚者"となった後も、

 

「私は御主人が悟る前どころか、王子様時代からの旧知だもんねっ」

 

 新参の弟子に古参アピールが止められないという執着(・・)を捨てる事が出来ず、弟子になるのは一番早かったものの、悟りを得る事は中々出来なかった。

 ある時、長引いた雨季のせいか湿度極まったカンタカにより《覚者誘拐事件》が引き起こされた際、

 

「見よカンタカ、世界は美しい」

 

 という覚者の教えで、目の前に広がる大地が、自分なんかより遥か以前から主人を見守り、どころか遍く生命を育んだ最古参である事に気が付く。

 果たして、己の小ささを思い知ったのと同時に、悟りを開いたのだった。

 

 悟りを得たカンタカは《走禅》を創始。

 走りながらにして精神を座す(・・・・・・・・・・・・・)という、ウマ精神の究極の境地であった。

 なお《走禅》の哲学はメンタルトレーニングの一環としてトレセン学園にも一部導入されており、宗教観念に薄い日本ウマ娘でも、知らず知らずカンタカの教えに触れているのである。

 

 因みに《転輪教》の教えでは、寺院には例えどんなに小さくとも走自在菩薩(カンタカ)を祀るスペースを設けないと、天罰により脳天を蹴り割られて死ぬという言い伝えがあるため、寺院の何処かには絶対にカンタカの像がある。

 大方の例では手水舎の近くに祀られているので、皆もお寺に参拝したら探してみよう。

 

 

 ◆

 

 

 静やかな精舎に一人の尼ウマ娘が座している。目を閉じ、口を噤み、印を結んで座している。

 激しく照り付ける昼間の日光から、ちょうど菩提樹の陰になる位置の、平たく小高い岩上であった。

 ウマ娘の頭から垂れる真っ直ぐな白毛は、彼女の法衣ばかりか、巨石の上を覆ってしまう程に長く、木漏れ日に当たる部分がきらきらと輝いて見えた。

 額の真ん中に法輪の飾りを着けていて、それは彼女が微動だにしないのと同じく、僅かに揺れる事もなかった。

 

 尼ウマ娘の前に、一人のウマ娘が現れて、座った。

 ウマ娘は一人、また一人と集まっていき、夕方までには遂にウマ耳の林となる。かの林は、そよ風が吹く度に、わさわさと動いた。

 誰もかれもが、白毛の尼ウマ娘の下に集うインドウマ娘であった。彼女らの間に言葉は無かった。じっと耳を前に傾けて、静寂の中を待っていた。

 そして地平線に太陽が没し、お月様がはっきり輝いた時、岩の上から清らかな声が響いた。

 

「走っている……」

 

 うっすら開いた瞳が、皆を見渡した。

 その目は穏やかで揺らぐ所がなく、かといって冷たい訳でもなく、諸々のウマ娘に安らぎを与える様な深い色であった。

 

「ウマ娘よ、一切が走っている」

 

 はてな、と皆は一様に首を傾げた。今この時、我々は足を止めているのではと思った。

 白毛の尼ウマ娘──尊者カンタカは、柔和に微笑んで、尋ねた。

 

「この中に、走る時は出来るだけ長くたのしく走り続けたい、そう思う娘は居るかな」

 

 はあい、と皆が揃って手を挙げた。

 

「じゃあ、一度も休憩しないで走り続けられる娘は居るだろうか」

 

 尊者カンタカの問いに、先ず短距離が得意な娘から手を下げ、次いで中距離が得意な娘が手を下げ、最後に長距離が得意な娘が手を下げた。

 上げっぱなしのウマ娘は、遂に居ない。

 

「そうだよね。どんなに長距離が得意なウマ娘でも、休憩せずに走り続ける事は出来ない。鳥さんが止まり木無しに飛び続ける事が出来ないのと同じ様に。それなのに何故、走り続けたいと願うのだろうか──」

「カンタカ様……っ」

 

 最前に座っていた聴衆ウマ娘の一人が、急に平伏して尊者の話を遮った。「だめだよ」とか「ずるいよ」とか、注意する声にも耳を貸さず、そのまま顔を上げない。

 少しの時を置いて、尊者カンタカが「どうしたの?」と優しく聞くと、鹿毛のウマ娘は今にも泣きそうな顔を上げて言った。

 

「カンタカ様、どうか助けて下さい。僕は東の町から七昼夜を駆けて参りました。僕はその町で一番足が速いウマ娘だったんです。でも一年前、転んで足を折ってしまいました。それから思う様に走れなくなって……指導人さんは、きっと大丈夫だと言ってくれます。友達も皆が励ましてくれます。

 でも、でも僕は怖い! ずっと一番でいたいんです、指導人さんに見離されたくないんです。あんなに走る事が大好きだったのに……カンタカ様、僕は苦しいんです」

 

 そうして、わあっと声をべそをかくウマ娘に、誰も異議を唱えなかった。その苦しみが、まるで自分の事の様に、深く心へ刺さったからである。

 此処へ集ったインドウマ娘たちは、誰しもが悩みを抱え、ウマ生に迷い、よすがを求めて尊者を訪ねて来た。

 走る事が好きで好きで堪らなかったのに、何時しかそうでなくなってしまったから、苦しみ喘ぎ、縋って来たのである。

 尊者カンタカは、やがて静かに応じた。

 

「悩める方よ。私は答えよう。一度、足を止めてごらんなさい」

「お言葉ですが、カンタカ様、僕はこの通り一年も止まりっぱなしです」

「いいえ、あなたは走っているよ。初めに申した通り、此処に集まるウマ娘も皆、止まっている様で、走っている。その苦しみについて、今日は話そうか──」

 

 そうして尊者カンタカは、ゆっくりと己の指導人について──目覚めた人(・・・・・)について、話し始めた。

 

 

 

 

 私の御主人──尊き覚者は、二十九歳で出家されて八十歳で涅槃(ニルヴァーナ)を得るまで、世の中の人々が真の法を歩むために、生涯説いて回られた。

 そして皆が知る様に、最も長い間を連れ合った弟子が、私なんだ。

 

 私が御主人の愛バになったのは、まだ出家される前だった。その時の御主人は歳若き王子様で、私はほんの子ウマだった。

 はっきり覚えているよ。初めて御姿を見た時、後光がさして見えた。この世の中で……いや、天上でも天下でも、この宇宙で一番尊い方だと思ったよ。

 その時から御主人は、私の全てになったんだ。

 

 御主人は優しくて頭が良くてかっこよかったけれど、何時も浮かない顔をしていたよ。

 しかもお身体が弱くて、閉じこもりがちだったから、よく私は御主人の手を引いて「お外が綺麗ですよ」って言って連れ出してた。そうしたら少し笑ってくれて、私は何より嬉しかったんだ。

 時には他のウマ娘と駆け比べをした。勝負は何時も私の勝ちだった。誰にも負けなかった。そしたら御主人も褒めてくれて、だから私は走るのがたのしかったよ。

 

 でもやっぱり御主人は何時も独りで悩んでいた。そうした末に、出家を決心されたんだ。お父さんもお母さんも奥さんも子供も捨てて、夜にこっそり城を抜け出した。

 気が付いたのは私だけだった。それで付いて行ったら「付いて来るな」と言われたよ。でもお身体が心配だったから、それでも付いて行ったら、とうとう御主人は怒り出して、揉み合いになった。

 怒った顔の御主人は初めてだったから、びっくりしたけれども、この白い毛並みをバッサリ切って見せたら同行を許してくれたよ……皆、そんなに尾っぽを立てて驚かなくても。私にとっては、毛並み以上に御主人が大切だっただけだよ。

 

 御主人は色んなお坊さん(バラモン)を回って問答をされた。でも、どんなに問答を重ねても満足出来なかったみたい。

 偶に「修行者がウマ娘と同行するなんて、けしからん、実にけしからん。真面目にやる気が無い生臭め」とか言われて、私が蹴っ飛ばしてやろうとしたら、御主人は何時も止めたよ。優しいね。

 それから問答に満足出来なかった御主人は、苦行の道を選ばれた。お身体が弱かった御主人がだよ。私は泣いて暴れたけれど、今度ばかりは御主人の意志は固かった。

 茨に身を晒したり、火の中を歩いたり、水に潜ったり、ごま一粒しか食べられなかったり……それを六年間も! 思い出すだけでつらくなるね。

 実際に何度も死んじゃいそうになって、その度に私が御主人をおんぶして走って、一生懸命に介抱したよ。

 

 ある日は、御主人が餓死しそうになって、でも食べ物が無くておろおろしていた時に、スジャータちゃんという娘が乳粥をくれたんだ。優しいね。

 御主人はゆっくり乳粥を食べて、心身を回復させてから申された。

 

「カンタカよ、苦行のし過ぎは良くないなあ。死んでしまったら何にもならない。もう止めるよ」

 

 私はとっても嬉しかったけれど、その後に、

 

「独りにしておくれ。私は考えたい」

 

 と言われて、それは私にとって御主人が苦行しているより辛かったけど、苦行を始める時と同じ位ご意志が固かったから、仕方無く私はスジャータちゃんの所でお世話になったんだ。

 

 暫くして、御主人は自分から戻って来た。

 私は、はっとしたよ。そのお顔は安らかで、初めて会った時よりも、もっと後光が輝いて見えた。私は感涙を流した。やっと御主人が、答えを見付けたんだと思った。

 その時から、御主人は《覚者》になったんだ。

 

 覚者は私に、悟り得た事を教えてくれたけど、何が何だか良く分からなかった。でも、それでも覚者の心が安らかな事は、私の心の安らぎだったよ。

 そうして覚者が初めに教えを説いたのが、よりにもよって鹿さんのお家だったけれども*1、その教えが沢山の人に受け入れられていく様子は嬉しかった。

 

 私一人しか居なかった弟子も、いっぱい増えた。

 人間さんや、ウマ娘も沢山……後からやって来て、覚者と仲良くしようとする人が沢山。嬉しかったし、私を慕ってくれる人も多かったけれど、何だかもやもやしていたよ。

 それで新しく来た弟子には、特にウマ娘の弟子には「私が一番弟子なんだよっ」て教えてあげたんだ。

 

「カンタカよ。妹弟子には親切にしてやりなさい」

「はい、世尊よ」

 

 覚者は何度も私に言って、私もそれを守った。私には沢山の妹弟子が出来て、尊敬してくれる娘も沢山いた。

 駆け比べをすると、何時も私が一番だった。妹弟子は褒めてくれた。勿論、御主人も褒めてくれた。でも私は何だか、段々走るのがたのしくなくなっちゃった。

 

 覚者がお出掛けになる時は、何時も私が付き人として付いて行ったよ。旅先で素晴らしい教えを説かれて、弟子はどんどん増えた。

 私は新しい弟子に、毛並みが綺麗だとか、足が速いだとか、かしこいだとか言われて慕われた。でも、走っても走っても、昔の様にたのしい気持ちにはなれなかった。

 

 私は苦しかった。満たされなかった。

 皆は尊敬してくれるけれども、それじゃ足りなかった。もっともっと、走りたかった。

 何故? それが自分でも分からなかった。

 昔は、死にかけた御主人をおんぶして走るだけでたのしかった。御主人の安らぎが、私の安らぎだと思っていたのに、それなのに苦しかった。

 そんな時だったよ。御主人の付き人はずっと私だった、永劫に代わる事もないだろうと思っていた。なのに、代わる様に言われちゃった。

 

「これからは、アーナンダに付き人を頼む」

 

 私はそれを聞いた時、頭が真っ白になって、訳が分からなくなって、気が付いたら覚者をおんぶして逃げ出してたんだ……こらっ、皆「やった」とか「すごい」とか喜ばない様に。これは誤ちなんだから。

 

 いや、まあ。実際、私の心は弾んでいたよ。覚者を攫って、また二人きりで、昔の様にたのしく走れると思った。

 それから、しつこい追っ手を撒いて、ようやく落ち着いた場所で覚者を下ろした。

 静謐な土地だった。草は青々として涼やかに揺れて、目の前には清らかな泉がこんこんと湧き、彼方には雄大なヒマラヤが綺麗に見えた。

 

 覚者を誘拐した私は、彼に怒られるか、それとも悲しまれるかと思った。それで良いとさえ思っていた。何にせよ視線を独り占め出来る、しめしめ、と。

 でも、覚者はどうもしなかった。それどころか、下ろされた場所で静かに瞑想を始めたんだ。

 待っていたのに、私に何にも言わなかった。言ってはくれなかったんだ。

 それで、堪らなくなって、私から語りかけた。

 

「どうして何も言ってくれないのですか」

 

 そうしたら、覚者は目を開けて答えた。

 

「お前は私の言葉が欲しいのか」

「私はあなた様を攫いました、悪い事をしたんですよ」

「既にそうと分かっている人に、何の言葉がかけられようか」

「逃げようと思わないのですか、助けを呼ぼうとは思いませんか」

 

 私が聞くと、覚者は静かに笑われた。

 

「カンタカよ。人間がウマ娘から逃げられると思うか。また、本気を出したお前に、誰が追い付けると思うか。そんな事を一々心配していて、どうしようと言うのか。私は此処に止まっているだけだ」

 

 こころ安らかな言葉だった。私が言葉に詰まって言い返せずにいたら、覚者は続けて語られた。

 

「カンタカよ。振り返れば、この様に二人きりで言葉を交わす機会は久しくなかったなあ。私は、この様な顛末に至り、今、お前と語り合いたいと心から思う……覚えているだろうか。私が故郷を出て、正しい人の生き方を求め旅を始めた日の事を」

「はい、世尊よ。はっきり覚えています。勝手に付いて行った私は怒られましたが、この毛並みを切って捨て、決心を示しました」

「ああ、驚いたとも。私はあの時、このウマ娘の心は、想像していたより遥かに堅固なのだと気が付いた。世界一愛らしいのみならず、何と立派なウマ娘だろうかと感心を致した」

「えへへ」

「然れどカンタカよ。同じく思ったのだ。私は国を捨て家族を捨て、それでもお前だけは、捨てる事が出来なかった。それは私自身の心の弱さではないのかと」

「世尊よ。それは違います、私が無理矢理付いて行ったので御座います」

「その様に、お前が押しかけてきたと言い訳するのは簡単だ。けれども、本当は私自身がお前と離れる事が辛かっただけではないだろうか。思えば、王城で兄妹同然に青春を過ごし、お前には世話になり通しであった。お前は私の事をすっかり分かっていて、何不自由をする事が無かった」

「勿体なきお言葉です。世尊の安らぎが、全く私の安らぎであり幸せなのです。それなのに……」

 

 私は少し言うに躊躇って、けれども穏やかな覚者の目を見て、言う事にしたんだ。

 

「世尊よ。どうしてアーナンダなんかに付き人を任せるのですか! 私の方が、あなた様との付き合いが長く、万事すっかり分かっています。それに、私の方が速いのに」

 

 私は、いても立ってもいられず、ぱあっと駆け出して目の前の泉を一周して見せた。

 戻って来くると、覚者はいつもの様に満足気に微笑んでおられた。

 

「お前の走りは、まるで飛ぶ様だ。お前は私が出家してから長い間、かくの如き純一なる無量の身体と、言葉と、心とで、十分私に尽くしてくれた。真に善い行いをしてくれた」

「全然、十分ではありません。全く足りないのです。まだまだ私は走りたいのです」

「カンタカよ。何を急ぎ、走っているのか」

「世尊よ、私は走っておりません」

「いいや、お前は走っている。安んじよ、心配無い。疲れたろう。おいで、此処に止まって休みなさい」

 

 私にとっては、今までのどんな言葉より、この時の言葉が衝撃だった。がーんだった。私は膝から折れて、覚者の足に縋った。

 

「御主人、私の御主人! お願いです、止まれだなんて言わないで。どうか、私から逃げて行かないで下さい。私はあなた様のために、永遠に駆けていたいのです。

 ずっと一緒だったじゃありませんか。私の目には御主人の姿しか映らない事を、あなた様は知っているはずです。御主人、私は怖いのです。もしも、あなた様を失ってしまったら……私は全てを失ってしまいます。そう考えるだけで、堪らなく寂しいのです、苦しいのです」

 

 私は身悶えた。この身に纏わり付いて離れぬものは、まるで全身を焼き焦がす炎の様に、私を苦しめたから。

 覚者は、縋り付いて泣きじゃくる私の白い毛並みを撫でて申された。

 

「泣くなカンタカよ。私はこの様に説いたではないか。全ての愛するもの、好むものからも離れ、別れ、異なるに至るという事を。凡そ生じ、存在し、滅するべきものであるに、それが滅びないという事がどうして有り得ようか。カンタカよ、かかる理は存在しない。

 それは、例えお前の足がどんなに速くとも追い付けるものではないのだ。人間がウマ娘に敵わぬ様に、どうしてウマ娘が諸行無常に追い付けようか」

「御主人。私はあなた様の言葉を一句違わず記憶しております。日々、何度となく妹弟子に語り、聞かせ、教えています。なのに、どうしても私の心は、未だあなた様の悟った実質を解し得ないのです。愚物。私はどうしようもない愚物です」

 

 私は、ますます覚者の懐に顔を埋めて泣いた。その香りを、今この瞬間だけでも感じていたかったんだ。

 覚者は私が落ち着くのを待ってから、仰った。

 

「我が愛バ、カンタカよ。今こそ伝えたい。私とお前は似ている。先に申した様に、私もお前と別れる事が酷く辛く、苦しかった。知恵者と呼ばれる人々と問答を重ね、形在るこの身体を痛めつけても、どうしても私にはわからなかった。お前はその折も、私に尽くしてくれたね。何度も命を助けられた、ありがとう。

 しかし私は、肉体の苦しみ以上に、この心が苦しかったのだ。何故この様に苦しむのか、この苦しみを静めるためにはどうすれば良いのか……そうして、あの時、菩提樹の下で独り静かに考えてみた。

 すると、わかった。生きとし生けるものは、己の感知する範囲にのみ恩を受け、繋がっているのではないのだと。自分という存在をじっと見つめ辿っていけば、父や母や、人や動物や虫や木や草や、そしてウマ娘……この宇宙の遍く生命に繋がりを持っている。その一つ一つが不思議な縁で互いに支え合い、だからこそ相互に存在たらしめているのだ。

 それ故にカンタカよ。何も寂しがる事はない。万物は移ろい滅び去る。しかし我々という存在を根底で繋ぐものは、生ずる事も滅する事もない、不死のものであるから」

 

 私は顔を上げ、目と耳、そして心を動かして彼を眺めた。

 

「お前は何時も、曇りの無い真っ直ぐな眼で私を見てくれた。一度立ち止まって、その心の眼を使い、周りを見てごらん。昔、閉じこもりがちな私の手を引いてくれた様に──」

 

 覚者は、世界を指さして申された。

 

「見よカンタカ、世界は美しい」

 

 私は、指の先を見た。

 広い広い世界があった──そして、ふっと気が付いたんだ。

 こうして、ふと止まって見れば、この広い大地には沢山の生命が育まれていて、私はそれに属する命の一つに過ぎない。

 御主人、覚者さえ特別ではないんだ。誰しもが同じ、諸々の生命の中に支えられて立っている、ただの生き物。

 人間さんも、ウマ娘も、区別は無いんだ。

 

 私は、自己という存在が、御主人無くして存在し得ないと信じていた。また、昔お身体の弱かった御主人が、私の支え無しには自立出来ないという慢心があった。

 どんなに仲間が増えた所で、結局は二人だけで生きているのだと思っていたんだよ。

 でも違った。見渡す限り、みんな生きている愛おしい仲間だった。

 

 私は何て小さい範囲を、訳も分からず、休みもしないで、ぐるぐる走っていたんだろう。覚者の言う通り、私は疲れていた。じたばたしていた足を止めて、そして安らかに景色を眺めてみた。

 

 私は思った──嗚呼、本当に綺麗だなあ。その中に繋がって居られるのはありがたいなあ、って。

 

 それからもう一度、覚者を見た。

 その人は私から離れる事もなく、近づくこともなく、そこに正しく思い、正しく止まっておられた。

 気が付けば、御主人に対する私の燃える様な感情は消え失せていた。けれど不思議だね。これまでよりも、ずっと近く、慕わしく思えたんだ。

 

「尊き方よ。わかりました」

 

 手を合わせて伝えたら、覚者は嬉しそうに微笑んで、こっくり頷かれた。

 

「帰ろう。私を乗せて、走っておくれ」

「かしこまりました、世尊よ」

 

 私は来た時と同じ様に覚者をおんぶして、仲間たちの方に走った。

 諸々は過ぎ去り、滅ぶ。けれど私は己の意志で確かに駆けているんだ。あんなに快く走るのは、初めてだったよ──

 

 

 

 尊者カンタカは岩の上に、正しく思い、正しく止まっていた。月明かりに長い白毛がぼんやり浮かび、額の法輪は仄かに光った。

 その光の中に、衆生のウマ娘たちは尊いものを見出していた。

 

「同胞よ。『ウマ娘は走るために生まれた』と古来言う。それは決して、誰かと競走して勝ちたいとか、人間さんの視線を独り占めしたいとか、そんな貪欲にがんじ絡めにされて走るという事じゃない。

 私たちが生まれたのは、その娘自身の心が、生き生きと、清々しく、確かに大地を踏みしめて、たのしく走るためなんだよ」

 

 また尊者は、自分に泣き付き平伏したままの鹿毛のウマ娘に指して語りかけた。

 

「ウマ娘は、人間さんから離れて生きる事は出来ない。誰かのために駆けるのは決して悪い事じゃない、時に足へ活力を与えてくれるでしょう。けれどウマ娘(わたしたち)は駆けている最中、得てして視野を狭め、目の前に見えるものだけに執着し、離れ難く感じてしまう。私は言っておく。その執着こそが、愛するものを己から遠ざけてしまう、苦しみの根源なんだと。

 怖がる事はない。一度足を止めて、執着から離れ、周りを御覧なさい。あなたが生きている上で、本当に大切な事は何かと、安んじて想ってみると良い。その場所でしか見えない景色がきっとあるはずだよ。そう、速さの向こう側の景色(・・・・・・・・・・)が……」

 

 尊者カンタカは暫し言葉を切った。荒く肩で呼吸をして、ぐらりと頭がよろめく。

 あっ、と件の鹿毛のウマ娘が尊者を支えた。その息遣いから、白毛の比丘尼が酷く疲労している事が分かった。

 

《覚者》が齢八十で涅槃を得てから、何年を経ただろうか。

 その愛バの齢は既に主人のそれを超え、ウマ娘の命である足腰は衰え、尾っぽは落ち込み、付き人の支え無しには歩く事すら叶わない程に衰弱しきっていた。

 かつて空を飛ぶ様に駆けたというウマ娘は、今や死を待つばかりの老バであった。

 

「同胞よ。私はこの通り、人生の旅路を通り過ぎ、足腰は老い朽ち、老衰を待つばかりの身体となった。世尊が涅槃に入られた時と同じ様に……移ろい往くものに、人間さんもウマ娘も関わりない。

 同胞よ。私には、あなたたちの苦しみを知る事も、たちどころに癒す事も出来ない。自分の道は、自分で踏みしめて往きなさい」

 

 衆生のウマ娘たちは衰弱したカンタカの姿を眺めて、しくしく涙を流していた。その様子を見て、尊者は呼吸を整え、宥める様に言った。

 

「けれど同胞よ。心配は要らない。『自らを島とし、自らを拠り所として、他人を拠り所にせず、法を島とし、法を拠り所として、他のものを拠り所とせずにあれ』。

 御主人が教えてくれたんだ、良いでしょ。だから私は、大好きな御主人と別れても、寂しく思う事は一度もなかったよ。憶えておいて。走る事が、生きる事がどんなに苦しくたって、正しき法は、しあわせになる道は何時でも目の前に開けているんだ……」

 

 比丘尼の表情や声色に、不安や恐れというものは微塵も感じられなかった。ただありのまま、安らかに世界の在り様に面していた。

 そして尊者カンタカは、幼少から《覚者》と共にあった己の越し方を顧みて、またこの世に生を授かった一人のウマ娘として──感懐を込めて同胞たちに語った。

 

「走る事はたのしい。世界は美しいし、生命は甘美なものだ。あなたに幸あれ」

 

 ほうっと息をつく尊きウマ娘は、その時確かに──誰よりも速く、たのしく、人生を駆け抜けていたのである。

 

 

 ◆

 

 

 走りながらに止まる──そのウマ精神の境地を《走禅》と名付けたのは、実はカンタカ自身ではない。

 彼女の入滅後、その教えを経典に纏める際に名付けられたものである。カンタカにとっては名前なんてどうでも良く、それよりも生きた教えとして順々と説く事を大切にしたからだと言われている。

 この姿勢は《覚者》と全く同様であった。

 

《転輪教》と《走禅》は、その後インドウマ娘たちの足によって世界中に伝播された。伝播するに連れ徐々に体系化され整えながら、詳しく語るときりがなくなるので詳細は省くが、飛鳥時代の日本に伝来する。

 本邦の伝説的トレーナー、ウマ屋戸皇子──つまり聖徳太子の時代である。

 そして《転輪教》の神々は、日本土着の神々と合体(しゅうごう)したり、やっぱりそうじゃなくなったりしながら、現代に至る。

 

 冒頭でも述べた通り《走禅》は、トレセン学園の授業でも一部教えられている──のだが、大抵の生徒はトレーニングの疲れからか、うとうとしたり、堂々と居眠りしていたりする。

 さもありなん。日々ライバルたちとしのぎを削り合う、厳しい勝負の世界に身を置いているトレセン生にとって、尊者カンタカの教えは深過ぎるというか、端的に言って退屈(・・)なのである。

 普段ならば、先生が一喝して叩き起す場面ではある。しかし、カンタカは生前「最近の若ウマは師の話を真面目に聞かない」と憤慨する弟子ウマ娘に対して「そのままで良い、私の教え無しにたのしく走れる事に越したことはないよ」と、まるで未来を見越した様に説いた。

 だから敢えて先生らも厳しくしないでいるのである(それを良い事に昼寝の時間(・・・・・)呼ばわりする不届きな生徒も居るらしいが)。

 

 青春を謳歌するトレセン生は、ほとんど走禅を意識して駆ける事は無い。

 しかし、壁に突き当たった時、挫折した時、また手にした勝利に虚無を感じた時──その時、己を深く見つめたウマ娘にこそ、走禅の教えは胸に迫ってくるのである。

 

 一流のウマ娘には必ずトレーナーが付いている。何時も近くに居て互いに影響を及ぼし合う中にこそ、ウマ娘は成長出来る。

 更に家族や友人のために駆けているという娘、何か大切なもののために駆ける娘も居る。

 ウマ娘という人類は、何かのために走る時、人間には信じられない程の底力を発揮する人々である。

 けれども、ふとした時に考える。

 

 一体私は何のために生まれて、何のために走っているのだろう?

 

 そこへ行き着く過程は様々であれ、ウマ娘として生を受けた以上は逃げられない巨大な葛藤を前にして、苦しみもがいたウマ娘は古来どれだけ居た事だろうか。

 

 

 とあるウマ娘について話をしよう。

 そのウマ娘は、現役時代から自他共に妥協を許さないストイックな気性であった。走る事を楽しむなど不純である、全ては結果に付随するものだ──と、彼女は厳しいトレーニングを自分に課した。

 そして順調に重賞勝利を重ね、遂にGIレースを制覇した。それどころか、トレーナーをも恋人から最愛の夫へと電撃的に手に入れてしまった。

 トレセン卒業後は実業家としても活躍する。自身の経験を活かし、ウマ娘用のトレーニンググッズ販売で成功を収め、大きな財産を手にした。

 正に順風満帆バッチグー、羨まないウマ娘は居ない人生の成功者であった。

 

 とある日、仕事の資料作りに齧り付いていた彼女は、最近走れていない事にふと気が付いた。気が付いたからには、じっとはしていられないのがウマ娘という種族である。

 久々に走ってみようか。自社製のトレーニングウェアに着替えて、近所の運動場に移動し、いざ走ろうとした時──どうした事だろう、一歩も足が進まなかったのである。

 そんなバ鹿な、と何度も足を上げようとしたが、全て徒労に終わる。彼女は大変に落ち込んで、しょんぼりした。

 走れないウマ娘なんてウマ娘じゃない──そう自分を責め立てた。

 

「私は追い付かれた」

 

 と彼女は己を指して表現した。今まで目を背けていた全てものから、遂に逃げ切れなくなったのだと。

 自分は今まで、輝かしい勝利から、名声、財産、最愛の人まで、望むままに手に入れて来た。けれども、それで私は幸せだったのだろうか。何か自分の意志とは別の、大きくて怖いものに突き動かされていただけではないだろうか。走れなくなった自分が、本当に自分の望んだ姿なのだろうか。

 人生を振り返り、自分の手中に掴み取った様々なものを眺め──否。実は宝物を所有していると思い込んでいただけで、在りもしない幻影にしがみついていただけだったのかもしれない。

 

 嗚呼。何もかも、虚しい。

 

 誰もが羨むウマ娘は、他人に理解し得ない孤独に沈んだ。仕事も手に付かなくなってしまった。

 ただ一心不乱に駆けていられた過去を懐かしんだ。あの頃に戻りたい、ただ走る事だけ考えていられたあの頃に──そうして学生時代のアルバムを見たり、あの頃好きだった音楽を聴いたり、古ぼけた教科書を引っ張り出して読んだりしてみた。

 やがて彼女はある教科書のページを捲った。表紙には《道の教科書》とあった。

 

 ウマ娘は、心打たれた。

 当時は歯牙にもかけなかった授業の合間の昼寝の時間(・・・・・)、まともに読むのはこれが初めてかもしれない教科書。

 そこに書かれた、遥か遠い昔の、自分とは全然縁がないと思っていた尊者カンタカと《走禅》の教えに、尾っぽが震えた。

 

 いても立ってもいられなくなって、彼女は着の身着のまま我が家から飛び出した。

 目の前に、そして後ろにも道が伸びている。その事が妙に恐ろしかった。世界に独りぼっちだと感じた。暫く動けずに立っていたが、やがて暖かい手に背を押される様にして、一歩、だけ踏み出した。

 踏み出す事が出来たのだ。

 ウマ娘の目から涙が溢れ出た。膝から折れて、咽び泣いた。

 

 私は、初めて本当の意味で走る事が出来たんだ──その目で、広い世界を見た。

 綺麗だ。本当に、世界は美しい。

 

 その後、心配して外に出てきた夫に肩を抱かれ、家に戻った彼女の顔には晴れ晴れしたものがあった。

 翌日から職場に復帰するも、以前の様に何かに取り憑かれた様な仕事ぶりではなく、何だかのびのびして打ち込んでいたという。

 アスリート志向であった彼女の会社は、以後、子ウマ向けにも商品を売り出し、これもヒットさせた。

 そして休日には、草レースチームでたのしそうに走る社長ウマ娘の姿があった──

 

 

 以上が《走禅》にまつわる、とあるウマ娘の話である。

 一見、順風満帆だったり能天気そうに見えるウマ娘でも、心の隅には恐怖と孤独を抱えて生きているものだ。

 その疑問は、ふとした瞬間に湧き上がってくる。

 

 何のために生きているのか?

 何のために走るのか?

 

 二千五百年前の世界に生きた尊者カンタカは、現代のウマ娘たちに対面して、暖かく答えてくれるのである。

 

 

 ◆

 

 

 トレセン学園、道の教科書より引用。

 尊者カンタカの《走禅》の教えについて、要点が纏められた経の現代語訳。

 

『走禅の完成者たる、悟ったウマ娘に礼し奉る。

 

 求道者にして聖なる走自在菩薩(カンタカ)は、誠に走るという事を実践していた時に、一つの真実を悟り得た。

 走る事は、全く、たのしい。

 更に彼女は、走るという事の本性が、即ち止まる事であると体得したのであった。

 

 止まると言っても、それは走るという事を離れてはいない。

 また走るという事が、止まるという事を離れてもいない。

 凡そ走るという事は止まる事なのであり、止まるという事は走る事なのである。

 相互は一体なのであり、だからこそ相互で在らしめるのだ。

 

 走る事は一途である。

 一途が故に、前に見えるものは変わらない。

 前に見えるものが変わらなければ、止まっているのと同じである。

 走れば走る程、心はそこに止まっている。

 それなのに、ずっと走ろうとするのは、むりぃであろう。

 

 止まる事は自由である。

 自由が故に、四方を見渡すものは移ろい変わる。

 四方に見えるものが移ろえば、それは走っているのと同じである。

 止まれば止まる程、心はそこに走っている。

 それなのに、ずっと止まろうとするのは、むりぃであろう。

 

 走らねば生きてゆけず、また止まらねば生きてゆけない者なのに、ただ片方を求めるのは虚しい。

 ひた走る事に取り憑かれたり、ただ止まる事に執着したりするのは、つまらない事だ。

 だから、それぞれの真ん中でいなさい。

 

 この世は無常である。

 あらゆるものは空である。

 しかし、決して虚無ではない。

 空を知り、煩悩を離れ、誠に止まる。

 そうして初めて見える景色があるのだ。

 

 尊い方は仰った。

 追い付けないものへ急いでどうする。

 何もあなたから逃げてはいない。

 安んじよ、心配無い、そこに止まりなさい。

 

 尊い方は仰った。

 背を押すものへ逆らってどうする。

 何もあなたを邪魔したりしない。

 安んじよ、心配無い、そこに走りなさい。

 

 尊い方は仰った。

 安んじよ、心配無い、ありのままで居なさい。

 

 走りながらに止まり、止まりながらに走る。

 この立場においては 速いという事も無く、遅いという事も無く。

 逃げも無く、先行も無く、差しも無く、追い込みも無く。

 勝つ事も無ければ、負ける事も無い。

 心が走りから遠く離れているから、誠の走りを悟り得るのである。

 

 その走りの完成によって、遂に区別は除かれる。

 区別が除かれるから、全ての掛かりは取り払われる。

 掛かりが取り払われるから、誠に走る事が出来る。

 誠に走るという事は、たのしいものだ。

 その様にして、過去、現在、未来の三世におわす目覚めたウマ娘は、完成された走りの中に安住しているのである。

 

 それ故に、ウマ娘は知るべきである。

 大いなる悟りの真言、走りの完成の真言。

 無上の真言、無比の真言。

 それは、あらゆる掛かりを取り払い、たのしく走る事を真実にするものである。

 

 走る者よ、走る者よ。

 彼岸に走る者よ。

 彼岸に全く走る者よ。

 悟りに、幸あれ。

 

 これが偉大なる走禅の完成についての経である』

 

 

 ◆

 

 

 走れども走れども。わたくしは何処へ向かい、到達する訳もない。それを知る、かしこいウマ娘は実に安楽の境地へ赴く。

 

 ──尊者カンタカ、走自在菩薩

*1
鹿野苑の事。古今東西のウマ娘が何故か鹿をライバル視しているのはご存知の通り。

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