そこで尊者カンタカは、妹弟子であるアーナンダに告げた。
「さあ、アーナンダよ。今日はあの村へ托鉢に参ろう」
すると若きウマ娘アーナンダは尊者に言った。
「カンタカ様。お止めになった方が良いと存じます」
訳を問うと、アーナンダはウマ耳を倒し、口ごもって答えた。
「あの村について耳にした事があります。指導人さんと無理矢理に駆け落ちした者たちの寄り合いだとか。あなた様は、そういうウマ娘の足に任せた行為の戒めを説かれます。きっと歓迎されないでしょう」
「そうであれば、なお、わたくしは行かねばならぬ」
悟ったウマ娘は答えて言った。妹弟子は驚き、持ち前の心配性を見せた。
「では、先んじて私が参って説明しましょう。何事かあっては心配です」
言って、アーナンダは村の方に走って行った。暫くして、尊者カンタカは一抱えもある丼鉢を持って托鉢に赴いた。
村はひっそりしており、戻って来たアーナンダはおどおどしていた。尊者が村の奥の集会所まで赴くと、村民はそこに集まっていた。
村ウマ娘たちは、屋内に夫たちを入れておいて、自らは前で徒党を組んでいた。耳を絞り、悪い虫を追い払う様に尾っぽを激しく動かしていた。そして、一番前に立っていた村ウマ娘が言った。
「自らを『目覚めたウマ娘』等と語る者よ。あなたは、この村に何をしに来たのですか? そこの、お若い弟子から聞いたのにもかかわらず、何をしに来たのですか?」
力任せに夫を担いで逃げて来たというウマ娘たちは、腰を低く落とし、眼差しを激しくさせていた。尊者は一抱えある丼鉢を見せて「これへ」と答えた。村ウマ娘は嘲笑した。
「否。そればかりでは、ない。私たちも、あなたの噂を聞いた事があります。我々を叱りつけ、反省させにやって来たのでしょう。
けれど、ようやく見付けた心の休まる所を、安住の地を、どうして脅かすのですか? 目覚めたと語る者よ、お帰り下さい。己を大切にされるならば、帰った方が幸いです。我々は、ただ放っておいて欲しいのです」
周りの村ウマ娘たちも「そうだそうだ」と高く言った。アーナンダは心配し、おどおどして姉弟子の裾を引いた。尊者は微笑んで、気に掛けず、村民に言った。
「しかし、同胞よ。あなたは安らかな様に見えない」
そして尊者が一歩踏み出すと、村ウマ娘たちは一歩下がった。これまで彼女たちを説得しようと試みる様々な知恵者を見てきた。しかし徒党を組んで威嚇するウマ娘を相手に、全然怯まない行者は初めてだった。そこで尊いウマ娘は尋ねた。
「皆さん指導人さんはすきですか?」
『すきです。』
「私も師がすきです。」
ウマ娘一同は、うんうんと頷いた。
「けれど師はこの前、涅槃に──亡くなりました」
村ウマ娘たちは、今度は二歩前に進み出て、尊者の顔を確かめた。そんな風には見えない。が、その微笑みは嘘を吐いている様にも見えなかった。
「同胞よ。指導人さんとお別れするのは怖いですか? その後ろの建屋に指導人さんを閉じ込めて、安心ですか?」
駆け落ちウマ娘たちは答えられなかった。激しい威嚇は消えて、ただ怯えが残っていた。
彼女たちは、愛する人間さんを独り占めしたかった、片時も離れたくなかった。しかし何故だか、二人きりでは居られなくて、結局こうして寄り合いを作っていた。
尊者カンタカは「よっこらしょ」と丼鉢を置いて、徐に座した。つられて、村ウマ娘たちも座った。絞られていたウマ耳は、ぴんと前に向けられていた。
「同胞よ。わたくしは説く。人間さんはウマ娘に勝てない──そう思った事から、恐怖が生じる」
村ウマ娘は、はっとして息を呑んだ。
「同胞よ。実を申せば、わたくしも師を担いで逃げた事があった。安住と、寄るべき処とを求め、自慢の足で逃げた事があった。その事から、わたくしに恐怖が起こったのである。
世界は何処も堅実ではない。どの方角でも全て動揺している。走りに走り、わたくしは遂に恐怖に取り憑かれていない住所を見付けなかった。
わたくしは自己の心を貫く、見がたき恐怖の矢を見つけた。さあ、汝と同じ恐怖の矢に刺されたウマ娘の姿を見よ!
その矢に刺された者は、あらゆる方角を駆け巡る。そのじたばたする様子は、まるで水の少ない所にいる魚さんと同じ様なものである。此処に水があるだろうか? 欲するものがあるだろうか? と苦しみもがく。
その苦しみから相互に抗争をせねばならぬ。毎日の抗争から、また震えて、見えざる恐怖の矢に刺される──」
一番前に座していた村ウマ娘が手を挙げた。
「自らを『目覚めたウマ娘』と語る者よ。それでは、その恐怖の矢を見るためにはどうすれば良いのですか? あなたと同じ目覚めを得るにはどうすれば良いのですか?」
目覚めたウマ娘は答えた。
「同胞よ。そのために、知らねばならぬ。例え空から指導人さんが降ってきて、地から指導人さんが湧き出し、無量の指導人さんが片時も離れず世話を焼いてくれたとて──あなたの渇愛が満たされる事は、ない。
あなたの心すら、あなたのものではないのに、それなのに、どうして指導人さんが自分のものになるのだろうか?
同胞よ。あなたは心の休まりと、安住を得た、とわたくしに告げた。しかし、違う。あなた方は未だ走り続けている。恐怖の矢に貫かれ、じたばたして、逃げ続けている。心が休まるどころか、疲れ果てているのではないか?」
全身をウマ耳していた村ウマ娘たちは、泣き伏して嗚咽した。
「ああ、目覚めたウマ娘よ! あなたは真実を仰りました。私は怖いのです。あの日、奪って逃げた指導人さんが、別の誰かに奪われないかと。また、突然別れる日が来るのではないかと。
こうして閉じ込めても、手を繋いでいても、それから抱き着いていても、まだ怖いのです。お願いします。その見えざる恐怖の矢を引き抜く術を説いてください!」
己の指導人が宇宙一だと信じるウマ娘たち、各々は懇願した。
「同胞よ。わたくしは説く。人間さんはウマ娘に勝てない──と思う、弱さに打ち勝て。
走る足を止めて、静かな心で世界を見よ。恐怖に負けないという勇気を奮い、本当の自己の安らぎを学べ。がんばれ、煩悩に負けるな。世間における諸々の束縛の絆にほだされてはならない。絆は、自己の恐怖を制する手綱とせよ。
安らぎを求めるウマ娘は誠実であれ。傲慢でなく、偽りなく、悪口を言わず、怒る事なく、優しい者であれ。たった一人の指導人さんを大切に想う様に、その様に、他の生き物に対しても慈しみの心を起こすべし。
そうして『走る心と、止まる心』を知った時──恐怖の矢は引き抜かれる」
駆け落ち村のウマ娘たちは、感激して手を合わせた。
「目覚めたウマ娘よ。見事な事です、素晴らしい事です! あなた様は法を説かれました。本当の寄る辺を説かれました。私たちに教え、励まし、喜ばせたのです。
目覚めたウマ娘よ。あなた様の説く『走る心と、止まる心』に帰依します!」
たちまち、じめじめした場所に閉じ込められていた指導人たちは解放され、号泣する妻と抱擁した。
そうして、尊者カンタカと妹弟子アーナンダは、丼鉢を山盛りにして帰って来た。
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自他を見聞しては優越する事に躍起になっている娘、彼女は走るたのしさから遠のく。怠りなまけ自堕落な習慣に浸っている娘、彼女は走るたのしさから遠のく。
我の方が速しと驕り昂ぶる娘、彼女は走るたのしさから遠のく。全ては無為だという影に怯える娘、彼女は走るたのしさから遠のく。
これら極端を貪らず、自他を見聞しては内省し、日々研鑽向上に努め、身辺の諸々の事に感謝し、自己をそのままに見つめる娘、彼女こそ走るたのしさに近づく。
──尊者カンタカ、走自在菩薩