弘法大師空海ゆかりの霊場、四国八十八箇所を巡る。人間さんの足だと平均四十五日ほどかかるが、ウマ娘だともっと早い。
かといって過酷な事には違いなく、相応の覚悟が必要だ。ウマ生に行き詰まりを感じたり、岐路に立たされたウマ娘が己と向き合うために発心する事がある。
それがどういう意味であれ『満足するまで巡る事』が重要だと言われる。
思い立ったが吉日。白衣を纏い、脚半を締め、金剛杖を握り、菅笠へウマ耳をすっぽり通す。
一二周目では大抵が
「ああ、彼女は私を追い抜いた」
「ああ、私は彼女を追い抜いた」
そういう競争心に終始して、終わる頃にはヘトヘトになり「私はこんなに早く巡拝を済ませたんだぞ!」と得意気に言う。
しかし、そこで満足するウマ娘はむしろ少ない。心のしこりは消えないままだ。縋り付く様な思いだけが強くなる。
走即是止、止即是走。
走ること即ち止まることであり、止まること即ち走ることである。
わけがわからないよ。
三周目を経た頃から、必然、追い抜き追い抜かれながらも別の事を考え始める。
「いま私を追い抜いた彼女も、きっと抱えきれない想いを秘めてるのだろう」
「いま私が追い抜いた彼女は、大層くたびれていた。助けられる事はあるだろうか」
足と共に思考は巡り変質し、比較の対象が自己の内面に向いてくる。
競う事で頭が一杯で気が付かなかったけれども、一二周目の時は親切にしてくれた人たちが沢山いた。
水をくれた人、握り飯を分けてくれた人、屋根を貸してくれた人──何より無事を祈ってくれた人がいた。だから今もこうして歩けている。
嗚呼、私よ、私よ!
想起せよ、想像を致せ。
これまでも、これからも、同じ事ではないか。競争心に支配される時、人は孤独になる。けれども逆に、他者を思い遣る心を起こせば人は孤独ではありえない。
嗚呼、そうだ。私は助けられてきた。今この時も。ありがたい。願わくは、その縁に繋がって居させ給え。
そういう想いを込めて、もう八十八度、じっくり問いかけるのである。
走ること即ち止まることであり、止まること即ち走ることである――
やがて、それがどういう意味であれ、お遍路ウマ娘は『
たまに帰らないで四国をぐるぐるしている娘もいるけれど。
◆
古来、お家に帰らないでぐるぐるしている
筆者が取材に行った折、地元の方に尋ねたら、おおよそ通過する場所と時とを教えてくれた(感謝します)。その場所の岩に腰かけて待っていると、運良く出会う事が叶った。
薄暗く、しかも結構な山道であったのだが、もの凄いスピードだったと思う。あれは何キロ位出ていたのだろう? 迫り来る白装束の行者ウマ娘さんは、正直、少し怖かった。
恐る恐る糧食と、替えの草鞋(なんぼあってもいい)を手渡すと、彼女は神妙に数珠を擦り合わせ、むにゃむにゃ御経を唱える。
それから笠をちょっと上げ、
「あなたと私の今日は、好い日でありますように」
と、晴れ渡った顔で笑いかけてくれた。背中とウマ耳をぺこりとさせて、颯爽、去っていった。
あれ以来、運気が上がった気がする。
◆
走ったから辿り着く所があるかい?
止まったから辿り着かない所があるかい?
それより君、今日は好い日だねえ。
──とある聖者と呼ばれたウマ娘。