古くはヤマト王権の時代、公のウマ娘
古今東西の歴史に然り、ウマ娘という生き物に神秘性を見出し、土着の信仰と結び付けたのだ。そして勝者は神に選ばれたウマ娘として称えられる──というのが、物事を努めて良く言おうとした時の説明である。
しかし実態は、神秘という
国家権力及び権威が絡んでくる以上、
否応なく巻き込まれるウマ娘にとって迷惑極まりない話である。
平安時代後期にも入ると『神秘の儀式』という建前は風化し、単なる権力闘争の理屈に呑み込まれていった。これまた迷惑だ。
「競走で勝つウマ娘って大体何処の家か決まってるよね」等と揶揄されたという。厄介な事に、それは
そこに颯爽と登場する──全く空気を読まず
「お公家様主催の競走に呼ばれた、わーい!」
と喜び勇んで、主催側の公家ウマ娘をぶっちぎって勝つ──的なムーブをかましまくった結果「あいつら、いと野蛮」と大顰蹙を受けたものの、やっぱり強いのは強い。
間もなく武士の時代が到来した。
しかし、権力組織の無情。
武家社会ですら(公家社会ほどでないにしろ)、権力に基づく忖度から逃れられなかった。
真剣勝負で手加減するは武士ウマ娘の恥──と胸を張っていても、主君筋と競走するにはやっぱり気遅れしようというものだ。特に鎌倉幕府が制度疲弊をおこすに連れ、その傾向は顕著になっていった。
記録を読めば一目瞭然、鎌倉後期の競走の勝者は北条家や有力御家人の系譜ばかりである。
そしてこの頃、造られ始めたのが《寺社バ場》であった。
寺社領に併設されたバ場の事である。地域ぐるみの勧進(募金)と共同工事で、自発的に設けられる事が多かったようだ。
公家や武士の領地に造られたバ場より公共性が高く、社会的後ろ盾のないウマ娘でも使う事が出来た。その性質から、優秀な在野ウマ娘
事実、寺社バ場から登用された既存の権力構造の枠組みに縛られない在野出身ウマ娘は、いっぱいがんばって鎌倉幕府を幾分か延命させた──結局は、圧倒的カリスマにして何だか良く分かんない人、足利尊氏に滅ぼされてしまうが。
さて先に述べた通り、公武領内で行われる競走は、しばしば政治的意図が入り込み、出来レースになりがちという問題を孕んでいた(無論、場合によりけりである)。
しかし寺社バ場は自ら創り出した"聖域"という意識が強く、より公平な競走がやりやすかったのだ。
その根拠は? なんか昔って競走は神秘的だったらしいよ。ご先祖様とか皆やってたっぽい。へぇそうなんだ!
という事で、寺社バ場競走の前には儀式が執り行われ『正々堂々たる競走を神仏の前に御奉る』という旨の宣誓がなされた。それを破れば天罰が下るとされ、八百長や賭博といった
上代の『神秘の儀式』が民衆によって復活したのである。
この様にして、寺社バ場には出来レースを倦厭した当局のウマ娘が顔を出す事も多く、身分を越えた交流の場にもなり得た。
寺社バ場とは、ごく限られた
当初、競走に神秘性を付与する事は、ウマ娘たちにとって、純粋な行為に精神的不純物をぶち込まれる迷惑行為であっただろう──しかし、時を経て《寺社バ場》という地域単位にローカライズされた"聖域"の概念が、逆に上下に開かれた公正な競走を促進する源になったという点は興味深い。
その後の寺社バ場は、室町時代に血気盛んなウマ娘の乱闘の温床になったり、戦国時代に在野のつよいウマ娘が集っていた所を燃やされたり、江戸時代は大いに奨励されたり、かと思ったら明治政府に強制閉鎖されたり──なんやかんやで、今日もウマ娘は寺社の敷地内を自由に走り回っている。