歴史の中のウマ娘   作:友爪

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遊牧ウマ娘と略奪婚について

 遊牧ウマ娘といえば、北方から風の様に現れて農村から男を略奪していくイメージを抱かれがちだ。ある意味では間違ってはいないのだが、これは農耕民側の視点が多分である。

 彼女らは、さぞ飢えた獣の様に涎を垂らし無秩序な欲望に身を任せた連中なのだろう──と思われるだろうが、その実は真反対で、略奪婚は厳しく統制されていたのである。

 

 遊牧地帯では何故かウマ娘ばかりが産まれるのはご承知の通りである。生物学的な謎は置いておくにしても、古来より草原が慢性的な男性不足であったのは間違いない。

 集団を維持するためには、他所から連れてくるしかなかった。そのための手段として略奪婚があるのである。

 

 しかし無秩序という訳にはゆかない。皆好き放題にやらせておくと、あっという間にウマ娘人口が爆発し、ただでさえ乏しい草原の資源では賄いきれなくなってしまう。

 そのために大量の餓死者を出し、滅亡した歴史上の遊牧民族は例に事欠かない。

 

 遊牧ウマ娘は、何時しか社会秩序として、また生存戦略の一環として、厳しい貞操観念で自らを縛る事にした。

 農村から男を略奪していく彼女たちは、普段貞淑過ぎる程に貞淑な──つまり初心なウマ娘の集団であった。涎を垂らして男を攫っていくのは、その瞬間的にそうであるだけだった。

 逆説的に、そうでない遊牧民は全て滅んだ。

 

 そして彼女たちには、秩序を敷く強い統制者が必要不可欠であった。特にユーラシアステップのリーダーを『可汗(カガン)』と呼ぶ。

 可汗の必要条件は、カリスマと実力を備えているのは勿論の事、羊さんの放牧地の分配など利権の調整能力が第一であった。

 そして中でも可汗の仕事として重要なのが略奪婚の調整であった。

 

 夫が欲しい。貞淑な遊牧ウマ娘は口にこそ出さなかったが、誰しも強く願っていた。

 しかし当時の結婚とは、現代の様に個々人で片付く問題ではない。遊牧ウマ娘たちは氏族で固まっており、さらに氏族は部族で纏まっている。当然ながら部族は他部族と仲が良かったり反目していたりする。

 そして囲い込む男の数は揉め事の種になりやすい。

 

 部族を束ねる頂点に立つ可汗は、部族間の利害関係を見ながら、そこに勲功を加味して、更には全体の人口バランスさえ考慮に入れて略奪婚の権利を配分しなければならない。

 緩め過ぎれば人口バランスが崩れ、かといって締め付け過ぎれば恨みを買って殺される──如何に可汗が並々の能力で務まらないか分かるであろう。

 そうした可汗の苦慮の下、功を立てて略奪婚が許された遊牧ウマ娘は、

 

『この度の功に報いんがため、三人まで攫う事を許す。この数の限りで氏族間で分配して良い。一人までなら属する部族内で権利を譲渡しても良い。ただし他の部族に権利を譲渡してはならぬ。当人が略奪の途中で反撃を受けて死んだ場合、最も近しい近親者へ権利が移動する。その権利を放棄する時は可汗から補償として羊さんを──』

 

 という風な細々した制約付きの略奪婚の権利を与えられる。そして翌日にでも、意気揚々と投げ縄を肩に引っ掛け農村地帯に駆けていくのである。

 

 では辛抱たまらず秩序を破って男を攫ってきた場合どうなるかといえば──厳罰が待っていた。

 ウマ娘にとって生命の次に大切な毛並みを切り取り捨てられて部族から追放されるのだ。遊牧生活において仲間から全く切り離される事は、即ち死を意味している。

 しかもさびしい。

 そうなってしまったが最後、泣く泣く攫ってきた男の故郷へ一緒に帰って畑を耕す場合が多かった様である。

 

 以上の様に遊牧ウマ娘の略奪婚とは、農耕民側の色眼鏡を取り去れば、欲望に身を任せた行動とは程遠い、実に合理的な社会活動の一部であった。

 中世十二世紀末に現れたチンギス・ハーンが世界帝国を築き上げられたのは、この分配と調整がなべて公平だったのが一因であるとも言われている。

 

 

 ◆

 

 

 前二百年、中華は長城の内側(・・・・・)である。

 この中華世界からすれば辺境と呼べそうな土地に一つの農村があった。この中華北限の村は古来北方遊牧民との係争地になりがちであったが、秦の始皇帝による万里の長城建設のお陰で、ここ十五年程は平和を享受出来ていた。

 

 しかし秦国の滅亡と楚漢戦争という中華世界の混乱に伴い、勢いを増した遊牧ウマ娘帝国《匈奴》は、度々長城の内側を脅かす様になっていた。楚漢戦争を制した高祖劉邦は、匈奴征伐のため大軍を率いて親征したが、遊牧民特有の駆射戦法(走りながら弓を射る戦法、パルティアンショット)に敗北を喫する。

 そして皇族の男児を匈奴の主《冒頓単于(ぼくとつぜんう)》に送り、何とか講和を結んだ──そういう時代だった。

 

 

 その中華辺境の村の、更に外れの草むらに匈奴ウマ娘二人が身を潜めていた。葉の付いた木の枝を両手に掲げて変装もばっちりである。

 随分歳の差がある。一方が本格化直後の若ウマで、もう一方は盛りを過ぎた老バだ。ただ、ウマ耳をぴょこぴょこさせて前方の村を注意深く窺う様子が同調していた。

 

「おばあ、どの人が良かろう」

 

 若ウマが尋ねた。老バは「そうさな」と少し草むらから身を乗り出して応じた。

 

「例えばあそこに、村外れをぷらぷらしてる小綺麗な男がおるじゃろ」

「うん、あれなら簡単そう」

「ああいう白くって軟弱そうなのは、駄目じゃ。持って帰っても直ぐに死ぬ」

「難しいね」

「うむ、折角の単于からの褒美、無駄にしてはいかん。それに私も曾孫の顔が見たい」

 

 若ウマは強めに鼻を鳴らしてから、祖母に倣い身を乗り出して目を忙しなく動かした──先の漢軍との戦で若ウマは奮闘し、大功を立てた。その恩賞として冒頓単于から略奪婚の権利を配分されたのだ。

 ところが遊牧民の若ウマにありがちな様に、彼女は男を選ぶ目に自信がなかった。草原に男が居ない訳ではなかったが、目を合わせるだけでかあっと上がってしまって、眼力を鍛えるどころではなかった。

 けれども白状するのは恥ずかしくて「男なんかに全然興味無いもんねっ」と虚勢を張っていた所、経験豊富な祖母は察して、同伴しようと申し出てくれたのだった──不意に若ウマの目が止まった。暫く黙り、唾を飲み込んでから言う。

 

「おばあ、あの人」

 

 徐ろに指差した先には、地面に何か棒を振り下ろしている浅黒く日焼けした男が居た。額の汗を拭う腕の筋肉は盛り上がっており、薄い唇と濃い眉はぎゅっと絞られて如何にも頑固そうな。しかし、近くを村人が通る時は「よう」と都度の挨拶を欠かさない。

 祖母は大きく頷いた。

 

「あれは良い。丈夫そうだし、頭も良さそうじゃ。それじゃ他も見てみて……」

「あの人が良い」

「急くな、時間はある」

「あの人が良い」

 

 同じ事を二度言った孫を見やれば、既に投げ縄を手に握りしめていた。爛々として目線が固定され、息は深く早く、頬が少し紅い。

 

「あの人が良い」

 

 聞かれてもいないのに三度目を言った。もう外からの言葉は届かない風である。

 若い頃の自分にそっくりだ──祖母は口角を上げた。

 

「良かろ。じゃが、まだ日が高い。夕闇に乗じるぞ」

「でも、待ってる内にいなくなっちゃう」

「安心せい。土をほじくる連中というのは、日暮れまで決してそこを離れん」

「そうなの、何で?」

「知らん」

「……分かった」

 

 はやる若ウマは先達の言葉に従った。

 日が傾き初め、他の村人たちがぼちぼち撤収しても、その男は未だ棒で土をほじっていた。都合が良い。孫は祖母の横顔に無言で訴えた。しかし人生の先輩は首を横に振る。

 何度か同じやり取りを繰り返し、とうとうお日様が半分地面に潜った。男は独りだ。若ウマは瞬きも忘れて目を血走らせている。

 今にも勝手に飛び出して行きそうになった頃、老バは人一人入る大きさの袋をばさりと広げた。そして、にやりと笑う。

 

「行け」

 

 正に引き絞られた弓矢が放たれる如く、屈強な匈奴の若ウマは草むらを飛び出した。投げ縄にひゅうんひゅうんと勢いを付け、投擲した。

 

 ──そして月日は流れ、かつての若ウマが今度は祖母となり、自分の孫に結婚の作法を手ほどきするのであった。

 


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