「ヴェスタヌの魔法力と技術力の高さは相変わらずだね。感心せずにはいられないよ……で? これをナナリーに飲ませたってこと?」
「言っておくが。飲むことを決めたのは彼女だからな。俺は勧めただけで」
「勝負って言ってたよね。そもそも彼女、僕が来たときには既に飲み始めてなかった?」
「“アルウェスがいつ来るか分からないから、自分は先に飲む。アルウェスが来たら彼にも飲ませる”ってさ。後で伝票を確認すれば、飲んだ量は分かるから比べられるって言っててな。最終的にどちらが多く飲めたかを競うつもりだったらしい」
掌をひらひらと振りながら、若干呆れた様子を見せるボリズリーに、アルウェスは呆れを隠さないため息で返した。
なるほど。地獄酒の代わりに、この酒で勝負しようと思ったのか。
確かに二人とも酒にはかなり強い方だから、飲み比べ勝負をするならこのくらい度数が強いものでないと、なかなか勝敗が決まらないだろうけど。
「もちろん、いきなりストレートで飲むのはどうかと思って、初めは慣れるために水割りを勧めたんだが……ちょっと目を離していた隙に、な」
「……ちょっと目を離していた隙に、何?」
不穏を予感させるような言葉尻に、すかさず切り込んでしまう。もうこの時点でロクでもない事態が予想されて、少し口を出したくなった。けれど今は彼の監督不十分をどうこう言うよりも、その内容を聞かなければ。
「続けて」
アルウェスの赤い視線がすい、と細まったのを受けて、ボリズリーも言い辛そうに口を開いた。
「“アルウェスに勝つのにそんな生温い手段は取っていられません”って……ストレートで飲み始めて」
「何?」
「あー……でも最初はそれでもグラスで少しずつ飲んでいたからまぁ大丈夫かと思って油断していたら……ははっ、気付いた時にはジョッキに変わってて驚いた」
「……」
「潔いというか。豪快だ、な……」
若干視線を泳がせて、罰が悪そうにしているサレンジャ・ボリズリーの姿など珍しいことこの上ないのだが。
残念ながら今現在におけるアルウェスの心中は、それどころではなかった。
ジョッキ。ジョッキと言ったか。じゃあ自分がここに到着した時に彼女が口にしていたのは、このアメジスト酒だったと?
というかその時、彼女の周りには他にも空のグラスやジョッキが散乱していたけれど、まさか。
アルウェスは押さえ付けているナナリーを見下ろすと、その白い顎に指をかけて上を向かせた。
「ねぇ君、結局どれだけ飲んだの?」
「う?」
ぽやぽやと頬を丸く染めて、こちらを見上げたナナリーに問う。
地獄酒は一口しか飲めなかった彼女だが、このアメジストという酒ならば話は別だろう。地獄酒のイメージで挑めば、まずその飲みやすさに驚いて、調子に乗って次から次へと手を出したに違いない。
そして酔いの回り方が比較的穏やかなので、その間に次の一杯を身体に流しこむことなど、気合い満タンの彼女なら容易だろう。
なにせ今回は、事前に樽二つを空けたりしていないのだから。
「この酒。僕に勝つために飲んだんでしょ?」
「そうよ。だってたくさん飲んだ方が勝ちなんだもの。ふふふ、地獄酒の時のようにはいかないわ。甘くて美味しいし、温かいしふわふわするし、まだまだ私は絶好調! いくらでも飲めるんだからね! 今のうちに大差をつけてやる!」
「いや、既にグラスとジョッキいってるよね? いくら飲みやすくても、度数自体はかなり強いんだから無茶しないで……ってこら」
ナナリーがグラスへと物欲しそうに顔を寄せる。それを受けてアルウェスは、咄嗟に手にしていたグラスを彼女の手が届かない位置まで離してしまった。
「あっ」
待っていかないで。私の勝利への杯。
咄嗟に追うように手を伸ばすも、自分のそれより遥かに大きな手に、握るように包まれてしまう。
まるでだめだと言わんばかりに身体を押さえつけられてしまい、ナナリーは目を細めて猛烈なる抗議の視線を向けた。
「アルウェス」
「これ以上はだめ」
「何で」
「飲みすぎです」
「む、何よケチ! そんなに私に負けるのが怖いわけ!?」
「君の醜態を世に晒してしまうことの方が怖いんだよ」
ああ言えばこう言う。こう言えばああ言う。手を伸ばせば掴まれて、足をばたつかせようとすれば、先読みしたかのように押さえ込まれてしまう。
ナナリーがどんなに必死に立ち向かったって、いつだって彼は簡単に防いでしまうのだ。それが昔から、ひどく悔しくてたまらなかった。
いつもいつも、あと一歩(どころではない時もあるけれど)届かない。
「邪魔しないでよ!」
「まぁまぁ」
「私は! このお酒を制して! アルウェスに勝つの!」
「はいはい」
「あんたより! たくさん飲んで! 薔薇色の明日を迎えるんだから!」
「分かった分かった」
「~~~っ」
むぅーっと頬を膨らませて、子供のように駄々をこねるナナリーを見下ろして、アルウェスは気怠そうに肩を竦める。
やはり彼女は、まだ酔いの渦中にいるようだった。子供のようにというか、むしろ子供である。大変分かりやすくて助かるのだが、少々扱いが面倒くさい。
酒の特性で翌日には酔いが冷めているだろうが、今夜あたりはずっとこんな調子なのかもしれない。
彼女の望むままに酒を与えていれば、その間だけでも大人しくはなるだろう。けれどそう思ったところで、残念ながらアルウェスにその気はさらさらなかった。
「今日はもうおしまい」
「……ばか」
淡々と告げれば、小さく毒付かれる。アルウェスは僅かに眉を寄せた。
拘束しているせいで、ぎゅっと密着した身体。蒸気した頬と、潤んだ碧色の瞳の上目遣い。そして少し尖らせた赤い唇。
──あぁ、もう。
さすがに公共の場だからと弁えているけれど、間近で不意にそんなものを見せつけられて、こちらが何も感じずにいられるなどと、本気で思っているのだろうか。
もちろん本人にその気がないことは一目瞭然だ。これはただの酔態で、どうせ明日には忘れてしまっているのだろう。
それでも。
「君って本当に、タチが悪いよね」
押し止めるように歯噛みして、軽い眩暈すら起こしそうになる自分をどうにか制すると、アルウェスはやや乱暴にナナリーを抱え直した。
「無意識で無防備なところが特に」
昔から、そして今も。彼女の全ては、ただただ自分だけに向けられてきた。
当時はさすがに恋情などという可愛らしいものではなかったようだけれど、どこまでも一途で、どこまでも真っ直ぐなそれは、やがて恋の色以上の鮮やかさを纏って差し出されるようになった。
だからそこへ一度でも触れることを許されてしまえば最後、手離すことがこんなにも躊躇われるのだ。
だってそれは決して手に入れてはいけないと、手に入ることはないと思っていた、ずっと昔から諦めて、それでも本当は心の底で諦めきれずにいたものだったから。
もちろん彼女が他を望むのなら、その時は背中を押すと決めている。むしろ昔はそうなるはずだと、それが正しい形だとも思っていた……たとえ自身の胸の内に、どれほどの痛みや喪失を抱えることになったとしても、彼女の意思を守るのだと。
何の制限もなく、ただ健やかに。
どんな形であれ、自分自身ですら彼女の制限になるのは許せない。妨げになどなってはならない。その思いは今も昔も変わらないし、これからも変わることはない。
いつだってそう思って、いつだってそう願っている。
なのに今はどうして、この手を離すことを考えただけでこんなにも……。
「ねぇ、アルウェスってば!」
「痛っ」
突如両頬に走ったのは、ぐにっと思い切り引っ張られるような痛みだった。その衝撃のおかげか、深みへと捕らわれそうになっていたアルウェスの思考が一気に浮上する。
「あれ、全然不細工にならない」
むんずと掴まれた頬が、これでもかというほど左右に広げられる感覚。見下ろせば、まるでこちらを見ろと言わんばかりに不満に溢れた視線に迎えられた。
「おかしいわね……どうなってるのよこの美形」
「痛いよ馬鹿氷」
「私の話を聞かないからでしょ馬鹿炎。さっさとそのグラスを返しなさい」
「返しなさいって、元々これは君のじゃないよね。君のグラスはこれ」
「あれ、こんなところにあった……ってこれただの水じゃない!」
「当たり前だよ。飲み過ぎだって言ったでしょ。人の話聞いてた?」
そう言いながらアルウェスはすかさず酒の入っている方のグラスの中身を煽り、一気に空にしてみせた。
「あぁ私の分っ! まだ勝負は終わってないのに!」
「始まってもないけどね。僕そもそも了承してないから。ほら、これ飲んで」
「ちょ、待っ……んぐっ」
アルウェスがもう強引に水の入ったグラスをナナリーの唇に押し付け傾けていると、ふと隣からくつくつと押し殺すような小さな笑い声が聞こえてきて。
「くっ……ふっ」