「ところでナナリーさん。アルウェスのことで少し尋ねても構わないだろうか?」
その日、もう何杯目になるか分からないほどのアメジスト酒に挑んでいたナナリーへ、ボリズリーはそっと声を掛けた。
もの凄い気迫と勢いで酒を煽り続けている彼女である。
その邪魔をするのは申し訳ないと思いながらも(当初あまりにも勢いが良すぎて、止めようとしたら怒られた)、それでもヴェスタヌ騎士団内でも類を見ない飲みっぷりには感心さえしてしまう。普通は割って飲むものだと言うのに、彼女は黙々とストレートで飲み続けているのだから。
そもそも別の酒を身体に入れてもなお地獄酒に口をつけることができたのだ。
彼女がかなりの酒豪であることは簡単に想像できたが、いくらなんでもあの地獄酒と同等のアメジスト酒をここまで飲むとは思ってもみなかった。
……とはいっても。さすがにあれだけの量を飲んだせいか、既にほんのり彼女の顔が火照っているようでもある。
この分では確実に身体には酔いが回っているのだろう。ならばある程度彼女の理性が残っているうちに、どうしても聞きたいことがあった。
「んんっ? 何ですか?」
手にしていた空のグラスを店員に渡し、さらに酒を注文していたナナリーは不思議そうに首を傾げてボリズリーを窺った。
水色の髪がふわりと舞うのを、ボリズリーは無意識に視線で追いかける。
澄んだ青空のように鮮やかなその色は、宝石のように煌めく碧色の瞳と同様にセーメイオンの印で現れた、彼女の魔法の色なのだという。
本当に、見事なまでの色合いだと思った。魔法で髪や目の色を変える方法はあるけれど、ここまで澄んだ発色をさせるのには相当な技量が必要で。
強い魔法力が外見に影響を及ぼすことは、知識として知っている。
けれどこうして実際目にするのは、多くを見聞しているボリズリーでも初めてのことであった。
目を引くような水色と碧色。ほうっと息を溢してしまうほどに綺麗で眩しい。透き通すように繊細な色合いに、どこまでも吸い込まれそうになる。
あぁこれが。氷の魔法を溶かしこんだ色なのかと。
「────っ」
そう思った瞬間……ふと彼の頭を過ったのは、本当に微かな違和感だった。
「ん?」
ボリズリーは僅かに眉を中央へと寄せながら、ナナリーの瞳と髪を凝視した。
ヴェスタヌにも氷型の魔法使いはもちろん存在する。オルキニスの事件のせいでその数は減ってしまったけれど、彼らに共通するのは全体的に色素が薄いという点だ。
肌も色白であったり、瞳の色も灰色や薄い水色であることがほとんどだった。
一方で目の前の彼女はどうだろう。確かに他の氷型の魔法使い達と同じように色白ではあるけれど、その瞳や髪の色は本当に鮮やかで、だからこそ色素が薄いとは言い難い。
もちろん氷型全員の色味が薄いというわけでもないだろう。水色も碧色も系統でいえば青色に属し、氷型の色と呼べなくはない……呼べなくはないのだけれど。
ただ、彼女のこの色はどことなく。
「海の色にも、見えるんだよな」
「……えっ?」
「あぁ、失礼」
どうやら漏れてしまったらしい。戸惑ったように視線を泳がせたナナリーに、ボリズリーが苦笑した。
「いや、突然すまなかった。ナナリーさんの瞳と髪の色がとても綺麗だったから。氷型の魔法の色であるとは思うけど、なんだか深く澄んだ海の色にも見えるなと思って」
「……海の」
「アルウェスから聞いているかもしれないが、前に各国の騎士団が魔物の痕跡を追って、海の国へ調査を試みたことがあってね。残念ながら私達は辿り着くことができなかったんだが、保護してくれたセレイナ王国で見た海が、ナナリーさんの色にそっくりだったんだ」
越えられなかった海の向こう。荒波が猛威を奮って襲い掛かってきて、侵入を拒絶された。魔法も思うように使えず、ただただ自然の脅威を前にして、成す術もなく敗北した。
けれどしばらくして落ち着きを取り戻した海は、ひどく静かでどこまでも穏やかだった。サラサラと流れていく波も、小さく波打つ白い水面も、何もかもが一転して静寂で、あのとんでもない洗礼を受けた身としては正直驚いたものだ。
空の色と波の色を混じり合わせたかのような、淡く深い色。それをキラキラと煌めかせて、眼前から遠い地平線の彼方へと広がっていく海原。まじまじと見たそれらは、どこまでも雄大で力強く、驚くほど繊細に感じられた。
そして空と海の青い境界が溶けて、混じり合って、繋がって。やがて一つの水碧色に染まっていく光景には、思わず息を飲んだほどだったのである。
……その時に見た色と、どことなく似ているような気がしたのだ。なんとなく同じだなと直感してしまうほどには、彼女の色はあまりにも海を彷彿とさせるから。
「……ん?」
そこまで考えて、ボリズリーはほんの少し眉を寄せた。
──なんとなく“同じ”?
思わず確かめるように彼女の鮮やかな水色の髪と、透き通すように澄んだ碧色の瞳を凝視する。
海を思い起こさせる色……言われてみれば確かにそうなのだが、どうして空ではなく“海”だと直感したのだろうか。
世界は広い。一人くらいは同じような色合いを持つ者がいてもよさそうなのに、この海に似た色彩を持つ者を、他に誰一人として見かけたことがないのは、偶然なのだろうか。
誰も持たないのは、まるで彼女だけに与えられた色であるからと。そんなふうに見えてしまうのは、果たして気のせいなのだろうか。
何の関係性もないはずの彼女と海。だというのに。
「どうしてこんなにも……」
ナナリーから視線を外せないまま、ボリズリーは頭を抱える。
一つ一つはとても些細なことである。ひょっとしたらただの偶然なのかもしれない。気にしすぎだと言われてしまえばそれまでだ。
けれど、一度気が付いた小さな疑問は次々と思考を熱く沸き上がらせ、まるで偶然を必然に塗り替えてしまうほどの勢いで頭の中を駆け巡る。
シュテーダルとの戦いの時、セレイナ王国の王女と共に現れた人物が海の国の“マイティア王子”だと、他でもない彼女が知っていた理由は。
人間の世界とは関わりを持たないはずの海の国の王子が、わざわざ遠く離れたドーラン王国にまで駆けつけてきてくれたのは。
そんな海の国の王子が、人間の身であるナナリー・ヘルの身体に氷の始祖の力が宿っていることを知っていたのは──……。
まるでバラバラだったパズルのピースが一つ一つ嵌まり合うように、頭の中でぱちぱちと連鎖反応のように繋がっていく。
なぜ。どうしてと。
それまで朧気で輪郭が掴めなかった疑問の欠片が、引き寄せられるように集まってくる。その欠片がやがて形を成して、あともう少しで全体像が掴めそうだというところで。
「……っ」
「えっと、ボリズリーさん?」
目の前で揺れる水色と碧色。それを前にして、ボリズリーは自身の心臓が妙にドクドクと激しく鼓動を鳴らすのを自覚した。
まさか。
いや、これはさすがに。そんな結論、普通なら到底ありえない話である。何の証拠もない、かなり飛躍した、非現実的な推測と発想だ。口にすれば笑われるかもしれない。
頭がおかしいと心配されるほどには、この考えはあまりにも異常だと自身でも分かっている。
それでも。
「ナナリーさん」
ボリズリーは息を潜めながら、ゆっくりとナナリーの方へと身を寄せた。
かつてセレイナ王から聞いたことがある。およそ二十年前に、海王の娘が海を飛び出し、人間の男と逃げたという話を。
単なる噂に過ぎないと思っていたけれど、あぁどうしてそれを、このタイミングで思い出してしまうのか。
ドクドクと叩くような鼓動を無視して、見つめた先の碧色の丸い瞳をじっと覗きこむ。
このとんでもない結論に、可能性を見出だしてしまいそうになる。希望的観測も含まれているかもしれない。だとしても否と断言するには、あまりにも都合の良い偶然があちこちに散らばりすぎているから。
確かめずにはいられないと、心が急いてくる。違っているのならばそれでいい。笑い飛ばしてもらってかまわない。けれど。
もしも真実だとしたら。それは、その時は──……。
喉を叱咤して、口を開く。掠れた吐息が先に漏れる。ボリズリーが戸惑いを隠せないまま、小さく囁いた。
「ナナリーさん。ナナリー・ヘルさん。貴女は、もしかして……」