彼とカレ、そしてかのじょ   作:あすす

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酒場の二人と、直前の秘密話⑥

「別に私が予め把握していたところで、とても事態を好転できたとは思えません。でも……っ」

 

 分かっている。

 

 実際の結果として、自分には何の不利益もなかった。脅かされることもなく、煩わされることもなく、願った通りの日々を取り戻すことができた。

 

 全て無事に解決して、こうして落ち着くところに落ち着いた。それらは全て、何もかも彼のおかげで。

 

 分かっているのだ。全部。

 

 犠牲があったとしても、その一つ一つの出来事が今に繋がっているのだから、決して悪いことばかりで考えてはいけないのだと。

 

 分かっている。ちゃんと分かっている……だけど。

 

「そうじゃなくてっ……」

 

 どうしようもなく心が落ち着かない。ぐるぐる、ぐるぐると、感謝の気持ちと同じくらい大きな思いが、もうずっと胸の真ん中を渦巻いている。

 

 もどかしくて、歯痒いような。焦れったくて、癪に触るような。怒っているのに、どこか悲しくて。悔しくて、苦しい。泣き出したいのに、それ以上に叫び出したくなる。

 

 色んな思いがごちゃまぜになって、それが彼に守られる度にどんどんと膨らんでいく。

 

 広がって、込み上げて、吐き出したくてたまらない。だけどそうするにはあまりにも熱すぎて、心のどこかが押し止めるために蓋を閉めようとする。

 

 ジクジクとした熱がずっと胸のあちこちで暴れ回っていて、どうにかして楽になりたいと思うのに、どうすればよいのかが分からない。

 

 最初はこの思いの正体が分からなかった。今も整理はついていない。相変わらず感情が散らばっていてよく分からない。どんな言葉で表現するのが正しいのかも、まるで検討がつかないままで。

 

 だけどもう。我慢してばかりなのは耐えられないのだ。

 

 唇を噛んで俯いていたナナリーの、その水色の髪が一際大きく揺れた。

 

 眉を寄せて、頬をひきつらせて、唇を歪めて。碧色の瞳で睨み付けて。

 

 そして。

 

「アルウェスの、ばかっ!」

 

 ガンッとジョッキをテーブルに叩き付けて、思い切り言葉をぶち撒けた。

 

 これは不満だ。全部一人で片付けようとしてしまう彼に対して、どうしようもないほどに燻っていた不満の塊。

 

「私はか弱いお姫様じゃないっ。そりゃ本職には劣るかもしれないけれど、ちゃんと戦う術だって持ってるし、自己防衛くらいできるっ。いざとなればあんたとやり合えるぐらいには魔法だって使えるのにっ」

 

 一度飛び出してしまえば、怒濤のように口から言葉が次々と溢れてくる。

 

 お酒のせいもあるのだろうか。ここは酒場で、人の目があって、今だって当然のように注目を浴びてしまっている。どう考えても恥ずかしいことだし、お店にとっても迷惑だろう。

 

 けれど、それでも構わないと思えてしまうくらいには、どうしても我慢できそうになかったのだ。

 

 もちろんこんなことを口にして、あれだけ彼に守られてきた分際で、どんな傲慢だと言われてもしょうがないだろう。

 

 言ってしまえば、これはただの八つ当たりだ。理不尽で、子供じみていて、こうして表に出すのなんて本当にみっともない。成人して働いている年齢だというのに、一向に中身が成熟していないようで、こんなのひどく恥ずかしい。

 

 だからずっと誰にも、彼にさえ伝えまいと抑えてきたというのに。

 

「なのに一人で抱え込んだりして…当事者は私だって知ってるくせに」

 

 本当は、心のどこかで納得できていなかったのだ。彼が自分のために危険な目に遇うということが、どうしても許容できなかった。一度でもそう思ってしまえばもう余計に抑えられなくて。

 

 “知っていたら”と、思わずにはいられないのだ。

 

 学生の時の喧嘩が魔力暴走を避けるためだと知っていたら、憎たらしいとしか思っていなかった彼への態度も、ちょっとくらいは軟化できていたかもしれない。もしかしたら、彼に対して感謝の気持ちなんかも芽生えていたかもしれない。

 

 オルキニスの事件のことを知っていたら、彼が自分に魔力を預けていこうとした時に“馬鹿なことをするな”と一喝していたと思う。そもそも混沌の呪文にだって簡単に屈したりしないように鍛えまくって、なんなら華麗に跳ね返してやったりしただろう。

 

 シュテーダルとの戦い時に、彼が守護精の呪文を使うことを知っていたら、何がなんでも阻止していた。確かにあの時敵に不意討ちを食らわせることができたのは大きかったけれど、それでも彼が最後まで戦いに残っていてくれたらと思ってしまうから。

 

 褒賞をもらう時だって、彼が世界を偽ってでも自分の願いを叶えようとしてくれていたと予め知っていたら、それは、その時は──……。

 

 ガンッ、と強く。勢いに任せて拳を叩き付ける。

 

「っ、言いなさいよちゃんと!」

 

 言ってくれたら良かったのに。教えてくれたって良かったのに。色んなこと。少しくらい。昔から。今だって。

 

 ……そう、何度も思っていた。

 

 だってそうしたら、ほんのちょっとでも協力できたかもしれないじゃないか。結果は同じでも、過程を変えられたかもしれない。もしかしたら、もっとちゃんと言葉を交わしたり、対策を練ったりすることもあったかもしれなくて。

 

 なのに彼ときたら、いきなり喧嘩を吹っ掛けてきて、勝手に守護呪文をかけてきて、知らないところで囮になって、怪我をして。あげくシュテーダルとの戦いの時なんか魔力を全て使い切ったせいで倒れたりなんかして……。

 

『泣き虫で騎士団の迷子係の、受付のお姉さん』

 

 あんなにも穏やかに、氷の結晶の向こうに消えていってしまった。

 

「~~っ」

 

 あぁもう悔しい。そうだ、悔しいのだ。いつもいつも何も知らずに、ただ守られてばかりの自分が。

 

 彼と渡り合えると豪語するわりに肝心なところで動けなくて、成り行きを見ていることしかできない自分が……どうしようもなく悔しくて。

 

 涙を溢してばかりで、何もできない自分の弱さが、ただただ情けなくてたまらない。

 

 こうして彼に対して抱いていた不満だって、本当は自分自身に対して吹き出していた憤りだったのだ。

 

 自分がこんなにも未熟だから、彼に一人で背負わせてしまっている。不甲斐ないことは分かっているのに、彼のせいにして、やり場のない怒りを持て余しているのだ。

 

「……っ、すみません」

 

 強く短く息をついて、ナナリーは軽く肩を上下させた。気持ちを落ち着かせるようにジョッキの中の酒をじっと見つめ、それからゆっくりと視線を起こす。

 

 

 まるで今の自分の心境とは裏腹に、賑やかで楽しげな光景だった。それをぼんやりと目で追いながら、ナナリーはぽつりと口を開く。

 

「……どうせ、これからも私の知らないところで勝手に動くんですよ彼は。そして私はきっと、それを止められない」

 

 生意気で腹が立つ馬鹿炎だけれど、その実力は確かに本物で。嘘はつかないし、案外面倒見も良いし、約束は絶対に守ってくれる。そういう人なのだ彼は。

 

 でも、だからといって無茶をするのは見逃せない。倒れてしまう姿なんてもっと見たくない。怪我をするのも心臓に悪い。本当は、自己犠牲なんてしないでほしい。

 

 苦しくて辛くて悲しくて。怒りも混じる。あんな思いをするのは、もう二度と御免だけれど。

 

 そう思うだけでは、願うだけでは、彼には届かない。叶えるためには、それだけでは足りないということをもう、痛いほど実感しているから。

 

「ナナリーさん」

「私が立ちたいのは、アルウェスの後ろじゃない。彼の背中に庇われて守られるのではなくて、彼の隣に並び立ちたい」

 

 言い切って、吐き流すように長く息をつく。そうすればさまざまな思いで散乱していた頭の中が、少しずつ開けていくような感覚がした。

 

 彼が立ち向かっていくものに、自分も挑んでいきたい。彼が見据える先を、自分も同じ目線で捉えたい。

 

 彼が戦う時に、自分もその隣で。

 

「そのためには、一人で先を行ってしまうアルウェスに私が追い付かなきゃいけない」

 

 ゆっくり歩いてくれだなんて言うつもりは毛頭ない。引っ張って後退させるのなんてもってのほか。

 

 駆け出して、大きな背中に手を伸ばして、自分の手で彼を捕まえなければいけないのだ。

 

「だから私はアルウェスと同じくらい、それ以上に強くなりたい」

 

 力や魔法だけではなく。たくさん勉強して、仕事だってもっと極めて、立派な受付嬢になって、精神的にも逞しくなりたい。

 

 そうでなければ、彼の隣なんて務まるわけがないのだ。今のままではまた背中に庇われて、彼の隣に立つことなど夢の彼方に遠退いてしまうから。

 

「……そうか」

 

 それまでナナリーの碧色の瞳をじっと見つめていたボリズリーが、その真意を見極めようとしているのか、少し選ぶように言葉を紡ぐ。

 

「アルウェスと同じくらい、か……。ナナリーさんも知っている通り、彼は本当に強いぞ? それに普通の人達とは立場が全くもって違う。背負っている肩書きは伊達じゃない」

「はい、その通りだと思います」

 

 彼の言葉は至極当然のことで、ナナリーも大人しく頷いて返した。

 

 騎士団第一小隊隊長に始まり魔術師長、始祖級の魔法使い、さらに貴族界ではロックマン公爵子息にフォデューリ侯爵と。

 

 なんとも大層な名誉をやたらと持っている彼は、きっとその名誉以上の使命と責任を背負っているのだろう。

 

 それこそ一般人程度では到底想像もつかないような矜持と覚悟を、当たり前のように自身の力で掲げている。

 

「私はただのハーレの受付嬢ですから、騎士団とか魔術師長としての責務を言われてもあまり分からないし、貴族の義務とかそういうことも全然です」

 

 だから、彼の領分を奪い取るつもりはない。その重さも責任もよく知りもしないのに、軽々しく手伝うとかそんなことは言えない。

 

 まして彼よりも弱い今の自分が、どうして引き受けることができるだろうか。

 

「立場が違う私にできることなんて限られているでしょう。立場が違うからこそ、何もできないかもしれない。でもきっと、私にだってできることがあるかもしれないと思うから」

 

 どんなに小さなことでも、その時に動けなかったら絶対に後悔する。ましてその瞬間を逃して、後から知らされたりなんてしたら、またみっともなく当たり散らしてしまうだろう。

 

 それでは嫌だと思うから、今のままではいられないのだ。

 

 前を行く彼に追い付くためには、昨日の自分より一歩でも大きく踏み出さなければいけない。自分の足で進んで、自分の力で駆け出さなければ、彼の隣になんて立てやしないのだ。

 

「強くなりたいのは、アルウェスの隣に立つためでもあるし、私自身のためでもあります。知識も、魔法も、経験も、思い出も、全てを漏らさず糧にして、私だけの強さを手に入れたい。そうすれば立場が違う私でも、彼の隣に立つことができるんじゃないかと思って」

 

 そうして彼に示してやりたいのだ。自分がそこそこ有能で役に立つということを、他でもない彼に認めさせたいのだ。

 

 それができたら彼だって、もしかしたらこちらに協力を要請してくれるようになるかもしれない。黙って好き勝手するのを控えてくれるかもしれない。なんなら彼の心の内を、ほんの少しでも晒け出してくれるようになるかもしれない。

 

 何でもかんでも一人でこなしてしまう彼が、二人で挑むことを選んでくれるようになるかもしれないから。

 

「そういうわけで私、今はもっと精進しないといけないんです。そしてその途中で負けるようなことは、何であっても絶対に嫌で。相手が例えアルウェスであっても、どんなに小さなことでも……思いの強さで負けるわけにはいかない」

 

 負けない。負けたくない。誰にも……アルウェスにも。

 

 子供の頃からの意地かもしれない。けれど例え好きな人であろうとも、相手が彼ならばやっぱりそう思ってしまうのだ。

 

 初めて出会ったあの瞬間に抱いた感情は、間違いなく彼への思いの原点だ。どんなことがあっても、どんなに時間が過ぎ去っても、彼との最初の出会いは色褪せたりなんかしない。

 

『僕の勝ちだ』

 

 ……あ、やっぱり腹立たしい。今思い出してもやっぱり腸が煮えくり返る。

 

 初対面の女子に向かって何を得意気に宣言しているんだ本当に。さすが火型の魔法使い、人の闘争心に火をつけるはお手のものだ。

 

 でもきっと、これが始まりだった。この手遊びが自分をここまで押し上げるきっかけになった。彼への勝利を欲したから、学校の勉強も魔法実技も、あんなに頑張ることができて。夢だった受付嬢の仕事に繋げることができたのだ。

 

 少しばかり癪ではあるけれど、あの出会いがあったから、自分がここまで成長できたのだとちゃんと理解している。

 

 だからこそ、自分を引っ張り上げてくれた彼に対して思うことも、望むものも、増えたのだ。

 

「まぁ、いつも負ける度にあの得意気な顔を向けられて、鼻で笑われて、煽られて。腹が立つから全力で報いたかったっていうのが大きいですが……確かにアルウェスの方がすごい所たくさんあって、尊敬はしてるんですけど……でもそれとこれとは別っていうか……あの態度をなんとかしてくれたら、私だってもう少し大人しかったはずで」

「……くくっ」

 

 唇を突き出して何やら違う方向にぶつぶつ言い出し始めたナナリーの隣で、ボリズリーは堪えきれなくなったのか、ついに小さく吹き出した。

 

 

 

 

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