遮るように、ナナリーは呟いた。
「大丈夫ですよ」
俯かせた顔を上げて、軽く目を見張っているボリズリーを見上げて。
「私はアルウェスの背中を目指して、追いかけていますから」
水色の髪を軽く払って、視界を開けて。
「確かに彼は色んな能力も高くて、追い付くのもすぐには無理だと思います」
碧色の瞳を合わせる。
「それでもいつか、その背中に追い付いて……隣に並び立ってみせる」
透き通すように深みのある視線が、どこまでも真っ直ぐにボリズリーを貫いた。
「だから、そうですね。彼が一人きりになることはありません。むしろずっと私に追い掛けられて、心休まる瞬間もないと思います」
常に狙っていますから、と。
そう言い放ったナナリーは、手近にあったジョッキに再度手を伸ばした。
キンキンに冷えていたはずのジョッキは既に常温になってしまっていた。中途半端に残されていた中の酒もきっと同じ状態だろう。
けれど問題はない。そうだ、問題なんて何もないのだ。
自分は自分の思うままに動いているだけなのだから。
ナナリーは軽く魔法をかけて酒を冷やすと、そのまま勢いよく中身を煽った。
コクリと一度、冷やした液体を喉の奥に流しこんで。ふわりと甘く襲ってくる酔気を振り払うように、自身の頬をぱちんと軽快な音で叩いてみせる。
「絶対に。アルウェスの隣に追い付いてみせる」
宣言する。思うままに。
「そのために、まずはこの勝負でアルウェスに勝って自信をつけたいところですね」
そして次の瞬間には、ナナリーは上機嫌に酒の追加注文を取っていて。
「……」
それを目の当たりにしたボリズリーは微かに目を見開いて、そして微かに唇を震わせた。
「……そうか」
一瞬の沈黙の後、やっと返せたのはたった三文字のその言葉だけであった。小さく掠れて、吐いた空気に溶けて消えてしまいそうなほどに弱々しい音。
そうか、と。
吐き出した言葉を一つ一つ噛み締めて、ようやく思いを飲み込んだ。
その瞬間全身に血液が巡っていくように、手足の先まで温かな感覚が広がっていく。
胸の内に抱いた思いがそのまま温度に変わって、身体を満たしていくようであった。
当たり前だと言わんばかりに堂々とする彼女の姿が、ひどく眩しい。言葉通りだと思わせてくれるような力強い眼差しに、心がふるりと粟立った。
自分とアルウェスは確かに似ている。けれど自分が得られたものを、彼はずっと得られていなかったから。
誰かを守る彼は、誰かに守られる立場ではない。それは騎士として当然のことである。けれどそのことが、本当はずっと心配でならなかったのだ。
そしてそんな彼が守ろうとしている彼女は、守られるだけを良しとは思わない変わった女性だった。
彼に対抗意識を燃やし、彼に負けまいと立ち向かい、彼だけを見続け、彼の背中を捕らえようと駆け出せる強さとひたむきさを持つ、明らかに他の女性とは違う彼女は。
自分に言われるまでもなく、彼のことをこんなにも深く思ってくれている女性だったのだ。
「……ははっ」
不思議と笑みが零れた。まるで全身の強張りが溶けて、脱力してしまったかのように。
ずっと抱えていた胸の固いしこりが泡のように溶けて消えて、息の通りがずっとよくなった。
隣で店員から新しい酒を受け取っている彼女は、端から見れば珍しい色彩を持つ美しい女性にしか見えない。優秀で親しみやすく素直ではあるけれど、とてもではないがアルウェス・ロックマンとやり合えるほどの勇ましさは感じられない。
けれど。
「ならまずは彼に一勝だな」
「もちろんですっ」
彼に対してはものすごく負けず嫌いで、容赦なくて、執念深い。そしてどこまでも彼を意識して、片時も彼を思わない瞬間はない。
これが、ナナリー・ヘルという女性なのだ。
アルウェス・ロックマンと対等であることを願う者。
あぁ、なんて──……。
「……っ」
一度飲み込んでしまえばもうだめだった。抑えきれない笑みが次々と溢れて、身体を震わせる。
「ボリズリーさん?」
「いや、もう彼に突進する勢いだなと思って。それだけ意気込めるなんて本当にすごいな」
「はい! 絶対に追い付いてみせます。あの背中に一撃叩き込んで、追い越して、振り返って“あらお先にごめんあそばせ”って言ってやりますよ」
「~~っ、それは楽しみだ」
ジョッキを抱えて宣言する彼女が、こんなにも頼もしい。眺めているだけでどんどん心が軽くなっていく。無意識に零れる笑みがどうにも止められなくて。
よかった、と。胸の内から安堵が溢れ出た。
アルウェスの特別が彼女で。
彼女が追い求めるのがアルウェスで。
「本当に、よかった」
心からそう思えた。
「貴女ならできるよ」
心からそう信じられた。相手が彼女だからだ。
柔らかに口元を綻ばせたボリズリーが、ナナリーに笑みを見せる。
無意識であろうその優しい表情に、彼女も少しだけ目を開いて、そして嬉しそうに目尻を緩めた。
「ふふふっ……今のでちょうど樽一つ分くらい。まだまだ私の本気はこれからよ。見てなさいアルウェス!」
「待った。そろそろ少しペース落とそうか。だいぶ顔も赤くなってきているから」
「これは調子が上がってきている証拠なので大丈夫です!」
「……」
ボリズリーの制止を振り切ってごくごくとジョッキを煽るナナリーの勢いは、とどまるところを知らないらしい。分かってはいたけれど、相変わらず凄まじいほどの思いの強さだった。
そんな彼から半ば呆れと賞賛が混ざった視線を向けられながらも、ナナリーは思いのままに言葉を続けていく。
「私はアルウェスに負けたくありません。今まで受けた屈辱、一度たりとて忘れたことなんてないんですから」
「俺が言うのも何だが、アルウェス本当にもう少しどうにかならなかったのか……」
「いえ、そこで手加減してもらってもそれはそれで腹が立つので、却下です」
「……」
そんなにか、と視線で問うボリズリーに、そんなにです、とナナリーも同じように返してくる。
さほど大きくもない二人の声は、店内の賑やかさに埋もれてしまいそうであった。店員を呼ぶ声や客同士の笑い声、木製の椅子が引かれる音にカチャカチャと食器がぶつかる音。
それでも客が増えて大きくなる周囲の音の中で、二人の言葉は何よりも互いの耳に届いていた。
ボリズリーもナナリーの言葉に耳をよりいっそう傾ける。彼女が酔ってきているのは、その饒舌さから容易に窺えた。きっと普段の状態ならば、自分に対してここまで多くを語ってくれることはなかっただろう。
だからこそ、今この場での彼女の言葉は、紛れもない彼女の本心なのだ。
「私は純粋にアルウェスに勝ちたいと思っています」
「うん」
「飲み比べでも食べ比べでも、知識戦でも魔法戦でも、負けたくない」
「そうか」
「負けない。アルウェスに勝ちたい。というかアルウェスより強くなる」
「……本当にめちゃくちゃアルウェスのこと意識してるんだな? 仮にアルウェスより強くなったら、ナナリーさんはもう向かうところ敵なしになるわけだが」
ボリズリーがカランと自身のグラスの中の氷同士を軽くぶつけながら問うと、ナナリーは不思議そうにきょとんと首を傾げた。
そして。
「そりゃそうですよ。だって──……」
何の気なしに続けられた言葉だった。裏も含みもなく、ただ事実をそのまま表したかのような彼女の言葉に、ボリズリーは不覚にも一瞬、呆気にとられてしまって。
「……それもそうか!」
次の瞬間、今度こそ抑えきれなかったありったけの破顔をしてみせたのだった。