ゆらゆらと規則的に揺れる身体が温かい。まるで揺りかごに包まれているようで、ひどく安心する。
「……」
その揺れに合わせて、深く沈んでいた意識がふわふわと浮いて上がる感覚だった。周囲の気配をゆっくりと身体が感じ取って、柔らかく思考に触れてくる。
「……っ」
徐にパチリと目蓋が開いて、ナナリーはようやく目を覚ました。
「……む?」
視界いっぱいに映りこんだのは、金色の長い髪と少し硬めの白い首筋。
上半身は大きな何かにぺたりと倒して体重を預けているようで、ぽかぽかと温かく、お日様の匂いすら漂ってくる。
両足は地を踏みしめていないのか、ぶらぶらと揺れているような感覚で。
浮いている? とナナリーはぼんやり首を傾げた。
もしその通りならば、次は落ちるのではないかと一瞬ヒヤリとする。
それでも目の前にある大きな背中と、何かに支えられている身体の安定感のお陰で、とくに不安や動揺を覚えることはなかった。
「……っ、あれ?」
「起きた?」
もぞもぞと身動ぎすると、目の前の金色の頭からそっと声を掛けられる。
ナナリーが視線を向けたところで、首を回した彼の赤い瞳とちょうどかち合った。
「アルウェス……」
「おはようナナリー。随分人の背中でぐうすかと気持ち良さそうに眠っていたみたいだけど、ここに至るまでの経緯はちゃんと覚えてる?」
「え、背中? 眠……は?」
ぱちぱちぱち、と。ナナリーは無意識に三度の瞬きを繰り返した。
咄嗟に辺りを見回せば、目線とほぼ同じ高さに彼の形良い後頭部が見えて。
浮いた感覚の足が相変わらずぶらぶらと前後に揺れ、それが太股あたりに回された彼の腕にしっかりと支えられているのが分かる。
かくいう自身の腕は、黒色の隊服越しに彼の首元を捉えていた。
これは……おんぶか。おんぶされているのか。
「あぁ、そういえば……」
ひとまず状況を理解したナナリーは、今度は小さく眉を寄せた。まだ上手く働いていない思考を何とか回して、どうしてこうなったかを考える。
つまり、おんぶに至る経緯を思い出すためであった。
「ええと確か……ハーレでボリズリーさんに会って、話をして、アルウェスが来て、勝負して、帰るからおんぶを……はっ! そうよ勝負っ!」
即座に勝負のことを思い出したナナリーは、驚きと期待、それから若干早すぎる歓喜を滲ませながらアルウェスに迫った。
ボリズリーに勧められた、アメジスト酒による飲み比べ勝負だ。
確かアルウェスが到着するまでに先に量を稼いでおこうと思って、自他共に認めるハイペースを披露していたのだ。
そして彼が合流して同じペースで飲み続ければ、稼いだ分の差は縮まらない。つまり勝利となる。
そして気になる結果はどうであったか。
「私が今アルウェスより上にいるってことは……もしやっ! 私遂にあんたに勝ったってことねっ!?」
「……」
これは期待できるのでは。なにせかなり飲んだのだ。いくら彼が酒に強いとはいえ、さすがに後から来てあの差を埋めることなどできやしないだろう。
ゆるゆると口元が上がっているナナリーを、ひとしきり観察していたアルウェス。
やや物言いたげな視線を寄越していた彼であるが、次の瞬間には慈愛に満ちた笑みを彼女に向けて。
「勝ってません」
ばっさりと即時両断。あまりにも一瞬で、無情なほどに容赦がなかった。
「は、違うの?」
「違うよ。まだ酔いが冷めてないの?」
「じゃあ引き分け?」
「それも違います」
「それなら私……まさか負け、た?」
「そうじゃない。そもそも僕が勝負を受けてないから、勝ったも負けたもなくて……」
「そんな……っ! せっかくボリズリーさんに教えてもらったお酒なのにっ!」
「……話聞きなよ」
低く平坦な声で平然とぶった切ってくるアルウェスは、ナナリーを担いだままざくざくと足を進めていく。
そしてその背の上で、勝ってもいないし負けてもいない、というか勝負すら成立していなかったと聞かされたナナリーは、盛大な落胆の溜め息を隠しもしなかった。
「せっかくのチャンスだったのにな」
これでも長年の経験から、一人でアルウェスに勝つのがいかに難しいかは重々理解していたナナリーである。
だからこそ、あのボリズリーが協力体制をとってくれたことは、彼女に以前までとは違う明確な勝機を見出ださせていたのだ。
「あのアメジスト酒、私まだまだ飲めたのよ。そりゃ結構飲んだかなとは思うけど」
「ふうん。で、僕が来る前の総飲酒量は?」
「明細見てないからなんとも言えないけど、まぁあんたでも一目見た瞬間に度肝を抜かれるくらいはいったわね!」
「そんな薄い胸張って堂々と言えることじゃないけどね」
呆れたように頭を振る彼の金色の髪が、夜風に靡いてふわりとナナリーの頬に触れた。
痛くはないけれど少し擽ったくて、それから逃れるように再度辺りを見回してみる。
舗装されたレンガ調の通りを迷いない足取りで進む彼の両側には、すでに閉められた露店がずらりと並んでいた。
昼間は多くの人々が行き交いとても賑やかな通りだが、この時間は人の気配もなくただただ無音がどこまでも広がっている。
遠くの方で闇に浮かぶように大きくそびえ立つあの塔は、もしかして市場の時計台だろうか。
月を背にしているためかその輪郭がぼわりと発光しているように見えて、その淡さに視界に滲むようだった。
そういえば今何時だっけと小さく呟いたナナリーは、時計台を見つめたままはっと目を軽く開いた。
「ねぇここってもう市場の大通りよね。繁華街の入り口まで来たらユーリを召喚するんじゃなかった?」
「あぁそれはちゃんと覚えてたんだね。えらいえらい(笑)」
「なによどういう意味」
「してもいない勝負に勝った気でいたどこぞのお馬鹿さんが、予想に反して確かな記憶力を持っていたから。それに感動してただけ」
やれやれ本当にと言わんばかりのアルウェスの態度である。
相変わらず人の神経を逆撫でするような返し方にイラッとして、ナナリーは猛烈に目の前の金髪を一本ずつ引っこ抜いてやりたい気持ちに駆られた。
「なら、なんでこんなところまで歩いてきてるの」
この大通りは繁華街の隣に位置している。そして時計台が見えるのは立地的に大通りの中央付近で、つまりはもう繁華街の入り口自体は通り過ぎてしまっていることになるのだ。
昼間は露店が立ち並び賑やかな大通りも、今の時間は人通りもほとんどないし露店も片付けてある。
飛び上がるのに障害となりそうな物も建物もないのだから、別に今ここでユーリを召喚しても問題はないのだ。大通りから公爵邸まで歩けない距離ではないけれど、それなりに時間はかかってしまうのだから。
きょろきょろと辺りを見回すナナリーの太股を一度抱え直して、アルウェスはそのままじとりと目を細めて彼女に返した。
「そうしようと思ってたけど、気が変わったんだ。なにせ女性とは思えないほど爆睡している誰かさんをユーリに任せるだなんて、あまりにも忍びなかったから」
「……」
やれやれ本当に(ニ回目)と言わんばかりの返答であった。
ついでにこれ見よがしに大きな溜め息まで返されてしまえば、ナナリーはじわじわと沸き上がってくる怒りに、ヒクリと口角を引きつらせるしかない。
「すみませんね女性とは思えないほど爆睡してて」
「本当にね。いくら他に人がいないとはいえここが外だってことちゃんと理解してる? せめて人並みの羞恥心は備わっててほしいところだけど」
「~~~っ」
もうこの男本っ当に嫌味ったらしい。というかさっきからやたらと刺々しい。いっそ一本ずつとは言わず、髪の毛全てを一気にむしりとっても許されるのではないか。
一瞬本気でそう考える。それでも彼の言う通り、爆睡していた自覚はあるのだ。
ナナリーは仕方なく口を固く引き結ぶに留めて、その首筋に額をぐりぐりと強く押し付けた。
なにせ結果的に見れば、自分はたらふく酒を飲んで談笑して、あげく背負って送ってもらっているのだ。
さすがにこの状態で、さらに不平不満を口にするのは勝手がすぎるだろう。爆睡した自分を運ばせるのだって、ユーリには申し訳ないと自分でも思う……ユーリには。
ここは我慢するところだ、今こそ忍耐を見せろ大人になれ、とナナリーが懸命に自身へ言い聞かせていれば、不意に自身へと物言いたげな視線を寄越してくる彼の赤い瞳に気が付いた。
「何よ」
「君、彼と何を話してたの?」