「はい?」
アルウェスにしては少々珍しい、なんとも不思議な声色であった。
苛立ちと戸惑いと、それから純粋な好奇心といったさまざまな感情を混ぜたかのような声音は、やや固く強く、そしてどこか掠れて、浮わついているようにさえ聞こえる。
「何って?」
「話題と言えば、大方僕や勝負のことだろうとは思うけど。それ以外で彼と何か話した?」
アルウェスからじっと見つめられて、ナナリーは考え込むようにむむむっと眉を寄せた。
先程までのイライラは一旦端の方に寄せて、ひとまず目の前の質問に取りかかることにする。
「それ以外……」
と、いきなり言われても。
彼女がボリズリーと会話した内容ほぼ全てが、アルウェスや勝負に関することだったのだ。そもそも今日初めてちゃんと交流したような二人に、共通の話題などそうあるはずがない。
確かに最初に軽く自己紹介はしたし、料理を注文する時に食べ物の好き嫌いの話しはしたけれど、本当にそれぐらいだ。
他にと言われたところで、特に何も思い付かな──……。
『海の色にも、見えるんだよな』
「……あ」
頭を過った言葉に、思わず声を上げてしまった。
「ナナリー?」
「や、ええと」
「何」
「うーん」
「……何をそんな魔物のように唸ってるわけ? 真似?」
「そんなわけないでしょう!?」
条件反射のごとく、アルウェスの首へ回していた腕に全力で力を込めた。
「失礼にもほどがあるわっ! ただちょっと気にかかることがあったってだけで……」
「うん?」
怒りに任せていたエネルギーが急に減速する。自分でも分かるほど躊躇している様に、ナナリーは小さく唇を噛んだ。
まごまごしてしまうのは確証が持てないからだ。それでも自身の第六感が、あれは気のせいではないと訴えてくる。
もしかしたらちょっと厄介なことになりかねないと。そんな小さな不安感すら伴って。
「……」
しばらく口を閉ざしていたナナリーであったが、やがて恐る恐るといったように小さく口を動かした。
「や、あの、その。全然大したことじゃないんだけど……」
「前置きはいいからさっさと話して」
「……」
いやちょっと急かさないでもらえませんか。
思わず背後からアルウェスを睨み付けたくなる衝動に駆られるものの、そこは何とか堪え忍んだ。
こちらを急かすその声に、明らかに自分を心配してくれている色が滲んでいると分かったからである。
ただいざ話そうとすると、無意識の緊張に喉がカラカラになってしまうのだ。言葉を選ぼうと慎重になるのは、その先の彼の反応を気にしてしまうからなのかもしれない。
それだけ、あの時は驚いてしまったから。
コツ、コツと音を立ててレンガを蹴る彼の足は相変わらず軽快で。人一人背負っているというのに全く危なげもなく、立ち止まる気配もない。
そうして沈黙していたナナリーだが、ようやく心が決まったらしい。
ひゅっと小さく息を吸い込むと、目の前の金色の髪筋を視線で追いながら呟いた。
「ボリズリーさんに、私の髪とか瞳が“海の色みたい”って言われたんだけど……」
──コツ。
アルウェスの足が止まった。赤い視線が静かに流れる。
レンガを鳴らしていた彼の靴音が消えたことで、周囲の静寂がよりいっそう増した。
そして糸を張るような無音が広がるこの空間で、ナナリーの小さな声は唯一の音源であった。
「多分、褒めてくれたんだと思う。この髪の色とか珍しいし」
自身の水色の髪や碧色の瞳が珍しいということは知っている。これまでも多くの人に言われてきているから。
けれど、海の色に例えられたのは初めてであった。あまりにもピンポイントで言われてドキリとして、それを口にしたのがあのサレンジャ・ボリズリーだというところにひどく動揺した。
なぜなら彼には、シュテーダルとの戦いの中で、海の国からはるばるやってきたマイティア王子とのやり取りをばっちり見られていたからだ。
あの時確か、王子の名前を呼んでしまったはずで──この時点でまず、人間と関わりを避けてきた海の国の王子と、ドーラン王国の平民が顔見知りであるということがバレただろう。
そしてマイティア王子と氷の始祖の力の話も交わしたような──そもそも始祖が“宿る”なんてこと、本来なら当事者や関係者でない限りは知らないはずのことである。それを話題にするだなんて、もう完全に関係者決定だ。
「シュテーダルとの戦いの時は、正直皆てんやわんやしてたし、その後もボリズリーさんと話す機会もなかったから、特に気にしてなかったんだけど」
確かに、他の大勢にもマイティア王子とのやり取りは見られている。
けれど問題なのは、あのアルウェスと同等の能力を有しているだろうサレンジャ・ボリズリーが“気に留めた”ということなのだ。
聡い彼ならば。どうしてドーランの平民が慣れたように海の国の王子と言葉を交わしているのかとか、どうして海の国の王子が、その平民に氷の始祖が宿っているという事実を知っていたのだろうかとか……そんな些細な疑問を抱いたかもしれない。
敏い彼ならば。事態の変動によって誰もが見過ごし忘れてしまうような、そんな小さな気掛かりすら、何かのきっかけで簡単に拾い上げてしまえるのではないか。
そして一度でもそれらを疑問として自覚したならば、明らかにすべく何かしらの動きを見せようとするのではないか。
海の色と表現された色彩と、海の国の王子との関係性。これらの情報を手にした時、彼はいったいどこまで思考を回して、どういった結論を導き出すのかと。
「……あ」
そこまで考えた瞬間、まるで降って下りてきたかのようにナナリーが思い至ったのは、まさしくあの時のボリズリーの様子に他ならなかった。
深く考え込むようにしていた次の瞬間、軽く驚愕すら表情に浮かべてこちらを凝視して。
『ナナリーさん。ナナリー・ヘルさん。貴女は、もしかして……』
瞬間的に髪と瞳に視線を走らせて、ひゅっと小さく息を飲んでいた彼は、まるで“何か”に気付いたかのようで……。
「まさかボリズリーさん。私が海の……」
「大丈夫」
「……っへ?」
唐突に。まるで迷いや不安を断ち切るように。
ナナリーが続けようとした言葉を遮ったのは、他でもないアルウェスであった。
そして。
「大丈夫だから」
言い聞かせるように、もう一度。
淡々とそれだけを。そういうものだと言わんばかりに声で示して、アルウェスは確かにそう言った。
「……アルウェス?」
正面を向いている彼の表情は、背負われているナナリーには窺い知れない。
けれど身体を支えている彼の腕に僅かに力が込められて、彼女の身体がよりいっそう広い背中に密着する。
「あの……ぎゃあっ」
かと思えば、次の瞬間には突然身体がぐらりと傾いて、ナナリーは慌ててアルウェスの服を掴んだ。
「ちょっ、いきなり動っ……」
「危ないからちゃんと掴まってて。落とすよ?」
「いや急に歩き出したのはそっちでは!?」
理不尽極まりない言動の彼に、息をするように声を上げてしまう彼女。このあたりのノリやタイミングは長年にわたり培われた経験の賜物といえるだろう。
そしてそんなナナリーの様子をアルウェスが気に止めるかといえば、残念ながら否である。
コツ、コツと軽快な音を立て始め、何事もなかったかのように進み始める彼の足。その振動に合わせるようにして揺れる金髪が、荒ぶる彼女の目の前でゆらゆらと揺れていた。
「ねぇっ!」
「さすが彼だよね。確かに一瞬、魔法に触れられた感覚はあったけれど。それでも僕の魔法の方が一枚上手だったわけで」
「はっ……何?」
「ちゃんと効果は継続してるし、この件に関しては特に心配いらないよ」
「はい?」
いきなりすらすらと、まるで学術書物に対する見解を述べるように淡々と言い出したアルウェスの背で、ナナリーは呆けたように固まっていた。
魔法に触れられた感覚とか、一枚上手だったとか、心配いらないとか……何だ。何の話だ。
何故か唐突に始まってしまったアルウェスのよく分からない話に、ナナリーは思わず呆れて半目になる。
こういう時、彼はこちらの理解が追い付いていないのを承知で、あえて肝心な部分を省略してくるのだ。
あまり詳細を告げる気がないのかもしれないが、そのおかげでこちらは話の内容が見えないから苦労する。
「……いきなり何の話?」
「上書きの魔法の話かな?」
アルウェスの口から何気なく告げられたその魔法の名前に、ナナリーはひゅっと小さく息を飲んだ。