何も知らない若い女性や令嬢達が見れば、卒倒するかもしれないほどには眼福の光景なのである。実際に酒場の女性客や店員達は、頬を染めながらぼぅっと二人に熱い視線を飛ばしているくらいで。
だが残念なことに、現実はそんな夢に逆上せるような、甘い雰囲気なんぞは到底皆無であった。
間髪入れずに返されるやり取りは、極寒のごとく寒々しい。まるで賑わう店内の奥でブリザードが吹き荒れるようだ。その刺さんばかりに凍てつく空気が、非常に心臓に悪くて堪らない。
そして、そんな二人の周りにいる不運なヴェスタヌ騎士団の隊員達について。
彼らは当然、この状況下で暢気に酒や料理を楽しめるわけもなく。背筋を伸ばしながら、ただただ事の成り行きをハラハラと見守る他なかった。
そしてこれは無意識ではあるが、隊員のほとんどが本気で撤退の予備動作をとっているのだ。
目の前で対立している二人の実力を知るからこその対応……と言えば聞こえは良いのだが、言ってしまえば騎士としての危機察知本能である。
……ここで始祖級魔法使い同士の争いが勃発するのかっ!?
隊員達が手に汗握りながら、チラチラと上司であるボリズリーの方を窺う。だがしかし、視線を向けられた当の本人は、それらを全く視界にも入れてくれない。
これはもう、ボリズリーが嬉々としてアルウェスへ絡んでいるようにしか見えないのだ。絶対に確信犯だ。
親しい者が見れば、彼の口元が少し緩んで、どうやらこの状況をいたく楽しんでいることくらい容易に分かる。
「なに、普通にドーランの酒場を満喫していただけだよ......そうだよな、“お嬢さん”?」
そうしてゆったりとアルウェスに言い放ったボリズリーは、自身のすぐ隣に座っていた“彼女”の顔を覗きこんだ。
既に何杯も飲み干した後なのだろう。周りには空になったグラスやジョッキが所狭しと並べられている。
そして今現在、中身がなみなみと注がれていたジョッキを煽りきり、ゴトンと豪快な音を立ててテーブルに置いた彼女。
鮮やかな水色髪を揺らして、アルウェスの方をゆっくり振り返ったかと思えば、まるで鈴が鳴るような、軽やかな声を上げた。
「んん……っ、あっ!」
ぱちり、と。赤色と碧色の視線が交差する。
よく目にする青色のシンプルなワンピースを纏い、意気込むように腕捲りまでしている彼女は、ボリズリーが食事に誘っていたと噂の、ハーレの水色髪の受付嬢だ。
アルウェスがこの状況について徹底的に説明してもらおうと思い、もともと今日は仕事終わりに二人で食事の約束をしていたはずの……。
「アルウェス!」
ナナリー・ヘル。アルウェスがようやく、思うがままに手を伸ばすことが許された、彼の婚約者その人である。
「ナナリー」
アルウェスは迷うことなく、もう何度となく呼んできたその名前を口にした。
そうすれば、驚いたように丸く開かれていた彼女の瞳が、今度は嬉しさを滲ませたように緩く細められていく。
白い華奢な手が伸びてきて、彼は反射的にそれを掴む。柔らかな体温に触れて、指先からそれを感じて、そして引き寄せる。
「アルウェスだっ!」
座ったままのナナリーの身体が、アルウェスの腕の中にぽすっと収まった。
ふわりと舞った、彼女自身の仄かな甘い香り。それを直に感じれば、無意識に強張っていた彼の身体から、少しずつ力が抜けていくようだった。
「ふふっ」
頬を寄せ、腕を回し、ふにゃっとした緩い笑みを浮かべて。ただただ甘えるようにアルウェスへ身を預けるナナリーは、にっこりと口角を上げて彼を見上げている。
まるで待っていたと、ようやく会えたといわんばかりに、喜色に満ちた反応だった。
高揚をそのまま表現したような赤い頬に、キラキラと艶やかに光る碧色の瞳。隊服をぎゅっと掴む両手。
どれも全て、アルウェスに向けられている。
そんな彼女を真正面から差し出された彼といえば、微かに俯いて金色の髪を垂らすと、その下で人知れず小さく歯噛んでいた。
「……」
動揺してしまったのだ。不覚にも、意識を捕らわれた。
幼子のように感情が単純で、それを隠そうともしない彼女の姿が、ひどく純粋に見えたのだ。あまりにも真っ直ぐに、真正面からきてくれた彼女に、どうしようもなく意識が反応する。
だってそれは、普段の彼女の様子からは想像もつかないほどひどく素直な反応だったからだ。
普通に考えれば、彼女が人前でこんな態度をとるわけがない。むしろ常でないその態度に、まず彼女の身に何が起こったのかと心配する方が先のはずで。
理解していても、それなのに身体はそうはいかなかった。
嬉しいと微笑む彼女に、自分も同じ気持ちを抱いていることをまんまと自覚させられてしまったのだ。
「アルウェス、お疲れ様っ」
「……うん」
アルウェスが僅かにぎこちなさが残る手で、水色の髪をするりと撫でてやれば、ナナリーは気持ち良さそうに目を閉じた。
たまに擽るように頬に指を滑らせると、えへへと言わんばかりに嬉しそうにはにかんでくれる。
そんな姿を彼が見てしまえば、彼女を抱き締める腕にさらに力がこもってしまって。
「今日は珍しく素直なんだね?」
「うーん、だってアルウェスが来てくれたから」
「うん」
「早く来ないかなぁって待ってたの」
「……そっか」
しばらくナナリーの頭を撫でていたアルウェスは、やがて水色の頭に顔を埋めるようにして俯いた。
酒場の一角とはいえど、美男美女が抱き合う姿というのは、見る者をいたく感動させるものであるらしい。
先程までアルウェスとボリズリーのやりとりに見とれていた者達は、今度はアルウェスとナナリーの抱擁にうっとりと頬を上気させている。
「へぇ、大会の時とは随分と雰囲気が違うんだな」
そうして二人を興味深そうに眺めていたボリズリーが、まるで感心するような笑みを浮かべて呟いた。
水を差すまではいかないものの、耳によく通る低い声は、確かに場の空気の流れを変化させた。
ボリズリーがこれまで二人のやりとりを直接目にしたのは、ウォールヘルヌスの大会受付時と、試合での二人の壮絶な魔法合戦の時である。
その時の様子を見るに、まぁ互いに気心知れた仲なのだろうと思っていた(なにせどちらの時も、あれだけ容赦ない舌戦及び魔法戦を繰り広げていたから)。
ただアルウェスの方は、オルキニス侵攻のための囮作戦の時や、ウォールヘルヌスに向けての各国騎士達による円卓会議の時、そしてシュテーダルとの戦いの時から、氷型の魔法使い……ひいてはナナリー・ヘルのことを、大層気にかけていたようだった。
囮への立候補、ウォールヘルヌス開催決定へと示した難色、彼女を犠牲にしようとした自国の大臣らへ向けた、容赦のない怒り。
その一つ一つがもう、疑う余地なく、彼女への思いに溢れていて。直接的な言葉や態度がなくても、堂々と公言しているように見えて仕方がなかったのだ。
オルキニス女王から狙われ、ウォールヘルヌスで魔物から目をつけられ、大臣から犠牲にされそうになっていたのは、全て氷型の魔法使いである。
だから掘り下げていけば当然、その対象が彼女を指していることなど、容易に推測できるのだ。
とは言っても、普段からそんな様子は微塵にも見せない二人である。だからこそ、二人の関係性を察することができた者など皆無であった。あの二人に関しては、顔を合わせれば勝負している姿しか知らない者も多いに違いない。
けれどボリズリーは気付いていた。
直接言われたわけではない。決定的な現場を見たわけでもない。
それでもきっと。アルウェス・ロックマンという男にとって、ナナリー・ヘルという女性は特別なのだろうと。そう口にできるだけの自信すらあった。
そしてそれは、今こうして彼女を抱き締めて離さない彼の様子からも十分に窺えることである。
深く澄んだ赤い瞳が、いったい誰を映しこんでいるのか。それを考えれば、もはや答えは自然と行きつくのだから。