「......つまりそういうこと! 分かってると思うけど、これは浮気じゃなくてれっきとした戦略会議なんだからっ!」
「はぁ」
「ボリズリーさんのお陰で目処が立ったわ。悲願を達成できる日も遠くはないっ!」
「はぁ」
「見てなさいアルウェス! 今までの私とは一味違うから! 油断してると痛い目見るんだからね! ふははははっ!」
「はぁ」
つらつらと説明し高笑いを決めるナナリーは、自慢気に胸を張る。
そしてその説明を聞き終えたアルウェスは、呆れたように肩を竦めていた。
……なるほど、どうやらこの馬鹿氷は“勝負へのアドバイス”という部分にまんまと釣られたようだ。確かに彼女を誘い出すのなら最も有効的な手段であるけれど。
一応、恋人兼婚約者かつ、身体の関係すらある仲にまで発展している一方で、どうやら彼女のこの根幹部分だけは、果てしなく変わることがないらしい。良く言えばひたむき、悪く言えば執念深いとでも表現すればいいのだろうか。
そんな、長年の雪辱を果たす時が来たといわんばかりに、やる気に満ち溢れている婚約者である。
勢いのまま暴走して、意味不明かつ支離滅裂なことでも言い出しやしないかと心配していたが、案外ちゃんと意味の通る話の内容で良かったと思う。理解するのは大変だったけれど、もっと混沌とするだろうと思っていたから。
「まぁ噂の詳細は分かった。それで、どうして君はそんな状況になってるわけ?」
「へ?」
「……」
「ちょっ……わっ!」
アルウェスは無言のままナナリーの水色の髪を軽く引き寄せて、至近距離から顔を覗きこんだ。
きょとんと不思議そうに揺れる碧色の瞳は、相変わらずとろりと潤んでいる。いつもは透き通りそうなほど白いはずの頬も、今は熟れた果実のように赤く火照っていて。
ほんの少しだけ、彼の表情に困惑の色が滲んだ。
「……なんて顔してるの」
ため息と共に溢した言葉は、思ったよりも力なく掠れてしまっていた。それを誤魔化すように、腕の中でもぞもぞと動いている水色の髪を、少し強引にわしゃわしゃと掻き回す。
「わわっ、急に何?」
「その顔やめて」
「か、顔? 何で?」
「何でって」
彷彿させるから。肌を合わせ、唇を合わせ、どこもかしこも隙間なくぴたりと重なって、快楽に身を溶かされながら、それでも自分を求める彼女を。
水色の髪を散らし、柔らかい肌を晒し、一つ一つの刺激に素直に反応し、熱い吐息を溢して甘い声を上げ、その身体全てを使って自分を受け止めてくれる……誰も知らない、自分にだけ許された彼女の姿を。
想起させてしまうのだ。その表情は。
だからそれが、たとえ僅かでも他人の目に触れるなんて。示唆できるような彼女の姿を晒してしまうなんて……ほんの少しでもそう考えただけで、腹の中にはこんなにもどろどろとした感情が渦巻いてくる。
ただただ無防備でしかない目の前の彼女に、呆れと怒りと劣情がどうしようもないほどに込み上げてきて、アルウェスはほんのりと色付いている白い頬へ、無遠慮に指先を伸ばした。
そんな顔は、そんな表情は……気安く撒き散らしていいものじゃない。
言葉で形容し難い思いの正体には、とっくに気が付いていた。そして、それを彼女にぶつけたところで何の意味もないということも、ちゃんと分かっている。
それでも、身の内で獰猛に暴れ回る己を制御することが、これまでに会得してきたどんな高難度の魔法よりも難しく思えた。今まで学んできた、あらゆる知識すら全く役に立たなくて。
まさか自分が、たかが感情一つでこんなにも翻弄されるとは、思ってもみなかったのだ。割り切れていた昔の自分と、そうすることができない今の自分。
どうしてなのかと疑問を抱くのも馬鹿馬鹿しい。その答えはそれこそ、火を見るより明らかなのだから。
一度手に入れて、知ってしまえばもう、知らなかった頃には戻れない。それをみすみす手放すことなど到底できそうにないということは、誰に言われなくても自身が一番よく分かっている。
「もう。何の話よいきなり」
「鏡見たら? 見せられた側が正気を失いかけるくらい、ひっどい顔してるから」
「どうせ私はあんたと違って不細工ですよ‼」
「そうじゃない」
するりと頬の上を指で撫でると、抱え込んだ身体が擽ったそうにもぞもぞと身を捩る。
いつものように包み込めば、酔いも手伝ってか、直前までの怒りはあっという間に霧散したらしい。熱に滲む碧色の丸い瞳が、ただ自分だけを捉えて離さない。
「僕のことについて彼と話していたんだっけ?」
「そうよ」
「僕に勝つための戦略会議だったんでしょ?」
「もちろん」
「……なら、なんで君はそんなに酔っぱらってるの」
それほどまでに飲む必要がどこにあったのか。
そんなに隙だらけで、何かあったらどうするつもりだったのか。
思いの外低くなってしまったアルウェスの声色に、ナナリーはきょとんと首を小さく傾げて不思議そうにしていた。
無自覚で無防備で無頓着な彼女は、きっと言外に込められた意味に気付いていないのだろう。
だからこそ、こんなにも自分は翻弄されて止まないのだ。彼女が知らないだけで、こちらだって大概彼女には振り回されている……そう、例えば今のように。
もぞもぞと動くナナリーの頭を雑に引き寄せると、アルウェスは眉を寄せたまま続きを促した。
「君がここまで酔うのも珍しいけど。少しは自重しようとか思わなかったわけ?」
「何言ってるの! アルウェスに勝つために私はこの試練を乗り越えなきゃいけないのよ!? そしてその暁には、あんたへの勝利という栄光が手に入るんだから、自重するなんてありえないでしょうが!」
「…………」
瞳をキラキラと輝かせた彼女から返ってきた言葉は、残念ながら彼の理解の範疇をとうに超えていた(ただし雰囲気は伝わる)。
アルウェスは思わず、頭を抱えて言葉を失ってしまった。耳は確かに正確に彼女の言葉を捉えているはずなのに、するすると頭の中を素通りしていくような感覚であった。
何故か。意味不明だからである。
「はぁ……」
いや、何がどう転んだら勝つために酒を入れるなどという話になるのだ。彼女の中では納得できる理由があるのだろうが、生憎こちらには微塵も伝わらない。
珍しく理解に苦しんでいるのか、表情を歪めるアルウェスのことなどお構いなしなのだろう。何故かナナリーはふふんと得意気に鼻で笑っている。
「何よ、アルウェスだって珍しい顔してるじゃない。せっかくの美形が台無しになって残念……って、痛っ!」
ベシッと。
こちらの気も知らない生意気な顔が妙に癪に触って、アルウェスは思わず音を立ててナナリーの額を弾いてしまった。ちなみに彼は微塵も手加減していなければ、後悔も反省もしていない。
さすが鈍感。もう本当に全然分かってない。
わりと容赦なく力を込めたからか、彼女の身体はいとも簡単に仰け反って。そして起き上がったかと思った次の瞬間、怒りのオーラを引っ提げて思いきりこちらを睨み付けてきた。
「痛いんですけど」
「ごめんね、つい」
「“つい”?」
「まがりなりにも、学年次席である君の頭脳はそこそこ優秀だと思っていたけど、そんなことなかったなと思って」
「は……」
「正真正銘のぱっぱらぱーだった」
「なぁんですって!?」
きぃーっと唸り出した水色の頭を、力任せに押さえ付ける。アルウェスは面倒さを微塵も隠そうとはせず、気怠げにボリズリーへと顔を向けた。
「というわけで。代わりに説明してくれると助かるんだけど」
「へぇ? 俺でいいのか?」
「うん。彼女の頭は見ての通りのぱっぱらぱーだから」
「あー……まぁ、盛り上がってはいるみたいだが」
「こう見えて僕も仕事終わりで疲れているから、これ以上無駄なことに頭を使いたくないんだ」
「おいおい」
「彼女に詳細を求めても、絶対に主観的感想が先行して、まともな内容で話せる可能性は低い。見てたよね、今。これ以上ややこしくなるのは勘弁して欲しいんだ。そうなることが目に見えて分かっていて、あえてその選択肢を選ぶなんて愚かな真似はしない」
「……アルウェスでも制御しきれないものはあるんだな」
「さすがヴェスタヌの騎士殿は理解が早くて助かるよ。じゃ、よろしく」
「待ちなさいアルウェス! 今は私が……ふがっ」
「君はちょっともう黙ってて」
ふがふがと暴れるナナリーの身体を雑に抱き込むと、アルウェスはその隣にようやく腰を下ろした。そしてナナリーを挟んでボリズリーと相対し、直前まで彼女が飲んでいた空のグラスに手を伸ばす。
「何でナナリーは僕に勝つためとかよく分からない理由で酒を注文した? それで、この馬鹿氷はいったい何の酒を飲んだ?」
当然君が勧めたんでしょ、とアルウェスがグラスを軽く振る。確信を持って尋ねれば、ボリズリーも正解と言わんばかりに肩を竦めてみせた。
「そうだなぁ……これが一番正攻法で、手っ取り早いと思ったからかな」
「は?」
訝しむように目を細めるアルウェスの表情は、いたく不穏で。それでもボリズリーは、気にした様子もなく言葉を続けていく。