マンハッタンカフェは婚姻届にサインが欲しい   作:妄想投棄場

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マンハッタンカフェは婚姻届にサインが欲しい

『今回もダメだったね』

 

「うん、またダメだった」

 

 不透明なクリアファイルを抱きしめながら私は、あてもなく夜のトレセン学園の校庭をあるいていた。

 チカチカと点滅する街灯。

 その側にあるベンチに座る。抱きしめていた不透明で白いクリアファイルを少しだけ離す。反射して見えるのはお友だちそっくりな私の顔。

 でも今はお友だちとハッキリと見分けがつくに違いない。

 だって、私の頭の耳は垂れ下がっているし、金色の瞳に覇気が消えどんよりと浮かない表情をしているから。

 その原因となっている一枚の紙を取り出す。

 

 上から目を通して、すぐに見えるのは【婚姻届】の三文字。

 記入した文字を確かめるように表面をなぞる。

 加工が違うのか普通の紙とは全く違う質感。いつもとは違う感覚に特別を感じてしまう私がいた。

 

「妻になる人。マンハッタンカフェ」

 

 口に出すだけで頬が熱くなる。でも、それくらい実感があることだった。

 そのまま、次の項目に視線を移す。

 

「証人。お友だち」

 

『それじゃあ、ダメみたい』

 

 住んでる場所の証明が出来ない人は証人にはなれないのだと、この紙を一番に見て欲しかった人に言われた。

 

「夫になる人……」

 

『空白』

 

 口に出してしまったらそれが現実になるような気がして、なんとなく言えなかった言葉。彼女が代わりに言ってくれる。

 

「どうしてダメだったんだろう」

 

『前は冗談だろって笑われた。今回は俺はトレーナーで君は担当ウマ娘だから、だって』

 

 辛い時も、苦しい時もトレーナーさんはいつもそう言って、側にいてくれた。その言葉にどれだけ救われたか、分からない。

 トレーナーさん、お友だちと同じくらい、私の中で大きな存在。

 そして、私がトゥインクル・シリーズを走り抜く中で深く心に残ったその言葉が、今は胸に刺さって辛くて、苦しい。

 

「どうして、こんなに苦しいんだろう」

 

『あったかくて、つめたい言葉だから。あなたの好きとあの人の好きはちょっとだけ違ったみたい』

 

 彼女は私の疑問を丁寧に答えてくれる。いつも一緒で、大切な存在。

 私の苦しさをハッキリと教えてくれる。とても親切で非常な答え。

 

 やっぱり、一番に祝福してもらうのはお友だちがいい。

 

 でも、今はそれすらも危うい。

 もう一度、婚姻届の表面を撫でる。空白になっている項目で私の手が止まる。

 その空白が私とトレーナーさんのスキマなんだと思う。

 そのスキマを埋めない限り、お友だちにだって祝福してはもらえない。

 

「どうすればいいんだろう」

 

『諦めちゃう?』

 

「そんな、こと……ッッ!」

 

『じゃあ、走るしかない』

 

 突き放されたような冷たい言葉。

 でも、その言葉には熱が通っていた。確かに、お友だちがそこにいて、彼女の気持ちで発する言葉。

 薄く微笑む彼女の顔は美しいと思った。私はどこか弱気になっていた。

 そんなことじゃ、すぐに置いていかれるって分かってた。でもそれは分かってたつもりだったみたい。

 

「ねえ」

 

『なに?』

 

 短い言葉。それだけで彼女と通じ合える。たぶん、ずっと長い時間を過ごしていたから。

 そんな関係をトレーナーさんと築きたいと思う。だから、そのためにやらなければいけないこと。

 

「協力、してくれる?」

 

『もちろん。あなたはマンハッタンカフェで、私はあなたのお友だちだから』

 

 振り払っても消えない、トレーナーさんが拒絶したらどうしようという恐怖。

 気づけば私の中に這いよる底なしの不安。深海よりも深い感情が私の中に宿っている。

 

 でも、今ならきっとなんとかなる。

 

 チカチカと点滅していた街灯の寿命が切れた。夜目が聞くとはいえ、辺りはほとんど真っ暗に近い。

 

『帰って、作戦会議だ』

 

 この暗さで一人で歩いて帰るのはすごく不安。

 でも、私はそうじゃない。宵闇を裂く月のように明るい彼女の瞳と、差し出された手を握ってそう思った。

 

 

 

 

 

―――――⌚―――――

 

 

 

「トレーナーさん、この書類に、サインを」

 

「……前も言ったと思うけれど」

 

 放課後のミーティングルーム。

 半透明のクリアファイルをトレーナーさんに差し出しながら私はお願いする。

 少しだけ、低くなった声に震えそうになる体をぐっと堪える。

 

「私の、気持ち……聞いて、ください!」

 

 トレーナーさんが喋ってしまえば、トレーナーさんのペースになってしまう。それはどうしても避けたかった。私は、精一杯自分の気持ちを伝える。やはり、少しだけ怖いので目をつぶったまま。

 

「前も、その前も。私が、サインをお願いした、理由。トレーナーさんに、言ってないです」

 

「だから、前も言ったはずだ。君のその感情ははしかみたいなものだ。一過性のものでしかない。……きっとそうに決まっている」

『黙って、聞け』

「うわ!?」

 

 大きな物音が聞こえた。なんのことか分からず、私が慌てて目を開くと仰向けになって倒れたトレーナーさんの姿があった。

 

「と、トレーナーさん!?」

『頑張れー』

「え!?」

 

 あまりの出来事に、立ち尽くしていた。そんな私の背中を後ろから押される感覚があった。

 なすすべもなく私の体は前に倒れていき、気づけばトレーナーさんに覆いかぶさる形になっていた。

 

「え!? え!?」

 

「カフェ、落ち着け! とりあえず離れよう」

 

「そ、そうですね」

 

 あまりの出来事に頭が追いつかない。それに、互いの息が聞こえるぐらいに私たちの距離は近くなっている。焦ったトレーナーさんの熱い吐息が私の首筋を撫でて、くすぐったい。

 

――私がトレーナーさんの熱を感じているように、トレーナーさんも私の熱を感じているのだろうか。

 

 その問を深く考えると、私が立ち行かなくなってしまいそうな気がした。

 ほとんど思考停止した私は、黙ってトレーナーさんの言う通りに行動しようとする。

 

『諦めちゃう?』

 

「っっ!?」

 

 そんなことはない。そう言い返す前に、お友だちは言葉をつづけた。

 

『じゃあ、走るしかない』

 

 そう。

 ここで、引いたらまたダメになってしまう。

 

「カフェ?」

 

「……れません」

 

「え、なんて?」

 

「は、離れません!」

 

 顔が熱い、全身が沸騰しているみたい。

 心臓がとてつもない速さで激しく脈打つのを確かに感じる。でも、私は走るしかない。

 それに、大丈夫。

 ドキドキしているのは私だけじゃないのも分かったから。

 

「私は、本気、です!」

 

「だから」

 

「好き!」

 

「なっ」

 

 ああ、とんでもないことを口走っている。でも、止められない。走り出してしまった。もう、ゴールするまでは、逃げるなんて出来ない。

 

「……好きです。好き。好きなんです。どうしたって、私の中では、これでしか、言い表せません」

 

「……」

 

「でも、この感情は、トレーナーさんが私に持ってくれている、好きとは別、なんですよね」

 

 あくまで、トレーナーとして、担当ウマ娘との信頼関係を構築したいだけ。トレーナーはずっとそう言っていた。

 

「でも、それでも、諦めきれません。私の、この気持ちは、ウソじゃないから」

 

 本当は相手がいるのかもしれない。本当は私のことを嫌っているのかも。

 深く重い感情。

 そうだったらどうしようなんて、もしもで私は走り出せなかった。

 

「まだ、まだ、足りませんか!」

 

「……どうして」

 

 私の中のありったけを吐き出す。脚を残したまま後悔して終わらないように。

 私の言葉を聞いたトレーナーさんはすごく難しい顔をして私を見てきた。

 

「カフェ。どうして、君はそこまで俺に執着するんだ」

 

「……辛い時が、ありました。苦しい時が、ありました。でも全部乗り越えてきたのはお友だち、だけじゃなくて、トレーナーさん。あなたの言葉のおかげなんです」

 

「俺の言葉?」

 

「ずっと側にいてくれた。励ましてくれた。一緒になって喜んでくれた」

 

 お友だちがずっと私にしてくれたこと。そして、お友だち以外、私にしてくれないんだろうって思ったこと。

 

「あなたにとって、私は、数あるうちの一人のウマ娘、かも」

 

 自分の言葉にちくりと刺さる。

 

「でも、私にとって、あなたは、かけがえのない、たった一人のトレーナーさん、です」

 

 うまく言葉に出せているのか不安になるくらい私の言葉はたどたどしくなっている。

 

「それは、ずっと変わらなくて。それで、私が走らなくなっても、あなたはずっと、私にとってかけがえのない存在で居て欲しくて」

 

「……」

 

「それで、それで、それで……」

 

 ああ、吐き出すタイミングを間違えてしまった。こんなにしまらないんじゃ、どうしようもない。

 勢いがなくなっていく。頭の方の力が脱力する。耳が垂れしまうのを自覚する。

 少しだけ、目を閉じた。

 

 また、私はダメみたい。

 

『頑張ったよ』

 

 でも、それも意味はない。

 

『そう?』

 

 そう。

 

『案外、そうじゃないかも』

 

「え?」

 

 

 

「どうして、なんだ」

 

 ゆっくりと目を開ける。

 まだ、私とトレーナーさんはぴったりとくっついていて、それだけで私の体はうまく動かなくなる。ほとんど時間なんて経っていなかったみたい。

 

「本当に俺はトレーナーとして君は担当ウマ娘と信頼関係を築きたいと思っていた。それ以上を考えたことはなかった」

 

 ゆっくりと話すトレーナーさんはすごく苦しそうな表情をしている。

 拒否しているわけではない。興味がないわけではない。ただ、私の気持ちを知らなかっただけ。

 ダメじゃない。良くもないけれど。

 

「でも、君はそうじゃなかったみたいだ。そのうえで分からないんだ。君はどうして、そこまで結婚にこだわるのか、分からない」

 

「それは」

 

 ……私もよく考えたことはなかった。結婚ってなんなんだろう。

 結婚はすごく幸せだと思う。トレーナーさんと幸せであれたらいいのにってそれだけで行動していた。

 

「結婚はすごく幸せなことだと、思うから、です」

 

「それは幸せだけじゃない。理不尽だし、不都合なことだってたくさんある」

 

「それは……」

 

 考えたことがなかった。結婚って幸せなことばっかりではないんだ。

 口を動かすトレーナーさんの視線をじっと見つめる。瞳の中に映る私の顔。でも、黙っていたはずの私の口が勝手に動いた。 

 

『じゃあ、ここで諦めちゃう?』

 

 辛いことや苦しいことがあることと、トレーナーさんとの結婚を、幸せになることを諦めちゃうこと。

 考えなくても、その答えは出ている。

 

「俺たちはレースのこと以外お互い何も知らない」

 

「何も知りません。知ろうとしていませんでした」

 

 じゃあ、後は走り切るだけだ。

 

「君の気持ちについて整理できていない」

 

「整理できるまで、ずっと待ちます。そうじゃなくても、私が一生懸命あなたにこの気持ちを伝えます。どれだけかかっても」 

 

「俺は、君に何かしてあげられない」

 

「あなたにずっと側にいて欲しい。それだけでいい」

 

 本当に私の中の気持ちはただ、それだけ。

 

「あの子を追いかけて、それでも追いつけなくて疲れた時にあなたがいてくれたらずっと幸せだと思います」

 

 お友だちはずっと側にいてくれるけれど、それもずっと永遠ではないのかもしれない。

 

「あなたが疲れてしまって、それを私がずっと側にいて支えられたらどんなに幸福だろうと思います」

 

 形に残る永遠があれば、彼女がどこかに行ってしまったとしても少しは怯えずに過ごせると思う。

 覚悟を決める。最後の一手を打つ。本当は恥ずかしくて仕方ないけれど、それよりも諦める方が何倍も嫌だから。

 

 

「好き、好き、好き……好きです」

 

 

 耳元でずっと囁く、私を刻みつけるように体をもっと寄せる。私を感じてもらう。

 私を知ってほしい。

 この気持ちを、私の好きを、知ってほしい。

 

「サイン、してもらますか?」

 

 返事はなかった。

 

 すごく、すごく、すごく、私の口元はにやけてしまう。

 触れ合う肌からトレーナーさんの熱がすごく増しているの分かる。

 私の言葉に、頬が朱に染まっていく。私の言葉でトレーナーさんの心を動かすことが出来た。それだけでたまらなく嬉しいと思う。

 

「まだ、俺は答えが出せない。だからサインは『優柔不断』いたっ」

 

 トレーナーさんは、彼女から小突かれていた。そして、その言葉に拒絶がないのが堪らなく嬉しかった。

 

「いいです。まだサインはいりません」

 

 壊さないように、でも、刻むように仰向けになっているトレーナーさんの体を抱きしめる。

 

「私を知ってください。私とあなたの好きの違いを知ってください。それからでいいです」

 

「な、なにを言って」

 

 ぎゅっと抱きしめた後に、少しだけ力を緩める。

 

「でも、トレーナーさんの気持ちも大事です。だから、今なら拒絶してもらってもいいです。もう、離れたいなら離れてもらっていいです。すごく難しいですけど、諦めますから」

 

 バクバクと胸が裂けそうだった。死んでしまうよりも辛い提案。

 正直、目をつぶりたかった。でも、トレーナーさんから目を逸らすわけにはいかなかった。

 

「どうですか?」

 

 やっぱり、返事はない。

 

 だから、私は、私は、私は……。

 

 

「今までありがとうございました」

 

 

 

 最初から答えなんて決まっていた。

 

 

 

 

 

 

「これからもよろしくお願いしますね」

 

 

 

 ああ、口元が緩んでしまうのを抑えきれない。

 ただ、離す気はなかった。

 トレーナーさんも、彼女も全部。

 

 私のものだから。

 

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