黙祷集。(最新話『ドラゴンメイド』更新2024.11.19) 作:神の筍
「あぁ、気持ち良かった。夏でも冬でもいつでも温泉は良いものだなぁ」
持ってきていた服に着替え、髪を乾かした水明は廊下を歩いていた。入浴時間は三十分ほどだっただろう。下宿先の湯船より広かったため甘えてしまった。身体の芯から暖まり、心地良い高揚感が身を包んでいた。
そんな水明を居間から顔を覗かせた麗子が呼ぶ。
「おや、上がったかい山紫君。今わらび餅が出来たから食べていきな」
「ありがとうございます」
素直に好意に甘えることにした水明は居間に入る。
「あれ……」
「――やぁ」
奥に台所があり、長机の置かれている居間には弁慶がいた。錫杖はここにはないため、玄関に立てているのだろう。先にわらび餅を戴いているようで少し空いた皿があった。
「どうしてここにいるんだ? 弁慶」
「昨日、ここで温泉に入るって言ってたからね。午後から遊べないかと訪ねに来た」
「連絡してくれれば迎えに行ったのに」
「たまには運動しないといけないから」
居間には弁慶の他に、同じようにわらび餅を食べている師岡卓也とクリスがいる。麗子さんと台所に立っている浅黒い肌をした男子生徒は源忠勝だ。本当はこの場に大和もいるはずったのだが、どうしても外せない用事があり今日はいない。水明の携帯には今朝、謝罪メールが来ていた。
「早く座れ、山紫。今よそってやる」
忠勝にそう言われ、水明は弁慶の隣に座る。正面にはクリスと師岡がいて、クリスのわらび餅を見た瞬間水明は思わず口を開いた。
「チョコレートをかけているのか?」
「ああ。この和洋折衷さが美味いんだぞ。自分は普通のわらび餅も好きだが、こうしてみるのもなかなか楽しめる」
「へぇ。面白い食べ方もあるものだな」
「チョコレートソースならまだ余りがある。山紫もやってみるか?」
「いや、自分は遠慮しておく。そのままのわらび餅が好きだからな」
水明もかつて、和菓子と洋菓子が混ざったような菓子を食べたことがあった。それはマカロン生地にイチゴ大福を入れたようなもので、見た目も和菓子らしく目で楽しめるものだった。しかし、味、というよりは歯応えが微妙で全部食べ切れなかったのだ。今思え返せばそもそもマカロン生地が苦手だったのかもしれないとチョコわらび餅を見て水明は思った。
「最近だと和洋合わせた食べ物が増えて来てるよね。飲み物も生クリームと抹茶を合わせたようなものもあるし……あ、僕の名前は師岡卓也。クリスとゲンさんと同じFクラスだよ」
「弁慶と同じクラスの山紫水明だ。師岡とは川神大戦のときに話したことがあるな」
「僕も覚えてるよ。山紫君はいつも作戦本部と戦場の往復が早いから助かるって大和も言ってた」
「山の中で動くことは慣れている。役に立っているようで良かったよ」
「ほらよ。一応チョコレートソースも置いておく」
「ありがとう」
水明はわらび餅を忠勝から貰う。横にチョコレートソースが置かれるが、これを使うかどうか迷い、取り敢えず一口目はそのまま食べるのであった。
「山紫と弁慶はよく遊ぶのか?」
水明が仲見世通りの和菓子屋に劣らない味のわらび餅に舌鼓を打っているとクリスが聞く。
「定期的な決闘が無い日は主も混ぜてよく三人で遊んでるよ。この前も金柳街で食べ歩きしてきた」
「おぉ、それは良いな。自分も金柳街の肉まんは大好きだ。一個だけ食べるつもりが、ついつい肉まんとあんまんを買ってしまう」
「角のところの肉まん屋だな。自分もあそこで食事を済ませることがある」
「金柳街だと僕は割包(グァバオ)が好きだな」
「わかるぞ! あの甘辛い豚が分厚くて食べ応えがある」
「――茶だ……ちなみに、割包は中国発祥だが台湾料理だぞ」
「え、そうなの!?」
「モロ。最近はそういうのにシビアなんだから気を付けないといけないぞ」
「いや、クリスも同意してきたじゃないか!」
余談だが、割包には虎咬猪という別名もある。半分だけ空いた白いバンズが虎のような口に見えるため、猪、つまり豚を咬む様子を言ったのだ。その形から財布の用にも見えるため、お金を招き入れる縁起の良い食べ物ともされている。
モロの突っ込みをいなしたクリスが話を切り替える。
「しかしモロ。女性の苦手なお前が弁慶だと普通に話せるんだな」
「うっ……人が気にしていることを」
「あはは。すまない。でも気になってしまったんだ」
「特に理由があるわけじゃないけど、たぶん、僕にとってまだ教科書の人のイメージが強いんだよね」
「教科書の人?」
水明が首を傾げる。
「いきなり義経、弁慶、与一が転入して来ました言われてもいまいち想像しにくいでしょ。偉人と扱えば良いのか、普通の人と扱えば良いのか難しいし……まぁ、うちの学園には九鬼もいるからそこは微妙だけど。ともかく、女性と話していることよりも先にとんでもない人と話しているんじゃないかっていう葛藤があるんだ」
「だが与一と話しているお前は楽しそうだぞ。この前だって大和と部屋でゲームをしていたじゃないか?」
「与一は何と言うか、既視感があるからね」
「既視感……?」
「うん……まぁ大和のためにあんまり言えないけど」
人生は死ぬまでの暇潰しなのである。
「弁慶も弁慶であることで何か苦労したことはあるのか?」
「――ある」
「あるのか!?」
嬉しそうにクリスが身を乗り出した。その頃には忠勝が軽く洗い物を終え、流しに凭れて話を聞いていた。やはり弁慶の存在が珍しいのだろう。
「麻呂に尋常じゃないくらい当てられる」
「あー。なるほど……」
麻呂とは日本三大名家、不死川と久遠寺に連なる綾小路家出身の日本史教師だ。その風貌は顔を白く塗り、髪は真ん中で分けた絵に描いたような平安貴族で授業内容も平安時代に偏っている。授業の最初の方に江戸時代をしたと思えば、残りの九割が平安時代に関することなのだ。おかげで生徒たちからは不評だが、暗記科目なので何とかなっている。しかし、平安に関する知識は他学校教師と比較出来ない量を誇るので時折生徒たちも面白いと思っているようだ。
「源平は平安時代を終わらした要因だからな。その後公家政治を継がず、武家政治に移行したのも思うところがあるんだろう」
「自分も麻呂の授業はお城の話が出て来ないから好きじゃないなぁ」
「ワン子と一緒で思いきり寝てるもんね、クリス」
「国語辞典を枕にしたら寝やすいんだぞ!」
「それは学生のみんなが知ってるよ……」
「義経と弁慶は麻呂に当てられるらしいが、ゲンさんが当てられているところは一度も見たことないな」
「たぶん怖いんだよ。寝てたところを起こされたガクトに睨まれてたまに震えてるから」
「見た目で判断するなど愚か者のすることだ。どうしようもないやつだな」
「あの性根は変わらないだろうね」
「俺の容姿でそんなことを言うんじゃねぇよ」
忠勝は源姓だがそれがどの源氏に繋がるのかは本人ですら知らない。物心着いた頃から親と離れ、孤児院で暮らしてきたからだ。宇佐美に引き取られた今では自身の家系図などに興味はなく、口にすることはないが宇佐美のことを尊敬し、ただ一人の家族だと思っている。
その後も五人で駄弁りながら時間は過ぎていった。
お茶のお代わりをもらい、全員の皿が空になってから暫く、そろそろ水明と弁慶はお暇することにした。
「思ったより話し込んでしまったな。また良ければ来てくれ――いや、今度は義経の話も聞きたいぞ! ぜひ連れて来てくれ」
「時間があるとき、義経を連れてまた来よう。今日はありがとう」
「僕も思ったより接しやすくて、ファミリー以外で久しぶりにこんな喋ったよ。また何かあったときはよろしくね」
「自分もだ。では、おじゃましました」
「おじゃましましたー」
がらがらと扉を閉め、水明たちは島津寮を後にした。
水明は温泉付きの下宿先を羨ましいと思っていた。部屋は余っているようだったので、こちらに引っ越してくるとき寮まで手を伸ばして探していれば間違いなく選んだだろう。しかし、メンバーが風間ファミリーで固まっているため、自分がいても孤独感を感じただろうか?
「甘い物を食べたおかげか、塩っ気のあるものが食べたくなったな」
「金柳街行く?」
「それも良いな」
憧れはあるが、水明は今の暮らしでなければ弁慶たちと仲良くなっていない可能性を考えた。温泉もたまに入るから気持ち良さが増すのだろう。そう思うと、今の環境が自分に一番合っていると自覚したのだった。
一、
金柳街で買い食いをしていた水明と弁慶は多摩川の河川敷へ向かっていた。そろそろ帰ろうとしていると連絡が来たのだ。
「――義経」
空が色紙のように赤くなり始め、川面が残照を帯びる。この光景は――太古より変わらぬ幻想を残している。
「あ、水明君! 来てくれたんだな!」
二人を呼んだのは義経だった。正確に言えば水明だけだったのだが、弁慶が一緒にいたことで二人とも呼んだのだ。
「主に仲間外れにされそうになった家臣一もいるよ」
「そ、そういうつもりじゃないぞっ。今回は水明君に用事があったから!」
慌てて弁慶に釈明する義経を見て水明は笑みを零した。
「一体何の用事だろうか?」
心当たりのなかった水明は義経に尋ねる。放課後や休日の午前、そういった時間帯に義経から遊びの誘いが来ることはあるがこの時間は初めてだった。多摩大橋には制服姿で夕陽を眺めながら黄昏ている与一の姿と少し距離を開けたところに九鬼家従者部隊の二人が見えた。
「実は今日、水明君から貰った誕生日プレゼントのお返しをしようと思って」
「お返し? 誕生日プレゼントにお返しなんていらないが……」
「ううん。義経がしたいと思ったんだ。義経たちが川神に来てから、水明君には何度もお世話になっている。君は友人だから当然と言うかもしれないけど、友人だからこそそういうのは大事にしたい。
だから――一曲。水明君には義経の笛を聞いてもらいたい」
義経は持っていたケースから龍笛を取り出す。漆のような色合いをしたその笛の名前は“薄墨”。九鬼が現在安置されている静岡県鉄舟寺の本物を義経用にカスタマイズして造らせた逸品だ。義経は源義経と同様に笛の練習を幼少の頃より積み、腕前はあのマープルですら聴き入る実力を持つ。
武や知だけではなく、英雄の笛の音が現代に蘇る。これこそ武士道プランの醍醐味なのかもしれない。
「では、始めるぞ――」
その日、多摩大橋を歩いている人は自然と足を止めた。耳心地の良い音色に誘われ、河川敷の方へ視線を移すと笛を吹いている少女が一人。少女は彼らに背を向けていたが、彼らは一目見て理解したのだ。
あの少女こそが――源義経だと。