黙祷集。(最新話『ドラゴンメイド』更新2024.11.19) 作:神の筍
水明は数日後の義経との予定までに学園から出た夏の課題を終わらそうと、金柳街へ足を運んでいた。目的地は街の本屋さんである。
各教科から課題は出されているが、その中でも特に面倒くさいのが単なるプリントの束ではなく生徒の判断が必要になってくる類のものだ。たとえば自由研究、ポスター制作、そして水明が選んだ読書感想文だった。
「課題図書に指定は無いとはいえ、それはそれで難しいな」
ただ読んで書くならば絵本でもかまわないだろう。だが、そこに字数という制限が存在すれば図書の選択は慎重にならなければならない。それは中学生の頃、何故か『ももたろう』の絵本で読書感想文を書いた水明がよく知っていた。
「店員のおすすめ!」とポップの飾られた棚を見る。
推理モノ、歴史モノ、オカルトモノ、エッセイ……など、多岐に渡る本が並んでいる。
「推理モノは坦々とネタバレを書くことになりそうだな。オカルトモノは感想を書くまで読み深めることは難しいだろう。王道にいけばエッセイだが……歴史モノだと用語で字数を稼げるか」
およそ真面目な性格をしているが、こういう若知恵が働くのは年相応だ。
水明は一先ず歴史モノを散見してみることに決め、適当に取り背表紙と目次を見る。
「源氏関係も面白そうだが、その場合結構なクラスメイトと義経たちと被りそうだな」
平安時代をモチーフに書けばどこからか聞き付けた麻呂によって評価点が上がりそうだが、そんなことまで考えて書く気はなかった。どうせ読むならば読了時間も気にせず面白いものを読みたい。
水明はおすすめの棚から移動し、時代モノのジャンルが揃った棚に移動した。
そこには戦国時代の成り上がり戦記や、江戸時代の技術革命について、現代文化の移り変わり、はたまた海外の騎士物語や半ば伝説だろう悪魔退治の神官のお話などが並んでいた。その中の一つ、上下巻に分かれた『三国志』の本に指を掛け――。
「この前弁慶と赤壁の戦いの映画を観たからやめておこう」
押し戻す。
もう少し期間が空いていれば読んでも面白いだろうが、さすがにこのタイミングは読んでいる途中でだれると判断した。
そして、もう一つ横にあった本へ視線を移す。
「――『水滸伝』。本屋ではよく目にするが、実際に呼んだことはないな」
きっと今も目を光らせてるであろう店主に立ち読みと思われない程度に中をパラパラと開く。まったく知らない言葉が殆どで、『三国志』の映画を観たおかげかぎりぎり街の名前が分かるくらいだった。
あらすじを読んでも、主人公が誰なのかいまいちはっきりとしない。
感想文を書く本としては難しいのかもしれないと思い、大人しく今日は返そうとすると、背中をとんと押される。
「あ、すまない」
転ぶほどではなかったため、水明も会釈をしてやり過ごそうとしたが、振り返ってその声の主を見ると動きを止めてしまう。
蛇や鬼がいたわけではない。その姿にどこか既視感を覚え、思い出していたからだ。
「……大丈夫か?」
「あぁ、いや。大丈夫だ。自分も立ちっぱなしで邪魔だったな」
「本屋だと普通だろう。私の不注意だ」
服装は特別目立つものではない。黒い半袖と青いハーフデニムが白い肌に映えている。年齢も水明と同じくらいだ。水明が目を奪われた、燃えるような赤髪は鎖骨を通って垂らされていた。
水明はエーベルバッハの妹の可能性もあると考えていた。
最も、雰囲気や目付きからその可能性は極めて低いと踏んでいるのだが。
「では、互いに過失は無かったということで」
ここで話していると本当に邪魔になってしまうため水明は手早く終わらせようとする。他ジャンルの書架へ足を向けた瞬間――今度はそれを止めるように肩を掴まれる。
「――少し待ってもらえるか」
「む……やはり自分の過失だっただろうか」
「いや、そうじゃないんだ。お前からはどこか嗅いだのことのある……すんすん」
グッと、少女が近寄る。その距離は紙一枚通せるか通せないかといったほどであり、唐突な状況に水明の身体が固まった。
「すん、すん、すん……これは、危険な香りだ……」
何とか無表情を保ちつつ、少女から離れようとするがいつのまにかシャツも摘ままれている。
「うおっ」
腰に手を当てられたと思えば、華奢な見た目とは裏腹な力を持って横に向けられる。少女が嗅ぐのは洗剤や柔軟剤の香りではない。もっと内面的な、水明の肌だ。
「一体どこで嗅いだ…………」
腕から肩、そして肩から首元へと鼻先が向かい、
「――――っっっ!」
水面に石を投げられた水鳥が如く、少女は跳び退いた。
「お前、曹一族か!!!」
目を見開き、腰を深く落とした姿勢で少女はそう言った。
一、
「ソウ一族……?」
まったくもって心当たりのない水明は復唱するように呟く。その間も少女は寸分の隙も無く拳を構え、剣呑な空気が二人を包む。
苛烈な反応を見せる少女を前に、水明も自分が何かしたのか考えるがやはり思い当たる点は無い。
『ソウ一族』が関係あることは間違いないが――。
「何か勘違いしていないか?」
「勘違い? 何度も曹一族と渡り合ってきた私たちがその匂いを忘れるわけないだろう。血に飢えた獣のようなそれ――史文恭に近い人間だな」
「シブンキョウ……理想郷みたいな場所か?」
「シラを切るには手に持つものが仇となったな。今さら私たちのことを調べでもしようとしたのか?」
「む……」
水明は手に持ったままの『水滸伝』の本を思い出す。こうなっている理由は分からないが、何かあって商品に傷でも付ければいけないため元の場所に戻した。
「そんなことしても遅いぞ」
「いやいや、変な意味はない。君が誰かは知らないが、本当に勘違いをしていないのか?」
「……」
「……」
「……お前、名前は?」
「山紫水明」
「学生か?」
「川神学園二年だ。バイトはたまに短期ですることもあるが、今はしていない」
「川神学園……」
沈黙が続く。
微動なく視線を交わす少女の額に細い汗が流れる。空調の効いた本屋は暑さと縁遠く、揺れる瞳がようやく勘違いが訂正出来たと水明は察した。
「――おいテメェら! さっきから俺の店で妙ちくりんなことしてるが、冷やかしなら帰りやがれバッキャロー!」
怒鳴る店主にいきなり巻き込まれた水明。そして、発端たる赤髪の少女――。
「どうすれば良いんだ、これは」
何が何だか分からないといった風に、後頭部を掻く水明であった。
「すまない。お前には……いや、水明と呼んでもかまわないか?」
「ああ。大丈夫だ」
「ありがとう。水明には本当に迷惑を掛けた。この通り、申し訳ない」
先ほどまで水明と対峙していた少女――武松が頭を下げる。ここは二人がいた書店から少し歩いた場所にある喫茶店だ。
「頭を上げてくれ。あれくらい川神では日常茶飯事だ」
一部では日常茶飯事の者もいるかもしれないが、風間ファミリーや九鬼関係者でもない水明は異なる。だが、話がこれ以上ややこしくなるくらいなら川神という言葉を使って少しでも気にしていないことを伝えようとそういう言い方をしたのだ。
「さ、さすが川神。お前のような学生でもそうなんだな」
「まぁ、そういうことだ……」
良い方向に捉えてくれたと水明は安心した。
「ふぅ……時間も時間だ。小腹が空いた。ここは私が出そう。水明はスペシャルデラックスフルーツパフェで良いか?」
「いきなり凄いのを頼もうとするな。自分はイチゴパフェで良い」
「じゃあ、私はチョコレートパフェとチーズケーチ、このバターどら焼きというのも美味しそうだ。全部頼むか」
ここで退席しても良かったのだが、流れるままにパフェを食べることになってしまう。
「甘い物が好きなのか?」
「甘い物は良い。一口食べるだけで幸せを呼び、心を落ち着かせてくれる。さっきの早とちりも糖分不足が原因だろう。それを繰り返さないようにスイーツは出来るだけ摂取するべきなんだ」
そう何度も頷きながら言うと武松は店員を呼んで注文した。それはまるで、甘い物を大量に食べることに対する理由付けにも見えた。
パフェが来るまでの時間、静かな時間で過ごすのも気まずいため水明は自分から話を振る。
「あの様子だと、自分はソウ一族とやらについては聞かないが方が良さそうだな」
「そう、だな。話さない方が良いだろう。しかし、お前についた匂いは間違いなく……」
「シブンキョウ、だったか?」
「――っ。その名前も口には出さないでくれ。厄介なことになる」
「分かった。気を付けよう」
ソウ一族は間違いなく、一族を指すものだろう。そして、水明は武松の反応からシブンキョウは人名だと推察する。そのシブンキョウとやらの匂いと水明の匂いが似ていた? ため、今のようなことになったのだろう。
気にはなるが、武松の様子を見る限り踏み込んでしまえばただの勘違いで終わらない気がする。出来るだけ面倒なことを避けたかった水明はそれ以上尋ねないことにした。
「私から知るなと言っておきながらこんなことを聞くのはアレだが、最近不審な人物を見なかったか?」
「不審な人物? ……見方を考えれば殆ど不審人物だからな……」
空を飛ぶ美少女なり、いきなり現れては納豆を掛けてくる納豆小町、人力車を車と変わらぬ速さで走るメイドなど枚挙にいとまがない。
武松もそれを知っているのか「そうだった」と顎先に指を当てた。
「……ダメだな。これ以上詳しいことを話せばやはり巻き込んでしまう」
「事情は知らないが、その方が良さそうだ。今はパフェが来るまでの雑談と洒落込もう」
「そうか? なら、せっかくだから川神学園のことを教えて欲しい。あそこは世界的にも見ても面白いところだ」
「学園のことか――」
水明は学園のことについて話す。
川神学園で一番有名なことと言えばやはりテレビ中継もされる大規模模擬戦だろう。数百人同士行われる模擬戦は助っ人枠でとんでもない格闘家が出ることもあり、著名人という枠で言えば九鬼揚羽もいた。そのときは連日話題に上がり、ニュースでも彼女が拳を握る姿が報道されていた。あとは学園長も有名だ。これは都市伝説的な部類に入るが、第二次世界大戦のときにはあの姿だったとかどうとか。正しく生ける伝説を体現する武人なのだ。
水明は学園長とも話したことがあるため、自分の主観も混ぜつつどのような人柄か話していると店員が注文していたものを持ってきた。
口の渇きも覚えていたため、話は一区切りにソフトドリンクとスイーツを楽しむ。
「美味しい。くどくなく、いくらでも食べられる甘さだ」
「川神はどの店に入っても甘味が美味いな」
初めて入った店だったが、水明もイチゴパフェを途切れることなく食べている。
「そうなのか?」
「ああ。仲見世通りは良いぞ。スイーツの宝庫だ」
「仲見世通り……見たことはあるが、どこの店にも入ったことはないな」
「『見たこと』?」
ずいぶん変な言い方だと首を傾げた。
「っ、足を運んだことがあるという意味だぞ?」
あそこは平日でも観光客で賑わっているため、慣れない人が行くと大体の店は満席だ。放課後か、昼前に行かなければ敷居も跨げない。ただの食事処ならばともかく、甘味処などは屋台を除き特にそうである。
水明は気にしていない素振りを見せながらイチゴを食べた。
「時間があればぜひ行ってみてくれ。おすすめは葛餅パフェだな」
水明は先にパフェを完食し、武松もチーズケーキを最後に食べ終わった。食後のコーヒーも一杯ずつ楽しみ、二人は店を出る。
「改めて、今日はすまなかったな。迷惑を掛けた」
「自分もスイーツを堪能出来たから、まったく気にしていないぞ」
「そうか。それは良かった……私はもう行こう」
「ああ。気を付けて」
「うん――いや、それは水明もだろう。最近は何があるか分からない」
「いきなり書店で拳を向けられたりなどか?」
「そっ、それはっ……たしかに悪かったが、そのことは……」
「冗談だ。自分も行こう」
「あっ、も、もう。鋭い冗談を使ってくる奴だな」
肩を落とした武松が顔を上げる頃には水明の後ろ姿が見えた。後ろ手を上げ、信号を渡っていく。彼女は追うことも無く、その場で思案する。
「山紫水明、面白い男だった――だが、あいつからしたのは間違いなく史文恭の匂い。まさか……近くにいるのか?」
古くより、曹一族と鎬を削って来た組織がある。
そこは百八の魔星が集い、時に怪力を振るって敵を倒し、時に見たものすべてを模倣し、時に未来を読むことさえ可能にする異能と呼ばれる力を操る。そして、熱き炎で敵をなぎ倒す少女こそが天傷星――武松の正体だった。
「念のため、豹子頭たちと情報共有する必要があるな」
武松はホテルで待機する梁山泊の面々と話すため、人ごみへ溶けるように消えて行った。