黙祷集。(最新話『ドラゴンメイド』更新2024.11.19) 作:神の筍
戦争への参加や護衛、誘拐など仄暗い仕事まで請け負う曹一族だが、彼女たちは掟を遵守して行動する。
快楽的な異常者や外道とは違い、あくまでもビジネスの範疇なのだ。
その中の一つに『無関係の者は巻き込まない』というものがある。たとえば傭兵として戦場に赴き、村々の制圧を指示されたとする。そこに偶然旅人でもいれば、旅人が立ち去るまで根気良く待つのだ。時間制限があるならば旅人が気付かぬうちに気絶させ、隣村に送るなど、徹底して掟に従う。しかし、『無関係の者は巻き込まない』とは彼女たちの倫理下であり、蘇定が行ったように社会から爪弾きされた犯罪者やアウトローを煽動して囮にするなど、必要に応じることもある。
「――諦めたか?」
とにかく、史文恭が水明を市街地で無理やり攫わなかったのも『無関係の者を巻き込まない』という掟が存在するためであった。
「……」
マンションから跳び出て、街中を駆け、山を走り、二人が辿り着いたのは河原だった。
ただ浄げに風が吹き、緩やかに水が流れ、青い月に照らされた風景は史文恭ですら感嘆の念を抱くほどであった。
障害物の見えないその場所で、水明は背を向けたまま問いかける。
「義経たちを狙っている、ということでよろしいですか?」
無駄な会話をするつもりはないのだろう。だからこそ、史文恭も隠すことなく答えた。
「そうだ。私たち曹一族はクローン組の誰かを捕らえるために日本に来た」
「義経たちを……では、何故自分を?」
「人質だ」
「自分は川神学園に在籍していますが、そこまで戦いや武術に詳しいわけではありません。ですが、誰がどのくらい強いのかは決闘を見てきたので何となく分かります」
他にも川神大戦などで学園の強者たちが戦っている姿を間近で見ている。
「あなたは相当強い。正直学園でも勝てる人がいるのか自分には分からない。その実力があれば人質など使わずとも十分なのでは?」
「今からお前を攫おうとする人間に随分な褒め言葉だな。
たしかに、私の武力を持って義経たちを降すことは出来るだろう。だが、それも一対一の場合だ。実力が一番見えている義経、怪力自慢の弁慶、弓兵の与一。未知数の葉桜清楚を除き、この三人の誰かが二人揃うだけで格段に勝利する可能性は減る。遠目で見ただけだが、時折外で鍛錬している光景は一族の兵にも見せたいほどだ」
情報を集めるため、史文恭は義経たちを九鬼の従者の感知範囲外にて探っていた。
生半可な部下に任せれば露呈は間違いなかったため、自ら動いたのだ。
「それに、義経たちには常に監視が付いている。私が正面から倒して攫おうにも、逃げ切るのは難しいだろう。ならば、自分から監視を振り切ってもらうようなことをしてもらったほうが合理的だ」
そして――と、続ける。
「お前もまた、標的の一人となった」
「自分が……?」
「その様子だと自覚は無いようだな。お前には“異能”と呼ばれるものが宿っている」
これこそが、史文恭が人気の無い場所まで水明を追い立てた理由だった。
「異能とは、気を用いずに何かしらの現象を起こす能力のことだ。
我々曹一族と敵対する組織では“宿星”と呼ばれる異能を継ぐ素質を持つ者と異能持ちを近くで過ごさせ、継承という儀式を持って次代に伝える。だが、稀に宿星でもなく、天然物の異能持ちがどこかで生まれる。それがお前だ——山紫水明」
「あいにくと、不可思議な現象を起こしたことはありません」
「異能には様々な発動条件と能力がある。偶然今まで暮らして来た中でそれを満たさなかったのだろう。
私のこの眼もまた異能の一種――龍眼。全てを視ることの出来る眼だ。
この眼と、私の直感が如実に訴えかけ来ている。お前は異能持ちだと」
素質があるだけの宿星ならまだしも、天然の異能持ちは扱いに気を付けなければならない。
玉石混交の異能はただ指先から水を出すものもあれば、辺り一面を地雷原に変えてしまうような危険過ぎるものもあるからだ。
条件を満たして異能を発動した後、いきなり暴風が起きて家屋が飛ばされました、なんてことになればたちまち関わっていた曹一族の信頼は地に落ちる。故に、そういったことを危惧して安全に水明を攫おうと史文恭はここまで来たのだ。
「正直に言えば、お前が天然物と分かった時点で義経たちに関する依頼の優先度は一段階下がった。何故か分かるか?」
「いえ」
「天然物の異能持ちは継いだ異能持ちより強力な可能性があるからだ。むろん、継いだ異能も鍛錬を繰り返せば天然物と同等の力を発揮する。しかし、後者の人間が前者の人間と等しく努力すれば、その上限値は変わる」
史文恭は熱の孕んだ視線を水明に刺した。
「若くて、本気ではないが私に追い付かせないほどの肉体を持つお前は喉から手が出るほど欲しい。武術経験が無いにも関わらずその動き。扱(しご)き甲斐がある」
多摩大橋からはかなり離れてしまったが、花火の音はここまで聞こえている。
川神学園の生徒、川神で暮らす人、花火を楽しみに外からやって来た人々は熱中してその裏で何が起こっているのか気付いていないだろう。背にある月には目もくれることなく明日を迎えるのだ。
しばらくの沈黙が二人を包む。
これ以上の時間は掛けられないと、史文恭は肩に乗せた狼牙棒を構えた。
「安心しろ。痛くはしない」
要人誘拐は曹一族の十八番である。
どれだけの人物であろうとも、史文恭は後遺症なく気絶させることが出来る。
いつも通りの行為だ。
「――……」
一つ砂利を踏み、史文恭は足を止めた。
考えは変わっていない。
水明を攫い、義経たちの誰かを呼び出して同様に中国へ連れて行く。
それだけなのだ。
それだけなのにも関わらず、史文恭の獣に類する五感は無意識に彼女の足を止めた。
背を向けていた水明が振り返る。
――活(いろ)が無かった。
山中に入ってから、史文恭は彼の顔を見ることは出来ていなかった。それだけ水明の動きは速くなったからだ。
ようやく向き合ったからこそ、声音からは分からなかった変化に気付く。
史文恭は自身と同じように表情の変わらぬタイプだと思っているが、そういうレベルではない。
彼が今、史文恭に見せている顔は——まるで、紙だ。吹けば飛んでいき、水に浸せば透けてしまう。
その眼で視ているが、いつの間にか消失してしまいそうな気配。
「……」
こんな男だったかと思い、切り替える。
史文恭は知っていた。
産まれた瞬間から硝煙を吸いながら生きてきたと豪語出来る彼女だからこそ、その独特な在り方を照らし合わせることが出来たのだ。
――兇手だ。
それも、獣専門の。
当然、猟銃を何梃向けられたところで彼女に害はない。鼻唄を奏でながら一蹴出来る実力さがある。
しかし、泰然と佇むこの男の気配はなんだ。
男から向けられるこの''眼''はまるで――人として見ていない。
史文恭を――獣として見ている。
「――、ふ」
獣は三日月のように口角を上げた。白く、鋭い犬歯は最早狼のそれ。
ならば、と——この男に乗ってやろうと、重心を下げ、腰を落とす。
「後悔するなよ」
外套が土に着く。
その姿は本当に獣のようで――。
――砂利を砕きながら一歩。
彼我の差は約三十メートル。即ち、獣からすれば十メートル。必要な歩数は三歩。
――そして、二歩。
獲物は反応せず、動きはない。
あの眼差しは挑戦だと勝手に期待したが、杞憂だったかと過ぎる。
――最後の三歩。
ようやく獲物に動きが見えた。
手を突き出し、袖口から布のようなものを取り出す。
易くいかないならば、手足の一本は砕くつもりだった。その程度の怪我は曹一族の里に行けば軟膏で治るからだ。
「ハっ――!」
風切り音が耳に入る頃には終わっていた。
右上から左下への振り下ろし。
単純なそれを史文恭がやれば、必殺の一撃になる。
残像すらも描きながら繰り出されたそれは——宙を切った。
「……!?」
視えている。眼を持つ史文恭にはすべてが視えていた。
当たったはずだと、冷静な思考に極めて小さく浅い動揺が起こる。マスタークラスでも点けぬ間隙に彼は動いた。
獣の顔に布が被せられる。
その布は何の変哲も無い、水明がハンカチ代わりに日常使いしている手拭いだ。
彼は知っていた、獣の落ち着かせ方を――眼を覆った手拭いを素早く後頭部で結ぶ。動き始めた獣の寸鉄を避け、背後に回る。
「っ……」
勢いよく迫って来た獣の身体が重力に従って地面へ落ちる。
抵抗する腕を左手で押さえ、右膝は腰に据える。右手は顎を握って頭を上げさせた。
「これ以上、動かないで欲しい」
やったことは簡単だ。
水明はただ、暴れる山の獣と同じように顔に布を被せて動けないようにしただけで、特別なことではない。
この後は狩猟用ナイフなどで止めを刺し、命を戴くわけだが今回はそうはいかないだろう。
「くははっ。やはり、思わぬ獲物だったか」
「恐らくあなたが曹一族とやらの主導者なのでしょう?」
「主導者ではないが、今回の川神での任務のリーダーではあるぞ」
「今夜狙ったのは、花火大会があり九鬼の目が厳しくなると同時にそれだけ隙を見せる可能性もあったからだ。明日の朝まであなたを拘束すればこの先チャンスは無くなる」
「それはどうだろうな」
「――動くな」
身を捩ろうとした史文恭を水明は強く押さえる。
「っ……曹一族が依頼失敗をするときは限られた状況下でしかない。依頼主が死んだときなど、な。それ以外で、依頼が続行されたままならば破棄されない限り永遠に狙い続けるぞ」
「……」
「だが、先ほど言ったはずだ。お前が現れた時点で優先度が一段階変わったと。お前が私と来るならば、宗主もお前の身を引き換えに今後クローンたちに手を出さないと約束して下さるだろう」
「自分にそれほどまでの価値があるとは思えませんが」
「人の価値など居場所でいくらでも変わる。標の無い荒野を歩いているだけの人間を人は名も知らず見ただけで讃えるだろう」
水明にとって、史文恭がどこまで本当のことを言っているのかなど何も分からない。
ただの学生にこれだけの事態が急に降り掛かって来たのだ。受け入れるには少々重過ぎる。
「九鬼がそのままにしておくとは思えない」
「問答は不要だ。この場でお前が答えられるのは私に与するか否か」
体勢を見れば圧倒的優位を保っているのは水明の方だが、史文恭はさも気にすることなく決断を迫る。
水明の答えは決まっていた。
「たしかに義経たちがあなたたちに狙われるのならば、自分の身を捧げた方が良いのかも知れない。しかし、ありがたいことに彼女たちは自分を友人と呼んでくれる。その友人が自身のために犠牲となったと知れば……彼女たちはお前たち狙われたとき以上の悲しみを知ってしまう」
「そうか……それが、答えなんだな?」
「偽りは無い」
「――――残念だ」
瞬間——史文恭から暴力的な気が放たれる。
「これは……っ」
跳ね上がるように史文恭が身を起こし、水明を吹き飛ばした。
微風だったはずにも関わらず、史文恭を中心に颶風が辺りを叩きつけている。
水明はその姿に嵐を幻視した。
「ここから悪戯(あくぎ)心は一切無しだ」
冷た過ぎる汗が頬に流れる。
知らない感覚だ。
野生の生存競争とはまったく異なる、人として何かを超越した気配。
史文恭はただ……武人としての撃鉄を起こしただけである。
「眠っておけ。次に会うのは中国だ」
水明はとうの昔に振り下ろされたその攻撃に反応することは出来なかった。
獣を騙る人ならばともかく、人として放たれたそれは目で追うことがやっとであった――――が、夜空を流れる星のような鋒が史文恭を穿たんとする。
「そこまでだ」
凛とした声が二人の間に入る。
「っち、時間を掛け過ぎたか!」
「今回ばかりはお前の慎重さに助けられた。まさかここまで来ているとは思わなかったが」
「それについては水明に文句を言え」
水明を庇うように槍を構えたのは林冲だ。
艶のある黒髪は月光に濡れて蠱惑さを漂わせる。それはただ雰囲気から来るものではなく、彼女の強い意志の表れが魅せている姿でもあった。
「お前以外の曹一族も私たちが倒した。残るはお前だけだ」
「だからどうした。作戦遂行にその男がいれば問題はない。邪魔に入るのがお前であろうと、容赦はしない」
「やるか、ここで」
史文恭と林冲は何度も対峙して来たからこそ分かっていた。
気を抜けば、どちらも死すると――。
「これ、もうやめんか」
林冲が突然介したように、その声の主もいつの間にかそこにいた。林冲の颯爽とした登場とは違い、まるで浮かび上がったよう現れ方に史文恭が狼牙棒を前に出す。
「こんな大物が出張ってくるとはな……」
史文恭にとって――日本で活動する裏組織にとって、最も警戒しなければならない人物は幾人か存在するが、その中でも二人。
九鬼財閥のヒューム・ヘルシングと、川神院の川神鉄心は突出して警戒される。
前者は言わずもがな、鉄心の方は武神の名を孫娘に与えて一線を引いたとされるが、決してその実力が落ちたわけではない。武に費やした時間は百年を超え、半世紀近く日本のための戦争に参加して来た。その中には当然史文恭が産まれていなかった頃の曹一族との交戦経験もあり、記録にはただ『壊滅した』と残されている。
闇の世界を知っている分、ただ強い百代より厄介な存在だった。
「うむ。今日くらいは門下の者も羽を伸ばして休むべきじゃからのう。暇な老人が足を運んでみたというわけじゃ」
「老人ならもう寝入っている時間ではないのか? 二人の女が一人の男を取り合っているんだ。邪魔をしないでもらおう」
「わしの学園は恋愛も大いに推奨しておる。お主とて、真剣(マジ)で学園生を好いたとあらば何も言うことはないが……殺気を振り撒きながらとなれば教師が出るしかあるまいて」
さすがの史文恭も鉄心を前に水明を襲う気はない。
老いていることに期待して、その眼で視るが……。
「まだまだお主の力ではわしを倒せんの」
林冲の槍を流れ星に喩えたが、鉄心のそれはまるで隕石だ。
三人が瞬きを始め、落ちるまでの刹那――終わっていた。
「……これが噂の顕現と呼ばれる技か」
「自分で動きとうない老人の技よ」
史文恭の頭上には青く巨大な足が彼女を踏み潰さんと静止している。それが波に攫われる砂城の如く消えて行くと彼女は狼牙棒を下ろした。
「この戦力差なら引くしかないな。決着は今度だ、豹子頭」
「望むところだ」
「水明。また会いに来る」
「……そうですか」
「ふっ、そう用心するな。次はちゃんとした勧誘だ。これでも曹一族は福利厚生が手厚い組織だからな」
「義経たちは?」
「言ったはずだ。曹一族の依頼失敗は限られた状況下のみだと。川神学園の生徒に手を出して川神鉄心が動くならば、考慮の余地はある」
「そうしたほうがええぞい」
「……ではな。私たちは手を引くが――気を付けろ。まだいるぞ」
最後に不穏な言葉を残すと史文恭はどこかへ消えて行った。
「彼奴も諦めたようじゃの。嘘を吐くような輩にも見えぬしもう大丈夫じゃろう。して、お主はどうする?」
「戦う気はない。元より彼を保護することが目的だ。必要とあらば槍は置かせてもらう」
「なら問題はないの。それに、どうやら事態を収拾してくれる者らも来たようじゃぞ」
鉄心の視線の先を見ると、九鬼の従者部隊が近付いて来ていた。
先頭を走るあずみを見て水明は思わず安堵の息を吐く。
「大丈夫か?」
「ああ、いや、少しだけ疲れただけだ」
「気にするな。あの史文恭から逃げ回っていたんだ。肩を貸そう」
「どちらかと言えば膝を貸して欲しい気分だな」
「ひっ、膝!? それは膝枕という――」
普段はあまり冗談を言わない水明も、今ばかりは無理にでも笑っていたかった。とはいえ大して表情は変わっていないのだが……ふと、持っていたはずの巾着が無いことに気付く。
家の鍵も、財布も、スマホも落としてしまったようだ。
「これは……心配を掛けてしまったか」
待ちぼうけさせてしまった義経たちに、何と説明しようかと水明は遠くで光る夜空をぼんやりと眺めるのであった。