黙祷集。(最新話『ドラゴンメイド』更新2024.11.19) 作:神の筍
あれから一時間経ち、二人は食べ合うように口を動かしていた。床に座った水明の上に弁慶は正面から跨り、時折唇以外に吸い付きながら甘い息を吐く。猫のように擦り寄り、細かく、埋めるように愛を説く姿はマーキングするようで、酷く淫蕩だった。
永遠にこの時間が続くのではないかと思われた二人の世界を裂いたのは奇しくも水明が起床することとなった原因であるインターホンの音。無視することも出来たが、弁慶が飛び跳ねるように顔を上げた。
「あっ、そういえば主も来るんだった」
「そうなのか?」
「主は朝の稽古が終わってからの予定で、先に私が来たんだ」
「てことは玄関前にいるのは義経か。早く出ないと」
「いや、私が出るから水明は寝間着から着替えてきた方が良いよ。私のときと同じ二の前になるし」
「う……そうだな。なら頼む。自分は洗面所に引っ込んでおくとしよう。手洗いは台所に新しいタオルをかけておくからそっちで」
「了解」
一、
義経の出迎えは弁慶に任せ、平静を取り戻した水明だが、義経の一言目ですぐにそれを崩されかける。
「虫に刺されてるじゃないか」
「む――」
半袖シャツの隙間から僅かに覗いた鎖骨が赤くなっていた。
「さっきも言ったけど、主が来るまで蚊と戦ってたからね。本当、一匹いると厄介だよ」
「水明君も刺されたのか……虫は嫌いじゃないけど、義経も蚊は嫌だな」
その場を誤魔化しつつ、二人に座布団を出す。コップに麦茶と氷を出来るだけ入れて机に置いた。
「蚊はもう潰したから良いが、何か用事でもあったのか?」
話を切り替えるつもりで水明はそう尋ねた。
「ううん。別に用事という用事は特に無いんだが、面白そうなところを見つけたから水明君も誘おうと思って」
「別にメールで済ませてくれても良かったのに」
「うっ! ……義経も最初はそうしようとしたんだけど」
どうにも歯切れの悪そうな義経。
気になった水明は続きを話すように視線で促す。
「その、弁慶も誘ったんだが断られてしまって……一人で行くよりは誰かと行ったほうが絶対に楽しいだろう? だから、水明君には手短に済ませるより直接魅力を伝えようと……」
「室内は良いけどお外は苦手。昨日みたいに夜なら良いけど」
「なるほど……それで、どこに誘ってくれるんだ?」
「えっと、ちょっと待ってね」
義経はスマホを取り出し、慣れたようにパスコードを――……。
「――あぁ!? いきなり画面に義経の顔が!
――うわぁ! 緊急連絡!? す、すみません! 間違ってしまって!
――へ!? し、シリさん? こ、こんにちは!」
「……」
水明はまざまざと義経のマシンの苦手っぷりを見せつけられることとなった。
ロック画面からスライドをするだけで良いにも関わらず、なぜそんなことになるのか。幸い軽犯罪となりうる緊急連絡には電話されていなかったが、「11……」と入力されていたので咄嗟に弁慶がスマホを取り上げた。
その姿は慣れたもので、苦労の影が垣間見えたことは言うまでもない。
「あ、出たぞ!」
宝を見つけたと言わんばかりにスマホを見せつけてくる義経に、水明はその画面を見る。
「獣(じゅう)ーラシア動物園か」
「知っているのか!? 行ったことは?」
「いや、行ったことはない。ただ、大規模な動物園だということは聞いたことがある」
「そうなんだ! どうやらここは野生動物が住むそのままの環境を作ってるから、すごい自然な動物たちの姿が見れるらしい」
そんな興奮した様子の義経を見て、水明は彼女たちと話すようになったきっかけも動物が始まりだったなと思い出す。
何度か義経たちが暮らしていた島のことは聞いたことがある。そこは人の住む建物より圧倒的に動植物が多く、海を泳げばいつの間にかイルカもいたという。転校初日の掴みで野鳥観察について個人的に作ってくるほどの動物好き、やはり生態系がリアルなほど興味が出るのだろう。
「弁慶は先ほど言った通り暑いから嫌だって言って、水明君はどうだろう? 義経と共に動物君たちを見に行かないか? 触れ合い広場もあるみたいだぞ!」
義経と動物園か――。
いつもの水明ならば即答していただろう。しかし、弁慶との色々なこともある。文字通り色々なのだが、自意識過剰でなければ、彼女は水明に気がある。それにも関わらず主君と言えど二人で出掛けるような真似をしても良いのか。
勢いのまま唇は合わせたものの、関係自体は未だ変わっていない。そのことを急に義経に行っても驚くであろうし、先に弁慶と二人で話し合いたいという気持ちもある。
どうすれば良いかと背後の弁慶へ視線を向けると、露骨なまで唇を詰らせていた。
「――悪い、義経。自分は行けないな」
「す、水明君まで……うぅ、でも仕方ない。分かった。今回は義経だけ楽しんで来よう」
「悪い」
「ううん。予定は人それぞれだからな、仕方ないさ」
『どうしても無理?』と聞かれた場合の答えを水明はまったく持っていなかったため内心安堵する。
心底残念がっている義経に罪悪感を覚えるが、弁慶のことを考えるとこれで良かったのだろう。
その後、義経達とはいつも通りの時間を過ごす。弁慶が持って来ていた端末をテレビに繋ぎ、面白そうな映画を二本ほど観たのだが、最後の一本がホラー物で常に義経が震えていた。どこか不憫なその姿に水明が可愛らしいと思ったのは内緒だ。
二人の帰宅後、水明はしばらくして弁慶に連絡した。さすがに今日の出来事はうやむやにしておくことは出来ないだろうと、すぐに行動したのだ。
三、四回のコール音の後、少しだけ緊張を孕んだ様子の弁慶が通話に出た。
『やぁ……あー、さっきぶり……』
「ああ、先ほどぶりだ」
『んっと、何の用で掛けたとか聞いたほうが良い?』
「そこはどちらでも良い。ただ、このまま次に会うときまで放置するのものな」
『その気持ちは分かる』
うーむ、と水明は唸る。
どこかいつもとは異なる弁慶――きっと、午前のことを思い出して改めて恥ずかしくなっているのだろう。
何となくそう思ったが、それは正解だった。
『うわ、思い出してきた。めっちゃ恥ずかしいかも……』
「自分もだ」
『絶対嘘。声音が余裕綽々だもん』
元々水明自体が自身のことを客観的に顧みることに優れていることもあったが、今回ばかりは電話を彼のタイミングで掛けれたことが大きいだろう。
「まぁ、何を考えてるか分からないタイプだとはよく言われるからな」
昼間、弁慶が言ったことそのままだ。
「単刀直入に尋ねたい。弁慶は自分のことをどう思っているのだろか」
『……っ』
弁慶にとって、山紫水明とは“いつの間にか友人だった”というのが正しい。
いつの間にか朝に挨拶を交わすようになって、いつの間にか一緒に昼食を取るようになって、いつの間にか休日も出掛けるようになった。そしていつの間にか、放課後も何も無くとも彼の部屋に行くようになった。
好きだの愛しているだの照れくさい言葉を想像する切っ掛けなど――無かった。
しかし、あの瞬間、どこかいつもと違う態度に胸が高鳴ったのは事実で、それを抑えきれなかった。
今言われて、武蔵坊弁慶という少女は自覚した。
――私は、普通(・)に恋をした。
震えないように声を発する。
恥ずかしさとか、もどかしさとか、そういうのもあったかもしれないが、一番はただ――はっきりとその気持ちを伝えたかったからである。
『私は……私は――水明のことが好き』
二、
八月初旬――まだまだ暑さの盛り具合は収まらず、どこかの都道府県で四十度近い気温が観測されたと報道される中、水明と弁慶の二人はいつものように水明の部屋にいた。
「む、義経の獣-ラシア行きは今日だったのか」
「うん。早朝から凄いテンション上げて出て行ったよ。これは一日回る気だろうね」
「こう聞くのもなんだが、動物園は行ったことがあるのか?」
「島暮らしだけどそれはさすがにあるよ。校外学習は結構都内に連れて行ってもらえることも多かったからね」
そう言いながら、弁慶は水明に近付く。
数日前、二人はただの友人関係から恋人関係へと昇華した。周囲の人間には自ら言わず、気付かれたときに言えば良いだろうと考えていた。それに、比較的今まで自然体に過ごしていた二人の関係に大きく変化も無い。そのため、一番近くにいる義経も特に気付くことなく今日を迎えている。
「それでね、夏に入ってからさぼり気味だった稽古も今日に合わせてちゃんとこなしたから、九鬼からの横入りもしばらく無いんだよね」
胡坐を掻いていた水明の身体へ上るようにし、顔を寄せる。そして――キスをした。
「良いのか? 弁慶」
「ん、今日一日フリーにした時点で覚悟は出来てるから」
「そうか――」
水明は弁慶の首裏と膝裏に手をやって持ち上げ、普段寝ているベッドへと横たわらせる。
呼吸とともに彼女の豊満な肉体が上下し、期待感に埋もれた瞳は二人のこれからの時間を容易く予期させた。
だらりと、弛緩した弁慶へ覆いかぶさる。
「好き。水明――」
彼はただ、影を重ねることでそれに答えた。
【分岐A】弁慶END~完~