黙祷集。(最新話『ドラゴンメイド』更新2024.11.19) 作:神の筍
『燐光』文字数:約10万字
一 、
「……今何時だ」
目を開けるとそう呟いた。視界の端に映る時計に頭を向けようとするが寝違えたのか上手く動かない。諦めてスマホの時計を確認しようと手を伸ばすがどこにも無かった。
まずは振り返る。自分は何をしていたのか。
ここは川神学園非公式部活動である『だらけ部』部室の旧茶道室。担任教師によれば数年前に新設された部室棟を機に余った教室らしい。そこを勝手に不法占拠して自由に使っているのだが、自分が今日ここにいる理由は昨夜眠れなかったため早めに学校に来て遅刻しないようにしておこうという考えからだったはず。朝練のある運動部とともに校門を潜ったので七時くらいに着いたのだろう。そこからSHRが始まる八時半まで軽く寝ようとして——。
「この感覚は、充足感。あったはずの眠気が一切消えている」
何故だろう。中途半端なうたた寝ならむしろ身体は怠いはず。本格的に眠らないように注意して押し入れにある布団を出さなかったにも関わらず寝起き特有の快活さが身を覆っている。
さすがにまずいと思い、身体を起こす。
時計を見ると時刻は十一時半。ちょうど四時間目が始まった頃だ。
しまったな。このタイミングに行けば嫌に目立ってしまう。ただでさえ連絡もせず午前の授業に出ていないのだから大目玉……は、担任がヒゲなので喰らわないだろうが職員室へ連絡が行っているのは間違いない。
「まぁ……良いか。五時間目から出るとしよう」
ずいぶん落ち着いているように見えるが無連絡欠席は初めてである。本当ならばすぐに連絡しなければならないのだが、そこは若さ故の面倒くささだと見逃してほしい。だってだらけ部だもの。
昼飯はコンビニで買ってきた軽食があるので十分だ。ならば、あとはこのもう一眠り出来るぞと訴えかけてくる感覚に従い布団を準備するだけだろう。
押し入れを開け、いくつからある布団を一セット取り出す。ヒゲによれば使わなくなったとは言え、週一で洗われているので臭くもない。むしろ今週初めて取り出したので柔軟剤と木板の香りで旅館を彷彿とさせる心地良さがある。
すぐに敷くと制服の上着を脱ぎ、首元のワイシャツボタン二つを取って目を瞑った。
「たまに敷布団で寝ると気持ち良いんだよな……」
先ほどまで眠っていたが、冷たい布団が二度寝に誘うのはそう時間が掛からなかった。
二、
「ったく、こんなところにいたのか。ほら起きろ、昼休みだぞ——」
二度寝、ともすれば今度こそうたた寝をしていると揺すり起こされる。聞き覚えのある声音であったことと寝過ぎのせいか頭が痛かったのですぐに起きた。
「……うっ。知らないおじさん。ここはどこだ」
「誰が知らないおじさんだよ。知ってるおじさんだろ。担任だよ」
「見たことある気が……たしか、親不孝通りのラブホ街で制服姿の女子と歩いていたような……」
「歩いてねぇよ! 捕まるわ。ただでさえ厳しくなってんのに。オジサンの趣味はお前ら学生みたいなキャピキャピしたタイプじゃなくてもっとこう、包容力のある、名前に小とか島とか梅とか最後に子とか付いてるような人なの」
もはや好きな女性の名前を言うこのヒゲは宇佐美巨人。自分も所属する二年Sクラスの担任だ。あだ名のヒゲの通り顎鬚を生やし、草臥れたスーツが特徴。初見、橋の下で生活している人が学園に不法侵入して来たと思うだろう。人間学の授業を担当しており、教師の他に代行業を営んでいる。というか、一応そっちが本職であるらしい。
「電話掛けても出ねえし、どっかでおっ死んだのかと心配したわ。たまのサボりくらいオジサンは何も言わねえけど連絡は頼むわ」
「いやぁ、申し訳ない。遅刻しないように早めに学校に来てたんですが、春の陽気にしてやられまして」
「ま、良い天気だしなぁ」
二人して窓の外を見ると、青空七・雲三の見事なまでの晴空が広がっている。人によって暖かくもありどこか風が冷たい今の時期は寝るには良い日だ。
「とりあえずオジサンは職員室に報告しとくから。お前はちゃんと五時間目から出ろよ」
「分かりました」
怠そうにしながらも生徒のことを心配してくれているヒゲを見送った。
先ほど言われたことを思い出し、連絡の入っているというスマホを拾う。
「そうか、充電出来てなかったのか……」
アラームをセットしていたのだがどうやらそもそもの問題であった。起きる起きれない問わずに鳴らなければ意味がない。スマホを線に挿した記憶はあるのでコンセント側の方が挿さっていなかったのだろう。掃除機と挿し替えた記憶がある。
後悔しても仕方ない。むしろ気持ちよく寝れたと前向きになろう。
スマホと置いていた昼飯を手に取って外を眺める。グラウンドでは人だかりが出来ており、決闘をしているのだろう。
決闘とはそのままの通り闘いである。この学園特有の校則で——西にも似たような学校が存在するらしいが——武力、知力などを用いて勝敗を決める。時にコインの裏表を当てる運勝負もあるらしいがよく見るのはあそこでやっているような武力による決闘だろう。学園が用意した武器か素手で闘いどちらかが降参もしくは立ち合い人が負けと認めると終わる。立ち合い人は基本的にルー先生や小島先生、学園長のような実力のある人しかやらないため致命傷に至る前に止めてくれるのだ。
「やってるのは……Fクラスのフリードリヒに……知らないなぁ、もう一人は。たしか、一年に刀を持ってる奴がいたからそいつか」
素早く動き、レイピアを刺すように繰り出しているのはクリスティアーネ・フリードリヒだ。フリードリヒは一年の頃に転校してきて、その際馬に乗って来ていたため印象に残っている。そして、同じだらけ部部員の直江がいる風間ファミリーのメンバーだ。
「良い太刀筋だな。というか、レベル差があり過ぎる。剣聖の娘がとんでもない噂は聞いてたけど、強さの壁は余裕で超えてるな」
フリードリヒも勢いのある攻撃を出しているがそれ以上の速さを持って相手は避けている。軽快な足運びで翻弄しながら彼我の差を詰め、最後はレイピアを斬り飛ばして決闘は終わった。
「てかあの二人も風間ファミリーのメンバーなのに何で闘ってるんだ。意見の相違というやつか」
度々風間ファミリーは川神で起きた騒動に関わっている。今月初めには港湾で船が爆発した事件が話題になっていたが、クラスメイトによると彼らが関わっていたようだ。別目的で船を見に行ったら外国勢力が武器を密輸してたとかでそのまま戦いになったらしいが本当かどうか定かではない。しかしそれが真実だと言われると信じられるくらいには個性的なメンバーが揃っているのだ。
「さて、教室に戻るか」
戻ると言っても本日初登校なのだが。
三、
廊下を歩いて教室に戻ろうとしているとこちらでも人だかりが出来ている。
川神学園の校舎は通常の学園より広い作りになっており、それは名家や留学生の家族からの献金のおかげだったりする。献金すれば私服登校が許されたりある程度の我儘が聞くため金持ちの家が息子娘をこの学園に入れる場合必ずするのだ。しかし、徹底した実力主義であるためクラスと試験結果に影響はない。
「——どっ、せぇぇぇい」
「重い、この力——ッ」
わぁ、と声が上げながら人だかりが二つに割れる。ちょうど一人分の隙間から見覚えのある赤髪が飛んできて受け止めた。
「……何してんだ猪川さん」
「誰が猪川ですか。私の名前はエーベルバッハと言っているでしょう」
「いや、言い難いからさ」
「ならマルギッテで良いと。Sクラスのあなたには許可しているはずです」
この目つきの鋭く軍服を着た女の名前はマルギッテ・エーベルバッハだ。同じSクラス所属の一応同級生で、現役ドイツ軍の兵士だったりする。何故そんな人間がここにいるのかということだが、先ほどいたフリードリヒの様子見と己の修行も兼ねて川神にやって来たらしい。武芸共に優秀な能力を持っているが、それ故能力で人を見下す癖がある。最近は緩和されたような気もするが気のせいかもしれない。Sクラスとテストの順位が勝っているため自分はそこまで見下されていない。
「結構気に入ってるんだけどな……まぁ、良いか。決闘? かもしれないが、廊下でやるのは危険だぞ」
「私も本来はクリスお嬢様のように外でやるつもりだったが、相手がこの場での決闘を望んだから了承したまでだ。立ち合い人もいると知りなさい」
立ち合い人は人だかりの向こうにいるのか見えないが、マルギッテと戦っていた相手は見える。
女子にしては高い背に、マルギッテよりメリハリの効いた身体。波巻きの髪が腰まで伸びているようだ。右手に錫杖という珍しい武器を持ち、左手には瓢箪が紐で巻かれている。
「誰だ、あいつ?」
見覚えがないようなあるような。というか無いのだろう。しかし川神学園生と言われればとりあえず納得出来る個性は持ち合わせているのでいても不思議じゃない。川神学園が非凡過ぎるだけなのかもしれないが。
だが、マルギッテを吹き飛ばすほどの実力者がいただろうか。彼女は川神戦役のときも将として戦場を駆け回っていたので少なくとも二年上位であることは間違いない。学園全体でも武神を除けばトップ候補だ。そんなマルギッテをやるとなれば少なからず話題になっているような……。
「そう言えばあなたは午前の授業は姿を見せませんでしたね。どこでサボっていたのか知りませんが、弛んでいると自覚しなさい」
「い、いや。サボっていたわけでは」
「寝癖がある状態でよく言えますね」
「……」
「というかあなた、いつまで私を抱えているつもりですか。早く降ろしなさい」
「すまんすまん」
通称、お父さんが子供に買ってきた子犬を見せるスタイルで抱えていたマルギッテを地面に下ろす。
「彼女は今日来た転校生の一人です。その様子だとテレビも見ていないのでしょう。名前を——」
「——ちょうど良いところに来た左武(さたけ)。お前、今日サボっていたようだな」
「え?」
隙間から伸びてきた鞭に腕が絡め取られる。
「宇佐美先生はたまのサボりくらい大目に見ると言っていたが学生の本分は勉強。一時間くらいならば私も大目に見たが、さすがに午前の授業全てをサボったのはいかん。話がある。生徒指導室に行くぞ」
「まじか……」
「自業自得です」
どうやら立ち合いは小島先生だったようだ。この人は鬼小島と言われるほど真面目で几帳面。生徒の意を汲んでくれる人でもあるのだが、厳しい指導で有名なのだ。
あの不良オヤジ、小島先生と喋るために自分を会話のネタに使ったのだろう。
よもやこんなことになるとは。
「昼休みの間だけだ、それくらいしっかり聞け」
鞭をお縄に連行される自分を幾人もの生徒が見ている。Sクラスでない生徒もいるようで……というか直江がいるじゃないか。
ヘルプの視線を向けたが首を切る動作を返された。
身から出た錆、自分の不注意が原因なので素直に聞くとしよう。
小島先生に連れられる中、マルギッテと決闘していた転校生とすれ違う。
「……」
「……」
お互いに目立っていたせいか視線が数秒重なった。
「……」
「……」
足が止まりそうになったが小島先生の鞭によって繋がれているのでそのまま歩く。前を向いても背中に視線が刺さっていることに自分は気付いていた。
変な学生がいるとでも思われただろうか、恥ずかしい。自分が入学したときも上回生の人が小島先生に叱られて鞭でしばかれてたので、遂に自分がそちらに回ってしまったという妙な空虚さがあった。
「まったく。Sクラスでも優秀な成績を残しているんだ。気を抜くなとは言わないが、気を抜くタイミングはしっかり考えて行動しろ」
その後、昼休みの終わる三分前まで小島先生からお叱りの言葉を受けた。鬼小島とはよく言ったもので、科学技術の進む現代でも鬼を見ることが出来たと残しておく。
四、
理由は言わないが寝ていたにも関わらず疲れた身体に鞭を打ちというか打たれて五、六時間目を乗り越た。幸いにもカラカル兄弟二人の連続授業だったため興味深いことも多く、面白かった。
「——裏切るとは思わなかったよ。ヒゲも直江も」
放課後。再び布団を出して、靴下と上着も脱いだ状態で寝転びながら将棋をしている二人に言った。
「まぁ許せ左武。お前のおかげでオジサン、五分も小島先生に甘いって怒られちゃった」
「こっちは三十分怒られたわ」
「おいおい、それは自分の責任だろ。それに、実質ご褒美みたいなものじゃねえか」
「うわきっつ」
限界独身オジサンに近づくと良くないことが起きそうだ。
「直江は弁明があるか」
「いや、無いよ。俺もあの場でなんとなく察しただけだったけど、さすがに左武がサボるのが悪い。今日が眠たくなる天気なのは分かるけど」
まったく、だらけ部の絆も薄くなったものだ。生まれは違えど、だらけるときは同じという誓いをしたにも関わらず裏切り者が出てしまった。
「その言い方だと裏切りは左武のほうじゃないか?」
「ああちょっと待って」
「待ったはもう使いました」
「も、もう一回くらいオジサンにハンデ付けてよ」
少し顔を上げて盤上を見ると素人でも分かるほどの戦力差が付いている。このまま直江が手堅くいけばヒゲがどんな行動をしても負けるだろう。
「学園長とやったときは上手くいったのになぁ」
「学園長、将棋めちゃくちゃ弱いじゃないですか」
現状、ヒゲと直江の勝率は九割以上が直江の勝利である。全て見ているわけではないので詳細の数字は分からないが、自分が見たことのある直江の負けは駒落ち戦だけだ。それも結構な駒を落としていた。それくらいやらないとヒゲは勝てないくらい弱いのだ。自分も一度やったことあるが、そこまで得意ではない自分ですらヒゲの王が「え、ここから入れる保険があるんですか!?」状態だった。
そのヒゲに勝てない学園長……見た目は段位持ちの強キャラに見えるがそうではないようだ。
「はい、王手」
無事に手番を進めた直江が勝利したようだ。堅実な指し方も出来て、時に状況に合わせて奇を衒った指し方が出来るのはさすがFクラス代表の軍師といったところだろう。
「参りました。はぁ〜、何で勝てないかなぁ」
「予想外の動きをされたらこっちが不利なのに考え過ぎて変な択を取ってるのが問題だね。保身に走り過ぎてる。たまには攻めなきゃ」
「この歳になれば保身に走っちゃうものなの。小島先生には攻めてるのになぁ……」
「いや、そっちは知らないけど……左武もやる?」
「自分はいい。頭を使いたくない」
「俺としては前負けた敵討ちをしたいんだけど」
「あのときはオセロだろ。自分は将棋のルールすらちゃんと把握してないから勝てないよ。不戦敗で一対一な」
「戦わず勝ちを譲るとかだらけ部極め過ぎだろ」
「極、める? だらけ部部室でそんな言葉使わないでくれるか?」
「だ、だりぃ。コイツ」
慣れた様子でそんな言葉を交わす。「じゃあオセロで勝負しよう」とも言われたくなかったので話題を切り替える。
「そういえば転校生が来たみたいだけど、どこのクラスに入ったんだ?」
「俺たちと同じ学年に三人。三年に一人、一年に二人。どれもSクラスだよ。というか、俺はいくら左武と言えど知らないことに驚きなんだけど……」
そう言って直江はスマホを手早く操作してこちらに見せてくる。
「『英雄復活! 九鬼によるクローン技術は光か闇か?』、だって?」
「その様子だとニュースも見てないようだな。
昨日と一昨日の天神館戦に佐武は出てなかったから知らないだろうけど、このタイトルの通り九鬼がクローン技術で過去の英雄を蘇らせたんだ。その英雄が向こうの大将を一撃で倒して一躍刻の人になったわけ。で、その英雄と仲間たち+九鬼の末妹と護衛が転校してきた」
「すごく分かりやすい説明ありがとう」
直江の言う通り、一昨日からあった天神館との東西交流戦に自分は出ていない。この時期は必ず地元に戻ってやらなければならないことがあるので、ヒゲの許可も取って公欠ではないが欠席しているのだ。どうやらその間に世界ではとんでもないことが起きていたらしい。二日といえど酷く取り残された気持ちだ。
「それで、二年に入ったのは誰だ? 劉備と曹操と孫策か?」
「そんな目を合わせて速攻三つ巴戦争が起きるような面子じゃないよ……」
ちなみに三国志モノの映画だと劉備が主人公に描かれがちだが現実的な建国をするのは曹操だったりする。最終的には部下に乗っ取られるが、それもまたオチの付けやすい顛末なのだろう。
「俺たちの学年に入ったのは源義経、武蔵坊弁慶、那須与一の三人だ」
「義経弁慶与一? 有名っちゃ有名だけど、そこなのかと言った連中だな。九鬼なら信長とか秀吉とか家康を選びそうだけど」
「たぶんそこまで野心のある英雄だと影響が出過ぎると考えたんじゃないかな。この時代に政府打倒して天下布武とかやられたら不味いどころじゃないだろうし」
「それもそうか」
悲劇の英雄として名高い義経、勧進帳や仁王立ちで有名な忠臣弁慶、扇の的で日本史上最高と言われる弓兵与一……非常にバランスの良い三人組だ。与一だけ頼朝主君だが、問題ないだろうか?
それにしても、
「——義経、弁慶、与一……?」
引っかかる部分がある。稀代の英雄だからだろうか。教科書でも聞く名前だからか? 自分の中で何か忘れているような……。
「お、誰か来るみたいだぞ」
ヒゲが言うように耳を澄ませると廊下から足音が聴こえる。この場所は校舎端に位置しているため用件なぞ殆ど無いはずだ。強いて言えば人に隠れて逢引きするくらいだろう。
「この足音は……資格がある」
「左武の謎の一芸が発揮されてるな」
「でも、意外と当たるんだよね。てことはここに用?」
自分には無駄に足音でどんな人間なのか聞き分けられる能力がある。限定的過ぎて役に立ったことがあるのは話のネタくらいだが、当たる確率は高いと評判だ。手相が神秘的なものではなく、人の生きた経験——剣をよく持つ人は握るため皺が寄りやすく生命線が短いなど——が反映されたが故の理論的な部分があるように足音も同じなのだ。
「自分は眠るとしよう。資格はある。入れるかどうか二人に任せる」
「出たよ左武の人見知り。それ直さないとオジサン心配だよ」
「初対面の人とは徹底的に話さないからなぁ」
人見知りではない。人間関係が出来ることで背負わなければならない責任から逃げているだけだ。
「んじゃ、オジサンも寝るから。直江頼んだぞ〜」
「えぇ、俺だけかよ」
五、
旧茶道部部室の引き戸が開けられる。入室者を見て直江はほんの少し目を開いた。
「弁慶。どうしてここに?」
「やぁ。心地良さそうな空間の気配と——」
やって来たのは今話題沸騰中の武蔵坊弁慶だった。高校生とは思えないルックスに同学年含む多くが初日に魅了され、さっそく明日にでも告白を計画されるほどの美人だ。Sクラスでは別の意味でも注目され、学年三位以内でなければ退学という宿命を自ら背負った川神水愛飲者でもあった。
「そこで寝てるのは?」
弁慶が奥に布団を敷いている男子生徒を錫杖で指す。
「左武だよ。昼に弁慶も小島先生に連れて行かれる姿を見ただろ? そいつだよ」
「左武……この部屋は?」
「だらけ部部室。真にだらけることを志とした者たちが集う非公式部活動中なんだ」
「おほ〜、そりゃ良い部活。はい入部」
「それはかまわないけど、入部資格があるか確認するために答えてもらわなければならないことがあるぞ」
「それ時間掛かる?」
「いや合格。その返しが出来る時点で十分だよ」
「ん。で、そこで寝てるのに関して質問があったりするんだけど下の名前が右文(みぎふみ)だったりする?」
直江は寝ると言っていた宇佐美が身体を起こしていることに気付いた。
「え、ああ。たしか右文だった気が……」
「あってるぞ。左武右文。お前と同じオジサンのクラスだな」
「そう、ありがとう」
直江と宇佐美は顔を合わせた。何故弁慶が名前を知っていたのか? 直江は視線で問うが宇佐美を肩をすくめて知らないとアピールする。
弁慶は履いていたローファーを脱いで畳の上に上がると出入り口に錫杖を置き、すたすたと左武の眠る布団へと近付いて行った。
「お、おい弁慶……?」
心配そうに見守る宇佐美と、考えを巡らす直江を尻目にもせず弁慶はそのまま布団の中に消えていった。
「……はぁ?」
「最近の女子高生は肉食と聞くが、弁慶もそうだったのか?」
目の前の光景に思わず素っ頓狂な声が漏れてしまったのも仕方がないのだろう。
六、
「——源氏式コブラツイスト!」
「痛——っててててて!」
ノンレム睡眠からレム睡眠に移ろうとしたタイミングで強制的に意識が覚醒し、肉体に激痛が走った。
「何だ!? 地震か!?」
倒壊して来た家具か何かに巻き込まれて動けないとか……いや、そうじゃない。いつの間にか腕と足を取られて、これは——。
「コブラツイスト!?」
「おはよう、右文。ずいぶんと久しぶりだね」
「だ、誰だ……この肩に乗る感触は、八十九? マルギッテより大きい!?」
「ほいっ」
「——っ」
極め方が強くなる。直江に極めるとか使うなと言っておきながら極められるとは、だらけ部として失格だろう。
寝ていただけで技を掛けられるなど何たる理不尽。一先ず冷静に対処すべく左脚に掛けられている太ももを押さえて下げる。本来のコブラツイストは立ってやるので後はアームホイップで前に投げるのだがこの状態では出来ない。そのため強引に肩を抜いて脱出させてもらおう。
「くっ、与一とは違うか……」
「はぁ、はぁ、何とか抜けれたか。てかとんでもない力だな」
布団の中で揉みくちゃになっていたので汗を掻いた。正体を確認しようと掛け布団を勢いよく退け——。
「えぇ、何某かの?」
仰向けになるのは昼間、マルギッテと決闘していた女生徒だ。直江によれば自分のクラスに三人入ったと言っていたのでそのうちの一人だろう。
「ほぅ、この武蔵坊弁慶に床でくんずほぐれつしておいて誰かと問うか」
「いや、武蔵坊弁慶ってたしか今日転校してきたクローンがあーだこーだ……」
「お前はそれだけじゃないだろ? 覚えがないとは言わせないよ」
「お、覚え? 知り合いなのか——?」
そう言ってこちらを見ている直江とヒゲに顔を向けるが二人揃って首を振る。事前に話を聞いているとかも無さそうだ。
「あー……幼稚園の同級生とか」
「違う」
「小学校の頃の同級生か! ひ、久しぶりだなぁ」
「近からず遠からず」
「ち、中学校の頃の知り合いか!」
「近くなったけど遠くなった」
分からない。ここまで容姿端麗な知り合いがいれば間違いなく覚えているはずなんだが……。
「優しい弁慶がヒントをあげよう。一、夏休み」
夏休み。夏休みといえば学生歓喜の長期休暇だ。去年の夏休みは川神探索に精を出し、一昨年の夏休みは受験勉強一色だっただろうか?
「二、小笠原諸島」
小笠原諸島は東京都に属する島々だ。自然が残る場所として観光客が訪れ、自分も——。
「三、主は割と喜んでたけどお前が何度も何度も突っかかって来て戦ってた」
「……」
小学生から中学二年生まで夏休みの期間、小笠原諸島の祖父母宅に預けられていた。母親が病弱だったため、父親がその看病と自分という子を育てる休憩のようなものも兼ねていたのだろう。諸事情により大人びた考えを持っていた自分はそれを理解し、特に文句も言うことなく遊びに行っていた。むしろ、見慣れた都会より島のような自然環境の方が好きだったのだ。
「——嘘だろ? 同名なだけじゃなかったのか?」
「この通り武蔵坊弁慶だけど? 主も与一も」
「いや、いやいや。だって本物って言わなかったじゃないか」
「普通言わないでしょ。誰が武蔵坊弁慶(本物)ですって言って信用するの。それに本物だろうが偽物だろうがどっちでも良いし」
「じゃあ大器さんと昌子さんは? あの二人もクローンなのか?」
「二人は違うよ。養父母」
「マジか。全然気付かなかった……」
「まぁ島のみんなはそんな気にしてなかったからね。外から来た人も右文みたいに話しかけてくる人はいなかったし」
思い返せば鮮明に浮かぶ島での日々。あの時期、自分は結構恥ずかしいことをしていたので思い出したくないのだが……三人、もとい四人が来たとなれば弱みを握られてるようなものではないか。
「えっと、とりあえず左武と弁慶は知り合いってことなのか?」
「知り合い、腐れ縁、何て言えば良いかわからないけどそんな感じかな」
座っている自分の腕を取ってピースサインする弁慶。最後に会ったのはたしか二年前なので、その間に初見で分からないまで成長したということだろう。自分もその時期に背が一気に伸びたので彼女たちも同じだ。
「弁慶が出したヒント一と二は分かるけど、三はどういうことなんだ? 左武が源氏組と戦ってたって」
「右文が初めて島に来たとき、素振りをしてた主を見つけて——」
「直江、人生は?」
「死ぬまでの暇潰し」
「自分にもそういう時期があったということだ。聞くな、尋ねるな、興味を持つな。同じ痛みを知っているはずだ」
「あー、なるほど。分かった、忘れよう。お互いの傷口に塩を塗る行為は生産的じゃない」
「弁慶。お前も学園生には義経たちならともかく言わないでくれ」
「別に良いけど」
直江は同志であり同じく隠したい者、ヒゲは空気を読んで口を挟まないでくれるタイプだ。この場にいたのが二人で助かった。
「それより、何で去年と一昨年は島に来なかったの? 主もいきなり来なくなった上に連絡先も知らないから心配してた」
「悪い。中三から行く必要が無くなったし、受験勉強もあったから行けなかったんだ。去年は川神を散策してたからそもそも頭に無かったな」
「行く必要が無いって……」
「——おっほん。弁慶、左武と知り合いなのはクラスに馴染みやすそうでオジサン大歓迎なんだが、義経たちに知らせなくて良いのか? 義経のあの性格なら、弁慶より心配してただろ」
「主は今日の放課後決闘で埋まってるし……明日の朝……清楚さんとはお昼集まって話そうかな。右文も」
「ああ、構わないぞ」
四人と話すのは全然良い。むしろ、久しぶりで楽しみだ。
「世界は広いやら何やら言うが、意外と狭いんだよなぁ」
「まさか左武が弁慶たちと知り合いだったとは……」
二人がそんなことを言っているが、今は弁慶たちのことだ。何とか自分の恥ずかしいことを言わないように他の三人にも伝えなければならない。清楚先輩は察してくれるかもしれないが、義経なんかはサラッと漏らしそうだ。与一も腕白だった印象だがもう落ち着いているだろう。
七、
翌朝、いつも通りの時間にSクラスの教室に入るとパクパクと口を開く一人のクラスメイトがいた。
「……」
自分の席は一番後ろの右端、廊下側だ。前席はマルギッテ。欲を言えば窓際が理想だったのだがくじ運が中途半端だったのだろう。そこで待っていただろう彼女は扉を開けた自分を見て驚いている。
「久しぶりだな義経。あと与一」
微妙な距離を保っている与一の名前も呼び、とりあえず鞄を机の横に掛ける。
「な、な、な、ななな——」
「知り合いなのですか? 左武」
「ああ。久しぶりだったから昨日は気付かなかった」
こうして見ると義経はあまり変わっていないような気がする。与一も背が伸びているだけで髪色などは変わらない。弁慶に気付かなかったのは昔は髪を括っていたからだ。男ならともかく女性の髪型による変化は非常に大きい。
五、六時間目に後ろ姿で気付かなかったのはただ本当に頭になかったからだろう。
「みっ、み、みぎっ、みぎふみくんっ」
「おう、右文君だぞ。再会の抱擁でもするか?」
「ほほほ抱擁!? そ、それはクラスメイトのみんなの前では恥ずかしいというか何というかっ」
「昔は同じ風呂釜に入った仲だと言うのに羞恥を優先されるとは……寂しいなぁ」
「その言い方はいぢわるだぞっ」
弄り甲斐のある性格も変わっていないようだ。自分より弁慶の方が義経を弄っているのでそもそも変わるも何もなかったのだろう。耐性が付かないくらいに引き際を弁えているのだからとんだ忠臣だ。
「与一も元気にしていたか?」
「フッ、外界からの使者であったお前とまさかこのような箱庭で運命を共にするとはな。所詮、俺も手のひらで踊ることは変わらないようだ」
「……」
義経の手を掴んで教室の隅へ誘導する。他のクラスメイトに聞こえないよい顏を寄せた。
「義経、アレはどういうことだ」
「よ、与一のことか?」
「それ以外ない」
「その、話せば長くなるというか、あまりここで話すには相応しくない内容だから……」
「昼休みのことは聞いているか?」
「うん。屋上で清楚さんとお昼ご飯を食べる予定だから、そのときにどうだろう」
「分かった」
思えば弁慶もそうだ。
今もぐびぐびと呑んでいる川神水に対して完全にアルコール依存症みたいになっている。変わっていないように見えてどこか変わっている。
考え悩む自分を見て義経が心配そうに見ていた。
「義経は変わっていないようで安心したぞ」
さらさらの髪が触り心地良い。しっかりケアしている証拠だろう。
「あぅあぅ〜」
どうしよう、清楚先輩が金髪で刺青とか彫っていたら。自分はもう受け入れられる気がしない上にそっと距離を置くんだが。
そんなことを考えつつも、早く昼休みが来るよう願うのだった。
八
昼休みまでの短い休み時間で義経たちと知り合いだったことを他のクラスメイトから聞かれつつ、自分と三人は屋上へとやって来ていた。川神学園の屋上に入るためには特殊な許可といったものは必要でない。空を見て食べるご飯は美味しいが、屋上以上に魅力的な中庭・裏庭などがあったりするため人は少ないのだ。
今日は運良く自分たち以外の姿は見えない。後から来るかもしれないが、込み入った話は手早く終わらせれば良いだろう。
「——本当に右文君だ。久しぶり、元気してた?」
「久しぶりですね、清楚先輩。ええ、本当に、変わってなくて良かった」
弁慶より長い黒髪はストレートに伸びており、ヒナゲシの髪飾りが楚々とした雰囲気を引き上げている。それでいて大人しいわけではなく、明るい笑顔は義経とは異なった人懐っこさを感じる。
彼女の名前は葉桜清楚。自分と義経たちより一つ上の先輩だ。
「清楚先輩も英雄的なあれなんですか?」
「そうだよ。でも、私の場合はもう少し年齢を重ねてからじゃないと正体は教えてくれないの。詮索はするなって言われてないけど、九鬼が言うならのんびり待とうかなぁって」
「相変わらず強いですね。自分だったら気になって調べますけど」
「え? そんなことないよ。紫式部とかだと良いんだけど……もうっ」
と、軽く肩を叩(はた)かれる。
……いや、痛いんだが。ツッコミ感覚のつもりなんだろうが悶えたくなるくらいには痛いんだが。
自分が清楚先輩を強いと言ったのは虫が苦手じゃないとか怖い人にも怯えないとかではなく、ただ単純に身体が強いのだ。度々清楚先輩の一撃を喰らっていたのだがその威力は割と真面目に弁慶に劣らない。体幹の強さは一番ではないだろうか。
清楚先輩が準備してくれていた広めのレジャーシートを敷き、四人で座る。与一はフェンスに寄り掛かりながらグラウンドを眺めていた。
義経たちは九鬼が作った弁当を食べ、自分はコンビニで買ってきた適当な惣菜パンを口に入れながら話を切り出す。
「それで、与一はどうしてこんな感じになったんだ?」
自分が知っている与一は年相応な性格だった。島にも遊び場やライトノベル的なものは売っていたがここまで変わるものなのか。
「実は——」
そこから義経が掻い摘みつつ話してくれたのは、嫌に現実的な理由だった。
頼朝の家臣——那須与一。
例外な清楚先輩はともかく、義経と弁慶ときて何故与一なのか? 九鬼上層部はその役割を把握していたが、末端研究員までには情報が正確に共有されておらず、一人だけ外れたような出生の与一に謗言を投げたのであった。努力家の義経と天才肌の弁慶。二人と比べられ、戦闘面でも弓兵という素人では分かりにくい役割であったため研究者間で「本当に与一は必要なのか?」という疑問が出た。それを聞いた与一は暫く部屋に篭り、サブカルチャーにのめり込み、最終的に弁慶が力ずくで引き摺り出すまで学校にも行かなかったようだ。
人が怖い思いをしたときに笑ってしまうように、あれは与一の防衛機制のようなものなのかもしれない。
「与一、これやるよ」
食後のおやつに買っていた栗饅頭を一つ、与一に投げた。
「……ユグドラシルの実か。ありがたく貰っておこう」
いえ、栗です。
「与一のことは分かったよ。あれはあれで楽しそうだから良いんじゃないか?」
本当に捻くれているならば、ここにも来ていないだろう。
与一については自分があまり触れることでもなく、受け入れるしかないので次の話題に移る。
「で、弁慶は何でこんな呑んだくれになったんだ?」
自分が弁慶の名前を出すと彼女は頬を赤らめながら近付いてくる。決して艶のある理由ではなく、華金の居酒屋で見るオヤジと同じ感じだ。そのまま身を縮こめると自分の膝に頭を乗せきた。
「お前なぁ……」
弁慶がこうしてくるのは初めてではない。島で川釣りをしていたときは自身の竿を適当に放り出し、人の膝を借りていた。ここまでスタイルが良くなっていれば男として思うところはあるが、それ以上に猫と遊ぶ感覚だ。
「弁慶に関しては川神に来てからいつの間にか川神水を持っていたんだ。珍しくお気に入りの物が出来たと思えば、ここまでになって義経も驚いている」
川神水の存在は知っていたが呑んだことはない。
「そんなに美味しいのか?」
「うん。呑む?」
「いや、また落ち着いたときに呑むさ。美味そうな川神水があれば教えてくれ」
「んー」
もそもそと動きながら目を瞑った弁慶をそのままに最後の惣菜パンを食べ切った。
他のみんなも食べ終わったようで、清楚先輩が口を開く。
「右文君の二年間も聞かせて欲しいな。何してたの?」
「義経も気になる」
そう尋ねられるも、本当に話すほどのことがない。
「特に何も無かったぞ。たぶん普通、だな」
「えぇ、本当? いつも義経ちゃんや弁慶ちゃんたちと模擬戦してたのに……モモちゃんとか松永さんとは戦わなかったの?」
「……あぁ、それは」
武芸者なら一度は聞く名前だろう。東の武神川神百代、西の納豆小町松永燕。世界的にも有名な川神先輩はともかく、松永先輩は四月に転校してときに川神先輩と戦い引き分けている。その後松永先輩は川神院の朝練に参加するなど交流が続いていると直江が話していた。
「えーっと、そうですね……もう——辞めました」
こんな世界だから、強くなろうと武術を学んでいたことがある。義経たちと出会ったのもそういう時期だ。
「どうして? 右文君、あれだけ頑張ってたのに……」
「立ち止まる機会があったと言いますか、自分を見つめ直すきっかけがあったと言いますか」
島に初めて行ったときは山中を走って鍛錬しようと思っていたのだが、素振りをする少女——義経の姿を見て反射的に勝負を挑んだ。そのときの義経はまだまだ刀を振るう姿も様になっておらず、色々と先取りしていた自分は負けることがなかった。義経に勝ち、弁慶が現れたので杖術で挑み、与一に弓術で競った。まだ身体の出来ていなかった三人に負けることはなかったが、今やればブランクと努力の差で比較するのも無理だろう。
内包する気と窺える膂力から、九鬼は三人の実力向上を長く見ていたに違いない。
自分は一芸特化に至らなかったのも辞めてしまった小さな原因だ。
「——色々あったんだね」
清楚先輩は踏み入るようなことはせず、微笑むだけでそう言った。そしてパン、と切り替えるように柏手を鳴らす。
「そうだ! 右文君。君の方が川神に暮らして先輩だし、週末どこか面白そうなところに案内してくれないかな? 大扇島には必要な施設が揃ってるからまだ川神をちゃんと歩いたことがないんだよね」
「ええ、大丈夫ですよ。自分も最近は川神散策に精を出していましたからね。面白そうなところは一通り」
「本当? 古本屋さんとか案内してくれたら嬉しいな」
「古本屋……なら、あそこだな。前日までにメッセージか何かで行きたいところ連絡して貰えます? 適当にピックアップしとくんで」
「分かったよ。じゃあ連絡先交換してくれる?」
スマホを取り出して清楚先輩に渡す。清楚先輩は小慣れた様子で電話番号を打ち込むと登録を終えた。すぐにメッセージが来て、自分も送り返すとその電話番号を登録した。
「ほい」
「弁慶もか?」
「うん」
「あっ、義経も!」
その後、与一の連絡先も義経に教えてもらった。昔会っていた頃は連絡先を交換するなんてことも無かったため、知り合いにも関わらず妙に新鮮な気分だった。
九、
「朝から随分と怠そうですね。夜更かしでもしたのですか?」
クラスの半分ほどが集まった朝の時間帯に顔を伏せていると、前席のマルギッテに声を掛けられる。
「おはようマルさん。昨日は録り溜めてたバラエティとかドラマとか見てたらいつの間にか三時間前になってた」
「三時間前……つまり、寝たのは五時ですか。はぁ、あなたは度々就寝時間を疎かにしている暇がありますが、何故学ばない」
「良いか、マルさん。マルさんも軍人。常日頃生死の介在した時間を過ごして来たのならば理解出来るだろう。人間、いつ死ぬか分からないんだ。もしかするといきなり心臓が止まるかもしれない。事件に巻き込まれるかもしれない。それこそ事故に遭うやも。そんなことを考えると明日を考えずに今を謳歌することの方が尊いと考えるものなんだよ。十代は、十代だからな」
「……それは私が二十代だから意見が合わないとでも言っているつもりですか?」
「——危なっ」
ひゅんっ、と風切り音が聞こえてマルギッテの拳が目の前を通ったので思わず上体を起こして避けた。
「暴力反対!」
「暴力ではありません。時として痛みを持って体に教えることも重要なのです」
「いや、痛みよりかは自分的に今日の数学の予習範囲の答えを教えて欲しい。マルさんもたまには二十代として歳下に優しくしたほうが良い、うん」
「では二十代としてそんなことは出来ないと答えましょう。若者の成長を見守るのもまた、歳上の義務ですから」
「成長も何もマルさんより自分の方が成績良いから特に無いんだけどな」
「何ですかその言い方は。ドイツ式更生術をあなたに施してあげましょうか?」
座っていたマルギッテはすぐに立ち上がる。そのまま両手を出してきたので自分も掴み、何とか抵抗をする。
「あ、朝来たら右文君とマルギッテさんが手を取り合っている。あの二人は仲が良いのか……」
「仲が良いというか、明らかに右文が適当なこと言って攻められてるだけでしょ」
どうやら義経、弁慶、与一が登校してきたようだ。与一はすぐに自分の席である窓際に座って外を見ながら物憂いな目つきをしながら遠くを睨んでいる。
「義経に弁慶ですか。あなたたちは夜更かしなどはしていないでしょうね?」
「夜更かし? 義経は昨日、しっかり二十一時に寝て今日は五時に起きたぞ」
「ふむ。さすがは日本の英雄。早寝早起きは三文の徳を実践しているようですね」
「ああ。それに、義経は早朝の方が鍛錬なども集中出来るタイプだからな!」
「私は昨日、シリーズ物の映画を見ちゃって普通に寝不足なんだよね。だから早くだらけ部の部室で寝たい」
「——っと、弁慶。いきなりだな」
「同じ部員としてこの苦しみは理解してもらいたい」
「いや、自分は三時間睡眠だからな」
膝に座ってきた弁慶をのけようとするものく気配がない。特別重いわけではないのだが、まぁ無理矢理のけるほどでもないのでそのままにしておく。
「弁慶、あなたは一体どこに座っているのですか。座るのならば、自身の席に座りなさい」
「寝不足だと妙に寒気がするんだよね。こうしてれば暖かいから。そして、ここに主がいればなおのこと良し」
そんなことを言いながら弁慶は義経の手を引いて捕まえる。
「わぁっ……もう、弁慶!」
「ぐふふ、良いではないか良いではないか。源氏サンドイッチ」
「右文は源氏ではないでしょう」
「実質義経の家臣みたいなものだから」
「ちなみに自分はどちらかというと平家寄りの血筋だぞ」
「じゃあ勝てば官軍だから源氏の言うことを聞くということで」
「千年前の勝敗が強過ぎる件について」
「馬鹿なことをやってないで早く戻りなさい」
さすがにそろそろマルギッテの視線も鋭くなってきたので二人を下ろす。彼女は転校当初から規律正しく、それが乱れることがあれば歯に衣着せない物言いで指摘するタイプだ。
自分とマルギッテがこうしてよく話すようになったのも教師にバレないよう睡眠を貪っていた姿を見られたからであり、それから適度にサボっていることに気付かれて今に至る。さすがに半年も続けば呆れられそうだが、それでも構ってくれるのは先程も言ったように自分がマルギッテより上の成績だからだろう。
「それに弁慶。あなたはもしかすると来月頭にある中間試験で退学するかもしれないのです。今から勉強をしていた方が良いのでは? 先の決闘では負けましたが、学業面では負けるつもりはないと知りなさい」
「退学……?」
自分が不穏な言葉に首を傾げると義経が説明をしてくれる。
「弁慶は川神水を学園内でも常飲するために毎回の試験で学年三位に入らなければならないんだ」
「よくそんな誓約を交わしたな。てか川神水辞めろよ……」
「飲まなきゃ手とか震えるからね……」
「それアレじゃないか」
「関係ないような素振りをしていますが右文。その学年三位があなたなのですから、油断せずに勉強せねばなりませんよ」
「そうなのか!?」
「葵冬馬。九鬼英雄。佐武右文。この三人が入学当時から変わらぬ成績順のようです」
「右文君が……たしかに右文君は義経たちと夏休みの宿題をやったときも一番に終わっていた」
「弁慶。短い間だったけどありがとな。転学先はどこになるか分からないけど、楽しい学校だったら良いな」
「絶対三位に入ってやる」
他愛もない話をヒゲが来るまで続けたのであった。
十、
義経たちが来たことによって川神学園全体がどうも活気立ったような気がする。
Sクラスでもちらほらと休み時間に教科書を開く姿や授業中の積極的な発言が増えた。他クラスでもSを目指そうとしている生徒がいるらしく、来月はもしかすると入れ替わりがあるかもしれない。放課後も居残りで勉強している者がいるため、特に予定の無い自分はそそくさとだらけ部部室に逃げていた。
「どう思うかね弁慶さんや。君もこの空気の一因なわけだが」
「周りが勝手に騒いでるだけで私には関係ナッシング」
新しく部員となった弁慶と布団争奪戦を繰り広げ、地の利を利用して勝った自分は定位置よろしく布団に寝転がっている。敗者である弁慶は掛け布団をクッションに川神水を飲んでいた。
「ぷはぁ〜。やっぱこの味が私に喧騒から外れた静寂の境に浸らせてくれる」
「何だその言い方。アルコールが入ってるわけでもないくせして」
「おっと、今言っちゃいけないことを言ったね。川神水にアルコールの有無でマウントを取るのは無粋だよ」
「場と雰囲気で酔える水だもんな」
「酔狂と趣きを感じ取れる豊かな感性を持ってなければ分からないものだし」
「自分には分からんなぁ」
「坊やだからさ」
川神に住んでいると川神水はよく見る飲料水だ。スーパーにはもちろんのこと、商店街の特設自動販売機にはそれ専用の物があったりする。川神学園では一日と待たずして弁慶の飲み物のイメージが付いてしまったが、プライベートで飲んでいる学生もきっといるだろう。
「それで、弁慶は決闘に行かなくて良いのか?」
「んー……私はパス。別に戦いたいわけじゃないし、正直あのレベルと戦っても経験値が貰えるわけじゃないからね」
「とんでもない言い方だな」
義経たちが転学して来てすぐ彼女たちには多くの決闘が申し込まれた。
初日、義経はFクラスの何人かと、弁慶はマルギッテと戦い、与一は弓兵という役割であったため一人もいなかったが、それでも数日経った今の時期はちらほらと挑戦者が現れ始めている。
現在、つまり放課後なのだが義経が勇猛果敢に攻め立てる学生を相手に見事な立ち回りを見せて観客を湧かせている。義経たちが復活した英雄という事情もあり、外部からの挑戦者もいるようで義経は日に十五人ほど捌いていた。
「一応私も壁越えだからね」
「壁越え、壁越え、あー、壁越えねぇ」
壁越えとは、いわゆる強さの壁を越えた武人のことを言う。
具体的に強さの壁がどれくらいなのかと言うと、おそらくマルギッテなんかが壁の上に立っていると思われる。ただ、彼女は相手によって弱点となる戦い方を瞬時に見極められる戦闘勘が鋭いので相手によっては曖昧だろう。
ともかく、壁を越えると言うだけあって壁を越えていない、もしくは触れていない者と越えた者の実力差は天と地ほどの差があり、たとえば越えていない無手の者が五十人いても壁越えは鼻歌を口遊ながら殲滅出来るくらいには強い。
その壁越えの中でも別格、マスタークラスというものもあるがそれは今は関係ない。
「もしかするとメタルスライムが混じってるかもしれないぞ」
「メタルキングじゃないと満足できない身体でーす」
「せめてはぐれメタルで我慢しろ」
しかし、見た目こそ気怠そうな女学生と言った所だが弁慶から感じる内包した気力は彼女の言う通り壁越え——それも、上から数えたほうが早いくらいだ。
自分が知っているかつての頃よりも十倍も百倍も強くなっているに違いない。というか、錫杖を一回持たせて貰ったのだがとんでもない重さだった。
義経も、弁慶も、与一も。清楚先輩は九鬼の事情で例外だが、努力の跡が見えていた。
「ねぇ——」
「んー?」
「何で右文は武術を辞めたの?」
「辞めた理由?」
「うん」
「それはな、こうして陽の明るいうちから布団でダラダラしたいからだ」
少し沈黙が続き、川神水が流れていく弁慶の喉音だけがだらけ部部室に響く。
「……たしかに、この環境を覚えると中々抗い難い」
「だろう?」
畳の香りとちょうど良い強さで入ってくる日差し。時折運動部や決闘している声がバックミュージックになり、窓を開ければ適度に体を冷やしてくれる。その感覚のまま布団に転がればもう終わりである。
「寝るから、出て行くときは別に声を掛けなくても良いぞ」
「りょーかい」
渦巻く睡魔に身を任せ、意識が落ちていくことを自覚する。やがて完全に瞳が閉じ、義経がまた勝ったのだろう。歓声を最後に寝入るのであった。
十一、
体が揺すられていることを感じて意識が覚醒する。
「……義経」
「あ、起きた」
てっきり弁慶かと思ったが、どうやら義経だったようだ。
弁慶はどこに行ったのかと見渡すと足元で髪に手櫛を通している。元々天然パーマ気味の彼女だが、毛先の飛び跳ねた様子から彼女もうたた寝でもしていたのだろう。
「あと十分で下校時間だぞ。早くしないと門が閉まってしまう」
「む、思ったより寝過ぎたな。守衛に迷惑を掛けるのはさすがに申し訳ない」
すぐに立ち上がって布団を畳む。いつの間にか側にあった掛け布団も同じようにして押し入れの中に締まった。
自分も弁慶も特に散らかしていたわけではないので鞄を手に取って正門に走る。
自分たちと同じようにぎりぎりになった部活動生を尻目に学園前の道路へ抜けた。
「……危なかった。ありがとう、義経」
「ううん。義経も二人が寝ている側で休憩していたから、実は危なかったんだ」
「決闘も大変だな。毎日あの量をこなすのは疲れないか?」
「体力的には問題ない。気疲れはちょっと感じるけど……せっかく義経たちと戦うために来てくれてるんだ。それに応えてこそ義経だと思う」
「時間が空いたらいつでもだらけ部部室に来てくれても良いんだぞ。たまには自分も義経とのんびりしたい」
「うん! そのときはよろしく頼むぞ!」
今日はどんな相手がいたのか義経に尋ね、たまに出てくる聞いたこともない流派に首を傾げる。やがて多馬大橋を抜け、金柳街に差し掛かった頃に義経たちと分かれて下宿先への帰路に着いたのだった。
十二、
四月末——ゴールデンウィークだ。
連休の重なるこの時期は学生にとって有り難くあり、終盤になると五月病を患う原因にもなる。さらに川神学園ではこの連休の後に中間試験が入ってくるため計画立てて遊びと勉強を両立させなければ痛い目を見るのだ。特にSクラスはクラス落ちが掛かっているため休み初めから勉強に精を出す者も多い。
「——右文君! こっちだぞ!」
駅前で手を振るのは昔馴染みでもある義経だ。休日ということもあり人は多く、そんな彼女の姿は一際目立っている。むろん、義経だけが原因ではないだろう。その後ろにいる弁慶とパンフレットを眺める清楚先輩。若干離れたところに立つ与一も黙っていれば良い眉目をしているので視線を集めていた。
「おはよう。義経」
「おはよう。右文君!」
弁慶たちにも挨拶を交わす。
時刻は十時過ぎ。午前は駅前を回って昼食を摂り、そのあと四人が行きたいところをピックアップした自分が川神市内を案内する予定だ。
早速動こうと思い——自分たち、というよりも義経たちに向けられた視線に気付く。
「知り合いか?」
名前も知らないビルの屋上。金髪の女性と黒髪の女性がいる。メイド服であるため九鬼の関係だと思うが。
「ステイシーさんと李さんだ。今日は一応初めて本格的な川神散策をするから護衛が付いてしまって……」
「気にしなくて良い。うん、義経たちも何だかんだ要人だもんな」
向こうの二人が軽く会釈して来たので自分も返した。双眼鏡を持っているので、こちらの会話も読唇術的なもので把握されているだろう。九鬼従者部隊が高い能力を持っているのは一応クラスメイトの忍足を見て理解している。
「ま、そういうことなら良いさ。気にせず、まずは駅前を回ろうか」
政令指定都市とあって駅前は店も遊ぶ場所も豊富だ。正直、移動時間を考えなければ午前と午後の予定を逆にしたほうが良い。
覚えておくと便利な雑貨店などを中心に駅前は見ることにしよう。
十三、
午前の時間はいつの間にか過ぎ去って行った。予想通り全ては見回ることが出来なかったが、必要な場所は見ることが出来ただろう。
昼は店に入るのも時間帯的に億劫だったため、出店が立ち並ぶ場所で済ませた。実は人気の弁当屋さんなどもあるのでそこで買って少し歩いた先にある自然公園で食べるとピクニック気分も味わえる。
午前の予定が終わると、次は午後の予定である。
「——伏見稲荷だな」
「おぉ! 狐の像がたくさんある!」
「小さくて可愛い。何匹いるのかな?」
「煩悩の数と同じらしいのでたぶん百八匹ですね。何でもちゃんと数えて百八匹見つけると毎日除夜の鐘とかなんとか」
「狐——古来より神の使いとされているが、その本性は玉藻前や白蔵主など邪な伝説も多い。そういう存在を祀るのは日本の特徴だが、信仰をするとなれば疑念を抱かざるおえないな」
「与一。お前はこれから毎日百八匹見つけて来い」
「何でだよ!」
「——プチ・ヴィレ。ここは駅前よりちょっと大人向け、制服では来れないタイプのショッピングモール。今では有名な川神ハロウィンもここから始まったみたいだぞ」
「綺麗な装飾品だ。それに、不思議な形の建物だな」
「すごい。本当に海外に来たみたいだよ」
「たまにはこういうお洒落な所で外食してみたい。フレンチと合わせて川神水をこう、クイッと」
「あ、姉御なんか瓢箪から直飲みの腿肉丸齧りで——」
「ほいっと」
「ぐふっ……」
「——ここは来たこともあるだろうけど、金柳街。美味しいシューマイが売ってる店があってな……」
「——行きますよステイシー。こんな姿を見られれば護衛任務をサボっていると取られてもおかしくありません」
「——おいおい。私はさっきの店でも良いって言ったじゃねえか。何でわざわざこの店に……あ」
「どうしました? ……おや」
シューマイ弁当二つを抱えて出て来たのは見覚えのあるメイド服。一瞬の気まずい空気の後、すぐに路地裏に消えて行った。
「……とまぁ、あの人たちも買いに来るくらい美味しいシューマイ店がここだ」
「シューマイ……多めのカラシが川神水に合うんだよねぇ」
「——仲見世通り。久寿餅パフェは別格に美味いから是非食べてくれ。小休憩に入って行こうか」
久寿餅とは仲見世通りの名物だ。わらび餅と似ているが感触は久寿餅の方が硬く歯応えがある。そのままきな粉を掛けて食べても美味しいのだが、久寿餅パフェはアイスクリームやオレオなどの和洋折衷。絶妙な甘味が拗さを感じさせない菓子となっている。
「この餡蜜は……! たしかに美味いな」
どうやら与一も気に入ったようで、スプーンの進みが早い。
「イチゴの酸味も相まっていくらでも食べれそうだ」
「主。私のチョコレートと一口交換」
「良いぞ。じゃあ、義経のイチゴを——」
「右文君もここにはよく来るの?」
「一時期は毎週通ってましたね。ただ、デザートはデザートなので……」
自分が一番好きなのはくず餅マロンパフェだ。大量にかけられたマロンクリームが最高なのだがやはりカロリー的に月二に抑えている。最も、自分は体質的に太りにくいタイプなので気休めが殆どだ。
「でもこの味は常連になるのが分かるかな」
「でしょう?」
純喫茶風の店も足を運びたくなる理由だ。
自分と義経たちは暫く落ち着いた時間を過ごしたのだった。
西日が強くなり始め、夕日に変わろうとしている。
最後の案内場所として自分はここを選んだ。
「この光景を見ずして川神に来たとは言えない……らしい。知り合いからの又聞きだけど」
「無骨なる人工神殿。人が神への羨望を無くして一体何年が経つ」
「もう少し遅かったら夜景も見れたんだけどな」
海沿いに広がるのが川神市を支える工場地区。ここは夜景が綺麗なのだが、今の夕陽が落ちる時間も自分は気に入っている。与一の言う通り無骨な感じが嫌いではない。
「地平線が遠い。この光景は島から出ても変わらないんだな」
義経はどこか感慨深そうに呟く。
「島での生活も良いが、川神もまだまだ義経たちを歓迎してくれるさ。きっと、これからもっと楽しくなる」
「今日は右文君が川神を案内してくれたことで、義経はもっと川神を知りたくなった。きっと川神の見るべき場所、体験するべきことはまだあると思う。だから、そのときも右文君が教えてくれたら義経は嬉しいぞ」
「そんなことならいくらでも。義経も面白そうなことがあれば自分に教えてくれ」
「うん!」
夕陽が完全に沈むまで工場地区を眺めた。
ほんの数分だったが煌びやかに輝く電飾は人工の夜空とも言える。いつの日か見た思い出の中の島の夜空に重ね、懐かしさを覚える。
それでも——同じ景色を見ることはないのだろう。
すぐに気持ちを切り替え、自分は義経たちを九鬼本部のある大扇島へ送るのであった。
十四、
ゴールデンウィークが終わり、中間試験も乗り切った。今日は昼休みにその結果が張り出される日なのだ。
Sクラスに移るためには学年順位で二十位以内に入る必要がある。五十位まで張り出されるため、上位にSクラス以外の名前があればその場でクラス移動の権利が与えられるのだ。本人が了承すれば翌週からSクラスとなり、Sクラスの成績最下位はAクラスに移動となる。これを通称クラス落ちと言う。
Sクラスを目指している学生やクラス落ちしているかもしれないクラスメイトは戦々恐々の思いだろうが、そんな日でも自分は教室で惰眠を貪ろうとしていた。
「——右文!」
が、マルギッテの声で眠気は吹き飛んだ。
「あなたまさか、手を抜いたのではないでしょうね?」
「手を抜く? 何の話をしているんだ?」
「これに決まっているでしょう」
そう言ってマルギッテが机に置いたのはプリント——配布用中間試験の順位だった。
「一位と二位は変わりません。しかし、三位の武蔵坊弁慶。今まで不動だったあなたが四位に落ちたということです!」
一位 494点 葵冬馬(Sクラス)
二位 492点 九鬼英雄(Sクラス)
三位 488点 武蔵坊弁慶(Sクラス)
四位 485点 佐武右文(Sクラス)
五位 480点 マルギッテ・エーベルバッハ(Sクラス)
「三点差か……というか弁慶、ちゃんと三位に入ったんだな」
「悔しくないのですか? 継続して一年間いた場所が取られたのですよ」
「今回は弁慶が上で、自分が下。それだけだろ? わざとでも八百長もしてない。ただ負けただけだよ」
「そうですが……」
口詰まるマルギッテにさらに言う。
「それに、点数自体はいつもの自分と変わらないだろう? 単純に自分より弁慶の方が上手だったってことだな」
「……少し、熱くなり過ぎました。すみません」
「いや。自分は気にしていない」
努めて冷静であろうとするマルギッテだが、未だ納得のいっていない様子だ。
彼女を宥めるにはどうしたものかと考えていると、順位を見に行っていたのだろう義経と弁慶が戻って来た。
「どうした?」
「いや、んー。まぁ、色々あってな」
「……えぇ。何で私が睨まれてるの」
訳が分からないといった具合に弁慶は首を傾げた。
「武蔵坊弁慶。今回は負けましたが、期末試験では私も右文もさらに成長しています。次もその点数を取れば、あなた自身の誓約を守れるのかどうか分からないと知りなさい」
マルギッテはそう言うと教室を出て行った。
「何があったの?」
「マルギッテも弁慶の能力は認めている。でも、弁慶が来るまでは自分が三位でその下にマルギッテ。彼女が超えるはずだった自分をいきなり現れた弁慶が超えて悔しいんじゃないか? 獲物を取られた的な意味で。猟犬だから」
手遊びで犬を作り、上下に振った。
「ああ、なるほど」
「右文君も弁慶もマルギッテさんも、そんな高い順位で争えてすごい……」
「義経はどうだったんだ?」
「十二位だった。次は一桁に入れるよう頑張るぞ!」
「川神の試験は先生が授業中に言う参考書も目に通してないといけない。だが、その殆どは図書室にあるから試験前は行ってみると良いかもな」
「なるほど……だから試験前は図書室に人が多かったんだな。義経はそういうこともあって避けていた」
「悪い。言えば良かったな」
「ううん。確認をしなかった義経の怠慢だ」
次はもっと高い点数を取ってみせると義経が意気込んだ。
十五、
あくる日の放課後——だらけ部部室にて、直江が義経たちにバレないように来て欲しいと言われたので一年Sクラスの教室に訪れていた。
バレないように、と連絡にはあったが義経は決闘に。弁慶も一応ノルマがあるので今日は決闘をこなしている。与一はそもそもあの部屋に来ることはないので普通に歩いて来た。
少し前まで自分も通っていた教室の扉を開けると、中には直江だけではなく白髪に紋付袴という豪華な格好した少女。獅子のような金髪がインパクトの強い、格好からして九鬼の従者がいた。
「左武。来てくれたか」
「滅多にない直江からの呼び出しだからな」
「ありがとう。でも、今回用があるのは俺じゃないんだ」
誰かは予想がつく。後ろの二人、特に紋付少女の方だろう。
「よく来てくれた。左武右文よ。我の名前は九鬼紋白! 紋様でも紋ちゃんでも紋プチでも好きな名前で呼ぶが良いわ!」
「じゃあ栗が好きなので紋ブランで」
「モンブランか。ふむ、そう呼ばれたのは初めてだな……」
「冗談。紋様で良いか?」
「何と、左武はジョークを嗜むか」
ジョークというよりも本当に呼ぶつもりだったのだが、背後の金髪おじさんが先程から冷たい空気を叩きつけて来るため変えたのである。
紋ブラン。結構良いあだ名だと思うが……。
「それで、一体どんな用なんだ?」
「うむ——実は、義経たちの歓迎会を催そうと考えているのだ。日時は六月十二日」
「……誕生日か」
「そうだ。清楚はずれてしまうが、四人を歓迎する日としてはちょうど良い。そこで、左武にも協力してもらいたいことがある。左武は義経たちが島で生活をしていた頃からの付き合いなのだろう?」
「二年前までだけどな」
「十分だ。当日、この学園の体育館を貸し切る予定なのだが、その前に準備がある。その時間帯も含めて義経たちを川神学園に近付けさせないで欲しいのだ」
「近付けさせないで欲しいって……九鬼で用事を作るとかは出来ないのか?」
「むろん、考えた。だが、誕生日に九鬼の用事が入るのは億劫だろう。なので、我は左武に協力してもらいたい」
「それくらいならかまわない。何時に体育館に行けば良い?」
「十二時ちょうどに連れて来てくれ。それまでに我と他の者たちが舞台を整えてみせよう!」
「分かった。なら、その時間に」
義経たちの誕生日を祝うのは初めてではない。
自分が島を訪れていたのは夏休みの時期だが、出会って三年目には毎回到着して遅めの誕生日プレゼントを渡していた。島にもアミューズメント施設や商業施設はあったが、ご当地品などはやはり本土の方が充実している。話のネタにもなるだろうとそういった物を選んでプレゼントしていたのだ。
「話は終わりか? そろそろ戻ろうかと思うんだが」
「うむ。わざわざ足を運ばせてすまないな。その日が近くなれば改めて連絡すると思うので、引き続き学生生活を謳歌するが良いわ!」
「了解。なら、また後日」
自分はそう言うと教室を出て行った。
義経たちのプレゼント、一体どうしようか。昔は島に無さそうな物を選んでいたが、今年は本土にいる。目新しい物も大してないだろう。そうなると四人の好きな物を渡すべきなのだが……弁慶、与一、清楚先輩は何となく思い付く。しかし、義経は何をあげても喜んでくれたので特別これが良いと言った物が思い付かない。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると——背後から気配がする。
「——止まれ。赤子」
振り返り、声の主を確認する。
そこに立っていたのは紋様に付き添っていた九鬼の従者だ。
「戦うことを辞めたようだな」
そう、唐突に言われる。
「あの……あなたは?」
「俺の名前はヒューム・ヘルシング。九鬼家従者部隊序列0位。簡単に言えば——世界最強だ。とはいえ今は川神学園の一年。気軽にヒューム君とでも呼べ」
「ひゅ、ヒュームく!?」
瞬間、風切り音がしたので反射的に下がる。目の前のヒューム・ヘルシングもとい不良執事は動いていないように見えるが確実に動いている。何故なら、自分のつま先ほんの一センチメートル先に足跡が付いているからだ。
「ヒュームさんで」
''さん''よりも''卿''とかの方が似合っていそうだが、その呼び方があっているのか分からないためやめておく。
「お前のことは九鬼でも把握していた。本島から休暇に来た子供が、義経たちと接触したとな。それどころか、立ち合いを行なっていると」
これはまさか数年振りに怒られる的な奴だろうか。だが、自分もまさか本物の義経や弁慶、与一とは思っていなかった。今さらそういうことは無い……と思いたい。
「そこで少し、興味を抱いた。幼年とはいえ英雄たちと並び立つ赤子のことを」
不安になってきたぞ。
「義経と太刀で競い、弁慶と力と杖で競い、与一と弓で競う。過去、どの時代を遡っても貴様のような贅沢な時間を過ごした人間はいないだろう」
本当勘弁してもらいたい。次から織田信長とか出会っても話しかけないようにしよう。
「かつてならともかく、今のお前に見るべき部分は無い。歩みを止めたお前に俺直々にこの言葉を送ろう」
「……」
「世の中には辛いことが大いにある。しかし、それに打ち勝つことでも溢れている。
赤子よ。過去の自分と向き合うタイミングを見誤るな」
言いたいことだけを言うと、こちらの反応も待たずに不良執事は瞬きの速さで消えて行った。
紋様の下へ戻ったのだろう。
……ともかく、怒られるようなことじゃなくて良かった。
「——戻るか」
そろそろ弁慶が来ている頃だ。義経は弁慶よりも多い数をこなすのでまだまだ決闘中。そういうときは決まって、弁慶と無題で駄弁っている。
今日の天気も晴れ。もう少しで梅雨が来るらしいが、きっと心地良い日差しに違いない。
十六、
と、良い日差しを求めていたのも束の間。残念ながら時期は梅雨に入っていた。
昨日も今日も雨。義経たちの歓迎会の日は晴れてくれれば良いと思いながら畳の上で寝転がっている。
「「あーるぷーすいちまんじゃーく、こやりのうーえで——」」
この雨では決闘もまともに行えるはずはなく、一先ず梅雨が明けるまでは義経たちの決闘は中断されている。
「「アルペンおどりを さあおどりましょう」」
ただ、最近ではだいぶ落ち着いてきているようで、義経も放課後はだらけ部部室に顔を出す時間が多くなった。決闘の多さを見計らった九鬼が一度挑んだ者は学園生であろうと暫く時間をおいてから再挑戦するルールを作ったからだ。さすがに負けた翌日に挑む者はいなかったが、その一週間後など成長してもいないのに挑んでくる勝つ気を疑う者も現れたからだ。
「ちょうちょがとんできてきしゅを——」
「ちょうちょがとんできてキスを——あ、義経噛んだ〜」
「うぅ、噛んでしまった……」
「私の勝ち」
「アルプス一万尺は勝ち負けは関係ないだろう?」
「勝利の盃をば……ぐびぐび」
「もう。飲み過ぎだぞ、弁慶……右文君。右文君からも弁慶が飲み過ぎないように言ってやってくれないか」
「飲み過ぎ? そうだなぁ——弁慶。あんまり考えずに飲んでると、昔伊予柑サイダーを飲み過ぎたときみたいに——」
「——その口を開けなくしてやろうか!」
「おっ、待て待てっ」
襲い掛かってくる弁慶に対応すべく上体を起こしかけるがそれよりも早く組み敷かれる。
こんなときに武蔵坊弁慶としての力を遺憾なく発揮していた。
「ヘルプ! 義経!」
「助けが来る前に仕留めてみせようぞ」
「動かん……!」
昔からプロレス技の得意だった弁慶に寝技は敵わない。実験台は主に与一である。
抵抗していたがいつの間にか馬乗りで固定されている。義経に助けを求めるべく彼女の方を見遣るが——。
「ふふっ。たしかに女の子にそんなことを言うのダメだなぁ、右文君。義経も主君として家臣に加勢しよう」
まずい。これはたまにある義経の茶目っ気が出ている。
義経は自分の頭の上に来ると、この状態から抜け出すために弁慶の腿を押していた両手を取ってきた。
「今だ弁慶!」
「ナイス義経。じゃ、乙女の恥を晒そうとした報いを受けてもらおうじゃないか」
ワキワキと指を動かしながら弁慶が迫る中、逆転の手はないかと見渡すが特に良いものはない。義経の良心に訴えるのもありだがこの調子だと間違いなく自分が擽られるまでは逃してくれないだろう。
「誰か! 誰か来てくれ! 男の人呼んで!」
「そう騒いでも無駄だよ。ここは校舎端、それに他の部は新しい部室棟に移っている」
「観念するんだぞ」
「義経に嵌められたんだがっ」
「奇襲は義経の得意とするところだ」
「あれは絶対おかしい」
「源氏式擽り術を味わうが良い」
「あ、あ——!」
弁慶の指先が自分に触れようとした瞬間、雨音で足音が聞こえなかったのだろう。ガラガラと音を立てて扉が開いた。
「すまない。遅くなった……って、何してるんだ?」
「直江、良いところ来た。今すぐ助けてくれ!」
「あー、その、畳は染みになりやすいからせめて布団を敷いてくれ。俺はもう今日は来ないから。ヒゲにも言っておくよ」
早口に言うと直江は立ち去った。
「源氏から逃げられないのさ」
「何て理不尽ッ——」
「……結構、やるな……源氏式……擽り術」
「凄い。弁慶のあの技を右文君は3分も耐えるなんて。義経は十秒も保たないぞ」
「技の更なる改良が必要か」
「義経、覚えておけ。自分は次何かあれば容赦なく義経を擽りにいく。左武流擽り術で乙女の恥を一つ増やしてやるからな」
「よ、義経だけ!?」
「帰りは雨も降っているし、自分の部屋に寄っていかないか?」
「右文君の部屋にはお邪魔してみたいけど、今は絶対に行かないぞっ!」
「おっと、主を部屋に誘うならこの武蔵坊弁慶を通してもらおうか」
「弁慶もまた別日に招待するから安心しろ」
尊厳を欠くことは無かったが脇腹を抑えながら二人——主にいきなり裏切った義経——に復讐を誓った。
十七、
「よーし、お前ら全員座ってるな?」
朝礼が終わり、ヒゲがそう言いながら教室に入ってきた。
「さっき学園長から聞いた通りだが、今年の体育祭は例年通りのものではなく水上体育祭になる。場所も日時もとりあえずプリントを配るから読んでくれ」
マルギッテから渡されたプリントに目を通す。
水上体育祭——ヒゲが言ったように、今朝の朝礼で学園長は普通の体育祭とは異なった形で行うと宣言した。
「宇佐美よ。八月十二日の開催日となっているが、これは夏休みを短縮すると考えて良いのか?」
「いんや。今年は校舎改修の兼ね合いもあってむしろ夏休みが三日ほど長くなる。水上体育祭があっても短くはならないから安心しろ」
「そうか。我はともかく、夏休みもまた体育祭などに匹敵する学生行事。他の者も気になっていただろう故にな! フハハハハっ!」
「さすがでございます英雄様ぁ! 他人を慮れるその器! まさに世界を背に立つ者に相応しく!」
「そう煽てるなあずみ! 照れ臭いわ!」
九鬼劇場は見慣れてるので特に突っ込むことはない。場所を確認すると倉ヶ浜海水浴場となっている。
「弁慶、見てくれっ。最寄駅が鎌倉だぞ!」
「主は鎌倉が好きだもんねぇ」
倉ヶ浜は川神から電車で一時間ほど移動すると到着する鎌倉駅の少し南側にある。夏になると多くの観光客が訪れるはずだが、その場所を貸し切るとはさすが川神——と、思ったが、今年は九鬼もよく出入りしているのでその兼ね合いか。
「まぁともかく、休まないように注意しろよ。二学期の体育の単位はこれに参加しとけばまずくれるから。
んじゃ、一時間目のHRで出場種目も決めちまうからあとは九鬼、頼んだ」
「うむ。任せておけ。ではまずそれぞれが参加したい種目を挙げるが良い! あずみ、書紀を頼んだぞ」
「かしこまりましたぁ〜☆」
「一応言っとくが、遠泳だけは全員参加だ。どうしても泳げない人はレポートになるからよく考えろよ」
それだけ伝えるとヒゲは教室端の壁に凭れかかって目を閉じた。代行業をやっていることは有名だ。割と荒めの依頼も取り扱うらしいので、昨夜も遅くなったのかもしれない。
日に日に草臥れ具合が増していくが、ヒゲが小島先生と添い遂げる日は来るのだろうか。いや、来ない(確信)。
「まずはビーチフラッグ競争からだ。これは砂浜で行うため、脚力に自信のある者が良いだろう。誰か、立候補する者はいるか——」
種目は十種類。少なくて二人、多くて五人といったところだ。Sクラスは三十人構成なので、確実に三人は二種類の種目に出なければならない。
「……では、ボール投げは弁慶と戸山の二人で良いな。次に、海底宝探しだがこれは——」
力自慢の弁慶がボール投げか。自主的な選択であった場合弁慶はこういったことに参加することは前向きではないが、参加する分には手を抜くことはない。彼女なりに適材適所の競技を選んだのだろう。
「さて、この障害物競走だが我から一つ提案がある。どうやらこの競技、船を渡るコースもあるらしい。義経、お前の八艘飛びを見せてくれないか?」
「もちろんだ! 義経も最初からこの競技に出るつもりだった!」
「よしっ! なら一人は義経で決まりだ! あと二人、英雄と駆けたいものは立候補せよ!」
とんとん拍子に決まっていく種目に立候補するタイミングを失ってしまう。その後も水上ボウリング大会、スイカ割りと決まっていきついに残りは二種目となってしまった。
「生徒会と評議会共同主導の砂浜造形グランプリは任意の参加故、ここでは候補を募らん。出たい者は後日宇佐美に言うが良いわ」
これが必須種目ならすぐに立候補したものを。指先には自信がある。
「では最後だ——水上バトルロワイヤル。この参加人数は四人。各ブロックごとに戦ってもらう。
立候補の無かったマルギッテ、榊原、そして左武はこれで良いのか?」
「ええ。水上でもドイツ軍人の素晴らしさを教えてあげましょう」
「良いのだー。いっぱい敵を打ち上げるぞー」
「あー、うん。大丈夫だぞ」
これがFクラスであれば今にもジャンケンタイムになっていただろう。しかし、意外にもSクラスに血気盛んな人種はマルギッテを除いていない。そのため、自分が水上バトルロワイヤルに参加しようと反対意見は出ないのだ。
「ならば残り一人。二種目となるが立候補はおらんか?」
「——はいっ! 義経が出るぞ!」
「そうか。なら、水上バトルロワイヤルはこの四人とする。皆の者、異論は無いな?」
九鬼がそう言いながらクラスに尋ね、満足そうに頷いた。
「水上体育祭——祭りの名を冠していながらもこれは勝ち負けのつく勝負だ! 我らS組一同、運動面でも他クラスに負けないように頑張るぞ!」
『……』
「もしや気が乗らな——」
「……おいてめぇら、英雄様が頑張るっつてんだからしっかり声出せよ」
『おーっ!!!』
「ぬっ!? 溜めておったのか! フハハハハっ! 良いぞ! 当日もその意気だ! フハハハハッ!」
忍足の恐喝もとい脅迫もとい強制に屈してSクラスは珍しく声を上げたのであった。
「いやお前ら。意気込むのは良いけどあんま騒がれるのはオジサンの評定に関わるんだが……まぁ、他クラスも騒がしいし良いか」
十八、
「まさかバトロワになるとは……」
昼休み。いつもなら屋上などで食べていた昼食は雨が降っているため大人しく教室で風呂敷を広げていた。
「ぼーっとしてたからだね。だらけ部たるもの楽な境はちゃんと見極めなきゃ」
「まさかスイカ割りが本当のスイカ割りとは思わないだろ。川神のことだから棒倒しの棒くらい長い木刀を振り回させられると考えたんだよ」
「そ、そんなにか……右文君。その、義経も出るから一緒に頑張ろう?」
「出るからにはやれるところまではやってみるよ」
「その調子だ。三年生とも戦えるらしいから、今から楽しみだ」
今年の一年生は分からないが、三年生は有名どころが多い。
川神of川神の川神百代こと武神先輩は川神学園どころか世界でも有名な武人だ。〇〇座流星群以外の流れ星があれば海外では武神の攻撃だと揶揄されるほどで、某国の大統領もファンだと明言している。
その武神先輩と対等に立ち合ったのが松永燕こと西の納豆小町。彼女は転学初日に武神先輩の攻撃をいなしながら反撃し、結局時間切れで最後まで武神先輩の前に立っていた。ただ、この人は実力の高さの他、別の意味でも目立っている。何とこの人は食堂や屋外、昼食を摂っているといつの間にか納豆を添えるか掛けているのだ。かく言う自分も被害にあったことがある。
「弁慶はボール投げか。自分もそっちに——」
「——べ、弁慶」
自分が嘆いていると横から声がする。マルギッテも含む周りの椅子を借りて集まっていたのだが、弁慶の隣に名前も知らない男子生徒がいた。
「? 何か用?」
「い、いや……今回さ、同じボール投げになったから打ち合わせとか必要かなって……」
「いや、たまたま同じ競技なだけで別に必要無いでしょ。個人競技だし」
「でもルールの把握とかいきなり当日じゃあ——」
「あー、そういうの大丈夫だから。もしあんたが分からないとかあってもヒゲに聞いてくれない? 私は私でやるから。じゃ、そういうことで」
——はっ、嘘だろ!?
弁慶と男子学生を尻目にコンビニで買って来た唐揚げ弁当を食べようとしていると、唐揚げに納豆が掛かっていた。せめて白米ならまだしも、何故唐揚げなんだ。
「さっき右文君が余所見してる間に松永先輩が来て……義経の焼肉弁当にも掛けられてしまった……」
義経の焼肉弁当は九鬼のメイドお手製である。
「焼肉弁当に納豆か……義経」
「うぅ、何だ右文君」
「食べ物は粗末にしないようにな」
「いぢわる!」
せめて納豆だけ退けたいが、見事なまで掻き混ぜられておりネバネバと絡んでいる。カレーライスのお供として見ることはあるが、果たして白米と合うものか。
「弁慶。さっき自分の唐揚げに箸を伸ばしてたな」
「うん。それは大丈夫」
その後、意外にも唐揚げと納豆はマッチしていた。義経の方の納豆焼肉弁当も始めは違和感があったようだが、段々と食べ慣れて最終的には「美味しいぞ」と笑顔になっていたので松永納豆は妙な効力があるのだろう。
自分は前回、制服で久寿餅パフェを食べている時に被害に遭ったため、自主的に買うことは絶対に無いのだが。
十九、
「晴れたか」
六月初旬も終わり、半ばに入ろうとしている時期。自分は金柳街を歩いていた。
「あ、右文君!」
「おはようございます。清楚先輩」
「うん。おはよう」
「義経たちも早くから悪いな」
「気にしないでくれ。それに右文君のお部屋にはお邪魔してみたかったからな! 弁慶も与一もそうだろう?」
「伏魔殿……そこに閉じ込められているのは悪魔か堕天使か。本来なら避ける場所だが、たまには自ら潜り込むのも一興だろう」
義経から自分の部屋に興味があることは度々言われていたが、与一も乗り気なのか。男友達の家で集まってゲームをするのは男子学生の幸福なので分からなくもないが。
「それで弁慶はどうしたんだ?」
「蒸し暑くてくたばりそう。おぶって」
体重を預けてきた弁慶を受け止める。
「相変わらず暑いのが苦手なんだな……」
六月十二日——即ち、今日は紋様との約束もある義経たち三人の誕生日だ。
梅雨の合間ということもあり雨が心配だったがそこは気まぐれ、見事な太陽が照り付けている。夏本番まではほど遠いが久しぶりの日差しはいつもより暑く、そして前日の雨のせいか蒸し暑い日となっていた。幸いなのはそれを晴らすように風が吹いていることだが、この調子だとお昼過ぎまで掛かるだろう。
「まぁ、そう思って部屋は冷房を付けてるから頑張れ」
「冷房……! 頑張る……でもおぶって」
「仕方ない」
「んふふ、楽」
「もう、弁慶。あまり人前でだらしない姿を見せるな」
完全におぶっているわけではないが、ぐだぐだモードに入った弁慶を抱えつつ来た道を戻る。
自分の借りている部屋は金柳街に入り、少し歩いたところに見える路地を曲がった先にある。
そこまで悪い立地でも無いにも関わらず自分が借りれている理由は偏にそこが事故物件だからだ。それも、割とエグい方の。管理人から聞いただけなのだが、どうやら立て続けに事故や自殺があって三階×三部屋の真ん中以外全てが事故物件らしい。そうなってくると未だ事故物件ではない部屋の住人が次の被害者だと噂になり、誰も寄り付かなくなってしまった。
ちょうど物件を探していた自分はその話を聞き、家賃を安くしてくれることもありそこに決めたのだ。
「もう着くぞ。階段は自分で歩いてくれ」
「ん」
引っ付いていた弁慶を離してポケットに入れていた鍵を取り出す。
小綺麗なエントランスを潜り、二階の真ん中——202号室の扉を開けた。
「靴は適当に。洗面所はそこにあるから手を洗うならそこで。タオルも掛かってる奴な。トイレはその正面だから別段声を掛けずに自由に使ってくれ」
部屋は綺麗にしている。正解には汚くなるほどの物が無いだけなのだが、床に何もなければ掃除機も掛けやすい。
コップを四つ出してお茶の準備をする。麦茶だ。暑い日はこれを飲めば一気に冷えた気分になるのは自分だけだろうか。
「思ったより広いんだな。一人暮らしの部屋はもう少し狭いイメージをしていたんだが」
先にリビングに来た与一がそう言った。
「やっぱりそう思うか?」
自分が住んでいる部屋は1LDKという学生が住むには破格の広さだ。リビングだけでもキッチン合わせて十二畳ある。隣接した寝室は八畳あり、セミダブルのベッドがまるまる鎮座している。
「他の三人には秘密だが、何かこの部屋以外全てが事故物件らしくてな。次はここだとかどうとかで安いんだよ」
「す、全てだと!? お前、よくそんなところに住めるな!」
「気にしちゃ負けだろ。そういうのは気の持ちようって言うしな。現に自分は一年住んでピンピンして……いや、たまに唸り声みたいなのは聞こえるか? ま、気のせいか」
「ふ、伏魔殿とは言ったが本当にそうだったとはな……くっ、異世界との境界がこんな場所にあったとは……!」
「お茶置いとくぞ」
リビングはソファと四人用机、テレビを置いている。ソファは二人用で、カーペットを敷いているが座布団を用意した。
「あ〜、涼しい」
「これが右文君の部屋か」
「男の子の部屋に入るのは与一君以外だと初めてかも」
三人も入って来たのでそれぞれお茶を置き、本題に入る。
「義経、弁慶、与一。誕生日おめでとう」
「ありがとう!」
「どもー」
「死に一歩近付いたと考えれば、そう良いことではないがな」
「余計なこと言うな」
「あっ痛!」
弁慶に突っ込まれている与一は置いておき——。
「で、早速だがこれが今年の誕生日プレゼント」
戸棚から取り出したラッピングしてもらったプレゼントを一人一個ずつ渡す。
「あれ、私も?」
「夏休みは清楚先輩にも誕生日プレゼントを渡していたでしょう? 来年からは誕生日当日に贈ることになりますが、とりあえず今年は」
「……嬉しい。本当にありがとう」
清楚先輩に言った通り誕生日当日にプレゼントを渡したのは初めてだ。昔は五人で誕生日というよりはプレゼント交換会みたいになっていたので、ある意味新鮮な気分かも知れない。
「開けて良いの?」
「ああ。構わないぞ」
普通ならもう少し落ち着いてから渡すべきなのかもしれないが、後になればなるほどタイミングが分からなくなる。中途半端な時間になっても嫌なので、こうして速いタイミングで渡したのであった。
「こ、これは……! 下篠当麻のプレミアフィギュア! お前はこれをどこで手に入れたんだ!?」
「ちょっと伝手があってな。少し前の限定生産品だから与一も持ってないだろうと思ってそれにした」
「この腕から飛び出た三ツ首竜の色、簒奪編のものか。あのときは当麻の能力に神が関わっているのではないかと考察されていたが、実は魔術世界の——」
と、自分の世界に入ってしまったので放っておく。
「おほ〜、おつまみセット。それに杯も」
「弁慶には映画関連の何かが良いかと思ったが、最近は配信サイトで観たいものは見れるからな。川神水のお供と杯。陶器だから持ち運びは出来ないけど」
杯の見識はまったく無かったが、何とか調べて美濃焼きをチョイスした。杯は薄い分焼き辛く、出来るまで完成しているのか分からないらしい。
ふざけて真っ白の勧進帳と迷ったがさすがに踏み止まった。
「自分も杯を買ったからまた川神水の飲み方を映画でも観ながら教えてくれ」
「良いよ。川神水に合う映画ソムリエと映画に合う川神水ソムリエの武蔵坊弁慶に任せたまえ」
「頼んだぞ」
喜んでくれたようで何よりだ。
弁慶は八種類のガラス瓶に入ったおつまみを眺めながら今日のお供を決めている。
「ブックカバーだ。それに、ひなげしが刺繍されてる」
「ヒナゲシは清楚先輩も好きな花だったことを覚えていたので、自分の出来で申し訳ありませんが刺繍させてもらいました。紐栞を引けば厚さと大きさ調整ができるので文庫本からハードカバーの間のサイズなら何でもいけますよ」
「うわ、凄い機能性だね。いつも紙のブックカバーで、布地のカバーを買うか迷ってたからちょうど良かったかも」
本当は市販品で良いものを探していたのだが、ヒナゲシ柄のブックカバーはどこを探しても無かった。そこで自分は手作りすることを決め、インターネットで散見しているとたまたま紐栞のギミックを見つけたのだ。この機能は少し高くても良いので市販品で出すべきだと強く感じた。
「義経には……組紐だ!」
「こっちに来てからは白色しか見てないからな。たまには気分転換も兼ねて色々と選んできた」
「カラフルで、見ているだけでも綺麗だぞ」
「だろ? 義経、そのまま背中を左に向けてくれるか?」
ソファに座っていた義経の背後に回る。
義経が普段付けている組紐もシミ一つない白色で綺麗だが、たまには柄物も見たいという自分の勝手も入っている。
「今日は誕生日だから紅白にするか」
組紐の良いところは基本二本で結ぶため、配色を自分で決められることだろう。
臙脂色と下品でないくらいの金糸が入った白色の二本を取る。義経の艶やかな髪を取って手櫛で梳き、髪と紐がずれないように結んだ。
「よし、完成」
「鏡で見て来ても良いか?」
「ああ」
義経は小走りで洗面所へ走り、一分ほどして小走りで戻って来た。
「——み、右文君! どうだろう。似合っているか!?」
「自分で見て来たんじゃないか?」
「見て来たけど、自分で似合ってたと言うのはどこか恥ずかしくて……その……」
「反応に困ったわけだな。ああ、似合ってるよ。いつもよりそうだな、気品高い。なあ、弁慶?」
「これはつまり、九種類目のおつまみがプレゼントされたということだね」
自分の主を肴にする気満々の感想だ。
「選んで正解だったな。可愛いぞ、義経」
「……そう言われると少し照れるぞ」
小さい頃、意外にも義経は白紐だけではなくリボンなども付けていた時期があった。ただ、そういったものはいまいちしっくり来なかったようで結局今の白紐に落ち着いている。そのため、組紐をあげて喜ばれるかは半ば賭けていた部分もあったので嬉しそうな反応で自分も良かった。
「事実だからな」
「もう……」
さて——約束の時間まであと一時間半ほどある。
その後は時間を気にしつつ、改めて川神に来てからのことや九鬼本部での生活のことを聞いた。義経は毎朝従者部隊のトレーニングに参加してあの不良執事と鍛錬しているようで、よく学校に来れるものだと驚きを覚えた。弁慶や与一も鍛錬するが、最近は定期的な鍛錬ばかりでこれといって目新しいことはしていないようだ。
義経たちと話す傍ら、一体どう川神学園に案内するか考えていた。
二十、
何とか良い感じに川神学園に案内しようかと思ったが、いくら考えても良い口述が思い付かなかったため「取り敢えず着いてきて欲しい」と正直に言った。道中、弁慶や清楚先輩には察されるかもしれないと思ったがその様子はない。
まぁ、まさか体育館を借りて自身の歓迎会が企てられているとは思わないだろう。
「少し待ってくれ」
正門に着いたので紋様に連絡を送る。すぐに返信があり、そのまま体育館に入って来いとある。
準備は出来ているようだ。
「よし、行くぞ」
「制服じゃないけど大丈夫なの?」
「許可は貰ってるから大丈夫だ」
グラウンドを抜け、西側にある体育館に向かう。
電気は消えている。
サプライズ的なアレだろうか。なら、自分は一番最後の方が良いか。
「じゃ、今日の主役は四人だからな。お先にどうぞ。清楚先輩も」
首を傾げる四人だが自分は何も言えない。一瞬顔を見合わせたが、義経を先頭に体育館に入る。
そして——。
『——誕生日おめでとう!』
『川神へようこそ』
『これからもよろしくな!』
『清楚ちゃんも合わせた歓迎会だぞ』
『義経たちの私服も良いな……』
「四人とも、お姉さんに続いて奥に入って来てください」
クラッカーが鳴り、タイミングよく暗幕が開かれる。体育館の中は一気に明るくなり、カラフルな飾り付けと『川神へようこそ〜義経・弁慶・与一・清楚〜』と舞台上の壁に貼られていた。
四人はFクラス委員長甘粕に連れられて舞台に行く。
「——鳩が豆を喰らったような顔をしておるわ!」
そして、この歓迎会の主催者である紋様が不良執事に担がれて登場した。
そこにいるだけでどこか空気がキラキラとするのは九鬼一族の威光か何かだろうか。
紋様は状況を十分に把握出来ていない四人に語るように話し始めた。
「川神に来てから暫く経ち、お前たちもこの環境に慣れ始めただろう。新しいものを見て、知らないことを知り、去年の自分たちより成長したに違いない。
だが、我は思うのだ。
お前たちはどこか——川神に遠慮していないかと。
ここは川神院があり、九鬼があり、色んな人がいる。我も初めて見たが、フリョーとやらもいた。その者たちに共通していることは、皆強いということだ。腕っ節などではない。皆、己の矜持に沿って生きている。
故に、我はお前たちに言いたい。
お前たちが英雄の名を持って生まれて来ようと、この川神はそんなことを気にせずにお前たちを受け入れてくれよう。
これからも邁進——いや、勇往邁進せよ!
堅苦しい言葉はここまでだ! とにかく真剣(まじ)で川神を楽しむが良いわ! フハハッ!」
会場となった体育館を見れば参加人数は五十人を超えている。物見遊山で来た学生もいれば、単純に義経たちに興味があって来た者もいるだろう。しかし、それは決して「英雄だから」などではなく、人柄に惹かれた者も多いはずだ。容姿も含めるかもしれないが。
英雄であってもそれに関わらず仲間が出来る。
紋様はそう言いたかったのだろう。
「大体凄いことは武神先輩で見慣れてるしな」
何なら先週、登校中にブラックホールを作ってお手玉をしていたのを見た。もう意味が分からない。
紋様が話し終えると、四人を代表して義経がマイクを持った。今日のような催しに対する感謝と、これからもよろしくといった旨だ。
そして話も短く歓迎会が始まった。
「助かったよ、左武」
「気にするな。どうせ自分も義経たちに用があったから」
自分は壁に寄り、直江と話していた。
体育館には立食パーティーの形で食事が置かれ、主食となるものから軽くつまめるものまで用意されている。かく言う自分もアンチョビピザを頬張っていると一通り参加者に挨拶を終えた直江がやって来たのである。
「義経に組紐をプレゼントしたんだってな」
「ああ。可愛いだろ」
「ワン子たちに褒められて恥ずかしそうにしてたぞ」
ワン子とは武神先輩の妹であり、直江もメンバーである風間ファミリーの川神一子だ。
ちょうど今も義経と話している。
「与一のフィギュア、ありがとな。正直何をあげれば良いか分からなかったから相談に乗ってくれて助かったよ」
「気にしないでくれ。スグル……俺のクラスにそういうのに詳しい友達がいるから。アレ、結構大きかったと思うけど持って来てるのか?」
「いや。こっちに来る前に弁慶が九鬼に連絡して自分があげたプレゼントは送ってもらった。さすがに嵩張る」
「だよな」
「食事は誰が作ったんだ?」
「一年の後輩と九鬼のメイドが手伝ってくれたんだ。見た目に反して低カロリーらしいぞ」
「む、通りでピザを食べる手が止まらないわけだ」
「その机にあるピザを殆ど食べてる佐武が言うと説得力凄いな」
適当な世間話を交わしながら直江も周囲から軽食を集めて来た。さすがに朝から準備、それだけではなく最近はこの歓迎会でやることも多かったため疲れているらしく、少しだけ壁の花になっていくようだ。
「右文〜、疲れた〜」
「人気者だったじゃないか」
「人気者は主だけで良い。バニシングドライブして来た」
「ミスディレクション・オーバーフローして良いか?」
「やったらトール・ハンマーするから……お腹空いた」
「あ、自分のアンチョビピザが」
「うま〜」
最後に食べようと思っていたピザが弁慶に取られる。アンチョビピザはもう無いのだ。
「相変わらず仲が良いんだな」
「何だかんだ十年近い付き合いですから。こうして最後のピザを食べても怒られないことも分かるわけ」
「いや普通に怒るぞ。よくも最後のって理解しながら食ってくれたな」
「ほら、全然怒ってない」
「どう見ても怒ってるんだが」
会場内の机を見てもアンチョビピザは他に無い。元々ピザは一片ずつ食べられることもあって同種のものは置かなかったのだろう。宅配ピザでも食べたことない食感の生地だったため、直江が言う後輩の一年生が作ったものか九鬼メイドのどちらかが作ったものだ。最後に感慨深く食べようと思っていたものが無くなると無性に口が寂しくなった。
「まぁまぁ、あのアンチョビピザは九鬼の夕食でたまに出てくる奴だからまた食べに来なよ」
「そうなのか?」
「うん。クラウディオから貰ったレシピで作ってるとか何とか」
「また食べたくなったらお邪魔するか」
「そんな簡単にお邪魔出来るものなのか?」
「九鬼といってもそこまで固いわけじゃない。友達呼ぶって言ったら普通に入れるよ。多分」
「へぇ。もっと重要機密とかでガチガチになってると思ってた」
「私たちが住んでる場所と研究施設は違う場所だからね」
ピザから派生して九鬼で出される食事の話になる。
九鬼従者部隊のメイドや執事は大体の料理は作れるらしいのだが、それぞれに得意な料理があるようだ。自分が義経たちと川神を観光した際に会った金髪とシューマイを買っていた——ステイシーと李はハンバーガーと中華料理。特にハンバーガーはふとしたときにいきなり食べたくなる衝動に駆られたくなるらしく、弁慶や義経も外出する際作ってもらっているとのこと。
九鬼に所属となればどこか制限されるイメージだが、毎日手作りの美味しいご飯が出てくると考えれば少し羨ましくある。
「おい大和、そんなところで何してるんだ?」
「姉さん。弁慶から九鬼の話を聞いてただけだよ」
「おや、今日の主役がここにいて良いのか?」
「私はあんまり目立つのとか苦手なんで」
「らしいな」
ふらりと現れたのは武神先輩だ。どうやら直江がここにいたのに疑問を持ったようで尋ねていた。
あまり近くで見たことはなかった。意外と身長が高い。
「お前はたしか義経ちゃんたちを案内してくれた奴だろ? 紋プチが感謝してたぞ」
「手八丁口八丁で何とか」
「誤魔化し口一丁だったでしょ」
「義経ちゃんたちと幼馴染なんだってな」
「ええ、まあ」
小さい頃から会っていたが、夏休みだけの期間で幼馴染と言うのだろうか?
「名前はたしか——」
「左武だよ」
「そうだ、左武。左武……左武?」
不意に、武神先輩が虚空を見つめながら首を傾げる。顎に指をやり、「んー?」と唸っている。
「どうかしたの?」
「いや、どっかで聞いた名前のような気がして……勘違いか?」
書けば珍しい字の並びではあるのだが、読むとそこまで珍しくない。似た音の名前も多いのでそれだろう。
「ま、いいや。とにかく、弟が世話になったみたいだな。ついでに連れてくぞ」
「うわっ、姉さん!?」
「向こうでファミリーの誰かが義経ちゃんに挑むらしい。見に行こう」
直江は武神先輩に首根っこを掴まれながらどこかに行った。
「義経が戦うみたいだぞ」
「ま、大丈夫でしょ。風間ファミリー? の中だと川神先輩か刀持った後輩じゃなきゃ負けないだろうし」
武神先輩は戦う気配なく、その刀を持った後輩は現在料理係に任命されている。そうなると弁慶の言う通り他のメンバーだろう。
「——たまにはこんなのもアリかなぁ」
「楽しかったか、今日は?」
「うん。毎日続くとあれだけど、こうやって祭りの淵で飲む川神水は……美味いっ〜」
「ま、分からんでもないな」
梅雨が過ぎ、やがて夏が来る。外に浮かぶ入道雲はそれを予感させていた。そして、学生たちが待ち望む夏休みもやってくる。
良くも悪くも騒動を呼び込む川神の日々は——。
二十一、
そう変わらない日々が続いていた。
「……すぅ」
放課後、だらけ部部室には珍しく決闘を取り止めた義経と弁慶と自分の三人がいた。義経がこの時間からいることも珍しいのだが、さらに珍しいのは義経が弁慶の膝を枕に眠っているということだろう。
「相変わらずこの時期はそうなんだな」
「まあね。こればっかりは毎年変わらないよ」
六月十五日——義経はこの時期になると誕生日に一喜し、三日後に一憂する。今日は衣川の戦いという史実の義経と弁慶が死没した日であるからだ。
「この様子だと明日明後日も甘えてくるだろうね」
そのため、十五日以降の義経はそのことを意識してしまうのか弁慶にいつもより甘く、むしろ甘えるという自分からすれば真逆の関係になる。
「主従だなぁ」
「主従ですから」
だらけ部のいつもと違う日常だった。
「——そこまで。鉛筆を置け」
試験監督の小島先生がそう告げ、最後まで確認していた生徒たちは同時に鉛筆を置いた。
七月も後半、期末試験の最終科目が今終わった。
「よし、全て集まったな。お前たちはSクラスということもあり口煩く言わないが、長期休暇になると必ず一人は羽目を外す生徒がいる。自分の始末を付けられず、私の指導を受けないように生活するように。
宇佐美先生がもうじき来られる。それまでは——」
「あ、小島先生。試験監督ありがとうございます」
「宇佐美先生。早かったですね。では、私はこれで」
「あぁ……行っちゃった……」
何を見せられてるんだ自分たちは。中年オヤジの恋路など見たくないんだが。
「うぇーい、ヒゲがフラれてるー」
「揶揄ってはいけませんよ、ユキ。恋とは千水万山。道のりは険しいものですから」
「はーい」
葵がそう言うが、クラスの大半が榊原と同じことを思っているだろう。
「はぁ……まったく。つれない小島先生も良い」
もう重症だろ。
生徒たちに見られていることに気付いたヒゲは咳払いをし、生徒名簿を教卓の上で離す。
「期末試験が終わったことでいよいよ明日の終業式が終われば夏休みだ。小島先生も言ってらっしゃったが、羽目を外すなよ……まぁ、夏休みくらい多少外してこいって言いたいんだが。とにかく、俺たちの世話にならない範囲で青春を謳歌して来い。
恋は良いぞ。俺も小島先生と——」
「いい加減にしないと小刀が飛びますよ☆」
「特に連絡はないからこのまま終わるぞ。九鬼、挨拶」
「うむ!」
忍足によって強制的に黙らされたヒゲはすぐに挨拶を行った。
夏休みに入ったが、前年と同じくやることは特にない。強いて言えば温泉旅行にでも行きたいが、そのときは予定も立てず突発的なものになるだろう。人が少なそうなタイミングは狙うが。
「マルギッテ。夏休みはどうするんだ?」
「私は軍での任務があると知りなさい。水上体育祭の日までは日本にいないでしょう」
「そうか、残念だな。遊びに誘おうと思ったのに」
「私とあなたでどこに行くというのです」
「遊園地とか?」
「馬鹿にしているのですか? ……まぁ、水上体育祭以降は中将殿より休みをもらっているので、暇なときくらいは相手をしてあげましょう」
「面白そうな場所を探しておくよ」
「そうしなさい——時間ですか。では」
「気を付けてな」
おそらく戦地に出向くであろうマルギッテを見送り、今日の放課後はどうするか考える。気紛れに今日はだらけ部に行くのではなく、別のことをしたかった。
クラスメイトの半分が消えた教室には今やお馴染みとなった歓声がグラウンドから聞こえてくる。
「……たまには行ってみるか」
鞄を持って教室を出る。既に残っている生徒は期末試験の自己採点をしている者だけだった。
「東——源氏組大将、源義経」
「よろしくお願いします」
「西——エスクリマの使い手、チャリス」
「日本に蘇った侍。強いと聞きました。なら、戦わずにはいられない!」
「両者準備は? ——……始め!」
九鬼従者の合図と共に、中心で義経と対戦相手がかち合った。
エスクリマとはフィリピンの武術、別名をカリという。近距離特化の猛攻は虎の鉤爪と例えられ、時に地形を利用した体術も行う。オールラウンダーな戦い方は地元の警察格闘技にも導入されている。
「せいっ!」
「ふっ、は!」
火花が散っている。
どうやら相手のチャリスは木棒ではなく鉄棒、見た目の材質からして合金を用いているようだ。
「そこっ!」
「甘い!」
義経が鋭い刺突を繰り出すが、寸での距離で避けたチャリスが間合いを詰める。
「——っ!?」
薄緑以下の距離でチャリスは竜巻と化す。撫でるように棒を振り回し、離脱しようとする義経との彼我の差を巧みに維持し、追い込んでいた。
「ガーリタ・ティグレ!」
上下左右、あらゆる方向からチャリスの攻撃が向かう。
初見、噂を聞いた外国人の腕試しかと思ったがあの武人——義経を倒しに来ている。壁の一歩手前か、指を掛けている。その実力ならば相性と環境次第で壁を越えた武人を倒せる可能性がある。
「速い……!」
「たぁぁぁぁッ!」
「しかし——」
まるで飛燕。
縫うように白筋を描く棒を掻い潜り義経は——蹴りを入れた。
「がっ!?」
「速さなら義経も負けない!」
チャリスの肺が収縮する。頭が真っ白となった一秒以下の速さで義経は刀を振るい終わっていた。
「討った!」
腹に蹴りを入れられ、その上から峰打ちされたチャリスは膝を付いた。そしてそのまま砂地に身体を横たえた。
「勝負あり。この決闘の勝者は源義経!」
「よっしゃあ! 格好良かったぞ!」
「一瞬ビビったけどな」
「チャリスも相当強かった」
「一・二倍だけど義経ちゃんが勝ったからそれで良いや!」
わぁっ、と声が上がった。
賭けをしていた生徒もいたようで、義経の方の数字はそこまで高くないようだ。だが、チャリスも良いところまでいったと声援が投げられている。
「ふぅ……チャリスさんのあの蓮撃、もう少し速かったら危なかったかもしれない。次は懐に入るよりも先に対応しなければ」
勝ちに拘らず義経は今の戦いを反芻し、さらなる進歩を求めている。
九鬼が倒れたチャリスを担架に乗せる場面を見たながら校舎に戻ろうとすると顔を上げた義経と目があった。
「あ、右文君!」
どこ尻尾を彷彿とさせる元気さで駆け寄って来た。
「調子はどうだ?」
「問題ない。でも、今まで見たことない技を使われると少し焦ってしまう」
「義経は昔から自分のリズムを外されるとあからさまに隙が出来るからな。自分のリズムを守ることは基本だが、相手のリズムに乗って戦ってみるのも大事なんじゃないか?」
と、今の戦いを見て思ったことを述べ——直ぐに頭を振った。
「すまん。忘れてくれ」
「……? 今の言葉は確かに義経に必要なことだ。参考にさせてもらうぞ」
「なら良かったよ」
「そうだ! せっかくだし右文君も昔みたいにどうだろうか? 辞めたとは聞いたが……その、組手の範囲で……」
「辞めておくよ。義経たちの決闘相手は九鬼に選別されてるんだろ? 中には遠くから来た人もいるだろうし、悪い」
「そうか。じゃあまた時間のあるときでも」
「……気が向いたらな」
「うん!」
「次の相手が来たみたいだ。頑張れよ」
「ああ。強くなったところを見せるぞ!」
義経は最後にそう言うと、今日二人目の挑戦者と向かい合う。
今度は槍を持った武人であり、見た目から歳は義経の三回りは上そうだ。老練なる技術を前に義経がどう対応するのか——そこが勝敗の、
「辞めよう。真面目に考えても仕方ない」
再び頭を振る。
義経が向き合う相手に集中したのを見計らって観衆の輪から抜け出した。
沸き立つを人並みを背に呟く。
「昼寝しよ」
この温度じゃ、掛け布団は必要ないだろう。
二十三、
夏休みが始まる。
七月後半、車も多い川神は都会らしく気温が早くも三十度に達し、外に出るのが憚られる季節だ。こういう日は山にでも行ってマイナスイオンを浴びたい気分だが、近くの川神山は自然保護の関係で入山規制が掛かっている。気ままに立ち入りたいものだが、事前申請が必要なのだ。
冷房の効かせた部屋で昼のバラエティを眺めているとスマホが鳴った。
『今から義経と遊びにいく( ´θ`)』
弁慶からだった。
特に用事も無いので手早く返事をして、部屋を見渡す。
とりわけ散らかっているわけでもないが、掃除機と空気の入れ替えくらいはしていた方が良いだろう。
九鬼からここまでは歩いて三十分ほど。簡単な掃除に取り掛かるのであった。
「お邪魔〜」
「お邪魔します」
「いらっしゃい。暑かっただろ」
二人を迎え入れ、いつかのときのように麦茶を出す。三人なので全員カーペットに机を囲んで座っている。
「涼しい……」
弁慶は自動適温に設定している冷房の風を浴び、義経も取り出したハンカチで額を拭っている。
どうやら今日は猛暑日のようだ。
「うちに遊びに来るのは良いが、特に何も無いぞ」
「私もそんなにガチで遊びにきたわけじゃないから大丈夫。むしろゴロゴロしたい」
「人ん家でか……まぁ構わんが、そういうのは自分の部屋の方が落ち着かないか?」
「部屋にいたらいたでたまにダラダラしてないで鍛錬しろって九鬼の従者が来るから億劫なんだよね。長期休暇だと特に」
「なるほど。で、それを聞いて義経はどう思い」
「弁慶は部屋に篭るとうんともすんとも言わない。主としてはもう少し鍛錬に精を出して欲しいけど」
「これが本当の弁慶の立ち往生」
「何言ってんだ」
そんなことを話しながら弁慶が持って来ていた紙袋から何か取り出す。
「ま、だからと言って何も持ってきてないわけじゃないんだけどね。ほい」
机に出されたのは二枚のDVD。
「見たかった映画二つ持って来たよ。時間的にもちょうど良い」
「お、良いな。たまにはそういうのもありだな」
「よっし、決まり」
とは言うものの、自分の家にDVDプレーヤーがあったか怪しい。一年生の頃、教科書の付属DVDを読み込むために買ったような気がするがブルーレイ的なあれを読み込めるだろうか。
「ちょっと待っててくれ」
たしか、寝室のクローゼットにまとめて仕舞っていたはず。
二人を居間に寝室の扉を開ける。今と同じく最低限の家具しか置いておらず、殆どの物はクローゼットだ。
「この辺に……あったような、無かったような……」
季節モノの服や使わなくなった教科書と同じ並び、四角い箱がある。
「これか」
USBケーブルで繋げられるものなのでテレビとも繋がるはずだ。
「——結構大きいベッドだね」
「——こ、これが右文君の寝室か……」
振り返るといつの間にか寝室に入って来ていた二人がいた。
「あわわ、義経は止めたんだが弁慶がどうしてもって」
「家臣のせいにする主の口はどんな感触かなぁ〜」
「いふぁいいふぁいっ、やめへふへへんへい!」
「別に入ってくるのは良いが、もう出るぞ」
「ところがそうはいかんざき」
まじかよこ! と、言うより前に弁慶がベッドにダイブする。
「あ、弁慶! もうそろそろ——」
「飛んで火に入る夏の主」
「うわぁ!?」
そろそろ目に余ると思ったのか義経が注意しようとしたとき、弁慶が義経の手を引いて捕まえる。
「本当に本当に義経は怒るぞ?」
「もうちょっとだけ」
何だかんだ義経に対して聞き分けの良い弁慶が珍しくねつっこい。義経もそれを察したのか溜息を漏らしながら困った表情を自分に向けた。
ま、たまにはこんなときもあって良いだろう。
自分は義経に「付き合ってやれ」と意を込めた視線を送り、先に寝室を出てDVD鑑賞の準備をするのだった。
「夏休みに入って少し調子乗ってしまった。申し訳ない。主も」
「気にするな。誰だってそういうときはあるからな」
時間もあり、明日が休みなことも確定しているので多少はっちゃけても昼まで寝れる。いつもより気が緩んでしまうのも仕方ないだろう。
「右文には私と義経で出来た源氏ベッドのプレゼントということで」
「何言ってんだ」
「本来は有料コンテンツだから」
本当に何言ってんだコイツ。まだテンションが高いようだ。
「良いことでもあったのか? ただ夏休みに入っただけでそうなるタイプじゃないだろ?」
弁慶が答えるよりも早く、義経が口を開いた。
「ふふっ、義経は分かるぞ。弁慶はもう直ぐお父さんとお母さんが川神に来るから嬉しいんだろう」
「そうなのか?」
「うん! 八月五日から九日まで義経たちに会いに来てくれるんだ!」
小笠原諸島——父島。そこに義経たちの両親は住んでいる。
元は本島の大学勤めであったが父島の歴史と自然に触れて移住、たまに本島と往復する生活を送りつつ史学研究を行っていると聞いた。
「大器さんと昌子さんが来るなら弁慶の調子が良いのも当たり前だな」
「いや、そういうわけじゃなくて……」
普段の雰囲気は怠癖が目立つものの、源氏組の頭脳は間違いなく弁慶だろう。
与一が視て、弁慶が考え、義経が行動に示す。
だからこそ大人びた感性を持つ弁慶だが、島にいた頃は誰よりも昌子さんに引っ付いていた。甘えん坊とまで言うのかは分からないが、間違いなく甘えていたのだろう。昼に昌子さんがスイカを差し入れてくれたときは一番に駆け寄っていた姿を今でも覚えている。
「良かったな」
「義経も楽しみだぞ」
「本当にそういうわけじゃなくて——」
普段の彼女とは思えぬ俊敏さでDVDプレーヤーにディスクを挿入した弁慶は直ぐ様リモコンを押す。
タイトルは去年の秋に話題となった王道ホラー映画。アメリカで発禁になった本を実写化したとかいう奴だ。夏らしくホラー物をチョイスしたのだろう。
「あー……もう。早く観るよ」
少し顔の赤くなった弁慶はヒラヒラと手のひらを振り、義経はそんな様子を目尻を下げながら見ていたのであった。
二十四、
水上体育祭を来週に控えたあくる日、多馬川沿いを散歩していると見知った顔が歩いて来た。
「うだつの上がらぬ顔が歩いていると思えば左武ではないか。お主、こんなところで何をしておるのじゃ?」
「なんだ不死川か」
「なんだとはなんじゃ、なんだとは。偶然とはいえ高貴な此方と休日に会えたのじゃ。平伏して喜ぶことであろう」
「今や不死川というか名家キャラはレアキャラじゃないからな。
前作ではラスボス一歩手前で配合も難しかった癖に、次作では配合システムの改良でオンライン潜ったらよく見る顔並みに等しい」
「分かりにくい例えをするな! 同クラでよく見る顔といえど、此方はガルマッゾくらいレアに決まっておろう!」
「あ、ガルマッゾはもうそこまでレアキャラじゃないぞ。大体すぐダークドレアムの素材になって手持ち一分もいないから」
「ぐっ、ぬぬ……」
と、今の一連で分かるように不死川は非常に弄られやすい性格をしている。
Sクラス以外のクラスからはその当たりとやはり不死川という名前の大きさから萎縮されることもあるようだが、基本Sクラスは九鬼家という世界の中心にいる三大財閥を見ているためそこまで反応するほどの家ではないと麻痺しているのだ。もちろん平安貴族から続く家系は凄いと思うが、雅や和を重んじる個性はイマイチ凄さが分からず、そして普段から名家の矜持を口にすることからすっかりネタキャラとなってしまっている。主に榊原が原因なのだが。
「それで、不死川はどうしてここに?」
自分から弄っておいて何だが、すぐに切り替えた自分に溜息を吐きながら不死川は口を開く。
「暑中見舞いじゃ。不死川は名家中の名家故基本向こうから挨拶に来るのが習わしじゃが、当主の長男か長女が返礼に行くのは基本。今日は午前から諸家を周っておったのじゃ」
「それは……大変そうだな。しかもその服で」
「学生としての身分に休日はあれど、名家としての身分に休日無し。此方が常日頃この格好であることは呼吸と同じと理解せよ」
偏った性格をしている不死川だが、こうして自分の決めたことや歩こうとする道から外れぬ努力は他の川神生と同じ勇往邁進の気概を感じる。彼女が他クラスを山猿やら低俗やら扱き下ろすのも自身の努力と比較してのことであり、不死川という生まれの上で胡座を掻いているわけではないのだ。
「午後も挨拶周りか?」
「今日の分はもう終わりじゃ。帰路に着いたところ冴えない顔が見えた故、声を掛けてやったのじゃ」
「なら、特に予定が無ければ甘味処でも行かないか? 挨拶するのも一苦労だろ?」
ここで会ったのも何かの縁。
奇縁の類い——構わないだろう。
そんな自分の言葉を聞いた不死川は少し面食らった表情をする。
「此方とお主が? 学園でも仲が良いわけでもないにも関わらず行くと思うたか?」
「ウマが合わないと分かってるわけでもない。それに、夏休みの戯れ……名家風に言えば胡蝶の夢とでも思えば良い」
「はぁ〜〜〜お主。マルギッテとも仲が良いし、源氏組とも知り合いだったりと前から思っていたが妙な縁を持っているようじゃな。
まぁ、胡蝶の夢と言われればそれもたまにはアリか。但し、生半可な甘味であれば此方は容赦せんぞ」
「名家も涎を垂らすくらいの処に連れて行くから大丈夫だ」
「垂らすわけなかろう! 何歳だと思っているのじゃ!」
「店は仲見世通りの方にある。小腹が空いてるなら定食もあるから、早く行こう」
「こら待たんか! 垂らさんぞっ、此方は垂らさぬからな!」
自分はご飯物を、不死川はサンドイッチをいただいてから食後のデザートを待っている。
不死川も特に文句無く口に運んでいたためお眼鏡にかなったようだ。ただ、この店は甘味の方が味が一段も二段も美味しいためそちらでは度肝を抜いて欲しい。
「こちら黒糖プリンと甘りんパフェでございます。ごゆっくりどうぞ」
店員がセットのコーヒーも置いて立ち去り、鼻腔に香しさが伝わってくる。
自分はイチゴパフェを頼み、不死川は黒糖プリンを頼んだ。
「上のキャラメルが炙られておるのか。これは中々どうして舌触りが面白そうじゃの」
この店の黒糖プリンは甘さはあるが控えめ、分蜜糖とは違って拗さが無い。そのため甘い物が苦手な人も十分食べられるのだ。
不死川は初めに表面のキャラメルを割り、軽く混ぜてからスプーンに乗せる。
「……そ、そんなに見られては食べ難いじゃろう」
「いや。垂らすか垂らさないかを確認していた」
「現物を前にして垂らすわけなかろう! 犬じゃあるまいし!」
普通に楽しい時間であった。
二十五、
水上体育祭——当日。
川神から倉ヶ浜海水浴場まで電車を乗り継いだ自分がまず驚いたのは今日のために用意したであろう特設会場だった。
救護棟や運営テントはもちろん、各クラスが休める日除けテントは十分な広さがある。早くに行われる障害物競走の舟も一定感覚で海上に並べられており、どうやら九鬼の従者と川神院僧侶が共同準備しているようだ。
「よし! 男女共に素早く水着に着替えてSクラスのテントに集合せよ! 女子はあずみ、男どもは我に続け!」
九鬼に連れられて男子用の更衣室に入る。
学校指定の水着なので別段買いに行く必要など無くて助かった。膝まである水着を履き、薄いパーカーを羽織る。暑いと思って海に出た後濡れたまま滞在し、海風に晒されて風邪を引いたことがあるのでこれは意外と重要だ。
「さすが那須与一。良いカラダをしていますね」
「ひぃっ、何のつもりだお前は!?」
隣で着替えていた与一が葵に絡まれていたので黙って更衣室を出る。あいつが両刀使いであることは周知の事実だ。
取り敢えず水筒だけ手にした自分が一番かと思ったが、テントには既に何人かの姿が見える。
「マルギッテ、久しぶりだな」
「ええ。夏休みに入って自堕落な生活を送っていないでしょうね?」
「出来るだけ毎日外に出るようにはしているぞ」
「身体も動かすようにしなさい。ただ歩いているだけでは肉体は衰えるばかりです」
「今日で動き貯めするつもりだ」
「そんなものあるわけないでしょう」
やれやれといった具合に頭を振ったマルギッテは他の生徒と同じように学校指定の水着を着用している。
いつもは制服ではなく軍服を着用しているため分かりづらい……わけでもないが、女性らしさを強調した肉体は健全な青少年には悩ましいものがあるだろう。
ただ、二十一歳がスク水を着ていることのほうが——。
「——ふんっ!」
「っ!?」
「猟犬の鼻は邪な考えも嗅ぎ取ると知りなさい」
マルギッテに折檻されつつ、クラスが集まるのを待つ。
「右文君にマルギッテさん! 早かったんだな!」
義経と、その後ろに付き従う弁慶がこちらに向かって来る。
「まぁな……弁慶はさすがに川神水は持ってないんだな」
「水分補給に持って行こうと思ったけど、海に入るからって主に没収されました」
「なるほど。いや当たり前か」
簡単に波に攫われるような身体能力ではないだろうが、もしものことがある。念のため義経も考慮したのだろう。
「大器さんと昌子さんは? たしか、今日から来るんだったよな」
「お昼前から学会の発表があるみたいだから、それが終わってから九鬼に来るとか何とか」
「早めに終われば体育祭にも顔を出してくれるかもしれないんだ」
「間に合うと良いな」
「うん!」
場所はいつもと異なるが、体育祭ということもあって当然観覧に来た保護者の席も用意されている。直に見ることも可能だが、最新ドローンでリアルタイム視聴出来るモニターが九鬼によって用意されているらしい。お昼も九鬼が軽い屋台を出してくれるとのことなのでまさに九鬼様様である。
マルギッテに海外任務がどうだったか尋ね——もちろん重要な部分は外している——、義経に参加種目の意気込みなどを聞いているとヒゲが点呼を取りに来る。やがて他学年も揃い、開会式の挨拶をするため砂浜に並んだ。
「——皆の者、おはよう」
簡易設置された台に学園長が現れる。
いくら極度の真夏日でなかろうとあの袴着は暑くないのだろうか。
「天気にも恵まれ、人にも恵まれ、今日は水上体育祭を行うには良い日となった。どの種目も川神院と九鬼が安全に最大限配慮して取り仕切る故、精一杯競いあって欲しい。
さて、この時期と言えば来週末には盆を迎えるのじゃが、そもそもお盆というものは——」
あー、始まってしまった……学園長の長講釈である。
本来ならば最初の数秒、短い口上から頑張れと言ってくれれば良いものの、もはやお馴染みとなってしまった学園長の講釈は聞き慣れたものだ。
「毎回思いますが、激励を終えればそのまま退けば良いものの何故ああして話し始めるのか」
「老人はみんなあんな感じだろ? 日本もドイツもイタリアも」
「一定数いることは確かでしょう。それと、立場的にも微妙に突っ込み難い国を並べるのは辞めてください」
マルギッテも小声で話しかけてくるほどである。
ただ、小島先生あたりが生徒たちの顔色を見て学園長に話の区切りを促してくれるため、耐えられないほどではない。
そんなことを考えていると、予想通り小島先生が咳払いをする。
「——む、いかんいかん。年寄りになると時間の経過を忘れてしまうわい。
ともかく、この川神学園の伝統と誇りを持って今日の体育祭は楽しんでくれい。以上」
話に感激したというよりはようやく話が終わったことに拍手が起こり、体育教師のルー先生が入れ替わるように出てきた。
「このまま今日の流れの説明と準備体操に入るヨー!」
天気は快晴ではない。適度に入道雲が太陽に被り、丁度良い日陰を提供してくれる。水分補給を怠らなければ熱中症は出ないはずだ。
そんな中、いよいよ水上体育祭が始まったのであった。
二十六、
『ビーチフラッグ競争』はその名の通り、ビーチに刺さったフラッグを早く取る勝負だ。伏せた状態から始まり、五十メートルの距離を一番に走破した者が決勝トーナメントに進める。
「頑張れー! 井上くーん!」
一回戦に出場する井上を義経が応援している。
「フッ……完全なロリではないが、義経も見ようによって未熟体型。ロリコニア使者として——」
「——そぉいっ!」
「ぐあっ!? ——おい武蔵坊! ボール投げはまだだぞ!」
「あー、めんごめんご。ビーチボール弾きが始まったのかと思って投げちゃった」
「んな競技あるか!」
と、砂を固めた球を投げられた井上が騒いでいるが自業自得だ。
「何をしている井上! 並んでいないのはお前だけだぞ!」
「す、すみませーん!」
スタート合図の小島先生が井上を叱責し、いよいよ一回戦が始まる。井上はSクラスでも身体能力が高い方なので良いところまでは行くのではないだろうか。
ビーチフラッグ競争の一位はFクラスの川神一子で、井上は三位と入賞していた。クラスメイトたちはまずは高ポイントを得た井上と他の参加者を称えつつ次の『障害物競走』を楽しみにしていた。それもそのはず、障害物競走では義経が出るからだ。
「山猿に負けたハゲの代わりにSクラスの強さを見せつけてやるのじゃ!」
「フハハッ! 我らに天狗に鍛えられた脚を見せてみるが良いわ!」
用意された障害物は定番のハードル、袋、網、そこから海上に移って八つの舟、細く浮いた棒、最後に泳いで砂浜のゴールテープを切ったら勝ちだ。ちなみにトーナメントではないので一位から順にポイントが貰える。
「やはり義経が出るか。よろしく頼むぞ」
「クリスさん……負けないぞ!」
並んだ六人の中で一番の強敵はフリードリヒだ。彼女はよくマルギッテの話に出てくるので、噂だけは聞いている。少し前に聞いたことだが、義経たちが転入してきた日に戦っていたのもフリードリヒだったらしい。
「くっ、お嬢様が出場されるならば私はお嬢様の応援を……! しかし、昨晩お嬢様はSクラスの私と真剣勝負をと……! どうすれば……」
苦悩しているマルギッテを尻目に義経たちがスタートを切った。
島育ち、自然を駆けてきた義経の健脚は砂浜でも当然発揮される。むしろ、砂浜は慣れていると言っても良い。陸上選手さながらの姿勢の良さでハードルを超えていく。
「体幹がブレないのはさすがだな」
正面から見てみたい。
ハードルを越えた時点で義経が一歩リードしていた。
義経が袋に脚を入れて進む頃にフリードリヒが袋を掴む。三十メートルほどの距離をウサギのように跳んで網ゾーンに入る。
「なにぃ!? あの山猿、山猿らしく地に這うのが上手いのじゃ!」
不死川がそう叫んだように、網ゾーンで空いていたはずの二人の距離が並んだ。
「お嬢様はドイツで我々猟犬部隊の訓練に参加していたのです。網を潜る動作は習慣付いている。
それと——お嬢様を山猿などと称するのは辞めなさい。訂正しなければ、貴様の家が吹き飛ぶ」
「ひぃ!? ご、ごめんなさいなのじゃ!」
義経たちはほぼ同時に上体を起こして海に向かって走り出す。いや、出るときもコツがあったのか僅かにフリードリヒが前に出ている。
この時点で他の四人はようやく網ゾーンに入ったところだった。
このままフリードリヒの有利で進むのかと思われたが、舟——即ち、八艘跳びの伝承をもとに作られたゾーンではSクラスのみならず他クラスでも歓声が上がった。
「——速いな!」
「義経ちゃんすげぇ!」
「伝説の八艘跳びだ!」
「やはり設置して正解じゃったのう。現代に蘇る英雄の影よ」
「好評で何よりですネ!」
フリードリヒも巧くバランスを保ちながら舟に跳び移っているが、着地した場所によって沈み具合が変わるため所々動きが鈍くなっている。それに対して義経は舟に自身の重さが伝わるより速く跳び始め、平地と変わらぬ速度を持って八艘を駆け抜ける。
「この勝負は義経に軍配が上がるな」
「お嬢様も決して負けていない走りでした」
義経は細い棒もモノともせず、最後に大きく海に飛び込む。クロールですぐに砂浜に辿り着くと一位でゴールテープを切った。
「一位、おめでとう」
「ありがとう。クリスさんも手強かったから、次やればどうなるか分からないな」
「そうか? 舟があれば義経の勝ちは続きそうだが……」
それほどまでに義経の八艘跳びは流麗だった。
さて、次はボール投げだ。
砂浜の決められた場所から海に向かって砲丸サイズのボールを投げ、飛距離が遠いほど貰えるポイントが高くなる。参加者は各クラス二人と少ないがこの競技の勝者はもう決まったも同然だ。
「ほいじゃ、サクッと投げて終わらしてこようかなぁ〜」
惰性的に肩を回しながら歩く弁慶を除いて他にいない。戦闘時は気量によって変わるが、純粋な力だけ考えれば弁慶はあの武神先輩より上。どれだけ筋肉のある男子生徒が出てきても軽く投げ越すはずだ。
「全員揃ったな。順番は籤で決めるから、この割り箸を引いた後は書いてある番号をオジサンに教えてくれ」
遠目からは分からないが、並んだ位置から恐らく中間くらいだろう。
テンポ良く、次々とボールが投げられていく。
弁慶の順番がやって来て、現在の一位は八十メートル少々。野球部が出した記録だった。
「——せいっ!」
本当に一瞬、ボールを見失った。海面に叩き付けられて消えたのかと思ったが、日差しの隙間を縫うように黒い点が地平線に飛んで行く。
「……決まったな」
後の面子を見る限り、弁慶ほど飛ばせる者はいないだろう。
「疲れた」
「勝手に戻って来て大丈夫なのか?」
「視線とか諸々鬱陶しいからヒゲに言ってきた」
「あぁ、なるほどな」
「気持ち悪い山猿が騒いでおるのう」
「それについては同感です」
「ま、私の出番はもう終わりだから良いけどね。枕枕」
弁慶はレジャーシートに座っていた自分とマルギッテの隙間に身体を入れ、そのまま自分の膝を枕に瞼を閉じた。
「起こしますか?」
「いや、別に良いさ」
彼女の気ままさは今に始まった事ではない。
自分は羽織っていたパーカーを脱いで弁慶に掛け、義経から彼女の水筒を受け取って傍に置く。
一息着いたところで、こちらを見ていたマルギッテと目が合う。
「どうした?」
「いえ、どうやら身体はしっかり動かしていたようですね」
「自分は太ることも痩せることもあまり無いからな。普通に過ごしているだけだぞ」
「しかし、その筋肉の付き方は……一般的というよりも——」
「あ、スイカ割りが始まるみたいだぞ」
このスイカ割りが終われば昼食の時間となる。スイカ割りで割ったスイカはそのまま綺麗にされて配られるとのことなので楽しみだ。
「あとマルギッテ。一応自分はお触り厳禁だから手を引っ込めてくれ」
「……軍人として有力な民間人は登用候補ですからね。遂、教官としての癖が出てしまいました」
「んー、生粋のドイツ軍人」
さすがに腹直筋をなぞられるとむず痒い。誤魔化しに摩りたい気持ちもあるが、わざわざ触れられた場所を気にしているみたいで気持ち悪いので我慢することにした。
スイカ割りに出場するクラスメイトは顔は知っているが名前は特に知らない。聞けば分かるといった程度だ。覚える気が無いとかではなく、他が濃すぎるが故にいまいち印象にないのは仕方ないと思いたい。
良い形に割ってくれることを期待して、応援するのだった。
二十七、
「起きろ、弁慶。昼だぞ」
スイカ割りも無事に終わり、穏やかな寝息を立てる弁慶を揺する。すぐに目を開けた彼女は欠伸を漏らしながら伸びをした。
「おはよ……どうだったの……」
「スイカ割り?」
「うん……ふわぁ」
「途中までただのスイカ割りだったんだが、九鬼がちゃんとした鑑定人みたいなのを用意していてな」
スイカ割り一人目。一年Bクラスの女子生徒がスイカを割るとどこからともなくモノクルを付けた初老の男性やマダム風の女性が現れた。彼らは自分たちで用意したであろう拡大鏡やらメジャーやら分度器やらで細かく測り出して点数を付けたのだ。
取り仕切っていた先生曰く——全世界スイカ割り協会のお偉いさんがどうのこうの。
真剣(マジ)な審判員を用意されているならば、負けず嫌いな川神学園生とあって二振り目から一振り目より本気で始まり、その後のスイカ割りも予想以上に盛り上がっていた。たしか、評議会議長だか誰かがそれは見事な八等分割りを見せたときのスイカ割り協会の方たちの盛り上がりは熱が入っていた。義経の八艘跳びに匹敵していていたのではないだろうか。
「屋台は焼きそばにたこ焼き、お好み焼きとか出てるみたいだぞ」
「関西だね」
「定番だからな。一応他には夏野菜を使ったカレーとかもあるみたいだぞ」
「たこ焼き食べようかなぁ」
義経は障害物競走で戦ったフリードリヒと夏野菜カレーの屋台に並んでいる。マルギッテも付き添っているようだ。
与一も誘おうと思ったが、自分が弁慶を起こすよりも早く姿を消していたのでどこかで食べているのだろう。
「並びに行くか」
「うぇ〜、右文——」
「付いて来ないと弁慶の分は無いぞ」
「くぅーん」
その後、自分と弁慶は比較的早くたこ焼きを貰うことが出来た。具材はタコだけではなくウィンナーやチーズ、明太子など普段楽しめない種類も豊富で二人してどれを食べようか迷う。とりあえず互いに気になったものを幾つか選び、そのとき食べたい物を交換しながら楽しんだのであった。
二十八、
午後は本格的に海を用いた競技が並び、自分が出場するバトルロワイヤルも遠泳を除く最後の種目だ。
「与一。主と私が一位なのにお前だけ一位じゃなかったら、源氏の名を落としたとして地獄巡りの刑だからな」
「頑張るんだぞ、与一!」
「頑張れよー」
「くっ……この感覚は……俺は何故震えているんだ……!?」
スタート前からプレッシャーを掛けられている与一が出場するのは海底宝探しだ。砂浜から、深さ三メートル、五メートル、七メートル、十メートル……最深で五十メートルまで準備されている。当然深い宝を取れば取るほどポイントは高いので与一が何ポイントを狙うのか見物だ。
「では海底宝探しを始めるヨ!」
ルー先生の軽快な声が響き、午後の部が始まった。
競技も折り返し、五十メートル往復自由型リレーが終わってから各学年各クラス、保持しているポイントを確認していた。
「ここまで我がクラスは源氏組の活躍もあり、三種目で一位を取っているがポイントは喫緊か」
「同学年だとやはりFクラスが私たちと同じように高ポイントを取得しています。安定して入賞しているようです」
「ふむ。自由型リレーでは一子殿の素晴らしい追い上げもあったからな」
「若、他学年とはどうなんだ?」
「一年も奮闘していますが一位争いには関わって来ないでしょう。Sクラスが四位か、良くて三位争いに入ってくる。私たちの相手は順当に行けば二年Fクラスと三年Sクラスですね」
「三年か……松永燕と葉桜清楚も入り、今や我がSクラスに匹敵するほどの力を有している。冬馬よ、ポイント差は如何ほどだ」
「三年Sクラスと私たちは四ポイントでリードを許し、Fクラスとは六ポイント差でリードしています」
「我らも一種目で追い抜かせるが、それはFクラスも同じか」
「入賞は必須、残る三種目のうち二つで一位を取れば安心ですが……」
「そう容易くはないか」
「ええ」
現在進行形で行われている砂浜造形グランプリは個人賞があるものの、クラス順位に影響するポイントは得られない。
残りの三つ。借り物競走、水上ボウリング大会、水上バトルロワイヤルが肝となってくる。
「借り物競走は冬馬が出るのであったな、勝算はあるか?」
「もちろん。仲の良い子たちが沢山いますので、力を貸してくれるでしょう」
「そうか。水上ボウリング大会のリーダーである不死川。準備は出来ているか?」
「任せておけ。雅に優勝をもぎ取って来てやるのじゃ」
「うむ! バトルロワイヤルに出る義経、榊原、マルギッテ、左武! お前たちも準備は良いな?」
「勝利は必定。そしてクラスでの勝利も確実なものと思いなさい」
「頼もしいな。では、最後までSクラスは一致団結! 優勝に向けて頑張るぞ!」
『おーっ!』
今度は忍足に叱られなかった。
「水上バトルロワイヤルに出場する者は指定されたブロック毎に並ぶように」
水上ボウリング大会が行われている現在、バトロワに参加する自分たちは担当教師の指示のもと整列していた。
各クラス出場者は四人。
一学年で二十四人。
三学年で合計七十二人という規模で行われる。
一戦目の生き残りは六人。二戦目は十二人中二人となり、最終戦は四人の中から優勝者が決められる。
一戦目は四ブロックに分かれるため味方はいないが、二戦目からは二ブロックになるため生き残っているクラスは味方と共に戦える可能性があるのだ。
自分のクラスはAブロックに自分、Bブロックにマルギッテ、Cブロックに義経、Dブロックに榊原がいた。仮に生き残ると二戦目のブロックでマルギッテが味方にいるので一安心だ。だが、Aブロックに並んだ面子を見る限り自分が生き残ることは難しそうだった。
「ふぅん、BとCに強者は集まってるって感じかなぁ」
と、額に手を当て眺めているのは納豆小町こと松永燕先輩だ。
松永先輩は言わずもがな川神学園屈指の武士娘。これはAブロックの一人抜けもあり得そうだな。
「一戦目はAブロックとBブロックの同時進行だ。どちらも終わり次第、CとDもすぐに始まるので常に心構えだけはしておけ。
では、AブロックとBブロックは水上舞台に入場!」
始まってしまった……作戦も特に考えていない。クラスが今、ポイント的にシビアな場所にいるため一戦目負けは戦犯に等しいだろう。
狙うは松永先輩と対極に位置し続け、彼女が他を減らしている間に生き残ることだ。
砂浜と繋げられた橋を通り、水上舞台に上がる。
一年生を前から順に並んでいたため、後ろにいる松永先輩の動向は伺えない。隣にならなければ良いが……、
「んじゃま、うちのクラスのためにも勝たせて貰うよん」
——いや、むちゃくちゃ隣になったんだが。
最悪だ。
おそらく他クラスも松永先輩を警戒して離れたのだろう。露骨なまでに距離が出来ている。何なら自分と松永先輩が水上舞台の一番奥で味方同士みたいになっている。
「水上バトルロワイヤル一戦目を始める! 落ちてもすぐに待機している川神院僧侶が助けてくれるので、慌てず救出を待つように!
——準備は良いか!」
その声と共に自分以外の全員が構える。松永先輩も膝を軽く曲げていた。
「——始めッ!」
ひゅん、と風圧が起こる。
それは松永先輩が音も無く動いた証左であり、衝撃も感じられず宙に身を投げられたことを意味する。
「マジか……」
水上舞台から落ちていく最中、僅かに見えた光景は既に松永先輩が相対していた他をばったばったと落としていく姿だった。
「あ、落ちた」
Sクラスの面々は弁慶がそう呟いたのを聞き、松永燕がその力を大いに奮っているAブロックを見た。
「くっ、聞きしに勝る武士娘とは事実か! 松永燕、やりおるわっ!」
「まずいですね……3年Fクラスは現在四位に着けていますが、ああして他クラスの順位判定をされない前に全員落とされれば一人勝ちもあり得ます」
「義経やマルギッテが松永燕を抑えられれば良いが……」
同時進行しているBブロックでは二年Fクラスの椎名京がマルギッテと善戦しているが近接戦において彼女に敵うことなく落とされている。追随を許すFクラスを優先的に狙う作戦だったのだろう。
「旗が上がりよったか。Aブロックに残ったのは松永燕一人。まったく、左武も情けないのう」
「でもよ、納豆小町が相手だったら義経も不味くないか? 刀持ってないし」
「主は従手も出来なくないけど、正面からはちょっと不味いかも」
ほんの少しSクラスに影が差す。
他クラスとのポイント差は先ほどの作戦会議よりさらに喫緊しており、バトルロワイヤルでは二位以上に着けなければ三年Sクラスを抜かすことは難しい。三位であれば三年Sクラスが低順位に着くことを祈るという、能力に確かな自信を持ってるが故の不名誉な勝利を願わなければならないのだ。
「あ、復活した」
またしても呟いたのは弁慶だった。
彼女の視線の先、Aブロックの水上舞台へ登ってくる右文の姿があった。
二十九、
「危な。落ちるところだった」
何とかヘリに捕まっていた自分は松永先輩が他クラスの面々を落とすのを待ち、ようやく一人になったところで上がる。
「およ、最初の一発だったから力加減ミスったかな?」
目をパチくりとしながらこちらを見てくる松永先輩だが、変に目を付けられて二戦目も最初から狙われては堪らないのでさっさと舞台から退場する。
Bブロックを見るとマルギッテと他五名がちょうど決まっており、無事彼女は生き残ったようだ。
「右文君が無事で良かった」
「偶然だ。松永先輩の言う通り、ギリギリのところで踏ん張れたよ」
「勝てば官軍だ……うぅ、義経は少し緊張してきたぞ」
「気楽に良いけば大丈夫だろ。ほら、左武流擽り術で解してやるからな」
「うひゃあ!?」
「——いてっ」
義経の緊張を解していると後頭部が叩かれる。
「何をやっているのですか、あなたは」
「マルギッテ……義経が緊張してるみたいだったからな」
「今はそのようなことをしている場合ではありません。私たちの次の相手は松永燕、どう対応するか考えなければならないでしょう」
「い、行ってくれ右文君……義経の緊張はもう解れたから……ふぅ」
「そうか? 後二段階は上のレベルがあったんだが」
「二段階も!? そんなの喰らえば義経は笑い死んでしまうぞ!?」
マルギッテが戻って来たのならば、すぐにCとDブロックも始まる。緊張してると言いながらも戦いになればいつもの義経になるだろう。
義経が舞台に上がるのを見送ってからマルギッテと向き合った。
「次戦は松永燕を抑えなければ、一戦目と同じように混沌としてしまう。初撃で落とされるのは確実に回避しましょう」
「だろうな。最初の立ち位置も重要になってくるが、どこにする?」
「舞台の右側を陣取りましょう。幸い、一戦目で私も注目されている。すぐに場所を取れば他はそこを避けるでしょう。空白地帯に松永が来るのも良し、逆位置に松永がいても順当に他クラスを落とせば問題ありません」
「他クラスと言えば松永先輩と同じ生徒会長もいるぞ」
「骨法使いの娘ですか。私と同じブロックでしたが、中々良い動きをしていました」
「あの人も結構な使い手と聞くから注意が必要だ。
それで、実際に松永先輩と当たってからはどう動くんだ?」
「どちらかが囮になるのが最善でしょう。私と右文が何度も二人組で戦っている仲ならば別ですが、そうではない。互いに一つの目標を設定して動いた方が良い」
「自分が囮だな。もし掴んでそのまま落とせそうだったら一緒に落ちても構わないか?」
「ええ。それで松永を落とせるなら十分でしょう。私が攻撃を仕掛けるときは合図をするので、どのような方法でも良い。彼女の脚を狙ってください」
「合図は?」
「''3(drei)''」
「了解」
マルギッテの速さに合わせられるか不安だがそこは彼女が合わせてくれるはずだ。松永先輩相手なら囮も命懸け、最初から特攻覚悟で突っ込んだ方が良いだろう。
「総合優勝出来るかどうかは間違いなく次戦に掛かっています。頑張りますよ」
CとDブロックの戦いを観ていた生徒たちの歓声が上がった。
自分も釣られて視線を移すと、義経が見事な蹴り技で数人まとめて舞台から落としている。
「足を引っ張らないように気を付けよう」
思えば松永先輩には自分の久寿餅パフェにとんでもないことをしてくれた借りがある。あの恨み、晴らさでおくべきか。
三十、
「ABの勝者は水上舞台に上がるように——」
義経と榊原が勝ち残ったCとDブロックは無事終わり、自分たちの番が回ってくる。水上舞台に続く橋前にいた自分とマルギッテはすぐに右側を陣取ると周囲を見渡した。
「松永は付かず離れず、中間に位置しましたか。他クラスは奥に寄り、中盤で松永と当たりそうですね」
「初撃、自分はどこに居れば良い?」
「私の背に。横合いからも注意してください」
「分かった」
愛用武器のトンファーを本気で構えれば、砦の如く堅牢さを誇るとは彼女の談だが今ほどそれ以上に頼もしい言葉は少ないだろう。
「では、ABブロックの水上バトルロワイヤルを始める!
位置について——……スタート!」
飛び燕を幻視するほどの鮮やかさでひゅるりと松永先輩が奥にいた一年生を落としている。
「HAHAHA! 骨法ゥ、爆☆発デェース!」
「マルギッテ!」
「対処します。右文は松永を注視! 出来るようであれば援護して下さい!」
左からライダーキックをかまして来た生徒会長をマルギッテに任せ、自分は松永先輩に警戒する。
三年のボクシング部部長だったか、男子生徒が針のようなジャブを放ちながら牽制するが掠ることなく翻弄していた。
「骨法ゥKICK! 骨法ゥPUNCH!」
「鋭い一撃ですが、私を仕留めるにはまだ——緩い!」
「ホワッツ!?」
「トンファー・ストレート!(トンファー無しver)」
「くゥ……ッ」
ボクシング部部長に強烈な一撃が入り、海に落ちて行った。
この時点で残るのは自分たちと生徒会長、既に二人を落とした松永先輩と隅で様子を伺っている三年Sクラスの生徒だ。
「骨法ゥTORNADO!」
視界端、生徒会長の猛攻を受けるマルギッテを捉えながら自分は松永先輩がこちら——正確にはマルギッテの姿を見たことに気付く。
「松永先輩が来る」
「なるほど——この者はFクラスでしたね」
「ああ。生徒会長は自分に任せて欲しい」
「頼みました」
マルギッテが松永先輩を迎え撃つために少し離れた位置に移動する。
「OH……今度は君が相手オーケー?」
「オーケー——む」
「……ワッツハープン?」
「うわー、あれはアダムスキー型のUFOだー」
「ユー・エフ・OH!?」
入道雲しかない空を指差してそう言うと、生徒会長は無防備にこちらに背を向けて振り返る。
「ほいっ、と」
そのまま両手で押すと海へ落ちて行った。
「NOOOOォォォー!!!」
しっかり着水して川神院僧侶に引き揚げられるのを確認するとマルギッテの元へ戻る。
「……あんな方法があるなら言ってくれれば良いものを」
「戦って勝つことに拘ると思ってな」
「私は軍人ですよ。よほど卑怯でなければ、アレくらいは許容範囲です」
「そうか——ちなみに、彼女に対しては特に方法は無いぞ」
「でしょうね」
自分たちを含めて残り四人。最終戦はABとCDそれぞれ二人ずつの出場者なのでこのブロックでは二人の脱落が必要になる。
「あちゃ〜、虎子ちゃん落とされちゃった。一戦目のときも生き残ってたし、やるね君」
「運が良かったもので」
「ふふん。そうは言っても油断はしないよん」
いや、本当なのだが。
「ちなみに向こうの方は先に落とさないので?」
「実はあの子、実家が定食屋さんみたいで……朝定食の納豆を松永納豆に変えてくれるって言われちゃった。てへ」
ちゃんとした賄賂だ。あと今の顔ペコちゃんに似過ぎだと思う。
「ま、そんなわけでマルギッテさん相手だと私も手加減出来ないから——エンジン上げてくよ!」
「簡単に突破出来ると考えないことです。来なさい! ……右文、手筈通りに」
考えがあることは悟られているだろうが、それでも寸前まで気取られたくない。
自分はマルギッテの左後方に位置取った。
——気の奔流が起こる。
マルギッテは紅、松永先輩は蒼——しかし、今回の水上体育祭において気を用いた攻撃や身体強化は無しだと厳命されている。あくまでも気丈を表したもので、瞬きの間隙で凪が起こり、
「——ふんっ!」
「——はぁ!」
真逆の色を持った二人がぶつかり合う。
「トンファー・キック!」
「それトンファー関係ないよん! ——せい!」
二人の戦いが始まれば自分に出来ることはマルギッテに言われた通り、合図に合わせて飛び込むだけだ。
松永先輩と交渉したもう一人の三年は動く気配は無いが注意することに越したことはない。
「トンファー・ムーンサルト!」
マルギッテは苛烈な連続攻撃を繰り出すが、松永先輩は暖簾に腕押しで紙一重で避ける。紙一重とは言うが、それは反応速度の限界を表しているのではなく、むしろ、見て避けることが可能な攻撃であるためのように思える。
「トンファー・ブリッツ!」
三連撃——顔、鳩尾、刈り取るような膝間接蹴りは最後の一撃が松永先輩に入るが、上手く衝撃を逃されている。
「……」
時として熱くなるマルギッテだが、その本質は軍人、どこか冷静な部分を残しているはずだ。故に、側から見れば華麗に避ける松永先輩に無謀に攻撃を仕掛けていると思われがちだが、あの一連の中にも意味があるはず。
果敢に攻めるマルギッテと、傍観している自分——それは、未だ動きのない自分の気配から松永先輩の気を逸らすため。
「トンファー・マールシュトロームッ!」
クロスガードの上からマルギッテの強烈な掌底突きが入る。
「——っく!」
芯のこもった一撃に、さすがの松永先輩も堪えたのか僅かに眉根を歪ませた。衝撃を逃すために地面から足を離し、
「——''3(drei)''!」
反射的に動き始め、松永先輩の元へ向かう。
「 Hasen Jagd 」
もはやマルギッテの動きを考えている暇はない。
飛び込むように松永先輩の脚に絡みつく。
「わぁっ!?」
水上舞台の端まで三メートルほど、このまま押し切るつもりで体重を掛ける。
「ちょっと待って待って! キミ、どこに触って——」
たしかに女性の下半身に抱きついている形になっているが、最低限の倫理は守っている。
腰を入れ、そのまま押し込んで行く。
「……これはちょっと、不味いかな」
左手で挟んでいたはずの松永先輩の右脚がいつの間にか抜けている。
首に暖かい感触——鎌のような脚が自分の上体を挟んでいる。平均より高い身長を持つ自分の身体にそう出来るのはスタイルの良さもあるだろう。
「ナッ、トウ!」
何だその掛け声は? ——そう呟きたいが、宙で横回転した松永先輩によって自分の身体は放り出されている。
手も足も舞台床に届かず、このまま落ちるしかないだろう。
「——トンファー・キック!」
稼いだ数秒、マルギッテは十分な溜めを持って蹴りを繰り出す。
掌底突きとは比べものにならない一撃だ。
「甘いッ!」
しかし、身体を右に傾けた松永先輩は寸でで交わした。
「なっ、今の一撃を!?」
驚いたままのマルギッテがこちらに飛んでくる。
「……」
距離はそう遠くない。
自分も、マルギッテも、松永先輩も二、三メートルの範囲にいる。
最後まで油断しない松永先輩は直ぐに離脱するだろう。
不意に——頭を過ぎったのは舌が苛ついた記憶。
「——マルギッテ。手を出せ」
自分の言葉を疑わずに手を伸ばしたマルギッテの手のひらを掴む。
重心を下に落とし、踵で床を強く蹴って松永先輩に肉迫した。
「……っ」
マルギッテを前方へ投げ、自分は松永先輩の腕を掴む。今度は離さないように注意し、背後へ引っ張った。
マルギッテが味方の状況で本当に良かった。
「はぁぁぁ!」
半ばタックルと見間違う彼女の肘撃ちはたしかに松永先輩に当たる。
今度こそしっかり松永先輩を固定して自分は再び宙に放り出された。
「いつぞやの久寿餅の恨み、晴らさせてもらいますよ」
さらにワンプッシュ。
この人は最後まで勝ちの方法を模索するはずだ。その時間を作らせないためにも水上舞台の側面を蹴って落下速度を上げる。
松永先輩はギリギリまで自分の拘束から逃れようとしていたが、さすがに気も使えずに逃げ出すのは難しかったのだろう。
諦めるように呟いた。
「もう、予想してなかったパターンだよぉ〜」
久しぶりに潜った海は、とても気持ちが良かった。
三十一、
「はぁ、塩っぱいな」
唇に付いた海水を拭い、濡れた髪を振った。
松永先輩は既に自分のクラスの方へ戻っている。二言三言話したが、久寿餅パフェの恨みを晴らせたので特に思うところは無かった。
さて、自分は水上バトルロワイヤル脱落だが無事マルギッテが残ってくれた。生き残ったもう一人の先輩も頭は回るようだが松永先輩ほどの戦闘力は無さそうなのでとりあえず三位は硬いだろう。義経も間違いなく最終戦まで生き残るはずだ。
「お疲れさま」
弁慶がタオルと水筒を自分に手渡してくれる。
「久しぶりにあそこまで身体動かした」
「松永先輩を落とすなんて中々の活躍じゃん」
「殆どマルギッテのおかげだな。彼女が味方じゃなかったら、多分蹴りが避けられた時点で負け確だった」
「まぁでも、これでSクラスの確実な総合優勝は繋がったということで……いやはや、さすがに源氏組幻のシックスマン」
「四人目と五人目はどこに行ったんだよ」
他愛もないことを話しながらクラステントに戻る。
「戻ってきたか、左武よ! 松永燕相手に素晴らしい動きだったぞ!」
豪快な笑い声とともに労ってくれたのは九鬼だ。他のクラスメイトもまばらに拍手で迎えてくれ、自分も小さく手を挙げて応えた。
「全部マルギッテのおかげだから、賛辞は彼女に言ってくれ」
「何を言うか!
たとえ命令や指示をされた動きでもあっても、それを実行出来るかどうかは自分自身。つまり、左武あっての勝利だと言う事実は揺るがぬ。お前がどうであれ、この賛辞は素直に受け取っておくが良いわ!」
「あー……そうか、ありがと」
自分がこれだと決めたことは曲げず曲げられないのが九鬼の性質だ。
マルギッテあってこそだという自分の意見も変わらないが、一先ず礼を言って身体を休めることにした。決して隣で睨みつけるようにこちらを見ていた忍足が怖かったとかではない。喉が渇いていたのだ。
「CDブロックでは誰が生き残るやら」
義経の勝利は疑っていないが、他クラスメイトと同じように声援を贈るのであった。
三十二、
榊原はCDブロックで落とされてしまったが、最終戦では義経とマルギッテがいたため危なげなくSクラスは一位と二位のポイントを得ることが出来た。総合優勝すると学園側から景品もあるとのことなので今から楽しみである。
特別自分は拘っていなかったが、自身のクラスが優勝したということもあり最後の遠泳は気楽に泳げそうだ。
「後で義経に怒られても知らないからな」
と、思っていたのだが砂浜から平泳ぎを始めてから暫く、無賃乗車してくる輩が現れた。
「大丈夫大丈夫。主は川神一子と前で競ってるし。
むふふ、楽〜」
まぁ、背負って泳ぐらいは問題ないので自分は構わないのだが。
「そういえばボール投げの景品は分かったのか?」
「聞いて驚け川神水。しかも松竹梅シリーズのちょっと良い奴なんだよね」
「九鬼との共同開催だからな。これは総合優勝の景品も期待出来そうか?」
「クラスの人数分用意されてるから一人一人の良さは減りそう。食券かQUOカードに右文の映画鑑賞二時間をベット」
「勝手に賭けるなよ。観たい映画があるならいつでも呼んでくれ」
「今の時期は春映画がたくさんDVD化されるから溜まってんだよねぇ」
「新作映画も良いが、昔の映画も観たいな。この前見た『コーヒー&シガレッツ』みたいなの」
「私もあれ好き。ぼーっとしながら観れる」
「新作映画鑑賞会のときはあんな感じのやつも挟んで来てくれ」
「良いよ。暑中見舞いは弁慶’sセレクトということで」
最近は弁慶の影響もあって映画好きになったような気がする。面白い映画を知ると、似たような映画も観たくなり他の作品を探すのだ。すると今度は共通するキャストの映画を見始めるようになりたまに一日で五、六作観ている時もあった。
「あぁ、映画と川神水の話してたら呑みたくなってきたぁ」
「遠泳が終われば帰れるぞ」
「ギアチェンジ機能無いの?」
「軽量化パージなら一つ」
「浮力調整機能なんでパージ出来ませーん」
弁慶は離れんと言わんばかりに首に回していた腕に力を込めた。
「お前な……」
鼻唄も歌い始め、陽気な弁慶に呆れてつつ手足を動かす。
ちょうど折り返しが見えてきた。
先頭集団はもうゴールしているのだろうか。
時折自分の上にいる弁慶に驚いて過ぎていく人たちに何とも言えない反応をしながら、自分もゴールを目指す。
海で泳ぐと一気に夏休み感が増すの自分だけだろうか。
遠泳が終わり、水上体育祭もいよいよ終わりを迎える。
閉会式では開会式と同じように学園長が今日の講評を行い、そして最後に総合ポイントの順位が発表された。
『総合優勝は——二年Sクラス! 最終種目である水上バトルロワイヤルにて、大きく突き放して優勝じゃ!』
祭りの後の雰囲気は嫌いではない。
撤収作業の風景と、どこか名残惜しそうに帰る参加者たちは来年もまた、そして別の祭りを楽しみに足を進める。そんな人々を見守るように差す夕陽も情緒豊かである。
水着から制服に着替え、砂浜から駅へと繋がる階段で地平線を眺める。
昔は海と空の境目から、何かとんでもないモノが出て来そうだと与一的なことを思っていた。
「——右文君」
自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。義経だ。
「早かったな」
「そうか?」
一緒に帰ることを約束していたため、彼女たちが着替え終わるのを待っていたのだ。
先ほどまでいた与一は適当に土産物屋に行くと言っていない。
弁慶の姿が見えないはシャワーに時間がかかっているのだろう。
「今日はどうだった? 楽しかったか?」
「ああ。ここまで規模の大きな祭りに参加するのは初めてで、どの競技も見ていて楽しかったぞ」
「まぁ、この規模の体育祭は他には無いだろうな。座るか?」
「お隣、失礼するぞ」
人影は少ない。暫く二人で座っていても大丈夫だろう。
「こうやって海を見ていると、島での暮らしを思い出すんだ」
「どこから見ても海があったもんな。特に自然の暮らしは郷愁に駆られる」
「遠泳のときも、本当はもっと泳ぎたかったんだ。あと十週は出来たぞ」
「それは言い過ぎじゃないか?」
「嘘じゃない、本当だぞ? 義経が泳ぎを得意なことは右文君も知っているだろう?」
「東島まで義経がとんでもない速さで往復してきたのは覚えてる。あと何かイルカのお供もいたし」
「ヨシユキ君とヨシアキ君だな! たまに大扇島の海にも来てくれるぞ!」
「まじかよ……」
動物に好かれやすいのは知っていたが、海の生物にもそれは適用されるらしい。
「自分はあれだな、海を見ていると義経たちに貰ったレイを思い出す」
レイとは小笠原諸島独自の文化であり、生花と茎で編んだ花輪のことだ。
本島へ帰る際、仲良くなった島民たちからそれを貰い、出航したフェリーから投げ落とす。綺麗な見た目なので持って帰りたくなるが、それをすることでまた小笠原諸島に帰って来る、という証になるのだ。そのため、諸島から見送ってくれる島民は皆、本島へ帰る人々に「さようなら」や「また会おう」ではなく「いってらっしゃい」と告げてくれる。
「右文君はいつも帰るときに首が大変なことになっていた」
「おかげ様で確実に諸島に流れるよう投げられるようになったけどな」
祖父母から一つ、義経たちから一つずつ貰っていたので四つ、大器さんと昌子さんからも一つずつ貰っていた。帰る度に六つの花輪を付けてフェリーに乗っていたため地味に目立っていた。
「あのレイはいつ作ってたんだ? たまに源家には泊まったりしてたけど、全然その様子が無かった」
「それは内緒だ。渡すときにビックリして欲しいからな」
「いつかその様子を見ようと企んでたんだが、結局無理だったな」
「義経たちは鶴だぞ? 絶対見られないように工夫している」
「鶴は見られて帰るが、義経はどこに帰るんだ?」
「どこだろうなぁ。京かもしれないし、ひよどり台かもしれないし、平泉かもしれないぞ?」
「義経が行方不明になったら、真っ先に五条大橋の下を覗きに行くよ」
「どうして下なんだ!? せめて義経らしく欄干の上に……は迷惑だから、普通にいるぞ!?」
「いや、途方に暮れて体操座りしてる姿が容易に想像出来るからな」
「うぅ……右文君はいつも義経にそういう想像をする……」
「どうしてだと思う?」
「教えてくれるのか?」
「——いや教えない」
「凄い早口で言ったな! 何となくわかってたけど!」
義経は……そうだな、小型犬的可愛さがある。たまに無性にモサモサとしたくなるアレだ。大型犬的凛々しさも持っているが、とにかくモサモサしたくなる。
その反応が面白くてついつい弄ってしまうのだ。
弁慶も同じはず。
「はぁ……ふふ、でも変わらないな。右文君は」
義経は続ける。
「男子、三日会わざれば刮目して見よ。与一も変わったのはいきなりだった。だから、川神学園で右文君のことを聞いたときは、義経と昔みたいに話してくれるのか少し心配だったんだ。でも、こうやって海を見ながら言葉を交わしていると変わらない。義経がよく知っている右文君だ」
「再開してから三ヶ月経ってるぞ?」
「右文君が来てくれなかった二年という歳月は到底三ヶ月で埋められるものじゃないぞ」
義経は頬を膨らませ、自分とは反対方向に顔を向けながら言う。
「変化は素敵なことだと思う。与一も何だかんだ楽しそうにしているから」
源氏組の中でもある意味川神に一番適応しているのは与一だと思う。
「そう思っている。そう思ってはいるが、義経はどうしても右文君に尋ねたいことがある」
義経は振り返って、自分と目を合わせる。紺色の瞳が真っ直ぐとこちらを射抜き、強かな意志を感じた。
「どうして右文君は————武術を辞めてしまったんだ?
義経は何年も君と手合わせをして、右文君がどれだけ本気で向き合っているのか知っていた。どんなに君が考え、強くなろうとして、負けないための努力していたのか知っている。だからこそ、それを、それが……止まってしまった理由を義経は知りたい」
「……」
「松永先輩を落としたときの動きに、義経は昔の右文君を重ねた。怪我をしたんじゃないかとも思ったけど、そうではない。
義経が踏み込んではいけない理由なのかもしれないが……でも、君だから、義経は知りたいんだ。わがままだってことは、分かってるんだけど……」
誰かの心に踏み込むのは難しいことだ。
扉があって、鍵があるのか、無いのか、どんな形なのか、中に何が置かれているのかは当人以外に知り得ない。
だから、義経は卑怯だ。
丁寧な出立ちで自分の心に踏み込んでこようとする。靴を揃え、手土産を持ち、ノックする。そんな高潔な姿に抗える者はいるのだろうか。きっと、いない。
故に、彼女の前では格好付けたくなる。
何でもないように装って、気にしていない素振りをして平静を気取るのだ。
「——」
思えば昔からそうだった。
愚直なまでの真っ直ぐさに自分は興味を惹かれ、毎年小笠原諸島に訪れる度自分は義経に勝負を挑んだ。
幸い、勝ち越すことは多かった。
自分には常に武術を教えてくれた人が——家族がいたからだ。それに加え、もちろん義経も当時から九鬼の教えを受けていたであろうが自分ほどではなかったはず。
義経(じぶん)を作るため、必要最低限の干渉だったのだろう。だが、義経のこの気質は源義経や英雄だからといったものは関係ない。彼女がそうであるから、この羨ましいほどの純潔さがあるのだ。
いつも通り、片手を適当に振りながら「特に理由なんてない」と言えれば、どれほど楽だっただろうか。
彼女には嘘を吐きたくない。そして、弱味も見せたくない。
思わず口を噤んでしまう。
「すまない……答え辛いことを聞いてしまった」
申し訳なさそうに言った義経に、自分は反射的に言った。
「——そうじゃない。義経には言いたくないとか、言えないとかそんなことじゃないんだ。言えば、口に出してしまえば、ただそれが自分の中で過ぎて行くだけのものになりそうなんだよ」
だから、自分はまだ受け入れられないでいる。
受け入れてしまえば後はもう過ぎて行くだけで、いつの間にか消えてしまうように思えるからだ。
「本当、難しいよなぁ」
自分たちを超えて海鳥が飛んで行く。
彼らはどこへ行くのだろう。
海上には島の影もなく、宿木もない。それでも必ず目的地はあると知って飛んで行く海鳥を——自分は羨ましく感じた。
三十三、
翌日——僅かに残った疲労感と相談して今日は落ち着いて過ごすことに決めた自分は遅めの朝食を作っていた。早めの昼食ともいえるが、欠伸を掻きながら怠惰を貪っていると今の時間になってしまったのだ。
中途半端な時間であるため今日は二食にすることに決め、目玉焼きを蒸しているとスマホが鳴った。
すぐに電話だと把握した自分は表示された名前を見て耳に当てる。
「もしもし」
『おはよう。右文君』
「おはよう——義経。久しぶりの電話だな」
『えへへ、最近では弁慶に手伝ってもらわずとも掛けられるようになったぞ』
「大きな進歩だ。さらにメッセージを送れたら免許皆伝をあげよう」
『本当か? なら頑張らないとな』
フライパンに被せていた蓋を取り、良い感じに黄身が固まっていることを確認すると皿に上げた。
『実は今日電話をしたのは、右文君をバーベキューに誘いたかったからなんだ』
「バーベキュー?」
『うん。昨日の夜、お父さんとお母さんが来てくれた思い出作りにバーベキューをすることになったんだけれど、右文君の話をしたら是非連れて来なさいって。右文君さえ良ければ、明後日の夜は大丈夫だろうか?』
「特に予定は無いが……良いのか? 親子水入らずのところにお邪魔して」
『邪魔なんて言わないでくれ。お父さんもお母さんも、君のことは五人目の子供みたいな子だって言ってたぞ』
ありがたいことを言ってくれる義経と二人には悪いが、弁慶の幻のシックスマン発言を思い出してしまった。
切り替え、話を真面目に聞く。
「明後日だな。持っていた方が良いものとかはあるか?」
『食材も道具も九鬼が用意してくれるから手ぶらで構わない。当日は……家に迎えに行こうか?』
「大扇島の場所は分かる。中には入ったことがないから出入り口まで来てくれると助かるかな」
『了解した。義経がしっかり案内するぞ!』
「頼んだ——」
その後、自分が食事の準備をしていたことに義経が気付いたため電話を終えた。昨日のこともあり、普段通りに話せるか心配だったが杞憂に過ぎなかった。
明後日は久しぶりに大器さんたちに会えることもあり楽しみだ。それに、九鬼に入れるのも中々の体験だろう。当日は何を食べられるのか期待しながら自分は食事を摂るのであった。
三十四、
大扇島——。
世界三大財閥の一つ、九鬼財閥の頭目たる九鬼一族が住まう極東本部が安置する人工島である。その出入りは徹底管理されており、正面玄関たるや巨大な建造物はミサイルを弾く機能があるやら何やら噂されている。この大扇島に入るためには主に二つの道を選ぶことになる。
一つ目に、九鬼と提携する企業も多くが出入りする鷹見つばさ橋だ。この橋は事前申請が無い限り徒歩で入ることは禁止されており、自動車のみの通過が可能になっている。テロや犯罪の抑制のため、厳しい規則を定めているとテレビで言っていた気がする。
二つ目に、主に九鬼の関係者が使用する地下通路の道だ。こちらは事前申請というか、そもそも九鬼が許可した人間しか出入り出来ないため鷹見つばさ橋より出入りが限定される。義経たちや九鬼英雄、紋様なんかもこちらから出入りしているらしい。
今日、自分が利用させてもらうのは後者の地下通路であった。
「——あそこが九鬼財閥の看板名物ともいえる本社ビルだ。よくスーツを着た人たちも出入りしているが、低階層は商業施設になっているから義経たちもたまに利用するぞ」
「コンビニとかか? 自分なら毎日通いそうだな」
自分がそう言うと、少し後ろを歩いている与一が説明してくれる。
「一般的な生活から逸脱していなければ、俺たちが必要なものは九鬼が用意してくれる。俺も精々あそこを利用するのは『とある』のコンビニコラボのときくらいだ」
「私の川神水は実費だから週一は必ず行くんだよねぇ。あそこの酒屋は品揃えが良い」
「面白そうなものがあるといつも弁慶ちゃんが教えてくれるもんね。この前も私の好きな作家さんの最新刊が入荷されてるのを教えてくれて助かったんだ」
「いえいえ、偶然清楚さんが話してた作家の名前が目に入ったもので」
「特定の人しか利用できない場所にあるのに、品揃えは変わらないんですね」
「従者部隊だけで常に百人近くはいるからかな? 研究者の人も含めると……どれくらいだろう? でも、金柳街の人並みに負けないくらいの行き交いはあるよ」
うーむ、さすが九鬼財閥。来る前に想像していたよりも規模が大きい。
「清楚先輩たちの部屋も本社ビルに?」
「私たちは本社ビルから抜けた先にある九鬼の人たちも住んでる方のビルだからもう少し先なんだ」
本社ビルは仕事用で、九鬼一族も住んでいる居住区的なビルも存在するようだ。研究所なども含めるととんでもない敷地面積を誇る人工島だ。
清楚先輩たちも九鬼一族と同じ場所なのはやはり特殊な立場だからだろうか?
「そのおかげで鍛錬をサボればヒューム卿とかにバレるんだよね……」
「それはまた別の問題だからな」
出迎えに来てくれた四人と共に十分ほど歩くと本社ビルに差し掛かる。都心で見慣れぬほどの高さと分厚さを持つそのビルはそれだけで九鬼財閥の頑強さ的なものを感じさせた。
噂にあるミサイル云々もこの様子だと真実に近そうだ。
さらに歩き、様々な役割を持つ施設を軽く説明されながら目的地に到着した。
「着いたぞ。このビルが義経たちの部屋がある場所だ」
本社ビルのインパクトに比べて控えめな大きさだが、それでも九鬼一族が住まうに相応しい高級感を漂わせた近代的なビルだ。
横幅の広いガラスドアはまるでホテルに来たと錯覚させるほどだった。
エントランスに入ってすぐ、義経が珍しく建物内で早足となった。
「お母さん、お父さん! 右文君が来てくれたぞ!」
「こらこら。こんな所で走っちゃダメよ」
「いつまで経っても慌てん坊だな、義経は」
義経が駆け寄った先、優しい声音で彼女を注意したのは義経たちの両親である大器さんと昌子さんだった。
「うっ、ごめんなさい。早く知らせたかったから」
「その気持ちは分かっているよ。久しぶりだね、右文君」
「少し見ないうちにずいぶん大きくなったねぇ」
自分たちも義経に続くように二人の前に立った。
「お久しぶりです。二人とも元気そうで良かったです」
「右文君も昌子が言ったように背が高くなったね。もう、私より高いようだ」
「はい。ちょうど川神学園に入学したくらいで背が伸びまして」
「小さい頃も格好良かったけど、またさらに磨きがかかったんじゃないかしら? 女の子たちが放って置かなさそうだわ」
「いえいえ、自分なんか全然。昌子さんも昔と変わらずお綺麗で」
「あら、そうかしら? 島のミネラル豊富な食べ物を食べてるおかげね」
たとえ自分がどれだけ成長しようとも、この二人を前にして頭が上がることはないだろう。それだけお世話になった二人なのだ。
自分が義経たちと遊びに行った日は昌子さんがお昼ご飯や冷えたスイカを準備してくれていたり、夜は大器さんが清流に蛍の観察へと連れて行ってくれたこともあった。都市部では見れないような星空の下、自分たち五人に夏の星座を教えてくれたのは今もたまに夜空を眺めていると思い出すことだ。
父島には祖父母も住んでいるが、この人たちにはただの友人の両親ではない感情があるのは事実だった。
自分が次の言葉を探していると大器さんが少し近付いて、小声で言った。
「君の両親のことは左武夫妻から聞いている。私も昌子も、右文君は義経たちと同じ五人目の子供のようだと思っている。だから、辛くなれば遠慮せず頼って欲しい」
昌子さんの隣にいる義経はそんな大器さんを不思議そうに見ており、清楚先輩と与一は一歩引いた位置にいるため聞こえていないだろう。今の声量だと弁慶もおそらく断片的な部分しか聞こえなかったはず。
投げ掛けられた言葉に思考が止まり、何を返せば良いのか分からなかった。
そんな自分の様子を察したのか大器さんは切り替えるように話を振る。
「さて、私たちと話すのも良いが義経は今日、右文君を部屋に招くつもりだったんだろう?」
「あっ、そうだった!」
「バーベキューまでまだ時間がある。義経たちと右文君の学園生活についてはそのときに聞かせてくれないか?」
「せっかく昨日あそこまで綺麗にしたんだから、ちゃんと見てもらわないとね」
「お、お母さんっ。それは内緒にしてって言ったのに!」
「あら、そうだったかしら?」
「もう……」
親の前では英雄といえど形無し。
学園とは違う義経に思わず優しい目を向けてしまう。
「ち、違うぞ! 試験前とかはたまに疎かにしてしまうときもあるが、出来るだけ毎日掃除するようにはしてるんだ! だから、今日だけ特別に掃除をしたとかではないぞ!」
「分かってる分かってる、自分は分かってるから大丈夫だぞ。じゃ、二人のご好意に甘えて義経の部屋に案内してくれ。昨日掃除した部屋を」
「誰が聞いても分かってない言い方じゃないか……うぅ……」
とぼとぼと歩く義経に弁慶と並んでついて行く。
「清楚と与一は行かないのかい?」
「私は時間まで二人と話したいな」
「今さらあいつの部屋に行っても見るべきものはない。俺は時間が来るまで惰眠でも貪るさ」
「じゃあ、ここで少し話していようか。与一も時間に遅れてはいけないよ」
「ふっ」
そんな会話を背後で聞きながら、自分はエレベーターに入ったのであった。
「義経らしく質素な部屋だな」
十畳を若干超えるか、特別大きいわけではない部屋には基本的な生活家具とノートパソコンが置かれている。一人暮らしにしては大きなテレビだとは思うが、自分も大きなサイズを選んだので好みの問題だろう。
「これ、使えるのか?」
自分が指差したのはノートパソコンである。
「弁慶や与一みたいに色々は使えないが、動画くらいは義経でも見れるようになったぞ」
「弁慶ちゃん、苦節半年の教授」
「頑張ったんだな」
義経は未だにゲームをピコピコとしか出来ず、携帯も電話くらいしか出来ない。ただ理解出来ないとかではなく、なんかこう、因果的なものが関わってるんじゃないかというくらいの機械音痴なのだ。ご飯にふりかけを掛けただけにも関わらず、何故か小火が起こるといったレベル。
それを半年で動画サイトの利用まで持って行ったのだから弁慶の苦労は計り知れないものがある。
「招いてもらった立場でアレだが、特に感想は整頓されてて綺麗以外は無いな」
「昨日、弁慶にも同じことを言われた。やはり何か見栄えの良いものを置くべきだろうか?」
「んー……まぁ、自分の家も漁れば面白い物は出てくるかもしれないが、特別変な物を飾ってるわけでもないからな……」
義経の趣味は彼女らしく、鍛錬や笛、人助けといったものも入ってくるだろうか。与一のようにサブカル趣味があれば目の楽しい部屋になるだろうが、自分の身体と少ない道具で完結してしまう趣味で部屋を彩るのは難しい。
「でも、テーブルゲームは結構揃えているんだぞ」
義経は棚の上に置いていた人生ゲームやカードゲームなど見せてくる。
「へぇ、義経もそういうのやるんだな」
「主は私たちの中で遊び大臣担当だからね。川神に来てからは暇な従者部隊の人も誘って遊ぶこともあるよ」
自分がやったことのあるテーブルゲームといえば精々トランプや人生ゲームくらいのため、推理が入ってくるゲームやサイコロを使ったゲームなどは面白そうだ。
誰かと遊ぶためのものがあるのは義経らしく、そしてこの流れだと弁慶の部屋も気になってくる。
そのことを彼女に伝えると、弁慶も部屋を見せることは想定していたのか頷いてくれる。
義経の部屋を後に弁慶の部屋の扉を潜った。
「我が城へをようこそ」
「その言い方だと与一みたいだぞ」
「うっ、思わぬ攻撃が……」
間取りは義経と殆ど同じであり、向かい側にあるため窓の位置が少し違う。寝ることが好きな彼女らしくベッドはしっかり目のもので、タオルケットが置かれていた。
「このDVDの数は凄いな」
手を広げた程の大きさを持つテレビの横にある二つの棚には趣味である映画のDVDが敷き詰められていた。大きくジャンルで分かれ、その中も制作年代で整理されている。
借りて来ているDVDも多いと言っていたが——現に自分の家に持って来ていたDVDはレンタルが殆ど——、気に入った作品は購入しているのかもしれない。
「観てる作品も多いけど、とりあえずBGMがてら流しながら寝落ちするのが最高なんだよねぇ」
弁慶の言ったように、好きな映画を見ながら悠然と夢うつつに入っていくあの瞬間は妙に抗い難い力がある。初めて観た映画ならば当然後日にでも観直さなければならないのだが、あの漠然とした、まるで揺籠のような時間の停滞は魅力的だ。
「休みの間に誘うから、そのときはおつまみシクヨロ」
「自分的には従者部隊の人が作ってくれた奴が良いなぁ」
コンビニやスーパーも美味しいものはあるが、一人暮らししている手前他人の手作りは妙に新鮮だった。
「通行手形だから。今日は特別だけど明日以降、私の部屋の関所を通るには手ぶらはダメです」
「む、空っぽのスナック菓子の袋でも持って来てやるからな」
「おぉ、現代版勧進帳だな! その場合義経は役人役をやるぞ!」
「いや、そこは義経役をやってくれ」
二人と過ごしていると時間はまさに矢のようで、気付けば良い時間になっている。弁慶の部屋から窓を覗けば空は赤く、夕焼けが地平線に消えて行こうとしていた。西日を合図に義経が「そろそろ時間だ」と言い、自分たちは先ほどの場所まで戻る。
既に与一と清楚先輩、そして大器さんと昌子さんの姿があった。
「ごめんなさい。遅れてしまった」
「謝ることないよ、義経。待ち合わせ時間自体はもう少し先だから」
「たまにそそっかしくなる所は相変わらずね。
右文君、二人の部屋はどうだった?」
「二人らしいというか何というか、弁慶の部屋はまた行ってみたいですね。見てるだけでも話が弾みそうです」
「凄いDVDの数よねぇ。まぁ、でも……島にいた頃は趣味らしい趣味も無かった子だから、何か拘れるものが出来て良かったわ」
「……気恥ずかしいなぁ、もう……」
メイド服を着た二人の従者——ステイシー・コナーと李静初がバーベキューの準備が出来たと伝えに来る。
場所は九鬼財閥でも沖が広がり、海を望める景観の良いスポットだった。
言われた通り、既に火の付いた炭が入ったバーベキューコンロと傍のテーブルには一目見ただけで間違いなく美味いであろうとわかるワイルド目な肉と野菜、海の幸が用意されていた。
「バーベキューといえばロックな肉に齧り付いてビールだろっ!」
「と、ステイシーは言いますが夫妻はお酒の方を嗜なまれないとのことなので、今日はソフトドリンクのみのご提供です。御用があればそちらのベルを鳴らしていただくとすぐ駆け付けますので、本日はお楽しみください……行きますよ、ステイシー」
「はいよー。そっちの義経たちの男友達も遠慮しないで楽しんで行けよ。じゃ」
見た目通りの性格をした二人は簡潔な説明だけすると文字通り姿を消した。あの二人だけではないが、九鬼の従者はああして現れ、ああして消えるのが基本技能なのだろうか?
食べ盛りなのは自分も含め、それは義経たちも同じだ。九鬼が用意していた食材は一時間ほどで消え、こちらの様子を見計らって出された杏仁豆腐も堪能させてもらった。
そして、今は腹ごなしも兼ねて手持ち花火を楽しんでいる。
「フッ……紅と蒼の閃光が交わりしとき、逆十字の紋様が空に浮かび上がるという」
「火花の色がどんどん変わっていく! 今の手持ち花火は凄いんだなぁ」
「美味しいご飯に花火に主。これは川神水が進むなぁ」
与一はすすき花火を二本重ね合わせて遊んでいた。義経は火花が変色するタイプに驚いており、それを肴に弁慶はぐびぐびと杯を傾けている。
「ねぇ、右文君。私が持ってるの香り花火って種類みたいなんだけど、匂いする?」
清楚先輩は桃色の火花が自分に当たらないように気を付けながら寄せてくる。
「匂い……?」
通常の花火はただ煙っぽい匂いがするだけだが、この花火は違うようだ。咽せないように注意しながら煙を嗅ぐと、どこか春の香りがした。
「桜? ……違う、か——あぁ、桃だ。桃の花ですね」
「おー、正解。他にもたくさんあるんだよ」
清楚先輩が指差した方向を見ると、桃の花を含め十種類ほど置かれていた。
「結構あるんですね」
イチゴやレモン、変わり種だとカレーやチョコレート。スパイスやカカオの匂いがしそうだ。
そんな花火を見ていると、一つの遊びを思いつく。
「清楚先輩。ちょっと協力してもらっても良いですか?」
「うん。大丈夫だよ」
「では——」
難しい遊びではない。ただ、自分と清楚先輩が香り花火に順番に火を付けて何の匂いか義経たちに当ててもらうミニゲームだ。
三人に気取られないよう、香り花火を椅子の背もたれに隠すように移動させる。
「義経、弁慶、与一」
三人の名前を呼んだ。
「ちょっとした遊びをしよう。大器さんと昌子さんも良ければ是非」
「お、良いのかい?」
「あら、何をするのかしら」
五人が近くにやって来ると先ほど考えた遊びを説明する。
この遊びは思いの外受けが良く、一番正解数が多かったのは意外にも弁慶だった。誰が殆ど無臭の川神水の匂いなど当てられるのか。大器さんや昌子さんは惜しく、与一は散々な結果と言えよう。そもそも答えを言う前の口上が長過ぎるのだ。義経は七割正解とまずまずの結果。
そんなレクリエーションを終え、午後二十一時を迎える前に自分は帰路へ着く。従者部隊の二人に宿泊を勧められたが、家まで然程遠いわけではないので必要なく、車での送迎も提案されたが夜を歩くのは嫌いでは無いので断った。
楽しかった時間に、残りの夏休みはどう過ごそうか鼻唄を歌いながら考えるのであった。
三十五、
本来ならば既に就寝している時間——義経の姿は川神に滞在する間、両親に割り当てられている一室にあった。別に久しぶりの両親と寝たくなった……というわけではない。もちろん、昔のように川の字で寝ることは嫌いではないが、それ以上に尋ねたいことが義経にはあった。
「お母さん。お父さん。少し良いだろうか?」
「どうしたの?」
風呂を済ませ、研究書を読んでいた二人のもとにやって来た義経は話を切り出す。
「右文君のことなんだ」
仲の良い男の子の名前が出たことから二人は若者らしい相談だと思ったが、義経の表情からそうではないと察する。
「何ていうか、言葉にするのは難しくて、説明するのも難しいんだけど……右文君は無理をしているような気がするんだ」
「無理をしている……?」
「……いや、この言い方もあってるのか分からない。とにかく、右文君らしくないというか……」
「義経たちは右文君と二年ほど会えなかったね。『男子、三日会わざれば刮目して見よ』とも言う。与一だってそうだっただろう。右文君は同じじゃないのかな?」
「川神に来てから与一は義経たち以外とも遊びに行くようになった。それはきっと、成長だと思う。主としても、兄弟のように育った与一にそんな友人が出来て嬉しい。
でも、右文君は違う。
どこか……立ち止まっているような気がする」
「ふむ。そうか……」
大器は妻である昌子の方へ視線を向けると、どこか悩む素振りを見せる。それは昌子も同じで、彼女も頰に手を当て考えていた。
「義経はそのことを右文君に聞いたことはあるの?」
「体育祭が終わった後、二人だけで話せる時間があったから右文君が何故武術を辞めてしまったのか聞いた。でも、答えてくれなかった……ううん。たぶんあれは、どこか、言葉にするのを厭ったのかもしれない」
「なるほど。義経に話すことを嫌がった、というわけじゃないんだね?」
「誰かに話すのが嫌なわけではないと、右文君は言っていた。あれはきっと、本心だと思う」
さらに二人は顔を見合わせる。眉根を顰め、どこか深く困ったようで、逡巡している。不自然な沈黙のあと、昌子が大器に呼びかける。
「大器さん。話しましょう」
「だが、簡単に話せるようなものでもないだろう?」
「ええ。だから、義経」
昌子は義経の手を取ると、語り掛けるように話し始める。
「あなたの素直で人を心配する気持ちはとても素晴らしいもの。それは英雄であろうと源義経であろうと、私たちの子供であるあなたが育んできたものよ。でも、その優しさは時折人を傷付けてしまうこともあるの。人は誰しも過去を乗り越えて未来に生きるものじゃなくて、過去をどこかに閉まって忘れたくなるときもある」
「お母さん……」
「右文君もそうかもしれない。だから、私たちが義経に彼のことを話したとして、右文君次第では何も知らないフリをしないといけない場合もあるの。
それでも義経は知りたい?」
人が立ち止まるには数多くの理由がある。怪我や身体が理由で諦めざるを追えなかった場合、自分より巧いライバルにすらなれぬかけ離れた実力者の出現による挫折、何かがきっかけで挑戦の糸が切れてしまったときなど、それぞれである。
だが、往々にしてそういったものは時間経過や自分自身と向き合うことで一区切りがつくものだ。
乗り越え、さらなる飛躍を志す。
開き直り、違うことに挑んでみる。
あるいは一切無かったことと考え、真っ白な道を歩き始める。
だからこそ、そこに他人が介在するということは非常に難しい。それが肉親や兄弟、親友と呼べる間柄であろうとも一ミリでも掛ける言葉を間違えれば最悪の事態へ誘う。故に、その責任は——重い。
「——知りたい。義経は……知りたい。右文君がどう思っているのかは分からない。でも、立ち止まっている右文君を見るのは辛いし、悲しい。そして出来るなら、義経は支えてあげたい。わがままなことは理解している——今は、このわがままを通したい」
義経が悩んでいたのは''右文に何があったのか''ということであり、昌子が尋ねたように''人の深い悩みに関わることへの恐れ''ではない。
覚悟はとうに出来ていた。いや、出来たなどではなく、義経にとって彼の力になろうとすることは最早当たり前で、最初から決まっていた。
義経から向けられた強い瞳に二人は三度顔を見合わせ、頷いた。
「分かった。私から話そう。ただ、この話は右文君の祖父母にあたる左武夫妻から聞いたことだ。もしかすると彼が悩んでいる部分とは異なるかもしれないが、私たちに心当たりがあるのはそれだけだ。しっかりと自分で判断して、右文君の力になりなさい」
「——うん」
一拍起き、大器は語り始める。おそらく右文が立ち止まっているであろう、その理由を。
「事の始まりは、彼が父島にやって来るようになった——」
三十六、
夏休みも後半になり、猛暑が続いているが自分は多馬川の畔にいた。
サンダルを脱ぎ、流れる水に足を浸す。
遥か遠くで入道雲が悠然と泳いでいた。
「ちょうど川神学園の生活も半分だな……」
夏休みが終わり、九月になるといよいよ進路指導がある。十月は後半に文化祭があるため、準備期間も含むと九月半ばほどからクラスの催し物を決めるだろう。そしてハロウィンがやって来て、肌寒くなってきた十一月を越え、あっという間にクリスマスと正月を迎える。
その忙しない流れが好きだった。
この前のバーベキューから義経たちとは会っていない。どうやらまだまだ各方面から九鬼を通じて声が掛かっているらしく、様々な記念式典などに駆り出されているようだ。ただ、今年いっぱい頑張れば来年以降はグンと楽になるらしいので、弁慶も与一も大人しく義経に付き従っているとのこと。今週末までは忙しいと愚痴と連絡があった。
午後はどうしようか考える。
またぞろパフェでも食べに行こうかと思ったが、外食の気分ではない。正確に言えば店内で食べたくないというか、外でピクニック感覚で食べたい。ならばどこかの弁当屋でも行ってそこでお持ち帰りした方が良いだろう。
いまいち決め切れないため、金柳街でも行こうと決意したとき、風切り音が聞こえた。
小さいものではない。
何か、人の頭サイズのもの。
明らかにこちらに向かってきていると判断し、音の方角を見る。
凄いスピードでドッヂボールが迫って来ていた。
「——ッ、と」
手が摩擦熱で焼けるのではないかという回転率にスピード。
——くにおくんか!?
「まずっ!」
「直撃したわ!」
「姉さん、人に当たったじゃないか! ——すみません! 大丈夫ですか!?」
見知った……聞き知った声がする。
「問題ないから安心しろ、直江」
「あれ、左武」
だらけ部同志である直江とは水上体育祭を除き、夏休みでは初対面だ。
「左武だけど、あのとんでもないボールには気を付けろ。普通に怪我するぞ」
「あっ! ほら、姉さんも謝って」
「すまないな、ちょっと熱くなりすぎた。怪我はしてないか?」
「ああ、いえ。それは大丈夫なんで……ところで、それは?」
武神先輩の右手が緑の淡い光に包まれている。どこか見ているだけで心が落ち着く、不思議な感じだ。
「これか? 怪我をしていたら治さなきゃいけないだろ? 私の瞬間回復を他人用に改良したバージョンだ」
武神先輩は瞬間回復という技で怪我を完全回復出来ると聞いたことがある。それに、武神先輩自身の気の多さも相まって何十回も使えるらしい。
武神と呼ばれる技量、有り余る気量に回復能力。シドーかな?
「ということで詫び代りのベホマだ。しばらく夏風邪とか夏バテにもならなくなるぞ」
緑の光が飛ばされ、自分の中に入っていく。一際強く輝くと身体が軽くなったような気がした。
「おぉ、ありがとうございます」
直江にボールを返して自分も立ち去ることにする。
「じゃ、またな直江。もう少ししたら与一も時間が出来るらしいから、夏休み終わりに遊んでやってくれ」
「実はもう予定を立ててるんだよね。アキバまで巡遊する予定」
「それは与一も喜びそうだ——自分はそろそろ行くよ」
二人の背後に見える他の風間ファミリーの面々も待っているようだ。
「あぁ、夏休み明けで」
「悪かったなー」
武神先輩のおかげで普段より身体の調子が良い。なので、七浜まで足を伸ばそう。
海を見ながら昼食を摂る。
カモメに気を付けなければならないが、そういう日も良いだろう。
右文の姿が見えなくなるまで、百代は細長い指を顎に当てながら潜考していた。
その様子を見た大和が首を傾げながら口を開いた。
「どうかした? 姉さん」
「いや、大したことじゃないんだが……」
と、前を置きをして続ける。
「さっき使った技、本来ならしばらく私の気が使った相手に滞留して回復し続ける技なんだ。だから、夏風邪とか夏バテにならないって言ったんだが……あいつに飛ばした瞬間——私の気が消えた」
「えっと、それっておかしいの?」
「んー、おかしくはないんだが、私の気は随分と癖の強い気をしてるんだ。私の技を喰らうと上手く流さなければ気が残って視界不良でもその気を探れば位置が分かる。マスタークラスなら気を散らせるからものの数秒なんだが、あいつはそんなことをした素振りも無い。だから、にも関わらず私の気が無くなったのが不思議でな」
「回復系の技だからとかは?」
「やっぱ考えられるのはそこだよな。今さっき開発した技だからまだまだか」
「今さっき作った奴なの!?」
「安心しろ、人体に影響は無いぞ。実際に回復はしたみたいだから、今週くらいは体調不良にはならないだろうさ。嘘は言ってない」
そこで二人は痺れを切らした風間翔一に呼ばれ、再びドッヂボールを再開することになる。未完成な技であったと思い、百代も大和もその出来事は気に留めもせず忘れるのだった。
三十七、
八月十八日、午前九時三〇分頃——昨夜、大作シリーズの映画をまとめて観たため未だベッドの上で寝転がっていた。
起きているが、意識は覚醒しきっていないような微妙な気分だ。冬場の布団の温もりか、春の陽気な香りでもあれば最高なのだが、生憎と寝室は二時間前に止まったエアコンの残留空気。最悪の気分だ。
これはシャワーでも浴びてから活動した方が良いと考え——着信音がする前よりも早く、光ったスマホを手に取る。
一秒遅れて相手の名前が出る。
「もしもし」
『Guten Morgen(グーテンモルゲン)!。おはよう、右文。まるで今の今まで惰眠を貪っていたような声ですね』
「マルギッテか、おはよう。今日は朝の五時に起きてランニング、帰ってきてシャワーを浴びてから手作りサンドイッチを食べ、今は町内の清掃活動中だぞ」
『ではテレビ電話に切り替えなさい。私がしっかり掃除出来ているか確かめてあげましょう』
「……は、終わって今はお昼寝中だったな」
『まったく。くだらない嘘を吐く暇があるなら、その一つくらいやってみせなさい』
「夏休み前に予定を立てても二割は出来ないタイプだからな」
『ほぅ、では私との約束も嘘であったと?』
嘘——と、言われ直ぐに記憶を遡る。
マルギッテと会ったのは水上体育祭が最近だ。そのときに何かを約束したか……心当たりといえばバトルロワイヤルの優勝商品だが、アレの使い道は先延ばしにしているため関係ない。
ならば、一学期中の——。
「もしかして、休みが取れたのか?」
『少し間がありましたが許容範囲でしょう。最も、あなたから誘ったのだからそちらから連絡するべきでは?』
「あー……任務があるって言ってただろ? 仮に戦場の中心で電話でもすれば面倒を掛けるかと思ってな」
『面倒も何も、邪魔になるほど携帯や通信機を放置しているわけないでしょう。それに、連絡を来れるなら折り返しくらいします』
「そうか、悪い。休みはいつになるんだ?」
完全に忘れていたわけではなく、二、三日に一回連絡するか迷って、その都度邪魔になるかもと思っていたのは事実だ。軍人の仕事などまったく想像が出来ない。ただ、こちらから誘っていて忘れたかのように思わせてしまったのは間違いなく自分が悪かった。
『本日より四日間はフリーとなりました。今はドイツにいるため明日の昼よりになりますが、右文の予定はどうですか?』
「その四日間は大丈夫だぞ。全日遊びに行くか?」
『明日の昼から四日後の夜までドイツ軍式トレーニングを考えておきましょう。どうやら弛んでいるようなので、二学期からは精悍な学生になれるでしょう』
「……明後日はどうだろう? 場所は自分が考えておく。待ち合わせは……駅前の十一時で」
『おや、三日半も私の予定を押さえられるのにそれを無為にするのですか? プライベートの猟犬は珍しいですよ』
「さすがにそれはフリードリヒに申し訳が立たん」
フリードリヒも当然マルギッテの休暇を知っているはずだ。時折Sクラスに来るほど彼女のことを慕っているので、そんなマルギッテの休暇を変な男が掻っ攫っていると知られれば始業式当日に決闘を挑まれそうだ。
『冗談はさておき。では明後日の十一時に駅前ですね。どこに行くかは楽しみにしておきましょう。日本人のエスコート、楽しみにしてますよ』
最後にそう言うとマルギッテは電話を切った。
しかし、『日本人のエスコート』か。最後にとんでもない言葉を投げ付けられたような気がする。
マルギッテは自分より歳上で、日本的に考えても成人している。そんな彼女を連れて楽しめる場所といえばどうしても限られてしまうだろう。自分が酒を飲める歳ならば日本酒巡りにでも行ったかもしれないが、それは出来ない。
「遊園地。逆に意外とアリかもしれないな……」
今日は丸一日、マルギッテとどこに出掛けるか考えるのであった。
三十九、
マルギッテから連絡が来た翌日はあって無いようなもので、すぐに出掛ける当日となる。
現在の時刻は午前十時半。
自分が後から来て待たせるのは申し訳ないと思って早く来たのだが——そこにはマルギッテの姿があった。
「随分と早いな、マルギッテ」
「そう言う右文もまだ三十分前ですよ?」
「自分から誘って遅刻は格好付かないだろ? 結局待たせたみたいだが」
「私も先程着いたので待ち時間などありません。しかし、予定は前倒しになりますが大丈夫ですか?」
「七浜まで快速で行くつもりだったが、普通で行こうか。たまには日本の普通電車も良いんじゃないか、うん」
「電車の乗り心地は世界各国大して変わりませんよ」
「ま、そうか……それにしても、マルギッテの私服姿は初見だな。てっきり今日も軍服で来るのかと思った」
白スキッパーのシャツにワイドパンツ。シンプルだが彼女の赤い髪と似合っている。
「そんなわけないでしょう。軍服は私の制服ですが、休日まで着ていると休めるものも休めません。そのくらいのメリハリが無いと軍人はやっていけませんからね」
「それもそうか」
少しだけ時間を掛けて七浜に向かう。快速より普通の方が空いていたので乗り心地はいつもより良い気がした。
七浜駅に到着し、自分とマルギッテは十五分ほど歩いた。ここは赤レンガや七浜中華街もあるのでさして目新しいものがあるわけでもない。それはマルギッテも同じで、どうやら赤レンガのビアガーデンで世界中のビールの飲み比べもしたことがあるようだ。
ビール好きなのはドイツ人らしく、ドイツでは水とビールが殆ど変わらない値段で売られているため昼からビールを飲む国民が多いとのこと。日本では酒は夕食時と暗黙の了解とあるが、ヨーロッパでは水よりワインが常飲されていた時代もあった。環境の違いは文化の変化に如実に現れている。
「——む、このような席で和菓子を食べるとまた違った味わいですね。それに見た目も素晴らしい」
「こちらは練り切りと言って、茶席では代表的な菓子でございます。季節によって見た目が変わるため、春では桜、夏では川、秋は紅葉、冬は雪などをモチーフに作られますね」
「こちらの線が入った水色の菓子は夏らしく、涼し気な印象を受けます。しかし、この二つの金箔は何を表しているのでしょうか?」
「これは天の川だな。彦星と織姫。七夕だけに会える日本に昔から伝わるお伽噺さ」
「左武様の言う通り、こちらは天の川がモチーフです。星の輝きを表現するには金箔を添えてあげるのが背景の優美さにも負けません。夏っぽさの中にどこか寂しさも感じさせるのがこの菓子の役割なのです」
「天の川。七夕と同じ行事ですか」
「ちなみに、天の川を堪能してくださったあとにこちらを転がしていただくと、餡を包んでいた皮が短冊になるんですよ」
「これは……しかし、このようにして良いのですか? 出されたものをひっくり返すのは……」
「茶道では最初から最後まで形式が存在しますが、菓子と茶の楽しみ方に形式はありません。もちろん度を越して下品なのはマナー違反ですが、それ以外は大抵許されるのですよ。
では、お二人の菓子器がお空きになったのでいよいよ茶をお出ししましょう」
自分が午前に選んだのは茶道体験だった。聞いたことも動画などでも見たことはあるが、体験したことはない。そういう人は多いだろう。かくいう自分もそれに当てはまり、茶を煎じたことはあるが正式に茶道をしたことは無かった。
出された茶を音を立てながら飲む。
日本ではラーメンも綴りながら食べるのが美徳とされるが、海外の人は気管に詰まらせてしまう人が結構いると聞いたことがある。茶は麺に比べてマシだろう。
マルギッテも背筋を伸ばして上手く飲んでいる。
抹茶の粉が沈むより早く、三口ほどで全て飲み切った。
「これが本場の抹茶。繊細過ぎて、味わうべき部分を見失ってしまいそうです」
「現代では日本人も飲むと美味しさが分からないと思われる方もいます。どこを味わうべきか、それを理解されてる時点でエーベルバッハ様も十分''侘び''を納めておりますよ」
次に茶碗の説明を受け、茶道体験は終了となる。
覚えるべきことも多いが、何故かたまにやってみたくなる懐かしさがあった。日本人らしいことをしているという、おふくろの味的なものか。
「お二人はこの後昼食もご予定されていましたね。またすぐにご案内させていただきますので、今暫くお待ち下さい。
本日は私、綾小路が務めさせていただきました。また茶道体験をしてみたくなってときなどは是非お気軽にお立ち寄り下さい」
先生役の老女は最初から最後まで非常に丁寧な出立ちだった。言葉尻には慣習だけには囚われない柔軟さもあり、次もあればお願いしたい。
「だが綾小路……まさか麻呂の血縁か……」
「性格は似ても似つきませんが、どこか風貌は似ていたような」
「だよなぁ」
麻呂が綾小路家の突然変異で、他はああ言った人物なのかもしれない。
「マルギッテは正座も慣れてるんだな」
「川神に来る前は日夜お嬢様と時代劇ごっこをしていましたから。将軍、悪代官、時として必殺仕事人……何でも出来ると思いなさい」
ドイツで時代劇ごっこか。日本でもやっている人は皆無だろう。
「フリードリヒは何故あそこまで日本好きになったんだ?」
「お嬢様は幼い頃より騎士道精神を重んじる高潔な精神を持ちます。そこで偶然、ドイツ語に翻訳された武士の出てくる時代劇を見られたのです。悪しきを挫く勧善懲悪、弱者の味方となるその姿は騎士道精神と通じるものがあると理解され、今や騎士道精神と武士道精神の体現者となるべく邁進されているのです」
武士道といえば、仁・義・誠・勇・礼の五つが代表的か。あとは智や考と言った文武と文に属する性質と忠などもそうだろう。
騎士道はいまいち分からない。
レディーファーストとかはどうなのだろう? だが、レディーファーストは騎士が暗殺を警戒するため当時位の低かった女性を犠牲にするため先に入らせていたなどと聞く。まぁ、仄暗い部分は武士も切り捨て御免などあったのでお互い様だ。
「——左武様、マルギッテ様。お昼の準備が出来ましたのでこちらへどうぞ」
軽く雑談を楽しんでいると、従業員がやって来た。
この場所は茶席や陶芸、畳遊びなど軽く日本文化が体験出来る場所となっており、日本料理の提供も行なっている。
午前は思ったより和やかだったが、それでもお固い時間なのは変わらないので午後は少しフランクな所に行く予定だ。
和食のコース料理を楽しみ、自分たちは午後を迎えるのであった。
「たぶん神奈川でも有数の動物園獣(ジュー)ラシア。ここ、好きなんだよな」
「自然環境の再現度は素晴らしいですね。亜寒帯地方での潜入作戦を思い出します。あのときは猟犬部隊の皆で熊を狩りましたよ」
「リアルホッキョクグマは見たことがあるのか?」
「さすがにそれはありません。ドイツや任務地でも精々がここのように飼育された個体。いつか本物は見てみたいですが……」
自分とマルギッテが作動体験の次に訪れたのは獣(ジュー)ラシア動物園という場所だ。
ここは入園者も動物たちの住む環境を楽しめるよう、単に檻で飼育された動物ではなく、非常に広い範囲で高原や沼地が再現されている。中でもアマゾン熱帯雨林は細部までこだわっているようで、よく分からない木の実も生えていた。
後で知ったことだが、九鬼の末妹が気に入って多額の投資をしたため去年から大規模改修が行われていたようだ。
「スマトラトラは名前的にデカそうだが、虎の中でも小さい種類なんだよな」
「トラと聞けば肉食を思い浮かべますが、野生動物の他に木の実や昆虫も食べると知っていましたか?」
「虫も食べるのか? 木の実は知っていたが……クワガタとかだろうか……」
「絶妙に想像したくないところを言わないでください。私も詳しく知っているわけではありませんが、幼虫などを食べるようですよ。幼虫は人間にとっても重要なタンパク質ですから」
「それ胃の中でもとりあえず入れば全部タンパク質と変わらないって奴じゃないだろうな?」
「おや、良い言葉ですね。たしかに咀嚼して胃に入れば全部タンパク質です。今度新人教育で使いましょうか」
とんだゲテモノ食賓クラブになりそうだ。
オセアニア草原のゾーンでは群れのカンガルーが寝転がっていた。マルギッテはどうやらカンガルーの肉も食べたことがあるようで、本場オーストラリアでは普通にジビエ料理として人気がらしい。
臭みが牛豚よりはあるので塩胡椒を塗して半日ほど置き、アルミホイルを巻いて火に突っ込めば美味しいというどこで役に立つのか調理法も教えてもらった。
「右文。乗馬体験なるものがあるそうなので、やっていきましょう」
「乗馬か。やったことないな」
「そうなのですか? 近場で出来る体験はあらかたやってそうでしたが」
「……猪に乗ったことはあるぞ」
母親曰く、本来熊に乗せる予定だったと帰り際に言っていたような気がする。自分を金太郎にしたかったのだろうか。鉞は持っていなかったが。
硬い毛並みを思い出していると、横にいたマルギッテに肩パンされた。
「——痛っ、いきなりどうしたんだ」
「何もありません。早く行きますよ。馬の手懐け方を教えてあげます」
そう言って先に行くマルギッテについて行き、受付を済ませる。
ポニーもいたが、やはり成体に乗ってみたい。
マルギッテは黒一色を、自分は茶白の馬を選んで手綱を引いて広場に向かう。
「そちらの子の名前はドラセナ。他の馬より腕白ですが、力強い走りが特徴的です。君が選んだ馬の名前はツワブキ。この動物園一とも言える体力があって、休園日に走らせている日は半日ずっと走り続けているときもあります。気性も大人しい子なので初めての方にオススメですよ」
男性職員が二頭の馬について説明してくれる。
「よろしく。ツワブキ」
と、声を掛けると嘶くように喉を震わせた。
「良い名前を与えられていますね、ドラセナ。少しの間ですが私があなたの騎手となる。しっかり合わせるのですよ」
マルギッテの言葉にドラセナは黒い立髪を揺らしながら前脚を浮かせる。早く走りたくて仕方ないといった印象を受けた。
「元気でよろしい。右文、どうやらこの子はすぐに走りたいようなので、近辺を一周してきます。その後は共に並走しましょう」
「ああ。分かった。気を付けてな」
「ええ——Vorwarts(フォアヴェッツァ/進め))!」
パカラッパカラッパカラッ、とテレビで使われそうな小気味良い馬の足音ともに赤髪を揺らして発進して行った。
「ドラセナがあそこまで気分良く走るのは珍しいですね。あの方は相当な乗り手だ」
「やっぱそうなんですかね? ドイツ出身なので、馬の扱いには慣れてるらしいです」
「なるほど。ドイツは馬と共存する街もありますからね。ノイシュバンシュタイン城も馬車で行けるとか」
「馬車で移動か。憧れますね」
「日本では基本有り得ませんからね。左武さんも彼女に負けないようご指導をさせていただきます」
「お願いします」
「まず、馬を乗るときは——」
マルギッテが戻ってくる間、自分は乗馬について教えてもらう。
乗馬と言えばフリードリヒの転校初日を思い出す。彼女も芦毛の馬を巧みに乗っていたが、ドイツ人は馬に乗るのが当たり前なのだろうか? いや、たしかあの馬は日本馬鎧が装着させられていた。騎士と馬よりは武士と馬から影響させられたと言われた方が納得出来る。
騎乗から綱を持ち、どう動かせば馬が動くのか教わる。前後左右、停止や発進。それをしっかり理解しているのだから、馬は賢い生き物だ。
ようやく形になってきた頃、マルギッテも戻って来る。
「良い姿です。この短時間でモノにしたようだ」
「そうか?」
「馬の動きとあなたの体感が一体となっている……むしろ驚きました。右文、あなた本当に馬に乗ったのは今日が初めてですか?」
「初めてだ。まぁ、マルギッテが先に乗ってくれたからな。良い手本がいたから見よう見真似だ」
「私も乗馬体験立ち上げからいますが、左武さんのようにいきなり熟達された方は見たことがありませんね。余程乗馬の才能があったか、ツワブキとの相性が良かったのでしょうか?」
たしかにツワブキは素人の自分でも乗り易い。
「とは言えいきなり走らせるのも危ない。今日は常歩です」
「時間になりましたらお声がけしますので、それまではお楽しみください」
手綱を動かしてマルギッテの方へ寄せる。ツワブキもドラセナも一緒に暮らしているため気にする様子もなく、一瞬鼻を寄せ合ってまた前を向いた。
「さぁ、行きますよ」
足首で腹を撫でてやるとツワブキもドラセナに沿って歩き始める。そのまま続けて左右の脚で歩く合図を送り、十メートル付近を超えてツワブキの歩調に任せる。
「乗馬が趣味な人の気持ちも分かるな」
「自転車やバイクとは違い、生き物と共に走れるのは中々無い体験ですからね」
「ああ。これは定期的に来るかもしれない」
弁慶の影響で映画好きになったが、今年は趣味の増えそうな年だ。
「乗馬といえば、義経が乗った姿も見てみたいな……」
父島では見ることは無かったが、義経伝説に馬は決して離せない。かの英雄は何をするにしても人馬一体であり、それによって過酷な戦場を生き抜いてきた。義経が乗馬を出来ないとは思えない。
「ふむ、たしかに那須与一の弓術を見れば義経の馬術は気になりますね。本人の実力も伝承通りならば、卓越した馬捌きを見れそうだ」
もし次獣(ジュー)ラシアに来ることがあればそのときは義経も誘うとしよう。
「そういえばさっき職員の人がドイツは城に行くまで馬車で行けると言ってたんだが、本当なのか?」
「本当ですよ。城下町では景観を残すためにあえて石畳の場所もあります。石畳は車で入ると割れてしまうので、ある地域からはむしろ馬車をタクシー代わりにしている場所もあるのです」
「へぇ、日本でいう人力車みたいなものか」
「かく言う私の上司である中将殿、お嬢様の生家も門扉から屋敷の出入り口までは緊急時を除き馬車による送迎です」
どうやらお嬢様は本当にお嬢様のようだ。
「こちらの森林コースを行きましょう。木漏れ日を浴びながらの乗馬は心が安らぐ」
青葉茂る広葉樹の森を二人と二匹で歩く。馬の足音と、時折聞こえてくる動物たちの鳴き声はたしかに心を落ち着かせてくれたのだった。
自分は夜まで遊んでも良かったが、休暇中のマルギッテをそこまで付き合わせるわけにはいかないだろう。今日の予定は獣(ジュー)ラシア動物園までなので、後は川神に戻って解散となる。
「今日はフリードリヒのところに泊まるのか。それは喜びそうだな」
川神駅に帰って来て、流れでマルギッテをフリードリヒが下宿する島津寮に送ることになった。
送ると言っても自分もただの道中に過ぎないのだが。
そもそもマルギッテほどの実力があれば送るも迎えも要らないだろう。
「島津寮は良い所ですよ。管理する方も規律厳しく、それでいて青少年を思い遣っている。お嬢様が一段と成長するにはうってつけと言えましょう。それに何より温泉もある。日本に来てから湯船文化に馴染みましたが、やはり温泉は格別だ」
それは直江から聞いたことがある。
どうやら島津寮では地下から汲み上げた温泉があるらしく、寮を利用している人は入り放題なのだ。勿論男女別ははっきりしているため長時間入浴は迷惑だが、毎日温泉というだけで羨ましい。
知っていれば自分も入寮を希望しただろう。
ただ、島津寮は結局風間ファミリーのメンバーしかいないので馴染むのは微妙そうだ。直江ならまだしも、他の面々とはまったく絡みが無い。
今日の面白かった場所やまた見てみたいものなどを話していると、住宅街でも特に大きな和風建築の建物が現れる。島津寮だ。
「今日は中々楽しかったですよ、右文。少し独特でしたが」
「自分の行きたかったところも入れたからな。ま、楽しんでもらえたようで何よりだ」
「そうですね。今度あなたがドイツに来れば私直々に楽しめる場所をピックアップしてさしあげます。今日より勇猛なドイツ軍人の馬術、身体の芯まで体験させてあげましょう」
「ドイツに行くかは分からないが、そのときはお願いするよ」
「ええ……それで、少し話は変わりますがこれはどうしますか?」
そう言ってマルギッテが見せてきたのは紙切れ——ではなく、『全国温泉巡り二泊三日』と書かれた旅行券だ。
「フリードリヒはダメだったか?」
「『景品や偶然手に入れた物ならまだしも、互いに力を尽くして手に入れた物に便乗は出来ない』と」
「そうか……」
この旅行チケットは先日行われた水上体育祭のバトルロワイヤルMVP賞だ。松永先輩との戦いが大きく評価され、自分とマルギッテのペアが選ばれた。
自分は大して何もしていないのでマルギッテに渡したが、結局どう使うか彷徨ってしまっている。
「またタイミングでも合えば、マルギッテが嫌でなければ適当に行こう。とりあえずそのときまでは持っていてくれ。それまでに使い道があれば使ってくれて構わない」
「そうですか? それなら了解しました。右文と行く温泉旅行も面白そうだ」
「そのときの予定はそっちも考えてくれ。今日は楽しかった」
「こちらも——残りの夏休み、自堕落に生活してはいけませんよ」
「気を付けるよ」
マルギッテと別れ、帰路に着く。
何となくから始まった一日だが、非常に充実した時間だったのは間違いない。
四十、
今日を反芻しながらそろそろベッドに入るか迷っていると、またもやスマホが光る。
最近はよく掛かってくるな。
『ももももしもし! 右文君の携帯電話であっていますか!?』
「いやいや、もう何度も電話してるだろ? 最初の頃に戻ったみたいだな」
『あっ、うぅ……久しぶりだから緊張してしまったんだ……』
義経とこうして話すのバーベキュー以来。先週ぶりだ。
「まだまだトレーニングが必要かもな」
ただ、使用自体は問題なく出来ているので義経の場合は精神的な問題か、どうやって声が通じているのか分からなくて奇妙だ、みたいな江戸時代的なアレが働いているのかもしれない。まぁ、彼女は平安時代なのだが。
『んんっ、それで、右文君に連絡した理由なのだが……二十四日に二人で遊びに行きたいんだ。その、どうだろう……?』
「問題無いぞ。むしろ、始業式まで特に予定が無かったからありがたい。どこに行くとかは聞いて良いのか?」
『当日は義経が右文君の家まで迎えに行くから、お楽しみというやつだな』
「楽しみにしておくよ。持っていく物とかはあるか?」
『動き易い服装と水分補給が出来るものだけ頼む。時間は十三時くらいに……あっ、食べ過ぎちゃダメだぞ!』
義経は念を押すようにそう言うと、約束の日時を確認して通話を切った。
そこで——わざとらしく息を吐く。
別に義経と話すことに気疲れしたなどではなく、最近急に目まぐるしくなった日常に対してだ。
去年、川神学園に入学してからは精々が中学から高校という器に変わっただけで、自分の周囲が変わったとは妙に感じれなかった。もちろん決闘システムや模擬戦など、普通の学校では見られない光景はある。それでも、ただ変わらず落ち着いた——まさしく行雲流水の日々。
去年の夏休みなどは適当に出掛けていただけだったが、今年はちゃんとした予定が多い。
「それもこれも義経たちが来てから、か——」
悪くないと、呟くこともなくリビングの電気を消す。
少し早いが今日は寝てしまおう。
もう直ぐ、夏が終わるのだから。
四十一、
動き易い服装——と言ってもジャージなのだが——に着替えた自分はインターホンが聞こえると玄関扉を開けた。
「右文君、こんにちは!」
「こんにちは、義経。どうする? 一息ついていくか?」
「いや、遠慮しておこう。予約してるのが十三時半だからな」
自分はてっきりランニング的なものか、たしか多馬川ウォーキングフェスタが近いのでその練習に誘われたのかと思ったがそうではないようだ。
外に出る準備は既に整えているため、携帯と財布、鍵だけポケットに入れる。飲み物は途中の自動販売機で買えば良いだろう。
「お昼は何を食べたんだ?」
「今日のお昼はパスタだったぞ。清楚さんが育てたハーブを使って作ってくれたんだ」
「うわ、良いな。食べてみたかった」
「右文君は?」
「コンビニのサンドイッチで済ませたよ」
清楚先輩が作る料理、是非食べてみたい。フレッシュハーブの香りはパスタにとても合いそうだ。
バーベキューの日から今日まで、義経はどこに呼ばれていたか話してくれた。
中でも驚いたのは、逆落としに所縁のある神戸市ひよどり台——そこには当時、義経一派が陣中に使ったとされる大きな切り株と稲荷神社が建てられていたのだが、不審火により消失。その後も再建されるが無法者が住み着き結局区画整理によって取り壊されてしまった。地元住人によって管理はされていたものの、義経たちを招致した神戸市議会がいたく感銘を受けたとかで公式に建造物を建てることになったらしい。
まさに義経ブーム様々である。
「——つ、着いたぞ!」
と、照れる義経を持て囃しながら歩いていると目的地に到着する。
そこは幾種ものスポーツが身の一つで体験出来るとても大きなボウリングの看板が特徴的な運動施設だった。
出入り口を抜け、受付を済ませる。
自動受付で義経が戸惑っていたため、自分も初めてだったが横から教えた。
「なんか意外だな、こういうところに義経から誘われるのは」
「そうかな?」
「義経はラケットとかボールを自前で用意して持ってくるイメージだからな」
自分たちが最初に選んだのはバドミントンだ。恐らく、最後にやったのは一年の後半。雨でグラウンドから体育館に変わったときだろう。
貸しラケットの調子を確かめるつもりでガットを摘む。固くもなく緩くもない。適正が分からないので、まぁ力加減をミスらなければ真っ直ぐ飛ぶだろう。
軽く体操と素振りを行ってからそれぞれコートに入った。
「しばらくラリーを続けてから試合形式をやろう」
「それは助かる。正直、上手く出来るか怪しいからな」
義経が羽根を打ち上げる。弧を描いてこちらに来たので、同じように返した。
「ほっ、と。意外と出来るもんだな」
「ナイスキャッチだ! 義経も負けないぞ」
「まだ準備運動の段階だぞ」
早速熱くなっている義経を尻目に、自分もコートの前後に羽根を落とすように打つ。
ラケットとコートといえば、やはりテニスが一番に思い浮かぶだろう。それと比較するとバドミントンはコートが狭いと感じたこともあるが、こうして打ち合うとむしろ広く感じる。
前に落とした後、義経は見事な反射神経で拾うが、バックハンドで今度は後ろを狙う。
「読めていたぞ!」
だが、もう一度前に落とされることを少しも憂慮せず彼女は既にラケットを深く引いていた。
「——ハっ!」
スパンッ、と衝撃音とともに羽根が飛んでくる。
あの勢いなら、変に振らない方が良いだろう。
当てるだけを意識して……。
「あっ」
羽根は予想通りネットを越えようとするが、際の部分に当たってしまった。
「良いスマッシュだったな。もうちょっと上面に向けるべきか」
「今のを受け止められてたら危なかったぞ」
「次は返してみせるからな」
自分もそこそこ、義経に至ってはスマッシュも打ってきているのでラリーはもう良いだろう。それに、他の種目もいくつか面白そうなものがあったのでそちらも気になる。
「バドミントンはワンゲーム21点マッチだけど、11点マッチで先に二回取った方の勝ちにしよう」
「うん。それくらいで良いと思うぞ」
ジャンケンをして勝ったのでサーブ権を貰った。
もしかするとカーブや回転を掛けるような技術があるのかもしれないが、そんなことは当然知らないのでトスを上げるように打った。
「む——」
何か仕掛けてくると思ったのか、小さく拍子抜けした様子を漏らしながら義経がネットの手前に羽根を落とす。
これは分かっていた。
地面スレスレでその羽根を掬い、義経へと返す。そしてそのまま彼女は自分の後方へ打った。
「——ふッ」
だが、それは自分にとって絶好のチャンス球だ。いや羽根か。
先程見た義経のフォームを思い出し、勢いよくラケットを振った。
「よし、得点は自分からだな」
ちょうど線上に落ちた羽根を見てそう言った。
「くっ、まだまだ——」
出鼻を挫くのは大事だ。特に義経のように乗るとさらに強さを発揮するタイプには。だが、取られてやられたままの義経ではなく、互いに引かぬ一進一退の攻防は三十分ほど続き、結局最終マッチまでもつれて決着が着くのだった。
「まさかあそこから連続失点を許すとはなぁ」
「ふふ、追い詰められて逆に冷静になれたぞ」
最後のマッチ。自分が13点で義経が9点という状況だったのだが、そこから義経の動きが変わった。バドミントンは理解したと言わんばかりに動きにキレが増し、瞬く間に6点取られたのだ。
「というか、奇を衒うのが上手い。後半なんてどこに落ちるのか予測出来なかったから、殆ど見てから動かなきゃならなかったぞ」
「そういう右文君の最後のフェイントは危なかった。たぶん、あそこで取られてたら巻き返されただろう」
土壇場でそれっぽい技は出すものじゃない。結局、最後は自分の弾いた羽根がラインを越えて負けてしまった。
「じゃあ、次はアレだな」
自分が指を差した先にはバスケットゴールがある。
「次も勝つぞ!」
そう意気込んだ義経に籠から取り出したボールを渡す。受け取った彼女は軽快なステップと共にドリブルをして、レイアップを決めてみせた。
「こっちも上手いな」
バスケの経験は学校の授業と、中学のときは友人から誘われて放課後にやっていた程度。まぁでも、ボールを操作するくらいなら問題はない。あとは唯一優っているフィジカルで押しつつ、上手く義経のディフェンスを抜くしかない。
「3ポイントシュートはどうする?」
「無しにしようか。泥沼化しそうだ」
「その気持ちは分かるぞ」
「だろう?」
それぞれ一球ずつ持って動きを確認していたが、一つ戻してパスを出し合う。
久しぶりだが、素人にしてはマシな動きは出来そうだ。
「10ポイントのこれも2マッチで良いか?」
「ああ。それで良い」
「よし、じゃあ——」
ファールライン付近で立つ義経がこちらにボールを投げて来た。どうやら、先攻はくれるようだ。
「行くぞ」
「来い! ——」
「……くぅ、負けてしまった」
「自分の勝ちだな」
バトミントンとは続かず、今度は自分が勝たせて貰った。と言っても点差は全体で二点差……つまり1ゴール差だったりする。試合は終始プッシュしながら義経の攻撃を阻止して、まずは負けない戦い方を心掛けた。あとは散歩したボールを拾いつつ攻守交代して、自分の番は手堅く点を狙ったのだ。
それでも危うかったのだから、さすが義経である。
「でも、何だか……ふふ。島に遊びに来ていた頃の右文君を思い出したぞ」
「……島に遊びに来ていた頃の?」
「うん。右文君って結構な大技を出すけど、戦い方は凄く堅実で、義経は苦手だった。ちゃんと対処しないとあっという間に崩されてしまうからな。だから義経は次の戦いを想定して対策するんだけど、毎回手数の多さに翻弄されてた」
「手数、か。まぁ、それが自分なりの武器だったからな」
自分が武術を教わっていた師は——母親だった。母はその父、つまり祖父から武術を教わっていたようだが自身の持ち味と合わず出奔。そのとき祖父と仲違いしたようだが、自分が産まれてからは再び元の関係に戻ったとのこと。そして、母の持ち味こそが手数の多さ。即ち技の吸収率の速さだった。眼が良いのか、要領が良いのか、それとも勘が良かったのか。そんな性質は自分にも継がれ、母から受け継いだ技と外から盗んで来た技を習得するのに自分は一年と掛からなかった。
武人として実力が上がったことを理解するのは中々難しいものだ。しかし、技の習得は違う。新しい技を得て、次の技に手を出して、そうやって分かりやすく積み重ねていく。それが面白く、自分は必死に矛を奮っていた。
「……右文君?」
視線を上げると義経が顔を覗いている。どうやら、考え事をしてしまっていたらしい。
「悪い」
「ううん。それよりほら、あっちには卓球台があるみたいだぞ!」
「次は卓球か」
「よーし。父島の市民大会で優勝した義経の実力を見せるぞ!」
手を掲げて意気揚々と走る義経を追い掛けた。
きっと、彼女は自分が何を考えていたのか察していただろう。天然なところはあるが、人を見る目は時に中身を見られているのではないかと思うほどのものがある。自分の代わりに気丈に振る舞おうとしてくれているようで、その優しさもまた申し訳なく感じる。
ふと、母が最期に遺した言葉を思い出す。
——『武から離れろ』という、心の内に染み付いて離れない、その言葉を。
四十二、
「楽しかったなぁ」
「結構、色んな競技があったな」
時刻は十七時を過ぎている。夏であるためか、そこまで日は沈んでいないものの、夕方特有の暑さが身を包んでいる。
自分と義経は幾つもの対決? を経て、帰路に着いていた。
勝敗は——同点。
正直、自分でも驚いている。
川神学園に入学してから一年と半年。体育や日常で最低限の運動はしたとはいえ、彼女と勝らずとも劣らずなどと言う気も無く、劣っていると思っていたからだ。意外にも身体はしっかりと動かされ方を覚えているようで、自身の考え通りに動いてくれた。
まさしく、昔取った杵柄とでも言えば良いのか。
「右文君。良ければ河川敷に寄っても良いか?」
多馬川のことだろう。
「何かあるのか?」
「せっかくだし、一曲吹きたいと思ってな」
「久しぶりに義経の笛が聞けるなら、断る理由は無いな」
義経の笛の腕前は武術の腕前と比例して一級、格別だ。それは音楽に全く見識の無い、素人の自分が聞いても「上手い」と分かるほどだ。本島に帰った際、義経の笛を思い出して動画サイトを漁ったことがあるのだが、どうしても同じように心揺さぶられるものは無かった。再会してから頼もうと思うことは何度かあったのだが、そういう芸術的なのは本人の吹きたいと思う気持ちが大事なんじゃないかと頼むに頼めなかった。
僥倖に頷き、早足に河川敷へ向かうこととした。
「義経と同じ曲を探しても見つからなかったんだが……」
「外で気分が乗ったときに吹くものは全部義経のオリジナルなんだ。心の内を晒すようで、ちょっと恥ずかしいけど」
言葉通り、気恥ずかしそうに義経は微笑んだ。
「道理で」
だから見つけられなかったのだろう。例え見つけられたとしても、同じような感動が得られたかは不明だが。
多馬大橋から見える河川敷に辿り着き、暫く河下を目指す。
普段は武神先輩が挑戦者を折り畳んでいる平地でも良かったのだが、義経が静かな場所が良いと言ったからだ。
やがて最低限の歩道が整えられ、自分の背丈よりも高い木々が囲む畔(ほとり)に入る。一つだけのベンチには誰もおらず、視界も大して気にならない。ここなら大丈夫だろう。
「じゃあ、これ。風で飛んでいったら大変だから持っててくれるか?」
「ああ」
笛の入っていた袋を受け取り、自分はベンチに腰を据えた。
義経はその場で吹くのかと思ったが、軽やかに跳躍し、欄干の上に乗った。廊下を走ることすら気を付けている義経が、と思ったが、その指摘はこの場において無粋だろう。
——まるで荘厳な社の正面に佇んだ気持ちになった。
歌口に唇を添え、背中越しに自分に目を遣った。幼ささえ感じた彼女が妙に大人に見える。思わず見惚れていると小指を立て、やがて緩やかに吐息が笛を通じ、唄となって耳に届く。
「……——」
言うなればただの木の筒だ。だが、そこを通れば出て来る頃には誰もが行う呼吸という行為で心を震わせる。
自然と目を瞑り、聴覚に集中する。
朝の喧騒も、昼の惰性も、夜の停滞も忘れてしまいそうな、蝶の羽音のような音色。
「……」
歌詞は無いが、どこか古い御伽話が重ねられているような気がした。
四十三、
義経は余韻を残すように最後の一音を響かせると口を離した。やがて欄干の上から降り、こちらにやって来る。
「相変わらず綺麗だった」
「そうかな? でも、あのときよりもっと上手くなったっていう自負があるぞ!」
「だな」
ベンチの端に寄ると二人で並んで座った。
どうやら自分たちがいる場所は手前が流れの早い淵になり、向かい側は河原になっているようだ。小石の上に餌でも探しているのか小鳥が跳ねている。
「……右文君」
互いに目を合わせず、きっと同じ鳥を見ていた。
「体育祭が終わった後、義経は『答え辛いことを聞いてしまった』と言った。でも……やっぱり気になるんだ」
「……正直だな」
「知らない人なら、きっとこうはならない。だから——踏み込んでも良いだろうか? 今日は」
「それ、普通聞かないだろ」
「だから——教えて欲しい」
「ストレートだな」
思わず苦笑してしまったことが自分でも分かる。
「……まぁ」
ただ、今日は以前聞かれた日とは違った。
あの日聞かれて、たまに思い出す日もあった。どこか自分で煮え切らないものがあるのも事実で、話してしまうのも——。
「…………いや、良いか」
「……」
義経だからと、彼女を言い訳にしてしまうことを申し訳なく思いつつ、深く考えるよりも早く結論を出す。
わざと口にして自分を納得させた。
「ちょっとだけ長くなるぞ?」
「今日は帰るのが遅れるかもしれないと九鬼には伝えている」
それは別の誤解をされそうだ。
「そうか……じゃあ、まあ。前置きも何も無いんだが、まずは自分が毎年父島に来ていた理由からだな。
それは——母親の検査のためだった」
四十四、
自分——改めて、左武右文の母・文華(ふみか)は武人だった。
元は橘流葬兵術という武術流派に師事していたようだが、自身の気質と合わず出奔。そこからは自主的に兵法や武術を身に付けては道場破りをするという日々を過ごしていた。むろん、そこには川神学園のある種前身ともなる川神流道場も含まれており、当時師範位に就いていた川神鉄心の娘夫婦も討ち倒したという。さすがに学園長に勝利することは敵わず、看板は貰えなかったようだが——そもそも別に看板は集めていない——、「得難き経験の一つだった」と寝物語に聞かせて貰ったことがある。
そういったこともあって、少々荒れた二十代を過ごしていた文華が後に夫となる左武右斗(ゆうと)と出会うのはこの頃だった。
偶然入った喫茶店のカウンター席で隣り合い、偶然同じメニューを注文したのが始まりで、特別だと囃すほどの出会いでもない。
一切武術経験も無い、仕事も公務員勤めという机上の徒であった右斗からすれば文華の口から語られる出来事はまるで小説の世界で興味を抱かせた。何とか連絡先を聞き、再会の約束を取り付けた右斗はその日から文華に心惹かれ、文華もまた自分とは異なった平凡さを持つ右斗に惹かれていったのである。
やがて二人は結婚して、文華の姓が左武となる。
暫くすると文華には新しい命が宿り、それが右文であった。
右斗は妊娠中の文華をやり過ぎだと言わんばかりに労り続け、特に苦労も無く出産も終えられた。産後の経過も順調であり、むしろ平均よりも僅かに重く生まれた右文は強い子に育つと二人で喜んだ。
しかし、暫くして文華に咳が目立ち始めた。
目立つと言っても、常人ならば季節の変わり目によるものか、と気にしないほどだ。だが、彼女は武人。即ち、肉体的強さは象や獅子よりも強い。故に、右斗は心配するが文華は「心配するな」と夫を宥めた。
右文が歩くようになり、カタコトで話し始めると夫婦は今までよりも親としての実感が湧き始めた。
子育ては経験したことのない出来事の連続だったが、ようやく慣れ始めて少し余裕が出来たのだ。
右文が走れるようになると二人は将来に就いて話し合う。何てことのない、夫婦の会話だ。
『私のように強くなって欲しい』
『足が速いから、サッカー選手かもしれない』
『たくさん食べるから大きくなるだろう』
『色んなものを見て欲しい』
そうなると、親の定めというべきか二人は様々なものを買い与える。最も、それらは子供用の安い物が殆どだが、ボールや楽器、服や靴、当然玩具もあった。遊びも踏まえて、色々なことに触れさせた。家族で公園で遊び、動物園や水族館に行き、スポーツ観戦などもする。
その中でも右文が目を輝かせ、興味を示したのは文華の見せた——武術だった。
血筋とも言うべきか、幼くも太刀を持たせれば振り回されることなく、弓を持たせれば見様見真似で中を射て、錫杖も手足のように操った。
それを知った文華は「天稟を持って生まれた」と喜び、この日より武術を教えることにした。
文華の実力は知っているが、やはり子供がけがをしているところを見たくないのか右斗は難色を現したが、「才能に溺れるよりも前に修練に入ったほうが良い」と諭されて応援した。
右文は正に——スポンジだった。
文華が盗み、習得した技術の中にはフィジカルが前提となったものもある。そういった種類を抜き、容易く納めていくのだ。
十を教えて、十を知る。
文華は人生で初めて''誰かに教える''楽しさを知ったのだった。
小学生に上がって、文華の咳が増えた。今度は季節を言い訳に出来ず、何らかの病気を疑った右斗は即日病院に連れて行くことにした。結果、一日の検査では分からないため、精密検査のために一週間入院することとなったのだ。
頼りにしたのは隣町の大学病院で、さすがに暮らしている家との往復が難しいと考えた右斗は実家のある父島へ右文を預けることにした。ちょうど夏休みということもあり、また父島という自然豊富な環境は右文にとっても良いだろうと考えたからだ。
そこで出会ったのが幼き義経である。
まだ自分がクローンとも、源義経とも正確に理解していない時期だったが、分かりやすく武の才はあった。
周囲の人々は自分たちに何かを期待していると察していたからこそ、がむしゃらに木刀を振るってみる。
そうやって未だ技の一つも知らない義経に右文は興味を持ち、共に鍛錬や競い合い——ただの駆けっこだったり、投げた落ち葉を切れるかなど——の時間を過ごした。翌日には弁慶・与一・清楚も加わり、その姿を大人たちが見れば鍛錬というよりも年相応に遊んでいる、と言っただろう。
文華の病状は気になるが、毎年夏休みに行く父島を右文は楽しみにしていた。
そして、父島から帰っても文華はいつも通り右文に鍛錬を付けてくれるのだから、このまま変わらない日々が続くのだろうとも思っていた。
小学校六年生……卒業を近くに迎えた頃、右文は文華と刃を潰した真剣——この場合は多種多様な武器類を含む——を用いた試合を行った。
互いの武器は技の豊富さ。即ち、武器の多さでもある。
右文は文華に習った通り、錫杖を持ち、腰に刀を提げ、弓を背負い、袖に鏢を仕込んだ。対して文華も似たようなものだが、さらに多く小武器を隠し、そこには親子の情よりも師弟としての厳しさが存在していた。
結果——当然として、文華の勝利だった。
だが、右文もただでは負けず、武具の半分を砕き、最後は相打ち紛いで重たい一撃を当てて見せた。
文華は確信していた。
もう既にこの歳にして強さの壁の上に立っている(・)と。
その日から一段と鍛錬に力が入る。
文華は自身の納めた技全てを右文に教えようとしていた。
しかし、右文が中学二年のとき、事件が起こる。文華が血を吐いて倒れたのだ。
その日は鍛錬も休み、家族三人でゆっくり過ごしていた。夕食を食べ、皿洗いを手伝っていた右文の隣で文華は咳き込み、明らかに致死量の血を吐いた。右斗は直ぐに救急車を呼び、右文も同行する。何とか治療は間に合い、輸血も問題無く行われ、翌日目を覚ました文華は顔を青くすることなくケロッとした状態で身を起こしていた。
学校を休んで見舞いに行った右文だが、文華に「今からでも行け」と追い出されるように途中登校をしたのだった。
その年の冬。冷たい雪の降る日だった。
文華と右文は二度目の真剣を交えた試合をする。
身長は両親を抜かして、体格は一流の武人と比較しても十分。纏った気は隅々まで掌握されて静謐さを保持する。一定の実力者からすればその様子だけでただ者じゃないと断言出来るほどだった。
勝負は一進一退の攻防が繰り返された。
かつてフィジカル面で負けていた部分は覆り、今度は右文が優勢だった。しかし、文華はより洗練された技術でカバーして、右文を追い詰める。
右文には秘策があった。
文華には見せたことのない、教えられた技をさらに昇華して、組み合わせた幾つかの秘技を編み出していたのだ。技はどれもが各道場の奥義と言えるもの。それらが組み合わさった攻撃は非常に強力なものだった。
そして——地に背を付けたのは右文だった。
戦いの最中、文華の身体が淡く滲むように光り、今まで感じたことのない気の興りを感じた。次の瞬間、正面にいた文華に倒されたのだ。
文華は言った。
『今の技が最後に教える技だ』
と。
右文は遂に最終奥義的なものかと期待する反面、どこか言葉の裏に隠された言いようのない不安を感じた。とはいえ、それを文華が隠そうとしていることは分かる。だから目を背け、技の会得に集中した。
半年後、最も時間を掛けて物にしたその技を携えて三度文華と戦うこととなる。
勝負は初っ端から熾烈を極めた。
右文が一歩秀でていた技を合わせる技術を文華も手に入れ、激しい一撃が何度も繰り返される。僅かな隙間を縫って自身の勝利を押し付け合い、それでも負けんと躱わす。
二人の荒い息が離れていても聞こえるようになった頃、前回右文が負けた技を互いに発動させた。
勝者は——右文。
初めての勝利だった。
負けた文華は笑いながら右文の頭を撫で、抱き締めた。
右文もまた、師であり越えるべき壁だと認識していた母親に勝ち、思春期を迎えてから初めての嬉し涙を流した。
しかし翌日、再び文華が倒れることとなる。
血こそ吐かなかったが、今度は三日も目を覚まさなかった。右文は自身との試合で何かあったのではないかと恐れたが、右斗がそれを否定した。
『文華は病に侵されているんだ』
予兆は右文が生まれたときから、気付かなかったが生まれるよりも前からあったのだろう。
その日から文華は入院となり、立ち上がるのも補助を必要とした。この前まで戦っていたにも関わらず、何故こうなったのか担当医に尋ねたが、返答は「分からない」だった。だが、時として、現実に存在する''気''という力は未だ医療では解明出来ていないため、それで無理やり現状を保っていたのだろうと予測を話してくれた。
日が過ぎるごとに痩せていく母親が長くないことを悟った。
放課後は毎日病院に通い、父が迎えに来るまでいた。土日は父と共に病院に向かい、母が少しでも安心するようにと楽しそうな話題を探した。
その年の夏休みは父島には行かず、義経たちのことも忘れていた。
十月——声も細くなった文華は、いつものように学校生活を大袈裟に面白そうに話す右文に言った。
『最近は武術の鍛錬を行っているか?』
ハッとした。
あれだけ毎日行っていた鍛錬を右文は全く行っていなかったのだ。
文華は右文との鍛錬を毎日楽しそうにしていた。だから、やっていないと答えれば悲しむのではないかと。
しかし、文華の言葉は右文の予想と反したものだった。
『それで良い。右文……私が言うのも何だが、生き急ぐな——武から離れろ』
その言葉を聞いて、右文は息が詰まった。
あれほど己に技を教えていた母親が、武を、武を努める自身を否定したのだ。ただ、同時に納得もあった。
やはり母親の唐突な病状悪化は自分に原因があったのではないかと。
担当医は気によって保たれていたと言った。
そして、文華が右文に教えた最後の技は気を用いる技術だ。それを使用させた(・)から、こうなった。
嫌に辻褄の合う妄想だった。
それから右文は文華と顔を合わせ辛くなった。
右斗も文華が言ったことを知っているようで、何も言わなかった。
そして、木枯らしが吹き始める頃に文華は眠るように亡くなった。
医者曰く、死因は——不明。
病とは言うが、それは風邪やウイルスに罹りやすくなっているだけで、直接の原因ではない。強いて言えば——衰弱死だと。
母を看取り、乾いた身体を引きずって右文は病室を出た。
一人になりたかったのだ。
——しかし、時として見通せない未来は過酷な現実を突き付けることがある。
深夜、家に帰った右文を待つのは無人の家中だった。
まるで静寂を押し込めたような空間に光るのは廊下に安置された固定電話だった。無意識に留守番メッセージを押すと、
『左武さんのお宅でしょうか? ——病院です! 左武右斗さんが当院からの帰宅中、交通事故に合い——』
最後まで聞くことなく、病院へと走った。
道程は何度も行っていたため知っている。奇しくも搬送されたのはその日、文華が亡くなった病院だったのだ。
本来、当たり構わず気を放出して移動するなど暗黙の了解として禁じられているが、その夜はそれを気にすることも無かった。
右斗は病院からの帰宅中、飲酒運転の中年男性に轢かれて死亡。一般道にも関わらず時速百キロ近くで撥ねられ、即死に近かった。
この日、右文は両親を失ったのだ。
四十五、
「翌朝には祖父母が飛んで来て、諸々の手続きはしてくれた。自分は暫く学校にも行けず引き篭もってた」
既に日は暮れていた。
川神の夜空は割と都会だというのに星が群れ、たまに見上げるにはちょうど良かった。
隣に座る義経は今にも流れそうな涙を必死に抑え、唇を噛んでいる。
「大丈夫か? 義経?」
彼女は腕で顔を拭い、自分の正面に立ち上がった。
そして、倒れ込むように抱き締めて来た。
「——ごめんね。右文君。気付けなくて」
「……」
「義経は君と再会して、舞い上がって、勝手にこれで良かったと思ってた。でも、君はその間に大切なモノを失くして、泣いていた」
泣いているのはどっちだと言いたくなった。
「昔、義経が右文君の前で泣いたときがあっただろう?」
泣いている姿は何度も見たことがある。
道に迷ったとき、遊び過ぎて門限に間に合わなくなったとき、お気に入りのワッペンをどこかに落としたとき……今の義経は心身ともに強くなったが、小さい頃の彼女は小さな出来事一つで怖がっていた。最も、人一倍強い好奇心は変わらず、何かに挑戦して行く姿も同じように何度も見たことがある。
自分が見た中でも彼女が一番泣いていたのはきっと、ようやく明確に自身が源義経のクローンだと理解した日だ。
九鬼もまた自分というある種の異物——軽いイベントがあればその事実のクッションになってくれるだろうと期待したのだろう。
「あのとき隣にいてくれたのに、右文君のときは一緒にいられなかった。だから、その分だけちゃんと一緒にいる」
空いた両手に視線を彷徨わせて、どうするかと考える。
逃さないと言わんばかりに強まる義経の抱擁に観念したように自分も彼女を抱き締めた。
「……暑くないか?」
「ううん。暖かい」
「そうか……」
暫く抱き合っていると、義経が顔を上げる。
彼女は真っ直ぐと目を合わせると、こう言った。
「なぁ、右文君。義経はわがままを言っても良いだろうか?」
「わがまま? 別に良いが……」
「でも、それを言うのは学校が始まってからにする。ちゃんと義経が考えて、君に伝えるから。そのときは——」
四十六、