黙祷集。(最新話『ドラゴンメイド』更新2024.11.19) 作:神の筍
「――赤石教授」
赤石教授宅の最寄り駅に降りると、出てすぐの場所に立っていた姿を見つけて小走りに寄った。
「……む、ようやく来たか。君が連絡も無しに予定の時間より遅れるのは珍しいね」
「本当にすみません。実は――」
「理由は中に入ってからだ。さすがに理系のボクの脚も限界になってきた」
「ですね。入りましょう」
この時間の海鮮居酒屋はさすがに人が少ない。十九時あたりを過ぎれば続々と入店してくるだろう。赤石教授は一番大きな水槽近くの席を頼んだ。
赤石教授の姿を見慣れている自分だが、こうして私服を見ることは意外と珍しい。何故なら、殆ど毎日研究室に籠って白衣を羽織っているため必然的に見えないのだ。夏でも研究室は一定の温度管理をしているし、化学実験には長袖長ズボンが基本なので同じ服を着まわすことが定番だ。そうなると、出張先に行くまでの道中やこうした遊びに誘われるときくらいしか無いのだ。
「とりあえず、趣王山の薬缶と本日のおすすめを二人前頼むよ。ワサビは多い方が良い」
「かしこまりました。すぐにお通し持ってきます」
赤石教授は研究職らしい偏屈な所が目立つ人だが、容姿はいわゆる眉目秀麗でコンタクトレンズを外したあとの黒淵眼鏡が非常に似合う。身長も一六〇と少しで、女性の中でも高いほうだ。一緒に街を歩いていて幾度かスカウト的なものに声を掛けられていることがあるので一人のときはもっと凄いのではないだろうか。
「じゃあ、遅れて来た理由でも聞こうかい?」
途中、注文した品が届き中断することもあったが、ほんの一時間前に起こったことを話していく。木椰子駅の目の前でヴィランが暴れ出したこと。そのヴィランは子供を殺そうとしていたこと。その光景に何も考えずに飛び出してしまったこと。そして、ぎりぎりの所でヒーローが助けてくれたこと――。
オールマイトがいて、各地にいるプロヒーローがどれだけ精鋭だったしても救うには時間がいる。容赦のないヴィランはその少しで命を奪うことが出来るのだ。今回も偶然ヴィランが直接子供を狙うことなく暴れたから良かったものの、現実はより酷い可能性があったのだ。そして、自分も殺されていたかもしれない。
「木椰子駅前でヴィラン騒動……たしかにニュースになっているね」
スマホの画面をスクロールさせながら赤石教授は言った。
ヴィラン出没情報が報道されるのは迅速で、一件目の緊急通報があった時点で検討が成される。その後、何度も同じ通報があった場合と警察やプロヒーローが確認した瞬間すぐに該当区の市民に警報が行くのだ。
「度々思うが、君はたまに自分を顧みない部分がある。いつもは些細なことだったりして、ボクもそれが君だと受け入れていた。だが、今回のような命に関わることがあるなら都度注意したほうが良いかもしれないな」
「ごもっともです……」
「それに、聞いていると今回は異形型個性の怨恨絡み……そういうヴィランは、プロヒーローですら迷って撃退されることが年に何回かあるだろう?」
「……ええ」
「冷静な君だ。一度立ち止まって考えると、対処法はいくらでもあったかもしれないね……コートの話から入るのはボクもナンセンスだと思うよ」
「たしかに、もっと他で気を逸らせたかもしれません」
「次があることは到底祈りたくないけど、もしものときは常に思考を忘れないように」
「わかりました」
「ん――じゃ、お説教もそこそこに追加注文だ」
赤石教授は注文用タブレットを手に取ると、メニューの端から端までを網羅する勢いで選んでいく。細身で肌が白いため、初対面の人はか弱そうな印象を受けられることが多いが意外と健啖家であったりする。出張に行くと空いた時間にはよく食べ歩きをしており、当人曰く今まで一番美味しかったのは三重の肉寿司だったとのこと。そこには自分もいたため、赤石教授が翌日腹痛になるくらい食べていたことを覚えている。
「伽藍くん。君はいつもの網焼きで良いのかな?」
「いつものと、焼きウニもお願いします」
「ボクの奢りだといつもそれを食べるね」
一応ここはチェーン居酒屋だが、クオリティが高いため値段がピンキリなのだ。今は個性によって鮮度を保つ方法などが確立されているため、高いものはその技術料もあるのか結構高い。一研究室の従業員に毎回焼きウニを食べる出費など出来ないのだ。まぁ、赤石教授の研究室は他の研究室と異なって給料は格段に良いだが。個性研究は結果さえ出していれば国からの補助金が高いためだろう。
「――それで、今回の件を通して君自身に変化はないのかい?」
追加注文を待っている間、適当な話をしつつ日本酒を舐めていると赤石教授が言った。
「変化、ですか……?」
「ああ。君の個性のことだ」
――君の個性、つまり、自分の個性。
「君が凧棚大学に入って個性研究をしているのも、君の個性について調べたいからだっただろう? 今日は良い非日常があったんだ。それがきっかけで変化はないのかい?」
変化……そう言われて、身体のどこかが悪くなったり、逆に良くなったのか感じ取ろうとするも別に変わりはない。もしかしていきなり炎を出せたり、体液が酸になっていたりとあるかもしれないがそのようなことは無さそうだ。
そう、自分の個性。
赤石教授が言うように、自分は個性があるにも関わらず未だに発現していない。個性の数は今生まれている赤児の数だけ生まれているとされ、極めて似た系統があれどデメリットを含めるとすべて違う個性だと言われている。個性の有無は四歳になると判別が可能で、有個性は足の小指の関節が一本、無個性は二本と、簡単にレントゲンによってわかる。その後、有個性者は病院勤務の検査系個性によってどんな個性なのか診断されることとなる。しかし、自分はたしかに個性があり、優秀な検査系個性によって診断されたが――結果は“不明”。自分が個性研究の道に進んだのも、どんなことをしても発現しない自身の個性への若干の憤りがあった。
「しかし、あれだけ自己主張の強い個性因子なのに発現しないなんて……不思議なこともあったものだよ本当」
既に自分の個性因子のサンプルは取っている。大学で学生解放されている研究室とそれより良い研究施設がある赤石教授の研究室でも。また、赤石教授にも見せて意見をいただいたことはあるが、総じて出した結果は「謎である」なのだ。
「個性とは既存の学問では研究出来ないものだ。個性が現れ始めた時代の論文を読んでいると多くの知識人が何らかの型枠に当てはめて解明しようとしていた。“個性因子”という考えですら、割と最近のものだからね」
「ここ百年の研究ですよね?」
「うむ。ただ、その辺は曖昧なものだけどね。人が超常的なものを目にしたとき、一番最初に浸透する思想は何かわかるかい?」
思想……? 宗教的なものだろうか。
「答えは――“終末論”だ」
「世界が滅ぶといった類のものですか?」
「ああ。いきなり隕石が降って来て人類が滅亡する直接的なタイプ。たとえば水が無くなって人類が滅亡する間接的なタイプもある」
なるほど、そう言うことか。
「個性が発生したときもそういう思想が生まれたんですか?」
「うん。ただ、それは非合理的な考えの終末論だ。終末論のいくつかには合理的なものがあって、化学的根拠のあるものが存在する。“このままいけば核ミサイルによって”、“
オゾン層の破壊が原因で”と言った風にね。そう言った論文の中に始めて『個性が未知の細胞・遺伝子・因子によって発現するものである』と書かれたのさ」
「自分はてっきり個性因子は化学的な研究の末に発見されたものだと思っていましたが……」
「化学的研究を根拠に発見されたのは間違いないよ。ただ、その個性研究者はどうやら個性因子とともに終末論に関する論文も出したようなんだ」
「そんなこと可能なんですか?」
「未知なものだから可能だったのだろう……とは言え、ボクも今の話は伝聞程度。友達の友達というやつさ」
「不思議なものですね」
「ああ。ともかく、ボクが言いたいのはそういったことから世の中で当たり前と思われてることが生まれる可能性があるのだから、君の個性も既存の個性因子と同じと考えているといつまで経っても何もわからないかもしれないってことさ」
「発現するなら早くしてくれれば良いんですけど……」
「今まで個性がなくて困ったことはないんだろう? いきなり常に目から光線が出る個性に目覚めたらどうするつもりだい」
「い、嫌ですね」
「それに――」
赤石教授はそこでいったん区切ると、彩りのためかアジの姿造りの下に敷かれていた砂利を手に取る。真っ黒で、冷やされていたそれは赤石教授の指との温度差で僅かに水滴が浮かんだ。
「個性なんてものは本来、人間には過ぎたる力なんだ。だから、どれだけ地味な力でも慎重に扱わなければならない」
眼鏡の奥の赤い瞳が鈍く光る。オーロラのような輝きに目を奪われ、瞬きの間に砂利はどこにでもある小石からルビーに変化していた。木製机の上に赤石教授はそれを落とすと、からんと音が鳴って自分の前に転がる。
「どれだけ綺麗でも、しょせん張りぼてさ」
そのままグラスから垂れていた水に接触すると元の砂利に戻ってしまった。
「ボクの個性も役に立ちそうで役に立たない」
赤石教授の個性は『ルビー錬成』だ。鉱物限定、水に触れると元に戻るが対象物をルビーに変える。そして、自身の身体をルビー変えられる発動型と変形型の複合型個性なのだ。ルビーのモース硬度は九、鉄が四なのでその硬さがよくわかるだろう。一般的な宝石の中だとダイアモンドの次に硬い物質だ。
「あー……ヒーローとかは役に立ちそうですけど……」
「たしかに戦う人には役に立つ個性だろうね。でも、ボクが蹴ったり殴ったりしている姿を想像出来るかい?」
まったく出来ない。
「それに、ボクくらいになると戦いなんてものは戦う前に終わらせるのさ。本当にヒーローになりたかったとしても、結局いったんは個性研究の道に進んで対個性用の何かを生み出していただろう。
本当にヴィランを一掃したければ、人間から個性を取り上げるのが一番早い。
世界で一番簡単に平等な世の中を作るには、与えるより取り上げるほうが良いからね」
「それはどちらかと言うと、ヒーローよりフィクサーじゃないですか」
「もしもの話だよ、もしもの」
赤石教授は流すように杯を煽った。それ、まだ結構入っていたような気がするのだが……この様子だとまたへべれけになった赤石教授を家まで背をわなければならないだろうな。
「今は仕事の話より酒だ酒。ほら、君ももっと飲みたまえ――」
同じように杯を傾ける。冷酒は喉に塗るようにゆっくりと飲むのが好きだ。赤石教授はまだまだ頼むつもりか三度目のタブレット操作を行っている。
その姿を眺めながら、自分は何となく思う。自分にも赤石教授のような個性があれば、昼の騒動はもっと危なげなく解決出来たのだろうかと。肩がぶつかってしまった時点で、不自然な様子から一声掛けていれば防げたのかもしれない。でも、自分は個性が発現していないため避けてしまったことはないだろうかと。
自分にも良い個性があれば……。
「……っ」
――不意に、頭痛がする。
「どうかしたかい?」
「いえ、何も……」
「ふむ、昼の件で身体に何かあったのかもしれない。一度帰宅して」
「大丈夫ですよ。救急隊員の方にも個性で診てもらったので。それより、自分も注文良いですか――」
自分にも良い個性があれば、あの日のヴィランをどうにか出来たのだろうか。両親の命を救えたのだろうか。誰かを守れたのだろうか。過ぎ去った過去は戻らない。しかし、いつ何が起こるかわからない。せめて隣人だけでも守れるような力が欲しいと思うのは、きっとおかしくない。
警鐘のように鳴り響く頭痛に、顔を顰めないように杯をひっくり返した。