黙祷集。(最新話『ドラゴンメイド』更新2024.11.19)   作:神の筍

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第63話

 

 夜も深まり、時刻はいつの間にか二十時を過ぎていた。飲み始めたのが十五時過ぎなので、五時間以上飲んでいたことになる。蟒蛇の赤石教授はもちろんへべれけへと変貌を遂げ、自分の背中にしがみつくように唸っている。

 

「もう少しで家に着きますからね。まだ吐かないでくださいよ」

 

「おー……毎回言っているが、ボクは吐けないタイプだ。乙女は一度口にしたものは戻せないからね……うぅ」

 

「毎回そうなるんですから、少し自重してくれたら良いものを」

 

「んぷ……こんなになるまで飲むのは、どうせ君と飲むときくらいだ。ボクは基本的に外では飲まない」

 

 外、とは出張先や出掛け先でたまにある食事会のことだろう。

 

「君の個性『タクシー』がないとボクは家にも帰れないからね」

 

「だ、誰がタクシーですか。ここに置いていきますよ」

 

「警察に保護されたら真っ先に君の名前と連絡先を出してやる……」

 

「何とも地味な嫌がらせ」

 

 そんなやり取りも束の間、すぐに赤石教授の家が見えてくる。駅から徒歩十分ほどにある、タワーマンションだ。家賃は言いたくない。ただ、その歳でこのマンションに住めるのかと思うほどの高セキュリティマンションだ。ヒーローが使用するサポートアイテムを応用した自動システムに、警備ヒーローが二名常駐している。聞けば他の住人は余生を楽しんでいる富豪のような人ばかりだ。

 

「鍵は鞄ですか?」

 

「んー、いつものところにあるはず……」

 

 そうなれば、部屋に戻るだけで使う鍵も多い。一階のロビー、エレベーターを動かすための鍵、降りたときにある上階ロビーの鍵、そして部屋の扉の鍵だ。今ではカードキーなんて便利なものを用いている建物も多いが、このマンションでは電気を操る個性犯罪者のことを考えて鍵とカードキーの同時使用が求められる。

 

「やっと着いた」

 

 赤石教授の暮らす部屋に到着した。真っ暗な玄関で手さぐりにライトを付ける。新居かと思うほどの綺麗さを保つ廊下を超えて右手にある寝室に入った。

 

「……さっき買った水を置いておきますから、喉乾いたら飲んでくださいよ」

 

「あ、待ってくれ。この前美味しいウイスキーを貰ったから二次会を……」

 

「出来るわけないでしょう」

 

 少しだけ雑にベッドに放り投げ、タオルケットを被せた。帰途に買ったペットボトルの水は毎度のことだ。

 背後で呻いている声には相手をせず部屋を出る。鍵は自動ロックになっているので、ロック音だけを確認してマンションを降りた。降下使用時のエレベーターに鍵は必要ない。

 

「ふぅ……」

 

 頭が痛い。

 

「――大丈夫ですか?」

 

「あぁ、いえ。少し頭痛がしただけなので」

 

 門扉の横に立っていた、女性の警備ヒーローが頭を抑える自分に気付いたのか声を掛けてきた。ヒーローネームは把握していないが、何度か赤石教授の部屋を往復して仕事人の印象を受けている。

 会釈をして歩き始める。

 妙な頭の痛さだ。

 今までも頭痛は経験してきたが、病気や頭の使いすぎと言った両方にも当て嵌まらない。内側から痛みがあると言うよりは、外側から鳴らされるような痛みだ。

 

「昼間の影響か? 一日休みを取って、精密検査に行ったほうが良いかな」

 

 街中のネオン管がいつもより眩しく感じる。わざとらしく強く瞬きをするが、変わりはない。

 

「――もう一件どうだ?」

「昨日の取引先について――」

「――学校の先生がちょーうざくてさ」

「この前の野球見たか? 俺の推してるバッターが――」

「――こののろまが! いつも遅刻してくるならこちらも」

「――ねぇ、おじさん。私と一時間遊びたかったら」

「部長、明日も普通に仕事あるんですから今日はもう帰りましょう――」

「――大学生は良いよなぁ、遅くまで飲めて」

「やば、今日バイト入ってたわ!――」

 

「……くそ、何だこの感覚」

 

 聴覚もやけに冴えているような気がする。それとも体調不良特有で敏感になっているだけだろうか。酔いで今まで誤魔化されていたが、全身が筋肉痛のように痛い。発熱しているような感覚だ。

 

「――前の看板、裏返しにしておいてくれ」

「知ってるか? 今日木椰子駅の前でヴィランが暴れたらしいぞ――」

「――あいつももう少しやる気があればなぁ」

「スマホ新しいのに変えようと思っているんだけどどう思う?――」

「――オールマイトが関西のほうにいたらしいぜ。昨日は北海道にいたのにどうやって移動してるんだろうな」

「ちょっと待って、電話してみるね。まだ家で寝てるかもしれないし――」

「――嫁に太ったから野菜生活にしろって言われてるんだよ。だから勘弁な」

 

 耳鳴りがする。いつもより聞こえるといったくらいでまだ耐えられる範疇だ。ただ、これ以上の声が聞こえれば頭がおかしくなるかもしれない。覚束ない足元に気を付けながら歩く。

 これから電車に乗ると考えると億劫だ……タクシーを、と思ったがスマホは壊れている。乗合でも拾いたいが、一つとなりの道に出なければならない。

 

「明日もこの調子が続くなら赤石教授に連絡して病院に行くか。せめて観測作業が始まる前に改善しないと」

 

 深呼吸をする。気持ちは少し落ち着いた。自分の家はここより郊外なのでマシだろう。ただ、やはり電車に乗るかどうかの葛藤はある。

 

「どうせ最寄り駅についても歩かなければならないんだ。それが倍に増えてくらい、変わらないか――」

 

 学生時代は赤石教授を送り届けてからよく歩いて帰っていた。生活習慣自体は今も昔も変わっていないので体力的にも問題ないだろう。

 聞こえてくる声から逃げるように歩を早める。

 早く、人通りの少ない道に出たかった。

 

 

 

 

 

一、

 

 

 

 

 

 頭痛は人波を避けるほど酷くなっていく。街灯が等間隔に広がり、暗闇が増える。呼応するように後ろを歩く影が引いていき不気味な時間を作り出した。

 

「……」

 

誰かの家の塀に手をつき、点滅する街灯の下へ歩いて行く。

頭痛と眩暈、そして誰かの声。最悪なのは声が繁華街で聞いたようなはっきりとした言葉ではなくなっていることだ。叫びのような、まるで黒板に爪を引っ掻いたような音。地面に金属パイプを擦り付ける音。

 

「明日病院行こう……絶対に病院行こう……家に帰ったらすぐにパソコンで赤石教授に連絡して……」

 

 微妙に思考が定まらない。おかしい。吹き飛ばされたとき、頭にダメージがあったか……? そもそも転がったときは抱えた子供ととりあえず頭には気を遣ったからそれはないはずだ。身体の発熱も悪化している。

 

「今からでもタクシー拾おう」

 

 家はここから歩いて二十分ほどだ。勿体ない気もするが仕方ない。

 

「……自分のぶんの水も買っておけば良かったな」

 

 気休めに頬を両手で叩いた。らしくない行動だ。ただ、幾分か楽になった気がする。

 

「よし――」

 

 改めて歩こうとして――――頭に響く雑音の中、たしかに聞こえた。

まっすぐと、周囲の人工物や樹々を超えて、自分に突き刺す一条の矢の如し声。粘ついた沼から微かに見えた掴んで欲しい手のひら。一人で恐怖に晒された――。

 

 

 

『――誰か助けて』

 

 

 

 その一言を。

 

 

 

 

 

二、

 

 

 

 

 

 ――退屈していた。

 

 来る日も来る日も、世間はプロヒーローを支持する声。

やれどこかで誰々がいた。最近は誰々が活躍している。今期の誰々はランキング上位間違いないだろう。

 

 反吐が出る。

 

 気持ち悪い。

 自己満足の塵共め。己の欲も満たせぬ者に人を守れるわけがないだろう。だから、自分のようなヴィランに人が殺される。

 この街に来るまで、四人殺していた。うち一人はまだヴィランの仕業だとばれていない。

 首を切り、胸を切り、腹を切り、足を切る。

 返り血を浴びるほど冷めた現実に充足感を覚えた。

 ヒーローも二度、撃退している。一度目は強力な個性ではないが長年その街の担当区を務め、市民から慕われる中堅ヒーロー。個性は補助の役割を持ち、体術が得意だった。しかし、そんな体術も己の肉体の前では意味がない。蹴られれば脚が切れ、殴られれば腕が切れる。そのヒーローは理解に苦しみ顔で倒れていった。命を奪わなかったのはすぐに市民が警察に通報したのかサイレンの音が聞こえてきたからだ。多勢に無勢、国家権力はヴィランに容赦なく剣を振るう。故に、ヴィランも無理な戦いはしなかった。

 

「――運が悪かったな、女ァ。こんな夜に一人で歩いてたら、コワいヴィランに殺されちまうよ。なァ?」

 

 こうして、人気の少ない場所で殺しを試みるようになった。大事なのは指名手配されないことでも、ヒーローに追いかけられることではない。人を殺すとき、いかに邪魔をされないか、だ。

 

「震えてるのか? 可哀想に。わかった、じゃあ最期の言葉くらい残しても良いぞ。俺がお前の家族に伝えてやるよ……同じように、殺すときにな」

 

「――ぅ……ぁ……」

 

 ヴィランの個性は『刃物』。自身の身体を同時に五ヶ所だけ刃物に変えられる凶悪な個性だった。

 

「あァ、勘違いしているのか? 安心しろ。別にお前の家族を狙った、映画みたいな殺し屋じゃねぇよ。言っただろ、『運が悪かったな』ってよ」

 

 人差し指を刃物に変え、首筋に触れると赤い血が流れる。それは恐怖と緊張から未だ流れていない女の涙のようでヴィランの狂喜を誘った。

 

「良いなァ、良いなァ、殺しは良い――!

 血を浴びるのが好きなんだよ、俺ァ! 風呂入ってるみたいで気持ちが良い! 息絶えるまでに恐怖に支配された人間の血はすげェ熱いんだよォ! なぁ! お前の血はさァ! どれくらい熱いんだよ!」

 

「ひ、ひぃ……! 嫌っ、無理ッ、し、しし死にたくない……! 助けて――!」

 

「助けてだァ? ヒハハハ!!! 来るわけがねぇ! 何で俺がここを選んだと思ってる! 街の境界だからだよ! プロヒーローは特にこの時間、ヴィラン発生率の高い繁華街のほうにいる! それに、わざわざ担当区域外に触れるこの周辺には来ねぇような奴が多い! 

 偽善者が! 人を助けるために! 面倒くさいことはしないんだよ!!!」

 

 何より、頭が切れることがヒーローに捕まらない大きな理由だった。そして、被害者の不幸な点は今日の昼間に駅前でヴィラン騒動があったことだ。ヴィランが言うようにこの地区を担当するヒーローが境界付近まで巡回しない癖があるのかはわからないが、今夜に限って両区ともにプロヒーローたちは模倣犯の警戒にあたり駅前を重点的に見ていた。原則ツーマンセルが基本とされるヒーローたちが割ける人員には限りがあり、この周辺の警戒が薄くなっていることは事実だった。

 

「大丈夫だって! ただ心臓を抉り出すだけだからよ! お前の心臓を! この五本の刃物で! 抉り出して! 潰すだけだ! 目を瞑っていればすべて終わっているさ! ヒハッハハハ!」

 

ヴィランは右手の指すべてを刃物に変える。容易く人の皮膚を破って、多少肋骨には拒まれるが勢いよくいけば砕いて貫く。そのまま心臓を握り、引き抜いてやれば血袋が手に入る。

 

「おウ、じゃあ――死ねや」

 

 誰もいない、誰も気付かない場所で命が奪われようとしている。翌朝、凄惨な遺体が発見され、犯人は逃走中と報道される。人々はそれに二、三日の警戒心を持つがやがて忘れていくのだ。

 女は硬直し、せめてもの抵抗として腕を出す。だが、関係ない。ヴィランは左手で掴み、乱暴に腕を上げると右手を突き刺し――。

 

「――っぐァ!?」

 

 横合いから来た衝撃に吹き飛ばされた。

 

「だ、誰……?」

 

 女が見上げるも、ビルと夜陰に紛れ見えなかった。溜まり過ぎた涙も原因だろう。理解出来るのは自身の存命が一秒伸びたということだけだった。

 

「クソッ……良いとこジャマしやがってよォ」

 

 三メートルほど離れた場所でグラついた頭を抑えながらヴィランは立ち上がる。

 

「その恰好、ヒーローじゃァなさそうだな。精々この場に居合わせた偽善者ってとこか」

 

「――早く、立てるかい?」

 

「立てない、腰が抜けて……」

 

「ヒハハハ! 無様だな! 助けに来たは良いが結局無駄だ! ……てめェから殺してやるよ」

 

「と、とにかく這いつくばってでも逃げて!」

 

「え、あ、でも――う、後ろ!」

 

「……ッ!?」

 

「心臓の前はやっぱ腸(はらわた)だよなァ! 血が赤いぜ!」

 

 女の顔に鉄臭い飛沫が叩きつけられる。当たった箇所が火傷でもしたのではないかという熱さに、思考が真っ白になった。

 

「あっ、あ、あぁ、あっ、ぁ……」

 

 倒れた誰かの身体は女の横でぴくりとせず血溜まりを作っていく。

 

「あーあ。お前がもっと静かにしてりゃァ死ななかったのによォ」

 

「わわ、私のせい……」

 

「おう。ヒハハハ、じゃあ――今度こそ、心臓くれよォ! なァ!!!」

 

 当初の目的通り、ヴィランは女に狂刃を振るった。

 警察とヒーローが駆け付けるのは翌早朝のことである。

 

 

 

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