私は休むのが下手   作:北部九州在住

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自主缶詰 春河童の場合

 缶詰。

 物書きでこの言葉は原稿を仕上げるために、外とやりとりができない状態で一定の場所に閉じこもる事である。

 大体その近くには鬼の編集と真っ白な原稿と迫る締め切りがある事が多い。

 昔は昭和の文豪を捕まえてなんとか原稿をもらおうとしている編集なんてイメージがあったのだが、時代は21世紀となりそういう缶詰は過去のものとなるが缶詰そのものは無くならなかった。

 私がやっている缶詰なんかがそれで、自主的に環境を変えて集中力を高めるためのものなのだが……

 これって仕事で来るもんじゃないよなぁ。そう思いながらも私はペンを手に取る。そして机の上に置いた紙にペンを走らせ原稿を書くのだ。

 しかも原稿用紙ではなく備え付けのメモ帳に。

 これは原稿を書くためのものではなく、その原稿のネタ出しの段階だからだ。

 ホテルにチェックインして小一時間。メモ帳三枚程度にネタとなるワードを書くとほどよく疲れてきた。

「よし。温泉に行こう」

 私の場合、缶詰を行うホテルを選ぶ場合、必ず温泉、しかも大浴場がある宿を選ぶことにしている。

 この広大な湯船に使っている時にアイデアが湧くのだ。

「あー。極楽極楽。これでお酒が飲めないのがきっついよねー」

 もちろん、お風呂で浮かんだネタを覚えておくためだが、湯上りの一杯ができないのは実につらいものがある。

 え?素直に家で書けばいいじゃんなんて思うそこの貴方。わかっちゃいないね!

 お金を払った以上、書かずに帰ろうものならば、払ったお金が無駄になるという執念が、最低限のモチベーションとなって原稿を前に進めるのである。

 そんなわけで温泉を堪能した私は部屋に戻ると早速ネタを文字にする作業に入るのだった。

「……おなかすいたな」

 時間は21時。腹の虫が鳴って作業を中断。

 夕食は来た時にあった地元のスーパーで買ったお弁当で、朝食とおやつ、更に飲み物まで部屋の冷蔵庫にぱんぱんに詰め込むぐらいに買ったものを一つ取り出してホテルの電子レンジで温めて食べる。

 これも缶詰のデメリットなのだが、ホテルが用意する食事はどうしても時間が限定されるから、集中する作業に微妙に合わないというのが一つ。

 そして更にこっちが致命的で、美味しい夕食のついでにお酒なんて頼んでしまったら……という訳で、今日の夕食は鶏肉とニンニクの炒め物と鮭と赤貝のお寿司にインスタントお味噌汁と緑茶である。

 ホテルの部屋は電機ケトルがあってお湯が湧かせるからありがたい。

 

 深夜。

 書き上げたネタを元に文章を原稿に書き上げてゆく。

 この手の缶詰は毎回する訳ではないが、こうやってアイデアが出ない時や校正が戻ってきた時に自分の中の意識をリセットする為に意識的にしている。

 何より自宅で書くよりも頭が冴えるしリラックスできるから一石二鳥だ。一番なのは部屋を片付けなくていいという事。

 メモを書きなぐり、ドリンクを飲みあけ、ごみ箱に捨てられる紙の山。これを片付けなくていいなんてなんて気楽な事か!!!

 気づくと夜が明けており、そのまま朝風呂に。

 世の皆様がこれから出勤、これからチェックアウトというのにこうやって一番湯を頂けるというのがどれほどの快楽。愉悦なのか。

 朝ラッシュの電車の音がその愉悦感を増幅させてくれる。

 という訳で、朝食はゼリー系飲料をとっておやすみなさい……zzz

 

 夕方起床。

 フロントに行き、チェックアウトの時間を変更してもらう。

 基本この手の宿は10時チェックアウトなのだが、お金を追加で払う事で12時に変更してもらう事ができる場所もある。

 今回の缶詰はそういうホテルだったので、追加料金を払って明日の12時チェックアウトに。

 原稿が仕上がっていれば、朝湯を浴びて軽くひと眠りしてチェックアウトという算段である。

 大浴場に行って体をシャキッとさせつつ原稿の進捗を確認。

 現在の進捗が大体50%というあたりか。徹夜で片付くか片付かないかギリギリのあたり。

 缶詰の効能の一つに下界との連絡をシャットアウトするというのがあるのだが、この高度情報化社会にそれは致命傷な訳で、携帯片手に編集さんと進捗と打ち合わせ。

 プロになると言う事は、納期に真っ白な原稿を出す事は最低の行為である。

 だからこそ、進捗を報告し、どこまで進んているかを報告する事で、互いの信頼関係を構築するのだ。

 

「原稿進んでいます?」

「今、50%ですね。朝までには仕上げるつもりです」

「そういえば、サイン会をしませんかという話が来ているんですが?」

「やります」

 

 缶詰の最中にもこういう話がやってきたりする訳で。

 気づけは19時を回っており、ラストスパートの為に夕食をパクパク。

 今回の夕食は海鮮丼、おでん、ピリ辛きゅうりにインスタント味噌汁と緑茶。

 いやまじでインスタント味噌汁が神である。 

 夕食後、再び部屋に籠ると、最後の追い込みを開始する。

 深夜零時を過ぎると筆がのってペースが加速してゆく。

 休憩用のインスタントコーヒーとウーロン茶、緑茶が容赦く減る。

 この手のホテルの場合、深夜は外出禁止の所もあるのでお腹が減ったからコンビニにという事がしにくい。

 フロントに言えば出してくれるところがほとんどなのだが、そこまでして出るのはちょっとという乙女心もある。

 だからこそ、最初の買い物で容赦なく買うべし。買うべし。買うべし。

 大体3000円ぐらい買って、持ち帰れるものは持ち帰るのがこの手の缶詰の作法である。

 そうやってなんとか朝日が出るか出ないかの所で原稿が完成。

 これで寝られる!と思うと眠気がやってくるのだが、ここで寝てしまうと10時のチェックアウトをオーバーしかねない。

 12時のチェックアウトはこういうのを避けるためにあるのと、朝風呂を再度浴びる為というのが大きい。

 という訳で、二回目の朝風呂へ。

 今回のホテルの大浴場は6:30からは入れるので、一番湯を小一時間ほど堪能して8:00にゼリー飲料を朝食代わりにベッドに倒れこむ。

 10時を過ぎるとホテルの他の部屋の掃除の音が聞こえるのだが、そんなの気にしないぐらい体は眠りを欲していた。

 11:00にアラームが鳴って起床。

 着替えて片付けてチェックアウトは時間に余裕を持って11:30。

 家に帰ってきたのが13:00で、そのまま家の布団にばたん。

 起きたのが今さっきであり、マリコが私の荷物から原稿を見つけて清書して編集に渡してくれたらしい。

 サンキュー。マリコ。

 

 これがまあ、春河童の缶詰である。

 二泊三日、移動と食事込みで大体25000円なり。

 これが高いか安いかは人それぞれだろうが、物書きには必殺技がある。

 

「領収書ください」

 

 原稿を書いたのだから経費だよね。これ。

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