月というのは人にとって悠久の時からそこにあった。
友と呼ぶには遠いが、隣人と呼ぶには少し近すぎる。そんな月を月見としゃれこんだのはいつのころからだろうか?
歴史を紐解くと月見の歴史はやはり中国から来たみたいで、中秋節が日本にやってきたものらしい。
日本にとってのむかしむかしの時、中国は唐という大帝国が栄えており、そこからもたらされたものは今でも我々の生活に根付き、この月見もそんな一つなのだろう。
という訳で、『詩仙』こと李白の月の詩を一つ紹介してみよう。
『月下独酌』
花間一壼酒
独酌無相親
挙杯邀明月
対影成三人
月既不解飲
影徒随我身
暫伴月将影
行楽須及春
我歌月徘徊
我舞影零乱
醒時同交歓
酔後各分散
永結無情遊
相期邈雲漢
春の月の歌だが、私はこの詩が好きだ。
一人寂しく酒を飲み、月と影と踊るこの歌の寂しさと雅さが大好きだ。
私も月の光と影のダンスを思うが、側にマリコがおり、観音さんとつゆさんが居る中で踊るよりもすでに酒宴となっている訳で。
こういう時に思うのだ。私は幸せ者だなと思うと同時に、所詮売文屋でしかないなと。
詩仙の孤独を知り、今の自分に安堵する浅はかさを隠し味に月を見て月に酔う。
それが楽しく、それが悲しく、 それが私を物語に誘ってゆく。
そうして私はまた盃を掲げる。さすれば私は詩仙李白と踊った月と共にいるのだから。
実に程よく酔ってきて、戯言も冴えてくる。
いい月夜の酒は、人の心を浮つかせ実によろしいことではないか。
ならば今宵の主役は月と酒であり、私ではない。私は脇役の一小道具にすぎぬのだから。
「何をしている。飲もうではないか」
おっと。推参した観音先生に呼ばれてしまったので、現実の宴に戻るとしよう。
なお、月見に団子といきたい所だが、現代社会は進歩しており、甘い物は団子でなくてもたくさんあるのが素晴らしい。
そして、お酒もたくさんあるのだからたまらないことこの上ない。
「知ってます?
ペアリングというものがあって……」
「それ、ユイ・阿羅本先生の受け売りだろう?」
私、撃沈。
同じ知り合いからのネタは向こうも知っている可能性を考慮するべし。
とはいえ、持ってきたお酒にビールとお菓子が入っているあたり、さすが観音先生と唸らざるを得ない。
という訳で、宴を楽しむ。
電気を消して月明かりの中での宴だが、思うのは街の灯りも眩しいという事。
この灯りこそ人類の進化の象徴であり、寝て恐れるしかなかった夜を生活変えた証であり、残業……いかん。思い出したくないことまで思い出しそうだったから首をふってそれを追い出すことにする。
酒も進み、腹も膨れて程よく気持ちよくなってきた。
電気を消して月明かりの中、会話も自然に少なくなる。
静かに盃を傾け、酒に酔い、月に酔うのがこの宴なのだ。
「菜の花や月は東に日は西に」
観音先生が口にした俳句は江戸時代の画家でもあり俳人でもある与謝蕪村の作である。
私が李白の『月下独酌』の話をした後での返しだが、互いに春の月を読んでいるのが面白い。
まぁ、月にとっては地球の季節なんて知った事ではないのだが、それでも月は咲いて散る花々や、月明かりに照らし出される人々を愛でているのだろう。
そう思うと、私もまたそんな月の愛でる人の一人なのだろう。
「あ、知ってます?」
つゆさんがそんな感じで口を開くが、困ったことに宴から現実に引き戻す一言だった。
「春河童先生。健康アプリ入れたじゃないですか。
あれ、お酒とお菓子って同種で判別しているんですよね」
私、再度撃沈。
確かに糖尿病の事を考えると、お酒もお菓子もほどほどにすべきである。
だが、私とて抜かりはない。
「ふっふっふ。この私がそれを考えないと思ったのかな?
私には必殺技24時登録があるのだよ」
「おおっ!さすが先生!!その技をご存じとは!!!」
説明しよう。健康アプリは一日のカロリーを計算する為、24時で一日を区切るのだ。
つまり、この宴で摂取したお酒やおつまみを今日と明日に分離して登録する事が可能なのである。
という訳で、観音先生とつゆさんにざっくりと説明し、登録ボタンを押す。
そして画面を見ると……。
健康アプリのおねーさんがもの悲しそうな顔でこちらを見ているではないか!何故!?
「はるか。わかっていると思うけど、それ、明日のごはんのカロリー前借りだからね」
マリコの容赦ない突っ込みを聞いて、私は膝から崩れ落ち、観音先生とつゆさんは笑う。
明日は少し歩くかと心に誓い、この宴を楽しむ事にするのであった。
なお、日本酒やビールは飲む量にもよるが、大体一食分のカロリーを得ていると考えよう。
これに甘いものをドン!である。
翌日の私は一食を抜いてまだ暑い街の中を歩き回ってカロリー消費に奔走したのは言うまでもない。
そんな私たちの本末転倒ぶりも月はこれからも見てくれるのだろう。