頼んでもいないのに荷物票が来ていた。
後日配達してもらったが、本らしいのだが覚えがない。
開けてみると観音さんが絡んだ本だった。
「そっかー。この本出たんだー」
そんな事を思いながら、今回の話は献本というかプレゼントの話にしようかなと思う。
ブラック企業から逃げ出したのはいいが、その後遺症はしっかり残っていて、一番ひどいのが自己肯定感の喪失である。
人間性を摩耗させた結果、私は価値の無い人間だと自己否定が強くなってしまうのだ。
そして、その自己否定は作品にも影響し、他人の言葉の一つ一つが私を責めているように感じ、人の言葉や態度の一つ一つに敏感になり、それは相手もそうだと思い込み始めるのだ。
その結果、私は自分の作品ですら自分の物語が語れなくなり、自分の物語のキャラクターですら彼らの機嫌を伺いながら話を作る羽目になる。
そんな時に月ノ瀬観音さんに出会ったのである。
「うん。君に必要なのはまずリセットだな」
今と変わらない口調であっさりと私の症状を見抜いた観音さんは散歩に私を連れ出す。
そして、近所の本屋に連れこむと、観音さんが絡んだ本を手に取って買って、私に手渡したのだ。
「僕が絡んだ本だ。読んでみたまえ」
あっさりと言われた一言は今でも覚えている。
何よりも私は『本をもらえる人間なんだ』と鮮烈に感動した後で、思わず涙が出たのまで覚えている。
一冊の本が人生を変えるとはよく聞くが、私にとってこの本というかこの体験が創作の原風景の一つなのだ。
そして、観音さんとの交流は今も続いており、今でも私の息抜きの師匠であり『仕事先』の一つとして付き合いが続いているのだから一冊の本さまさまだろう。
で、私も売文稼業の界隈に生息している身。
という事は本を出す訳で、できた本を観音さんに献本したのは言うまでもない。
「どうぞ。今度できる私の本です」
「うんうん。はるか君も作家になったね。おめでとう」
『作家にとって本とは名刺なのだ』という言葉を身に染みて感じ、こうして私の自己肯定感は回復していったのである。
すると面白いもので、その本が作家にとってある種のセーブ機能であるとしばらくして気づく。
人と言うのは変わる。変わってしまう。
だからこそその瞬間を残そうとする試みは古から続けられており、絵画や彫像、今ならば写真というものがそれに当たる。
ありのままにというのが、これらの存在なのだが、本というのはこれらに比べて人の心を記憶しているのだ。
だからこそ、本で人生が変わるなんて事が起こるのだが、書いた本人にとってはその時の記憶が封じられているのだ。
この本はこうだったな。あの本ではこんな事を思っていたなという記憶は己が書いた本を読めば鮮明に思い出すことができる。
だが、なぜこのような記憶が存在するかと言えば、この記憶が読者に強烈な印象を与えるからに他ならない。
本は、小説はそれが売りなのである。
そして、この記憶は本を読むたびに呼び起こされるし、これを売りにしている以上はそれを読者に読まれるし、作家連中にはその売りが丸裸にされるのだ。
「はるか君。今回の本はこんな事を思って書いただろう?」
観音さんの感想ついでに私の内心を察する事はまず外れない。
その正確さにもはや驚くことも無く、私は観音さんの感想を笑顔で聞いていたのだが、窓に映った私の笑顔を見て『私笑えるんだ』と自己肯定感の回復に気づかされたのを覚えている。
もちろん、本を送れば送り返される訳で、こうして私と観音さんの話は今も続いているのである。
気づけば私も売文稼業での暮らしもそこそこになり、後輩なるものができる身になると今更にして最初に本を送ってくれた観音さんの気持ちが分かってくる。
「本の中だからこそ、作者は笑顔で己を晒したまえ。それができるのが作家なのだから」
「いや分かるのですが、今回の本は官能小説なのでそれはどうかと……」
いつかの席での私と観音さんの会話である。
エロい話は侮るなかれ。エロだからこそ更に人間の本能に繋がるからそれを晒さねば客は本を買ってくれないのだ。
「はるか君。ラーメン屋なのに、お品書きに堂々とラーメンが書かれていない店のラーメンが美味いと思うかい?」
はっとさせられる話である。
主人が堂々と『これが美味いんです』と主張せずして、客はそれを口にしてくれる訳もなく。
それ以降、私は本を手に取る時に手作り野菜よろしく『私が作りました』と作者がどや顔をしているのまで見えてくる羽目に。
そういう本は面白いかどうかの感性があるけど、迷いがないし客が着くのだ。
そういう本を作るように私は心掛けている。
「あんたの場合、その体出した方が売れるじゃない」
「マリコひどいっ!」
おあとがよろしいようで。
おまけ。
知り合いの朝倉さくらは感想にこんな事を言われたという。
「スイーツのお店に入って、出てきたのが次郎だった」
だからあんた長くデビューできなかった上に、政経系もどきデビューしたんだよとその感想に心から賛同したのは言うまでもない。