私は休むのが下手   作:北部九州在住

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小説家という読書家

 小説家という人種はまず読書家である。

 これには理由があって、物語にのめり込むからだ。

 それを人は逃避ともいうが、その逃避でまれに溺れきる人間がいたりする。

 

「あー。面白かったけど、私なら……」

 

 こういう連中の事が小説家に成るのである。

 物語にはまる理由は色々ある。

 逃避であり、趣味であり、勉強であり。

 物語は自分とは違う人間の人生の追体験なのだ。

 私にはできなかった選択、私が選ばなかった未来、私が欲しかった可能性……

 これらのものが、物語には詰まっているのだ。

 そりゃ溺れるってもんである。

 

 別の人の人生に、私が選ばなかった未来に、見た事もない可能性に。

 それはまるで魔法のようにも見えてしまうだろう。

 この魔法使いは、自分の知らない世界を教えてくれる。

 そんな人に惹かれてしまうのは当然の事であろう。

 だから私はペンを手に取ったのである。

 

「ああ。こうすれば私は私の別の未来が紡げるのか」

 

 この時の感動を。興奮を。文字で表した時の快感たるや!!!

 多分私は、この時に物語の虜になってしまったのだろう。

 それは、呪いのように私につきまとい、小説家に成ってしまった時に祝福として現れたりする。

 ああ。そうか、あの時私を励ましてくれた存在は、私にとって素晴らしい小説を書き上げたかっただけの悪魔だったのかもしれない。

 それでもいい。あの時私についてくれた物語は、結果として私を小説家に押し上げてくれたのだから。

 

 惨めで糞ったれな『私の人生』に立ち向かう力を己に取り戻してくれたのだから。

 

 さて、もう少し文字数を稼ぐためにこの物語に溺れる話を続けてみようと思う。

 物語を読むというのはその物語時間を流れるように進むので、読む=流れるという感じになるのが普通である。

 にもかかわらず、私は時折物語に溺れるのだ。

 俯瞰的に物語を眺めるのではなく、物語の主人公になって、主人公に変貌して、現実から離脱して物語世界を旅する事になる。

 そうなってしまうとどうしようもない。

 世界が入れ替わる。現実と物語世界が逆転し、夢見る少女のような気分で現実逃避しながら、そのまま妄想の世界に入り込むのだ。

 その時の感覚といえば、もうなんともいえないものがある。

 手が止まらない。物語を追い続けて他の事が全て後回しになる。

 そして、その物語に溺れながら考えてしまうのだ。

 

 自分はこんな風に思っていたんだろうか?

 こんな選択肢もあったんじゃないか?

 あれを選ばないでも良かったんじゃないのか?

と、溺れる私は手足をもがく。泳ごうとする。

 目の前には紙。手にはペン。

 物語世界から泳ぎ出す。

 この瞬間が本当に私は好きなのだ。

 読んでいた物語世界に没頭し、その世界を堪能した挙句に、傍若無人に己のペンで、言葉でその世界を蹂躙する快楽たるや!!!

 書くという行為は、読むという受動的な体験とはまるで異なる、孤独で、時に残酷な作業である。

 物語に溺れ、感動し、自らの別の人生を夢見ていたあの頃とは違い、いざ書く立場になると、読者に物語を届けることの難しさを痛感する。

 それでも筆を止めないのは、やはり私も読者であり続けたいからなのだろう。

 書くということは、読んだ者の一人として、自分の中に芽生えた何かを、自分を含めた誰かに返していく行為でもある。

 読書家としての私は、いつでも物語に『逃げ込む』ことができた。

 だが、小説家となった今、私はもう逃げられない。

 物語の中に安住することは許されず、常に物語を生み出す側に立たされる。

 それでも、私は書く。なぜなら、一度でも『自分の物語』で誰かの心を動かしたという経験を持った者は、もう二度とその快感を忘れることができないからだ。

 誰かが自分の物語を読んで涙し、笑い、勇気をもらったと言ってくれた時、それはこの上なく尊い『報い』となる。

 まさに、かつて物語に溺れた私が物語に救われたように、今度は自分が誰かを救えるかもしれない――そんな希望が、小説家を突き動かすのだ。

 基本人でなしなのだ。小説家は。

 何しろ、読者が物語に溺れる様を眺めて飯が食える人種なのだから。

 だから、今日も私は物語を書く。逃避の果てに、現実と向き合うために。

 物語を読む時、私たちは世界と向き合い、他者の視点に身を置き、自分自身と出会い直す。

 それは奇跡のような体験だ。

 だから私は、誰かにとってのその奇跡を、少しでも生み出せる存在でありたいと願っている。

 もし、あなたが今、物語に溺れているのなら、それはきっと幸運なことだ。

 その溺れの中に、あなた自身の「書く理由」が眠っているかもしれないのだから。

 私もまた、今日も溺れている。

 ページをめくり、物語の波に飲まれ、気がつけばまたペンを取っている。

 これは終わることのない営み。

 けれど、それは苦しみではない。

 むしろ私にとって、生きていると実感できる瞬間なのだ。

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