地の底への帰り道。鞘に納めた剣の先で、こつんこつんと壁を叩く。あるいは床に引きずって、床石の継ぎ目ごとに震動を感じる。隠し通路を探るわけではなく、アレシアを――壁に飲まれた、アシェル・アヴァンセンと名乗った女を――探しているわけでもなく。ただそうしていた、街の子供たちが棒切れで、石畳の道にそうするように。
ため息をつく。何なんだあれは、彼女は、あの壁は? あるいはこの迷宮は。どうすればいい? 分かっているのはただ一つ、帰ったら俺は呑むだろうということだけ。呑もう、という意気があるわけでもない、呑まなければやっていられない、というのでもない。ただ、だったら俺は呑むだろう。いつものように。
何を
焦げ色をした
唾が湧くのを感じながら地下七百二十階を歩き、下層への階段――最下四層への――手前へ差し掛かったところで。ウォレスは足を止めていた。
音がした。こりり、こりり、とかじる音。魔物が骨でもかじっているのかと思ったが、もっと軽い音。まるで木の実でも頬張るような。しかし、地の底にそんな物があるはずもない。
音は続いた、こりこりと。こり、こりりこり、こりこ、こりこ、こり。頭蓋を内から引っかくような音が、耳障りに迷宮に響いた。辺りを見回しても何もない、積み石の壁が視界の果てまで続く迷宮に。
ウォレスは鞘ごと剣を提げた右手を垂らしたまま、左手を鞘に添えた。いつでも抜き打てる体勢。廊下の先に、階段の下に、闇の向こうに視線を巡らし、耳をそばだて、鼻を利かせる。
そうして気づいた、音の響いてくる先。下層への階段、そこから――下階ではなく階段の途中から――聞こえてくる。
構えを解いて階段の前まで歩き、ウォレスは言ってみる。
「何だ、君か? ……また、ずいぶんと気が早いな」
アレシア。彼女だろうとそう思った。他にこの階層を出歩ける者など――ディオンたちが部隊を組んでこない限り――いない。しかし先ほど壁に飲まれたばかり、新たな武器も抜いていないというのに。どういうことだ。
けれど響いてきた声は、絹のようなそれとは違った。
「……ほう。私が分かるか、英雄殿よ」
女の声、けれど低い。耳に引っかかる声だ、迷宮の積み石の間に挟んで、長年かけてすり潰したみたいな声音。しかし齢取っているというわけでもない。聞き覚えがある。確かに、ある。
こりり、と音を立てた後、くちゃくちゃとねぶるような音が続き、同じ声が後を受けた。
「しかし、君、とはご挨拶よな。それほど親しかったとも……いや、そうでもないか。なにせ一歩間違っておれば、私と
ぱちん、と指を弾く音がして、階段上の空間が震えた。
薄闇の中、まずはっきりと見えたのは銀縁眼鏡。わずかな光を反射して、ぺかぺかと下品に輝いた。肩に下がる灰色の髪は荒く波打ち、何日も櫛を通していないのが――ウォレスが言うことでもないが――分かった。男ものか、大きなサイズの魔法衣、その下に見え隠れする首飾り。これはウォレスにも覚えがあった。首から下がる金の鎖、その先で金の型にはめ込まれた水晶玉。
光を放つその首飾りは『王家の
今、それを身につけているのは。かつてウォレスらが救出した王女。魔王を討伐した後、ウォレスと婚約を前提に、顔を見合わせた姫君。なるほど、あの顔に十一年ほどの歳月――それに脂肪――を詰め込んだならこうなるか。残酷にも。
ウォレスは口を開けていた。何を言えばいいか分からなかったが、とにかく口は動いていた。
「ああ、やあ、久しぶりで。姫……や、殿下、か」
喋ることもなしに顔は笑みの形を作り、口は動き続けていた。
「お元気そうで、何より。
「あるからこうして来ておるのさ。私ほどの者が直々にな」
へし折るようにそう言って、王女はさらに言葉を続けた。
「我が望みの宝珠は、手に入ってはおらんようだが。進展はあるか」
「……進展ってほどのもんはありませんがね。しかしそもそも、龍の宝珠ってのは――」
――いったい何だ。どんな物だ、何のためにある、王宮は何を知ってる? 失われて何が困る。それを使えば、いったいどうなる。それにあんた、どうやってここまで一人で――
口にしようとした言葉の先をかじるように、王女は白い歯を剥いた。そして言う。
「思い違うな。
ウォレスは眉を寄せた。
「触れるな、と? どういうことです、妙な話ですな。王宮にしろ何にしろ、探せと言ったのはそっち――」
「騒ぐな」
言い放った後、眼鏡を指で押し上げて王女は続けた。
「いいか? 私はあれを、
復讐。されるいわれなどはないが、彼女がそうするだろう覚えならある。
何しろ言われたことがある、『許しはせぬ』と。ウォレスが婚約について、核心を切り出そうとしたそのときに。