喪失迷宮の続きを   作:木下望太郎

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第16話  来なかった 

 

 来なかった。

 

 待ってもアレシアは来なかった。最下層の部屋でまんじりともせず寝転がり、起き上がって膝を抱え、やけになって呑んだくれ――不死鳥の唐黍酎(フェニリクス)と交換した葡萄酒や焼葡萄酎(ブランデー)唐黍酎(バーボン)褐色糖黍酎(ラムダーク)、それに馬鈴薯酎(ウォトカ)――、干し肉と干し鮭をやたらに噛む。

 

 一晩だったか一日か、あるいは数日、それは分からない。何度も小便はしたし一度は大便もした、それらがすぐに喪失するのも見た。そうしている間中、寝転がっている間中、呑んだくれている間中、ずっと槍と短剣を抱えていた。それでも待つしかできなかった。

 

 やがて、よろめく脚を槍で支えながら立ち上がる。ろれつの怪しい舌で転移の呪文を唱えようとして、最下四層では使えないことを思い出した。

 

 

 

「お、おお女とよぉ、猫はよぉ、なあマスター、呼んでも来ねえっつうけど呼ばなくたって来ねぇ! 待っても来ねぇ! 来ねぇんだよなぁおい、だよなぁマスター? な?」

「ええ先生、まったくで」

 表情一つ変えずにそう応えてくれた。覇王樹亭(サルーン・カクタス)の店主は、カウンターの向こうで。

 

 同じ話をもう何度もしていることはウォレス自身も分かっている。それでも気がつけば言ってしまっている、言う必要がある気がしている。伝える使命があるとさえ思っている、この発見を。大真面目に。

 そんな自分を、カウンターを叩いて大笑いする。床とカウンター台の脚の下、敷かれた銅板に音が響く。抱えたままの槍の穂先も、床に擦れて耳障りに鳴った。

 

「バカバカしい、ろくでもねぇやな酔っ払いってのはな、なぁマスター? あぁダメだ、みみ、水と、口直しだ、麦酒(エール)を……『黒いの(スタウト)』をくれ」

 黒いの(スタウト)はさほど好みというわけではないが、中休みには悪くない。濃く舌に溜まる味で、がぶ呑みしようという気にはならない。腹にも溜まって、呑み過ぎていることを教えてくれる。もちろん、呑むのをやめるという考えはない。

 

 ジョッキで出された水を半分まで一息に飲み、黒いの(スタウト)も同じだけ一息に呑む。盛大な音を立てて胃袋の奥から息をついた。慣れない甘ったるさが気に入らず、もう半分も呑み干す。別の麦酒(エール)を注文した。

 

 運ばれてきた『中口の(アンバー)』を一口呑み、息をつく。琥珀(こはく)色をした麦酒(エール)は程よく苦く程よく軽く、()く香る。舌の上に後味を残しながらもなめらかに喉を滑った。

 

 変わらない。これだけだ、変わらないのは。あの頃に呑んでいたのと同じ、酒の味、酔いの味。だからこそウォレスは呑むのかもしれない。

 変わらない――だからこそ、ウォレスは迷宮にいるのかもしれない。迷宮もまた――酒以外で唯一――変わらない。そこにある。酒が呑まれるのを待つように、それまでは決して出しゃばらないように、迷宮もじっと待っている。待てないのはウォレスの方で、それで迷宮に生きている。呑んだくれて。

 

 頬と耳たぶの脂ぎった火照りと、こめかみに速く打つ脈を感じながらまた一口。そして、ジョッキの上から酒をのぞき込む。自然に微笑んでいた、手を掲げていた。巨蜥蜴(おおとかげ)に喰われた冒険者にしたのと同じ、挨拶だった。

 

 手にしたジョッキが揺れ、綿(わた)のように分厚い(あぶく)の層に切れ目が見えた。琥珀色の液面に細かな(あわ)が一つ一つ上がっては消えていく。

 

同じだと思った。迷宮に挑んでいく自分たちと。そして、迷宮とも。そこには常に、魔物がいて、戦いが在って死が在って、宝が在る。いつもいつもそうだった。これからだって。

 

 ジョッキの中で揺れる泡(あぶく)を見ながら、同じく揺れる頭で思う。同じだ、生きて、昇って、生きて、揺れて、深いジョッキの、迷宮の中で。そうして死んで、呑まれる。

 

「同じさ、同じ。(こいつ)も……俺も」

 きっと俺も、いつか呑まれる。

「なんてなぁ! なぁおい、おい――」

 

 カウンターを叩いて笑い、立ち上がろうとして。ぐるんぐるんと酒場が回った。店主の顔が三つに揺らぐ。カウンターが不意に起き上がり、仕返しとばかりに顔面へとぶっ飛んできた。叩かれて燃えるように熱い頬と耳たぶと、痛いほどに血の巡るこめかみ。薄情にも椅子は勝手に避けて、そのせいでウォレスは地べたに倒れた。

 

 

 

 

 

「さ、いい? 聞いて。今から行くのは別世界、君らのとことは全然別もの。そこの主は君らじゃなくて、そこに住まう魔物じゃなくて。迷宮そのもの、そんな世界。それでも行くかい、準備はいいかい? ――それじゃあ行くよ、初心者(はじめて)くんたち」

 

 迷宮の入口前で、注目を集めるように二度手を叩いて。唄うようにそう言って、六人の目を順に見たものだ、アレシアは。あの日のアレシア。日差しは強かった、まともには日を見上げられないぐらいに。

 

 あの日のウォレスは笑った、半分は無理に、こわばった顔で。もう半分は湧き出るように、心の底から。あるいは後の五人も同様に。

 

 悪友は皆で六人だった――六人、それが最良の人数だとは常々聞いていたことだった。直接戦闘をする前衛が三人、魔法や長柄武器、飛び道具で援護する後衛が三人。迷宮内の面積ではそれを越えた数はまともに機能しない。加えて言えば、両脇に壁があり、曲がりくねった迷宮内では長柄や飛び道具は地上でのような効力を発揮しない。闇の中でも即座に振るえる剣や手斧こそが最大の武器だった――。

 

 それでもアレシアはついてきた。正直ありがたかった、六人に魔法を使える者などいない。三人が剣や手斧、もう三人が槍や長柄斧を持つばかり。魔導と療術の両方を使える、何より迷宮の経験がある先輩。彼女が必要に応じて魔法を使い、指示を出してくれるという。

 

 入口前の詰所でいる、番兵はうさんくさげな眼差しを投げかけていたが。気にした風もなく、アレシアは笑っていた。

 

「返事はどうした、初心者(はじめて)くんたち? さ、いい、行くよ!」

 おう、と、まばらに声が上がる。

 おおげさにアレシアはかぶりを振る。

「死んだね、これじゃあ、全滅だよ。決定、全滅、墓地直行! そうじゃないだろ、声小さい!  も一度行くよ。さ、いい、行くよ!」

「おう!」

 声が揃い、アレシアは駆けた。(くら)むような日差しの中、積み重なる岩の間、角のように突き出た石柱の間。真っ黒に口を開けた、迷宮の出入口へと。

 

 ウォレスたちも後を追い、途中でアレシアに背をはたかれる。

「魔法屋が先行ってどうすんの! しっかりやれよ、戦士くんたち!」

 余計に勢いづいたままなだれ込む。競走のようになり、肺が裂けそうになりながらもウォレスが競り勝つ。肩で胸の前で革鎧が躍り、腰では剣が待ち切れぬように鞘から飛び出しかける。

 

 入口手前に差しかかったところで足元が土から石畳へと変わる。そこで自然、足並が緩まり、六人が並ぶこととなった。

 歩く足の下、石畳は硬く。目の前に見えるのは闇ばかりで。そこから漂い来る空気は冷たく、背中の産毛が緩やかに逆立つ。六人の足が申し合わせたように止まっていた。

 

ディ・イフ・エーベ・(仮に昼の日がなくとも)サニス・エンレブラ・レイト(それはそのように照らすだろう)――【灯光(ディエーセル)】」

 後ろからアレシアの声が――今までの唄うようなそれとは違う、低く謡うような声が――響くと同時。目の前の闇が照らされていた。

 振り向けばアレシアの頭の後ろ、少し上に。白い光を淡く放つ――太陽の端をちぎって一月ほど放っておいた後みたいな――ものが漂っていた。

 

「ま、最初はそうだよね。暗いしさ、よっぽど慣れれば別らしいけど……でもまっ、だいじょうぶ。この呪文があればさ。さ、行こう」

 光の中、にんまりと笑う彼女を見て。六人が六人、うなずいた。そして光の中、揺らぐ自分たちの影を見ながら。一歩、足を踏み入れる。足音の響きが壁を、天井を駆け、背後の地上へと昇っていくのを聞きながら、階段を下りる。

 

 

 

「アレシア」

 そう言った、今のウォレスは。かつてのウォレスは口に出したりできなかった。

 何より。アレシアが今、目の前にいた。

 

「なに、ぼく」

 にんまりとは笑わずに、薄く微笑むアレシアが見下ろす。

 

 そう、見下ろしている。ウォレスは背に後頭部に、壁へもたれている感触を感じ。それからようやく、自分が立っているのではなく、地べたに横たわっていることを理解した。立っているだけの力などないことも。

 

 首を起こして見回せば、見慣れた棚や酒樽がある。自分の部屋。それが分かったところで軋むようにこめかみの内側が痛み、頭を床へ下ろした。

 それより何より、いる。アレシアがここにいる。

 

「アレシア、なあアレシア」

「大丈夫。大丈夫だよ、ぼく」

 アレシアはそれだけ言って、傍らの床から何かを取り上げた。槍。ウォレスが抱えていた槍、それに以前引き抜いた短剣。

 

 おかしいな、それは確かにたのまれていたけど。あのアレシアにたのまれたものだ、どうしてこのアレシアが持つのだろう。

 

「アレシア、ねえ、アレシア」

 アレシアは槍を抱え上げ、青く文字の描かれた穂先を見つめる。次に短剣のそれを。

「たしかに、ね。行ってくれたね、封印の場所。ありがとありがと、ほんとうに」

 さえずるアレシアの唇が、赤くひらめくのを見つめながら。ウォレスは何度も瞬きした。

 

 ちがう、ちがうよアレシア。まちがえている、きみはそっちじゃあないよ。あのアレシアじゃないんだよ、そんなこと言わなくていいんだよ。

 

 アレシアはかがみ込むと、脂ぎったウォレスの頭を優しく撫でた。

「ね、ほんとうにありがとう。次がね、最後のその二つ。お願いね」

 ウォレスと重ね合わせた手に、覚えのある欠片の感触が二つ載せられる。

「地下六百十四階、北東の隅。それに七百二十一階、北側端の壁、西の方。探して、君ならできるからさ」

 

 ちがう! ちがうよ、きみはそんなこと言わないよ。きみのことなど、ほんのひとつも知らないけれど。それだけはきっとまちがいない。それに、それに、ねえ――

 

「アレシ……」

 ア、と言おうとして、言葉以上に喉の奥から込み上げて、胃袋の中身を盛大に吐いた。

 

 苦酸っぱいにおいに顔をしかめもせずアレシアは――いや多分、今のアレシアだ――言った。

「もうすぐ出られる、また出られる。狭い地中なんかじゃなくて、地上(うえ)に、自由に」

 そう言った後、もう一度次の場所を繰り返す。背を向け、薄闇に融けた。

 

 荒い呼吸の中、ウォレスは震える手を伸ばした。何にも(さわ)れず、反吐(へど)の上に落ちた。唇だけが彼女の名を呼ぶ。

 ――アレシア。冒険に。俺と冒険に行こうよ、アレシア――

 

 ひとしきり、おこりのように震えがあって、やがて収まる。呼吸も深く長くなる。

 

――ああそうだ、どうかしていた。アレシアだ、あれは。あの頃のではなく。そうだ、何をやっているんだ俺は。武器だの何だの、問い詰めるはずだったのに。もっと、話すつもりだったのに。

 そうだな、そうだ――そうだ。呑む約束もすればよかった。

 

 そう考えたところで、また吐いた。

 

 

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