喪失迷宮の続きを   作:木下望太郎

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第17話  酒はやめた

 

 反省した。

 

 少なくともウォレスはそう思っている。以来――五日ほど――酒は口にしていない。収穫はなかったが、王宮からの仕事に精を出している。薄荷茶(ミントティー)を頼んでも、覇王樹亭(サルーン・カクタス)の店主が目玉を剥き出すことはなくなった。うさんくさげな目で見てくる。

 

 その日も探索を終えて幾つかの戦利品を抱え、茶と食事を求めて店へと歩を進めていた。何がいいか、特製のソースに漬け込まれた巨蜥蜴(おおとかげ)肉の(あぶ)りを厚切りパンに挟んだもの――柔らかな生地に染み込む肉汁がたまらない――、それに生野菜の大盛りか。

 時間はかかるが山羊チーズのとろけるピッツァ、塩の利いたサラミを載せたやつ――クセのある匂いもまたいい、あっさりとこってりが口の中で混ざるのも――、それに生野菜の大盛りか。

 シンプルに羊と鶏と猪の串焼き――いやだめだ、さすがに麦酒(エール)が欲しくなる――ああ、とにかく野菜は大盛りだ、修道僧か山羊のように。酒精(アルコール)をそうしていたように。

 

 唾を飲み下しながら店の分厚いドアを開ける。店主に歯を見せて笑いかけ、カウンターにつこうとしたところで。空き樽のテーブルについた客に、見知った顔を見た。知った顔なら他にも見えたが――名前を知らない者も多いが――先日見たばかりの顔、二人で呑むところなど想像したこともない顔だった。

 

 王女は値の張るハムのような手で、ジェイナスに酌をしていた。

 

 白髭(しろひげ)の騎士は杯を受け、何も言わず白葡萄酒を呑み乾す。そして席を立ち、カウンターへ財貨の詰まった袋を置く。店主が代金を取るのを鷹揚(おうよう)に見守った後、袋を取ってこちらへ歩んだ。

 表情を変えず、目礼だけをウォレスにして、ジェイナスはドアを開けた。

 

 何度か瞬いた後、ウォレスは店主に食事を――適当なものと薄荷茶(ミントティー)、それに野菜の大盛り――を頼む。カウンターを過ぎ、ジェイナスのいた席に座った。抱えた荷物は別の椅子に置く。

 

 王女は表情を変えずに酒瓶をつかみ、らっぱ呑みに呑み乾した。

 ウォレスは樽の上に肘をつく。

「……たかろうってんじゃないんですがね。ただその、珍しい取り合わせだったもんで。何か話されてたんで?」

 

 王女は胃の奥から音を立てて息を吐き出し、それから喋った。

「……別に。ただ、()びられたよ」

「詫びを?」

 聞き返していた。あの人が他人に詫びねばならないことなど何もない。口の臭さ以外はそれこそ何も。

 

 酔いの回ってきたらしい目を伏せ、王女はつぶやく。その口調はジェイナスを真似たもののようだったが。彼ならきっと詫びるときも、こんなに小声になりはすまい。

「この拙者、力及ばず心は弱く。姫君をすぐにお救い申し上げることができませなんだ。もっと早くお救い申し上げておれば――」

 そこで口を止め、小さくしゃっくりをする。そのまま横を向いて黙った。

 

「……申し上げておれば?」

 ウォレスが催促すると、王女はまた小さく喋り出す。

「――魔王め、と、さほどに馴れ合うこともありませなんだでしょうに。……されど、そうはなりませなんだ、拙者では魔王も、後に魔王が召喚せし邪神めも、討つこと叶いませなんだ。どうぞ拙者めをお許しなさいますな――、等々、とな」

 

 ウォレスは樽の上に目を落としていた。

「そんなことを……」

 ずっと思っていたのだろうか、あの人は。仲間を(うしな)い、迷宮を当てもなくさまよいながら、ずっと。

 

 それに、王女が魔王と馴れ合った、とは。ジェイナスも、王女が魔王を好いていたと考えているのか。確かに当時、救出が成功する前からそうした噂は――ただの下世話な憶測として――あった。だが、ジェイナスまでそれを信じていたのか――まさか、あり得ない。

だったら今日、ウォレスが来るまでに。そうした話もしていた? となると王女がウォレスに言った以上に、二人は深く話をしていたことになる。

 

 そこまで考えて思う。しかし――今さらだが――本当に王女は魔王を好いていたのか? たとえ七年もの間、二人きりしか人間が――アミタもいるにはいたか――いなかったとはいえ。その仇を十一年も怨むほど、想うようになるものか? 王女をさらい迷宮にこもってまで反逆した、大悪人を? 

 

「殿下。魔王と、何があった? いや……魔王は何をしていたんだ、そもそも? こんな地の底で?」

 王女の表情が固まる。が、すぐに頬を緩めていた。

「ほう。妬くかね婿殿、今さらか? 男の方が未練がましいというのは――」

 掃きのけるようにウォレスは言う。

「違う。なんで、魔王はここにいた。喪失迷宮なんぞに、何の用があったんだ」

 

 失われた龍の宝珠。それはそもそも、魔王が所持していたものだった。そして魔王は――反逆の魔導王、メイデル・アンセマスは――元々宮廷魔導師だった。宝珠が何かは分からないが、いつから魔王が持っていた? 迷宮にこもってから手に入れたか、それとも。宮仕えの頃、すでに持っていた? 

 そして、その頃から持っていたとしたなら。反逆のため迷宮へ降りたのではなく、宝珠を持って迷宮へ行ったから――『龍の宝珠は迷宮で使われる』――反逆とみなされたのではないか? 

 

 考えるように視線をさ迷わせ、王女は答えた。

「さて。私も、詳しくは知らぬが。何やら研究していたようだ、喪失迷宮について」

「そいつは何を……いや。研究ってのは前からで? つまり、魔王と呼ばれる前から。王宮でもその研究を? 殿下は、その頃の奴を知っておいでで?」

 知っているのではないか、魔王の目的も。あるいは以前から親しかった? だからこそ彼を慕い、もしかすれば自ら迷宮へ降り、人質となった? 

 

 王女は酒瓶を手にし、空なのに気づいたかまた置いて。それから鼻で笑った。

「どうした、急に熱心になるではないか。……ああ、そうよ。これも詳しくは知らぬが、宮廷でもその研究をしていたそうだ。顔ぐらいは合わせたこともあるが」

 

 何をしようとしていた、魔王は。龍の宝珠で、この迷宮で。

 

 聞く前に、眼鏡をかけ直すと王女は席を立った。

「さて。私はそろそろ探索に戻る、(うぬ)は適当にしておるがよい」

 

 ウォレスは離れていく背を見つめ、再び口を開いた。

「もう一度聞く。魔王は、何をしていた」

 

 王女は足を止めた。顔だけをウォレスの方へ向ける。

「……護っていたよ。何もかもを」

「……何?」

 

 王女は再び歩き出した。

「彼はそうした、私もそうする。彼に感謝したがよい。『怨みは忘れよ、護ってやれ。何もかもを、誰もかれもを。そうして貴方も生きてゆけ』――常々、言いつかっていたことだ」

 ドアに取りつけられた鐘が鳴り、王女は店を出ていった。

 

 ウォレスは鼻で笑っていた。どの口が言うことか、そう思った。

 彼女はすでに、魔王の言葉を破っている。

 

 カウンターの奥にいた店主へ尋ねる。

「金は?」

「ご心配なく、先ほどの紳士がすでにお支払いを」

「なるほど、紳士だ。紳士と言やあ――」

 ウォレスは椅子に置いていた荷物の包みを解いた。魔法薬の瓶、宝石のはめ込まれた短剣、融けたまま固まったような貴金属の塊。探索での戦利品を、重い音を立ててカウンターに置く。

「――俺もなかなか紳士でね、いつかのつけはきれいに払おう。つりは必要ない、が――」

 笑みを消し、店主の目をのぞき込む。

「――聞きたいね、紳士と淑女、何を喋ってた?」

 

 店主はウォレスの目を見返し、それから微笑んだ。

「奇遇ですな、私も紳士で通ってましてね。男女の語らいを盗み聞くほど、野暮天(やぼてん)じゃあありませんで」

 カウンター上の物を押し返す。

 

 覇王樹亭(サルーン・カクタス)は情報屋ではない、それは重々知っているが。それでも聞いておきたかった、聞く必要があった。王女は何を隠している? 

 

 表情を変えず考える。五度ほど息をする間があれば、店主を充分絶命させられる。手加減すればその手前まで。いかに店主といえど、喋りたくなるだろう状態まで。

 が、そうまですればこの店も終いだ。店主とて居座り続けるわけはない、ウォレスがまともなものを食える場所、樽ごと()すようなつもりで麦酒(エール)を呑める店も終いだ。

 

 店主は微笑みを消して言う。

「先生。もしも良からぬ考えがおありなら、こちらにも考えがありますな。奥で作らせてるトビウオの塩焼き、かりっかりのクルトンと焼きチーズを散らしたサラダ。とろけそうに味の染みたマッシュルームのシチュー、バジルと燻製した木の実(スモークドナッツ)のパスタ。今すぐ床にぶちまけます」

 

 奥から漂ってきた魚の焼ける匂いに、不様にも腹が鳴る。床で喪失させられていく料理を想像し、かぶりを振った。

 魔法薬だけを代金に残し、後のものを包み直す。なるほど、海のものは久しぶりだ。乾いたものなら時折は口にしたが。焼いたトビウオなら昔はたまに食べた、好物の部類だ。脂の少ない割にしっかりとした味わい、翼のようなヒレも格好いい――そこをかじったからといって味というほどのものもないが――。地上の味、か。

 肩をすくめ、カウンターについた。

 

 

 

 料理を堪能した後でうっかりと葡萄酒を注文しそうになったとき、店主が口を開いた。

「先生、ところで。西風堂(ゼファー・トレード)から伝言を預かっております。お仲間の方たちからですな、『明日の夕食時前、地下二十八階。(ドラゴン)像の前にて待つ』と」

 

 直に報告に来い、ということか。しかし実際のところ、伝えるほどのことはない。伝言も面倒で、毎日しているわけではなかった。

浅い階はもちろん、地下四百五十一階から始めて地下五百九十六階、そこまでの探索はひとまず済んだ――早いものだ。何しろ他にやることはない。この数日間ではなく、九年間の話だ――。全ての部屋と通路を巡って、それらしき物も、宝珠を奪った者が留まっていた痕跡も見つからなかった。

 

 地下六百十四階と七百二十一階、アレシアが言い残した場所には行っていない。とはいえ、最下層から地下七百二十一階、そこまでは転移魔法が使えない。探索に出る前、必然的に近くを通る。それでもそこには行かなかった。

 下半分の階を総ざらいして、ディオンたちの方も探索を終えたなら、それで他に何もなければ、そのときは行こうと思っている。そしてアレシアがまた現れたなら。そのときこそは、全てを問い詰めよう。呑む約束は――するわけがない。

 

 とにかく、仕事の終わりまでは酒を断つつもりでいた。いや、少なくとも控えるつもりだ。何にせよ、今日までは断っている。

 

「しっかし……」

 地下二十八階。行くとするなら、地下五十階より上に出るのは何年ぶりか。そもそも本当に行くのか、言うべきこともなしに? それになぜ呼ばれた? 今までろくに伝言していなかったのを、ディオン辺りが怒っているのか。それとも向こうに何か収穫が? またあるいは、先日別に頼んだことへの返答。

 だがいずれにしても、直接会う必要があるものだろうか。

 

「……やっぱり、怒られるのか?」

 結論が出ないままかぶりを振った。呑みながらじっくり考えてみるか、そう思いかけてまたかぶりを振る。

 

 

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