喪失迷宮の続きを   作:木下望太郎

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第21話  獣女アミタ

 ウォレスは翌朝――朝だ、辺りは変わらぬ薄闇だが、間違いなく朝だ――目を覚ました。酔いの余韻は残るが、それでも目は冴えていた。頭も。

 行こう、と思った。残りの仕事に。そして探す。魔王について、あるいは迷宮について誰よりよく知る者、アミタを。

 

 思うと同時に体は起き上がり、下着を脱いで着替えていた。脱ぎ捨てた下着は思いの他擦り切れ、破れてさえいた。石畳の床へ放る。

 それが喪失されるのも見ず、近くに置いていた瓶から水を飲む。服を着込み、剣帯を締めた。降り積もっていた埃を払い、靴を履く。

 

 

 

 一言で言えば駆けずり回った、浅い方から地の底まで。転移魔法を何度も唱え、住人の下をめぐり。魔物の気配に耳を澄ませ、用意した荷物を抱えて走り。そうしてようやく、見つけた。

 

 顔を覆う黒髪の下、アミタはにらみ殺すような目をしていた。床についた短い前足――彼女以外の人間なら手と呼ぶだろう――をさらに縮め、肉の張り詰めた尻を高く上げ――ぼろ切れでしかない衣服が胸元、ゆったりとした襟巻きの結び目までずり落ちて、浅黒い肌があらわになる。垂れ下がる衣の向こうでは同じくぶらりと、柔らかなものが揺れているはずだ――、跳びかかろうとする体勢のまま口を開いた。

 

 八重歯というには長すぎる、刃物のような歯が白くきらめく。

「何をしにキた、えェ? 糞野郎、何をしにキた! 外道ガ、糞ガ、畜生ガ!」

 

 彼女から後ろの闇には黄色に、緑に、赤に、様々にきらめく目があった。それらの主はそれぞれに、彼女とは違う姿をして、彼女とは違う声で唸っていた。

 

 大部分は豊かな灰色の体毛を持つ、大柄な狼。ときに猫。三つ首の子犬。黄色と黒の縞の蜥蜴(とかげ)。掌に乗るほどの虎。子馬ほどの体格の(ドラゴン)。長い角と、地へ向け伸びた牙を備える牛。その牛二頭分ほどの、巨大な兎。

 

 一通り見渡した後。畜生はお前だろうと、思いながらもウォレスは身を縮めた。敵対するつもりはないし俺はひどく怯えている、という意思表示だ。少なくともそうしたつもりだった、伝わるかは知らない。何しろかつては魔王――反逆の魔導王、メイデル・アンセマス――の従者――魔王を倒したときには十代半ばに見えた、となると今は二十代の半ばか――として、一度は倒した相手だ。殺してはいないというだけで。

 

 用意の荷物を抱え直し、押さえるように両手を突き出して言う。

「すまんな、アミタ。本当にすまん。だがまあどうだ、喰ったり喰われたりは普通のことだ。お前らだって迷宮の壁を食って生きてるわけじゃない。別の魔物も喰うし、人だってお前の仲間は喰ってるじゃないか」

 もちろん目にしたときは止めている。そしてもちろん、目にしていないときは止められない。

「だからさ、だからだぜ。人の方だって、俺だって魔物をよ、お前の仲間を――」

 喰うこともあるさ。そう言おうとしたところでアミタが唸りを上げる。鋭い爪を床に軋らせたかと思うと、四つ足――手を含む――で床を蹴り、風を切って跳びかかってきた。

 

 おかげでウォレスは反射的に身を沈めつつかわし、アミタの喉笛へ手を伸ばして気管と動脈とを砕くような力で正確にねじり上げつつ、抱えて床へ投げ落とした後、素早く立ち上がってみぞおちへねじ込むような蹴りを入れてしまっていた。彼女の中のしなやかな肉を隔て、硬い床の感触をかかとに感じた。

 

「あああしまった! 生きてるか、おい! 生きてろよ、アミタ!」

 やり過ぎた。やるつもりはなかった、これほどには。もっと遥かに、死にはせずしかしひどく痛んで死にたくなる程度に、手加減するつもりだった。

 

 とたんに辺りの獣たちが唸る。

 それを消すほどの大声で、ウォレスは叫んだ。横の壁を蹴り砕きながら。

「黙れ! 文句があんなら喋んな死ねや! だ、ま、れ」

 

 跳びかかってくる奴がいたなら絶対に、そいつが空中にいるうちに。二百五十五以上の肉片に、ちぎり捨てて殺してやる。何匹いようが最初の三匹、そいつは必ずそうなっている。後は残念ながら手が足りない、全部普通に叩き殺す。

 そう決めて一通り眺めると、飛びかかってくる魔物はいなかった。

 舌打ちしてアミタを見やる。

 

 びくりびくりと身を震わせ、口の端から血反吐を垂らして――幸いそれは、すぐ床で喪失されてはいた。衣が全てまくれ上がった姿は興味深いはずのものだが、台無しだ――、白目を剥いていたアミタは、長く咳き込んだ後ようやくつぶやいた。

「糞……外道ガ……」

「同感だな。まあなんだ、(ののし)られついでだが」

 しゃがみ込んで懐から小瓶を出し、栓を抜いてみせた。とたんにアミタが鼻をひくつかせ、弾かれたように首を起こす。不死鳥の唐黍酎(フェニリクス)。あらゆる傷を癒し死人すら蘇らせる霊酒。

 

 それをウォレスは一気に呑んだ。

 

 アミタが目を()き、声にならないうめきをあげる。

 

 ウォレスは空き瓶を放り捨てる。

「旨かった。実に旨かったよ、それに体調も良くなった。お前も呑んだなら、そんな苦しみはすぐになくなるんだろうな。ところで、もう一本あるんだ」

 

 取り出したもう一本へ、爪の伸びる手を出したアミタを。ウォレスは反射的に殴った。床の上にアミタの頭が跳ねて、ひどく硬い音を立てた。

 さすがにウォレスの頬が引きつる。

「……すまん。わざとじゃないんだ。で、だ。お前が俺の聞きたいことに全部答えてくれるなら、こいつをくれてやってもいい。お前が呑むならいいが、そうでなければ多分死ぬ」

 

 アミタなら死にはしないかもしれないが、そう言っておく。抱えた荷物を揺すって続けた。

「どうする? 呑むか? 全部喋って呑むか? そうするならついでだ、土産にいろいろ買ってきてる、そいつもみんなくれてやるよ。お前の鼻なら分かってるだろ、皮を揚げるように焼いた骨つきの鶏肉、こりっこりの手羽先だ。それに、塩気とコショウの利いた腸詰。さくりさくりと香ばしい焼き菓子。とろっとろ甘あまのバタークリームが二瓶」

 ぴくり、とアミタの耳が動く。

「どうする?」

 

 やがてアミタがうなずくのを見てから、その口に小瓶の口をねじ込んでやった。むせ返って中身をいくらか吹き出しつつ、アミタは霊酒を呑み下す。

 

 楽になったか、深く息をついた。起き上がると、足と掌を床につけた姿勢でかがむ。後ずさった後言った。

「……よコせ」

「あぁ?」

 声を荒げると、アミタは身を震わせて縮こまった。その後ゆっくりと元の姿勢に戻る。

 

 ウォレスは息をついた。やり過ぎだ。人間相手にこれはやり過ぎだ、本当に。帰ったら忘れるまで呑もう。

 

 アミタはかつて若くして優秀な聖職者だったという、一説には。慈悲深い彼女は迷宮で殺される魔物を憐れみ、彼らを弔うため、また彼らと共存する方法を探すため自ら迷宮に潜った。だが血生臭い迷宮の現実と叶わぬ理想に耐え切れず、人間であることを忘れ去ったのだという。

 別の者が言うには、彼女は聖職者ではなく、相当の好き者で。人間のそれに飽き足らず、魔物といたしたくなって。良くなり過ぎたその挙句、頭のタガが外れたのだという。

 事情通がさらに言うには、それらは半分ずつ正解だと。好き者の聖職者だったのだと。彼女の知人を知っているという者によれば、それらはいずれも間違いで。召喚師だか錬金術師で、魔物を自ら造りだす新魔法の実験をして、誤って自らの体に、魔物を合成したのだという。

 

 もちろんどれも嘘だ、魔王や邪神と戦っていた時期の、酔いどれ共のほら話だ。その頃のアミタはよくて十六、七だろうに、信じる奴もよくいたものだ。

 

 小娘のころからアミタはいた。魔王と共に、迷宮に。おそらくは迷宮に捨てられたみなしごで、どうしたことか魔物に育てられたのではないか、それを魔王が拾ったのではないか。

 あるいは魔王が召喚した、人間型の魔物なのか。それとも魔物が憑いた娘か。

 

 ウォレスはそう思っているが、要するに。アミタについてはまるきり謎で、つまるところはどうでもいい。大事なのは彼女が一部の魔物を率い、魔王につき従っていたことだ。部下としてか友としてか、道具としてかあるいは娘としてか。それもまた謎だったが。

 

「喋ってくれたらちゃんとやるよ。いいか、俺が聞きたいのは、だ。龍の宝珠。魔王が持ってた、魔力のこもった玉。こいつがどこにあるのか、そしてそれは何なのか。つまり、それがあると何ができるか、だ」

 

 アミタは鼻を鳴らし、つぶらな目を髪の下で瞬かせた。

「知っテる、ソれ。持っテる」

 

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