アミタに去られた後、その足で
鐘を鳴らしながらドアを開けると、テーブルにジェイナスの姿があった。
「やあ、旦那」
ジェイナスはこちらを向き、しかしその目はウォレスを映していないように見えた。間が空いてようやく返事が来る。
「……やあ、若き友よ。それからどうだね、帰ってきたかね。お主の友は」
しばらく口を開けた後、ウォレスはかぶりを振ってみた。
「そうか。……そうかね」
また焦点の外れた目で、中空を見つめたあと。ぽつりとジェイナスは言った。
「会えた。会えたよなあ、我らは。我ら各々のその友と」
ウォレスが何も言わずにいると、ジェイナスはまた言った。
「会えておらん。会えておらんなあ、拙者は。喪失されていった友、皆とは」
ウォレスを見て、にこりと笑う。
「会いたいな」
うなずきかけて、ウォレスはやめて。それでも、焼けつくようにその思いはあった。忘れようとしていたことだった。渇いて酒を求めるような感覚。肉の内側、頭蓋の裏が、ちりちりと焦げついていくような感覚。
ジェイナスは言う。
「会いたいな。五人皆と会えるなら、拙者の命はなくとも構わん」
さすがに芝居じみた物言いに、ウォレスは笑ってみせた。
「先輩。縁起でもねえよ、だいたい他の奴が生き返ったって、あんたが死んだんじゃあ。その五人が泣くだろうよ」
ふ、と息をこぼすジェイナスは、泣くような目をしていた。
「かもなあ。だがまあ、どの道。そうなったら嬉しくて、拙者は死んでしまうかもなあ」
ウォレスは目をそらした。彼が天国に暮らす生き物のように見えた。この人のようにはなれないと思い、それが恥ずべきことにも思えた。
召使の扮装をした女が、オムレツの上にソースで絵を描いている。美味しくなる魔法とやらをかけた後――ウォレスの知識にはない呪文だった。戦闘と探索関係の魔法ならたいてい覚えたが、他の体系に属する魔導か――、一礼して去っていった。
二人前の皿の向こうでは、蒸されたタオルでディオンが顔を拭いている。
ディオンは何度も目をしばたかせ、深く息をつく。脂の浮いた皮膚はたるみ、わずかに口を開けたままの表情には疲れの色が見えた。何かをうかがうように辺りの席を見回し――今日は貸し切りでもあるまいが、他の客の姿はなかった。それでも
「すまん、
「何があった?」
ディオンは首を回し、ごきごきと鳴らした。
「魔物だよ。魔物ならいいが、魔物の群れだ、大群。大部分は狼だ、たまに猫。他には三つ首の子犬やら、毒々しい色の
「そいつは――」
「アミタ、だったか? 魔王と共にいた娘、彼女の姿らしきものも目撃されている。今回、私は直接見ていないが」
再びため息をつく。
「街を襲ったというよりは、別の場所を目指しているという感じだったか。被害が出なかったわけではないし、傍観するわけにもいかん。それとの指揮と戦闘でな。サリウスたちも来てくれた、それに結構な数、他の元冒険者らも。褒賞を申請してやらねばな」
「群れはどこへ行った?」
「半数近くは倒した。残りは散り散りだが、東の森を抜けていったようだ。他の街や隣国にも警戒を促したが、今のところ被害の報はない」
アミタとて迷宮全ての魔物を従えているわけではない。その一部を従えるだけで、まとまった勢力としては最大というだけだ。それで彼女たちが迷宮のどこへいっても、うかつに手を出されることはなかった。
とはいえ、それも空間が限定された迷宮でのことだ。開けた地上では勝手が違う。アミタたち程度の数では、人間の組織立った戦力にはかなうまい。
それでも彼女と群れが迷宮を、縄張りを自ら捨てた。現に半数は殺されるほどの危険を冒して。それはつまり、そちらの方がましだったということか? 迷宮に居続けるより。
迷宮で何が起ころうとしている? あるいは例の武器のせいで。宝珠のせいで。帰ってきたと自称する、喪失された者のせいで。
「そういうわけで警備強化の真っただ中だ、残念ながら長居はできん。手短にいこう、まずは魔王が元々何をしていたか、か」
ディオンが語るところによると。魔王――元宮廷魔導師メイデル・アンセマス――は、魔導による戦闘者というよりも研究者であり、喪失迷宮に関する研究が専門だった。自ら迷宮に潜ることも頻繁にあったという。
それが二十年前、突如王宮に反逆した。王宮から姫君をさらい、秘宝と多くの魔導資料を持ち出し、自ら迷宮の奥深くへ立てこもった。
ウォレスは尋ねる。
「そう、それなんだが。なんでまた、魔王は反逆なんぞした? 国一つを敵に回して。それだけの価値があったってのか? あの姫に? 王族にしか使えない秘宝に? ……それとも、この迷宮に」
あるいは――すでに手に入れていたとすれば――龍の宝珠に。
ディオンは唸ってかぶりを振る。
「それがだな。……すまん、分からんのだ。いや、分かっている者はいるはずだ、王宮の上の方とか研究者だとかな。私たちに教えるようなことじゃないと、そういうことらしい。それ以上は探れなかった」
つまりは魔王の研究内容、それは相当重要なもので。かつ、今の王宮にも知られている、つまりは研究されているのか。おそらく龍の宝珠はそのことに必要で、だから今、極秘に探そうとしている。そのことに必要だったからこそ、龍の宝珠に魔法による封印などはされていなかった。必要に応じて取り出せる、宝物庫に納められていた。
「じゃあ次、魔王が持ってた杖、それに刻まれてた古代文字みたいなやつ。これはどうだった」
ディオンは肩をすくめる。
「それなんだがなあ、そもそもどんな字なんだ? シーヤもサリウスも皆、杖に何か刻まれていたかは覚えていないそうだ。だいたい、君だってどんな字か書けんのだろう? 何を探すのか分からんのに探せるか」
そのとおりだった。杖自体はアミタが持っていて、他の武器はアレシアが持ち帰った。具体的に書いてみせられるほどには覚えていない。何しろウォレス自身も先日まで忘れていた、魔王の持っていた杖のことなど。
魔王本人との戦闘も正直印象に残っていない。彼が召喚した魔物が強かっただけで、自身は高位の魔導者というだけだった。ディオンとアラン、ヴェニィが魔物の相手をし、サリウスとシーヤが彼の魔導とどうにか渡り合っている間に、ウォレスが魔王を斬った。枯れ枝を斬ったような手応えを残し、壮年の元宮廷魔導師は倒れた。
本当にそれだけだった、魔王の横にいたアミタはついでに殴り倒したままで、誰も顧みはしなかった。それよりは魔王の首を――可能な限り生け捕りにしろというお触れだったが、現場の人間にはそれどころではなかった。危険性は排除したかった――うっかり床に落としかけて――大事な手柄の証拠が喪失されそうになって――、大慌てで拾って放り上げ、受け取ったシーヤがまた手を滑らせて、アランが滑り込みながら蹴り上げて。そっちの方に忙しかった。
後は皆で、金属製の桶でも用意してくればよかった、などと言いながら宝を漁って帰った。龍の宝珠もその中にあったのだろう。
「だよな、悪かった。もう一つ、龍の宝珠の外見。これは? 変な形だったか、特徴は? 中に何か入ってそうだとか、重いとか、逆に空っぽそうだとか、何か」
ディオンは腕組みをして何度かうなずく。
「まあ、まずそれを詳しく言うべきだよなあ上の方も。そこを秘密にしても探せんよなあ。私たちが覚えていると思ったのかもしれんが」
聞いているのは、掌からはみ出るくらいの大きさで、透明性はなくざらついて白く、くすんだ色のいびつな球状ということ。そしてアミタは、ウォレスが渡された欠片こそがその宝珠だと言っていた。色や外見は今のところ合うが、こんな薄く脆いものなのか?
「とはいえ、大きさや色、形は前言ったとおりだ。空洞ということもなく、みっしりとした重量があったそうだ。特に紋様などはなく、石のようなざらついた表面……ああそうだ、いびつといっても楕円形というより、先がわずかに細まっている。言ってみれば、卵型に近いな」
「卵……」
ウォレスはテーブルの下でポケットに手をやっていた。欠片が手に触れる。丸みを帯びた外側は石のように、ざらついた感触。内側はすべすべとして突起がない。卵。側面の欠片ならある程度平たく、底や端なら湾曲はきつい。卵。そして今は空っぽの殻でも、その前はみっしりと何か詰まっていた。
卵。卵だ、龍の宝珠は。なら、何かが生まれ出るのか? 生まれた後か、この殻は。
その卵から生まれ出るものを魔王は、今の王宮も、研究していた? ならば、殻だけ残った今は何が生まれた。王宮から卵が消えて、それから何が現れた。
「……アレシア」
怪訝そうな顔をするディオンに、顔をしかめてみせる。
「あれだな、分からんな、結局。ともかくそっちはアミタの行方を追ってくれ、
「ウォレス。急にどうしたんだ、色々聞いてくるなんてな。何かつかんだか」
「いいや。あんまり何も分からんからよ、そもそものことを整理したくてな。魔王の杖の話はまあ、手がかりかもと思ったが……俺の記憶違いかもしれん。アミタも結局、何も話しちゃくれなかった」
オムレツを切らずに突き刺し、丸ごとかぶりつく――思えば、魔物が溢れ出た直後で開いているこの店もこの店だ。浅くとも
他の飯も強引に、次々と口へ詰め込んだ。口いっぱいに頬張ったそれらを大ざっぱに噛み、飲み込んだ後で言う。
「ま、何だ。今日はおごるよ、この前のも返せるぐらいはある、こいつをみんなで――」
足元の絨毯に置いていた袋へ手を伸ばしたとき。ディオンが言った。
「やめろ。そういうことじゃない。そういうことじゃないんだ、私たちが言ってるのは。分かるだろう」
穏やかに微笑んで続ける。眉の端を下げ、いたわるように、憐れむように。
「
ウォレスは視線を落とし、茶のカップを取った。残りわずかなそれを、時間をかけて飲んだ。
「……分かってる。忘れてないし、覚えてるよ」
仕事に戻る、そう言い残してウォレスが席を立とうとしたところで。ためらうように目を伏せながら、ディオンが言った。
「……なあ、ところで。以前言っていた、喪失された者を見たという話。本当か」
考えてからウォレスは言った。片手の掌を上に向けて。
「ああ、本当さ。足腰も立たねえほど呑んだくれた日にゃ、迷宮に飲まれてった仲間が遊びに来るのさ。どころか、
「そうじゃあない。私も見た。見たんだ、喪失された仲間だ」
うかがうように辺りを見回してから続けた。
「ここに来る途中のことだ、隠し扉の前。何やら懐かしげに辺りを見回す男がいて、見覚えがあると思ったら。仲間だった、確かにかつて、喪失されていくところを見た仲間だ。言ったろ、この店が好きだった奴だ。あいつも私を覚えてて、声をかけてきて。……それから、壁に飲まれた。まるで草木の蔓のようにせり出してきた壁石に捕らわれて、消えたんだ」
ディオンはうなだれ、テーブルに肘をつく。組んだ手に額を当て、長く息を吐いた。
「……疲れてるのか、私は?」
「さて、な」