黒歴史小説 冬の蝉   作:味噌村 幸太郎

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 まだ冬が残していった寒さが残る朝、白い息を吐いて、一ノ瀬 守は用を済ました。

 駅の白いタイル張りのトイレは一段と冷える。

 煙草と清掃不足の独特の駅の匂いが漂う中、守は洗面所で手を洗う。

 

「ふう。やっぱ、冬の駅は応えるねぇ」

 声がした隣を見るとそこには以前、食堂でやりあった不良、有里 慶吾がいた。

 

「お、お前は! この前の……」

「そんなに驚かなくてもいいだろう。ヘヘヘッ、また今日にでもパンを賭けて一勝負やるか?」

「悪いが俺はいつも弁当を持ってくるんでな。あの時はたまたま、作り忘れたから買いに行っただけだ。普段は食堂を使わない」

 守がそう言うと慶吾はケタケタ笑い始めた。

「こいつはいいぜ。弁当を毎日、御作りになられるのですか? ではコック殿、私めにハンカチを貸しては頂けませんかな?」

 慶吾はわざとらしく、両手を出して腰を落とした。

 

「ハンカチをねだるとは本当に汚いやつだな。ほら、次は貸さないぞ」

 守は渋々、ハンカチを貸してやった。

「これはこれは。ありがたき幸せでございまする」

 慶吾の芝居はまだ続いていた。

 ハンカチで濡れた手を拭くとそのハンカチを鼻に当て、クンクンと犬のように匂いを嗅ぎ始めた。

 

「お、おい! なにをしている? 早く返せ!」

「ハァ~、殿方の匂いがたまりませんわ」

「き、貴様! ふざけるな!」

 守は慶吾からハンカチを奪い返した。

 

「あぁ、お待ちくだされ」

「いい加減にしろ!」

「ヘヘッ、冗談の通じねぇ奴だな」

 慶吾は鼻歌混じりでトイレを出て行った。

「ちっ、気持ちの悪い奴だ。しかし、ある意味、品田とタメを張れるかもな……」

 守が手を洗い直しながら独り言を言っていると慶吾が戻って来て、トイレの入り口からひょっこり顔を出して言った。

 

「おい、言い忘れたけど今日はバレンタインデーだよな。誰かからもらうあてはあるのか?」

「フン、そんなものには興味ない」

「おほほ、さすがコック殿、泰然としていらっしゃるわね。……けどよ、どっかで期待してないか? なんでしたら、私めが贈呈しますが」

「気味の悪い事を言うな! そういうお前こそ期待しているんじゃないのか?」

「それはねぇな。俺はそんな面倒くさいつーか遠回りなことは嫌いなんだよ。女なんてもんは押し倒して終わりだよ」

 守は吐き捨てるように言った。

 

「最低だな。お前は下品極まりない」

「ヘヘヘッ、光栄ですな。そのようなお言葉、では失礼、コック殿」

 慶吾はニヤニヤ笑いながらその場を去って行った。

「本当におかしな奴だな……」

 守は鼻で笑うと濡れた手をハンカチで拭いた。だが、手を拭いている途中であることに気がつき、一変して顔が青ざめた。

「し、しまった……これ、あいつが鼻を擦りつけたんだった」

 守は嫌な思いをしたと不機嫌そうに学校へと向かった。

 

   *

 

 守が教室に入るとクラスの異変に気がついた。由香のいる机を囲むように女子生徒が集まっていた。

「あ、おやっさん。おはようございます」

「夕貴、品田の奴、どうかしたのか? なんか人だかりができているみたいだが……」

 守がそう言うと夕貴は守の顔色を窺いながら答えた。

 

 

「あ、それはですね……おやっさん。あまり、ショックを受けないでくださいね」

「なんのことだ?」

「その……ですから、由香ちゃんは今日、バレンタインチョコを三年の先輩にあげたそうなんですが……」

 夕貴が言葉につまったので代わりに答えてやった。

「相手に拒否されたのか?」

 

「そういうことです……でも、おやっさん!おちこまないで下さい。こういう時こそチャンスですよ! ここで由香ちゃんを慰めれば、

好感度アップ間違いなし。さあ、おっやさん、愛のお慈悲を!」

 熱弁する夕貴を見て守は顔をしかめた。

 

「なにを言っているんだ? お前は……」

「な、なにって……」

「俺はあいつに何の感情も持ち合わせてはいない。むしろ、やかましい存在だ。勘違いするな」

「え、そ、そんな……」

 

 なんと言っていいか困っている夕貴を残して守は自分の机に座った。

 ため息が漏れる。

 夕貴にああは言ったものの、由香が他の人間にチョコを渡したということを聞いた時、一瞬ではあったがものすごい嫉妬が胸の中を駆け巡った。

 そして、その直後、胸にぽっかり穴が開いたようだった。

 由香のことが気になって仕方がない。

 居ても立ってもいられなくなり、ついに由香の机へと足を進めた。

 慰める女子生徒達をかき分け、彼女の机に近づくと、そこには両手で顔を覆い、体を小刻みに震わせる由香の姿があった。

 

 

 胸が痛む。

 彼女に声を掛けるのはつらかったが、何もしないで自分の席に帰るわけにもいかない。

 

「おい、品田」

「あ、一ノ瀬君。おはよう、私……先輩にチョコ渡したんだけど返されちゃった。カッコ悪いよね……」

 由香は涙を流しながら、守に精一杯、笑顔で答えようとしている。しかし、涙は止まらない。

 守は自分の胸をえぐられたような痛切な思いに駆られた。

 彼女に涙は似合わない。

 

「おい、それはもういらないのか?」

「えっ?」

 守の指差した方向には由香が渡すはずだったチョコがあった。

 なぜか、チョコを包装していた箱はくたびれていた。それは今の由香の心情を語っているかのように見えた。

 

「それはもういらないんだろう? だったら俺がもらうぞ」

 そう言うと守は箱をあけ、箱の中に入っていたハート型の大きなチョコを全開に開けた口の中に放り込んだ。

 それを見ていた周りの女子生徒達から批判の声が飛び交う。

「ひどーい! 信じらんない……」

 守はそれらの批判を無視して、チョコをバリボリと音をたてながら食べ続けた。

 その行動に由香もただ呆然と見ていることしかできなかった。

「い、一ノ瀬君……」

 やがて口の中で溶けたチョコは守の胃袋へと進んでいった。

 食べ終えた守は由香に一言だけ言って去って行った。

「……少々、ココアの分量が多い気もするがまずくはないぞ」

「え、一ノ瀬君?」

 守の行動に由香は首を傾げるばかりであった。

 彼にはこの行動が精一杯の慰めであった。

 

 

 守が自分の席につくと夕貴がニヤニヤ笑いながら近づいてきた。

「おやっさんもやるじゃないですか。なんだかんだ言っても由香ちゃんのこと、気にしてたんですね」

 そう言われて守は少し、顔を赤らめて言った。

「な、なんのことだ? 俺はあのチョコを食べないのがもったいないから食ったまでだ。毒見を兼ねてな」

「もう、おやっさんも素直じゃないね~」

 そう言いながらも夕貴は嬉しそうに守の顔を見つめていた。

 

 

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