万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
これには蒲江も言葉を続けられなかった。
流石にこの程度で謝罪に繋がるとは考えていなかったが、それでもこうも完全な肯定が来るとは思っていなかったのだ。
その隙を突いて、網馬は更に畳み掛ける。
「確かにそういう皆さんもいらっしゃるでしょう。しかし皆さんには誰がどのレースに出るのか決める権利はありませんし、レースの結果を決める権利もありません。金が賭けられているわけでもありませんし、予想外の結果を楽しめないならレースを観るのに向いていませんよ。演劇でも観ていればいい」
「そ、それはいくらなんでもあんまりな言い草では!!?」
「えぇそうかもしれませんねぇ。しかし知ったことではありませんよ。私はルールに定められた通りのことしかしていませんし、罰せられることはしていませんから」
悪びれずにそう言う網馬に、蒲江は思惑の失敗を覚った。網馬のような人種は世間体を気にして
「どうやら私、イギリスなどではモリアーティ呼ばわりされているらしいですし、今さら風評など気にしませんよ。私は担当を勝たせるだけです。というか、弱い敵に勝ってるのを観て楽しいですか? ぬるま湯に浸って得た勝利にそれこそ価値などありますか?」
ここで一転正論。
そしてトドメ。
「あぁそうだ、ついでに丁度いいので宣言させていただきます。メジロマックイーン、
観客から怒号のような声が飛ぶ。が、それはマイナスの感情ではない。網馬が露骨なまでに悪役ムーヴを通したことで評価が逆転した。茶番を喜劇に変えてみせた。
この菊花賞は、ライスシャワーはあるいは挑戦される側だったかもしれない。しかし、網馬が言及した
正真正銘、日本最強のステイヤーVS世界有数のステイヤー。その挑戦状を叩きつけたのだ。盛り上がらないはずがない。
網馬への罵声が飛べど、それは悪意によるものではない。悪役を引き立たせるためのそれだ。そうして、ライト層も網馬がどのような立ち位置なのかを理解する。
悪党は謝るかもしれないが悪役は謝らない。この時点で、蒲江の思惑は完全に粉砕された。
しかし当然、それだけで終わらせるはずがない。
「あぁしかし残念だ。もしかしたら来年の天皇賞は
網馬のわざとらしい再びの爆弾発言で、会場には沈黙が落ちる。ライト層はおろか、ファンの中でもその言葉の真意がわかる者は一部しかいない。
そんな意識の間隙に、網馬はするりと言葉を差し込んでいく。
「ウマ娘のレースは通常5人以上の出走者がいなければ中止となります。例えば、過去『無敵』とさえ言われたマルゼンスキーというウマ娘は、同じレースで走ることを厭われ、出るレース出るレースがあわや中止になるという状態に追い込まれました。それでもレースが中止にならなかったのは、マルゼンスキーの人徳もありますが、『もしもマルゼンスキーに勝つことができたら』という挑戦が一因であることは間違いありません。しかし、その『もしも』すら奪われてしまったら? 勝つことがそもそも困難なレースで、たとえ勝ってもそこに待っているのは非難ばかり。そんなレース出たいと思いますか?」
網馬の言っていることは正しいように聞こえるが詭弁だ。反論の余地は大いに残されている。しかし、それを指摘するだけの知識を、今網馬がターゲットにしているライト層は持ち得ない。
先程は蒲江に有利に働いた沈黙による肯定も、今度は網馬に味方する。ライト層の意識に、『勝者への批判はレースへの意欲減衰に繋がる』という論理が芽生えた。
それは先程まで蒲江に乗せられ、網馬やライスシャワーへの批判を自分の意見として持っていた者にとっては毒そのものだ。多くの人間は「自分の責任」を嫌うのだから。
逃げ道を、正当化を、あるいは責任の転嫁先を探す聴衆に、網馬は助け舟を出す。
「とはいえ、三冠や三連覇、偉大な記録の誕生を見たいという気持ちは誰しも当たり前に持ち得るものです。昔から、人はそういう願いが裏切られたときの暗い感情を、人に見えないように吐き出して処理してきました。そして吐き出されたものは見てみぬふりをする。暗黙の了解です」
彼らの感情を肯定する。それは悪ではないと。あなたたちに責任はないと。これもまた議論が分かれる意見だが今は置く。網馬の目的はそう思わせることで、「では誰が悪いのか」という思考へ持っていくことだから。
「この情報化社会のインターネットには、幸いなことに吐き出すのに丁度いいものがたくさんある。SNSの非公開アカウントや、匿名掲示板がそうです。流石に殺害予告誹謗中傷脅迫などの犯罪になってきたり、我々に直接そのような言葉をかけるというのなら対処しますが、わざわざ見に行かなかれば目に入らないような場所であれば、それもまた必要なこと。ストレスを溜め込んでは体に毒ですから。『王様の耳はカバの耳』*1で悪いのは秘密を吐き出した床屋ではなく、それをばら撒いた葦なのです」
もちろん、本人の目につかなければ意味がないというアンチも存在するが、この話の対象は彼らではないので省略する。
不満くらい誰だって持つし、それを吐き出すことだって誰もがすることだ。悪いのは、皆が見えないところに吐き出したそれを、わざわざ衆目に晒そうとする輩。そう示唆する。当然、不満の行き先はひとつ。
「も、申し訳ございませんでしたぁっ!!」
会場の敵意が自分に纏まろうとしていることを察した蒲江は、すかさず土下座を繰り出した。当然、これは本心の謝罪でもなければ敗北宣言でもない。
土下座は日本において最上級の謝罪でありながら、同時に脅迫の性質を持っている。恥も外聞も投げ捨てた行為であるがゆえに「ここまでしているのに赦さないのは人の心がない」という印象を押し付ける効果があるのだ。
半ば追い詰められたときの条件反射になっている土下座、相手が一般的なトレーナーであれば効果があっただろう。
しかし相手は上流階級の子息であり、そのような手は幾度となく見てきた網馬である。
「……顔を上げてください、蒲江さん」
労るような網馬の声に、蒲江は内心
「私は責めているわけではありませんよ。
声音だけは労るような、しかし文脈と行間を読めばなんとも薄っぺらい称賛の言葉は、死刑宣告に等しかった。
「い、いえっっ!! 私の判断が間違っておりましたっ!! ここで本来持ち出すべきものではありませんでした、平にご容赦をっ!!」
「あ〜……えー、困りましたね。私に謝られても仕方ないんですよね……」
「……赦してはいただけないと……?」
若干相手を責めるような言い方に「どの口が」と多くの者が思っていたが、あまりの網馬オンステージに口を挟む勇気はない。
勘違いしている蒲江に、網馬は無慈悲にも現実を突きつける。
「ではお聞きしますが、私が赦したらどうなるんですか?」
「え……?」
「だってそうでしょう。私は今回の件で被害を被っていませんから。日本で記録を邪魔したくないと、正確には記録を邪魔したと批判されたくないという風潮が広まったとしても、我々は海外レースに出るだけですから。その風潮で損をするのも、頼んでもいないのに隠していた意見を持ち出され代表ヅラされて憤っているのも、私ではないでしょう?」
私は赦そう。だが
報道機関の得意技、世論ファンネル。蒲江が利用した彼らの攻撃の矛先は、網馬によって見事に蒲江自身へと誘導された。無論、ここまでくればライト層の方々でも大半は察しているのだが。
「わ、我々には報道の自由があります! その自由を持ったものの義務として、自らの意志とは別の場所にある様々な意見をも報じなければならないのです!!」
「そうですね。ですから報じることは責めていませんよ。自由には義務だけでなく責任が伴います。記者としての義務で報じたことで生じる影響への責任が」
「わ、私は上に指示されて、仕方なく!! 本意ではなかったのです!!」
「そうですか。本意ではないことでも必要があれば行う。流石のプロ精神だ。では、責任も
WEBサイトのQ&Aのほうがまだラグあるぞというほどに、にべもない答弁を立て板に水で返す網馬の様子に、会場からも笑いが漏れる。
クスクスと響く失笑は、無様を晒す蒲江には、自分への嘲笑にしか聞こえなかった。
「あ、あああ、ああああああああああああああああああ!!!」
そして、脳のキャパシティを完全に超えた蒲江は発狂し、なりふり構わずその場から逃げ出した。
蒲江の声が聞こえなくなるまでそれを無言で見送った網馬は、ひとつ咳払いをして注目を集めると、いつもの胡散臭い笑顔で語りだした。
「え〜、ご来場の皆様、並びに番組を御覧の皆様、長々と茶番に付き合っていただき誠にありがとうございます。実は昨今の日本でのウマ娘レースブームによって、少々マナーに疎い新規ファンの方々が目立つようになってまいりました。私どもチーム《ミラ》もそのブームの一因であります故に、マナー違反をしたらこんなことになる危険があるぞ、と、少々マナー違反防止の啓発運動としてこのような寸劇を演じさせていただきました。不愉快に思われる方もいらしたでしょうことをお詫びいたしますと同時に、
いかにもわざとらしい。そして胡散臭い。ペラペラとよく回る舌で並べた、さも台本がありますといったような文句を語り、観客に終劇を促す。
その視線の先にはこの場の責任者であったURA役員の姿があり、網馬の目は「あのバカを止めなかったことはこれで誤魔化してやるから話を合わせろ」と語っている。
実際、こう言われてしまえばそうするしかない。URAは蒲江の暴挙を止められなかった責任があり、それを逸らせるならそうするだろう。報道陣も、マスコミ側である蒲江の醜態をわざわざ報じて、自分たちのマイナスイメージを広めるような真似はしない。
故に今回のことは、表向きは網馬の語ったとおりに処理され、精々インターネットで永遠にネタにされる程度で済むだろう。
「インタビューの時間を削ってしまい申し訳ありません。ライスシャワー陣営は後日記者会見の時間を作りますので、そこで質問などは受け付けさせていただきます。それでは、このあとのウマ娘たちのライブステージ、どうか最後までご覧になってください」
蒲江の前では口にしなかった謝罪をさらりと吐き出し、網馬は堂々と奥へ引っ込んでいった。
「いやぁ、災難でしたねぇ」
ライブ自体は
網馬は気力を使いすぎ――蒲江相手の無双は愉しかったが、それはそれとしてあのモードは自己嫌悪で精神が削れるため――ホテルでアイネスフウジンに介抱されつつ先に休んでいた。
なお、この際すでに猫かぶりを維持する気力もなくなっていた網馬の素が《ミラ》の全員に露見したのだが、誰ひとりとして驚いていなかった。さもありなん。
ツインターボにせがまれたナリタタイシンがホテルでゲームをするということで、ナイスネイチャとライスシャワーはふたりで夜の京都を散策していた。
少し遠くへ足を運び、桂川に架かる橋の上を歩いていたそんな折、ナイスネイチャ的には晴れ舞台を台無しにされたライスシャワーを気遣ってのそんな一言だったのだが、ライスシャワーはキョトンとしながら首を傾げる。
「えっと……あんまり気にしてなかったり?」
「……あ、うん。ライスはアイネスお姉さまに褒めてもらえたからそれで……」
そもそも菊花賞に毛ほども思い入れがないライスシャワーは、勝ったことを褒めてもらったことで満足していた。ライスシャワーの中では、あのインタビューは網馬に応対を交代した時点で終わっている。
兎にも角にも、一切気にしている様子がないライスシャワーに、ナイスネイチャは少々戦慄しつつも安心するのであった。
話は変わるが、ウマ娘という種族は基本的に人間の身体能力を凌駕する肉体を持っている。しかし、だからといって日常的にその力がすべて使われているわけではない。
普段からフルパワーで生活していては必要なエネルギーが莫大な量になるし、何より周囲の構造物が保たない。そのため、ウマ娘は物心ついてすぐに手加減を教えられる。とはいえ、中には手加減が下手で物を壊しがちなウマ娘もいるのだが。
兎角、何が言いたいかというと、ウマ娘は突発的な衝撃に対して無防備である、ということである。
「……ッ!!」
ナイスネイチャがそれに気づけたのは、持ち前の視野の広さからだろう。
だから、ナイスネイチャはライスシャワーを押し退けて自分がその矛先へ潜り込んだ。
次の瞬間、ナイスネイチャを強い衝撃が襲う。踏ん張っていなかったナイスネイチャの小柄な身体は、ぶつかってきた贅肉で重い肉体に対してあまりにも軽すぎた。
腰ほどまでしかない欄干を軽々と乗り越えたナイスネイチャの身体は、重力に引かれて下へと落下していく。
「ネイチャさん!!?」
ナイスネイチャを跳ね飛ばしたその男を素早く組み伏せたライスシャワーが、ドボンという重量物が水に落ちた音に悲痛な叫びをあげる。
通行人が異変を察して警察を呼んだり、ライスシャワーから組み伏せられた負け犬を受け取ったりする中、ライスシャワーは呆然と欄干の向こうを見ていた。