万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
11月12日。
「……ヨォ、なんのようだ? 珍しく、突っ掛かりに来たってわけじゃあなさそうだが……」
『不遜なる宮廷道化師』『開拓の一等星』、シリウスシンボリ。
「皇帝サマと喧嘩でもして、私に鞍替えか? テイオー」
シリウスシンボリが指導する、行き場を失った者たちの集まりに、トウカイテイオーは来ていた。
通り魔と言う名の逆恨みによる報復に巻き込まれたナイスネイチャがジャパンカップを回避することが公表され、裏で自分がジャパンカップへの出走を決めたその直後のことである。
背中越しにいつものからかうような口調でそう問いかけたシリウスシンボリだったが、いつもは来る反論が来ないことを訝しみ振り返ると、そこに立っていたトウカイテイオーの表情は、今まで見たことのないものだった。
その表情への既視感に目を瞠るシリウスシンボリへと近づいていったトウカイテイオーは、普段と違う様子に周りのウマ娘たちがトレーニングを中断して様子を窺う中、シリウスシンボリに一言要求した。
「シリウス、ボクと併走して」
シリウスシンボリはそんなトウカイテイオーの要求に、意外そうに目を丸くする。今まで勝負を申し込まれるようなことはあっても併走、つまりトレーニングに付き合ってくれなどと頼まれたことはなかった。
それはシリウスシンボリを頼るということであり、そんなことをするくらいならトウカイテイオーは彼女に甘いシンボリルドルフに頼るからであり、反対にそんなシンボリルドルフと対立することが多いシリウスシンボリに頼ることなどないと思っていたからである。
シンボリルドルフの弟子であるトウカイテイオーから頼られたということに
「……ははっ、おいおい
トウカイテイオーの腕がシリウスシンボリの胸元に伸び、襟口に指を引っ掛けるような形で自分の方へ引き寄せる。
トウカイテイオーが目線を下へ向ければ、シリウスシンボリの着けている下着が襟の隙間から見えただろうが、トウカイテイオーの目は至近距離でシリウスシンボリの目だけを見つめていた。
「御託はいいから
周りのウマ娘から黄色い叫びがあがるが耳に入らない。シリウスシンボリはただ、そう傲慢に言い放ったトウカイテイオーの瞳の奥にチラつく獅子のような眼光に、かつての月と同じものを見た。
「……はっ、あは――アハハハハハハッ!!」
トウカイテイオーの手を振りほどき、我慢できないというように顔を覆ってひとしきり笑ったシリウスシンボリは、獲物を見つけたとでも言わんばかりの視線をトウカイテイオーに向ける。
「いいだろう。その挑発にノッてやる。月にもなれない
シリウスシンボリが放つ圧力が増す。日本で初めて
自分にとって今必要なのは考えを巡らせる皇帝の戦い方ではない。輝く才を叩きつける、月や一等星のような戦い方だ。
目的は単純明快。日本の誇りを守ることではない。ただ、売られた喧嘩を買うために。
◇◆◇
『……し、シルヴァーエンディングではありません!! ターフにいるのは、3枠3番はシルヴァーエンディングではない!! 米国二冠!! ケンタッキーダービーとプリークネスステークスを制した荒くれ者!! 『
唖然とした実況アナウンサーが数秒無言になったのも責められまい。3枠3番のゲートから飛び出したその
まず、適性がおかしい。サンデーサイレンスはダートの、しかも特に1600m〜2000mを得意とした馬である。日本の芝と米国の土ではバ場が全く異なる。
次に、そこを走ると登録されていた名前は、確かにシルヴァーエンディングであったはずだ。未だ現役のアメリカのウマ娘であり、入場時に係員が顔を確認している。パドックでも同様だ。
そしてそもそも、実況の語る通りサンデーサイレンスは奇しくもアイネスフウジンが凱旋門賞を制覇したあの年に、既にアメリカのシリーズを引退しており、登録抹消となっている。
サンデーサイレンスが潜り込んだトリックは簡単だ。シルヴァーエンディング(本人)
シルヴァーエンディングはサンデーサイレンスのデビュー前、サンデーサイレンスと彼女の師であるヘイローを侮辱したことで、周りの友人たちがサンデーサイレンスによって叩きのめされる中、ひとり腰が抜けて失禁しているところを写真に収められている。
それ以降、(サンデーサイレンスはその件について完全に忘れており口に出したことはないが)サンデーサイレンスからの頼み事を断ることができなくなっていた。
しかしながら、今回の件についてはサンデーサイレンスがあえて明確に脅し、その際の音声を録音しておいたものをシルヴァーエンディングに渡しており、「サンデーサイレンスに脅されて仕方なくやった」とシルヴァーエンディングが言い逃れできるようにしているというのは余談であるし、特にサンデーサイレンスのイメージ回復にはならないだろう。
兎にも角にも、状況的にも適性的にも環境的にも完全に
一方、トウカイテイオーは王道の好位追走の構えでありながら、長い直線を持つ府中の特性を考えた末脚勝負を想定し、脚を休めながらバ群の中へ紛れる。
ブロックされる危険は十分にあるが、それさえも抜け出せるという強い自信に裏付けられた作戦だ。同時に、差しから追込を得意とするサンデーサイレンスを相手にしても、末脚で負けることはないという自信も垣間見える。
最初のコーナーへ先頭を走るウマ娘が辿りつくよりも前に、掲示板には審議のランプが灯る。事態の異様さを察したウマ娘たちは掲示板のランプを見て、即座にサンデーサイレンスをマークから外す。サンデーサイレンスが競走中止処分となるだろうことを確信しての判断だ。
実際、この時点でサンデーサイレンスの競走中止処分は決定している。
しかし、それでもなおトウカイテイオーを始めとする約半数のウマ娘が、サンデーサイレンスに勝つことを目標として走っていた。理由は簡単、たとえサンデーサイレンスが最悪の評判を持つウマ娘であっても、その実力は間違いないものとして認められているからだ。
GⅠ6勝の二冠ウマ娘。戦績全連対。このジャパンカップを勝つことではなく、そのウマ娘に勝つことに、彼女たちは意味を見出した。
最初のコーナーから中盤にかけて、高速バ場になれていない海外ウマ娘たちがハイペースになり始めるなか、一度野芝を体験しているマジックナイトは適度にペースを緩め、先行の位置をキープしながらしっかりと脚を溜める。
イクノディクタスは、怪我明けのトウカイテイオーとダート専のサンデーサイレンスより、2400mのオークスを3勝しているユーザーフレンドリーを強敵と見てマークしにかかるが、それを察知したユーザーフレンドリーの"
そしてレースの動く中盤、第3コーナー、はじめに仕掛けたのはハシルショウグンだった。ハシルショウグン――ダートを主戦場とする彼女は、BCクラシックを勝っているサンデーサイレンスをこの場にいる誰よりも意識していると言っていい。
そんなサンデーサイレンスにハシルショウグンが勝っていると断言できるのが芝での経験だった。ハシルショウグンはオールカマーと天皇賞の2戦に加え、普段のトレーニングでも芝を走るようにしている。
それでもダートで慣れているハシルショウグンは、ダートと芝では加速の感覚が大きく違うことを理解している。これは、意外と両方走ったことがあるウマ娘でなければ実感できないものだ。トレーニングではわかりきれない。
それがわかっているから、レッツゴーターキンとヤマニングローバルはハシルショウグンの加速に感服した。
このふたりも、ダートでの競走経験があるウマ娘だ。だから、その違いを知っているからこそ、先日の秋の天皇賞でもしっかりと加速してのけたハシルショウグンの才を羨んだ。
(これがGⅠウマ娘……!)
(つっても、ウチだって負けてらんねぇし……!!)
差しのレッツゴーターキンがスパートをかけようとした第3コーナー半ば。彼女の横を何かが通った。
しかし、レッツゴーターキンがいるのは最内のはずだ。左を見ればすぐそこに内ラチがあるのだから……と、そう思いながら前へ抜けていった人影を見て、血の気が引いた。
レッツゴーターキンは彼女のレースを観たことはない。だが、チーム《ミラ》が話題になる中でよく名前が挙がるためにそのことを知ってはいた。しかし、流石に都市伝説か何かだろうと思っていたのだ。
◆◇◆
『チーム《ミラ》にはコーナリングが巧いウマ娘が多い』
『内ラチギリギリを攻めるアイネスフウジンや、ことコーナリングではシンボリルドルフやオグリキャップさえ敵わないかもしれないと評するツインターボは言わずもがな、ナイスネイチャだって他のウマ娘と比べれば飛び抜けている』
『そして、ツインターボが巧いと言うなら、ライスシャワーは異様だ。一歩間違えば内ラチに衝突しかねない、いや、なにかの間違えで内ラチに衝突していないだけとも言える命知らずのコーナリング』
『あんなコーナリング、ライスシャワー以外にはひとりしか見たことがない』
『サンデーサイレンスしか』
◆◇◆
レッツゴーターキンの視線の先には、内ラチのスレスレどころか、内ラチに左頬を擦りつけながら、そこから鮮血を飛び散らせながら、位置を上げ始めているサンデーサイレンスの姿があった。
時速60kmオーバーで金属製の内ラチに皮膚が接触し続ければどうなるか。まず皮膚が摩擦熱で火傷となり、次に火傷で硬質化した皮膚が摩擦に耐えられず裂ける。そんな単純な現象の結果がそこにはあった。
正常な精神構造をしていればその激痛を堪えきれず弾かれる。しかし、サンデーサイレンスにとってはこの程度は怪我のうちにさえ入らない。
(ここまで俺様を死に損なわせたカミサマが、こんなとこで殺すわけがないんだよ!!)
痛みに怯んでいては生きていけなかった。怯んだところで痛みが去るはずもない日々を送ってきた。
走りのスピードこそ上がってはいない。しかし、他のウマ娘に比べて走る距離が劇的に短い最々内。ただ走っているだけで少しずつ位置が上がっていく。
そんなサンデーサイレンスを見て、手錠で繋がれていたユーザーフレンドリーとイクノディクタスは互いのマークを解除して、サンデーサイレンスを警戒し始める。だが、少しばかり遅すぎる。
最終コーナー、多くのウマ娘たちがスパートをかける。トウカイテイオーやマジックナイトも例外ではない。そんな中、スピード差で再び後ろへ流れていくサンデーサイレンス。
最終直線に体が向いたとき、サンデーサイレンスの足元が爆ぜた。
前提として、サンデーサイレンスはコーナーを得意とする反面、直線が苦手である。それに加え、適性から400mオーバーのクラシックディスタンスに慣れない高速バ場、そして芝。
そんな状況で、しかしターフが抉れるほどに地面を踏み抜いたそのストライドは、もはやバ場がなんであれ関係ないほどの爆発的な加速を生んだ。
観客席のざわめきがどよめきに変わる。最後方から飛んできた死神に、日本の、世界の、優駿たちが切って捨てられる。
レッツゴーターキンが躱された。ハシルショウグンも抜かれ、イクノディクタスの睨みを気にもかけず、ユーザーフレンドリーが少し粘るが引き離される。
牙を剥き出しにした凶悪な笑顔で、グングンと先頭までの距離を詰めていく。
これが、サンデーサイレンス。
サンデーサイレンスとトウカイテイオーが並ぶ。
そして追い抜こうとさらに踏み込んで、しかし、抜けない。サンデーサイレンスと同じだけ、トウカイテイオーも加速する。
トウカイテイオーの"
それに呑み込まれそうになったサンデーサイレンスを、サンデーサイレンスの"
荒野とは逆の青々とした芝生、青空とは逆の鬱々とした雨天、身体に打ち付ける、あの日と同じ雨。存在しないはずの雨粒が身体を濡らす。
そしてどこまでも続く墓石の葬列。それは、今や彼女しか覚えていない悪友たちの名が刻まれた墓石。彼女が背負うと決めた十字架。
現実の彼ら彼女らの墓石はたったひとつだけ。名前さえ刻まれていないガラクタ。サンデーサイレンスにとって、彼らの墓はここだった。
ここに来られる条件は、最終直線での競り合い。つまり、強敵がいなければ来ることはできない場所。それでも、彼女は常にそこにいる。だからこそ、無価値を意味する聖ペトロの逆十字を掲げ、だからこそ、葬式を意味する黒のストラを纏う。
それが、彼女にできる追悼だったのに、それさえ、無慈悲な
アメリカのウマ娘レース協会は、XYZ靭帯に発症した小さな断裂という致命的な故障が発覚したサンデーサイレンスに、日本で言うところのドリームシリーズへの進出拒否を告げた。
まだ別れの挨拶も言えていなかった。だから、最後に。
(これで最後だ。結局、カミサマは俺から何もかも奪っていく)
シルヴァーエンディングにはほんの少しばかり悪いと思っている。思っていても思い留まる気はなかった。
(それでも、俺様はまだ死ぬわけにはいかねぇ。今すぐにでも死にてぇけど、死ねねぇ理由が出来すぎた)
義母に、トレーナーに、親友。失った量には到底及ばないが、それでも彼女を繋ぎ止める大切な楔だ。
(だから、
サンデーサイレンスの視界の端を、バラのレイがかけられた墓石が流れていった。ただ、それだけだ。それで終わり。
「
現実に戻ってくるサンデーサイレンス。間違いなく先程よりも加速しているのに、横には未だトウカイテイオーがいる。
脚への負担が大きいテイオーステップ。目一杯広げたストライドを、足首の力でバネのように突き飛ばし、前へ前へと跳び続ける。
そして、それでも前にいるマジックナイトとの差はジリジリとしか縮まらない。マジックナイトもまた、"
あのとき終わるはずだった。圧倒的な理不尽の前に屈しそうになった中で、それらを蹴り飛ばして自分の運命を捻じ曲げた、もっと理不尽なあの
アンタの目は間違ってなかったと笑ってやるために。
あの日失った誇りを取り戻すために。
(抜けるもんなら、抜いてみろ!!)
運命に噛み付いた者。
運命を蹴飛ばした者。
そして、運命に立ち向かう者。
自らの過酷な運命を前に何度も膝を屈しながらも、それでも立ち上がり前へと進み続ける。
骨が軋む。筋が
3人の咆哮が重なる。3人の体が重なる。
戯れにも見えた。死闘にも見えた。
運が悪ければ、見た人によっては、判定が違えば。そんな言い訳のできない、絶対的な1バ身が、最後の最後に勝敗を分けた。
掲示板を見て、勝者は天高く指をさす。
1着、トウカイテイオー。
府中のターフを、今年一番の地鳴りのような歓声が響いた。