万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
ジャパンカップの後、サンデーサイレンスは未だ日本にいた。理由は簡単で、
とはいえそもそも、アメリカの有識者たちはサンデーサイレンスにコーチとしての能力はないと考えている。指導者として人格的な問題があり、本人が理論派ではなく感覚派な上に、特徴的な外反膝によって彼女の走りは彼女用に最適化されており見て参考にすることも難しいからだ。
そもそも、先に引退したイージーゴアという人格者であり良血な優秀なコーチ候補もいるため、またいつ爆発するかもわからない爆弾を持ち続ける意味が薄かったこともある。
一見厳しく見える処分だが、若者からのアウトロー的人気こそあれどアメリカの古くからのレースファンやマスコミからの評判は悪く、たびたび起こすトラブルや今回の最悪国際問題に発展しかねない替え玉事件、シルヴァーエンディング
本来ならば罰金刑は勿論のこと、最悪裁判沙汰になる可能性もあったが、そこは実績とシルヴァーエンディング
永久追放ではなく無期限追放なのも、万が一他国でコーチとして成功しようものなら連れ戻そうという魂胆もあるのだろう。もっとも、それはサンデーサイレンスのコーチとしての成功が、それを失うことで日本が国際問題にしてでも奪われまいとするほどの大成功でなければの話だが。
そういうわけで、なぜかURAからもそれほど厳しい抗議文章が来ることもなく、それをサンデーサイレンスのレースによる興行効果を考えての恩赦かいつもの政治音痴かだろうとたかをくくったUSABRは、これ幸いと軽い処分で済ませサンデーサイレンスに恩を売ろうとしたわけだ。問題はと言えば、サンデーサイレンスがそれを恩として受け取らなかったことだが。
(さーて、どうすっかねー)
そもそもサンデーサイレンス自身も自分が指導者向きではないと考えていたため選択肢が減ったわけでもないのだが、これで彼女が競走ウマ娘としてできることは本格的に底をついたわけだ。
今回のレースで芝も
他にできそうなことと言えば自叙伝でも書くことだ。18歳足らずにも関わらず波乱に満ちた半生は当然人気が出るだろうが、そこは彼女の生育環境からくる教養のなさがネックになっていた。誰かに語って書かせるという手もあるが、他人を信用していない彼女はそれが歪んだ形で書かれることを考えて選択肢から外した。
イメージ重視の芸能人など、ウマ娘としては容姿もよろしくなくかつイメージの悪い彼女はできるはずもなく、あとは政治家かなどと冗談で口にしたときは「
税金を差し引いても一生働かずに過ごせるだけの賞金は稼いでいるため無理に働く必要もないかと自堕落な方向へ考えが纏まりかけた時、不意に声をかけられた。
『そこのお嬢さん、君がサンデーサイレンスで間違いないかな?』
『……俺様がお嬢様かとうかは知らんがサンデーサイレンスは俺様しかいねぇな?』
『ははは、それはそうだ。先程君とよく似たお嬢さんに声をかけてしまってね』
声をかけたのは老年の男だった。ボディガードと思われる伴がいるということはそれなりに立場がある人間なのだろう。
サンデーサイレンスは自分に似た少女とやらが気になりはしたが、ひとまず目の前の男の話を聞くことにした。気に入らなければ無視して立ち去ればいいしどうせやることもない。
『私は社北グループ総代表、吉野
『知らん』
『はは、手厳しいな。ウマ娘レース発展途上国ではあれど、一応最大手ではあるのだが……』
『気にするな。俺様は
サンデーサイレンスはそもそも、先日のジャパンカップを除けばアメリカでしか走ったことがない。ダートが盛んな国が他にないこともあるし、サンデーサイレンスが他国に行って問題を起こすことを危惧したトレーナーが自国のレースにしか出さなかったからだ。
アメリカから出た途端問題が起こったので、その危惧は正しかったと言える。
『さて、本題なのだが……日本で、ウマ娘たちのアドバイザーをやってくれないかな?』
『アドバイザー……? コーチじゃなくてか?』
『コーチという柄ではないだろう』
サンデーサイレンスは、それはそうだといった様子で鼻を鳴らす。
『まぁ、アドバイザーというのはあくまで建前でしかなくてね。本音を言うと、ただの年寄りのわがままでしかないんだ』
『ワガママァ?』
『私は、君に恋をしてるんだと思うよ』
『……俺様に棺桶と乳繰り合う趣味はねぇんだが……』
『アッハッハ!! そうだろうさ、お若い娘さんだ。引く手あまたなのにこんな死に損ないに付き合う義理はない』
そう笑いながら語った吉野は、不意に表情に影を落とす。
『……そう、死に損ないだ。先は長くない。私が逝ったら、社北グループは恐らく分裂するだろう。
『……じゃあ、建前でもなんでもねえじゃねえかよ』
『いやいや、確かに君を日本に招くことは私の最期の大仕事になるだろうが、それでもやっぱりわがままなんだよ。君のBCクラシックを観たとき、私は君の走りに惚れていたんだ』
吉野が、サンデーサイレンスにウマホを放る。それをなんとかキャッチしたサンデーサイレンスの耳元から聞こえてきたのは、ひどく聞き馴染みのある、しかし最近聞いていなかった声だ。
『まったく、4年近くも顔出さないどころか声も聞かさないなんて大した親不孝もんじゃねぇかクソ
『おふくろ……』
サンデーサイレンスの義母であるヘイローの声だ。
自分
というか、義理でも娘に向かって
『吉野の爺さんに話は聞いてるよ。どうせ帰ってきても穀潰しになるだけなんだから、精々そっちで家畜みたいに働いてこい』
『改めてアンタに育てられてなかったら俺の口の悪さも百分の一くらいになったんじゃねえかなって思うよ』
『そんときゃお前は
実際、サンデーサイレンスがヘイローのところへ来てから数ヶ月はロクに喋ることもなかったのだから、サンデーサイレンスもこれには言い返せなかった。
なんだかんだこの義母とは何度も喧嘩をしたこともあるが、口論でも取っ組み合いでも一度として勝てた試しなどないのだ。
病や怪我で死にかけたときでも気丈だったサンデーサイレンスが唯一怯えるのがヘイローに対してである。
『と言うかお前、
『GⅠ1勝すら
『これまで発破かけなきゃならねぇ機会なんかなかったからな。よくぞこうも見る影もなくなるほど
ほら、勝てない。サンデーサイレンスは自嘲気味に聞き流し、最後に『ありがとよ』とだけ呟いて電話を切り、吉野にウマホを投げ返した。
吉野は地面に落ちたウマホを側付きに拾わせてサンデーサイレンスに向き直る。
『いやキャッチしろよそこは』
『はっはっは、目も体もついていけんわ』
『ならなんではじめに投げたんだよ……』
呆れながら頭を掻き、結局大人の思惑通りに収まったことに若干の居心地悪さを感じるサンデーサイレンスは、やはり自分はスラムのガキだった頃から何も進めてないんだなと改めて考える。
『……日本語はワケ分かんねぇって聞くが?』
『通訳でもつければいいだろう。トニービンはそうしているぞ?』
『俺様は通訳でも取材でも言葉を歪められるかもしれねぇってのが一番キライでね。一等質のいい日本語の教本があんなら寄越せ』
そういう条件ならやってやると、そう言い捨てたサンデーサイレンスを愉快そうに笑いながら、吉野
その数日後、サンデーサイレンスが日本の社北グループによってアドバイザーとして雇用されたことが全世界のウマ娘レース界に発信された。
アメリカの指導者は『日本人の名家モドキが成功しそうにない気狂いの弟子のスラム生まれを買っていった』と嘲笑い、日本でも期待半分不安半分といった様子で迎えられることとなる。
これが、後に『日本ウマ娘レースの特異点』とさえ呼ばれる名アドバイザーの門出になることを、この時は関係者以外誰も予期できなかっただろう。