万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
夕食時を過ぎた食堂。
各々が自分の注文した軽食を口に運びながら、和やかな雑談を勧めていた。
「それで、話したいことって何? アイネス」
「わざわざ改まってまで……恋の相談と言うやつか?」
「あはは……話したいって言うより、宣戦布告かな」
にこやかなアイネスフウジンの口から飛び出した剣呑な単語に、メジロライアンとハクタイセイは少しばかり面食らった。
「宣戦布告……レースのことだな。次走は今週末のニュージーランドトロフィーだろう? NHKマイル杯トライアルの……マイル路線に行くなら私たちとはぶつからないと思うが……」
「うん、まだ公表してないんだけどね。あたし、NHKマイルの次走、日本ダービーにするつもりだから」
「――っ、無茶だ!」
あっけらかんと言い放ったアイネスフウジンにメジロライアンが噛み付いた。しかし、その反応もあながち間違ったものではない。
ウマ娘の脚は強靭であるとともに脆い。ダメージは蓄積され、いつ崩れるかもわからない消耗品だ。そしてそのダメージは、連続して酷使することで一層負担を増していく。
練習や軽いランニングなど、制限のうちで走るくらいなら大したことはないだろう。しかし、往々にしてレースというのは自身の限界を超えた走りになる。そして、その超えた分のダメージは脚に残り続ける。
だから大抵のトライアルレースは本戦のひと月は前に開催される。1ヶ月間しっかり休養と調整を行って本戦に出られるようにする配慮からだ。
しかし、NHKマイルカップと日本ダービーとの間隔は僅か3週、同じ月の間に開催される。たかが1週の差と笑うなかれ、それがどれだけ致命的な差かは競技者自身が最もよく知っている。
そも、トライアルから本番と、本番から本番ではさらに大きな差が生ずる。トライアルはあくまで『前哨戦』なのだから、全力は出したとしても限界を超えることはない。しかし、本番は容易に限界を超えうる。
しかも、アイネスフウジンには脚部不安があった。同室であるメジロライアンがそれを知らないはずない。
狼狽えるメジロライアンとは対照的にハクタイセイはむしろ納得がいったような表情をする。
「やはりか……」
「やはりって……知ってたの!?」
「先日アイネス殿のトレーナーに会っただろう。あの時青髪のウマ娘を、チーム結成の許可が出るGⅠ3勝してからスカウトすると言っていた。次走がNHKマイルカップなのは知っていたから、あとは自ずとだ。一応、NHKマイルから安田記念という可能性も考えていたが……」
メジロライアンは絶句している。あの時はまだアイネスフウジンの次走がNHKマイルカップだと知らず、皐月賞から日本ダービーのクラシック路線へ行くものと思っての対応だった。
そして、あとから次走がNHKマイルカップだと知ってもその時の記憶に繋がらなかった。普段のメジロライアンなら気づいただろうが、メジロ家の一員として向けられる期待の重圧による精神の疲弊から、今の今まで気づかなかったのだ。
「無茶じゃないの。トレーナーがついてるから」
「〜〜ッ! トレーナーへの信頼はよく分かるよ! あたしだって同じだから! でもいくらなんでもそれはっ……」
「……アイネス殿。貴殿がその
「タイセイ!?」
あっさりとアイネスフウジンからの宣戦布告を受け入れたハクタイセイに、メジロライアンが信じられないものを見るような目を向ける。
それもそのはずだろう。ハクタイセイの師、『日本の』ハイセイコーこそ、NHKマイルカップから日本ダービーへ進むローテーションで敗戦を喫しているのだから。
ハイセイコーがシンザンと並び奉られる『神話』から『伝説』へと堕ちた日本ダービー、その心身が限界を超えた悲壮な表情は、確かにハクタイセイの脳裏にこびりついている。
「ライアン殿、そういきりたつことはない。ただひとりのウマ娘が無茶を承知で挑んでいる。それだけの話だ」
「で、でもっ! それじゃあアイネスの脚が……」
「見苦しいぞッ! メジロライアン!!」
ハクタイセイが吼える。
もう、メジロライアンは困惑の極地にいた。心配ではないのか、だって、アイネスフウジンは親友なんだぞ。たとえ故障に繋がらなかったとしても、
そう目で訴えるメジロライアンに、ハクタイセイは低く続けた。
「心配ではある。私も以前までのアイネス殿なら止めていた。しかしライアン殿、アイネス殿の顔を見ろ。私はその顔を知っている。トレーナーへの信頼ではない、
「ぁ……ッ!!」
「であればその矜持、こちらも応えねば無作法というもの」
ハクタイセイは席から立ち上がると、食べていたサンドイッチを一口に飲み込む。そのハクタイセイの姿をアイネスフウジンは強い熱量を持った視線で見つめる。一方のメジロライアンは迷子の子供のような表情をしていた。
「……私は明日から休学を申し出ている。東京優駿が終わるまで、トレーナーと共に道場での鍛錬をすることになった。貴殿らと顔を合わせるのはレース場でのみになるだろう。ライアン殿とは皐月と優駿の舞台、アイネス殿とは優駿の舞台……貴殿らとの勝負を楽しみにしている」
有無を言わせぬ迫力。アイネスフウジンの灼けつくような視線とは違う、冷たく研ぎ澄まされた刃のような視線。ふたつの視線に、メジロライアンは気圧されたように視線をふらつかせる。
メジロライアンだってウマ娘だ。寝食を共にした親友としのぎを削る覚悟はしてきた、そこに異論はない。しかしメジロライアンが彼女たちの選択を受け止めかねているのは、やはり優しさであり弱さなのだろう。
メジロライアンは自らの心弱さを自覚していた。しかし、これ程までに意識の差があるとは思っていなかった。他者を慮れるからこそ、決死の覚悟をしている友人の姿がこんなにも苦しい。
結局、その後はろくに話もできないまま解散となった。メジロライアンは最後まで浮かぬ表情を見せていたが、本番直前に知って狼狽えられるよりはよほどマシだろう。
メジロライアンを部屋に残し、アイネスフウジンは網馬の部屋へやってきた。一応、誰に話したかを報告するためだ。恐らく網馬のことだから察しているとはアイネスフウジンも思っているが。
「あー、トレーナーお酒飲んでるの」
「ノックしろっつってんだろ」
網馬はショットグラスに果実酒を注いで飲んでいた。酒に強いのか量を飲んでいないのか、表情と呂律を見た限り素面だろう。
アイネスフウジンが網馬の対面に座ると、網馬は特に何も言わず、もう一つ普通のサイズのグラスとりんごジュースを持ってきて、注いだ。
「乾杯はしねぇぞ。グラスが傷む」
「はぁい」
互いに、グラスの中身を口に含む。机上の皿に盛られたチーズクラッカーを続けて食べると、塩味が口に残った甘味とブレンドされ、調和が生まれた。
しばしの沈黙。切り出したのはアイネスフウジンからだった。
「宣戦布告、してきちゃったの」
「……そうか。あのふたりだな」
「うん……ねぇ、トレーナー」
「なんだ」
素っ気ない網馬の返事にくすりと笑いながら、アイネスフウジンは続けた。気分の高揚からか、酒精の入っていないただのジュースなのにアイネスフウジンの顔はかすかに赤らんでいる。
「日本ダービーを勝ったあとのレース目標、トレーナーに決めてほしいの。あたしのワガママで日本ダービーに出ることにしたから、そのお礼」
「ワガママじゃなくて希望だ。そんで、それを叶えるのがトレーナーの仕事だよ」
「じゃあ報酬! どのレースに出てほしい?」
「じゃあとりあえず無難にマイルチャンピオンシップと来年の安田記念、そのトライアルと……」
網馬は考える。せっかく期待できるレベルの実力を持つウマ娘が自分から出るレースを委ねてきているのだ。
それなら派手に、世間受けするレースがいい。今からトレーニングすれば十分勝つ公算はある。
「……海外旅行にでも連れて行ってもらうとするか」
「ふふふ〜、凱旋門賞なの?」
「ばっ、マイルじゃねえのかよ!?」
「だって、来年も全盛期って言わせるって言ってたの。それなら
「なんで自分からハードル上げてくのかねぇ……まぁ、素人じゃワンチャン知らねえレースより、ド素人でも名前聞いたことある凱旋門賞のほうが面白いか」
この時代に凱旋門賞が取れれば、きっと日本全土が大騒ぎになる。
悪どい笑みを浮かべた網馬を見て、アイネスフウジンも似たような笑みを浮かべる……が、残念ながら悪い顔が様にならなさすぎる。
「言ったからには途中でリタイアなんて許さねえからな」
「望むところなの!」
週末に次走、ニュージーランドトロフィー。次翌週に皐月賞。翌月にNHKマイルカップ。その3週後に、日本ダービー。
すべてが終わるまで残り、僅かひと月半。
ストックはここで終わり!
いやプロットだけなら2000年代まで出来てるんですけどね……肉付けがね……