万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
トレセン学園の旧校舎側にあるグラウンド。普段は誰も使わないこのグラウンドは、必要最低限だけ整備されてとある集団によって占拠されている。
『開拓の一等星』シリウスシンボリ率いるドロップアウトグループ《
「だからアイシングは念入りにしろって言ってるだろ。来年デビューで焦ってるのはわかるけど、お前は腱が弱いんだからこんなんじゃすぐ屈腱炎になる」
「へへ……すんません、シリウスさん……」
「まったく。折角チームに入れたっていうのに、なんでこんな掃き溜めに戻ってくるんだか」
「うらぶれてたあたしを見捨てないで……見放さないでいてくれたのは、シリウスさんですから! 絶対GⅠ獲って、シリウスさんに見せに来ます!」
「期待しないで待ってるよ」
怪我、金銭面、勉強、様々な理由でトレーニングに支障をきたし、それを取り戻すために無茶なトレーニングをして、学園生活に影響が出る。それが反省文などに繋がり、またトレーニングに遅れが生じる。
そんな悪循環の中でも走るのを諦められない彼女たち、学園の規則の内側では断罪されるべき彼女たちの矢面に立って、生徒会や風紀委員と日々睨み合うシリウスシンボリ。
彼女も理解はしている。シンボリルドルフが生徒会長として、皇帝として、様々なアプローチですべてのウマ娘の幸福のために動いていることを。それでも、取りこぼしてしまうものが必ず出てしまう無情も。
理解しているからこそ、苛立つ。
(……クソッ)
「あの……シリウスさん。お客さんっす……」
シンボリルドルフと自分自身への苛立ちに心中で舌打ちをしたシリウスシンボリに、取り巻きのひとりが声をかける。
その声に振り向いたシリウスシンボリは、意外な人物を目にした。
「……へぇ、最近は珍しい客がよく来るもんだ。お前は私になんの用なんだ? なぁ、████████?」
シリウスシンボリは今まで呼んだことのない来客の名を舌の上で転がすと、肉食獣のように微笑んだ。
◆◇◆
『ゴール!! ジュニア級最後のGⅠレース、ホープフルステークスを制したのはやはり
大きく右手を挙げ、栄えあるGⅠ制覇をアピールするウイニングチケットを、ナリタタイシンは観戦席から眺める。隣にはトレーナーである網馬、サブトレーナーであるアイネスフウジンや、その他のチーム《ミラ》のメンバーが揃っている。
ただし、その中にひとり、唯一ナイスネイチャの姿はない。それもそのはず、今しがた決着したホープフルステークスの次に発走となる一年の集大成、有馬記念にはナイスネイチャも出走しているからだ。
「アイネス。ウイニングチケットがあの勝ち方を選んだ理由はわかるか?」
「うん、最終直線が短い中山だからって言うのもあるけど、スタミナに余裕はないはずなのにギリギリ手前のラインから早仕掛けしたのは、急な坂が苦手だからなの。急な上り坂で加速ができらず、差しきれないと考えたから早めにスパートをかけたの」
「そうだな。対策は?」
「早仕掛けすることがわかってるなら、中盤に牽制をいれてスタミナを削っておくの。もしくは大外以外を塞ぐように誘導して、スパートで浪費させるのもアリなの」
「個人の資質もあるが、ナイスネイチャのように威圧でスタミナを削る手もある。これはナリタタイシンでもできると思うが……」
ナイスネイチャの《八方睨み》と呼ばれる威圧の源泉となっているのは、蟠った負の感情である。逆に言えば、それがなければ威圧できない程度にはナイスネイチャは圧が足りないのだが。
しかし、ナリタタイシンに関してはもともと人を遠ざける雰囲気があるのと同時に、溜まりに溜まった鬱憤がある。威力としては十分だろう。
「じいちゃああああああああああああああああああん!! アタシ勝ったよおおおおおおおおおおおおお!!」
ターフに水をやりながら駆け出したウイニングチケット。残念ながら両目から流れ出す水は塩水なので芝にとってはデバフにしかならない。
そんなウイニングチケットをウィニングサークルで待ち受けるのは彼女の担当トレーナーでありチーム《レグルス》を率いる最高齢トレーナー、柴原政祥御大である。
杖をついて好々爺のごとき微笑みを以てウイニングチケットを迎える柴原。
その左足に、全長30cmのトラックのラジコンが衝突した。
直後、錐揉み回転しながらトラックとは反対方向へと大きく吹っ飛ぶ柴原。
エネルギー保存の法則に従えばラジコンとの衝突がその方向へ生むエネルギーは限りなく0に近くなるため、その横方向の運動エネルギーは彼の脚によって作られたと考えるのが妥当だろう。
会場の声援がピタリとやみ、ウイニングチケットも思わず泣き止んで呆然とする。柴原の後ろでは《レグルス》のサブトレーナーが引き攣った笑顔を見せながらラジコンのコントローラーを操作していた。
「じ、じ゙い゙ぢゃ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!」
数十メートル離れた位置にあるアナウンサーのマイクに拾われるほどの声を放ちながら、倒れ伏した柴原老人へと駆け寄るウイニングチケット。彼女が放つ涙の量はさきほどと比べておおよそ2倍を超えている。
柴原老人を抱え起こすウイニングチケットに、柴原老人は息も絶え絶えに声をかける。なお、外傷内傷ともにない。
「おぉ……チケゾー……わしゃもうあかん……お迎えがきおった……」
「ああああああああああああああああああああ!! 死なないでええええええええええええええええええええ!!」
「うっせ……いやチケゾー……お前がダービーを獲るところ……この目でしかと見届けた……」
「これホープフルステークスだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! まだ死なないでええええええええええええええええええええ!!」
流石に会場の観客たちもなんとなく状況を察した。茶番である。ちなみに古参ファンにとっては恒例の光景であるため全く心配していなかった。
ウイニングチケットが柴原老人を抱き寄せようとしたところで、柴原老人の枯れ枝のような腕が俊敏に動き、ホイップクリームスプレーをウイニングチケットの顔面に噴射した。
ウイニングチケットがそれに反応する前に、柴原老人はウイニングチケットの手からするりと逃れ、あっという間に駆け抜けていく。
「はーっはっはっはぁ!! わしゃまだまだ死なんわアホがぁ!!」
「アホはお前だダボが!!」
捨て台詞を吐いて高笑いしながら逃げようとした柴原老人であったが、後方のウイニングチケットを見ていたがために前から近づいてくる《レグルス》所属のウマ娘に気づかなかった。
老体でも耐えられる程度に精一杯手加減したクリームパイを顔面に食らった柴原老人は「お豆腐っ!?」という悲鳴をあげながらその場に倒れ込んだ。
一方ウイニングチケットもクリームが目に入ったのか目を押さえてそのあたりを転がっていた。ウマ娘の眼球がやけに丈夫なことは医学的にも証明されているので問題はないだろう。
「ジュンペー、チケゾーに濡れタオル持ってったげて。わたしはジーニアス止めてくるわ」
「えっ、止めるって何。ジーニアスあれ以上なんかやんの!? ちょっとリリー!?」
去年のエリザベス女王杯を制した《レグルス》所属のウマ娘が、柴原老人へ追撃をかけようとしているウマ娘を取り押さえる。
その間に、若干混乱して見えるサブトレーナーは、何故かその場にリモコンを置いて控室へと駆けていった。
「……あのチームからGⅠウマ娘がそれなりな数出てるという事実よ」
「トレーナーの人柄と能力に相互関係はないからな」
「それは重々承知してるの」
ひと悶着あったが、その後なんとかホープフルステークスの表彰は完遂され、遂にナイスネイチャの出番となる有馬記念が開催するのだった。
「で、ヘリオスは本当に大丈夫なの?
「わからん! けどなんかイケる気がする!」
地下バ道。アップを終えたメジロパーマーとダイタクヘリオスが会話をしている。ジャパンカップの衝撃で霞んでしまったが、つい先月のマイルチャンピオンシップでダイタクヘリオスは、マイルGⅠ2勝の新星ニシノフラワーらを退け2連覇を成し遂げた。
日数は経っているが、その疲れは抜けきってはいないはずだ。
「まぁなんとかなるっしょ!」
「ヘリオスがそう言うなら、まぁ平気か!」
(……だとは思うんだけどねぇ……)
ダイタクヘリオスは考える。今回怖いのは目の前の
メジロパーマーやツインターボのように何をしてくるかわかる相手ならいい。
あるいは全く情報がない、何をしてるかまるでわからない相手なら個別に警戒しなくて済む。
だがナイスネイチャのように、何をしてくるかは予想できるがその数が多すぎて警戒しきれない相手が一番厄介だ。
(まぁ、だからこそやるんだけど!)
だが、そのナイスネイチャのような相手こそダイタクヘリオスの仮想敵だ。予行演習になるかは怪しいところだが。
ダイタクヘリオスがチラリと流した視線を感じ取って、ナイスネイチャがそちらへと目を向ける。ここ1週間程度で付け焼き刃ではあるが、相対的でなく絶対的に自分を有利にする立ち回りを頭に入れては来たが、付け焼き刃は所詮付け焼き刃だ。
宝塚記念で使ったスタートダッシュ対策はこのふたりには効果が薄かった。最高速度はおそらくふたりとも上がっていて自分は頭打ち。ナイスネイチャの勝ち筋はもはや、付け焼き刃を成功させるしかない。
(そろそろ、3着じゃなくて1着が欲しいしね)
メジロパーマーは目の前の親友の笑顔を見ながら考える。馴れ合っているが、ターフに上がれば彼女も敵だ。しかも適性距離外でこそあれGⅠ4勝の強敵。
それに引き換え、自分は重賞にこそ勝てているが、GⅠは善戦止まり。しかも親友であるがゆえに、
(まぁ、生半可な走りなんてした覚えないけど)
流石にそろそろ、自分を信じて待っている
(泣きすぎて脱水にならなきゃいいけど)
先日、自転車に「パーマー号」と名付けようとしていた自分のトレーナーを案じて、メジロパーマーはくすりと笑った。
今年のクラシックGⅠを獲ったウマ娘は出ておらず、圧倒的カリスマを持つ者も欠けている。しかし、集ったのは間違いなく強者達。
嵐の有馬記念が始まる。