万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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月と太陽

 千葉県成田市、シンボリ本家。

 そのグラウンド――否、()()()

 

「シンボリ家が保有する自家コースだ。簡潔に言うと、東京レース場と全く同じ形状に作られている」

 

「へぇ……パないわぁ……」

 

 感嘆したように、いつもの軽妙な口調で返事をするダイタクヘリオスだが、依然その顔に笑みはない。既に双方運動着に着替え終わり、シンボリルドルフは古めかしいゲートを操作して準備を始めていく。

 そのかたわら、シンボリルドルフはダイタクヘリオスからあの表情、あの態度を向けられる心当たりを己の記憶から探ってみたが、そもそもダイタクヘリオスと交流した機会そのものが少なく、何度思い返してもその理由は見当たらない。

 

「……君の要求を確認しよう」

 

 シンボリルドルフが背後のダイタクヘリオスへ語りかける。そう、ダイタクヘリオスはこの模擬レースにおいて、シンボリルドルフに対してひとつの要求を通していた。

 そもそもシンボリルドルフという伝説と模擬レースをすること自体が、多くのウマ娘にとってはご褒美と言ってもいいのだが、それ故に模擬レースなど仕掛けてくる相手もいなかったシンボリルドルフは殊更今回の挑戦を快く受け入れていた。

 だがそれとこれとは話が別である。いくら勝者の権利とはいえ、シンボリルドルフの権能の範囲を超える要求は叶えられないからだ。

 

「君が私に勝ったら私は君の要求に応える。物品や権利を要求する気はなく、私に対する行動の強制が目的で、それは大衆の面前で行われるものではないし、私が肉体的、社会的、財産的に損害を受けるものでもない。しかしその内容自体は今は伝えられない。で、いいのかな?」

 

「回りくどく言えばそんな感じ」

 

「そして……舞台はここ、東京レース場とほぼ同コースのシンボリレースコースの、芝2()4()0()0()m」

 

 それは、シンボリルドルフの勝鞍、日本ダービーやジャパンカップと同じ府中のクラシックディスタンスであり、シンボリルドルフにとって最も得意な距離。そして、マイラーであるダイタクヘリオスにとっては完全にアウェーである。

 しかしこの条件は、ダイタクヘリオス自身から言い出したものだ。この距離でないと意味がないからと。

 

「……自惚れるわけではないが、正直に言って2400m(この距離)で君が私を打倒するには、いささか難中之難がすぎると思う。私はマイルも走れなくはないし、公平を期すならば1800mあたりが妥当だと思うが……」

 

 シンボリルドルフの提案を遮るように、ダイタクヘリオスがゲートへ収まる。何も言わず、シンボリルドルフの方を一瞥さえしない。その後ろ姿からは圧力のような熱気が放たれ、シンボリルドルフの肌を焼く。

 

「慣れたと思ってはいたが……いや……往々にして参るな、これは……」

 

 昔から敵意や悪意を向けられることは多々あった。勝ちすぎると、全てのウマ娘が敵になる。自らの走りを謗られることもまたあった。しかし幾多のそれを踏みつけて上へと上り詰めても、決して慣れることはない。

 いくら考えてもダイタクヘリオスから向けられる熱く鋭い感情の心当たりは――あるいは無自覚に目を背けているのか――見つからない。シンボリルドルフは他にしようもなく、ダイタクヘリオスに続いてゲートへ入った。

 

 ファンファーレも歓声もなく、ただ無機質な音だけを鳴らしてゲートが開く。ふたりしか走者がいないため、必然どちらかが逃げを打つ形になるのだが、他に走者がいたとしても、ダイタクヘリオスがハナを奪っていただろう。

 それはいつも見せている破滅的な爆逃げ……では、ない。十人並みの相手であればそれで騙されたかもしれないが、シンボリルドルフはダイタクヘリオスが上手く力を抜いていることに気づいていた。

 比較対象がいない一対一の模擬レースだからこそ採れる作戦。しかも、ここ一年間のレースで()()()()()()()()()()()()()からこそ、この()()()()()()()()は有効となる。

 

(この一年間、私との模擬レースだけを見据えて布石を打ち続けていたとでも言うのか……? マイラーとして実績を残しながら距離延長に固執していたのも、爆逃げというシアトリカルな作戦を印象付けたのも、すべてこの2400mのため……?)

 

 シンボリルドルフの視線が鋭くなる。1年、いやそれよりもさらに前から、自分だけを打ち倒すために準備を重ねてきた者が現れた。それに対するシンボリルドルフの感情は、歓喜だ。

 トウカイテイオーの皐月賞、ミホノブルボンの菊花賞、片やトウカイテイオーに勝利するためだけにデビュー前から入念に仕込まれた情報戦で、片やミホノブルボンに超克するためだけに己の限界を遥かに超えた者たちの死闘。それらを観ながら、シンボリルドルフは心の内に棲む緑眼の怪物を必死に抑えつけるしかなかった。

 脳裏に蘇るのは、片や自分を上回る知略で世界諸共この皇帝を翻弄しきった『沈着にして激情の軍略家』、片やただその暴虐的なまでの精神力ですべての計略を打ち破った『革命家』。見事『天衣無縫』の仇を討ってみせた彼女たちとの激走。

 日本最高峰のウマ娘として一線を退いてからは、なんの因果かドリームシリーズでさえ手に入らない本当の意味での死闘への、どうしようもない渇望と嫉妬。

 

(……悪いがダイタクヘリオス、君が私に向ける感情の正体は曖昧模糊としたままだ。しかし、今はそれを私にぶつける判断をしたことに感謝させてほしい……)

 

 道中での駆け引きなど起こり得ない逃げと追走の一対一、互いにスタミナを消耗しレースは終盤へと突入する。

 僅かずつリードを開いてきたダイタクヘリオスと自分のペースを保っていたシンボリルドルフとの距離が、スパートをかけたことによって徐々に縮まっていく。

 長い長い直線の前の最終コーナー。まだハナを保つダイタクヘリオスの後ろに"領域(ゾーン)"の太陽が現れグンと加速する。しかしそれでもシンボリルドルフの末脚に対抗するには足りない。

 

(ここまでか……いや、贅沢は言うまい。ありがとう、ダイタクヘリオス)

 

 ダイタクヘリオスのすぐ後ろ1バ身のところまで迫ったシンボリルドルフは、名残惜しく思いながらも外側を差す。

 

 その時、ダイタクヘリオスを中心に嵐が渦巻いた。

 

「なァッ!?」

 

 再び急加速しハナを奪うダイタクヘリオスの"領域(ゾーン)"に似た()()()に目を(みは)り驚愕を零すシンボリルドルフ。いや、それは確かに"領域(ゾーン)"であった。

 ただし、ダイタクヘリオスのでは、ない。

 

("継承"か!? 噂には聞いていたが、まさかこの目で見ることになるとは……!)

 

 "領域(ゾーン)"の継承。より強く絆を深め、ともにトレーニングやレースを戦ってきた相手の"領域(ゾーン)"を受け継ぐ現象。有名なところでは、『偉大なる栗毛(ビッグ・レッド)』たちが代々受け継いでいるという"領域(ゾーン)"がそうだろう。

 ダイタクヘリオスが発動したそれは、間違いなくメジロパーマーの"領域(ゾーン)"だった。

 

(……だが、府中(ここ)の直線は長いぞ)

 

 シンボリルドルフはより強く踏み込み、再びダイタクヘリオスを差しにかかる。ダイタクヘリオスの横を通り過ぎ、少しずつその足音が後方へと遠ざかっていく。

 蹄鉄が地面を抉る音が響く中、しかしシンボリルドルフは、ガラスが砕けるような音を聞いた。

 

(――ッ!! まさか!?)

 

 反射的に後ろを確認したシンボリルドルフの目に写ったのは、紅い結晶を踏み壊しながら猛追するダイタクヘリオスの姿。目が赤く充血したその"領域(ゾーン)"は、『華麗なる一族』のダイイチルビーのものだ。

 だが当然、それだけでは足りない。突き離された今、ひとつだけでは足りない。足りない筈なのに。何かに導かれるように加速し続けるダイタクヘリオスの脚が、やがてシンボリルドルフを差し返す。

 そしてシンボリルドルフはその正体を知った。ただひとつの『一番星』を目指し自らの道を切り拓き続ける独尊にして独走の"領域(ゾーン)"。

 

(ダイタクヘリオス……君は一体どれほどの……いや、問うのは無粋か……!)

 

 刹那、ダイタクヘリオスは自らの動きが大きく鈍ったことに気がついた。それはまるで鎖のように彼女の四肢に絡みつく。

 それは戦術戦略に頼らない、ナイスネイチャなどが使う《八方睨み》と似通った技術。威圧とは違い、自分という一点に相手の意識を集中させることで、前へ向かう意識を削る《独占力》と呼ばれる技術だ。

 スピードを削がれたダイタクヘリオスをシンボリルドルフが三度(みたび)差し返す。そう、()()だ。

 それは彼女の絶対帝政を象徴する"領域(ゾーン)"。三度の追い抜きの後に現れる雷鳴と白亜の巨城。

 

汝、皇帝の神威を見よ

 

 ダイタクヘリオスとシンボリルドルフの距離が見る間に離れていく。本来ならばセーフティリードと言ってもいい距離で、その上ダイタクヘリオスにはシンボリルドルフの"デバフ"が巻き付いている。勝負は決した。

 

 

 

 ――否、その行進(パレード)は終わらない。

 

「ッ!!?」

 

 鳴り響いた『鈴の音』に、今度こそシンボリルドルフは息を呑んだ。何者にも縛られず己の進みたい道を歩み続ける()()が生んだ領域(りょういき)が、ダイタクヘリオスを縛めていた鎖を砕く。

 残り300m、最終直線の緩やかな坂で、追い風に吹かれるかのようにシンボリルドルフを猛追するダイタクヘリオス。だがそれでもシンボリルドルフにはわかるこれでもまだ足りない。あと一歩自分には届かない。

 

(あるのか!? 君に、お前に、私との差を埋める何かが!? まだ残っているのか!?)

 

 ダイタクヘリオスがその身の限界を超えて再現し続けてきた継承された"領域(ゾーン)"の欠片。それを以てしてもまだ届かないこの一歩を。

 

 踏み切る。

 届かせる。

 継承ではなく完成。

 不完全で未完成のまま終わっていた魂を受け継ぎ、欠片ではなくただひとつ、己のものとして。

 陽光が錦糸を照らし出す。

 

 シンボリルドルフの脳裏を掠めたのはあの3月。皐月賞の前哨戦。

 

(そうか、()()は――あのとき領域(そこ)に手を伸ばしていたのか)

 

 シンボリルドルフが歯を食いしばる。一歩は埋まった。このままなら、差し切られる。シンボリルドルフの脚に熱量が籠もった。

 

(これは、あの時の続きか。もし万全な()()が日本ダービーに出ていたら、ここまで私を追い詰めただろうか。なら――負けるわけにはいかない)

 

 そこにはもう皇帝はいない。いるのは1頭の、気高き獅子(ライオン)

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

「あああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 ふたりの雄叫びが重なる。残り200m。差は1バ身もない。

 

 

 

 そして、紅葉が舞った。

 

 

 

 汗だくでその場に倒れ込み、仰向けに寝転がるダイタクヘリオス。その顔に、シンボリルドルフが乾いたタオルを投げ落とした。

 

「……君の勝ちだ」

 

 シンボリルドルフの言葉に、ダイタクヘリオスは彼女を睨む。

 先にゴールしたのはシンボリルドルフだった。見知らぬ、2つ目の"領域(ゾーン)"に射落とされたダイタクヘリオスもそれを理解している。だからこそ、なんのつもりだという視線を突き刺す。

 

「……あの"領域(ゾーン)"を使う気はなかった……いや、もしも使うことがあれば負けとすることを決めていたんだ」

 

「……アンタの自分ルールは知らんけど……まぁいいや……じゃあさ、皇帝さん。ゼンちゃんと――ビゼンニシキと、一回ちゃんと話してくんない?」

 

 やはりか、と、シンボリルドルフは思った。

 最後に顕現したダイタクヘリオスの2つ目の"領域(ゾーン)"を見たときにようやく思い出した。というより、目を背けることを止めた。ビゼンニシキがダイタクヘリオスの師であるということを、シンボリルドルフが知らないはずがないのだから。

 

「……だが、私には彼女に合わせる顔なんて……」

 

「それは()()()()()()()っしょ。知らんし。アンタに合わせる顔があってもなくてもこっちには関係ないし」

 

「……彼女のトレーナーから二度と会わせないと……」

 

「ゼンちゃんのトレーナー、もう随分前に引退したよ。知ってるっしょ……知ってんだろうがっ!!」

 

 ダイタクヘリオスの、怒声。聞いたことないそれに、シンボリルドルフは一瞬体を硬直させた。

 

「立場がどうとか、約束がどうとか、合わせる顔がどうとか相手がどうとかっ!! アンタも、ゼンちゃんも!! 結局会わない理由を作って避けてるだけだろっ!!」

 

「ッッ!! お前に、お前に何がわかるッ!!」

 

「わかんねーよ!! なんもわからんしっ!! アンタもゼンちゃんのこと知らないだろっ!! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 シンボリルドルフが言葉に詰まる。ダイタクヘリオスは更に続けた。

 

「ゼンちゃんにアンタの昔のキャラ聞いた! なんでイメチェンしたか知らんけど、それ周りの友達に相談とかしたわけ!? 急に別人みたいになって、前のアンタが好きだった人はどうすればいいわけ!?」

 

「ッ……そ、れは……」

 

「カッコつけたいのかわかんないけど友達にくらい弱み見せろよ!! 頼れよ!! なんでも自分だけで抱え込もうとするなよ!!」

 

「わた、しには……出来るだけの力が……」

 

子供(ポニー)みたいなヘリクツこねんなっ!! 同じスピード出せても、全力疾走でようやく出せるのか流してても出せるのかでは全然違うだろっ!!」

 

 揺らぐ。

 弱みを見せまいと、日本のウマ娘の頂点に祀り上げられ、その役目をまっとうせんと歪に作り上げてきた仮面が。

 強固に糊着して外れなくなっていた、外すことすら考えなくなっていた仮面が。

 

「言わなきゃわかんないじゃん! 頼って、縋って、弱みも愚痴も吐き出せばいいじゃん! 信じてもらいたいなら、まず信じろよ……っ!! そうじゃなかったら……信じてるのに信じてもらえない方は、どうすりゃいいんだよ……」

 

 錦は身を退いた。『獅子』が『皇帝』になった理由を知らぬまま、もはや傍に自分は必要ないと。

 鈴は思うままに、『皇帝』に救われた者など知ったことではなく、『獅子』こそを欲してそのために動いた。

 一等星は反発した。誰よりもその猛気に惹かれ、誰よりもその自由さに焦がれて傍らにいたからこそ、猛気も自由も捨て去ったことにも、その末にさえ頼られなかったことにも耐えられなかった。

 

 確かに『皇帝』は多くの者を救い、導いてきた。それは疑うまでもない。

 しかし、それならば『獅子』に惹かれた者たちは蔑ろにしていいのか。

 

「ひとりで抱え込み過ぎなんだよ……アンタは……」

 

 精根尽き果てたような声とともに太陽は沈む。

 今宵、月は。




 伏線回収に100話以上かけてるってマ?
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